Here we go!

私立高校の推薦入試がはじまります。

 

面接や作文等が課せられる受験生は、面接、作文に力を入れて準備してきました。

 

また、英数国の試験に挑む受験生は、「最初の本番」を迎えます。

 

 

 

今日は、英語の演習の授業で、「適語補充」と「整序英作」の特訓プリントをおこないました。

 

「推薦入試」の直前、月並みに授業をこなすのであれば、サクサク解ける問題でお茶を濁すのですが、「それなり」のものを用意しました。

 

 

暗記しておかなければならない連語や、体に染み込ませてあるはずのパターンの構文など「とらなければならない問題」を落としまくっていました。

 

 

まあ、ボロボロでしたね。

 

「やばい」わけですが、それでもまだ、どうなるか、わからないのが、「最近の入試」です。

 

 

 

授業でも、ず~と言っていますが、「最近の入試」は、「パターン」や「知識」を使って正解を見つけるような問題が減少しています。

 

「意味」(内容、文脈、関連性、イメージ)と「形」(構文、語形、配置、構成)を手がかりにして、答えを導き出すのです。

 

 

「今」の時点で「装備」が不足していることは否めません。

 

しかし、勝敗を決する「決め手」となるのは、「装備」の多寡ではありません。

 

 

必要なものは、「意志」と、「分析」と、「粘り強い思考」、そして、その3つが作用することでもたらされる、ほんの少しの「ひらめき」です。

 

 

 

やり残したことがあっても構いません。さらに、勉強を続けるつもりで。

まだまだ「先」のある戦いです。まずは、力試しに。

しかし、同時に、勇気をもってぶつかっていこう。

 

 

 

・試験問題の全体の「量」と「構成」の把握を怠らないこと。

・「おさえる問題」、「捨てる問題」、「勝負の問題」、想定しながら答えを考えること。

・時間配分と「解く順番」を意識すること。

・ラインや記号、メモ等を駆使して、視覚的に情報を整理したり比較したりすること。

・あきらめないこと。

 

 

(ivy 松村)

 

 

「私立高校の授業料無償化」について

東京都の「私立高校の無償化」が大きな話題になっています。

少しだけ所感を書きたいと思います。

 

私は、小池さんは、「私立学校より」の教育政策を行うのではないかという懸念を持っていました。このままいけば、そうなりそうです。

 

小池さんが、「私立高校の無償化」へ傾斜した経緯や動機については、さまざまな憶測や分析がなされています。

 

 

近代以降、「政治的」という言葉は、「権力闘争における権謀」「利害調整やトラブル処理」「選挙対策」「世論誘導と情報統制」など、さまざまな意味を含有するものとなりました。

 

 

「私立高校の無償化」は、まさに「政治的」な決定なのだろうと思います。

いきづまりの打破、目線そらし、妥協の産物などなど。

 

 

 

これを「バラマキ」の一形態であると指摘する人もいます。

「教育費」の「バラマキ」によって支持率が上がることはあっても、下がることはありません。その意味では、手を出したくなる政策の一つです。問題は「財政」ですが。

 

 

 

さて、この「無償化」によって、私たちの税金は、どのように世をめぐるのでしょうか。

 

私立高校に通う生徒のいる家庭は、経済的な恩恵を受けるのでしょうか。

 

もちろん、少なからず家計の支出は抑えられるでしょう。しかし、その「経済効果」は、その歳出額の規模に比して、極めて限定的なものにとどまるでしょう。

 

 

私たちが注意深く見なければならないのは、無償化の対象が「授業料」であるという点です。

 

「授業料」の負担は、軽くなるのでしょう。

 

 

で、私立高校は?

 

 

想像力を働かせましょう。

 

制服や体操服等の費用、教材費、冷暖房費、図書購入費、修学旅行積立金、施設費、同窓会費…これらはどうなるでしょう。

 

 

言い分は、こうです。

 

今まで、「授業料」、なんとか払えてましたよね。「授業料」を払わなくてもよくなったのですから、余裕ができますよね。だったら、少しくらい「他」が値上がりしても、大丈夫ですよね。

 

 

「無償化」は、家計を助けることよりも、ある種の私立高校を儲けさせる「結果」が見え透いているように思えます。

 

本当に「都立高校ではなく、私立でも大丈夫」ですか?

 

 

もちろん、「誠実な私立高校」もたくさんあります。

しかし、そうではない高校がより多くあることは、よく知られた事実です。

 

 

 

もう少し「きわどい」指摘をするならば、「余裕があるはずだ」、という「推定」によって、学校は「寄付」を期待するでしょう。また、「各種団体」も同様の期待をするでしょう。つまり、特定団体に対するものではない、家計への「バラマキ」は、ある種の「ロンダリング効果」があるわけです。

 

 

 

2年前に、私立高校の学費について調べました。

 

参考までに:私立高校の学費 (→「授業料」以外の額が、大きくならないとでも?)

 

 

 

もし、私が毎年数十億の「教育予算」を使えるなら、迷うことなく、都立高校を充実させます。

都立高校の数を増やし、複数回受験の制度を作ります。

それによって、受験生の進学先は、より妥当に学力を反映したものとなるでしょう。

 

 

なぜ、ほとんどの都立高校は、一般入試選抜を1度だけしか行わないのでしょうか。

 

「ある面」からとらえると、それに「あぶれた」生徒を、私立高校に収容させるためであることがわかります。

 

 

 

毎年計上されることになる何十億の予算を使って、都立高校に通える生徒を増やすというのでは、ダメなのですか?

 

 

 

私立高校が困る?

 

高い学費を払っても、その学校に通わせたい、という家庭がある限り、その学校は困ることはないでしょう。

 

そのような学校が増えることは、間違いなく、私たちの社会を豊かにします。

たとえば、「渋幕」のような学校は、ひとつの光明である、といえるのかもしれません。

 

 

それで、「私立高校の無償化」によって、魅力的な高校は増えるのでしょうか。

まともな想像力を働かせれば、即座に思い描くことができます。むしろ、堕落することは明らかです。

 

 

 

少し考えてみればわかります。一体、「どのような私立学校」が困っているのか。

 

 

また、少し調べてみれば、実際には、困る、困ると大声でわめいているのがどのような高校なのか、わかるかもしれません。

 

 

 

それにしても、「困る」のは誰なのでしょう。

 

生徒たちですか?それとも、「利益を気にしている人たち」ですか?

 

 

 

(私立学校の実態について、以下の記事でもふれました。参考までに:私立学校と東京都教育委員会

 

 

 

(ivy 松村)

 

 

 

『みかづき』を読んで③

『みかづき』には、「塾の人間」が、違和感を持つ部分が少なからずあるように思います。

 

フィクションの作品に対して「リアルではない」と指摘するようなことは、まずもって無粋な行為だと承知しているつもりではありますが、それでも、一応、気になったことを(枚挙すれば切りがないので、二、三)述べておきたいと思います。

 

 

 

まず、広範囲に教室を展開する大手の塾チェーンは、「個人塾の塾組織」に加盟することはほとんどありません。

そのデメリットが大きすぎるからです。

 

たとえば、「塾組織」に定められた合格実績の表示等の「規定」が足かせになってしまいます。まあ、どのみち虚偽の数字を広告に使うとしても、余計な「精神的負荷」を引き受ける理由はないわけです。

また、講師の引き抜きや、教室の新規「出店」の際にも、軋轢が生じます。「塾組織」のメンバーと同一地域に「出店」しようとすれば、多少の非難を受けることになるでしょう。

 

利害を調整したり利権にまつわる情報を共有したりする機能を持たない「組織」に、より「組織力」の高い塾企業が加盟する合理的理由は、ほぼ皆無です。

 

ですから、やはり、塾チェーンの経営者が「個人塾の塾組織」の会合に臨席するというような状況は、ちょっと不自然だと思います。

 

 

 

また、本書の中で、「文部省(現在の文部科学省)の役人」が、「夜7時以降に小学生の学習指導」をしないように求める場面がありますが、条例や法律による「規制」ならばともかく、強制力のない取り決めなど、相手が「文部省」であっても、学習塾にとっては、一顧だにする必要もありません。

 

そのことをよくわかっている「塾の人間」は、話を持ち出す意味も分からないし、とりあう意味も分からない、と感じるかもしれません。

 

「許認可事業」ではない学習塾は、たとえ行政機関の「要請」であっても、基本的に、それを守る義務はないのです。

 

かなり誤解されやすいことですが、学習塾の「指導官庁」は「文部科学省」ではありません。あえていうならば、それは「経済産業省」になるのかもしれません。

実は、学習塾を監督したり指導したりする行政上のシステムや、学習塾を「規制」する制度や法律は、存在しないのです。

 

 

 

さて、では、「夜7時以降の小学生の学習指導を禁止する」というような法律や条例ができる可能性はあるのでしょうか。

 

率直にいって、不可能だと思います。

 

なぜなら、政治家や官僚をはじめとする、この国の舵を取る人たちの子息は、より上位の「学歴」を求めて、夜7時以降も勉強するはずだからです。

 

誰が、その案を提出するのでしょう?

 

 

さらにいえば、「もっと勉強したい」という希望を強権的に抑止しようという「発想」が、理解を得られるとは思えません。(その「発想」は、勉強を「労働」であるととらえることに端を発します。)

 

 

もう一言付け加えるならば、「塾の人間」が「夜7時以降に小学生の授業をしている塾はほとんどない」という発言をするのは、ちょっと現実味がないように思います。逆に、夜7時以降に指導をしていない進学塾を見つけることは困難だと思います。

 

 

(ivy 松村)

 

 

 

『みかづき』を読んで②

『みかづき』のなかで、とくに印象的だったのが、「塾にはまる」という表現でした。

 

これは、おそらく、森さんが取材をされた塾の方がおっしゃった言葉なのだろうと思います。

「はまる」という表現は、あまりにもぴったりだ、と感じました。

 

 

 

「はまる」というスラングは、「夢中になる」とか「没頭する」という意味で使われることがあります。

学習塾で教えるという仕事に、魅力や面白さを見出し、やりがいを感じている塾の教師たちが、この日本に、数多くいらっしゃることでしょう。

 

 

 

さらに「はまる」という言葉は、「良くない状態のまま、身動きが取れない」といった意味を持ちます。

この業界には、さまざまな「しがらみ」や「義理」に絡めとられてしまって、「脱出」できなくなってしまっている人もいらっしゃるのかもしれません。

 

 

 

また、「はまる」は、「ちょうどよく適合する」という意味で使われることもあります。

 

塾の教師は、一般的には、まだまだ人気のある仕事であるとは言い難いのが実情です。

(この小説が、塾の教師の社会的評価を向上させてくれることをひそかに期待しています。)

 

「将来なりたい職業」に塾の教師を挙げる子供は、いるとすれば、相当風変わりというか、希少な存在です。

 

反面、「学校の先生」は、根強い人気を保っています。その差の由来は、ひとつには、「学校の先生」が「安定した仕事」であるということが挙げられるでしょう。そして、また、塾の教師が、受験指導に特化した存在であることも一因として挙げられそうです。つまり、塾の教師は、どれほど生徒たちと信頼関係を築こうとも、本質的には、子供たちを「駆り立てる存在」であるわけです。

 

 

つまり、まあ、子供の頃から塾の教師になりたいと思っていた人間は、稀なわけです。

世の中のほとんどの塾の教師は、青年期に、ある種の成りゆきや勧誘を経て、塾と関わり、この業界に身を投じます。あるいは、就職活動の際に、塾で働くという選択肢を意識したのだろうと思います。

 

別に、自分を含めた塾で働く人間を卑下しようとしているわけではなく、人生のある時点に、思いもよらない「道」が立ち現れることがあるのだ、ということについて述べています。

 

 

それもまた、十分に幸福な、ひとつの人生の帰結なのです。

 

 

「塾にはまる」というのは、「自分の人生が、はからずも、塾という世界に合致する」という意味でとらえることもできそうです。

 

 

 

森絵都さんの小説『みかづき』は、2014年に連載がはじまっています。

執筆にあたって、学習塾業界についてかなり入念に取材されています。

 

実は、私も、同時期に、学習塾の歴史について調べていて、何やらちょっと、勝手な親近感を持っています。

 

いずれそのうち「塾の歴史」について、このブログに書こうと思っていたのですが、そんなものに興味のある人がどれだけいるのだろうか、と考えてしまい、いくつかの記事の中で少し触れたこともありましたが、特にまとめたものを書くこともないままにしてしまいました。

 

触発されてしまったので、そのうち、書くかもしれません。

 

 

(ivy 松村)

『みかづき』を読んで①

お正月の休みを利用して、森絵都さんの『みかづき』を読みました。

数か月前に購入して、読む機会をうかがっていたのですが、読了することができました。

(生徒たちに、正月はどのように過ごすのか聞かれて、その度に「本を読む」と答えていたのですが、実は、この小説を読んでいたのです。)

 

 

これは、おそらく、学習塾を舞台とした、初めての「本格的な小説」になると思います。

 

 

読後しばらく、「もやもやした感じ」が続いていたのですが、その原因は、私が「塾の人間」としてこの作品を受け止めようとしていたからだと気付きました。

そこで、「塾目線」をしまい込んで、改めてこの小説をとらえ直してみると、いろいろなことがよくわかってきました。

 

 

 

『みかづき』には、複雑な「親子関係」が描かれます。

 

 

数代の親子の系譜とその人生、時代を描くストーリーは、割と古典的な文学の題材です。

代表的な作品として、ユン・チアンさんの『ワイルド・スワン』があります。この作品は、もしかすると、『みかづき』の構想に影響を与えているかもしれません。

 

 

 

タイトルの「みかづき」は学習塾のメタファーです。学校は「太陽」です。

学習塾は、学校という「太陽」の光を与えられなければ、自身に光をともすことができない「二次的」な存在であるというわけです。そして、学習塾がいまだ十分に成長していない存在であることを示しています。

 

 

また、「みかづき」というモチーフは、登場人物それぞれが抱える「欠落」を象徴しているととらえることができると思います。

 

『みかづき』の登場人物は、みな、それぞれ何らかの「欠落」を抱えて生きています。

 

彼らは、物語の中で、それぞれ、家族の誰かを傷つけたり、疎外したりする「大きな決断」をします。その決断は、それぞれが抱える「欠落」に起因しています。

 

この小説は、途中で「視点人物」が入れかわる独特な構成になっていますが、それは、「大きな決断」の際の葛藤を、「あえて描かない」ためなのだろうと思います。家族のきずなを打ち砕くような蹉跌と喪失が何度も訪れつつも時代は刻々と流れていく、そういった「演出」の意図を感じます。

 

 

この小説を読んで、私が持った「違和感」のうち最も大きなものは、吾郎が「大きな決断」をした際の葛藤が描かれていなかったことでした。

これは、私自身に、「自分の経験」を重ね合わせて読もうとする心理が働いたためなのだろうと思います。

 

 

 

また、私は、序盤の主人公である吾郎の「視点」を保ちつつ読み進めようと試みたのですが、そうすると、ちょっと見えてこない「部分」がありました。

 

 

実は、この小説世界の「軸」は、「赤坂の血脈」の方にあって、吾郎の存在は、いわば「媒介」であるといえます。

 

頼子→千明→蕗子→一郎という系譜に、吾郎の血筋はかかわっていません。

 

「赤坂の血脈」を「軸」にして物語の「構造」をとらえ直してみると、ある家族のもとに「まれびと」が訪れ、福をもたらす(そして去っていく)、という実にプリミティヴな物語の展開を見出すことになります。

 

 

そして、父親不在という「欠落」をかかえた「赤坂の血脈」、それもまた、「みかづき」であるといえるわけです。

 

吾郎は、学校という公的な場所から、赤坂家が営む学習塾、「私的な」空間へと転じます。

 

つまり、「役割論」的な読み方をすれば、吾郎は、「太陽」から「月」に向けて放射された「光」であるということになります。

 

 

この小説は、吾郎という「太陽の光」を蓄積し、「欠落」を満たしていく「赤坂の血脈」の物語でもあるわけです。

 

 

 

(ivy 松村)

 

The season

本年度最初の「合格」のお知らせがありました。

東北の私立高校への進学が決まりました。

 

おめでとうございます。

 

面倒なこと、はがゆいことであっても、嫌な表情をせず、地道に取り組もうとするところが、きみの最大の長所だと思います。

大変だけれども、やりがいのある道を進む決心をしました。応援していますよ。

 

進路は決まりましたが、体調がよくなったら、もう少し一緒に勉強しましょう。

 

 

 

センター試験。

本番に挑む受験生たちの顔が思い浮かびます。

 

 

ゲンをかついでもいいし、かつがなくてもいい。

予感があってもいいし、なくてもいい。

特別な応援があってもいいし、なくてもいい。

 

 

開始の合図が聞こえたら、目の前の「問い」に向き合うだけ・・・。

 

 

あとのことは、あとのこと!

 

 

 

がんばってください。

 

 

 

(ivy 松村)

冬期講習を終えて

冬期講習が終了しました。

参加してくださった生徒のみなさん、お疲れさまでした。

 

今年の冬期講習、とても充実したものになりました。

 

小4の国語は、文章題と知識系の問題をたくさんこなしました。

物語は、少しずつ自分の力で読めるようになってきましたね。

 

小5の国語も、文章題と知識系の問題をどんどん進めました。

「漢字の組み立ての問題」では、日頃の成果を発揮しました。

 

小6の都立コースでは、漢字テストと作文の書き直し。

授業のない日にも塾に来て、算数や作文にしっかり取り組みました。

 

小6の特訓コースは、毎日過去問と解説の日々。

だんだんと、得点力がついてきました。いっそうがんばりましょう。

 

中1は、毎日の小テストを意欲的に取り組んでいました。

今回の講習で勉強の面白さを実感できるようになってきたようです。

 

中2の国語は、文章の「構造」を考えながら読むことと、記述問題へのアプローチを中心に学習しました。英語は、入試に直結するようなハイレベルな内容の文法を扱いました。

 

中3は、文法パターン演習、リスニング、過去問演習、解き直し、レポート、全訳&チェック、そして単語オリンピック(再)。盛りだくさんでした。

 

 

本日は最終日でしたが、中3の生徒たちは、まだ余力がありそうな様子でした。

明日、明後日をしっかりと活用してください。

 

毎日12時間ぐらい塾にいて勉強していましたが、よどみなく、やるべきことを見すえて取り組むことができたのは、とても良かったです。

正直、「まだまだ」という部分ばかりですが、そのタフさと素直さは、すごく大きな武器となっています。やはり、「合宿」は非常に大きな意味をもちました。

 

 

 

さて、中2には、本日、告知していたとおり、八王子東の16年度の入試問題を解いてもらいました。

講習には、少しばかり「ヒリヒリ」するような刺激があっってもいいのです。

 

初めて入試問題を解いて、さまざまな感慨を持ったことだろうと思います。

一人ひとりに、その点数をどう受け止めるべきか、少し話をしました。

 

 

ある生徒に、登る山は、高い方がいいに決まっている、今の自分が満足のいく点数を取れるような高校であってほしくないだろう、と伝えました。

 

 

みんな、「漢字がやばい」という初めての経験をしたようです。

「記述がエグい」という感想も聞かれました。

 

 

八王子東は平成15年度から入試問題の「自校作成」を行っています。

15年度は少し「クセ」のある問題だったので敬遠し、16年度をチョイスしました。

 

今回、どの年度の問題を使うのか決めるために、改めて、古い「自校作成」の入試問題を見なおしました。

初期の八王子東の「自校作成」の入試問題、「緊迫感」があります。「気合入っているな」という感じで、引き込まれます。「都立の入試問題の形式」からはみ出ていこうとする「エネルギー」がみなぎっています。

 

 

一方、近年の八王子東、なんだか「スクウェアな感じ」が強まってきているように感じます。

入試問題、学校が公開する情報、卒業生や在校生の声、様子。

そして進学実績。「東大目指すよりも、中堅の国公立」。みたいな。

 

本年度の都立高校の志望校調査で、八王子東の倍率が低迷していますが、いろいろと考えてしまいますね。

 

 

生徒たちが目指す場所は、その魂を激しく揺さぶるような、高い山であってほしい。

 

 

 

今日、過去問を解いた中2の生徒たちは来年、受験に挑みます。

 

 

「自校作成」が復活します。

 

 

今日の日を第一歩に、一年をかけて「高み」を目指す生徒たちは、どんな入試問題と対峙することになるのでしょうか。

 

 

(ivy 松村)