「規則」と「例外」を意識して暗記する

暗記のコツはいくつかありますが、そのうちのひとつは、情報を圧縮する、ということです。

 

「圧縮」させた情報は、運用するときに「展開」させる必要があります。

ですから、それを導く「規則」にしたがって「圧縮」を行わなければなりません。

 

つまり、記憶する際に、覚えることがらのボリュームをなるべく小さくすることが、暗記をするうえで有効であるということです。

そのためには、「規則」を意識しなければなりません。

 

 

「規則」を意識しながら暗記するやりかたについて考えてみましょう。

 

単語を記憶するのに使用する「脳の領域」というものがあると仮定して考えてみます。暗記をするとき、つまり単語をその領域に収納する場合、「1単語」ごとに「1メモリ」が占有されるとイメージしてください。

 

このような認識は、正しいとはいえません。

しかし、あえて物理的な発想で「暗記」について考えてみましょう。

 

 

もし、数字を「1単位」ごとに記憶していかなければいけないとすれば、たとえば、1から1000までの数字を覚えるのに、「1000メモリ」を使うことになります。

つまり、「数字の数」=「使用メモリ」となるのです。

そうすると、私たちは数字を扱うために、膨大は量の「メモリ」を消費しなければなりません。

やがて「記憶の領域」は数字だけでいっぱいになってしまうでしょう。

 

 

私たちの文明は、「10進法」を使用しています。

ですから、数字が「10」に到達した後は、「折り返し」を行って、「10+1」=「11」と表示し、「10×10」に到達した後は「101」という表示を使います。

 

このように、数字を「折りたたむ」ことで、全ての数を記憶しなくても数字を使いこなすことができます。

 

たとえば、「894」という数字は、「8」という概念、「100」という概念、「9」という概念、「10」という概念、「4」という概念を組み合わせて構成されています。

 

私たちは、894もの「メモリ」を使って「894」を認識しているわけではありません。

 

894個分の「メモリ」を使用しなくても、「894」を認識できるはずです。

私たちが扱える数字の「量」に対する「メモリ」の消費量は、恐ろしいほどに少量です。

 

さらに「1000」という概念をたったひとつ導入するだけで、10倍以上のもっと大きな数をも扱うことができるようになります。

こうして、桁が大きくなるほど「費用対効果」が高まるのです。

 

 

私たちが数字を認識できるのは、必要とされる数字のすべてを記憶しているからではなくて、数を運用する「規則」を身につけているからです。

その「規則」と、「10進法」に必要な最低限の概念さえ覚えれば、膨大な数字全体を記憶しなくても、数字を使いこなすことができます。

 

 

同じように、あらゆる学習における「暗記」を「規則」に則って行うことで、「メモリ」を節約しながら、大量の情報を記憶することができるようになります。

 

およそものごとには「規則」があります。

そして、しばしば「例外」があります。

 

「暗記」にとって大事なのは、「規則」と「例外」を整理しながら覚えることです。

 

 

 

「英語の数字」を覚えることは、暗記の練習にとても良いと思います。

 

「数字」の配列には、明示的な「規則」があらわれるので、「規則」を考えながら暗記をする練習の、初歩的な段階として理想的です。

 

 

「one」「two」「three」「four」「five」「six」「seven」「eight」「nine」「ten」

 

1~10をベースにして、その先を覚えていきます。

 

ただアルファベットの文字列を記憶するのではなく、子音の発音や二重母音の「規則」を覚えます。

さらに、黙字や不規則な発音といった「例外」があらわれている部分を確認し、覚えるようにします。

 

11~20には、高度な「規則」と重要な「例外」があらわれます。

それらを意識し、整理しながら暗記することは、使用する「メモリ」を節約するのに有効であるだけでなく、記憶を定着させるのに効果的です。

 

「eleven」と「twelve」は「例外」です。

 

「thirteen」「fourteen」「fifteen」「sixteen」「seventeen」「eighteen」「nineteen」

 

13以降は、「-teen」をつける、という「規則」を見出すことができます。

 

ただし、「thirteen」「fifteen」「eighteen」には「例外」がみられます。

 

「thirteen」は特に念入りに覚える必要があります。

「-ir-」の部分を、刷り込むようにして脳に定着させる必要があります。

 

「fifteen」「eighteen」は、綴りの変化を確認します。

「フィフティーン」「エイティーン」という発音と対応させて覚えます。

 

「fourteen」「sixteen」「seventeen」「nineteen」は、「規則」にしたがって覚えます。

 

 

「twenty」以後、「-ty」によって10の位をあらわすという「規則」を確認します。

 

「2」という概念と「tw-」が関連しているということを確認します。

(後に「twice」という単語が出てきたときに、関連づけて覚えるようにします。

 

「two」(トゥー)から、「ウー」という音と「o」の対応を知ることができます。

「twelve」(トゥウェルヴ)、「twenty」(トゥウェンティ)はともに「twe-」で始まることを確認します。

 

20以降は、「twenty-one」「twenty-two」「twenty-three」・・・と数えていきますので、あとは、「十の位」を覚えればよいことになります。

 

「thirty」「forty」「fifty」「sixty」「seventy」「eighty」「ninety」「hundred」

 

 

「forty」のつづりが変化しているので、入念に覚えます。

 

「thirty」「fifty」「eighty」は「thirteen」「fifteen」「eighteen」に対応しています。

 

「sixty」「seventy」「ninety」はそのまま「規則」にのっとって暗記します。

 

100以降は、「one hundred」「two hundred」「three hundred」・・・となります。

 

 

894は、「eight hundred ninety-four」となります。

 

 

 

このように、「数字」を、「規則」と「例外」を整理しながら覚えることで、応用的に、「894」のような大きな数も自動的に扱えるようになります。

100以降の「数字」をいちいち覚える必要はありません。

 

「10進法」という「規則」を念頭に「英語の数字」の暗記を行うことは、暗記の基本を身につけるのにうってつけです。

 

多くの言語、文化の中で、「数字」は、効率的に設計されなければならない「規則」です。

 

 

その中に、「例外」がちりばめられています。

ヨーロッパのいくつかの言語には、古代の「12進法」の名残がみられ、英語にもその面影があります。それが、面倒な「例外」のひとつを形作っています。しかし、それもまた、「暗記の練習」のよい材料となるでしょう。

 

多くの場合、人の創作物には、故意あるいは不意の「例外」が存在しています。

むしろ完璧に「規則」通りに何かが作られることのほうが希少であるといえるでしょう。

どんな「規則」の中にも「例外」は潜んでいると心得ておかなければなりません。

 

英語には、あきれるほど多くの、つづりと発音の不一致がみられます。

また、今後、みなさんは、幾度となく 文法上の「例外」に遭遇することになるでしょう。

 

 

今、「英語の数字」と格闘している生徒のみなさん、絶対に、「労働作業」のように暗記をしないでください。

 

暗記をするときには、必ず、頭を働かせてください。

考えながら暗記をするくせを身につけてください。

 

常に「規則」と「例外」を意識しながら取り組むことが大切です。

 

 (ivy松村)

دعونا دراسة اللغة العربية

3大宗教に数えられる「イスラム教」は、まだ日本ではそれほどなじみ深いものではないようです。ときに誤解されたり、偏見を持たれたりすることもあります。

 

中学の教科書にも、「イスラム教」に関する記述が増えてきましたが、まだ、十分に適切であるとはいえないような表記もあります。

 

私は、ずいぶん昔になりますが、4ヶ月間ほど中東に滞在したことがあります。

滞在中は、よく「モスク」にも足を運びました。

「イスラム教」は、私にとって親しみのあるものなのです。

ですから、「イスラム教」に対する理解が深まっていくいいなあ、といつも思っているのです。

 

 

 

現在は、識者を中心に、「イスラム教」という表記ではなく、「イスラーム」という表記が広まりつつあります。さらに、「イスラム教徒」を「ムスリム」と表記することも見られるようになってきました。

 

 

高校の教科書でも「イスラーム」や「ムスリム」という表記が増えてきているようですが、中学の教科書はまだ、「イスラム教」「イスラム教徒」という表記になっています。

 

 

「イスラム教」の開祖は、現在は「ムハンマド」と表記されていますが、以前は「マホメッド」という表記も見られました。

 

両者は、日本人にとっては全く違った発音に思えます。

あまりにも極端な変更に感じられて、奇異に思われた方もいらっしゃるかもしれません。

 

 

 

実は、これには、「アラビア語」の特性が大きく関係しています。

 

独特のアラビア文字は、日本人に奇抜な印象をもたらします。

下から上に書く、右から左に読む、といった、私たちにとって「逆」のルールもまた、とても不可思議に映ります。

さらに、その表記法も、別の文化圏で暮らす私たちに、驚きを与えずにはいられません。

 

 

実は、アラビア語は、基本的に母音を表記しないのです。

たとえば、「豊田」という言葉をローマ字にすると「toyoda」となりますが、アラビア語では「tyd」と表記されることになります。

 

(最近は日本語でも、こういう言葉遊びのような表記もよく見られるようになりましたね。)

 

さらに、アラビア文字は右から左に向けて書かれるので、実際の文字の並びは「dyt」となります。

 

「tyd」は、アラビア文字で表記すると「تيد」となります。

この文字列には、「t」「y(i)」「d」が「逆」に並んで表示されています。

アラビア文字は「草書体」で書かれるので分かりづらくなっていますが、この連続した点画は、3つの文字に分離できます。

左から「d」「y(i)」「t」をあらわす文字が並んでいます。

そして、アラブ人たちは、右から読み進めて、「tyd」と書いてあることを認識するのです。

 

要するに、「→」ではなく、「←」の向きに読むのですが、その際に、母音を類推しながら読んでいくのです。

 

 

混乱してしまうので、「تيد」(tyd)のように、( )の中に、対応するアルファベットを左から記載するようにしましょう。

 

 

実際には、アラビア語には、「a」「i」「u」の3つの母音があります。

慣例的に、「外国の語彙」などは母音を用いることになっているので、本当に「toyoda」をアラビア語で表記するときは、「تويودا」(tuyuda)としなければなりません。ですから、例に挙げた「تيد」(tyd)は、正式な表記ではありません。

 

 

 

子供や初学者のために、補助的な「発音記号」として母音を表記することはできます。

しかし、アラビア語は、母音をともなって発音される単語であっても、基本的には、母音を省略して表記されます。

 

 

ですから、アラビア語は、その表記法ゆえに、子音の拘束力が強く、母音の影響が弱い言語となっているといえるでしょう。また、それは、アラビア語の母音の少なさにも表れているように思えます。

 

 

実際に、アラビア語は、母音がそれほど重視されないので、場合によっては、おのおの好きなように母音を補って読むことが許されます。

 

日本語は、対照的に母音の拘束力が強いので、日本語を母語とする私たちは、こうしたアラビア語のシステムには、いっそう驚かされてしまいます。

 

 

さらに、アラビア語は、北アフリカからペルシャ湾岸地域まで、広範囲に渡って使用されている言語ですので、地域差が激しく、方言が発達しています。

そのため、同じアラビア語といっても、地域によって発音に大きな差異が生じやすいのです。

 

 

 

さて、「イスラム教」の開祖であるとされる預言者「ムハンマド」は、アラビア語では「محمد」(mhmd)と表記されます。

 

アラビア語では、子音さえ確定されれば、母音は自由に置き換えることができます。

 

ですから、「muham(m)ad」(ムハンマド)でも「mahomed」(マホメッド)でも「同じこと」なのです。

さらにいえば、「mohamed」(モハメド)もあり得ます。

 

「モハメド・アリ」というかつてのボクシングの世界チャンピオンをご存知の方も多いと思います。彼は、「イスラム教」に改宗し、その際に、改名したのです。いうまでもなく、「モハメド」は、「イスラム教」の最も重要な預言者の名をあらわしています。ちなみに、「アリ」もまた、「イスラム教」の重要人物の名で、「イスラム教徒」(ムスリム)に人気の名前です。

 

 

さらに、高校の世界史ではおなじみですが、オスマン帝国の皇帝に「メフメト2世」という人物がいます。「mehmet」(メフメト)もまた、預言者に由来する名前です。

 

「メフメト」は、アラビア語がトルコ語に移植される過程で、語末の「d」が「t」に変化したのだと考えられます。

「d」と「t」の交代は、あらゆる言語で頻繁に起きます。英語でも、「helped」「walked」などの「d」は[t]と発音されますね。

日本語では「たちつてと」は清音、「だぢづでど」は濁音と識別しますが、音声学的には[t]は無声音、[d]は有声音であると分類され、お互いが対をなしていると考えられています。

試しに「ティー」と「ディー」を連続して発音してみるとわかりますが、両者は、同じ口の形で発音され、非常に近い音です。

中国語のように、「t」と「d」を区別しない言語も存在します。また、音素が混同されたり、移行したりする現象もよくみられます。

「マホメッド」も「マホメット」と表記されることがあります。

 

 

 

「ムハンマド」=「マホメッド」=「モハメド」=「メフメト」は同じ語彙を指示しているということになります。

 

しかし、スタンダードのアラビア語の発音に最も近いものが「ムハンマド」なので、最近は「ムハンマド」と表記されるようになっているのです。

 

「マホメッド」ももちろん「間違い」ではないのですが、実は、この言葉は、アラビア語から直接「音」を採録した発音ではないのです。いったんアラビア語からヨーロッパにもたらされた言葉が、日本語に入ってきたものなのです。

ですから、実際のアラビア語の発音からはかけ離れてしまっています。

そのために、より原音に近い「ムハンマド」という表記へと改正されたのです。

 

 

 

「イスラム教」関連の語彙は、フランス語や英語から流入したものが多く、実際の発音や語彙と異なるものがかなりあります。

 

たとえば、イスラム教の寺院は一般的に「モスク」といい、教科書にもそう記載されていますが、実際のアラビア語では、「マスジド」といいます。

また、「イスラム教」の聖典である「コーラン」は、実際には「クルアーン」という発音が最も近いものです。

 

それだけでなく、神をあらわす「アラー」は「アッラー」もしくは「アッラーフ」、最大の聖地である「メッカ」は「マッカ」のほうが、実際のアラビア語により近い発音です。

 

 

インターネットや各種の出版物では、こうした表記も浸透しつつあります。

 

高校の教科書で、こうした表記を採用しているものもありますが、中学の教科書では、もう少し先になるのかもしれません。

 

 

 

ちなみに、私の名前は、アラビア文字では「ﻣﺎﺗﺴﻮﻣﻮﺭﺍ ﺁﻛﻴﺘﻮ」(Matsumura Akitu)と表記されます。

そして、「ivy」は「إفي」(a(i)fi(y))です。

また、植物の「ツタ」は、アラビア語では「لبلاب」というのだそうです。

 

 

 (إفي ﻣﺎﺗﺴﻮﻣﻮ)

頼朝は、いったい何をつくろうとしたのだろう?

歴史的な発見や、研究の成果によって、歴史の定説が覆ることがあります。

有名なものとして、「鎌倉時代」のはじまりが挙げられます。

専門家の議論を反映して、1192年から1185年へと、教科書の記載が変更されました。

 

ただし、これまでの説が完全に否定されたわけではなく、1192年および1183年も、有力な説として紹介されています。

 

 

「いい国つくろう」という定番の年号暗記のごろ合わせによって、1192年という年号は、世間によく知られたものとなっていました。今度は、「いい箱つくろう」と異口同音に唱えられているようです。

しかし、不思議なもので、「いい箱欲しいな」でも「いい箱あげるよ」でも問題ないのに、「つくろう」でないとしっくりこないものですね。

 

(ところで、本来ならば、西暦を「年号」というのはおかしいのですが、歴史を学習する際に暗記するべき「年」の総称として「年号」という表現が慣用的に使われていますので、私もそれに倣って「年号」を使います。)

 

 

さて、よく知られた年号である1192年が「間違っていた」と受け取られ、大きなインパクトとともに、この話題は人口に膾炙しました。しかし、実際には、「間違っていた」わけではなく、1185年という説が有力になったということなのです。

 

 

では、どうして、1185年が「鎌倉時代」のスタートとしてよりふさわしいと考えられるようになったのでしょうか。

 

 

源頼朝が征夷大将軍という官職を得たのは1192年です。現在でも、それによって「鎌倉幕府」が成立したのだという説を唱える研究者もいるようです。その事実が、政権樹立という意味で重要であると考えるならば、やはり「鎌倉時代」のスタートは1192年だということもできます。

 

しかし、頼朝が守護、地頭を全国に配置し、当時の日本の大部分を、政治的に支配する体制を確立したという実態を重要視するならば、1185年が「鎌倉時代」のスタートであるといえるだろうということになります。

 

その他、頼朝が東日本の支配権を確立した1183年が「鎌倉時代」の開始であるという説もあります。(1180年説もあり。)

 

 

かなり多くの人が勘違いをしているのですが、1185年に「幕府が開かれた」わけではありません。頼朝が征夷大将軍に任命されたのは1192年ですから、「征夷大将軍=開幕」という等式を用いるならば、「鎌倉幕府」の成立は1192年となります。この年号は動かしようのない事実です。

 

ところが、複雑なことには、「幕府」という概念は12世紀末の当時の日本にはありませんでした。したがって、征夷大将軍という役職と、「幕府」という政権の樹立は、必ずしも等式では結ばれないのです。

 

実は、「幕府」という言葉は、後世の人が、頼朝(や足利氏や徳川氏)の構築した統治機構を称するのに用いたものであって、当時の人々に意識されていた概念ではありません。

 

 

ですから、「頼朝が、征夷大将軍の地位についたので、幕府を開いた」という「史実」は、厳密には存在しないのです。

 

12世紀の末、政治権力を掌握した頼朝は、朝廷から切り離されるべき、武家がになう権力構造を確固たるものとすべく、試行錯誤していました。

その試みのひとつとして、朝廷に要求した官職が、征夷大将軍だったのです。

 

「幕府を開く」ために征夷大将軍になったわけではないのです。

頼朝本人でさえ、「幕府を開いた」という実感はなかったはずです。

 

要するに、頼朝の時代には、「幕府」と征夷大将軍という官職は関連していなかったといえるのです。

当時の武士たちに、征夷大将軍が武士の最高位であるとの認識はありませんでした。

もちろん、武士の棟梁=征夷大将軍という通念も存在していません。

 

 

征夷大将軍という役職に就くことを頼朝が志向したのは、この役職が「令外官」というもののひとつで、朝廷から独立して権力をふるうことができるものであったためだと考えられています。遠征軍の司令官は、わざわざ朝廷に指示を仰ぐことなく、独自の判断で部下に命令を下すことができるのです。頼朝は、この特権を最大限に利用しようと考えたのでしょう。

 

頼朝は、征夷大将軍という地位を手に入れることで、朝廷に干渉されることなく、東国から政治権力を行使することに対する「正当性」を手に入れようとしたのです。

 

 

頼朝が征夷大将軍になる前に、すでに頼朝を頂点とした武士の支配体制、つまり「鎌倉幕府」の骨格は出来上がっていました。たとえば、「侍所」「問注所」「政所」などはすでに設置されていました。

 

本来、当時の、武家による新しい独自の統治の始まりは、「幕府を開く」といういいかたでは十分に説明することができないのです。

しかし、現代の歴史研究において、「幕府」という概念を否定することはなかなかできません。

 

ですから、あえて、「幕府」という概念を用いてこの歴史的事象をみすえようとするならば、それは、「朝廷の外に存立する、武家による政治権力基盤の成立」というような、「ゆるやかな意味」として捉えられることになります。それは、頼朝の、征夷大将軍への任官に先立って成立していたので、征夷大将軍は、「鎌倉幕府」と結び付く根拠とはならないと考えられるのです。

 

したがって、頼朝が「実質的に」政権基盤を固めた時期がいつなのか、が歴史学的な焦点になってくるのです。

 

強いていえば、それは、頼朝が全国支配を確立した1185年になるだろう、ということであって、「頼朝が征夷大将軍となって鎌倉幕府を開いた」のが、実は1185年であった、ということではないのです。

 

 (ivy 松村)

社会の教科書、今と昔

社会科の教科書は、新しい発見があったり、社会情勢の移り変わりがあったり、社会・政治の仕組みが変化したり、別の学説が主流になってきたりすると、記載内容や表記が、それまでとは変えられてしまう場合があります。

 

 

高校の教科書には早々と学術的な研究成果や新情報が「反映」されますが、中学の教科書はすぐに「更新」されないこともあります。

併記したり注釈を入れたりして、「古い内容」を削らないような記述になっていることもあります。あるいは、断定的な表現を避け、解釈の余地を残すような記述となっていることもあります。

 

「混乱」を招かないための「配慮」なのかもしれません。

 

 

しかし、それでも、社会の教科書は時代とともにずいぶん変わりました。

 

中学生の保護者の方も、現在の教科書をご覧になって、ご自分の中学の頃とは内容が違っていることに、驚かれることがあるそうです。

 

実際に、現役の中学生と、保護者世代との間で、教科書の記載にどういった相違点があるのかみてみることにしましょう。

 

 

公民分野や地理分野の教科書は、時代の変化に合わせて、むしろ頻繁に、内容が「更新」されるべきであるといえます。

新しい制度の導入や、産業や社会の発展を反映して、教科書の内容が実情に合ったものに変えられることになります。

 

たとえば、「助役」や「公定歩合」といった用語が姿を消しました。

一方、「裁判員制度」「消費者庁」といった用語が記載されるようになりました。

 

また、「地球温暖化」「グローバル化」などの記述も見られるようになりました。

 

 

 

地理分野では、「四大工業地帯」が「三大工業地帯」になりました。北九州工業地帯が外されました。

 

日本の最大の貿易相手国が「アメリカ合衆国」ではなく「中国」になりました。

社会情勢や国際情勢は、日々変化しています。

こうした情報は、近いうちにさらにまた「更新」されることになるでしょう。

 

 

世界遺産も、世代によって、教科書に記載されていた登録数が違っています。

 

日本の世界遺産の登録年:

 

1993年12月

・法隆寺地域の仏教建造物 (奈良県)

・姫路城 (兵庫県)

・屋久島 (鹿児島県)

・白神山地 (青森県、秋田県)

1994年12月

・古都京都の文化財 (京都府、滋賀県)

1995年12月

・白川郷・五箇山の合掌造り集落 (岐阜県、富山県)

1996年12月

・原爆ドーム (広島県)

・厳島神社    (広島県)

1998年12月

・古都奈良の文化財 (奈良県)

1999年12月

・日光の社寺 (栃木県)

2000年12月

・琉球王国のグスク及び関連遺産群 (沖縄県)

2004年07月

・紀伊山地の霊場と参詣道 (和歌山県、奈良県、三重県)

2005年07月

・知床 (北海道)

2007年06月

・石見銀山遺跡とその文化的景観 (島根県)

2011年06月

・平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群― (岩手県)

・小笠原諸島 (東京都)

2013年06月

・富士山―信仰の対象と芸術の源泉 (静岡県、山梨県)

2014年06月

・富岡製糸場と絹産業遺産群 (群馬県)

 

 

現在の中学の教科書には、まだ「富士山」や「富岡製糸場と絹産業遺産群」は掲載されていませんが、次回の改定にあわせて、書き加えられることになるでしょう。

そして、「明治日本の産業革命遺産」も、無事登録されたあかつきには、当然教科書に記載されることになるでしょう。

 

 

 

歴史分野は、研究が進み、定説が覆ることが頻繁に起こります。また、より正確な名称、発音表記に置き換えられることもあります。

 

一部を、箇条書きで確認してみましょう。

 

 

・最古の人類・・・アウストラロピテクス → サヘラントロプス・チャデンシス

 

・日本最大の古墳・・・仁徳天皇陵 → 大仙古墳

 

・日本最古の貨幣・・・和同開珎 → 富本銭

 

・蘇我氏滅亡・・・645年大化の改新 → (645年「乙巳の変」)646年~ 大化の改新

 

・鎌倉時代のはじまり・・・1192年 → 1185年

 

・金剛力士像の制作者・・・運慶・快慶 → 運慶

 

・『徒然草』の著者・・・吉田兼好 → 兼好法師

 

・四大文明のひとつ・・・黄河文明 → 中国文明

 

・イスラム教の開祖・・・マホメッド → ムハンマド

 

・マルコ・ポーロの(口述による)著書・・・「東方見聞録」 → (「世界の記述」)

 

・モンゴル帝国の始祖・・・ジンギスカン → チンギス・ハン

 

・南北戦争のときのアメリカ合衆国大統領・・・リンカーン → リンカン

 

・イギリスに対するインド人の反乱・・・セポイの乱 → インド大反乱

 

・日清戦争のきっかけになった朝鮮半島の内乱・・・東学党の乱 →  甲午農民戦争

 

「非暴力」を貫いたインドの政治指導者・・・ガンジー → ガンディー

 

・女性解放運動家・・・平塚雷鳥 → 平塚らいてう(ちょう)

 

・サミット・・・先進国首脳会議 → 主要国首脳会議

 

・江戸幕府の直轄地・・・天領 → 幕領

 

・キリシタンを見つける方法・・・踏絵 → 絵踏  ※絵踏に使う「絵」が「踏絵」。

 

・「士農工商」 → 記載なし

 

・「慶安のお触書」 → 記載なし

 

・「四民平等」 → 記載なし

 

(ivy 松村)

「表記の違い」と「ミス」

日野市や八王子市で採用されている「東京書籍」の歴史の教科書には、縄文時代の住居が「たて穴住居」と記載されています。生徒に、「竪穴住居」と教えると、学校の先生には「竪穴『式』住居」と教わった、と言われます。

 

学問的な見地から、これまでの理論や説明、表記等に齟齬や不都合が生じたときに、より適切な表記が提唱され、教科書の記載が改められることがあります。

 

しかし、学校の先生の中には、その「変化」を面倒がって、「これまで通り」の授業を続けるタイプの人もいます。

 

 

かつての「竪穴『式』住居」は、現在の教科書では、「式」のない「竪穴住居」という表記が一般的になっています。その他、「縄文土器」「弥生土器」「高床倉庫」などの用語も、「式」を省く表記となっています。

 

同じことは「リアス『式』海岸」に当てはまります。現在は「リアス海岸」です。

 

 

このような些末な表記の違いは、歴史や地理の学習にとって本質的なことではないので、私は、昔は「式」を使っていたんだよ、とさらっと説明するだけにします。

 

通常、「リアス海岸」という解答でも「リアス『式』海岸」という解答でもどちらも正解とします。

厳密には、「リアス海岸」の方が適切な表記だといえますが、「式」は重要ではありません。

 

 

 

ところで、ある中学校の中間テストで、「アボリジニー」と答えるところを、「アボリジニ」と書いて不正解になった生徒がいました。まあ、それは、いわゆる「うっかりミス」です。教科書には「アボリジニー」と書いてありましたから、そう覚えるべきだったのでしょう。

 

しかし、それでも、個人的な疑問がわいてしまいます。「コンピューター」を「コンピュータ」と表記したら、間違いになるものなのでしょうか。

 

ちなみに、読売新聞、朝日新聞、毎日新聞、産経新聞などの新聞記事には、「アボリジニ」という表記が使われています。

 

 

「式」は付けても付けなくても、どちらでもよくて、「ー」は絶対に付けなければならないと。

 

コメントに困りますね。

 

 

生徒には、「アボリジニ」という表記も一般的に許容されていることを証明して、先生に「○」にしてもらうように言いました。

しかし、先生に設定された期日が過ぎた後に採点ミスを見つけて報告しても、訂正はしないといわれているのだそうです。すでにその期日を過ぎています。

 

要するに、期限を過ぎれば、採点ミスは「ミス」ではなくなってしまうということですね。

 

これにもびっくりですね。

 

 

正直、ちょっと変わったパーソナリティ(「パーソナリティー」?どっち?)の先生なのかなあ、と思います。あるいは、中学校の教員にとっては、ごく当然の処置なのでしょうか。

 

採点ミスは、教員の犯した過失であって、自らの責任のもとに処理しなければならないと思うのですが。

 

都立高校で、一年以上前の入試の採点ミスが見つかって大問題になったことを、すでにお忘れになっているのかもしれませんね。

 

 

一方、「アボリジニー」と書かなかったために「×」となっていしまった生徒はといえば、「×」は不正確に覚えてしまっていた自分の「ミス」のせいだと自覚していて、次はしっかり覚えようと前向きに考えています。

 

 

「ミス」から目を背けていると、「過去」を繰り返すだけの人になってしまうのかもしれません。

 

 

 

「ミス」との向き合い方が、人の未来を定めていくのかもしれませんね。

 

 

 (ivy 松村)

the way you’ve chosen

人生は、「選択」の集積です。

私たちは、常に「選択」を迫られ、「選択」によって人生が方向づけられます。

 

 

自分の「選択」は、自分の責任です。

 

 

「野球」をやりきることを選んだのであれば、その道を。

ただし、絶対に「野球」を逃げ道にしないこと。

 

「野球」のせいで受験勉強ができなかった、と、言い訳を口にしないでください。

「野球」を、自分の人生の「邪魔者」にしないでください。

 

 

私は塾の人間なので、勉強を最優先に考えます。ときに、「野球」に困ってしまうこともあります。

 

けれど、「野球」が、きみたちの人間性を磨いたのだと、折に触れて気づかされます。

私は、きみたちのあいさつや、返事や、根性や、律儀な態度や、建設的な考え方が大好きです。

 

大きな試練に挑戦しようとしているのでしょう。

その経験が、糧となるにちがいありません。

 

 

がんばってください。

 

 (ivy 松村)

「ピリッとタイム」と「わいわいタイム」

今日は、中学生の生徒たちは、定期テストのための勉強に取り組んでいました。

 

中2は、ピリっと集中して取り組んでいました。

私は、コピーをしたり、質問に答えたりしていただけでしたが、かなり疲れてしまいました。

 

真剣な人間のそばにいると疲れてしまうということを、久しぶりに思い出しました。

とても気分のいい疲労感です。

 

今週末が、多くの中学校の中間テストの山場となっていますが、勉強の成果を出し切ってほしいと思います。

 

これから定期テストに挑む人、がんばってください。

 

 

 

 

ときに、あまりにも当たり前すぎて、わざわざ口に出すことを躊躇してしまうような事柄があります。

 

たとえば、「メリハリをつけて勉強しよう」というような話です。

いまさらそんなことをいちいち確認をするのもくだらないような気がしていました。

 

でも、今日、少し時間を取って、その話をしてみたのですが、やはり言ってよかったな、と思いました。

 

 

 

私は、ときに、生徒に対して「きつい」口調で注意をすることもありますし、わいわいと雑談をすることもあります。

 

これまでは、どういったときに「きつい」態度になり、どういったときに「アホな」態度になるのか、ということに生徒のみなさん自身で気づいてほしいと思っていました。

そのために、より大げさなコミュニケーションになることもありました。「わかりやすい」態度をとろうとしたのです。

 

「その瞬間」だけで判断をしてしまう人は、「機嫌」によって態度が変わる「情緒のおかしな人」に映ってしまうのでしょう。

そう見られてしまうのは残念ですが、塾にいるにもかかわらず、できるだけ「わいわい」したいと思っている人は、常に「わいわいタイム」のチャンスをうかがっているので、「わいわい」を封じられると、困惑してしまうのですね。

 

 

きちんと状況を観察し、人の態度や、言動の変化の因果関係について考えようとする人は、私のやり方にすぐに気がついて、うまく私をいじったりできるようになります。

 

 

たとえば、私が授業で雑談をはじめたり、アホな「振り」をはじめたりするタイミングは、だいたい決まっています。よーく観察しているとわかると思いますよ。

授業の中で、集中して取り組む時間から逆算して、必要なタイミングでブレイクが入るようになっています。

 

小学生の授業では、頻繁に「アホ話」が入ります。

反面、入試直前の受験学年のように、長時間の集中に耐えられるようなクラスになってくると、今度はブレイクなしで解説が続いたりします。

 

集中の持続力をあげるために、あえてブレイクなしで長めの解説を続けることもあります。

そのときは、説明の「調子」を変えたり、「あと~分」と予告したりします。

 

ブレイクの回数や長さや内容は、そのときの授業に応じて変わりますが、わかる人は「法則」をみつけることができるはずです。

 

 

授業には「流れ」というものがあります。

その「流れ」に沿っていない「勝手な」言動や態度は「きつく」対応されるのです。

勉強に集中できなくなるからです。

 

今日、話をしたように、「ピリッとタイム」でなければならない時間帯に強引にブレイクを入れようと話を振ってきたり、ぼんやりして集中していなかったりするようなときに、「きつい」注意がなされるのです。

 

 

要するに、「ピリッとタイム」にピリッとしていないと、ピリッとしてもらうために、「ピリピリ」した話になって、それが続くのです。

「わいわいタイム」を強引に長引かせようとしたり、適切ではない話題を振ってきたりしたときも、スルーしたり、真面目に注意したりします。

 

勘違いしてほしくないからです。

「わいわい」が中心ではないのです。

 

集中して取り組む時間が充実するから、ブレイクの時間も充実するのです。

 

 

・・・というような、私の考えなどなどを、今日、生徒に話しました。

 

 

真剣に勉強に取り組み、その合間に雑談で盛り上がって、また真剣な勉強が再開され、そして塾が終わり、一日が終わる・・・。想像しただけで、わくわくしますよね。

 

「気持ち良い勉強」というものは存在するのです。

どうして、そうならないのか、という話。そして、今日がそうなった日。

 

実際には、今までも頑張っていましたよ。

でも、今日は本当にピリッとしていました。

素晴らしかったです。

 

 

 

今日はそれぞれが課題に取り組む日でしたから、この時間に「集中」するために、何をしなければならないのか、を確認し、スタートしました。

 

 

欲をいえば、私の授業の「組み立て」に、生徒自身で、気づいてほしかった、という思いもあります。しかし、それは思い上がりだったのかもしれません。

 

「言葉」にして思いを伝えることは、態度で伝えることと同じくらい大切なのだと思います。

 

今日のような「勉強空間」に感動させられながらも、もっと早く話をすればよかったという反省もあります。

 

 

正直にいえば、こういう話をしてしまうと、今後の授業は少しやりづらくなります。

まあ、それでも、本心が伝わってくれれば、その甲斐があったと思えます。

 

 

 

 

 

話は全く変わるのですが、以前、オーストリアからの留学生の友人に、

 

「機嫌がいい」と「機嫌が悪い」

「気分がいい」と「気分が悪い」

「気持ちがいい」と「気持ちが悪い」

 

という表現は、それぞれどう異なっているのか、ときかれて、説明に窮したことを思い出しました。

 

みなさんだったら、どう答えますか?

 

 (ivy 松村)

 

高校の大学合格実績の話⑤

週刊誌の記載によれば、西高の2015年度の早稲田大学合格者数は192人となっています。これは、驚嘆すべき数字です。しかし、西高校がホームページで公表している早稲田大学の合格者数は184人となっています。

 

つまり、西高は、早稲田大学の合格実績を、大幅に「下方修正」したことになります。

 

通常なるべく高く見積もられるはずの早稲田大学の合格実績が「下方修正」されたことも驚きですが、その数値が「-8」と、かなり大きな変動を示していることにもびっくりさせられます。

 

しかし、184人という合格者数であっても、それは、今年の早大合格者の「高校別ランキング」でトップ3に入る驚異的な実績です。

ちなみに、「インターエデュ」などのインターネットサイトでは、186人という数字も見られます。

 

ここまでの話であれば、週刊誌と高校が公表する合格者数は違っているかもしれないので、気をつけよう(何に?)、という話で終わりなのですが、さらに続きがあります。

 

 

『週刊朝日』の2015年5月8・15日号で、私立大学の「実合格者数」が確認できます。

のべ人数ではなく、1人で複数の学部・学科に合格しても、合格者を1名としてカウントした「実合格者数」を掲載しているのです。

 

 

それによれば、西高の早稲田大学の「実合格者数」は108人です。

 

ですから、184人の「のべ合格者数」のうち76人は、合格者が重複しているのです。

 

「のべ合格者数」にしめる「実合格者数」の割合は、58.7パーセントです。

また、当初の週刊誌の記載されていた192人をもとに計算すれば、56.3パーセントとなります。

 

 

この数字をどうとらえるべきなのでしょう。

 

早稲田大学の合格者数が多い高校のうち、「実合格者数」の把握できない開成高校や神奈川の湘南高校などを除き、主な高校の「のべ合格者数」とそのうち「実合格者数」が占める割合を出してみます。(調査の手間もあるので、週刊誌ベースの「のべ合格者数」を記載します。)

 

 

都立西 192 56.3%
渋谷教育学園幕張 189 85.2%
女子学学院 181 61.3%
豊島岡 181 71.8%
東京学芸大附属 165 75.2%
本郷 156 60.3%
開智 155 64.5%
県立千葉 153 71.2%
浅野 148 75.7%
市川 142 69.0%
県立横浜翠嵐 136 75.0%
桜蔭 129 70.5%

 

 

全体として、いくつかの私立高校で「実合格者割合」が低くなることが見てとれるのですが、都立高校である西高の「実合格者割合」は、やはり、異質です。

 

また、いくつかの高校で「のべ合格者数」が抑えられているのは、別のカウント様式で合格者数を数えているからなのかも知れません。

 

 

 

 

ある可能性について考えてみました。これは、ただの推察です。

 

 

日比谷高校や戸山高校は、早稲田大学の合格者のうち、現役生の占める割合が高くなっています。今年は、日比谷は63.2パーセント、戸山は59.8パーセントです。(国高は54.5パーセントで、ちょっと気になる数字です。)

 

現役生の方が、浪人生よりもたくさん合格しているということです。

それは、ある意味自然なことであるといえます。現役生の人数のほうが、浪人生の数よりも多くなるはずですから。

 

ところが、西高の場合、早稲田大学の合格者のうち、現役生が占める割合が49.5パーセントとなっており、浪人生の「活躍」がみてとれます。

 

さらに気になるのは、西高が公表している昨年の合格者数のデータです。

144人の合格者のうち、現役生は54人となっており、合格者全体に占める現役生の割合は37.5パーセントと、今年以上に極端に低くなっています。これは西高の「伝統」なのでしょうか。

 

 

以下のような考えを導くことができます。

 

西高を卒業した浪人生は、早稲田大学入試おいて、多くの合格をつかんでいます。

 

そして、「のべ合格者」と「実合格者」の差が非常に大きいということは、一人で複数の合格を果たしているケースが多いということがうかがえます。

 

以上のことから、西高を卒業した1人ないし複数の浪人生が、早稲田大学の合格を「稼いでいる」のではないかという「推論」が成り立ちます。

 

これはただの推察です。

もちろん、数値に間違いがあれば、この「推論」は破綻します。

 

 

192人から、184人への「下方修正」が気になります。

昨年の段階で、西高の先生は、「何か」に気づき、さすがに見逃せないと、考えたということもありえるのかな、と思います。(もちろん、ただの集計ミスを修正しただけの可能性もありますが。)

 

 

もし、仮に「推論」通りであったとしても、当然、そうした受験のありかたは、西高校の先生方の指導によるものではないはずです。このことには、強く注意を喚起したいと思います。

 

 

 

私は、塾・予備校の人間が、どのようにして受験生に声をかけるのか、想像がつきます。

 

 

例えば、東京大学を志望している受験生が、センターテストで、まずい状況になってしまったとき。

 

まだ、受験は終わってないぞ。来年あらためて、挑戦しよう。今年は、来年に向けて「合格力」をつけるために、ランクを下げて国公立大学を受けておこう。

 

君は優秀だから、特待生として当予備校に通うことができるようにしてあげよう。合格した大学に進学するより、浪人して苦労したほうがいい。

 

~10ヶ月後~

 

君のために熱心に指導してきた当予備校から、君にお願いがあります。早稲田大学の「センター試験利用入試」を受けてくれませんか。もちろん、受験料はこちらが出します。君は、名前を貸してくれるだけでいいのです。

 

 

 

(このストーリーは、私の豊かな想像力の産物です。テンションが上がって、久しぶりに妄想が爆発してしまいました。)

 

 

 

 

実は、当初は、週刊誌の情報を用いて、私立高校の合格実績について分析してみようと思っていました。

しかし、ちょっと問題がありそうだな、と思ったので、都立高校をサンプルにしていろいろ考えてみることにしました。

 

 

 

受験産業は、本当に「ハリボテ」の山です。

そんな虚無の中でうごめいている身としては、週刊誌の情報はとてもありがたいです。

 

でも、自分も、世の中も、塾の人間も、受験生も・・・「数字」に踊らされているのではないか、と思うことがあります。

 

 

「数字」という情報は「客観的」ですから、とにかく信頼したくなります。

ですが、「数字」には、人に「心」を失わせる効力があると思っています。

 

「数字」の裏側や「外側」を見なければ、ものごとの本当の姿は見えないと思います。

 

高校や大学の価値を「数字」で決めるのは、ちょっと「単純すぎる」かもしれません。

 

 

「数字を見つつ、数字を見ない」というのが、理想なのかな、と個人的には思っています。

 

 (ivy 松村)

 

高校の大学合格実績の話④

『週刊朝日』』『サンデー毎日が毎年特集している高校別大学合格者数の数字は、両紙ともほぼ同じですが、たまに、違っていることもあります。

 

たとえば、本年度の国立高校の東大の合格者は、4月17日号の『週刊朝日』では19人、4月19日号の『サンデー毎日』では20人となっています。

これは、入力ミスなどの可能性もありますが、おそらく、『週刊朝日』の取材が先に行われ、そのときには19人の合格者が確認でき、その後さらに1人の合格者が確認され、合計20人となったあとで、『サンデー毎日』の取材が行われたのではないかと推察できます。

 

ですから、日付通りに、『週刊朝日』の方が早い時期に取材をしているのだと思われます。

まあ、ただ、それだけのことですが。

 

 

 

合格実績の取材時期、あるいは確認時期というのは、なかなか難しいですね。

時期によって、数が「変化」するからです。

「速報」をチェックするだけでは十分ではないときもあります。

 

 

一部の高校では違っているのかも知れませんが、普通の高校では、受験生の報告を受けて、合格者数をカウントします。

ですから、特に、高校と疎遠になっている浪人生がいて、結果の報告をすぐにしなかったような場合には、数日後、ときには数週間後にならなければその結果が実績に反映されないこともあります。

 

 

毎年週刊誌が特集する「出身高校別大学合格者数」は、世間の関心を集めます。

塾・予備校関係者はもちろん、「大学入試ファン」「大学受験マニア」とも呼ぶべき人たちも注目しています。

 

私は、大学は、受験生の出身高校の情報を持っているのだから、それを集計して公表すればいいのに、と思っています。(まあ、そうなると週刊誌と、一部の高校は困ってしまいますが。)

 

 

週刊誌の取材のあとで、ほとんどの高校が実績を修正しています。

ですから、高校のホームページなどで閲覧できる合格者数は、週刊誌に載っていた数字とは違っていることもしばしばあります。

 

さて、上記のような理由で、大学合格者数は「上方修正」されることが多いのですが、ときに、「下方修正」されることもあります。

 

 

青山高校の2015年度の合格者数の推移を見てみましょう。青山は、「上方修正」のみ行われました。

(「修正」のあった国公立大学と早慶上理MARCH)

 

「修正」のあった大学と、高校側が公式に発表している合格者数、そして( )の中に週刊誌に記載されていた数字からの増減を表示します。

 

横浜市立大 7人(+1)

早稲田大 95人(+8)

慶應義塾大 45人(+9)

上智大 15人(+2)

東京理科大 60人(+1)

明治大 119人(+1)

青山学院大 43人(+2)

立教大 75人(0)

中央大 34人(0)

法政大 49人(0)

 

 

基本的には、ほとんどの高校で、週刊誌に掲載されたものと同じ数字か、加算された数字へと「修正」されています。

 

 

日比谷高校は、特殊な事例といえるかもしれません。

昨年もそうでしたが、今年も大幅に「下方修正」されています。

もちろん、「上方修正」もありましたが、それとともに、国公立大学と MARCHの合格実績を自ら下げているのです。

 

 

筑波大 10人(-2)

埼玉大 3人(+1)

千葉大 16人(+3)

東京海洋大 0人(-1)

東京農工大 4人(+1)

首都大学東京 2人(-1)

横浜国立大 9人(-1)

横浜市立大 2人(-1)

早稲田大 155人(0)

慶應義塾大 131人(+9)

上智大 43人(-9)

東京理科大 74人(-8)

明治大 109人(-11)

青山学院大 30人(-2)

立教大 35人(-6)

中央大 37人(-5)

法政大 21人(-3)

 

 

日比谷高校の公表している合格実績は、「5月8日現在」のものとなっています。

どうして「下方修正」がなされるのかはちょっとよくわからないのですが、もしかすると、日比谷高校の先生方が、「合格者」としてカウントするべきではないと判断した「合格」というものがあったのかもしれません。

他の高校とは違う「不利なものさし」で、あえて合格実績を計り直しているのかもしれません。

 

国公立大学で「下方修正」された大学の「ランク」が少し気になりますね。

 

 

 

私立高校では、やはり「上方修正」される傾向が強いです。

 

 

都立高校で、日比谷と同じように今年の実績に「下方修正」があったのは、戸山、国立、西です。

 

戸山高校は首都大と早慶上智で「上方修正」、東京理科大とMARCHで「-43」の「下方修正」がありました。国立高校は、上記の東大「+1」に加え、東京農工大で「+1」、明治大、青山学院大でそれぞれ「-1」がありました。

 

西高校は、千葉大、東京学芸大、横浜国立大でそれぞれ「+1」、慶應大「+12」、上智大「+2」、東京理科大「+3」ですが、早稲田大で「-8」です。

 

 

西高校の早稲田大「-8」は非常に気になります。

他の私立大学の合格実績が「下方修正」されることはたまにありますが、早慶の合格者数が「下方修正」されるのは極めて珍しいケースです。

 

 

 (ivy 松村)

高校の大学合格実績の話③

『週刊朝日』は、毎年7月に、有名大学への現役の進学者数を掲載しています。

今年はまだ、掲載時期になっていません。昨年のデータを見てみたいと思います。

2014年7月4日号の『週刊朝日』に掲載された「全国1954高校の有名大学現役進学者数総覧」という記事です。

 

国公立大学進学者を比べてみましょう。

(現役進学者/現役合格者)

 

国立高校    136/136

日比谷高校   80/97

西高校     85/89

戸山高校  73/87

八王子東    113/116

立川高校    63/67

 

 

特筆すべきは、国立高校です。136人が現役で国公立大学に合格し、全員が合格した国公立大学に進学したということになっています。

136人合格、という「人数」も群を抜いていますが、驚くべきなのは、100パーセントの進学率です。

 

この数字が正しいものであるならば、国高の生徒で、合格を辞退する者はいなかったのだということになります。

つまり、進学する意志のない大学受験を行う者はいなかったということです。

現役での進学にこだわりが感じられます。

 

国立高校は、「現役・国公立大学」志向が強いといえるでしょう。

 

ちなみに、この年の国立高校の「既卒」(浪人生、過年度生)の国公立大学の合格者数は95人です。

 

 

国高を、西、日比谷と比べて一段低く見る向きもありますが、大学受験トータルでみると、決して、2校に遜色のないことがわかります。

大学受験実績が語られる際には、象徴的な数字である東大・京大の合格者数が、どうしても中心になってしまいます。

しかし、実は、国立高校が最も強さを発揮するのは、これらの最難関の次のボリュームゾーンでの勝負なのです。地方旧帝大や、おひざ元である一橋大などの合格者数では、国高が他の2校を上回ります。

 

国高の大学受験指導には、堅実に合格を勝ち取ろうとする傾向があると思います。

 

 

今年2015年度、国立高校は国公立大学合格者の合計は、197人と発表しています。しかし、現役と既卒の合計の合格者数しか発表していません。

 

 

 

日比谷高校は、97人の現役の国公立大学合格者のうち、80人が国公立大学へ進学しました。しかし、日比谷高校が公表している資料では、2014年度の現役の国公立大学合格者数は103人となっています。

 

つまり、『週刊朝日』のデータによれば17人、日比谷高校の資料によれば23人もの入学辞退者がいたことになります。

中には、東京外語大、筑波大、千葉大、横浜国立大などの合格者で、入学を辞退している者もいます。

そのうちの何人かは、もしかしたら、さらに上の大学を狙っていたけれども、センターテストの得点の影響で、2次試験を受ける大学のランクを下げざるをえなかったのかもしれません。あるいは、前期のみの受験に敗れたのかもしれません。

そのために、合格しても、入学しないという選択をした可能性があります。

 

その仮定の上に立つならば、日比谷は、妥協せず、何としてでも最上位の大学に進学するのだという、強い意志のもとに大学受験を戦う生徒が多いのだとみることができます。

 

今年2015年度は、日比谷高校が公表している国公立大学の合格者数は、現役107人、既卒75人で、合計182人となっています。

 

 

 

 

私立大学を見てみましょう。やはり、昨年度の2014年度のデータです。

(現役進学者/現役合格者)

 

国立高校  ・早稲田大学 16/56 ・慶應大学 8/26

西高校   ・早稲田大学 11/54 ・慶應大学 18/41

日比谷高校 ・早稲田大学 23/108 ・慶應大学 23/69

戸山高校  ・早稲田大学 37/69 ・慶應大学 12/25

八王子東高校・早稲田大学 10/31 ・慶應大学 4/15

立川高校  ・早稲田大学 16/40 ・慶應大学 8/17

 

 

これは、各高校が公表している早稲田大学と慶応大学の現役合格者数と、『週刊朝日』に掲載された現役進学者数を並べたものです。浪人生を含めた合格者数はこれよりも多くなります。

 

早稲田大学や慶応大学に合格しても、進学するのは、多くても半数程程度です。もちろん、複数の学部・学科に合格した受験生もいるでしょうが、国公立大学と比べて、入学率が低いと一目瞭然にしてわかります。

 

 

 

早稲田大学の合格者数が慶應大学よりも多くなっています。

これは、早稲田大学の方が、規模が大きく募集人数が多いために合格者の絶対数が多くなるためです。さらに、早稲田大学は、「センター試験利用入試」で受験者を集め、より多くの合格者を出しているという背景もあります。

 

一方、慶應大学は、「センター試験利用入試」を行っておらず、一般入試でも試験科目に小論文を課す学部が多くあります。

したがって、センター試験のための勉強がそのまま入試対策となる早稲田大学の「センター試験利用入試」に比べて、慶應大学の受験のハードルは高くなります。

 

国公立志向の強い国立高校からの慶應大学への合格者数は、西や日比谷よりもずいぶん少なくなっています。それは、上記のような理由で受験者が少ないためかもしれません。

 

 

 

話はそれますが、近年、慶應大学の「ブランド力」が早稲田大学のそれを突き放しつつあります。「早慶」と並び称されている両大学ですが、慶應の「一強」時代になっていくのかもしれません。

 

90年代頃までは、早稲田大学の方が優勢でした。

文学者や文化人、芸能人を数多く輩出した文化的伝統を持ち、自由で独創的な校風を持つ早稲田大学は多くの人をひきつけました。

 

2000年代に入ってから、じわじわと差がついてきたように思います。慶應は、SFCの設置、AO入試の導入など、世間の耳目を集める改革や実験的な試みを意欲的に行ってきました。

小泉さんが首相になり、そのときに新札が発行されたのもいいタイミングでした。

 

それに対して、早稲田大学は、人気芸能人の入学、野球人気などでは、一時話題になることはありましたが、大学の「価値」を引き上げることにはつながっていなかった印象です。むしろ、学生が事件を起こして大きく報道されたり、大学運営や新しい学部の設置に疑問の声が多く上がったりと、逆風が強くなっていきました。

さらに、博士論文の審査に重大な問題があったと思わせる一連の事件によって、研究機関としての権威も傷つけられてしまいました。

 

 

慶應大学の強みは、「就職に強い」ということです。

慶應大学はネームバリューも社会的信用も非常に高く、その「威信」は、もちろん就職に有利です。

しかし、それだけではなく、慶應大学生というつながり、ネットワークが、人生を通して貴重な財産となるのです。

 

慶應大学の「魅力」は、連帯感、仲間意識だといわれています。

就職活動も、サークル、ゼミなどのメンバーが一丸となって協力し合って、行うことが多いのだそうです。OBやOGも積極的にバックアップしてくれるそうです。

そして、社会に出てからも、同じ大学を出たというつながりに、非常に助けられることが多いのだそうです。

 

慶應大学の同窓会組織である「三田会」のことが、メディアでとりあげられることが多くなりました。

 

 

早稲田大と慶応大の同系の学部・学科に「ダブル合格」を果たした学生がどちらの大学を選ぶのか、をみても、やはり慶應の方が総合的に優位になっています。

 

 

今の時代と、早稲田の、個性を重んじ、自由と冒険を求め、雑多と熱気を愛する気風には少しギャップがあるのかもしれません。

 

今の時代には、慶應大学のカラーが合っているのだと思います。

 

 

 

(こういうことを書いてしまうと、早稲田大学出身の人はあまり気分がよくないとは思いますが、実は、私の母の母校は早稲田大学なので、誠に勝手ながら早稲田大学にはいくばくかのシンパシーを感じているのです。

それで、ぜひ、がんばってほしいと思いながら。)

 

(ivy 松村)