「勉強の王道」

今日、明日が中間テストの日程となっている中学校もありますが、多くの中学で今週の後半に中間テストが実施されます。また、来週以降に中間テストが始まる中学もあります。

 

今日は、中2は授業のない日でしたが、ほとんどの生徒が自習に来ていました。

 

やっと「テスト勉強」というものが見えてきたようです。

 

 

実は昨日、中2にはかなり強めに「テスト勉強」の取り組みについて、注意しました。

 

2週間前に、中間テストで点数を上げるためにどうやって勉強を進めていくのかを、ていねいに、じっくり時間をかけて説明しました。

 

 

結論からいえば、ほとんどの生徒がそれをおろそかにしていて、いい加減な「テスト勉強」をしていたということです。

 

 

「時間と労力と脳を使って勉強をしなければ、学力はあがりません。」

 

 

今日の取り組みにはそれぞれの「意志」が感じられました。

一人ひとり、とてもよい時間を過ごせたはずです。

 

 

 

「何をやればいいか」ということを、その度ごとにいちいち考えて、「じゃあ、あれでもやるか」というような、ふわふわした意識でやっていても、ろくな「勉強時間」は過ごせません。

 

この教科のテスト勉強はこうやる、と決めて、ひたすらそれに取り組む方が、圧倒的に効果的な勉強ができます。

 

どうしようか、なにしようか、と考えている無駄な時間がありません。

そして、取り組みを始めた瞬間から、瞬時に集中できるはずです。

 

 

「テスト勉強」は「自動的」であるほうがいいのです。

面倒がったり、迷ったり、ボーとしたりといった非生産的な状態を失くすことができるからです。

 

 

 

「たくさんの量をこなす」のを嫌がる人は「本質的に頭が悪い」という話をしました。

 

学校の定期テストというものには「出題範囲」があります。

その「出題範囲」の単元を全て理解し、完璧に覚えようと取り組むことが「テスト勉強」です。

 

自分で勝手に内容を薄めたり、「中抜き」をしたりすれば、得点が落ちるに決まっています。

 

 

そもそも「たくさん」であるという認識は、主観的なものです。

自分を基準にして、勝手に「たくさん」であると決めつけ、それを理由にして、勉強しない自分を正当化しようとしているわけです。

 

 

9月に入ってから、ずっと言い続けています。

「テスト勉強」とは、手を抜かずに、「出題範囲」を「つぶしていく」ことです。

 

 

 

テストに出そうなところを教えてもらって、なるべく「短時間」で「楽に」点数を取らせてもらうのが「テスト勉強」だと勘違いしている人が、世の中には大勢います。

 

愚かな考えですよね。

 

彼らには目標さえありません。

なるべく簡単に「それなり」の点数が取れたらそれでいいと思っているのです。

「高い点数を目標にすると、その分、努力しなければならなくなるのが嫌だ」というような、腐った発想に、本気でとらわれています。

 

 

できれば、そんな、醜くだらしなく人のためにではなく、真剣に取り組んでいる人のために時間を割いてあげたいと考えます。

これは、人間としてまっとうな感情であると、理解してもらえると思っています。

 

 

 

今からでも、正しい勉強を始めなさい、といっています。

 

ダラダラと教科書や答えを見ながら問題の穴埋めをやるよりも、確実に点数が上がります。

 

 

時間をかけて取り組む決断をすること、鉛筆を動かして知識を脳に入れていくこと、問題を解きながら自分に知識が身についているのかをしっかり確認すること、間違えた問題に関する知識をもう一度取り入れていくこと。

 

 

 

「勉強の王道」というものが、確かにあります。

 

「勉強の王道」を歩んでください。

 

「効率」や「小ズルさ」を自慢するのは、器の小さな人間のすることです。

誇るべき道を歩んでください。

 

 

もちろん、「受験」の最前線には、小手先のテクニックが無数にあります。

でも、それは、きみたちには、今は必要ありません。

いつか、そのすべてをきみたちに伝えましょう。

 

 

今は、自分を成長させてくれる進路に、一歩一歩、足を踏み下ろして行くときです。

 

 

「勉強の王道」を歩んでください。

 

(ivy 松村)

 

中1国語 教科書解説「星の花が降るころに」

「星の花が降るころに」  安東みきえ

 

 

※去年の秋・・・夏美と二人で銀木犀の花が散るのを眺めた。

 

(夏美と仲がよく、親密だったころの楽しい思い出)

(銀木犀は夏美との思い出の象徴)

 

 

※昼休み・・・戸部君に話しかけられる

 

「戸部君」→「わけがわからない。」「私だってわからない。」

(戸部君に対していらだつ気持ち)

 

「なんで戸部君はいつも私にからんでくるのか。なんで同じ塾に入ってくるのか。何でサッカー部なのに先輩のように格好よくないのか。」

(戸部君が自分と仲よくなりたがっていることに気づいている)

(戸部君に「格好よい」態度をして欲しいと思っている・・・少し戸部君のことを意識している)

 

 

※廊下に向かった

 

「今日こそは(夏美と)仲直りをすると決めてきたのだ。」

 

・・・「何度か小さなすれ違いや誤解が重なるうち、別々に帰るようになってしまった。」

 

「お守りみたいな小さなビニール袋をポケットの上からそっとなでた。」

(仲直りできるようにと祈る気持ち)

 

 

「夏美だって、私から言いだすのをきっと待っているはずだ。」

(必ず仲直りできると信じる気持ち)

 

 

※夏美がこちらに向かってくる

 

「私は自分の心臓がどこにあるのかはっきりわかった。」

(とても緊張している様子)

 

 

※夏美が私から背を向けた。

 

「音のないこま送りの影像を見ているように、変に長く感じられた。」

(夏美に無視されて、ショックを受けぼうぜんとする様子)

 

 

※戸部君に見られていたいことに気づく。

 

「きまりが悪くてはじかれたようにその場を離れると、窓に駆け寄って下をのぞいた。」

「私は外にいる友達を探しているふうに熱心に下を眺めた。」

(「ひどい顔」を見られたくないから)

 

 

※放課後、戸部君を探す

 

「毛穴という毛穴から魂がぬるぬると溶け出してしまいそうに暑かった」

(「不快な心情」を表している)

 

 

戸部君が夏美とのことをどこまでわかっているのか探っておきたかった。

 

「弱みを握られた気分になり、八つ当たりとわかっていてもにくらしくてしかたがなかった。」

 

 

※戸部君が一人でボールをみがいているのを見つける

 

戸部君の言葉「(サッカーボールは)使いたいときだけ使って、手入れをしないでいるのはだめなんだ」

 

→人間関係も、同じ!という作者のメッセージを読み取ろう

・・・いっしょにいたいときだけいっしょにいて、お互いを気にかけたり声をかけあったりしないでいると「だめ」になる

 

「黙々とボールみがきをしている戸部君を見ていたら、なんだか急に自分の考えていたことがひどく小さく、くだらないことに思えてきた。」

 

→心情の変化に注目!

 

※水道の水をぱしゃぱしゃと顔にかけた

 

 

「溶け出していた魂がもう一度引っ込み、やっと顔の輪郭が戻ってきたような気がした。」

(こころが落ち着いてきた)

 

 

戸部君の声・・・「ずっと耳になじんでいた声」

(戸部君のことを不快に感じていない)

 

 

「おまえはおれを意外とハンサムだと思ったことが――あたかもしれない。」

(「私」を笑わせて、はげまそうとしている)

 

「やっぱり戸部君って、わけがわからない。」

 

→最初の「わけがわからない。」とは違って、「好感」を感じていることを押さえよう

 

 

「私より低かったはずの戸部君の背はいつのまにか私よりずっと高くなっている。」

(戸部君がすこし「格好よく」(ハンサムに)なっていることに気づく)

 

「涙がにじんできたのはあんまり笑いすぎたせいだ、たぶん。」

(戸部君の優しさが胸にしみて、元気を取り戻している)

 

 

※学校からの帰り

 

 

掃除をしているおばさん「(銀木犀は)どんどん古い葉っぱを落っことして、その代わりに新しい葉っぱをはやすんだよ。でなきゃあんた、木だって生きていけないよ。」

 

→古い思い出ばかりにこだわるのではなく、新しい気持ちで生きていくことも大切だ

 

 

「(夏美といっしょに拾った銀木犀の花が入っている)袋の口を開けて、星形の花を土の上にぱらぱらと落とした。」

(夏美のことばかり考えていた気持ちを吹っ切って、新しい気持ちで生きていこうという決意)

 

 

「大丈夫、きっと何とかやっていける。」

(前向きな気持ち)

 

 (ivy 松村)

 

 

国語 解説「敬語」(中2中間テスト解説)

「敬語」は、3つに分類できます。

 

 

・丁寧語(ていねいな表現)

・尊敬語(相手を「もち上げて」相手に敬意を表す)

・謙譲語(自分が「へりくだって」相手に敬意を表す)

 

 

 

◎丁寧語

 

※「です」「ます」

 

助動詞「です」「ます」の活用に注意しましょう。

 

「ません/ましょう/ました/ますれば/ませ(まし)」

「でしょう/でした」

 

・走る+丁寧+た →走りました

・走る+丁寧+ない+た →走りませんでした

・走る+丁寧+う →走るでしょう

・走る+丁寧+た+う  →走ったでしょう

・机++丁寧+た →机でした

・机+丁寧+ない+た →机ではありませんでした 

・寒い+丁寧+た →寒かったです

・寒い+丁寧+ない+た →寒くありませんでした(寒くなかったです)

 

※ある、いる→「ございます」「おります」

 

・ペンはあるか →ペンはありますか →ペンはございますか

・勉強している →勉強しています →勉強しております

 

 

形容詞に「ございます」を接続するときには、特別な活用をします。

これを「ウ音便」といいます。

 

熱い+ございます →熱ございます

美しい+ございます →美しゅうございます

 

 

※美化語

 

お菓子 お米 お弁当 ご飯 ご馳走

 

※こちら、そちら、あちら、どちら

 

 

 

◎尊敬語

 

「相手」、「話題の人」に対して用います。

 

 

①れる られる                      先生が話される

②お~になる お~なさる       先生が話になる。先生が話しなさる

③お~くださる くださる         先生が話しくださる。先生が話してくださる

④「いる」→いらっしゃる     先生が話していらっしゃる

⑤敬語動詞                               先生がおっしゃる

 

 

※ お名前  お言葉 ご予定 ご案内 ご結婚 ご入学

※ 先生 どなた こちら お父上  ~様

 

 

 

同じ「お」「ご」がつく言葉でも、「お茶」や「ご飯」は、自分に対しても、相手に対しても使えるものですね。

 

「お茶はいかがですか。」(相手に対して)

「お茶を飲みます。」(自分に対して)

 

このような場合は「丁寧語」になります。

 

一方、「お名前」「ご結婚」は自分に対しては使えません。

 

×「私のお名前は松村です。」

×「私はご結婚します。」

 

「相手」「話題の人」に対してのみ使うことができるものなので、これらは「尊敬語」ということになるのです。

 

 

 

◎謙譲語

 

「自分」「身内」に対して用います。

 

①お~する お~いたす                 私が見せます。父がいたします。

②お~申す(申し上げる)              見舞い申し上げます。

③あげる さしあげる                  部長に読んで差し上げる

④「もらう」→いただく               部長に読んでいただく

⑤拝~                                         先生の本を拝借する

⑥敬語動詞                                   父がご覧にいれます。

 

 

 

・謙譲語は「ます」などの丁寧語といっしょに用いることが多い。

 

 

※わたくし 粗品(つまらないもの) 愚息 小社 父 祖母 てまえども

 

 

自分や身内(家族)に対して、へりくだった言い方をします。

 

生徒のみなさんも、お家の人が知り合いにあいさつをするときに「出来の悪い息子(娘)ですが・・・」と言われることがあると思います。

 

もしかすると、「そんなことわざわざ言わなくてもいいのに・・・」と心の中で感じていた人もいるかもしれません。

 

あれは、「敬語」の一種ですよ。

お家の人は、日本文化のコミュニケーションのマナーに則って行動されているのです。

 

 

 

◎敬語動詞一覧

 

尊敬語 謙譲語
いる いらっしゃる おる
行く・来る いらっしゃる 参る
お越しになる
おいでになる
来る (お見えになる)
言う・話す おっしゃる 申す
仰せになる 申し上げる
思う・知る (ご存じ) 存じる
存じ上げる
着る 召す
くれる くださる
やる 差し上げる
進呈する
もらう お受けになる 頂戴する
賜る
頂く
食べる・飲む 召しあがる 頂く
する・行う なさる いたす
聞く (お聞きになる) 承る
拝聴する
伺う
尋ねる・訪問する 伺う
お邪魔する
寝る お休みになる  ―
見せる ご覧に入れる
お目にかける
会う お目にかかる
見る ご覧になる 拝見する
買う お求めになる  ―
知らせる お耳に入れる
借りる 拝借する
気に入る お気に召す
承諾する かしこまる
読む 拝読する
帰る 失礼する

 

 

 (ivy 松村)

 

国語 「難しい読みの熟語」

※おまけで、難しい読みの熟語を載せておきます。

 

いくつ知っているでしょうか?

 

 

網代 公家 蔵人 防人 双六 内裏 舎人 初詣
あじろ くげ くろうど さきもり すごろく だいり とねり はつもうで

 

法度 埴輪 判官 勾玉 行脚 稲荷 和尚 帰依
はっと はにわ ほうがん まがたま あんぎゃ いなり おしょう きえ

 

供養 建立 釈迦 神道 般若 菩薩 布袋 弥勒
くよう こんりゅう しゃか しんとう はんにゃ ぼさつ ほてい みろく

 

合羽 刺繍 灰汁 割烹 蒲鉾 惣菜 佃煮 麦酒
かっぱ ししゅう あく かっぽう かまぼこ そうざい つくだに ビール

 

饅頭 味噌 羊羹 硝子 箪笥 暖簾 団扇 剃刀
まんじゅう みそ ようかん ガラス たんす のれん うちわ かみそり

 

炬燵 独楽 財布 石鹸 雑巾 算盤 提灯 結納
こたつ こま さいふ せっけん ぞうきん そろばん ちょうちん ゆいのう

 

許嫁 曲者 下戸 末裔 稲妻 陽炎 夏至 時化
いいなずけ くせもの げこ まつえい いなずま かげろう げし しけ

 

黄昏 氷柱 冬至 生憎 欠伸 胡坐 天晴 如何
たそがれ つらら とうじ あいにく あくび あぐら あっぱれ いかん

 

漁火 所謂 産湯 思惑 気質 闊達 彼方 生粋
いさりび いわゆる うぶゆ おもわく かたぎ かったつ かなた きっすい

 

敬虔 怪訝 健気 流石 洒落 台詞 科白 団欒
けいけん けげん けなげ さすが しゃれ せりふ せりふ だんらん

 

何処 馴染 長閑 黒子 火傷 所以 烏賊 海老
どこ なじみ のどか ほくろ やけど ゆえん いか えび

 

牡蠣 蝸牛 河童 麒麟 孔雀 蜘蛛 海月 蝙蝠
かき かたつむり かっぱ きりん くじゃく くも くらげ こうもり

 

蜻蛉 河豚 時鳥 土竜 山羊 駱駝 栗鼠 南瓜
とんぼ ふぐ ほととぎす もぐら やぎ らくだ りす かぼちゃ

 

胡瓜 胡桃 胡麻 椎茸 西瓜 蕎麦 土筆 茄子
きゅうり くるみ ごま しいたけ すいか そば つくし なす

 

撫子 海苔 薔薇 葡萄 牡丹 蜜柑 百合 山葵
なでしこ のり ばら ぶどう ぼたん みかん ゆり わさび

 

 

(ivy 松村)

 

 

国語 解説「熟語の読み方」(中3中間テスト解説)

2字の熟語の読み方について考えてみましょう。

 

中3の中間テストで、「熟語の読み方」がテスト範囲に含まれている学校があります。

一学期にも解説を書きましたが、あらためて教科書の内容を反映させた解説を載せておきます。

 

 

漢字で構成された単語を「熟語」といいますが、2字で作られた熟語の読み方は2×2で、以下の4通り、さらに+1通りあります。

 

・音読み+音読み

・訓読み+訓読み

・音読み+訓読み (重箱読み)

・訓読み+音読み (湯桶読み)

 

・特別な読み(熟字訓)

 

 

 

①音読み+音読み

 

 

着陸 住居 沸騰 頒布 峡谷 発端 謁見 威嚇
チャクリク ジュウキョ フットウ ハンプ キョウコク ホッタン エッケン イカク
甲乙 崩壊 撲滅 硫酸 人間 空間 機械 親友
コウオツ ホウカイ ボクメツ リュウサン ニンゲン クウカン キカイ シンユウ

 

胃腸 天然 殺生 宿敵 損得 駅長 熱湯 着陸
イチョウ テンネン セッショウ シュクテキ ソントク エキチョウ ネットウ チャクリク

 

 

 

 

②訓読み+訓読み

 

 

着物 居間 外堀 垣根 干潟 浅瀬 繭玉 歌声
きもの いま そとぼり かきね ひがた あさせ まゆだま うたごえ

 

花火 雪国 手紙 浜辺 菜種 上着 水際 小型
はなび ゆきぐに てがみ はまべ なたね うわぎ みずぎわ こがた

 

街角 屋根 常夏 十日 毛糸 山桜 石畳 野原
まちかど やね とこなつ とおか けいと やまざくら いしだたみ のはら

 

 

日本語は、言葉が連なるときに、後ろに連なる語に「〃」が付くことがあります。

「カ行」→「ガ行」、「サ行」→「ザ行」、「タ行」→「ダ行」「ハ行」→「バ行」へと音の変化が起こります。

これを「連濁」といいます。

 

たとえば、「堀」は「ほり」という音ですが、「外堀」のように別の語の後ろに連なるときには「ぼり」という発音になりますね。

 

その他にも語の連なりによって起こる音の変化がありますので、気を付けましょう。

 

 

 

③音読み+訓読み (重箱読み)

 

 

仕事 本物 気軽 別棟 素直 錠前 碁石 客間
シごと ホンもの キがる ベツむね スなお ジョウまえ ゴいし キャクま

 

献立 絵筆 味方 本箱 素顔 地元 番組 毎朝
コンだて エふで ミかた ホンばこ スで ジもと バンぐみ マイあさ

 

両手 額縁 縁側 役場 札束 王様 茶畑 試合
リョウて ガクぶち エンがわ ヤクば サツたば オウさま チャばたけ シあい

 

台所 新芽 本棚 缶詰 雑木 楽屋 客間 献立
ダイどころ シンめ ホンだな カンづめ ゾウき ガクや キャクま コンだて

 

無口 幕内 銀色 両替 蛇口 職場 親身 粗品
ムくち マクうち ギンいろ リョウがえ ジャぐち ショクば シンみ ソしな

 

 

 

④訓読み+音読み (湯桶読み)

 

 

夕刊 手本 荷物 枠内 喪中 切符 見本 合図
ゆうカン てホン にモツ わくナイ もチュウ きっプ みホン あいズ

 

雨具 相性 荷物 野宿 消印 強気 手帳 関所
あまグ あいショウ にモツ のジュク けしイン つよキ てチョウ せきショ

 

湯気 店番 悪気 指図 影絵 古本 稲作 場所
ゆゲ みせバン わるギ さしズ かげエ ふるホン いなサク ばショ

 

屋台 道順 株券 裏門 豚肉 赤字 黒幕 油絵
やタイ みちジュン かぶケン うらモン ぶたニク あかジ くろマク あぶらエ

 

 

 

※複数の読み方をする熟語

 

 

上手 明日 年月 大事 人気 大家 風車 利益
 かみて

うわて

じょうず

ミョウニチ

あす

ネンゲツ

としつき

ダイジ

おおごと

ニンキ

ひとケ

タイカ

おおや

フウシャ

かざぐるま

リエキ

リヤク

 

 国境 生地 生物 色紙 寒気 見物 草原 市場
コッキョウ

くにざかい

セイチ

きジ

セイブツ

なまもの

シキシ

いろがみ

さむケ

カンキ

ケンブツ

みもの

ソウゲン

くさはら

シジョウ

いちば

 

 

 

 

※熟字訓

 

 

明日 今年 五月雨 白髪 梅雨 吹雪 乙女 雪崩
あす ことし さみだれ しらが つゆ ふぶき おとめ なだれ

 

相撲 硫黄 山車 太刀 七夕 足袋 読経 名残
すもう いおう だし たち たなばた たび どきょう なごり

 

雪崩 日和 吹雪 土産 眼鏡 乳母 小豆 海女
なだれ ひより ふぶき みやげ めがね うば あずき あま

 

田舎 河岸 風邪 為替 玄人 時雨 清水 砂利
いなか かし かぜ かわせ くろうと しぐれ しみず じゃり

 

大和 銀杏 桟敷 神楽 投網 寄席 浴衣 仲人
やまと いちょう さじき かぐら とあみ よせ ゆかた なこうど

 

素人 玄人 雑魚 母屋 師走 祝詞 猛者 蚊帳
しろうと くろうと ざこ おもや しわす のりと もさ かや

 

竹刀 景色 数珠 築山 木綿 十重 若人 行方
しない けしき じゅず つきやま もめん とえ わこうど ゆくえ

 

早苗 芝生 野良 老舗 草履 尻尾 鍛冶 固唾
さなえ しばふ のら しにせ ぞうり しっぽ かじ かたず

 

居士 弥生 海原 息吹 稚児 土産 紅葉 上手
こじ やよい うなばら いぶき ちご みやげ もみじ じょうず

 

 

しっかり復習しておきましょう。

 

 

(ivy 松村)

 

 

国語 解説「漢字の音訓」

漢字には主に2通りの発音があります。「音読み」と「訓読み」です。

 

・音読み……昔の中国語の発音を再現した読み方

・訓読み……漢字の意味にそった日本語をあてた

 

 

音読みは、「古代中国語」の発音ですから、いってみれば「外国語」ということになります。

ですから、その発音は「日本語の意味」を表していません。

「読み」から意味を類推することができない読み方が、基本的には音読みです。

 

 

訓読みは、昔からある日本語を書き表すのに漢字を用いたものです。

同じ意味内容を持った日本語と漢字を結びつけて、日本語の発音で漢字を読んでいるものです。

つまり、外国の文字である漢字を、日本語を書き表すのに利用しているということになります。

「読み」から意味を類推することができる読み方が、基本的には訓読みです。

 

 

音読み サン セン ソウ モク・ボク ジン・ニン ニチ・ジツ
漢字
訓読み やま かわ くさ ひと

 

 

「サン」と言われても何のことだか迷ってしまいます。

しかし、「やま」と言われれば、隆起した地形や岩土の盛り上がりのことだと了解できます。

 

音読みは、読みが示す「対象」をイメージすることができません。

一方、訓読みは、読みと意味内容が一致しているということになりますね。

 

 

 

ただし、注意が必要です。

長い歴史の中で、音読みの語彙が、日本の生活や文化の中に根付き、身近なものとなっていることがらについて、音読みであるにもかかわらず、訓読みであると勘違いしてしまうことがあります。

 

たとえば、「茶」という漢字は「チャ」という音読みしかありませんが、これを訓読みであると思い込んでいる人もいるかもしれません。

「茶」という飲み物、あるいは植物は、日本文化あるいは日本人にとって、あまりにも身近なものとなってしまっているので、「日本語の発音」のように感じてしまっているのです。

 

 

反面、音節の短い訓読みなどは音読みと間違えやすいので注意しましょう。

 

 

 

◆訓読みと間違いやすい音読み

 

茶(チャ) 肉(ニク) 本(ホン) 絵(エ) 客(キャク)  気(キ)  服(フク) 券(ケン) 札(サツ)

駅(エキ) 番(バン) 菊(キク) 王(オウ) 台(ダイ) 列(レツ) 席(セキ) 具(グ) 区(ク)

恩(オン) 会(カイ) 経(キョウ) 曲(キョク) 軍(グン) 師(シ) 賞(ショウ) 情(ジョウ) 図(ズ)

税(ゼイ) 象(ゾウ) 台(ダイ) 段(ダン) 敵(テキ) 毒(ドク) 熱(ネツ) 票(ヒョウ) 棒(ボウ)

門(モン) 役(ヤク) 漁(リョウ) 礼(レイ) 列(レツ) 和(ワ)  差(サ) 半(ハン)  損(ソン)

得(トク) 楽(ラク) 苦(ク) 死(シ)  欲(ヨク) 愛(アイ)  徳(トク) 悪(アク)  天(テン) 地(チ)

陸(リク) 脳(ノウ) 肺(ハイ)  胃(イ)  液(エキ) 骨(コツ)  脈(ミャク) 金(キン) 銀(ギン)

鉄(テツ) 年(ネン)  週(シュウ) 晩(バン) 別(ベツ)  逆(ギャク) 式(シキ)  線(セン)

円(エン) 辺(ヘン) 点(テン) 角(カク)  球(キュウ) 劇(ゲキ) 詩(シ)  芸(ゲイ)

一(イチ) 二(ニ) 三(サン) 四(シ) 五(ゴ) 六(ロク) 七(シチ) 八(ハチ) 九(キュウ)

十(ジュウ) 百(ヒャク) 千(セン) 万(マン)

など。

 

◆音読みと間違えやすい訓読み

 

相(あい) 天(あま) 息(いき) 市(いち) 初(うい) 魚(うお) 氏(うじ) 内(うち) 産(うぶ)

上(うわ) 重(え) 小(お) 大(だい) 主(おも) 面(おも) 折(おり) 日(か・ひ) 貝(かい)

角(かど) 門(かど) 金(かな) 株(かぶ) 神(かん) 生(き) 黄(き) 君(きみ) 際(きわ) 毛(け)

小(こ) 木(こ) 粉(こ) 言(こと) 事(こと) 異(こと) 声(こわ) 逆(さか) 酒(さか)

幸(さち) 路(じ) 品(しな) 下(しも) 代(しろ) 州(す) 巣(す) 助(すけ) 背(せ・せい)

関(せき) 銭(ぜに) 手(た) 束(たば) 度(たび) 血(ち) 乳(ち) 常(つね) 角(つの) 面(つら)

十(と) 戸(と) 常(とこ) 共(とも) 供(とも) 問(とん) 名(な) 菜(な) 何(なに・なん) 荷(に)

新(にい) 主(ぬし) 音(ね) 野(の) 羽(は) 葉(は) 歯(は) 場(ば) 畑(はた) 機(はた) 初(はつ)

辺(べ) 火(ほ) 程(ほど) 目(ま) 真(ま) 身(み) 実(み) 群(むら) 室(むろ) 女(め) 矢(や)

屋(や) 家(や) 湯(ゆ) 世(よ) 代(よ) 夜(よ) 我(わ) 輪(わ)

など。

 

 

「音読み」「訓読み」をしっかり見分けられるようになりましょう。

 

(ivy 松村)

 

 

連絡「中間テスト対策」開校日

中間テスト対策特訓のお知らせです。

 

日時:

9月26日(土)

9月27日(日)

 

10月3日(土)

10月4日(日)

 

 

時間:

14:00~22:00

 

 

来週に定期テストがひかえている中学の生徒は、まとまった時間を使って直前対策を行うことができる最後の週末になります。

 

再来週が中間テストの日程となっている中学も、本腰を入れて復習を始める時期になっています。

 

中間テストの実施がまだ3週間以上先の中学もありますが、早くテスト勉強を始めて、損をすることはひとつもありません。

 

中間テストが終わっている中学の生徒は、英検の勉強や月例テストに向けた復習をしましょう。

 

小学生の参加も大歓迎です。

 

 

 

中間テスト日程:

 

※川口中 9/29(火)、9/30(水)

 

※横山中 10/1(木)、10/2(金)

 

※打越中 10/1(木)、10/2(金)

 

※加住中 10/1(木)、10/2(金)

 

※日野一中 10/2(金)

 

※ひよどり山中 10/5(月)、10/6(火)

 

※日野四中 10/6(火)、10/7(水)

 

※平山中 10/6(火)、10/7(水)

 

※七生中 10/9(金)

 

〈英語検定 10/10(土)〉

 

※日野二中 10/14(水)、10/15(木)

 

 

 

がんばりましょう。

 

 (ivy 松村)

中1国語 教科書解説「はじめての詩」「詩四編」

◎「はじめての詩」 荒川洋治

 

 

※文章の構成「起承転結」

 

・「起」・・・中学のころ、「山林に自由存す」に出会った

・「承」・・・家の周囲にある松林に中で、「山林」を感じ、詩をつくった

・「転」・・・詩の中の「山林」と自分の「松林」は同じではないと気づく

・「結」・・・文学の言葉は、普通のものではないので、普段見えないものが見えてくる

 

 

 

・中学生になってから、国木田独歩の詩「山林に自由存す」を読んだ。

 

・「この僕の所にある松林こそ「松林」なのだ、これはうれしと思った。」

・「遠くにあるものではなくて、今ここにあるものを摘み取られ、高々と掲げられたような気持ちになった。」  〈直喩法〉

 

(自分の身近にあるものが、意味のあるものとして注目され、取り上げられたような気がしてうれしい。)

 

 

・家の周囲にある「松林」に入っていって、独歩の詩の「山林」の世界に入った。

・「『あ、あれ(山林)はこれ(松林)だ!』と思えたときはうれしいものだ。」

 

・そのときに、松林の詩(らしききもの)がいっぱい生まれた。 〈擬人法〉

 

(作品を、自分なりに解釈するということ)

(すぐれた作品に触発されて、自らも創作を試みるという行為)

 

 

・しかし、独歩の詩の「山林」と、筆者の「松林」は同じではなく、違うものである。

 

・独歩の「山林」は、作品の中だけにある、どこにも実在していない「文学的な存在」である。

 

・「文学的な存在」を身近に思ってもよいが、それは身近なものとは違う。

・「その違いが僕をさらに、引き寄せていくのである。」

 

(「文学」に描かれたものは、実は、読者の身近にあるものとは違う。しかし、その「違い」は魅力的なものなのである。)

 

 

・文学の言葉は、普通のものに見えるけれど、そうではなく、夢のようなものだ。

・「だからこそ、そこに普段なら見えないものが見えてくるのだ。それはとても楽しいことだ。」

 

(「文学の言葉」は読者の想像をかきたて、「普段なら見えないもの」を見せてくれる。)

 

 

 

 

この評論文には、文学作品を読むということには、「自分なりに作品を味わう」という楽しさがあるということが述べられています。

 

その一方で、文学作品のありようは、書かれた「作品」の中だけにしか存在しないのだ、ということも述べられています。

 

 

そんな「違い」があるからこそ、「あ、あれ(山林)はこれ(松林)だ!」と思えたりするのかもしれませんね。

 

 

 

◎「詩四編」

 

 

※「りんご」  山村 暮鳥

 

両手をどんなに

大きく大きく

ひろげても

かかへきれないこの気持  〈体言止め〉

林檎が一つ

日あたりにころがつてゐる

 

 

 

この詩は、「口語自由詩」です。

 

「かかへきれない」「ころがつてゐる」のような「歴史的仮名づかい」を用いていても、使われている言葉は、すべて現代語です。

 

「口語」か「文語」の分類は、「仮名遣い」ではなく、使われている言葉で決まります。たとえば、「~けり」「~たり」「~なり」のような現代では使わない言葉が用いられるものが「文語」です。

 

 

「かかへきれない」→かかえきれない

「ころがつてゐる」→ころがっている

 

 

前半は作者の「気持ち」、後半は「情景」が描かれています。

 

「かかえきれないこの気持ち」がどのようなものなのか、示されていません。

 

「かかえきれない」ほどに「重たい」気持ちなのか。

「かかえきれない」ほどに「あふれる」気持ちなのか。

 

 

「林檎」の印象も、対照的なとらえ方ができます。

 

日の光を浴びたつややかな「林檎」なのか。

たった1つ、さみしく転がり落ちた林檎なのか。

 

 

この詩は、多様なとらえ方が可能な詩です。

それが、「はじめての詩」という評論を読んだ後に鑑賞する作品として、教科書に掲載された大きな理由となっています。

 

(この詩をあつかった授業で教師が生徒にこの詩の印象を尋ねた際、ほとんどの生徒は「温かい雰囲気」を感じ取っているという報告がなされています。しかし、識者の間では、作者である山村暮鳥の恵まれなかった境遇から、この詩は、暮鳥の暗い心情を読んでいるという解釈が有力であるとされています。)

 

 

 

※「山のあなた」  カール・ブッセ  上田 敏 訳

 

山のあなたの空遠く

「幸」住むと人のいふ。  〈擬人法〉

噫、われひとと尋めゆきて、

涙さしぐみかへりきぬ。

山のあなたになほ遠く

「幸」住むと人のいふ。  〈対句法・反復法〉

 

 

 

この詩は「文語定型詩」です。

 

すべての行が「七・五」の音数でそろえられています。

 

(ドイツ語の詩を、その味わいを損なうことなく「文語定型詩」として日本語に訳すのですから、ものすごい技術と才能です。)

 

 

「さひはひ」→さいわい

「いふ」→いう

「かへりきぬ」→かえりきぬ

「なほ」→なお

 

 

「あなた」というのは、「こなた」「そなた」「どなた」に対応する言葉ですね。

いわゆる「こそあど言葉」で、「あ」が用いられるのは、自分から「遠い」対象を示すときです。ですから、「あなた」というのは「遠くの方角・場所」を意味しています。

 

「あなた」は、現代では「かなた」に置き換えられています。

 

3行目と4行目は「私もみんなと探しに行ったが、涙をうかべて帰ってきた」という意味です。

文語では、文末に「ぬ」があるときは、「~た(だ)」と訳します。

ですから、「かへりきぬ」は「帰ってきた」という訳になります。

 

 

・山の向こうに幸せがあると「人」がうわさをしている。

・自分も、それを信じる「ひと」と同じように行ってみたが、(何もなくて)失望して帰ってきた。

・(今度は)山の「さらに」向うに幸せがあると「人」がうわさをしている。

 

 

人間は、ここではない「どこか」に「幸せ」があると、信じてしまう存在なのかもしれません。

 

 

 

「おれも眠らう」  草野心平

 

るるり

りりり

るるり

りりり  〈反復法〉

るるり

りりり

るるり

るるり

りりり

るるり

るるり

るるり

りりり

―――

 

 

 

この詩は「口語定型詩」あるいは「口語自由詩」です。

 

音数をそろえているので「定型詩」であるとみなすこともできます。

が、決まった形にあてはまらない「自由な形式」で書かれた詩である、という構成上の特徴から考えると、「自由詩」であるということもできます。

 

(学校の先生がどちらの解釈をしているのか、説明をよく聞いておきましょう。)

 

 

「ねむらう」→ねむろう

 

 

この詩は、2匹のカエルの鳴き声です。

最初は、交互に鳴き声を発しているのですが、しだいに「りりり」の鳴き声が遅れていきます。だんだん眠たくなっているのです。

 

最後の「―――」はあたりが静かになったことを表しています。

つまり、「りりり」と鳴いていたカエルが寝てしまったということですね。

 

「るるり」と鳴いていたカエルも、「合唱」の相手がいなくなってしまったので、鳴くのを止めてしまいました。

そして、「おれも眠ろう」と思ったのかもしれません。

 

 

 

「蝉頃」室生犀星

 

いづことしなく

しいいとせみの啼きけり  〈擬音語〉

はや蝉頃となりしか

せみの子をとらへむとして

熱き夏の砂地をふみし子は

けふ いづこにありや

なつのあはれに

いのちみじかく

みやこの街の遠くより

空と屋根とのあなたより

しいいとせみのなきけり  〈反復法〉

 

 

 

この詩は「文語自由詩」です。

 

「いづこ」→いずこ

「とらへむ」→とらえん

「けふ」→きょう(今日)

「あはれ」→あわれ

 

 

 

・作者は、せみが「啼いた」のを聞いて、幼いころ夢中でせみをつかまえようとしていた夏の日に思いをはせます。

・そして今、自分がいる都会の、空と屋根のむこうからもせみが「しいい」となくのを聞いています。

 

 

「しいい」という擬音語は独特です。ふつう、せみのなき声は「ミーン、ミーン」と表します。

 

3行目「はや蝉頃となりしか」は「もう、せみ(のなく)頃となったのか」という意味です。

4行目「とらへむ」の「む」は「~しよう」という意味ですから、この部分は「捕まえよう」という訳になります。

 

6行目「けふ いづこにありや」は「いま、どこにいるのだろうか」という意味です。

 

7行目「なつのあはれに」の「あはれ」は、「しみじみと趣き深い様子」を表す言葉です。

古文では、よく出てくる言葉なので、覚えておきましょう。

 

8行目「いのちみじかく」というのは、せみの成虫の寿命が短いことを述べています。

 

 

4行目~8行目は、「現実」ではない頭の中にあるイメージや思いを描いています。

この部分はひらがなが多用されています。

 

(「熱き夏の砂地」という少年時代の「現実の」過酷さを暗示する部分には漢字が使われています。)

 

一方、1行目~3行目、9行目~11行目は漢字が多用されていますね。

 

 

2行目では「啼きけり」となっていた表記が、11行目では「なきけり」となっています。

 

2行目は、作者は、「蝉頃」の季節が来ていることを知って驚いています。その強い印象を「啼」という字で表しているように思います。

一方、少年時代に思いをはせた後に、我に返った作者は「なきけり」と表しています。

 

 

 

以上、「はじめての詩」と「詩四編」について解説をしました。

この「詩」の単元では、さまざまな種類の詩に触れ、思うままに詩の内容を感じ取ったり、言葉に込められた本当の意味を考えたりしながら、表現について学びます。

 

 

定期テストに出題されやすいのは、人によって解釈に違いが出ない部分です。

それは、詩の分類、表現技法、仮名遣い、言葉の意味などですね。

 

(また、先生によっては、感想や、自分なりの解釈を記述する問題が出されることも考えられますね。)

 

 

しっかりと復習しておきましょう。

 

 (ivy 松村)

「面接」に臨む

本年度の最初の「合格」の報告がありました。

おめでとうございます。

 

終わったときにも、「やり切った」という表情で報告してくれて、いい結果が出そうな感触があったようでしたが、油断は禁物、ということで、「次」のことを考えておこうといっていました。

あらためて、胸をなでおろして喜びをかみしめているころだと思います。

 

夏休みは特に、集中して面接の練習や作文の直しに取り組みました。

その成果がうまく出せたようで、よかったです。

 

直前はかなりプレッシャーを感じていた様子でしたが、それもいい経験となったはずです。

精神的に苦しい時期を乗り越える経験は、人を成長させてくれます。

 

 

あらためて、おめでとうございます。

今後の活躍を期待しています。

 

 

 

大学入試では、AOや推薦入試の募集枠の拡大が話題になっています。

高校入試でも、今後、推薦入試のような「確実」な進路選択が積極的に活用されるようになるかもしれません。

 

 

実は、推薦入試に関して、ちょっと「持論のようなもの」を持っています。

それは、入試の「面接」に存在すると思われる「独特の評価の基準」についてです。

 

端的に、入試の「面接」は、企業文化のもとにある「就活」等の面接とは違うアプローチをしなければならないのではないかと感じているのです。

 

入試に際して「面接練習」をするとなったときに、「就活」を経験した「塾社員」が、屈託もなく「就活における面接マニュアル」を伝授しようとするのは、少し違和感を持ちます。

 

 

 

大学入試の「面接」は「大学の先生」が直接行います。

大学の先生方は、「研究者」、「教育者」の立場から学生を見ます。

 

特に、大学を「研究機関」であると位置づけ、大学の役割を「研究者の育成」であると規定しているような大学の教授は、一般的な「社会人」とは違う感性を持ち合わせています。

知的関心、熱意、研究に時間と労力を惜しまない実直な態度、そういった素質を感じさせる学生を迎え入れたいと考えるのです。

 

 

ですから、「大学に入学するにふさわしいかどうか」という判断は、「学ぶことに真摯であるかどうか」というような基準で計られることになります。

高校のランク、高校での成績、各種の資格でさえも、それほど意味のある指標にはなりません。

 

「大学で学ぶ意欲を持っているかどうか」が重要です。

 

ひたむきな研究を重ねつつ大学という組織の中で地位を築いた学者の方々は、「勉強」と「学問」を切り離して考えます。

大学で「学問」を学びたいという強い意志を感じさせる人をこそ、高く評価するでしょう。

 

 

もちろん、常識的なマナーや礼節、コミュニケーション能力などに問題があれば、それは論外ですが、「面接マニュアル」の受け答えにしたがっていないことを、すぐさま否定的に評価する人は少ないと思います。

まあ、「学会」は「変人」も多いところですからね。

 

 

学者は、企業的な価値観で人を判断しません。(もちろん、高校の先生も、です。)

 

当たり前といえば当たり前なのですが、かなり見落とされている「現実」だと思います。

 

 

「常識人」をうまく演じようとするよりも、むしろ、好奇心あふれる「変人」であったほうが、よい印象を持たれるかもしれません。

 

もし、AOや推薦入試の「面接」で「逆転」が必要なのであれば、「大学入試における面接の特性」をよく考える必要があると思います。

 

 

 

・・・というようなことを、おぼろげながらに考えながら、指導していました。

今回は、しっかりと対策してきたことが実を結んで、本当によかったと思います。

 

 

おつかれさまでした。

 

 (ivy 松村)

「勉強嫌い」に贈る言葉

本日は数検の検定日でした。

 

受検したみなさん、おつかれさまでした。

手応えのあった人も多かったみたいですね。

 

試験時間にもかなり余裕があったみたいです。

 

一次検定が終わった後に、「試験の残り時間」の過ごし方について注意しました。

以後、気を付けるようにしてください。

 

 

検定は14時開始でしたが、何人かの生徒は11頃には校舎に来て、最後の検定対策や中間テストのための勉強をしていました。

検定後も、勉強をして帰る生徒が多かったですね。

 

中2は検定の後、演習の授業を行いました。

 

中3は、お昼の11時から夜の10時まで勉強して帰りました。

数検のあと、中間テスト対策、英検対策、演習授業、その後過去問演習を行いました。

夏期講習で耐性がついているので、だらけることなく、しっかり取り組めました。

 

 

数検を受けない生徒たちも、数検が行われている教室のとなりで、熱心に中間テストの勉強に取り組んでいました。

 

少しずつ、生徒たちの意識が変わってきているのが実感できます。

 

 

自分の意志で勉強する生徒は「強く」なれます。

「わからない」ということが、いずれストレスではなくなります。

「わからない」ということにわくわくしたり、熱中したりする感覚を体験してほしいと、切に感じます。

 

 

 

一方で、世の中には、なかなか「勉強したい」という気持ちが芽生えない生徒もいます。

 

 

実は、今まで、ぼんやりと「違和感」を持っていたことがあったのですが、その正体が今日、わかったように思います。

 

「がんばろう」、「しっかりやろう」、「もっと上を目指そう」というような声かけや激励をしてもいまいち反応がない・・・。

 

今日おぼろげながらに理解したのは、「真剣に勉強するのが嫌だ」という感覚です。

教える側が、本気になればなるほど、気持ちが沈むのでしょう。

 

「ああ、またやらされることが増えるのか」と。

 

 

「できる限り勉強量を少なくしたい。」(短時間の勉強で成績を上げてほしい。)

「できる限り楽しい気分でやりたい。」(勉強の説明よりも「雑談」や「おしゃべり」をしていたい。)

 

 

「本音」を隠しているので、口にする言葉と、行動がかみ合いません。

 

「やります」「がんばります」と口では言うのだけれども、実際にはやりたくないし、がんばりたくないと思っているので、いざやろうとしても、体が反応してくれません。表情もくもります。

 

 

時間が経つと、いつの間にか、やらない「言い訳」や「ごまかし」を繰り出すことに神経を使っています。

勉強をする姿勢は「みせかけ」だけになってしまい、実際には勉強量は全く増えていません。

 

毎週の小テストの結果が、 すべてを物語っています。

 

 

 

おそらく、「将来のメリット」、「親のプレッシャー」など、自発的ではない理由で勉強をしているのだと思います。

そのために、勉強とは、つまり「苦役」である、と感じているのでしょう。

 

また、もし、虚栄心や優越感あるいは承認欲求の充足のために、つまり、「手段」として勉強しているならば、成績が落ちはじめると、モチベーションが低下し、同じような「症状」があらわれるのだろうと思います。

 

 

勉強を「しよう」と思っているのではなく、「やらなければ」と思っているはずです。

さらに、精神的な負荷が限度を超えると、「やらされている」という感覚にとらわれてしまうのでしょう。

 

 

これはきみだけの責任ではありません。

アホな「大人」も世の中にはたくさんいて、「勉強なんて嫌なのは当たり前だけど、頑張りなさい」などと言うわけです。

「嫌なこと」をやれ、といっているのですから、やらされる方も「嫌なことをやらなければいけないのか」と思って、うんざりするのも当然のことでしょう。

 

 

 

いつも「嫌だ、嫌だ」と思いながら勉強しているので、勉強したことが頭に残りません。

 

人間は、嫌なことを忘れようとする生き物です。

自分の意志とは無関係に、脳が、嫌で嫌でしょうがない勉強の記憶を追い出してしまうのです。

 

「全然覚えられない・・・。」

 

覚えられないのではなく、自分自身が覚えることを拒否しているのです。

 

 

 

このまま「だましだまし」で過ごしていっても、成績は上がるはずもありません。

 

では、どうすれば・・・。

 

 

「勉強をやめる」という選択肢をのぞけば、基本的に、対処法は2つです。

 

①勉強を好きになる。

②嫌でもやる。

 

 

 

「勉強なんかできなくてもいい」というような甘言をささやく、無責任で短絡的な人間が世の中にはいます。絶対にその軽薄な口車に乗ってはいけません。

 

正確に真実を述べます。

「できなくてもいい」のではなく、「できなくても(なんとか)生きていける」というだけのことです。普遍的な真理は、「勉強はできたほうがいい」ということです。

 

勉強が苦手でも、その苦手と格闘する人生のほうが、「上等」に決まっています。

 

「勉強の結果」=「学歴」でしか人を判断しない人たちに、努力を踏みにじられたとしても、それは「勉強の価値」を否定したり貶めたりする理由にはなりません。

 

 

しかし、現実として、この世の中の多くの人は、勉強を「人間を評価する基準」であると考えています。

その是非はともかく、その考えに強くとらわれてしまうと、勉強が苦手な人にとって勉強は、脅迫的な「圧力」としか感じられなくなってしまいます。

 

 

「勉強ができないことは恥ずかしい」とか「勉強ができたら自慢になる」といった低俗な考えを捨てなければ、きっと、勉強を本当に好きになることはできません。

 

「自分の世界が広がる」ということに対する素朴な感動こそが、勉強の醍醐味なのですから。

 

 

そうはいっても、頭で理解することと、心からそう感じることは別です。

そんな「仙人」のような境地になれる人間なんて、世界中でほんの一握りの存在でしょう。

 

 

 

念のための補足ですが、「おもしろおかしい授業」によって、「勉強が楽しい!」となったとしても、勉強を好きなったということではありません。それは多くの場合、「勉強時間を薄めて、楽しく過ごすようになった」だけです。

「勉強嫌いの生徒が楽しんでいるだけ」では、学力はあがりません。

 

「勉強が楽しい!」という評価や宣伝には、勉強の質を劣化させながら、その効果を誇るという大胆な「欺瞞」が見え隠れします。

 

 

 

ふと気づいたのは、今日の中3の生徒たちでした。

数検の手応えも十分でしたし、過去問演習の結果も上々でした。

自然と笑みもこぼれます。

 

11時間、机に座り続け、ペンを動かし続け、一日の勉強を終えたその表情に、悲壮なものはありませんでした。

 

(「11時間」と聞いて、反射的に「理解不能だ」と思いましたか。もしそうなら、きみは、やはり「勉強嫌い」という「病」にかかっています。)

 

 

 

彼らは、勉強が好きではないと思いますよ。でも、11時間勉強することは、きみが想像するほど苦痛ではないのです。

 

 

 

これは、ある種の「逆説」だと思うのですが、少しでも勉強を好きになるためには、「嫌でもやる」ことが必要なのかもしれません。徹底的に。

 

 

中途半端に勉強しているから、嫌な気持ちが増幅されるのです。

「早く終われ、早く終われ」と呪文のように心の中で繰り返しながら勉強しているのですから、楽しいはずもありません。

「今、つまらない時間を過ごしている」という暗示を、自分自身にかけつづけているのです。

 

 

「嫌だ」という感覚が意味をなさないくらいにどっぷりと勉強する、もしかすると、それが勉強への「抵抗」を失くすのに、一番効果的なのかもしれません。

 

 

人生には、覚悟を決めて取り組むことで、切り開ける「道」があります。

もしかしたら、この連休が、その「第一歩」となるかも知れませんよ。

 

 

 

※連休中の開校日です。

 

・9月21日(敬老の日)                14:00~22:00

・9月22日(国民の休日)             14:00~22:00

・9月23日(秋分の日)                14:00~22:00

 

 

(ivy 松村)