春期講習4日目

本日で、新中1の春期講習が終わりました。

 

おつかれさまでした。

 

次回は、4月6日(水)からの通常授業です。

翌日の4月7日(木)が入学式ですね。

 

いよいよ、本格的に「中学生活」がスタートします。

いっしょにがんばっていきましょう。

 

 

さて、春期講習では、新中1の生徒たちは「文法」と格闘していました。

文を「文節」と「単語」に分ける練習をみっちり行いましたが、かなり苦戦しましたね。

 

 

文を「単語」に分けるときには、一度文節に句切り、そこから、「付属語」を囲っていきます。

 

「た」「て」「う(よう)」「ます」「ば」「ない」などを「クリン」とするのでしたね。

 

 

「活用語」から「付属語」を分離するときに、活用している部分を取り除いてしまわないように注意しましょう。

 

 

静かだろ「う」

静かだっ「た」

静かで / ある

静かに / なる

静かな / とき

静かなら「ば」

 

 

「形容動詞」と「名詞」では、分離のしかたが違うので、注意しましょう。

 

 

コップ「だろ」「う」

コップ「だっ」「た」

コップ「で」 / ある

コップ「に」 / なる

コップ「なら」「ば」

 

 

 

かなりたくさん間違ってしまいましたが、それほど気にしなくても大丈夫です。

言葉を「分解できる」ということを確認することが、最初のステップです。

 

 

これから、主語・述語・修飾語・接続語・・・などの「文の成分」の勉強や、名詞・動詞・形容詞・・・などの「単語の分類」の勉強をしていきます。

 

そのなかで、文節や単語の「性質」や「特徴」がわかってくれば、自然と句切ったり分離したりできるようになります。

 

 

 

4月からも、奥深い「言葉の世界」を探っていきましょう。

 

 

(ivy 松村)

春期講習2日目

春期講習の2日目が終了しました。

 

 

今年の春講は、あまりガツガツと詰め込むような内容ではなく、「まわり」から本質に迫るようなものを考えています。

 

 

中3の国語は、「文豪へのいざない」という教材を使っています。

 

毎回、日本文学史に名をのこす偉大な小説家たちの作品をあつかった問題を解いていきます。

 

何年か前にも、このテキストを春期講習に使ったことがあるのですが、やはり春休みに使うのが一番効果的な教材だと思いました。

 

「堅い」文学作品に慣れてもらう、名著の一端を味わってもらう・・・いろいろと目論見はありますが、「文学史」の知識を身につけてもらうことも重要な目的のひとつです。

 

毎回、近代文学史を少しずつ概説していく予定です。

 

 

今日は、森鷗外の「高瀬舟」をあつかいました。

 

「高瀬舟」は、中学校の中3の国語の教科書に載っている作品です。

中3のみなさんにとっては、これから必ず学習するものなので特に重要な作品でした。

 

 

前に同じ教材を使って講習を行ったときの生徒たちの間では、鷗外の人気が高かったように記憶しています。

 

今年も、作品や作家についての感想をきくのが楽しみです。

 

 

残り後6日間、さまざまな「文豪」が登場します。お楽しみに。

 

(ivy 松村)

 

 

言われてうれしい「ご苦労様」

毎年、入試の時期になると、生徒が受験する高校まで「入試応援」に行くのですが、高校の先生方から「ご苦労様です。」と声をかけていただくことがあります。

 

ねぎらいの言葉をもらうと、やはりうれしい気持ちになるのですが、最近、この「ご苦労様」はずいぶん「誤解」されているようです。

 

 

少し前に、大阪の選挙で、選挙管理委員の方が、投票に来た住民の方に「ご苦労様です。」と声をかけたら、激怒されて、ちょっとした「事件」になってしまったというニュースがありました。

 

腹を立てた人の「言い分」は、「ご苦労様」は「目下の者」に対して使う言葉であるというものでした。つまり、自分は見下されたと思ってしまったということなのでしょう。

 

 

こういうニュースはとても怖いと感じます。そう感じる人がいるのなら、「ご苦労様」は使わないようにしよう、と思ってしまう人も多いと思います。

 

 

 

・「目上の人」に対しては「お疲れ様」

・「目下の人」に対しては「ご苦労様」

 

このように思い込んでいる人は少なくありません。

 

これは、明らかな「間違い」です。

しかし、そのような認識が広まりつつあります。

 

 

 

古い小説やドラマあるいはマンガなどを見ていると、「ご苦労様」という表現がよく出てきます。

 

たとえば、サザエさんの家に配達に来た酒屋のサブちゃんに向かって、サザエさんが「ご苦労様。」と声をかけます。

これは、サブちゃんが「目下」だからではありません。

 

仕事から帰ってきて、疲れた様子のマスオさんに、サザエさんが「ご苦労様でしたね。」と声をかけます。

もちろん、マスオさんが「目下」だからではありません(よね)。

 

パトロールをするお巡りさんに対して、「ご苦労様です。」と地域の人が声をかけるのは、昔はありふれた光景でした。

 

若いサラリーマンが、株主総会に出向く社長に向かって「ご苦労様です。」といって頭を下げる場面もあります。

 

 

 

「ご苦労様」は「目下の人」に対してのみ使うものではありません。

 

「つとめ」を行っている人に対して使われる「ねぎらい」の言葉なのです。

 

 

サブちゃんは酒屋の「仕事」としてサザエさんのうちに来ています。

 

マスオさんは、「家長」としての「つとめ」を日々果たしているわけです。

 

言うまでもなく、お巡りさんは、その「つとめ」に対して「ご苦労様」と声をかけられたわけです。

 

同様に、組織の長であっても、その「つとめ」として行動しているときには、「ご苦労様」と声をかけるのが正しいわけです。

 

 

また、冒頭の「入試応援」の例では、私は塾の教師の「つとめ」として高校に出向いているわけですから、「ご苦労様」と声をかけていただくのが正しいわけです。

 

そして、ニュースになった「ご苦労様」ですが、選挙管理委員の方は、住民(市民)の「つとめ」として投票に来られたという認識で、そう声をかけたわけです。

 

 

「ご苦労様」は、本来、責任や義理にともなう労務を行っている人に対して、いたわりの気持ちをあらわす美しい言葉なのです。

 

「ご苦労様」の「誤解」が広まっていくのを、しのびなく思います。

 

 

逆に、例えば、趣味で山登りや魚釣りなどに行って、疲れて帰ってきた人に対して「ご苦労様」は、おかしくなります。好きでやっていることに対しては使わないわけです。

 

 

 

このようなまちがいが広まった背景を考えてみました。

 

まず、「目上の人」は「ご苦労様」を使うことが多いということが挙げられます。

 

会社のような組織の中で、日常的に「上司」は「部下」に指示を出します。

その任務を果たしたときに、「上司」は「部下」に「ご苦労様」と声をかけることになります。

なぜならば、「部下」は、組織のなかでの「つとめ」として行動しているからです。

 

「ご苦労様」は、その「状況」によって選択される言葉なのですが、「目上の人」が「目下の人」に対して頻繁に使うので、固定的な「立場」によって使用される言葉であると勘違いしてしまう人が増えたわけです。

 

 

そして、そのために、「上下関係」を明らかにする目的で使われる例がみられるようになってきました。

まあ、つまり、くだらない行為だと感じますが、「自分はお前より『目上』だ」ということを相手に突きつけるために、「ご苦労様」を使うような人がいるわけですね。

(こういう人はちょっと滑稽ですよね。)

いずれにしても、その結果、「ご苦労様」は「目下の者」に使う言葉であるという認識が強化されたのです。

 

 

さらに、大きな影響を及ばしているのが「ビジネスマナー屋」の存在です。会社の研修などでビジネスマナーを教える仕事をしている人たちがいるのですが、要するに、この人たちが「ご苦労様」の「間違った解釈」を広めてしまったわけです。

 

 

 

私は、「ご苦労様」はとても美しい言葉だと思っているのですが、最近は使うのがはばかられるようになってきました。

「目下の人」に対して使う言葉だと信じる人が増えてきたからです。

 

相手のことを慮ればこそ、「ご苦労様」が使えなくなっていくわけです。

 

 

 

「コンビニ敬語」に対しても同じようなことがいえると思います。

 

相手が「過剰な敬語」を求め、それを使わないことをとがめるのであれば、相手のために、わかっていてもまちがった言葉づかいをすることがあります。

 

 

結局、言葉は、正しいかどうかよりも、相手への配慮が優先されるという性質を持っているということなのでしょう。

 

 

「言葉」はコミュニケーションを媒介するものです。

「言う側」と「言われる側」という主客を反復的に結び付けます。

ですから、両者の心理的な作用によって変質していくわけです。

 

「言われる側」の心理というものも、実は非常に大きな要素になっていると思います。

 

 

 

そんな浮世で、正しく「ご苦労様」と声をかけていただくと、本当に元気が出てきます。

 

 

 (ivy 松村)

 

 

ブログのほうを書かせていただいております

昨年度の中1の国語のテキストに「敬語」にについて書かれた印象深い文章が掲載されていました。

それは金田一秀穂氏の文章で、「コンビニ敬語」について述べられたものでした。

 

 

例:

「千円からお預かりします。」

「こちらが牛丼弁当になります。」

「お箸のほうはお付けしますか。」

 

 

本来の敬語:

(千円、お預かりします。) ※「千円、頂戴します。」

(こちらが牛丼弁当です。) ※「こちらが牛丼弁当でございます。」

(お箸をお付けしますか。) ※「お箸をお付けいたしましょうか。」

 

 

上のような例が挙げられ、なぜそういった「奇妙な」敬語が広まっていったのかを分析した文章でした。

 

ちなみに、生徒たちは、どこがまちがっているのかわからない様子でした。

これから身につけていきましょう。

 

 

金田一氏は、以下のような理由を挙げていました。

 

・少ない会話のなかに、できるだけ丁寧な要素を盛り込もうとするため

・「接客敬語」は、普通敬語とは異なったものであるから

・「仰々しい敬語」よりも、「自分に見合った敬語」を使いたいという意識がはたらくから

 

 

「できるだけ丁寧な要素を盛り込もうとする」という説明は、私にも身に覚えのあることなので、なるほど、と感じました。

 

余計な助詞や接頭語、形式名詞、補助語などを、つい付け足してしまうことがあるのですね。

 

 

 

そのうちのひとつ、「~(さ)せていただく」が口癖になってしまっている人も多いのではないかと思います。

私も、つい、過剰に使ってしまうことがあります。

 

 

 

「~(さ)せていただく」というのは、本来、相手に対して「自分の意志を実行する」ときに使われる表現です。

 

「(さ)せる」には「使役」の意味があります。

「相手によって自分の行動が規制されている」という構図を(無理にでも)形作ることで、自分が行いたいことを相手に了承させようとしているわけです。

 

たとえば、「私から説明させていただきます。」というような使いかたをするときですね。

 

 

この用法は、相手の立場や事情に関係なく、自分の意志を押し通す、というニュアンスを帯びるため、ちょっと注意して使わなければならないものです。

 

たとえば、人が集まっている中で自分だけが帰ろうとする際、「そろそろ私は・・・」とか、「この後用事が・・・」という表現を使うのではなく、「帰らせていただきます。」と言った場合には、「あなたがなんと言おうと私は帰るつもりだ」という「意志」を表すことになるわけです。

 

場合によっては、「自分は非常に不快な思いをしたので、この場を立ち去るのだ」という心情を込めて使われることさえあります。

 

 

 

一方で、別の用法もあります。

「使役」を敷衍すれば「相手が自分の行動を認める」という意味内容が生じます。

そこで、「~(さ)せていただく」という表現を「誰かの厚意や許しを得て、希望がかなう」という状況を言い表すために使うことができるわけです。

 

たとえば、「ご一緒させていただくことになった。」というような使い方をするときですね。

 

しかし、この場合も、文脈によっては「自分がそうしたかったので」「迷惑だったかもしれないが」というような微妙なニュアンスを発生させます。

それは、「~(さ)せていただく」という表現が、本来「自分の意志を実行する」という意図で使われるものだからです。

 

 

一方、この用法は、自分の意志や能力でものごとを決定する立場にある人が「あえて」使うのであれば「謙遜さ」や「つつましさ」を演出することができます。

 

圧倒的な強さでオリンピックの選考会を勝ち抜いたスポーツ選手が、「オリンピックに出場させていただくことになりました。」と言えば、なんて謙虚な人なんだろう、と思われるわけです。「周りの人々に支えてもらったおかげで」という「暗示」になるからです。

 

また、文章家などに対して「最新作を読ませていただきました。」と伝えるようなコミュニケーションもみられるようになりました。これは、「あなたが書いてくれたおかげで、読むことができました」というような意を含むと解釈されるので、立派に(?)謙譲語として機能するからです。

 

 

 

「~(さ)せていただく」という言い方は、テレビに出演する「芸能人」の言葉づかいが広まっていったのだろうと思っています。

 

テレビの中では、「出演させていただいた」「歌わせていただいた」というような表現が多く使われます。

 

この表現は、「芸能人」にとって非常に「効果」のある表現なのだろうと思います。

 

まず、何といっても、「へりくだっている印象」が醸し出されるので、視聴者の「好感度」が上がります。あの人は「芸能人」という「特別な存在」であるにもかかわらず、低姿勢で遠慮深い態度を示している(感心!)というわけです。

 

 

しかし、一部の視聴者は気づいていることですが、彼らは、実は、視聴者にへりくだっているのではなく、プロデューサーなどの「制作者」に対してへりくだっているのです。

「ありがたいことに、番組に出演させていただけることになりました。」というような「不思議な言葉づかいのメッセージ」は、番組をチェックしている、企画やキャスティングの権限を持っている人たちに向けて発せられたものなのです。

 

 

 

世間に広く浸透してしまった「~(さ)せていただく」という言葉づかい。

使い勝手がいいので、つい使いたくなって困ります。

 

なるべく丁寧さを詰め込もうとして、付け足してしまうわけです。

 

 

たとえば、「お得なキャンペーンをお知らせしたくて、お電話させていただきました。」というような使い方です。

 

「電話しました」だと、自分が素っ気ない態度を取っているような気がして、不安になってくるわけです。

 

 

その「敬意」が伝わるのならまだいいのですが、言われたほうが、その言い方になんとなく違和感を覚えてしまうことがあります。あまりいい気分にならないこともあります。

 

それは「~(さ)せていただく」という言葉から、「自分の意志」を押し通そうとするニュアンスが染み出てきてしまうからです。

 

相手を持ち上げようと、過剰に言葉を盛り込んだ結果、相手をぞんざいに扱うような言葉づかいになってしまっているのです。

 

 

注意しながら使わせていただかなければなりませんね

注意しながら、使わなければなりませんね。

 

 

 

ちなみに、受験業界にも、「お受験」とか「合格をいただく」とか「ご縁をいただく」などの「過剰な敬語」があふれています。

 

こうした表現は、今では一般化しつつありますね。

 

(ivy 松村)

 

平成28年度都立高校入試の理科の大問3〔問1〕の説明

平成28年度都立高校入試の理科の大問3の〔問1〕について考えてみましょう。

 

設問は以下のようなものです。

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「金星の位置と見え方」は「定番」の問題です。

理科の受験勉強をしっかりと進めてきた受験生であれば、「図2」の金星の見え方から「図3」のような軌道上の金星の位置を導く問題を何度か解いたことがあるはずです。

 

 

以下の画像は、日野市内のある公立中学校で使われていた正進社の3年生の『毎日の復習』という「ワーク」の25ページにある問題です。

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この生徒は、提出期限が迫ってきたからといって、答えを「丸写し」するようなことはせず、一つ一つの問題をていねいに解いていますね。

 

 

さて、(4)の設問に注目してください。

「図1」の「オ」の位置に金星があるときの「金星の見え方」を答える問題です。

「オ」は、都立高校の問題の「イ」を「反転させた位置」に相当します。

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「ワーク」の(4)の設問の正解は「c」になりますが、その形はまちがいなく都立高校の問題の「図2」に相当しています。

 

※「ワーク」の選択肢「c」

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※都立高校入試の「図2」

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これは、公立中学校で実際に使用されている教材を抜粋したものです。

 

 

 

今度は、教科書を見てみましょう。

日野市と八王子市が採用している啓林館の『未来へひろがる サイエンス 3』の54ページです。

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都立高校入試の問題の「ウ」の位置は、この教科書の「図56」の「4/15」に対応しています。

「4/15」の写真を拡大して、入試問題の「図2」と並べてみましょう。

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「図2」の、3分の2ほどの「厚み」しかないような気がしますが。

わかりづらいという人もいるかもしれません。

 

では、日野市と八王子市が採用している理科の「資料集」を見てみましょう。

浜島書店の『最新 理科便覧 東京版』の110ページです。

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都立高校入試の問題の「ウ」の位置に描かれている金星の図を拡大してみましょう。

「ウ」の位置に金星があるときには、金星は下の画像のように見えると説明されています。

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都立高校の入試問題の「図2」と並べてみましょう。

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・・・上掲のワーク、教科書、資料集で勉強をしてきた受験生は、「ウ」を選びませんよね。

 

 

 

中学校の理科の授業をしっかりと聞いて学んだ受験生であれば、当該の入試問題を解く際に、「図2」から、まず、「ア」と「イ」を解答の候補にしぼります。

 

「図1」から「検討」をはじめたりはしません。

 

 

最終的に、「図1」から、「ア」を消去して、「イ」という正答を導きます。

 

 

何度も申し上げているとおり、当該の入試問題が良問だとは思いません。

しかし、その設問は「成立しています」。

 

 

 

私が違和感をぬぐえないのは、「批判」の内実が、入試問題としてのテーマ性や合理性からかけ離れて、衒学的な主張になってしまっていることです。

 

そのために、無理やり「ウ」も正解であるという説明になってしまっているように思います。

 

 

おそらく、この問題を解いた受験生たちは、一連の「出題ミス」の「説明」を聞いてもよくわからないと思います。

 

「自分が勉強してきた知識を動員して考えて、問題を解くことができた」という多くの受験生は、「補助線?」といって首をかしげるでしょう。

 

 

 (ivy 松村)

 

コメントをくださった中山さん、katさんへ

 

なぜか、コメントに返信ができなくなってしまったので、ここに返信を書きます。

 

実は、何が正確で何が不正確なのか、私にもよくわかりません。しかし、きいたところによると、当日の金星の位置は「図3」の「イ」と「ウ」の間の位置にあったそうです。

 

日付を「3月24日」とする必然性はないので、変えればよかったのだと、私も思いますが。

 

みなさんは、口をそろえて「図2」は「ウ」の可能性を捨てきれないと主張されますが、私はそうは思いません。

実際の見え方はどうなのかは知りませんが、少なくとも、中学でしっかりと理科の勉強をしてきた受験生は、「ウ」の位置に金星があるときには「図2」のようには見えないと知っているので、「ウ」を解答の候補から消去するでしょう。

 

そもそも「図1」は「本筋」ではないのです。

この設問は、単純に「金星の見え方と位置」に関するもので、それに「図1」というヒントが付随しているのです。

 

 

これほど異論が噴出するのですから、この問題は良問ではないのでしょうが、私は、この問題は「成立しているか、否か」という目線で考えています。

 

最大のポイントは、「ウ」が正答ではないといえる根拠があるかどうかだと考えています。

 

私は、まっとうな勉強をしてきた受験生は、「図1」に頼ることなく、「ウ」が正答ではないと見抜くと思います。

 

 

 

 

 

都立小石川中学の28年度の塾別合格実績

今年の都立小石川中学の塾別の合格実績を調べてみました。

 

 

小石川中等教育学校の2016年度の一般募集は、男子80人、女子80人で、合わせて160人です。

 

160人の合格者のうち、男子67人、女子65人の合計132人が入学手続きを行いました。

ですから、入学辞退者は28人ということになります。

 

その後、「繰り上げ合格」が行われ、少なくとも28人が追加合格されているはずです。

ですから、外部から確認できる今年の小石川中学の合格者は、188人ということになります。

 

しかし、実際の合格者数はもう少し多くなると思われます。

さらに「繰り上げ合格の辞退者」がいるはずだからです。

 

 

 

以下の数字は、ホームページ等の「インターネットサイト」で直接確認できた人数です。

 

「2016年度」あるいは「平成28年度」と示していないもの、今年の実績であることが特定できないものは含めませんでした。

 

 

1か月以上実績を公表しない塾があったり、数度にわたって合格実績を上乗せしていく塾があったりして、確認にずいぶん時間がかかりました。

 

 

きっと、合格者数が多い塾ほど「集計作業」が大変なのですね。

 

 

 

・平成28年度東京都立小石川中等教育学校の塾別合格者数

 

合格人数
ena    51
早稲田進学会    37
SAPIX    31
日能研    27
栄光ゼミナール    24
早稲田アカデミー    16
四谷大塚    15
大原予備校    10
Z会進学教室      6
学力開発      3
市進      2
TOMAS      2
竹の会      1
ビクトリア・アカデミー      1
     合計  226
       

 

 

合格実績を発表していない塾もあるでしょうし、塾に通わずに合格を果たした受験生もいるかもしれないので、実際の数はあと少し多くなるのかもしれません。

 

 

合計人数がちょっと気になりますよね。

 

 

160人の正規合格と28人の追加合格があったわけですから、188人の合格者が必ずいるわけです。

 

各学習塾が発表している合格者数の合計は226人になるわけですから、その差は38になります。

 

そうすると、「繰り上げ合格の辞退者」が38人いたという計算になります。

 

(TOMASは個別指導塾なので、合格者が、他の塾と掛け持ちをしていた受験生である可能性がありますが。)

 

 

 

それにしても、ずいぶんたくさんの「繰り上げ合格の辞退者」がいたのですね。

 

「66番目の繰り上げ合格」の受験生が、「最後の合格者」だということになります。

 

ぜひ、直接会って、どの塾に通っていたのか聞いてみたいですね。

 

 

(※塾別合格実績の数を訂正したうえで、新しく記事を書きました。→「訂正『平成28年度小石川中の塾別合格実績』」)

 

 (ivy 松村)

 

積極的に行きましょう

新年度がスタートして、2週間がたちました。

 

 

小学生の生徒たちには、まちがうことを恐れないように、恥ずかしがらないように、という話をしています。

 

 

進学コースの小6の生徒たちには、先週と今週に、「作文」の宿題を出しました。

 

すばらしかったです。

 

最初の「作文」では、少しおかしなところがあるほうが、面白味が出るものだ、という話をしていて、それも少しは期待していたのですが、完成された「作品」を作ってきてくれました。

 

なかなかの「世界観」があらわれていて、引き込まれました。

 

今週の作文も、いいものが書けていました。

 

 

ちょっと、もったいないと思うのは、きみたちが恥ずかしがってしまうことです。

自信を持って、どんどん積極的に「自分」を出していきましょう。

 

 

まちがえたり、失敗したりすることを恐れずに、いろいろなチャレンジをしてください。

 

 

「まちがえたり、失敗したりするために塾に来ている」と思うくらいの方がいいのです。

 

いつも、なんでも、完璧にできる人だったら、塾に来て勉強する必要もなくなってしまいます。

 

知らなかったところ、わからなかったところ、覚えていなかったところを直して、わかるようになる、できるようになるために塾にくるのです。

 

 

でも、「まちがえる気、満々」で塾に来るのはだめですよ。

 

 

(ivy 松村)

 

 

 

やはり、「出題ミス」ではない(都立高校入試の理科)

昨日、「中学」の「地学」の先生からメールを頂戴しました。

 

その中で、先日私が書いた「都立高校入試の理科の『出題ミス』について」というブログの記事のなかにある誤りを指摘いただきました。

 

 

まず、私は、「図1」が「正しくない」と書いていましたが、「出題ミス」として問題視されているのは「図3」の選択肢の「イ」の位置でした。

 

私は「図3」の「イ」の「位置」を基準にして考えてしまいました。そのため、「図1」の金星は正しく描かれていないのだと思ってしまいました。

 

また、教科書によれば、金星の見え方が「図2」のようになるのは「イ」以外にない、と書きましたが、「図2」の金星の形は、「ア」の可能性を捨てきれるものではありません。

 

したがって、そこには「図2」によって「ウ」の選択肢を「完全に消去できる」と書くべきでした。

 

 

メールでは、非常にていねいな指摘と解説をしていただきました。

また、この件で、大変な思いをされている方々がいるということをおっしゃっていました。

 

 

当該の記事の細部で、私が思い違いをしていたり、おかしな表現を使っていたりした部分があったようです。申しわけありませんでした。

 

 

指摘を受けた部分を含めて整理してみると、「出題ミス」であるとされている都立高校入試の理科の大問3の〔問1〕は、以下のような「解答の筋道」で構成されていることになります。

 

①「図2」の情報によって、解答を「ア」と「イ」にしぼる

②「図1」の情報によって、「イ」が正答であると特定する

 

 

つまり、選択肢「ウ」にまつわる「補助線」をどのように引こうと、正答を導くうえで「一切関係がない」ということがわかりますね。

 

 

 

記事の中で、私はいくつかの点で誤った内容を書いていますが、それは論旨に影響を与えるものではなかったので、私の主張は変わりません。

 

結局、「ウ」は中学で学習する理科の知識をもとに「消去」されるべき選択肢です。

ですから、「ウ」を正解とするべきではないのです。

 

 

多くの方が「非難の声」をあげていますが、「ウ」を選んでしまった受験生は、学力が足りなかったために誤った解答をしてしまったわけです。

それを「救済」するべきである、という主張は「論理的」ではないと思います。

 

「作問」が不用意であったというのなら、それはそうなのでしょうが、当該の設問は入試問題として「成立している」とみなすほかはありません。

 

 

 

いくつか、理解できたことがあります。

それは、状況から推測できるということであって、実際のことはわからないままなのですが、ちょっと考えたことを書こうと思います。

 

 

 

きっと、東京都教育委員会の「対応」に腹を立てている都立高校の先生方がいらっしゃるのだろうと思います。

 

「入試」に関して異議を申し立てないように、というような「圧力」のようなものがあったのかもしれません。

あるいは、異議を取り合わないというような態度を示しているのかもしれません。

 

 

東京都教育委員会は、今回の件について、外部の識者や塾の人間の抗議はあるが、教員からはない、と述べているそうです。

もしかすると、教員の声を受け付けていないだけなのかもしれません。

 

 

新聞紙上で「出題ミス」が取り上げられてから、この問題は大きくクローズアップされることになりました。これは「リーク」なのだろうと思います。

 

また、塾関係者をはじめ、いろいろな方がネット上でさかんに意見を述べています。

おそらく、自分で声を上げられない人たちが、情報提供をしたり、外部の人間を「けしかけ」たり「たきつけ」たりしているのだろうと思います。

 

 

 

一方、東京都教育委員会の側では、今年の入試は「つつがなく」終えなければならないという事情がありました。

この数年、都立高校入試に関する「不祥事」が続いていました。

 

都教委からすれば、一昨年に発覚した「採点ミス問題」は、現場の高校の教員が引き起こしたものです。都教委の職員の方々は、その対応に忙殺されたことでしょう。

監督する立場として「多少強引なやり方でことを収めるのもしかたがない」という考えにとりつかれていたということも考えられます。

 

 

今回の「出題ミス」の騒ぎは、「感情的なもつれ」が大きく作用していると思います。

 

 

 

私は、多くの方に、この問題を「理性的」に考えてほしいと思っています。

 

 

 

東京都教育委員会を「追いつめる」ことで、一体何を得ようとしているのでしょう。

再三指摘しているとおり、「ウ」を選んだ受験生は学力が不足していたのです。「ウ」を選んだ受験生に得点を与える根拠はありません。

 

これは、「悪」を懲らしめるストーリーなのでしょうか。

情緒的な扇動には、説得力はありません。

 

 

私は、東京都教育委員会の職員の方々もまた、「被害者」であると考えています。

そして、私は、さまざまな抑圧のなかで、「都立復権」の灯を絶やすまいと暗闘されている方々がいらっしゃると信じています。

 

 

 

「想像力」は大事なものだ、とよくいわれます。

「想像力」とは、「直接知覚できない現実の局面を、理知的に把握する能力」のことをいいます。

 

 

「騒ぎ」を拡大させて、今年の理科の入試問題を「出題ミス」であると認めさせることに「成功」したとしましょう。果たして何が起こるのかを「想像」していただきたいと思うのです。

 

 

必ず、次年度以降の入試問題の「質」が低下します。

 

思考力を問うような、作りこまれた問題が少なくなり、誰からも「クレーム」を付けられることのない「のっぺりとした」設問が並べられることになるはずです。「幸い」マークシートが稼働しています。

 

 

もう一度都立高校を「凋落させよう」という「流れ」を、押しとどめることができなくなっていくでしょう。

たった2年で、「あそこまで」都立高校の入試選抜はスポイルされてしまいました。

 

 

「この件」は、一歩まちがうと「ダメ押し」になる可能性が高かったのです。

 

 

無責任な「足の引っ張り」が続けば、再び「日比谷潰し」が成し遂げられ、都立高校の「凋落」が「決定的」になります。

 

 

(ivy 松村)

 

お知らせ「春期講習会」

春期講習会のお知らせです。

 

塾内生の方も、塾外生の方も、まだお申込みを承っておりますので、ぜひ、ご検討ください。

 

日数等の調整やご相談などがございましたら、お気軽にお問合せください。

 

 

 

◎ 小学部 進学科

 

○小4 進学コース  3/27~3/30 (4日間)

・13:30~14:20 国語

・14:30~15:20 算数

 

 

○小5 進学コース  4/1~4/4 (4日間)

・13:30~14:20              算数

・14:30~15:20 国語

 

 

○小6 進学コース  3/27~3/30 (4日間)

13:30~14:20    算数

14:30~15:20 国語

 

 

 

◎ 小学部 受験科

 

○小6 都立中受検コース  4/1~4/4 (4日間)

・15:30~16:20 適性検査 理系

・16:30~17:20 適性検査 文系

・17:30~18:20 適性検査 作文

 

 

○小6 特訓コース  3/27~3/30、4/1~4/4 (8日間)

・15:30~16:20 算数

・16:30~17:20 国語

・17:30~18:20 理科・社会

 

 

 

◎ 中学部 特訓科

 

○中1 特訓コース  3/27~3/30 (4日間)

・15:30~16:20              国語

・16:30~17:20              数学

・17:30~18:20 英語

 

 

○中2 特訓コース  3/27~3/30、4/1~4/4  (8日間)

・18:40~19:30 英語

・19:40~20:30 国語

・20:40~21:30 数学

 

 

○中3 特訓コース  3/27~3/30、4/1~4/4  (8日間)

・18:40~19:30 国語

・19:40~20:30 数学

・20:40~21:30 英語

 

 

春期講習のポスターを作りました。

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春講のチラシも作りました。

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日程表もつくりました。

syunkou_2

 

 

たぶん、もう新聞の「折り込み」とかをやらないと思うので、校舎に置いておくためのものをさっと作っています。

そのうち、時間のあるときに手の込んだものを作りたい気はしていますが。

 

ポスターは、飾ってあると気分が盛り上がってくるので、講習の度に作っています。

 

 

(ivy 松村)

 

 

 

都立高校入試の理科の「出題ミス」について

本年度の都立高校入試の理科の問題に「出題ミス」があったのではないか、と話題になっているようです。

 

大問3の〔問1〕の「金星の位置」を答える問題です。

 

 

個人的な「意見」を述べるならば、私は、中学生が解く理科の問題として「成立している」と考えます。

 

 

 

この件は、塾の先生方の間でも、かなり話題になっているようです。

福岡や大阪の塾の先生もコメントをされていました。

やはり、東京の塾の先生方にとっては重大な関心事ですので、大きく取り上げる方も多かったようです。

 

 

ところで、本題とは関係ない話ですが、塾の先生で、「読める文章」を書ける人は「理系」の人が多い気がします。というよりも、ほとんど「そう」です。

 

「理系」の方か、「理系」の背景をもった「オールラウンダー」タイプの方か、「文系」の出身で「理系」を教えている方ばかりです。

 

文章を書くという行為には、「論理的な資質」が必要なのかもしれません。

 

同時に、あらためて思うのは、ほとんどの「文系」の「先生」は、「書くこと」を苦手としているということです。「文章を書けない人間」が「作文」や「小論文」を教えていたりすることも、往々にしてありそうです。

 

 

 

塾の先生方の意見を拝読すると、当該の理科の問題は「おかしい」という見解が多数を占めています。

 

(大手塾の先生は意見を書きづらいと思いますが、その中で、「ポイント」の概説にとどめた記事は印象に残りました。)

 

私が知る限り、「問題ない」という意見をおっしゃっていたのは1人だけでした。

 

 

 

「理系」を「専門」とする先生方が口をそろえて「おかしい」といっているのに、「理系」を「専門」としない私は、身が縮む思いで、その「逆」の意見を述べようとしています。

 

 

それは、もしかすると、私が「専門外」の人間であるからこそ、持ち得る判断なのかもしれません。

 

さらにいえば、私が「この問題」を「学者」の目線でみておらず、ある意味で、「政治的」な立場でとらえていることも理由のひとつであるといえます。

 

ここでいう「政治的」という言葉のニュアンスを正確に伝えるのは難しいのですが、あえて換言するならば、「理性的」に「この問題」をみようとしているつもりです。

 

 

 

当該の設問は、「図1」と「図2」のヒントから、「図3」における金星の位置を4つの選択肢から選ぶものでした。

 

 

「図1」には「西の空」から見える「金星の位置」が示されています。

「図2」には観察した「金星の形」が描かれています。

 

このうち「ミス」として指摘されたのは、「図1」に示された「西の空」に描かれている金星の位置が「正しくない」という点でした。

 

それはもちろん「正しくない」わけですが、この設問の「テーマ」から考えれば、それは「主眼」ではないわけです。

 

 

この設問の「重心」は、「図2」の「金星の形」にあります。

 

「金星の見え方」と「金星と地球の位置関係」に関する知識こそが、「中学生の理科」の主要な学習内容であり、それを確認することがこの設問の「テーマ」なのです。

 

 

 

日野市や八王子市の公立中学校では、理科の教科書は啓林館のものが使われています。

 

啓林館の理科の3年生の教科書の54ページおよび55ページで、この地域の中学生は「地球から見た金星の位置と見え方」を学習します。

 

 

つまり、公立中学で理科を学んだ中学生が、その知識をもとに本問を解こうとするときには、「図2」の情報をもとに答えを導くわけです。

 

教科書を一瞥しただけで明らかになることですが、金星の見え方が「図2」のようになるのは選択肢の「イ」以外にはあり得ません。

 

 

 

一方、「おかしい」と指摘されている「図1」ですが、これが「正確ではない」ということは間違いありません。

しかし、見過ごすべきでないのは、知っておくべき知識を装備していなかった受験生は、「図2」から正答に直結する情報を読み取れなかったために、しかたなく「図1」のみに頼って答えを得ようとしていたのだということだと思います。

 

都立高校の入試問題は、社会もそうですが、なるべく複合的な「ヒント」を組み合わせた問題を作ります。

複数の「脈絡」から正答に迫ることができるような作りになっているのです。

 

都立の入試に精通している教育関係者、あるいは受験に携わる人間であれば容易に思いあたると思いますが、そのような作問が行われているのは、いってみれば「救済措置」であるわけです。語弊を恐れずにいえば、学力が乏しい生徒であっても、必死でがんばれば解答できるような設問を忍ばせているわけです。

 

どちらかといえば、「図1」の情報は、平面的な情報を、空間的、立体的に再構成してとらえられるかどうかをみようとするものであって、理科の知識からややかけ離れたものです。そして、これは結局「主観的」な「感覚」にすぎないことではありますが、やはり、一般的には、「イ」の位置に金星がありそうだというとらえ方のほうが有力になると思います。

 

このようないいかたが正しいのかどうかはわかりませんが、「図1」のような「ヒント」は、理科を苦手とする生徒に対する「思いやり」として、付け加えられたものです。

 

 

要するに、「図2」を考慮せずに、「図1」だけの情報をもとに「ウ」を解答してしまった生徒は、根本的に、正当な、正答への筋道を見失っていたわけです。

 

 

 

理科の入試問題で、「科学」をないがしろにしてしまったのは、確かに良くないことでした。

 

しかし、なぜ「不正確な図」が出来上がってしまったのかは、少しわかる気がします。

 

今回の場合は、難度を下げようという「配慮」が「裏目」に出てしまったということなのだと思います。

 

 

 

端的にいって、「ウ」を選んでしまった受験生は、必要とされるべき理科の知識を欠いています。

 

この設問の解答を求めるのに、「図1」の情報のみに依存してしまった受験生が「ウ」を選んでしまったとしたら、それは、どちらかといえば「あてずっぽう」に近い行動だといえるでしょう。

 

また、高度な理科の知識を持った生徒であるほど間違える可能性があるという見方もあるかもしれませんが、その考えには違和感を覚えます。

概して、思考力の優れた、言い換えるならば、取るべくして点を取るような受験生であるならば、設問の「意図」というものを考えるはずだからです。理科の学力が高い受験生であるほど「イ」という解答に行き着くでしょう。

 

 

中学で学ぶべき理科の知識をしっかりと学び、吸収してきた受験生ほど正答率が高くなるように作られているわけですから、この設問は、入試問題として「成立している」と判断せざるを得ません。

 

 

あえて指摘するならば、この件について、入試直後に速やかに「おかしい」と言う声が上がらなかったのは、「そのまちがい」が本質的なものではないからです。

 

 

 

「この問題」が「炎上」してしまったのは、東京都教育委員会がホームページでおこなった「釈明」が「おそまつ」だと思われたからなのだと思います。

 

「専門家」の目から見れば、あきれるくらいに「おかしい」のだと思います。

しかし、「補助線」がどうのこうの、という話は、もはや「入試問題」という焦点からはかけ離れすぎていると感じます。

 

 

東京都教育委員会に対して、「物申し」をしたくなる気持ちはよく理解できます。

 

しかし、ちょっと冷静に「大局的」に考えることも必要だと思います。

 

塾の人間は、小学生や中学生に勉強を教える仕事をしているわけですが、萎縮してしまった生徒ほど「ミス」をおかすということをよくご存じなのではないかと思います。

 

もちろん、「大人」を子供のように扱えというのでは、アホっぽい話にはちがいありませんが、それでも、人間や人間の集まりである組織は、そもそもそういうものなのでしょう。

 

事態が悪くなるのは、「本人の資質」が問題なのではない、と思うことは多々あるわけです。

 

 

別に、大目に見ろ、といいたいわけではありません。

 

今回の件に関しては、ちょっと「ずれている」と思います。

 

指摘されている「ポイント」は、入試選抜の機能を損なっていません。

 

 

(私が、自分はずいぶん「政治的」な人間だな、と感じるのはこういう思考をするからなのかもしれませんが。)

 

 

(ivy 松村)

 

 

(注:後日、この記事の間違いの訂正や補足の記事を書きました。こちらもあわせてお読みください。)