はたして、日野四中の成績は厳しくつけられているのか?

以前から、日野第四中学校の生徒が、まことしやかに「四中は他の中学に比べて、内申を取るのが難しい」と口をそろえて言っています。

 

おそらく、学校でも盛んに同様の話題が上がるのでしょう。

 

日野四中は、三沢中学校に次いで、日野市内で2番目に規模の大きな中学校です。

八王子市高倉町との境に近い日野市旭が丘にあり、八王子東高校、首都大学日野キャンパス、高倉小に隣接しています。

四中周辺は文教地区の趣があって、落ち着いた雰囲気です。

 

そんな四中には、かなり広範囲から生徒が通っています。

私が知る限りでも、七生中、二中、平山中に通う方が近いけれども、四中に通っている生徒が何人かいました。

 

 

成績の評価が厳しいという評判に対して、残念に思われている一方で、好ましく思われている部分もあるのかもしれません。

「厳しい」=「良くない」という考えは、短絡的で幼稚ですよね。

 

 

 

東京都教育委員会が、先日、東京都内の公立中学の内申点を調査し、その結果を公表しました。

このデータを使って、日野市内の中学校の成績評価を分析しました。

 

 

日野市内には8つの中学校がありますが、東京都教育委員会が公表した資料には、中学名が記されていません。

 

ほぼ間違いなく、というところまで、中学を特定しました。

ただ、どうしても、不確定の要素が若干残っています。

また、今回は手作業でデータ処理をおこなったところがあるので、作業のミスがあるかもしれません。

 

以上のことを含め、「間違っている可能性がある」ことをお見知りおきのうえ、「参考として」お読みくださるようお願いいたします。

 

 

3月26日に公表されたのは、昨年の、中学3年生の2学期の内申点のデータです。

つまり、前回の入試において用いられたものです。

なぜ、入試が終わってから公表されるのか、ということについては、おそらくだれもが想像する通りの理由だと思います。

 

 

 

まず、9教科の内申点の割合です。

 

都内公立中学校 12.1 24.8 47.3 12.5 3.3
日野市立中学校 9.4 26.0 53.2 9.9 1.6
日野第四中学校 7.3 27.7 56.5 7.0 1.4

 

 

どうしても、「5」に注目してしまいます。

都内の公立中学校が12.1パーセント、日野にある中学校全体が9.4パーセントですから、日野市の中学生は、他の市区よりも「5」を取る生徒が少ないということになります。

 

一方で、「3」の評定を受ける生徒の割合が高くなっていますので、データから読み取れることを素直に受け止めれば、日野市には平均的な学力の生徒が多いということになります。

 

 

四中のデータを見てみると、「5」と「1」の割合がさらに少なく、「3」に成績評価が集中していることがわかります。

 

現実に、四中は「平均的な生徒」が特に集まる中学校なのかもしれません。

そのために、実際に「3」の評定が多くなっている可能性は、もちろんあります。

 

しかし、データのみで判断すれば、他の中学校よりも、「5」が「出にくい」ということになるのかもしれません。

 

一方で、「1」「2」の割合は少なくなっています。

それを「勉強が苦手な生徒にとっては有利である」ととらえることもできるでしょう。

 

 

 

日野市の中学生の学力は、東京都の他の市区と比べてどれくらいなのでしょうか。

 

2014年9月20日号の『週刊東洋経済』に、数学の学力テストの結果をもとに、東京都の市と区の順位づけを行った記事が載っています。

2013年度の中3生対象のテストをもとにしたものなので、1学年上の世代のデータですが、一応、参考になると思います。

 

それによれば、日野市は、東京都49市区のなかで、19位となっています。

ですので、とりあえず、日野市の学力レベルは都内の平均よりは上であると考えてもよいだろうと思います。

 

 

 

数学の内申点のデータを比べてみましょう。

 

都内公立中学校 13.5 22.4 43.8 15.6 4.8
日野市立中学校 10.9 22.8 50.2 12.7 3.5

 

 

東京都全体の平均に比べて、日野市の中学の成績は「抑えぎみ」であるという印象になります。

 

ちなみに、2013年度では、日野市内のある中学校では、数学の「5」が25.8パーセントの生徒につけられていました。そのせいもあって、今回よりも「5」の割合が高くなっていました。

 

 

今回の調査では、日野市の中で、数学の成績評価において、18.5パーセント、17.2パーセントの生徒に「5」を出した中学がある一方で、5.6パーセントの生徒のみに「5」を出した中学もありました。

 

 

 

科目ごとにみれば、「評価のばらつき」は不公平に思えてしまいますが、教科全体の平均では、同じくらいの評定になります。

 

 

日野市内の各中学校の内申点の平均(計算の都合で合計が合わないものがあります)

 

中学校 9科平均 5科平均 4科平均 都立内申
四中 29.9 16.4 13.5 43.4
七生 29.7 16.7 13.0 42.7
大坂上 30.3 16.8 13.5 43.8
二中 29.9 16.7 13.2 43.2
平山 29.0 15.7 13.3 42.4
三中 29.9 16.5 13.4 43.3
三沢 29.6 16.2 13.3 42.9
一中 30.1 16.4 13.7 43.9

 

(順序はランダムです)

今年度から、都立高校の入試では、実技4教科の内申点が2倍に計算されます。

 

 

 

 

ここまで計算しておいて、こういうのも何ですが、実は、平均はあまり関係ありませんよね。

 

受験生の関心は、自分の「位置」の成績にどれくらいの点数がつけられるか、ということだと思います。

 

「5」がとりづらい、ということは、やはり、都立最上位校を狙っている生徒にとっては、「不利だ」ということがいえるかもしれません。

しかし、そのことがわかっているのだったら、心構えを持つこともできるでしょう。

対策の仕様もあります。

愚かなのは、満足できない成績を、「自分のせい」にしないで、不満をたれ続けることです。

 

 

 

 

さて、四中の生徒のみなさんには、以下のようなことがいえます。

 

・日野市は、東京都の他の市区と比べて、成績評価が厳しい

・四中は日野市の中学のなかでは、成績評価が平均よりも厳しく、「5」が取りづらい

・反面、「2」や「1」の生徒の割合が少ない

・他の中学では「2」と「1」の生徒の割合の合計は10パーセントを超えるが、四中は超えない

・総合的に、四中よりも成績評価が厳しいか、同等の中学が日野市内に2,3校ある(特定できています)

 

 

 

自分の通っている学校の成績評価について、詳しく知りたい人は、ぜひ、聞きに来てください。

(まあ、来なくても、こちらから言いますけどね。)

 

 

(ivy 松村)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

interesting or funny

春期講習の2日目を終えて、今年の「色」が見えてきました。

 

全体的にペースを少し落としています。

今年の生徒は、次々と単元をこなしていくよりも、じっくりと飲み込んだほうが伸びるように思います。

今日の授業から、講習の構成を少し調整しました。

 

授業を受けている生徒のみなさんは、何のことやら、と思うでしょうが、こちらも、いろいろと考えて授業をしているのですね。

 

 

昨日が初日だった生徒もいました。

もちろん、急激にやる気がみなぎってきて、いきなり学習意欲がスパークしてくれれば、それが一番いいとは思いますが、まずは、勉強と向き合う春休みにしましょう。

授業の合間にも話しましたが、今のタイミングで受験勉強を始めるのなら、この塾がベストに近いです。気持ちに整理がついたときには、言ってください。

 

 

春期講習は、ペースはゆっくりですが、時間当たりの勉強量は多くなっています。

演習量が増えていますし、復習や見直しに時間をかけているからです。

 

もちろん、1日の授業時間も増えていますし、通塾日数も普段よりも多くなっています。

 

 

講習が終わった時には、必ず、基礎的な力がアップしているはずです。

 

 

 

 

中2の国語では、「動詞」の語幹と活用語尾について説明しました。

 

語幹と活用語尾を瞬時に見分ける方法を伝えました。

「ない」を接続したときに、「ない」の直前に置かれる一文字までが活用語尾になり、その上の「残り」が語幹になるのでしたね。

 

読む→よ「ま」ない・・・「ま」→「む」が活用語尾、残りの「よ」が語幹

 

行く→活用語尾「く」(語幹「い」)

困る→活用語尾「る」(語幹「こま」)

味わう→活用語尾「う」(語幹「あじわ」)

 

 

・基本的には、漢字で表したときに「送り仮名」になっている部分が活用語尾になる

 

調べる→しら「べ」ない・・・「べ」→「べる」が活用語尾、残りの「しら」が語幹

 

降りる→活用語尾「りる」(語幹「お」)

試みる→活用語尾「みる」(語幹「こころ」)

曲げる→活用語尾「げる」(語幹「ま」)

 

 

・語幹のない動詞は、活用語尾に漢字をあてる

 

似る→に「ない」・・・「に」→「にる」が活用語尾、「残り」がないので「語幹なし」

 

着る→活用語尾「きる」(語幹なし)

来る→活用語尾「くる」(語幹なし)

得る→活用語尾「える」(語幹なし)

する→活用語尾「する」(語幹なし)

 

 

・他の言葉との関係によって、送り仮名を調整することもある

 

起こす→活用語尾「す」

 

なぜ送り仮名が「起(おこ)す」とならないのか

送り仮名を「起(おこ)す」としてしまうと、「起きる」という言葉に漢字を当てることができなくなってしまう

 

ですから:

 

「起(お)-こす」→活用語尾「す」(語幹「おこ」)

「起(お)-きる」→活用語尾「きる」(語幹「お」)

 

となるのでしたね。

 

同様に:

 

「落とす」→活用語尾「す」 (語幹「おと」)

「落ちる」→活用語尾「ちる」 (語幹「お」)

 

「集まる」→活用語尾「る」 (語幹「あつま」)

「集める」→活用語尾「める」 (語幹「あつ」)

 

このようなペアの動詞の関係(自動詞/他動詞)については、また今度説明します。

 

 

 

現在の送り仮名のルールが定められたのは第二次世界大戦後なので、それ以前の古い文章を読むと、送り仮名が違っていることもあります。

 

 

小学生の頃、上一段活用動詞や下一段活用動詞の送り仮名を不自然に感じた人も多かったのではないかと思います。

また、イレギュラーな送り仮名にとまどった人もいたはずです。

私もそうでした。

 

 

小学生に、「活用」の全体を説明するのは大変なことなので、ほとんどの小学生には、この送り仮名はこうだ、と理屈抜きで覚えてもらうことになります。

 

 

網のように、それぞれの要素が関連し合って「全体の知識」を構成しているようなことがらは、まずその構成要素を知っておかないと、説明を受け入れることができません。

 

先に「理屈」を伝えることができないのです。

まず、必要な要素を身につけてもらう必要があるのです。

 

漢字を勉強しはじめる前の小学生に、まず、送り仮名のルールの全体像を説明しようとしても、ちんぷんかんぷんです。

ですから、小学生のうちは、とにかく「決められた通り」に覚えなさいと言われるのですね。

 

 

そうして、苦労して集められた知識の成り立ちや意味を、今回の授業のように、後になって知らされることがあります。

 

私は、今日の授業で説明したことを、その昔に知ったときに、とても「面白い」と感じました。もやもやしていたものがクリアになって、すっきりしました。

みなさんはどうだったのでしょう?

 

 

 

ところで、以前、私は「勉強は面白い」とブログに書いたことがありますが、私が考える勉強の「面白さ」とは、このような知的好奇心にもとづいたものです。

英語でいうと「interesting」です。

 

「interesting」を感じるためには、「暗記」のような、知性の積み重ねが必要です。

ですから、「面白い」と「がんばれ」が同居しているのです。

 

一方、「楽しい」の延長にある「面白い」は「funny」です。

 

 

まあ実際には、私もアホなことを言ったり雑談などをしたりして「funny」なときもありますが、当然、大事にしているのは「interesting」のほうです。

 

 

これらは大きく違う概念なのに、日本語では同じく「面白い」といいます。

ブログのなかで、自分が使い分けていなかったことに気づきました。

使い方に気を付けないといけませんでしたね。

 

 

 

ivyの春期講習は、まだお申込みを受け付けております。

数日のみ、授業体験にお越しいただくことも可能です。

ぜひ、お気軽にお問合せください。

 

(ivy 松村)

少年の日の思い出

エーミールの話ではありません。

私の通っていた小学校で、毎年3月に開かれていた「マラソン大会」の思い出です。

 

もちろん、42.195キロを走るフルマラソンではなくて、学校行事である持久走大会をそう呼んでいたのです。

 

 

数ある運動競技の中で、最も嫌われているものが持久走ではないでしょうか。

 

なんといっても、その苦しみの「仕掛け」。

走り続けるということは、苦しさから回復する時間がないということです。

はやく苦しみから逃れたいと思っても、スピードを上げるとさらに苦しくなります。

 

かといって、長く走っていても、苦しみの時間が増すばかりです。

遅いタイムでゴールするということは、人よりも長く苦しんだということにほかなりません。

 

長距離走が苦手な人にとっては、まるで地獄の刑罰のように感じられることなのです。

 

 

しかし、肉体的な苦しみは、ゴールした後、やがて時間とともに解消されます。

残酷にも、それよりも、さらに重荷となる精神的な苦しみが、「マラソン大会」にはあるのです。

 

 

学年ごとに決められた学校の郊外の川沿いのコースを、それぞれの学年が、一年生から順番に走ります。出番が終わった学年や出番がきていない学年は、他の学年のレースを見物します。

レースを走り終えたランナーたちも、その瞬間から、目ざとい見物人に早変わりします。

ゴールが遅れるほど、観衆は増えていくのです。

 

一足早くゴールしたランナーたちは、のろまな参加者を、優越感に浸りながら迎え入れる権利を得るのです。

余裕の笑みを浮かべ、最も同情すべき結果を手にするのはだれになるのか、その行方を観戦するのです。

 

 

最後にゴールする者は、もっとも長く苦しみ、最も長く冷やかされ、最もみじめな結果を突きつけられるのです。

全校生徒の憐憫と嘲笑、そして安堵の中、ただ一人だけが苦しみながら走っているという情けなさ。

ゴールするその瞬間、苦しさからの解放と引き換えに、振り払うことのできない劣等感にみまわれてしまうのです。

 

 

この「マラソン大会」でビリになるということは、強烈に自尊心を傷つけられる経験となるものだったのです。

 

「マラソン大会」は全員参加が義務づけられていました。

当然、皆が納得しない理由で棄権しようものなら、卑怯者という誹りを免れませんでした。

 

今となって振り返ってみると、それは、生贄をささげる儀式のようにも思われるのです。

 

 

 

はじめて「マラソン大会」に出た小学校1年生のとき、私は最下位候補の一人でした。

私は、運動が大の苦手で、本ばかり読んでいる子供だったので、自分も含めて、私を最下位に予想する人も多くいました。

 

出走前に、緊張と不安で震えていた私に、ある生徒が「いっしょにゴールしよう」と声をかけてきました。その生徒――仮にA君としましょう――もまた、運動が苦手な子で、最下位候補の一人でした。

 

思いもよらなかった彼の提案は、ほとんど「救いの言葉」であるかのようにさえ感じられました。

一人でビリになるよりも、二人でビリになったほうが、みじめさが「薄められる」ということなのです。

 

A君という心強い味方を得て、私は少し心が軽くなりました。

 

1年生のレースが始まりました。

 

 

走り出してみると、意外にも私はそれほど足の遅い走者ではありませんでした。

 

ただ、A君と交わした「約束」が気になって、A君を見捨ててゴールしてはいけないような気がしていたのです。それで、A君に合わせながら走ろうとするのですが、A君は想像以上の足の遅さで、私は何度も振り向きながら、A君と離れすぎないようにしてペースを調整して走りました。

 

ゴールが近づいてきたので、私はA君と並走し、同時にゴールするタイミングをはかろうとしました。

 

さあ、ゴールまであと10メートル、というところで、私の人生観を根底からくつがえす、途方もない出来事が起こったのです。

 

 

それまで、のっそりのっそりと、歩いているかのようなスローモーな走りを見せていたA君が、猛然と、イノシシのようにダッシュしてゴールへと駆け込んだのです。

私を残して。

 

 

生まれてはじめて「唖然とする」という経験をした瞬間でした。

 

 

ということで、私はビリになってしまったのです。

 

その日は、家に帰って、ずっと泣いていた記憶があります。

 

裏切られたという屈辱よりも、自分の間抜けさが許せなかったのです。

全校生徒に蔑みの視線を向けられるよりも、もっと自分が哀れに思えました。

 

ビリになるカッコ悪さをごまかせるような気がして、うすっぺらい友情ごっこにからめとられて、いい人ぶって、踏みにじられて。

 

たぶん、あれこそが「自己嫌悪」という感情だったのではないかと思います。

 

 

「ただ一人で、力の限り走って、それでもビリになっても、そのほうが、100倍ましだった。」

 

 

 

その後、小4のときに10位になりました。この結果は、すごく自信になりました。

小5で3位、小6のときには2位になって、駅伝大会に出場する走者に選ばれました。

おそらく、6年間で、最も順位を上げた生徒だったと思います。

 

 

 

今でも、実は、走るのはあまり好きではありません。

ただ、「みじめさ」から逃げるのはもうやめよう、と思える経験をしたのです。

 

 

さて、みなさんはどう思うのか気になります。

 

 

「いっしょに○○しよう。」

といって、「堕落」をもちかけられることはありませんか。

 

 

 (ivy 松村)

一周年

ivyは、昨年の3月21日に開校し、3月27日の春期講習から授業をスタートさせました。

 

しかし、当時、3月21日の時点では、全く開校準備が整っておらず、お問い合わせくださった方にも、ご案内をしばらくお待ちいただくような状態でした。

 

去年の3月ごろといえば、消費税率が上がる直前でした。大きなお金が動く建築業界では、消費税が上がる前に工事を始めようという「駆け込み需要」が多くなって、業界では大忙しの時期でした。そんななか、かなり無理な注文を引き受けていただき、本当に助かりました。

 

私たちも、なにぶんはじめてのことばかりだったので、なかなか決断できなかったり、途中で変更をお願いしたりして、業者の方たちにずいぶんお手数をおかけしてしまいました。

また、素人の私たちの無知な質問や、おかしな注文などに快く応じていただきました。

 

 

確か、3、4日前にようやく机やいすを搬入して、講習初日の朝にホワイトボードを設置したのだったと思います。

 

 

あれから一年がたったのだと思うと、感慨がこみ上げてきます。

 

手を貸してくださり、支えてくださったみなさまに感謝申し上げます。

 

 

 

塾を立ち上げるという経験は、なかなか貴重なものでした。

自分の「世界」をさらに広げることができました。

 

 

例えば、看板の歴史。

看板屋さんに話を聞く中で、デジタルの画像処理とプリントの技術の進歩によって、現在はシート全体に印刷して貼り付けるものが主流になっていることを知りました。

少し前までは、カッティングといって、それぞれの色のシートの使う部分をカッターなどで切り張りする作業をしなければならなかったので、より多くのコストがかかっていたのです。色の数だけシートを重ね合わせて作っていたのです。

もっと前は、プラスチックを加工して組み合わせなければならなかったので、さらに時間と費用がかかったようです。その前は、もちろん、ペンキなどでの塗装です。

 

電飾やライトアップにLEDが使われるようになって、「交換」の依頼がなくなってきたという話や、道路に出すスタンドの看板の話も興味深かったです。

 

それ以来、道を歩いているときに目に入る看板を見て、「これは古い技術の時代に作られたやつだなあ」とか「うわ、これはオーダメイドだ」とか、デザインや素材や工法が気になるようになってしまいました。

 

 

テナントや事務所などの不動産契約の知識も増え、「居抜き」「スケルトン」といった用語や、テナント料の相場にも詳しくなりました。

コピー機やオフィス家具、電話の契約、印鑑などについてもいろいろと知ることができましたし、さらに、教室を仕切っているスチールの壁のことをパーテーションというのですが、パーテーションやホワイトボード業界にも詳しくなりました。

 

 

ポスターやチラシなどの制作も、興味深く思いました。

 

 

八王子のアールクルーさんには、本当にお世話になりました。

 

ivyの校舎の入り口に置いてある三つ折りのパンフレット、「勉強に感動する」はアールクルーさんに作ってもらったものです。

打ち合わせや撮影や原稿のチェックなど、本当にていねいに対応していただきました。

素人考えの提案などでも、一生懸命アイデアを出して、取り入れるようにデザインしてくださいました。

パンフレットが出来上がったとき、本当に、銀行や保険会社などに置いてあるものと遜色のない、いやそれ以上のものを目の当たりにして、感激したことを覚えています。

 

 

 

私は結構細かい性格で、かといってそれほどデザインのセンスがあるわけでもないのですが、それでも、チラシなど、写真の位置をずらしてみたり、字の大きさやフォントを変えてみたりといった微妙な調整をしたくなってしまうのです。

困ったことに、自分なりの思い入れやこだわりなども詰め込みたくなってしまいます。

 

それで、チラシやポスターは自分で作った方が人に迷惑をかけないな、と思って、今では自分で作るようにしています。

 

チラシはワード、ポスターはパワーポイントで作ります。

だいたい、チラシを作るときには、3、4日続けて徹夜します。

(といっても、塾の仕事は夕方からなので、寝ないままで次の日の授業をすることはありませんよ。)

 

春期講習は、ちょっと時間がなくて、冬期講習でつくったものに手を加えて作りました。

 

少しずつデザインの腕も上がってきて、それなりの出来になってきているのではないかなぁ、と個人的には思っていますが、どうでしょうか。

 

 

 

あとは、塾のホームページやチラシに使われている写真を鑑別できるようになりました。

ホームページやチラシなどの広告に使う写真を提供するサービスがあるのですが、自分でチラシなどを作っているので、だいたいの写真やモデルを見知っているのです。

それで、「この塾とこの塾はチラシの写真がかぶってしまったなあ」とか、「この塾のホームページは、あの写真を使っているなあ」とか、ちょっとマニアックな目線で眺めたりしています。

 

 

ivyのホームページは、多摩市のHTPさんに引き受けていただいています。

 

結構あれこれとお願いをして苦労をおかけしてしまったのですが、本当に素敵なホームページを作っていただきました。

素人の意見であっても尊重して取り入れていただき、そのうえでバランスの取れた素晴らしいサイトに仕上げてくださいました。

HTPさんには、いつもいつも、いろいろな面で本当に助けられています。

 

 

 

 

昨日は、受験を終えた卒業生に集まってもらって、彼らを送り出しました。

(来られなかった人は残念でしたが、今度、ぜひ「送り出され」に来てくださいね。)

 

これで、ひとつのチャプターが完結したのだ、という思いが強くあります。

 

暦の上での一年の最初は元旦ですが、「塾の一年」は3月にはじまります。

それに加えて、ivyにとっての「スタート」は春期講習から、という感覚は、今後も続いていきそうです。

 

来年のこの時期にも、いろいろなことを思い出しそうです。

 

 

(ivy 松村)

アホな言い訳を真に受けるのもアホ

普段、週刊誌を買うことはないのですが、各高校の大学入試の結果をチェックしようと思い、久しぶりに購入しました。

まだ、後期試験の結果が反映されていないので、後日あらためて確認することになりますが。

 

その週刊誌をパラパラとめくっていると、教育に関する内容のコラムが目について、何気なく読んでみました。毎週連載しているコラムで、普段はおそらくもっと世相に迫った内容なのだと思います。

 

そのコラムの内容に、ちょっと呆然としてしまったのです。

 

 

ある児童が、宿題をやってきません。

それで教師が理由を聞くと、「知らなかった」というのです。

さらに教師が問い詰めると、その生徒は、悪びれることなく「国会議員だって、悪いことをしても、国会で『知らなかった』といって許されるではないか」というようなことをいったそうなのです。

それで、教師は二の句が継げなくなり、やがて、同じように宿題をしない児童が出てきてしまったのだということです。

そしてついには、保護者会を開いてこの問題について協議したということがあったそうなのです。

まあ、要は、政治家のモラルの低さは嘆かわしい、ということが言いたいのですね。

 

 

私は、この記事を読んで違和感をおぼえました。

 

 

まず、このコラムは、「子どもに悪影響がある」という陳腐な常套句でもって、政治家を非難しようとしています。

もちろん、私も一国民として政治家に襟を正してもらいたいと思うことは多々あります。

しかし、これは、全く適切な事例ではありません。

 

世の中には、政治家に苦言を呈すること自体が目的になってしまっている評論や記事がたくさんあります。

このコラムは、ある意味でその典型となってしまっているように思えて残念です。

 

 

この件は、単に、子供の「へりくつ」に、大人が対処できなかったというだけです。

これは、政治家の行動に問題があったとしても、政治家のせいではありません。

周りの大人が、ものの「道理」を示せないことに問題があるのです。

 

 

単純な話です。

子供であっても、人間としての優れた資質や立派な態度というものは、理解できるはずです。

少なくとも、「知らない」と、とぼけるのはよくないことだと理解できるはずです。

自分で、よくないとわかっている行動をまねするな、と言えば済む話です。

 

 

「大人は子供の模範とならなければならない(ましてや、政治家は)」という図式にとらわれてしまうと、「矛盾」にはまってしまいます。

 

「大人だってズルをしたり、うそをついたり、ごまかしたりするじゃないか」といわれて、「その通りだ」と思ってしまうのですね。

 

 

実際「その通り」です。

ズルをしたり、うそをついたり、ごまかしたりする大人は、あふれるほどにいます。

そんな醜い行為のまねをするな、というまっとうな「道理」を、堂々と伝えればいいだけなのです。

 

 

 

私が子供の頃、悪さをして怒られたときに、「A君がやっていたので、ぼくもやりました」という「言い訳」をしたりすると、学校の先生に「じゃあ、A君が死んだらお前も死ぬのか」と問い詰められたりしたものですが、今は違うのでしょうか。

 

乱暴な物言いかもしれませんが、昔の先生の言葉は核心をついていると思います。

 

 

「言い訳」はいつも「都合のいい部分」だけを切り取っているものです。

 

 

 

明らかにそうではない人もいますが、きっと、ほとんどの政治家は、国のために働きたいという理想を持っていると思います。

その理想のために、多くの政治家が、がんばって勉強し、優秀な成績で名門大学に進学しています。

 

 

「政治家のようにものを言いたいのだったら、政治家のように勉強しなさい」と言ってみるのもいいかも知れません。

 

 

 

「へりくつ」は無知から生まれるわけではありません。

「へりくつ」を言う子は「理屈ゲーム」をしているだけであって、善悪の勘定はついているはずなのです。

 

ですから、このゲームにのみこまれること自体が、実は「負け」です。

 

はっきりいって、宿題をやって来なかった「言い訳」に付き合うのは時間の無駄です。

もし返す言葉がなければ、ただ「馬鹿なこと言ってないで、さっさとやってきなさい」とだけ言えば終わりです。

 

 

大人が首をそろえて対策を話し合うなんて、ちょっと不条理だなと思ったのです。

 

 

 

 (ivy 松村)

都立中受検コースの授業②

都立中の入試には、「地図から情報を読み取る」問題が出されます。

 

よくある問題のひとつが、「道順の説明」です。

 

また、距離、面積、方位、高度、地形、土地利用などを説明する問題もあります。

 

さらに、地図を比べて、地域の特徴や土地利用の工夫などについて考える問題もあります。

 

そして、昔と今の地図を比較して、地域の様子や生活の「変化」を読み取るような問題があります。

 

 

 

今回宿題にしたのは、静岡市の「変化」についてでした。

 

1959年と2012年の静岡東部の地図を比較して説明する問題です。

 

水田が広がっていた場所が、住宅地になっています。

たくさん人が集まって暮らすようになったということですね。

 

(これを「都市化」と呼びます。)

 

 

次に、なぜ人が集まってくるのか、を考えなければなりません。

その場所で暮らすことが、生活にとってプラスになるからです。

つまり、「仕事」があるからです。

「工場」がたくさんできたことと関係があるのです。

 

(「産業」と「都市化」にはつながりがあります。)

 

 

さらに、なぜこの地域に多くの工場が建てられたのか、を考えます。

2つの地図を比べて、目につく大きな違いは、「東名高速道路」ができたことです。

工場「生産」と交通「出荷」の関係に気づくことができれば、原材料や製品を輸送するのに便利だから、高速道路の近くに工場が建てられたことに気づくことができます。

 

(「工場の立地」は、地理学と経済学の重要なテーマです。)

 

 

このような「因果関係」を結びあわせて、解答を作ります。

 

 

 

 

都立中の受検勉強は、最初とまどってしまうと思います。

これまでとは違う勉強だからです。

 

これまでは、やり方を説明されて、「こうしなさい」という勉強でした。

 

都立中の受検勉強は、「見て(読んで)、考えて、書きなさい」という勉強です。

 

 

今は大変でしょうが、やっていくうちに、きっと手ごたえを感じるようになると思います。

 

いっしょにがんばりましょう。

 

 

(ivy 松村)

都立中受検コースの授業①

現在、小6の都立中受検コースの文系の授業では、地図について学んでいます。

地図の基本的な知識や、地図からの情報の読み取りかたなどを学習しています。

 

方位を説明する際には、昔の方位についても教えました。

 

北 ・・・子(ね)

北東・・・艮(うしとら)「丑(うし)寅(とら)」

東 ・・・卯(う)

南東・・・巽(たつみ)「辰(たつ)巳(み)」

南 ・・・午(うま)

南西・・・坤(ひつじさる)「未(ひつじ)申(さる)」

西 ・・・酉(とり)

北西・・・乾(いぬい)「戌(いぬ)亥(い)」

 

十二支を当てはめるのでしたね。

 

 

授業では、主題図、地形図(一般図)といった地図の種類について説明しました。

 

路線図、天気図、観光案内などの「主題図」は、使い方によって地図の描かれ方が違っています。

 

国土交通省の国土地理院が発行している地形図には、2万5000分の1や5万分の1の縮尺の地図があること、さらに、実際の距離の求め方、等高線、地図記号などを勉強しました。

 

現在は、紙を使わないグーグルマップなどの地図が多く利用されています。

 

 

 

そして、地図の歴史と特徴について詳しく学びました。

 

昔の地図は、航空写真を使ったりすることができません。

ですから、人が活動している範囲、実際に行ったことのあるところほど、詳しく描かれることになるのでしたね。

(実は、エラトステネスやプトレマイオスの世界地図を見せたのには意味があります。ある都立中の入試で出題されたからです。)

 

また、伝えたい内容(主題)は詳しく描かれ、そうでない事柄は、普通は省略されるのでしたね。

 

 

測量の技術が進歩して、正しい距離を測ることができるようになって、だんだん、より正確な地図が作られるようになります。

 

奈良時代に作られた「行基図」や江戸時代に伊能忠敬が作った地図を比べてみましたね。

 

 

そして、「球体」である地球を平面である「地図」に写したときに、「ゆがみ」が出てくるのだという説明をしました。

 

いつも見ている世界地図(メルカトル図法といいます)は、北極、南極に近づくほど、面積が実際よりも大きくなってしまうことを、地球儀と比べて確認しましたね。

 

 

 

 

都立中の入試問題は、知識を直接問う出題はほとんどありません。

しかし、実は、であるからこそ、生活や身のまわり、社会や歴史、自然についての「細かい」知識を知っておくことがプラスになります。

「情報処理」の能力や、入試問題との「親和性」を身につけることができるからです。

 

(ivy 松村)

We study English on Mondays.

中2と中3の生徒には、毎週英語の授業で「レポート」を課しています。

 

基本的に、毎回の宿題は「レポート」と単語テストの準備(暗記)です。

 

単語テストでひどい点数を取ると、レポートの量が増えてしまいます。

また、授業内で行う演習で手を抜いたり、何問も間違えてしまったりした場合も、報告義務が増えていきます。

 

 

しかし、このレポートは、優秀な生徒ほどその量が少なくなるわけではありません。

授業内容やポイント、自己分析や反省点などをしっかりとまとめようとするほど、時間がかかるものになります。

 

 

例えば、今日の中2の授業は、「過去形」についてでしたが、「過去形」を完璧に理解している生徒にとってもレポートのテーマとなる話はたくさんあったはずです。

 

例えば、「時制」という概念の説明をしました。

また、現在形と現在進行形の違い、現在形が使われる場合について(①現在の状態の説明、②習慣、③一般的な真理や法則)も板書で説明しました。

あるいは、「yes/no疑問文」、「疑問詞疑問文」について確認し、さらに疑問詞についてのまとめを行いました。

各論では、いくつかの前置詞の働きや「have」の訳しかた、「it」と「one」の違いなどについても言及しました。

 

 

 

短時間で提出できたからといって、それがよいレポートというわけではありません。

当然、質が大事なので、それをチェックしていきます。

 

 

今は、レポートの形式や書式、事項の整理の仕方などを指導しています。

いずれ、一人ひとりが自主的に工夫を凝らし、学習効果の高いレポートを書けるようになってもらいたいと思っています。

 

しばらくは、授業の最後にレポートを書く時間を取るようにします。

 

 

 

「レポート」を課す意図はいくつかありますが、あえて強調しておきたいことのひとつは、「内申対策」としての側面です。

提出物への意識を高めることを目的としています。

 

 

 

今年は、これまで以上に、学校対策の比重を高めていきます。

 

 

そのために、例年よりも少し進度が遅くなるかもしれません。

 

その分、学校の授業の進捗に合わせて、早い段階からテスト対策を行ったり、普段からワーク、ノート、提出物等のチェックをしたりするようにします。

 

現状では、君たちが学校の先生から十分な評価を受けるためには、「学習の姿勢」というものをアピールしなければなりません。

定期テストの1週間前に、集中的にテスト勉強をするようなやり方では、学校の成績は確保できなくなっているのです。

みなさんに取り組んでもらう塾の「レポート」は、「評価を受ける練習」だと思ってください。

 

もちろん、私自身も、現在の成績のつけ方や受験制度に対して、疑問や不満は山のようにあります。理不尽な先生の話もよく聞きます。

しかし、それを口先で否定していても何も変わることはありません。

その状況を自分のプラスとするにはどう行動したらよいのか、を考えることが大切なのです。

 

 

 

中2は、今日、2回目のレポートが出されました。

 

コツをつかみつつある人もいれば、まだ、少しとまどっている人もいますね。

特に、体験で授業に参加している人や飛び級で受講している人にとっては、大変なことだと思います。

 

すぐには、なかなかうまく書けないでしょうし、授業についていくだけで精いっぱいの人もいるでしょう。しかし、最初から優秀なレポートを求めてはいません。

重要なのは、ていねいに考えながら取り組むことです。

 

 

「レポート」はただその日の授業の復習をするというだけのものではありません。

学習全体に大きな効果をもたらす習慣となるものですので、がんばってこなしていくようにしてください。

 

(ivy 松村)

都立中入試に向けて勉強するということは、

都立中の「適性検査」は、入試としては「特殊な問題」だと考えている方もいらっしゃると思います。

 

しかし、実は、都立中の適性検査は、試験の「王道」であるといえます。

 

 

試験には、二つの志向性があります。すなわち、

 

・必要な準備と対策を怠っていないかどうかを確認する(~を覚えたか)

・求められる資質を備えた人物かどうかを判定する(~ができるか)

 

というものです。

 

当然、暗記中心の試験は、前者にもとづいています。

 

一方、後者の代表的な例が、国公立大学の二次試験です。

つまり、論述による解答を求めるような試験です。

 

問いに対する理解度や、対応力、論理的思考力、知識などを、論述の形式や内容をもとに総合的にみようとするものです。

 

 

要するに、都立中の適性検査は、国公立大学の入試の「入り口」になっているということなのです。

 

また、あえて補足するならば、都立高校の入試問題(特に進学指導重点校の推薦入試)もまた、その「道筋」に連なるものとして作られているといえます。

(実は、大学合格実績を誇るいくつかの名門私立中高一貫校にも、都立中と同様の論述重視の傾向があります。)

 

 

 

公立の小学校、中学校では、まともに作文を教わることができません。

これは、先生の能力の問題というよりも、優先順位の問題です。

基礎的な知識を身につけるだけで精いっぱいの生徒が大勢いますから、作文は後回しにされてしまうのです。

 

そのためだけではありませんが、「作文嫌い」の生徒は非常に多いです。

しかし、「文章を書いて意見(解答)を述べる」という能力を鍛えなければ、社会の中で「前に進めなくなる」ということが起きてくるかもしれません。

 

 

 

「試験」という観点から世の中を見渡してみると、社会的地位や役職を得るための重要な資格の授与や昇格、入門の許可などは、その多くが「論述タイプ」の試験を課していることがわかります。

 

 

そして、入試のような公的な教育選抜制度は、そういった「最終的な試験」に立ち向かう人材を「引き上げる」という機能を果たしていることもみえてきます。

 

特に、国立の教育機関は、最終的に、学会や政府機関、産業組織のなかで、社会をリードしていく人物を輩出することを、その役割としているのです。

 

それゆえに、国立大学では、理系・文系を兼ねた総合的な学力が求められるとともに、「論述タイプ」の入試が行われるのです。

 

 

 

都立中の適性検査は、決して「特殊」なものではなく、「その先」を見すえて作られています。

 

都立中学が論述を重視しているというよりも、今の社会が「エリート」に、「論述の能力」を求めているのだといえます。

ですから、都立中学(の上の教育行政)は、「適性検査」を実施することによって、その素質を持つ生徒を見出そうとしているのです。

 

逆にいえば、都立中の受検対策を行うことで、社会的に重要な技術である「論述の能力」を養っていくことができるのです。

 

 

塾のような受検対策を目的とした教育機関は、それを養うための場所であるといえます。

 

試験は、それを証明する機会です。

 

そして、仕事や役職に就き、その能力をもとに、社会に対して貢献する人間に成長していくことができるのです。

 

 (ivy 松村)

お知らせ「春期講習会」

ivyの春期講習会が、3月27日(金)からはじまります。

 

新規講習生は、全学年「春期講習料無料+4月度授業料免除」となります。

 

まだ、どこの塾の講習にもお通いでない方は、ぜひご検討ください。

講習前の、本科授業の体験も受付けております。

 

・春期講習日程

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来週と再来週の新聞に折り込み広告が入ります。

ぜひ、ご覧ください。

 

・春期講習チラシ

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実は、この広告は私(松村)が作りました。

塾の広告はB4サイズが多いのですが、ivyの広告はいつも一まわり小さいA4サイズです。

それは、予算の問題ではなく、A4の方が見やすいと思うからです。

実際、B4もA4も、印刷の料金は同額なのです。

折り込みを依頼する料金も変わりません。

だから、新聞広告はB4サイズが多いのですね。なるべく大きいほうが目立つと思われているからでしょう。

 

ivyは「大きさ」で対抗できるような塾ではありません。

ですから、手作りで、身丈にあった塾にしていきたいと思っているのです。