I think it is not good for you to watch TV .

 

今日は、2014年の最後の授業日でした。

塾の仕事をしていると、一年の終わりが区切りであるという感覚がなくなってしまいます。

むしろ、正月がうらめしいと思うこともあります。

受験生は、くれぐれも羽を伸ばしすぎないようにしてください。

 

 

現代の大晦日・お正月の過ごし方で、もっとも多いのがテレビを見ることでしょう。

特に、大晦日の特番を楽しみにしている人が多いようです。

 

私は、自宅にテレビを設置していないので、生徒に「どうやってお正月を過ごすんですか?」と驚かれることもあります。

 

 

テレビを観なくなったのは、昔と違って、テレビ番組に面白味を感じなくなってしまったことが一番の理由です。

 

また、テレビに合わせて生活するのが嫌だと感じ始めたことも大きいですね。

 

以前、1年のうちの数か月を海外で過ごすという生活をしていた時期があったのですが、その間に、テレビを見る習慣が完全になくなりました。

 

 

 

放送局の放映する番組をオンタイムで見なくても、魅力的な映像コンテンツを後で見る機会はいくらでもあります。

インターネットやDVDで視聴することができますし、そもそも、必ず見たい、と思うものがほとんどなくなってきました。

 

テレビの放映スケジュールに依存していない分、好きな時に好きな映像コンテンツを楽しめるので、テレビのない生活のほうがメリットが大きいと思っています。

 

 

 

最近、調べ物をしていて、昭和時代の週刊誌や論壇誌を読む機会が多いのですが、「テレビをみると頭が悪くなる」などと平気で書かれています。

昔は、テレビは全くの悪者でした。

 

人権を考慮しない見世物的な報道や、行き過ぎた悪ふざけ、全くでたらめな似非科学・トンデモ話・ヤラセなどが平気で流されていましたから、その状況に眉をひそめる人も多かったのです。

 

さまざまな規制が強化されて、10年ほど前には、それ以前のような雑然とした空気がなくなっていました。

でも、そのせいで、現在のテレビは、スリルや興奮や憤りやカタルシスのない、惰性で作られた平凡なものばかりになっていませんか?

刺激的なコンテンツは、スポーツだけになっているようにみえます。

また、制作費が圧縮され、トーク番組やクイズ番組ばかりになっているという話も聞きますが、どうなのでしょう。

 

テレビがつまらなくなったという人も多いですね。

 

 

逆に、現代のテレビのほうが、悪影響が大きくなっているかもしれません。

のっぺりとした陳腐な内容の映像を、わざわざ時間をとって視聴するのは無駄が大きすぎるのではないでしょうか。

せめて、録画して見るべきだと思います。

 

 

趣味としてアニメやドラマなどを見ている人もいると思いますが、映像作品や映像コンテンツを楽しむこと自体を問題にしているのではありません。

人生における楽しみは人それぞれです。私も、映画やドラマを見ることがあります。

 

問題なのは、テレビのスケジュールに縛られる生活を続けることです。テレビのために時間を調整することは、馬鹿げたことであって、物理的にも精神的にもよくないことだと思います。

 

ということで、受験生のみなさん、くれぐれも年末・年始にテレビを見ないようにしてください。

 

 

(ivy 松村)

Joyeux Noël !

 

サンタクロースが存在するのかどうか、という「サンタクロース論争」というのが昔からあって、小さな子供たちの間で、言い合いになったりすることもあります。

 

実際には、子供は、サンタクロースを信じているというよりも、信じるように誘導されているのですね。大人は、子供にサンタクロースの存在を信じていてもらいたいわけです。

 

 

 

私には、サンタクロースにまつわる、ある思い出があります。

 

まだ、小学校にあがる前、クリスマスの前の晩、寝る前に、母に、今夜サンタクロースが来てプレゼントをくれるはずだと聞かされました。

 

私はすっかり舞い上がって、興奮して喜んでいたのですが、ふと、心配がよぎりました。私の家には煙突がありません。いったい、サンタさんはどこから家に入ってくるというのでしょうか。

 

その心配を母に伝えると、じゃあ、玄関を少し開けておきましょう、と言って、家の入口の扉を3センチほど開けておくようにしました。

 

その真っ暗の隙間から冬の夜の冷気が入り込んできて、少し震えたことを覚えています。サンタさんは、こんなにも寒い暗闇の中をやってくるのだ、と思い緊張しました。

 

サンタさんに会いたかったけれど、寝ないとプレゼントをもらえないと言われて床につきました。目を閉じても、きっと意識を保とうと試みたのですが、幼い私はすぐに寝ついてしまいました。

 

あくる朝、目を覚ますと、確かに、枕もとにプレゼントがありました。ひとしきり小躍りした後で、私は玄関に向かいました。サンタクロースが我が家に来たという痕跡を、どこかに確かめたかったのです。

 

玄関には鍵がかけられていました。

 

事態を飲み込めない私が玄関の前で佇んでいると、父がやってきました。どうしたのか、と私に尋ねるので、玄関に鍵がかかっている、とつぶやきました。すると、父は、悪びれることなく、

 

「ああ、昨日、寒いと思ったら、開けっ放しになっとったから、閉めたわ」

 

と言いました。

 

・・・父は、基本的に、昔から、タイミングの悪い人でした。

ちなみに、母は東京の人で、父は広島の人です。

 

 

そのとき、私は、自分が想定している人物としての「サンタクロース」はこの世にはいないのだと悟りました。

 

ただ、後々になって、クリスマスってなんだろう、と考えたときに、誰かを思いやる気持ちをあらわす日なのだと思い当たりました。

 

ディケンズの「クリスマスキャロル」やオー・ヘンリーの「賢者の贈り物」といった物語は、そのことを主題としています。芥川龍之介の小説「少年」にもクリスマスのエピソードが出てきますね。

 

この幼い日の経験がなかったら、そのことには気づかないままだったかもしれません。

 

 

クリスマスは、誰かを喜ばせたいと思っている人が、それを実行する「口実」になるのです。そして、サンタクロースというのは、恥ずかしがり屋の日本人にとって、都合のいい「隠れ蓑」になるのです。

 

「サンタクロース」は、誰かの心を温かくしてあげたいという気持ちの象徴なのです。

 

どうして母は自分をだましたのだろう?と、当時の私はしばらく考えていたのですが、それは私を喜ばせるためだったのですね。

 

 

クリスマスはあたかも日本の年中行事のように定着していますが、一人ひとりの人が、この日をどのように捉えているのかというのはとても興味深く思います。

 

 

 

基本的に、私は、塾に「遊び」を持ち込むのは間違っていると思っています。ですから、塾にクリスマスの要素は必要なのだろうか、と考えてしまうのですが、この時期は、受験生にとって、多分、精神的に最も重くなる時期なので、ちょっと、なごむ時間をあげたいなあと思ったりもするのです。

 

 

 (ivy 松村)

私立高校の学費

東京都が公表している「平成27年度 都内私立高等学校学費一覧」のうち、おもに多摩地域の生徒の受験が多い高校のものを見てみましょう。

 

 

 

授業料年額 入学金 施設費 その他年額 初年度に要する経費の総額
青山学院高等部 600,000 320,000 0 213,000 1,133,000
國學院大學久我山 366,000 210,000 0 300,600 876,600
杉並学院 420,000 240,000 70,000 162,000 892,000
専修大学附属 420,000 220,000 0 235,750 875,750
中央大学杉並 498,000 290,000 0 290,000 1,078,000
日本大学第二 432,000 250,000 186,000 60,000 928,000
日本大学鶴ヶ丘 444,000 230,000 0 180,700 854,700
工学院(文理普通) 400,800 230,000 120,000 108,000 858,800
工学院(文理特進) 445,200 230,000 120,000 108,000 903,200
聖パウロ学園 420,000 250,000 200,000 0 870,000
帝京大学 360,000 340,000 50,000 144,000 894,000
帝京八王子 420,000 300,000 0 192,000 912,000
八王子学園八王子 432,000 230,000 0 246,600 908,600
八王子実践(普通) 372,000 300,000 90,000 72,000 834,000
八王子実践(調理) 372,000 300,000 90,000 182,000 944,000
明治大学中野八王子 510,000 250,000 0 240,000 1,000,000
昭和第一学園(普通) 381,000 240,000 0 172,400 793,400
昭和第一学園(工学) 381,000 240,000 0 185,600 806,600
大成 426,600 250,000 100,000 60,000 836,600
法政大学 486,000 250,000 0 213,000 949,000
明星学園 450,000 250,000 0 196,000 896,000
明星 456,000 240,000 160,000 63,000 919,000
啓明学園 438,000 300,000 0 243,000 981,000
明治大学付属明治 500,400 300,000 0 240,000 1,040,400
桜美林 465,000 255,000 120,000 111,000 951,000
日本大学第三 384,000 250,000 0 280,000 914,000
国際基督教大学 591,000 330,000 0 180,000 1,101,000
中央大学附属 498,000 290,000 0 280,000 1,068,000
東京電機大学 421,000 240,000 0 195,000 856,000
錦城 372,000 230,000 130,000 48,900 780,900
創価 417,600 240,000 120,000 90,000 867,600
明治学院東村山 432,000 300,000 0 237,000 969,000
早稲田実業学校 468,000 300,000 120,000 208,800 1,096,800
国立音大附属(普通) 411,000 260,000 120,000 58,500 849,500
国立音大附属(音楽) 531,000 260,000 160,000 58,500 1,009,500
拓殖大学第一 384,000 250,000 150,000 84,000 868,000
多摩大学附属聖ヶ丘 480,000 300,000 0 120,000 900,000
東海大学菅生 360,000 250,000 100,000 162,000 872,000
共立女子第二 500,000 250,000 0 210,000 960,000
東京純心女子 372,000 200,000 0 265,200 837,200
明治大学付属中野 510,000 250,000 0 240,000 1,000,000
早大高等学院 684,000 260,000 0 242,000 1,186,000
桐朋 396,000 270,000 130,000 222,000 1,018,000
明法 420,000 240,000 0 144,000 804,000

 

「初年度に要する経費の総額」はだいたい80万~100万ほどです。

入学してから、また、新たに必要な経費がわかる場合もあるかもしれません。

 

 

さらに、寄付金や学校債などの募集があります。

一応、「寄付金及び学校債は、任意の募集である。」となっていますが・・・

 

 

募集校は延べ91校で、

寄付金を募集する学校 84校

学校債を募集する学校 7校

うち寄付金、学校債の両方を募集する学校 5校

となっています。

 

募集の平均額は、

寄付金 123,988円

学校債 135,714円

となっています。

 

 

募集額      寄付金     学校債

25万円以上           7校          1校

20万円以上         20校        1校

15万円以上           4校          0校

10万円以上         25校        4校

5万円以上           14校        1校

5万円未満           14校        0校

計            84校        7校

 

 

やはりどうしても、私立は「お金がかかる」という感想になりますね。

 

良い教育環境を維持するためには、その分経費がかかるという側面もあると思います。

さまざまな面から考えて、教育の選択をする必要があります。

目先の支払額だけでは、私立高校の「価値」は計れないと思います。

 

まして、一見安く見える「授業料」や「延納金」などが「お得」ということはありません。

また、金額が高ければ、中身も素晴らしいというわけでもありません。

 

(ivy 松村)

 

 

 

 

年末に思う

幼いころの12月後半は、「わくわく」が詰まっていました。

 

 

クリスマスがあって、外国の雰囲気に浸ったあとで、大晦日と正月がやってきて、今度は古い時代の名残りに触れることができる数日間。年末は、確かに特別なものでした。

 

だんだんと、街中の飾りもにぎやかになってきました。

 

塾にクリスマスの飾りは必要なのだろうか、という問いを、実は数年来考えていて、まだ答えが出ていません。

これは、私にとっては、塾の存在理由にまつわる重要な問いなのです。

ハロウィンは全力で否定できるのですが、クリスマスは、難しいですね。

「時期」も重要なポイントですね。

 

 

 

あるころから、年末といえば、井原西鶴の『世間胸算用』が思い浮かぶようになりました。

 

さまざまな職業や立場の人たちの大晦日の一日を描いた作品です。現代風にいえば群像劇といえるのだろうと思います。個々の人物たちのあり様を描き、その集積によって、社会全体の「リアリティー」を浮かび上がらせようと試みた作品です。

 

なんとなく、構成や内容に社会学的な視点が感じられ、読んだとき、非常に新鮮に感じました。

 

 

その影響なのか、冬空の下で、今、別のどこかで、誰かが、その人なりの人生をおくっているのだろう、とぼんやりと考える瞬間があります。

 

年末は、他者への想像力が掻き立てられる季節なのです。

 

 

受験生のことはいつも心配になります。

この塾に通ってくれる生徒のことも、もちろん考えます。

かつての教え子や、卒業生のその後が気になるときもあります。

 

(ivy 松村)

「入試相談」は締切ではない

昨日、12月15日から中学校と私立高校との間で「入試相談」が始まりました。

 

お互いの間での話し合いが「解禁」されたのです。

昨日から、中学校と私立高校との間で、「受験について話し合いをしてもよい」ということなったわけです。

 

勘違いをされている方もいらっしゃると思うのですが、「締切」ではなく、「解禁」です。

 

 

12月15日になって、「入試相談」が「解禁」されたので、昨日は、中学校の先生方が、各私立高に出向かれて、推薦や単願、併願で受験する生徒について「相談」されているわけです。

 

 

実際には、すでに、受験生の情報は取りまとめてありました。

 

「確約」で受験できるのかどうか、また「確約」の条件で受験するのかどうかは、すでに三者面談で示され、決定しています。「約束」は、「相手方」に聞いたうえでするものですよね。

 

 

この「入試相談」は儀礼的、形式的な慣例のようなものだと考えるとわかりやすいです。

 

日本人の生活上のならわしや商慣習では、物事を「根回し」などによってあらかじめ決めておくということがよくみられます。

この「入試相談」もまた、できるだけ円滑に受験というイベントを運営するための「現場の知恵」であると考えることができます。

 

競争が過熱しないように「ルール」が設定されると、今度は、合理的・経済的な行動が選択されるようになるのですね。

 

 

「入試相談」はほとんど、1、2日で終わってしまいます。中学校の先生は、高校に足を運ばれて、受験生のリストをお渡して、また、すぐに次の高校に向かわれます。高校の先生は、次々に来られる中学の先生をお出迎えして、リストを受け取られるわけですね。

 

 

それで、「入試相談」が終わってしまえば、もう、中学の先生は、「任務を終えた」ことになります。ですから、もう、これ以上高校の先生と「相談」することはしないわけです。

その後、いくら気が変わった、と言っても、受付けてはくれません。

 

12月15日は月曜日でしたから、受験校の決定の最終期限は12日の金曜日という中学校が多かったようです。

 

それは、もし、中学をとおして「入試相談」して欲しければ、それまでに、申し出なさい、という意味での、「期限」なのです。

 

その後では、中学校は関与しませんよ、ということです。

 

 

文言を、そのままの意味でとらえると、12月15日から「入試相談」が行われるのだということになります。

しかし、実際には、始まった瞬間に終わっているわけです。

ですから、始まる前に決めなければならなかったのです。

 

 

 

「入試相談」というのは、平たくいえば、相手方の「高校」と入学に関する「約束」をすることです。中学校は「保証人」ということになるでしょうか。

 

非常に重いものですから、それを反故にすることはできません。

「約束」を破るなどということは、とんでもないことですから、中学の先生も怖い顔で念を押してきますよね。

 

 

しかし、もし、相手の高校と「約束」をしていなければ、何も制約が生じることはありません。

 

はっきりいってしまえば、これから受験校を増やしても、何の問題ありません。

出願までに中学の先生に調査書を書いてもらうようにお願いすればいいだけです。

(学校の先生は露骨に嫌がるでしょうが。)

 

 

 

確認してみましょう。

 

・「確約あり」の推薦

・「確約あり」の単願

 

原則として、変更はできません。これらは、基本的に入学の「約束」をするものだからです。

 

この場合の受験は、進学先を決定する、ということと同義です。出願を決められた方も、よくよく考えての決断だと思いますので、あとは、気が抜けて変な問題を起こしたりしないように、残りの中学生活をしっかりと過ごしていきましょう。

 

高校に提出する作文などがある人は、信頼のおける大人に添削してもらったほうがいいと思います。生来アホな性分の生徒で、「舐めた態度」が作文からにじみ出てしまって、不合格になってしまったケースを聞いたことがあります。

 

 

・「しばりあり」の併願優遇

 

第二志望の「しばり」の場合には、基本的には2校しか受けられません。第3校を受けることができて受かったとしても、そこに進学することはできません。

 

都立高校と「確約」併願優遇のセット受験である「都立併願」の場合には、都立高校の受験をさしかえることはできます。また、推薦入試を受けることもできます。

 

これから、新たに受験校を増やすことは、学校の先生は認めないでしょう。

 

このタイプの受験を選択した受験生は、もう、後はひたすら都立入試対策をするのみです。

 

 

・「しばりなし」の併願優遇

 

「併願優遇」は、高校によって中身がちがうので、混乱しやすいのですが、入学義務が全く設定されていないタイプの「しばりなし」の高校の場合には、受験校を増やすことができます。

 

 

・「オープン入試」

 

受験校を増やしたり変えたりできます。

 

 

 

 

 

 

えてして、学校の先生は、「受かっても行く気がない高校を受ける意味あるのか」というようなことを言って受験校を減らそうとしますが、ちょっとおかしな質問であることに気づいてください。

 

「どうしても行きたいと思っている第一志望の高校があるけれど、余裕で受かるような簡単なところではない、第一志望に受からないかもしれないから、別の高校を受けておく」のですよ。

 

もちろん、第一志望に受かったら、「その高校」に行きません。

でも、それは「行く気がない」とは違いますよ。

 

どうして、学校の先生が、「その高校に行かなくてすむ」ことを100パーセント保障できるのでしょうか?

 

学校の先生は、「高校」と名の付く「行くところ」があればそれでいい、と考えています。極論すれば、第一志望がダメでもいいと考えています。

ですから、自分でリスクを管理しておかなければならないのです。

 

 

 

 

今お話しさせてもらっている内容は、要は、場合によってはまだ受験校を変更できますよ、という話なのですが、もちろん、土壇場でころころと計画を変えてしまうのはあまりよくないことだと思います。

ただ、場合によっては、臨機応変に行動するべきときもありますから、一応、可能性の話をしているのです。

 

 

いろいろなところから、12月15日を過ぎたら受験校の変更ができない、といういい方をされて、誤解している人が結構いるのではないかと思います。

 

もし、今になって、受験校の変更はできないかと考えている人がいらっしゃったら、よく、自分の受験パターンを思い返してみましょう。

 

 

 

ところで、「解禁」で思い出したのですが、東京都の私立高校一般入試は2月10日から「解禁」になります。ところが、他県では、それ以前に入試日が設定されていることがあります。

 

神奈川の私立高校は東京都と一体的な入試日程なので利用しにくいのですが、千葉、埼玉、山梨は日程がずれています。ですから、受験パターンに組み込むことができるのです。

 

東京西部の日野や八王子、町田の中学の生徒は、さすがに千葉の高校を受けるということにはなりませんが、山梨東部、埼玉南部の高校は、通学可能範囲ですので、選択肢に入ってきます。

 

2月10日以前に、合格を確保しておきたいときには、いくつかの高校を受験することになります。

 

また、東京都の中学生は、他県の「併願推薦」を受けることができるので、基準を満たしている受験生は、推薦と一般のどちらかで、「おさえ」をつくることができます。

 

都外のこうした地域には、「確約あり」で「しばりなし」の「併願推薦」や「併願優遇」の受験ができる高校がいくつかあります。

 

これは、割と知られた話で、多摩地域の進学塾では、一般的に、受験生に同じような話をするはずです。(知らない塾は、ちょっと微妙ですよね。)

 

 

山梨の高校は、基本的には、内申の基準に届いていれば、中学校の「入試相談」で「併願推薦」あるいは「併願優遇」の「確約」をもらえます。

 

 

埼玉の高校は、以前は中学校による「入試相談」を受けつていなかったのですが、現在は対応している高校もあります。確認してみたところ、さすがに遠く、直接中学の先生に「入試相談」に来てもらうのは申し訳ないということで、その場合は、郵送でリストを受け付けてくれるということでした。(そういうと、中学の先生に嫌がられないのですね。)

 

埼玉の私立高校はこれまで、中学校をとおした「入試相談」という制度に対応していませんでした。そのため、「併願」の「相談」をするためには、基本的に、受験生・保護者(あるいは塾)が高校に行き、直接「入試相談」を行うのが通例となっています。「個別相談」と呼ばれるものです。

 

これは、面倒なことのように思えますが、一方でメリットもあります。

 

つまり、埼玉(そして山梨)の私立高校は、東京都の中学校の「入試相談」に対応することはあっても、現在のところ、その枠組みやスケジュールに拘束されないということです。

 

 

内申以外の基準で「併願」を認めてもらえることがあります。

そして、12月15日を過ぎてしまった現在でも、これから、まだ「併願」で受験できる可能性が残っているのです。

 

 

山梨や埼玉の高校では12月後半になっても「個別相談会」などを行っています。(1月までやっているところもあります。)

 

(また、調べてみたところ、東京の高校でも、まだこれから「個別相談会」を行うところがありますね。ただ、東京の高校は・・・)

 

 

 

今はもう、学校をとおしての「入試相談」はできませんが、個別に受験生の「相談」にのってもらう機会がまだあります。

 

 

 

ivyの生徒は、受験パターンをほぼ固め終えて、本番に向かっていくだけです。

 

 

あとは、このブログに何かのきっかけでたどり着いた「だれか」にとって、このブログが何か有用な情報となれば幸いだと思っています。

 

(ivy 松村)

都立高校から国立大学

都立高校に入る生徒のレベルが上がってきているのを、実際の経験と見聞の積み重ねで感じます。

 

実際に自分が指導した生徒たちでも、中附や中杉や法政と国分寺の選択をする場合、ほぼ全員、国分寺に進学します。

明明、早実と八王子東でもやはり八王子東です。また、慶女ではなく、国高にいく生徒もいると聞きました。

 

10年前には、附属高のほうが人気でした。

 

 

こういう選択をする生徒は、国立大学への道筋を見据えています。そのために都立へ行くという選択をするのです。

 

 

多くの人が望みながらも、実際には、国立大学を受験するという選択をすること自体が、困難なことです。合格はさらに険しいものです。

 

 

併願校とのセットで、一か八かの受験で、国分寺高校や立川高校にギリギリ滑り込んだ生徒に、そこまでの学力がつくイメージがわきません。

 

高校に入学すること「だけ」が目的になってしまっているからです。

 

 

国立大学を受験するためには、その勉強内容よりも、意志を持つことや見通しを持つことが大事なのだろうと思っています。

 

公立中学に通う生徒にとって、それを宿す機会となるのが、高校受験なのだろうと思います。ここで、最短距離の合格「だけ」を求めてしまった生徒には、その先がないのだろうと思います。

 

 

 

中杉を蹴って国分寺に進学し、大学受験で中央大学に進学した生徒がいます。彼が大学受験のときに通っていた塾の人に話を聞いて結果を知りました。

彼の心にどのような思いが去来したのか、推し量ることしかできません。

もちろん悔しかったでしょう。しかし、結果だけを捉えて、無駄な遠回りをした、とは感じていないのではないかと思っています。

 

 

「彼ら」は、「楽をすること」にあまり価値を見出していなかったと思います。

 

 

そんな生徒たちが増えているのではないかと思っています。彼らが、都立高校のレベルを引き上げているのだと思います。

 

(ivy 松村)

 

私立高特進クラス(高校受験考察④)

石原都政下での都立高校改革や、高校無償化の追い風を受けて、都立上位高校は、進学校としての地位と機能を有するようになりました。つまり、「ブランド校」化したのです。

近年では、高校受験の中心の地位を築いています。

 

一方、一部の私立校は、生徒の「囲い込み」を行い、大学受験に向けた「指導体制」を整えようと、一貫校への再編を加速させました。そのために、中学受験に特化する方向へ動きました。

 

 

こうして、お互いの「棲み分け」が固まりつつあります。

 

しかし、この流れについていけない私立高校がやがて出てくるでしょう。

 

 

 

中等教育課程には、3本の太いレールが敷かれつつあります。

 

・大学まで「エスカレーター」の私立名門大学の附属校

・6年間の中高一貫校

・3年間の中学校+3年間の高等学校

 

このいずれかのレールの中心にいなければ、衰退を免れることはできません。

 

 

 

現代の教育行政・制度・産業・・・は、「少子化」への対応という究極的な「命題」を突きつけられています。

 

生徒募集は、私立の学校(や塾)にとっては死活に直結する問題です。

経営のためには、学校側が要求する学力に届いていない生徒を入学させることも必要になってきます。

 

 

中学受験は、特に中位・中堅校以下で易化しています。

それは、中学受験の間口が広がった後に、景気の悪化によって志願者が減少し、競争が緩和されたことが要因として挙げられます。

 

2000年の後半くらいまでは空前の中受ブームと呼べるほど、首都圏では中学受験者数が増加しましたが、リーマンショック以降、急激に「中学受験人口」は減少しているというデータがあります。

 

実際に、数年前までは5・6年生でしっかり受験勉強しなければ入ることができないレベルだった中学に、受験勉強をほとんどしていないで合格した生徒を何人も知っています。

 

「私立に行きたい!」と思ったら、取りあえず受験してみれば、それなりに名の知れた中学に合格できるという状況になってきています。

 

 

少子化が進行する中で、学力上位層は都立高校に流れ、私立志向の生徒は上位層だけでなく、中堅層・下位層までが中学受験に奪われているということになります。

 

つまり、私立高校のニーズが下落しているのです。

 

 

そのあおりを受けて、急速に私立高校の二極化が進んでいます。

 

もちろん、これまでにも、「エリート校」、「ブランド校」と呼ばれる高校が人気を集める一方で、「底辺校」、「低ランク校」などと呼ばれる高校がありました。「あまり評判の良くない高校」というのはどの地域にも存在していましたが、そうした高校は、地域の中で社会的な役割を担ってきました。

 

しかし、これからの少子化の時代において、評価の低い高校の意味合いは大きく違ってきます。淘汰される対象となるのです。

世の中に子供があふれていて、待っていれば受験に来てくれる時代は終わってしまったのです。

 

「底辺校」は淘汰され、中堅校は「底辺」へと移行させられていくのです。

 

 

 

多くの中堅校が、「進学校」に変身しようと努力をはじめています。

 

最も大きな流れは、『特進』の設置です。

選抜された少人数の「特別クラス」や「選抜クラス」を鍛えて大学合格実績を積み上げ、高校の地位やブランド力を高めようという戦略です。

 

予備校の衛星授業を取り入れたり、予備校の講師を招聘して授業を行ったりしている高校もあるそうです。

 

 

大学への進学を考えている生徒にとって、こうした『特進』は、都立高校進学の代替校、あるいは併願校としてとして考慮の対象となりはじめています。

都立のトップ校と、こうした新興の『特進』の高校を併願する受験生もかなりいると聞きます。

 

塾の教師としては、「偏差値ランキング」などで、実感以上の上位にランクされているのを見ると、感嘆よりも先に、不思議な気持ちになります。

「いろいろ頑張っていらっしゃるのだろうな」と思ってしまいます。

 

 

伝聞ながら、ちょっと気になる情報がありました。ある高校の『特進』は、「指定校推薦」が受けられないのだそうです。

 

それを聞いたときは、なるほど、と思いました。しっかり大学受験指導を受けた『特進』の生徒たちには「実戦」で成果をあげてもらい、それにプラスして、『普通』のクラスに指定校推薦を出せば、合格実績を底上げできるというわけです。

 

あり得る話だな、と思いました。

 

 

 

大学附属高ではない私立高校のいくつかは、「単独」の3年間の高校として、大学受験指導という機能を先鋭化することで、ブランド価値を高め、生き残ろうとしています。

そのために、『特進』という「売り」を作り出し、生徒を集めています。

 

かつて、学力上位層の受け皿となった私立進学高が高校募集をしなくなりつつある今、『特進』という波が、都立トップ校を蹴ってでも行きたいと思えるほどの魅力ある選択肢になってくれば、受験生にとっても本当に意義のあることだと思います。

 

 

 

 

ちなみに、大学の名前を冠していても、「上の大学」への進学率があまり高くない高校があります。こうしたいくつかの高校は、どちらかといえば「進学校」として運営されています。

 

 

例:ICU(3割ほどがICUに進学)、帝京大学高校、日大二高、国学院久我山、拓大一高、桜美林、東京電機、など

 

このうち、「単独」の高校は、ICUと拓大一高です。

 

 

(ivy 松村)

「一貫校」への高校進学(高校受験考察③)

学校教育の段階を分類すると、

 

・初等教育…(小学校)

・中等養育…(中学校・高等学校)

・高等教育…(大学、短大、専門学校など)

 

という3分類になります。

 

勘違いしやすいのですが、「高等学校」は「高等教育機関」ではありません。

 

「高等学校」という名称と、その役割がくいちがっているのは、第二次世界大戦後、学校制度の改革があったためです。

現在の学校制度が整えられる前は、「高等学校」は大学に直結する「予備門」のような位置づけで、その名のとおり「高等教育機関」だったのです。

 

現在の高等学校は、「後期中等教育」を担う教育段階という位置づけになります。

 

 

現在の日本の公教育の制度の下では、中等教育は前期(中学)と後期(高校)で分断されています。

前期にあたる中学までが義務教育期間であり、後期にあたる高校は、入試という「選抜制度」を経て振り分けられるシステムになっています。

 

 

その一方で、私立(国立)の学校では、中等教育課程を一体化した「一貫校」が存在します。

 

さらに近年では、「完全一貫校」へ移行したり、中学校を併設したりして、一貫校としての機能を拡張・強化する私立の学校が増えてきました。

また、公立一貫校が続々と誕生しました。

 

「完全一貫校」のいくつかの学校は、「中等教育学校」という名称を使用していますね。

(制度上は「中等教育学校」と「中高一貫校」は違うものですが、実質上の違いはないといっていいと思います。)

 

ある意味で、ゆるやかな教育の「複線化」が顕在化しつつあるといえるのかもしれません。

 

中等教育課程には2つのルートが存在することになります。

 

・中学校3年間+高校3年間――というルート

・中高一貫校6年間――というルート

 

 

 

問題は、「高校受験」です。

 

高校受験は、後期中等教育課程を選択する(あるいは選抜される)機会であるということになります。

 

一般的な認識では、中学を卒業すれば、高校に入学し、新しい区切りがスタートすることになります。

 

次の3年間を通うことになる学校を探すわけです。

公立中学を卒業する中学生にとっては、「高校からの生徒を募集する一貫校」もその対象のひとつとなります。(受験生の側からみれば、こうした高校は「中学併設型高校」ということになります。)

 

 

高校の募集は、一貫校側からすると、「6年制」の教育課程のうちの後半の3年間を、「外部」に開放しているという意味合いを持ちます。

 

この場合、中学から進学してくる「内部進学生」と、高校受験に合格し入学してくる「外部生」とが合わされることになりますが、当然、「内進生」が主体として位置付けられることになります。

形の上では「高校入学」ですが、構造的には、一貫校に途中から「編入する」という意味を持つことになります。

 

このような高校を選択する場合、注意しなければならないことがあります。

 

よく話のネタになるのは、「内進生」の結束や仲間意識が強すぎて、「外部生」の肩身が狭い…というような、学校生活面での不都合ですが、もっと本質的な問題を考えなければなりません。

 

 

「内進生」と「外部生」の学力差が大きすぎて、同じ内容の授業を行うことができないのです。

 

中学を併設している進学校――特に難関国立大学への合格実績が高い学校――は、公立中学よりもハイレベルな授業を行っています。

「内進生」は、中学受験時に密度の高い勉強を経験したうえで入学しています。その知識や思考力を下地としたカリキュラムのもとに中学3年間の学習を行って、それから高校に「上がって」くるのです。

 

そのため、多くの場合、「内部進学生」と「外部受験生」の合流がうまくいきません。私立の進学校の場合、1年次は「内進生」と「外部生」を「合流させない」で別立ての授業をする学校がほとんどです。

その後、「内進生」と「外部生」を2年次で混合するところ、3年次で混合するところもありますが、混合しないところもあります。

 

混合しない高校では、お互いに交流がほとんどないような高校もあります。

この場合には、「高校に入学する」というよりも、「おじゃまする」という印象になってしまうことがあります。

 

別立てのクラス編成も含めて、「外部生」は、「内進生」に比べて、さまざまな面でデメリットを感じることがあるようです。

 

その学校が、大学進学実績も高く、さらに、校風や設備の面で非常に魅力を感じたとしても、実際に入学するかどうかは、こういった指導体制も含めて考えた方がよいと思います。

 

 

 

「まともな」進学塾で学習指導を 受けていればまだしも、ちょと微妙な塾に通っていた生徒は苦労すると思います。

一例を上げると、「うちは『都立専門』だから、国語で、古文は教えない」というような塾があるそうです。単純に、古文の知識は、都立入試に有利になることを理解していないのが「残念すぎる」だけでなく(どうして有利になるかわからない講師はアホだと思います)、私立入試を考えていないという態度が無責任極まりなく、悪質です。

まして、私立難関高の合格実績を自慢しているような塾がそうであったなら、意味不明どころか、もはや怪談の世界です。

そして、そんな塾に通っていた生徒は、高校でゼロから勉強を始めるわけです。

 

 

 

ちなみに、私立大学附属高の一貫校の場合は、生徒間の学力差は本質的な問題にはなりません。

大学進学への路線が定まっていますから、私立大学附属高校の授業は、大学受験に照準したものにはなっていません。ですから、生徒間の競争や序列化を前提として学習指導を行わなくてもよいのです。

 

「内進生」と「外部生」との間に学力差があっても、クラス編成において、基本的には、そのことを考慮する必要がないのです。

 

 

 

よく、受験勉強を必死にしてきた「外部生」の学力のほうが高い、というようなことをいう人がいますが、その場合、「そういう結果となる相手」と比較していることが多くあります。

一部の優れた「外部生」と、学力テストなどで下位にいる「内進生」と比較することに意味はありません。

 

もちろん、逆に、明らかに「外部生」の学力のほうが高いという学校は、実際にあります。その場合、問題は別のところにあります。

単純に、その学校の指導力に難があるということです。

「外部生」の方が優秀で、「やったー!」となりますか?

まともな感性の人間なら不安になって、そんな高校にはあまり入りたくないと思うのではないでしょうか。

 

 

華々しい大学進学実績に惹かれて入学してみたのはいいが、実際には、手厚く面倒をみてもらえるのは「内進生」だけ、ということも大いにあり得ます。

 

クラス別の進学実績を見てみると、難関大学合格者のほとんどが「内部生」ということも少なくありません。

 

 

 

難関中学の入試問題は、例えば、社会だと、都立高校の入試問題よりもはるかに難しいです。

 

彼らは、高校入試に必要な知識よりももっと深い内容を、「小学生の時点」で学習しています。

 

私は、以前に、多摩地区最難関に位置づけられる中学をめざす小6を指導していた経験があります。

ある生徒が、解いてみたいというので、ある年度の都立高校入試の社会の問題をやらせてみたことがあるのですが、彼は20分もたたないうちに満点の解答を作りました。

 

 

「社会科」に関していえば、「彼ら」は中学入学の時点で、公立中学3年生の知識はほぼすべて習得しています。(一方、特に私立を第一志望にしている中学生は、社会をなおざりにしていることが多いでしょう)

 

さらに、「彼ら」は、中学の3年間でさらに奥深い内容を学習します。

公立中学校が使っているような教科書は使いません。

 

別の、完全一貫校の上位進学校の事例を紹介します。

その学校では、中1から「世界史の内容」を教えています。中1の一学期の定期テストの範囲が「古代ギリシャの社会と文化」でした。中堅高校と同じレベルの学習内容です。

 

おそらく、「中学を卒業する」までには、「大学受験に直結する内容」の3分の1から、半分くらいの知識を得ることになるのではないでしょうか。

 

もちろん、難関中学の授業についていけなくなる生徒も大勢います。

同じ中学内にも学力差があり、中には、「外部生」に負けてしまう生徒もいるはずです。

しかし、実は、最大の焦点は、「学力差」ではありません。

「勉強文化」がまるで違っているということです。

 

 

「一貫校」の方向性は明確です。

中学受験を勝ち抜いて入学してきた能力の高い生徒を6年間鍛えぬいて大学受験に送り出そう、というものです。

高校からの募集枠は「本業」ではありません。高い能力の生徒が入ってくる可能性を残しておくというものです。

 

近年では、優秀な生徒の多くは都立高校に流れていますから、期待できる「外部生」も少なくなっています。

 

名門の一貫校は、基本的に「6年制の学習指導ノウハウ」を洗練させることで大学合格実績を高めてきました。それに加えて、別立てで、3年間で生徒の能力を高める指導を維持しようとすれば、非常に大きなコストがかかります。

 

(もちろん、「内進生」「外部生」ともに熱心に指導を行っている学校もあると思います。もし、そのような学校の情報を得られたら、生徒・保護者の方にもお伝えしていこうと思います。)

 

 

学校が「内進生」と「外部生」との格差は埋めがたいものであるという認識をもったとき、「外部生」への指導は負担となります。

「内進生」に対する指導に集中したほうが、学校運営にとってプラスになると考えた高校は、高校募集を停止するのでしょう。

 

それは誤った方針ではないと思います。そうすることによって、「内進生」への指導が充実します。また、放置される「外部生」という存在をなくすことにもつながるわけですから。

 

 

 

私が述べたいのは、難関私立に通う中学生はすごい、ということではありません。

お伝えしたいのは、「中学併設校」に高校入学するときに、被る可能性があるデメリットについてです。

ただ単に、学校「全体」の情報からは見えてこないことがあります。特に、大学進学実績の数字には注意が必要だと思います。

(同じことは、「特進クラス」を設置している高校にもいえます。)

 

以上のようなことから、難関大学への進学を希望する公立中学校に通う中学3年生が、次の3年間通う高校として選ぶのは、3年間で大学受験に備える指導を行ってくれる「単独」の高校のほうが望ましいということが、改めてわかります。

 

指導ノウハウの蓄積がある高校では、「3年間」で一貫校の生徒に追いつき、追い越す生徒が数多く現れます。

 

(ivy 松村)

 

高校受験の保守的傾向(高校受験考察②)

高校受験は、大学受験や中学受験とは、異質なものであると感じています。

 

実際には、受験産業全体では高校受験のニーズが最も多く、全国にある学習塾も7割が中学生を対象としています。

単純に、公立中学に通う中学生のほとんどが高校へ進学することを希望し、そのための受験指導を必要としています。高校受験は、「受験生」の絶対数が多いのです。

 

一方、中学受験や大学受験は、受験期を迎える世代の一部だけが、その対象となるものです。

 

「多数派」である高校受験が「異質」であるというのは、奇妙な言い回しですが、「高校受験」は、その他の受験と比べて大きく違う要素があるように思います。

 

そのひとつは、「経済性」です。

中学受験や大学受験は、ある意味で、家計における経済的な余裕に支えられています。

 

もうひとつは、「必然性」です。

現代の日本のような、高校進学率が100%近くになる社会では、その進路は、踏み外すことのできない設定のようなものとして捉えられることになります。

つまり、「高校に行かない」という選択や状態は「考えられない」のです。

 

 

 

最近読んだ論文に興味深いことが書かれてありました。

 

日本の高校進学率は、1950年代では40%程度でしたが、1970年代前半には90%を超えます。

 

このような急激な高校進学率上昇について、主流となっている分析は以下のようなものです。

 

・高度経済成長によって所得が増加し、教育への「投資」が活発になった

・社会の分業が進み、社会階層の流動性が高まったことで、学歴への期待値が高まった

・「民主主義」的な教育観が浸透し、高校への進学が、エリートの選別であるという観念が薄められ、一般化した

・上記のような背景をもとに、ベビーブームの世代の進学希望者を収容するために高等学校を増設した

 

 

私が気になったのは、これらとは別の視点からの分析です。

戦後のGHQの教育改革で、「単線系」の学制が敷かれたことが、高校進学率上昇の要因の一つであるとするものです。

(新井 郁男 1982「なぜ塾が増えるか」、小林 弘典 2012「学習塾変遷の歴史と概観」)

 

第二次世界大戦前の教育制度では、小学校を出た後に進む進路が複数ありました。また、(旧制)中学を出た後に進む学校の種類も複数ありました。つまり、旧制度では、次の教育課程に進むルートが一つではない、「複線系」の学制が敷かれていたのです。

 

受験競争が過熱し、そのために塾が乱立するのは戦後になってからですが、これは、小学校→中学校→高校→大学という「単線系」の学制になったことによって、同一の方向に、進路の指針が集中したためだとみることができます。

 

大学までのルートが、簡明に、直接的に、「リアル」に示されたことで、進学に対する意思と期待が大きくなり、それが高校進学率を押し上げる要因となったと考えられるのです。

 

高校に進むことが、大学進学を含めた「将来への投資」と考えられるようになったのです。

 

つまり、将来に向けた準備と、高校進学は同義になっていったのです。

現代の私たちの感覚からすると、それは当たり前のように感じてしまいますが、昔は、「将来のために高校に行かない(行けない)」という選択が普通にありえたのです。

 

今日では、高校進学は、疑いようのないほどに当然のライフコースとなっています。

 

「単線系」の、現代の日本の社会では、知識や技術を習得するにしても、将来に向けて資格を得るにしても、「次の教育課程」に進まなければなりません。

「中卒では…」ということです。

 

 

「将来への投資」という圧力は、高校進学率だけではなく、大学進学率をも押し上げました。

 

やがて、相対的に、高校に進学することは特別視されるものではなくなっていったのです。逆にいえば、高校進学が一般化し、大衆化したともいえます。それは、「高校に行くのが当たり前」という状況を生み出しました。

 

つまり、何の話をしているのかといいますと、現実的に、現代日本のほとんどの中学3年生は、高校進学以外の進路は考えられない、ということです。

 

 

当然、そこには功罪がありますが、考えたいのは、そのことによって、高校受験がどのように規定されることになるのか、ということです。

 

 

高校受験には、「おさえ」が絶対に必要です。これが中学受験や大学受験とは違う性質を作り出していると思います。

 

中学受験には、もし、志望する中学に合格できなければ、公立中学に進学して高校受験で「リベンジする」という道があり得ます。

また。大学受験には、浪人という選択があり得えます。

もちろんそれは不本意なことにちがいありませんが、再チャレンジの道がないわけではありません。

 

ですから、中受や大受では、行きたいと思える学校だけを受けるという選択が、一般的にみられます。積極策を取る受験生も多くいます。

 

しかし、高校受験では、必ずどこかの高校に進学しなければならないという「底」が設定されています。

 

「併願優遇」というような制度が生み出される下地も、そこにあります。

 

 

中受や大受は「学校に入る」ということをまず先に考えます。

それに対して、高校受験は「学校に入れない」ということがないように、組み立てなければなりません。

学力上位層であっても、「おさえ」の確保が最優先となることには変わりありません。

 

その意味で高校受験は保守的な傾向をもっています。そして、悲観論的な見方が強く出ることが多くあります。

 

中受や大受の場合、「ここに入りたい!」と決めて、そのための勉強をしていくという受験生が多いですが、高校受験の場合には、学力に合わせて志望校を決める受験生・ご家庭が多くなります。

 

それはしかたのないことです。というよりも、そうでなければならないのです。

 

「高校受験の保守的傾向」は、個人が持つ価値観によるものであるというよりも、制度や文脈によって高校受験がそう規定されているからなのです。

 

(ivy 松村)

 

中高一貫校増加の影響(高校受験考察①)

最近の高校入試の傾向を、中学受験との関連で考えてみたいと思います。

 

中学受験には、二つの方向性があります。

 

ひとつは、私立の大学附属校に進み、大学までのルートを確保しようというものです。

もうひとつは、一貫校に進み、大学受験に備えようというものです。

 

前者は、私立の名門大学への「入学の権利」を早期に獲得することで、受験に煩わされることのない中学・高校生活を送ることができます。

後者は、主に国立の名門大学の入試を突破するための学力を醸成するのに、理想的な環境を手に入れることができます。

 

中学受験は、ある意味で、大学入学を見据えての、教育投資であると捉えることもできます。

また、あえて補足すれば、階層文化を再生産する装置として機能しています。

 

 

いずれにしても、「公立の中学を避けよう」とする思惑が根底にあります。

 

 

 

最近の10年間の受験業界の最も大きな変化は、都立高校の復権であるといえますが、それと並行するかのように、私立高校の「一貫校化」が起こっています。

 

早大学院、中附など、中学部や中学校を新設する大学附属高が増えました。

また、八王子高校のような大学附属ではない高校で、中学校を設置する動きがみられるようになりました。

 

一方、穎明館、吉祥女子、海城などの進学校で、高校の募集が停止になりました。

 

最近では、高校の募集を再開し始めた私立もありますが、トレンドとしては、6年制の中高一貫校志向が広がっていると捉えることができるでしょう。

 

 

私立高校は、一貫校化することで、経済力、学力に恵まれた生徒を安定的に確保しようという戦略を持っています。

また、進学校では、6年という中等教育課程を効率的に指導し、大学合格実績を上げることで、少子化時代の生き残りを図ろうとしています。

 

 

こうした近年の「一貫校」の広がりは、裏を返せば、高校受験の「枠」を縮小させていることになります。

 

中学校を併設した学校では高校の募集人数を減らさなければなりません。各学校で収容人数が決められてあるので、単純計算では、中学から入学した生徒の数だけ、高校の募集「枠」が減らされることになります。

そして、当然、高校の募集を停止した学校は「高校入試」を行いません。募集人数はゼロになります。

 

 

私立高校は都立高校と競合する立場です。優秀な生徒の「取り合い」をしなければならないという宿命があります。

しかし、「高校受験」というフィールドで争うのは分が悪いという判断があったのでしょう。

あるいは、「青田買い」のほうが有利で効果が高い、という考えがあったのかもしれません。

 

そのために、「中学受験」という舞台に「進出」あるいは「高校受験」から「撤退」したのだとみることができます。

 

 

さらに、都立中高一貫校が開校しました。

多摩地区では、南多摩、立川国際、三鷹、都立武蔵など、伝統校や人気校が「中学受験」に参入することになりました。

 

そのことが意味するのは、都立中の誕生によって、高校受験で入学する「枠」が減らされたということです。

 

 

このように、近年、私立、都立の、進学実績が堅調な高校が「一貫校化」するという現象が増加しました。それによって、受験生の進学ルートが途絶えたり、せばめられたりすることが起きてしまったのです。

そのため、上位高への志望者が飽和しています。

 

また、近年では、国公立大学志願者が増えていますし、中受からのルートが「開拓」されたので、私立附属高受験もかつてほど過熱した状況ではなくなりました。

 

ですので、競争は、「高校から入学できる進学校」に集中します。

 

 

 

端的に、都立の上位進学校――進学指導重点校――は高校から入学する進学先として理想的です。そのために、人気が高まっています。

 

 

都立高校の復権に同調するかのように、一部の私立高校が「高校受験」から後退する動きを示しました。それによって、難関大学への進学を希望する公立中学生を収容する私立高校が減少してしまったのです。

 

そして、その受け皿となった都立高校の存在感がさらに強まり、都立高校の求心力がいっそう高まることになったのです。

 

したがって、近年の高校受験は「都立志望」の色彩が、きわめて色濃くなっているのです。

 

(ivy 松村)