政治の話⑦(「ブーメラン」)

近年「リベラル」の「空回り」が目立ちます。

 

それは、多くの「リベラル派」の人たちが、自分たちの「状況」を正確に把握できていないことが根本的な原因です。

 

大きく4つの点で、「リベラル派」の人たちは「勘違い」をしています。

 

 

1つ目は、自分たちの主張は「論理的である」と考えている点。

 

2つ目は、自分たちは「正義である」と考えている点。

 

3つ目は、自分たちは「支持されている」と考えている点。

 

4つ目は、自分たちの方法論は「効果的である」と考えている点。

 

 

 

まず、1つ目です。「リベラル」が、自分たちの主張は「論理的である」と考えている点です。

 

「リベラル」は、原理的に「パラドクス」を抱え込む「思想」です。

 

とはいっても、それは、その「思想」が質的に劣っているという意味ではありません。

地球上のほとんどすべての思想や価値観の体系は、なにかしらの矛盾を内包しています。科学、という営みでさえ、そういった指摘を免れないでしょう。

 

問題は、そのことを軽視、あるいは、無視していることです。または、そのことに無自覚であることです。

 

思想の「核心部分」に逆説を抱えているわけです。本来ならば、整合性や正当性を突き詰めなければならないはずです。

 

ところが、何人かの「リベラル」の言論人は、無邪気に、自分は、誰もが納得するべき理知的な考えを、朗々と言い聞かせているのだ、と信じ切っています。

 

論理に齟齬があるのに、理論構築をしたり理論武装したりすることなく、放置しています。

 

小手先の理屈で言いくるめられると思っているわけです。

 

ある意味で、「世間」をみくびっています。

 

 

「もりかけ」などの一連の問題で、「世論」を巻き込むことができないのも、「論理の欠如」があるからです。

 

 

 

2つ目です。「リベラル」が、自分たちは「正義である」と考えている点です。

 

現代の「リベラル」のエッセンスを一言でいえば、それは「弱者を助けよう」という「善意」です。

その情動は、尊いものです。

 

しかし、何人かの「リベラル」の言論人は、自分は道義的に正しいことをしていると信じ切っているために、別の考えをもつ人を、反射的に「不道徳」であると考えてしまいます。

 

そのために、何人かの「リベラル」の言論人は、「道義的高み」から、高説を説くがごとく弁舌を奮います。

 

威勢よく強い言葉で「相手」を論難するのは、当人は充足した気分になるでしょうが、それをはた目でみている人は、良い印象を持たないかもしれません。

 

 

また、自身を絶対的な「正義」であるとする考えは、言動に歪を生み出します。

しばし人間は、「大儀」のために、「小さな不義」はやむを得ない、と考えがちです。

 

 

もう一点指摘します。「リベラル」の大きな特徴のひとつは、「道徳性」を、政治的に重要な争点であるとみなす点です。

 

もちろん、自分たちの政府を、「精神的に」信頼できるかどうか、というのは重要なことです。

 

しかし、自らが「道徳性」を持ち出した以上、自身にも「道徳性」が突きつけられてしまうわけです。

 

昨今、「ブーメラン」という俗語が日本の政治の文脈に定着しつつありますが、それは、まさに現代日本の「リベラル」の「現状」を、過不足なく物語っています。

 

 

 

3つ目です。「リベラル」が、自分たちは「支持されている」と考えている点です。

 

「リベラル」は、自分たちは正しいことを言っていると自認しています。

したがって、分別を持った人々は、「実際には」自分たちを支持しているはずだ、と考えがちです。

 

今、劣勢に立たされていても、「うまいやり方」をすれば、「支持」が戻ってくると考えるわけです。

 

 

その「驕り」は、判断を狂わせています。

間違った現状認識のもとで方針を決めたり計画を立てたりするために、思いどおりの「結果」が得られません。

 

 

また、「リベラル」が、オールドメディア、つまり、「マスコミ」に依存する傾向が強いことも、「世論」を読み誤る原因となっています。

 

日本社会は、すでに「インターネット」の影響力がオールドメディアを凌駕する時代に突入しています。

 

しかし、「リベラル」は「インターネット」に対する「不信」に囚われてしまっているために、「インターネット」を有効に活用する路線を打ち出せません。

 

 

先日の世論調査で内閣支持率が上昇しましたが、安倍政権に対する「リベラル」の認識と「世論」の「乖離」は、ある種冷酷な「現実」を突きつけます。

 

「リベラル」の言論人の中には、安倍政権の支持率が下がらない今の世の中はおかしい、と考える人もいます。

 

人間社会に「不条理」が蔓延していることを否定するつもりはありませんが、眼前の「現実」と向き合わなければ、「リベラル」の低落に歯止めがかかることはないでしょう。

 

 

 

4つ目です。「リベラル」が、自分たちの方法論は「効果的である」と考えている点です。

 

日本の社会も日本の政治も「新しい時代」に入っているのですが、「リベラル」の「方法論」は旧来のままです。

 

「成功体験」に固執して、同様の手法で「政治闘争」を繰り返しますが、それは機能しなくなっているのです。

 

「相手」の「人間性」を問題にして、政策や人事の批判につなげ、それを撤回させたり譲歩させたりするやり方は、一昔前には非常に有効でした。

 

しかし、現在はむしろそういった手法は「逆効果」になりつつあります。

 

また、テレビや新聞、週刊誌などのオールドメディアと連携して、「世論」を喚起する方法も、効果が薄れています。

 

「大騒ぎ」をして、さも「相手」が「とんでもないことをやらかした」ということを喧伝するような立ち回りは、もう、見切られています。

 

 

ついでにいえば、世論調査などで、「もりかけ問題」を追求すべきだ、という回答が7割くらいあって、それで、意気盛んになって「もりかけ」に邁進するのも大きな錯誤です。

 

はっきりいってしまえば、ほとんどの日本人は、もう、「もりかけ」に興味がありません。興味のない人間に聞いているわけです。興味のない人間は、質問者が望んでいる回答を汲み取って、「そう答えてあげる」わけです。

 

それで、「もりかけ」が立ち消えになるのは、よいか悪いかといえば、あまりよくないとは思いますが、しかし、「そうさせた」のは「もりかけ」に執心している人たちです。

 

 

 

総じていえば、「リベラル」には、いまだに「過信」があります。

 

それが「リベラル」の低落をもたらしています。

 

 

(ivy 松村)

 

 

 

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