政治の話⑥(「排除の論理」)

東京都知事の小池さんが立ち上げた希望の党は、とうとう「解党」してしまいました。

希望の党と民進党が「合流」し、国民民主党が立ち上げられました。

 

 

昨年の秋の衆議院選挙で、躍進すると目されていた希望の党は、選挙戦の中盤に入って、急失速し、「惨敗」を喫することになりました。

 

それは、世間一般に、「排除発言」が原因であると考えられています。

 

しかし、実際には、希望の党の「敗因」は「排除発言」ではありません。

 

 

むしろ、「排除しなかったこと」が原因でした。

 

 

 

「排除」という言葉が大きくクローズアップされてしまったために、大きな勘違いが広まっています。

 

小池さんは、当時、党組織の「収容力」と「処理能力」を大きく超える、限界以上の人数に公認を出しました。

 

小池さんは、多くの「リベラル系」の民進党員を受け入れたのです。

それが、その後の希望の党の迷走の大きな原因になるわけですが、混乱が引き起こされるリスクを背負って、「リベラル系」の候補者を合流させたのです。

 

 

それは、「数」が必要だったからです。

 

小池さんは、総理大臣の椅子を狙っていたと思います。

そのために、自身の政党である希望の党所属の衆議院議員の人数をできる限り増やしておく必要があったわけです。

 

小池さんは、「保守系」の政治家で、自民党出身です。

おそらく、小池さんは、一定数の議席を確保したうえで、自民党内の「反主流派」や他の「保守系」の議員とうまく連携できれば、連立内閣を成立させることができると考えたのではないかと思います。

その「流れ」の中で、自身が衆議院議員に「くら替え」する機会を見定めようとしていたのかもしれません。可能であれば、自身も即座に衆議院に立候補、無理であれば、いずれかのタイミングで再度政局を仕掛ける、というような算段だったのかもしれません。

 

 

 

小池さんは、国会内で自身の影響力を確保するために、政治的な考えがまったく違う大勢の「リベラル系」の政治家を飲み込んだわけです。

 

したがって、「排除した」と非難されるのは、かなりの「見当違い」だといえます。

 

 

小池さんが「惨敗」を喫してしまったのは、むしろ、そのために「保守層」の支持が離れてしまったからです。

 

「ここ」の分析を誤ってしまうと、野党も、そして与党も、今後、選挙で同じような失敗をしてしまうでしょう。

 

 

 

直前まで、小池さんが選挙で無類の強さを発揮することができたのは、コアとなる「保守層」の支持に加えて、幅広い層からの支持を取り込むことに成功したからです。

 

実は、「改革派の保守」というのは、現代の日本で最も訴求力のある政治家像です。

 

小池さんは、非常にうまくメディア戦略を展開し、期待される政治家のイメージを具現化しました。

小池さんが「世論」の安定的な支持を得ることができていたのは、「守旧勢力」と対決しながらも、「リベラル」に対して毅然とした姿勢を見せていたからです。

 

 

しかし、昨年の衆議院議員選挙では、「数」を得るために、これまで堅持していた姿勢を崩し、「リベラル」の勢力を党内に取り込みました。

 

そのために、自身の人気の「基調」であった「保守層」の支持を手放すことになってしまったたわけです。

 

 

 

小池さんには、いくつかの「計算外」がありました。

 

そのうち、もっとも大きなものは、当時の民進党の代表だった前原さんの「振る舞い」でした。前原さんが、民進党の候補者「全員」で希望の党に合流することを目指したために、小池さんは、「リベラル色」の強い「左派」の政治家は受け入れない、と「宣言」する必要に迫られたわけです。

 

前原さんは、旧民進党に所属していましたが、「保守系」の政治家です。したがって、小池さんとは政治的な考えが近い政治家です。そのために、「合流話」がうまくまとまったわけですが、当然、「左派」の政治家を受け入れないということも、含意されていたはずなのです。

実際、前原さん自身は党内「左派」の対応に苦慮していました。

 

かなり大掛かりな政局工作が仕掛けられたわけですが、2人は、自民党に対抗する「保守の第二極」を作るという目的で、一致したのだろうと思います。

 

 

ところが、前原さんは、党内の「合意」を得る過程で、にわかに「情緒的」になってしまい、「左派」を「切る」ことを明言するのを躊躇してしまいました。

 

前原さんは、党員に対して、誰が合流を許可され、誰が許可されないのか、さも小池さんの一存で決まるかのように説明してしまったのです。

 

そのうえで、「全員が合流できる可能性もある」というような、その場しのぎの言葉で、いうなれば、まさしく「希望」というものを、「全員に」与えてしまったのです。

 

それは、なかなか強烈な皮肉です。

 

恐らく本当は、前原さんには、党員たちの「運命」が見えていたはずです。

 

 

ただ、私は、個人的には、少しばかり前原さんに同情する余地はあると思っています。

 

喉元過ぎれば熱さを忘れる、ということなのか、多くの人はたった数か月前のことを忘れ去っていますが、衆議院の解散が決まったとき、民進党は、異常な空気に包まれていました。

あのまま選挙に突入していれば、民進党の崩壊どころか、日本から「リベラル」が駆逐されていてもおかしくなかったわけです。それは、当事者である民進党の議員のほうが、よりリアルに理解していたはずです。

後日、前原さんは、希望の党に合流できなかった「左派」の候補者から非難を浴びましたが、「左派」の政治家が、自身の政治信条と小池さんの政治信条を照らし合わせて、同じ政党に所属できると本気で考えていたとするなら、ずいぶん面の皮が厚い、と思います。

 

 

 

さて、何度も言及しているように、小池さんは「保守系」の政治家です。

「リベラル」の政治家とは、政治に対する考え方が大きく違うわけです。したがって、「リベラル」の政治家を受け入れない、という判断は、極めて合理的なものです。

 

 

ところが、「排除発言」は、非常に大きな「非難」を浴びることになりました。

 

 

「排除」という言葉に過敏に反応したのは、「リベラル系のマスコミ記者」でした。

「排除」という言葉が、「リベラル的価値観」を強く刺激したのかもしれません。

 

 

「排除発言」が、「世論」の逆風を招いた、というのは、一般的に信じられている「マスコミ」のロジックですが、実際には、別の「原理」が働いて、希望の党は失速したわけです。

 

 

希望の党は、あてにしていた「保守層」の票を失ったのです。

 

 

さらに、失った票があります。それは、立憲民主党に流れました。

 

 

先の衆議院議員選挙では、立憲民主党は、「リベラル」の票に加えて、希望の党から流れてきた票を得ることができました。

 

 

立憲民主党を浮上させたのは、その、ある特殊な「票」の集まりです。

 

日本の選挙の特徴のひとつは、「信条」ではなく、「心情」で投票する有権者が一定数いることです。

政党や政治家の公約や実績ではなく、その候補者を「応援したい」という気持ちに突き動かされて、投票する「人情票」が存在します。

 

 

今回、立憲民主党に投票した一部の層は、その前の都知事選では、小池さんに投票したでしょう。

その層は、政権交代をしたときの民主党に投票したでしょう。

その前は、小泉さんに投票したでしょう。

 

 

つまり、そのときそのときの選挙で、「その候補者が当選したら面白そうだ」あるいは「その政党が勝ったら痛快だ」というような「感情」にもとづいて投票するわけです。

 

 

「人情票」は「無党派層」と混同されがちですが、立候補者の身の上や人物像に対する「好感度」、あるいは、対立候補に対する「嫌悪感」が投票の「動機」であるという点で、観点が異なります。

 

 

「人情票」は、「数」としては限定的ですが、まとまった票が一斉に動くので、条件が合わさって発動したときには、「劇的な結果」に繋がりやすくなります。

 

 

前回の選挙で、立憲民主党が躍進しましたが、これを「額面どおり」に受け取るのはとても危険だと思います。先の衆議院選挙では、様々な「フィルター」が作用したことが、「票」に結びつきました。

 

もし、今、選挙になれば、かなり深刻な状況になってしまう可能性があります。

 

 

 

それにしても、「一寸先は闇」という言葉がありますが、政治の舞台も、明日をも知れない世界です。

枝野さんが再び表舞台に立ち、小池さんは挫折しました。

 

 

なぜ、小池さんは「あのタイミング」で勝負をかけたのか、いろいろ考えます。

 

もし、「あの選挙」のとき、「党勢の拡大」ではなく、「堅実な足固め」に徹していれば、今、小池さんは、「最大のチャンス」を迎えていたはずです。

自民党内の「反主流派」と一部の野党勢力を結集して、「首班指名」を実現できたかもしれません。

 

もちろん、ただの「結果論」に過ぎませんが。

 

 

これは、まったくの個人的な想像ですが、小池さんの政治家としての「原風景」に、1993年の「政変」が刻印されているのかもしれません。

 

この年、戦後の日本政治を独占し続けた自民党を打ち倒し、細川内閣が成立しました。

小池さんは、細川さんが率いた日本新党の一員として選挙を戦い、日本の政治史にエポックを刻んだのです。

 

あのときの「熱」が、小池さんを突き動かしていたのかもしれません。

 

それから、これも単なる想像ですが、アラブ諸国で連鎖的に起こった政治運動、「アラブの春」に政治家として感応したのかもしれません。小池さんは、アラブ世界に通じた稀有な政治家でした。

 

 

 

いずれにしても、小池さんの「関ヶ原」は終わりました。

 

 

小池さんには、ぜひ都政を良いものにしてもらいたいですね。

オリンピックもありますし。

 

 

その一方、国民民主党は、どうなっていくのでしょうか。

 

 

 (ivy 松村)

 

 

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