令和随想 ―春を忘るな―

新しい時代の節目に、今一度文章を書こうと思います。

令和と名付けられた新時代に、まだ、このブログに書こうとは思いもよりませんでしたが、ちょっと書かせてもらおうと思い立ちました。

どのくらいの方の目に留まるのかわかりませんが。

 

 

「五月病」になっている人はいないか、ちょっと心配です。

今は運動会の季節ですね。それから、中間テストのある学校もあります。

ぜひとも頑張ってください。

 

 

それにしても、令和という新しい時代の訪れは、実に印象的でした。

寒さが去って陽気に包まれ、まるで春が二度訪れたかのような風情でした。

一度雨が上がって日差しに恵まれたことも、何となく象徴的に思えます。

 

 

「令和」という元号に、多くの人が、すでに親しみと好感を抱いています。

 

「令」という文字が元号に使われるのは初めてのことですが、「れい」という音は、日本人にとって愛着のある響きです。

 

礼、例、霊…など、数多くの言葉に「れい」という音があらわれます。

 

日本人にとって、麗しく心地よく感じられる響きです。それで、「れい」という音を名前に持つ人も多くいらっしゃいますね。

 

 

ところが、興味深く不思議なことに、「やまとことば」には元来「れい」という音が存在しません。

もうすこし正確にいえば、「やまとことば」には、語頭に「らりるれろ」の音をもつ語彙が存在しないのです。

 

「れい」という音をもつ語彙は全て「漢語」か「外来語」に由来するものです。

 

中国由来である「元号」は、「音読み」の漢字で構成されます。当然「れいわ」も「音読み」です。

 

「令和」は、史上初めて漢籍ではなく、日本の古典である「万葉集」を出典とする「元号」ですが、やはり、中国の文化と「縁」のあるものだと感じられます。

 

 

 

その「令和」ですが、「万葉集」に収められている「梅花の宴」の「序文」が典拠となっています。

 

天平二年(730年)の正月に、九州の太宰府、大伴旅人(おおとものたびと)の邸宅で歌会の宴が開かれました。

そのときの様子が、「梅花の宴」の「序文」に漢文で記されています。

 

 

初春 月氣淑風 梅披鏡前之粉蘭薫珮後之香

 

 

「初春のよい月が出て、空気はこころよく風はやわらかに、梅は鏡の前で白粉の(入れ物を開ける)ように花開き、蘭は腰帯にさげた香のように薫っている」

 

 

この一節から「令和」という新しい御代の名称が誕生しました。

 

清々しく穏やかな「春」の訪れをともに分かち合う喜びが、二つの字に込められているのでしょう。

 

 

 

大伴旅人は大宰府の長官を務めた人物です。

 

旅人は、政争に敗れます。そして九州に赴任させられたのです。

 

 

当時の貴族たちは、「都」から遠ざけられるということを非常に恐れました。

「都」は唯一の文明世界でした。鄙地での生活は、強烈な疎外感、劣等感を与えられるものでした。

そのため、政敵に対する報復や、気に入らない者への仕打ちとして、地方への「左遷」が効果的に使われたのです。

 

大宰府の長官に任命されるということは、不幸であり悲劇であったわけです。

 

 

 

しかし、旅人は、九州での生活を謳歌しようとしたのでしょう。

山上憶良など、当地の文化人たちと交流を持ち、風雅な歌会を催しました。

 

「梅花の宴」の「序文」に、旅人の満ち足りた「心持ち」があらわれているように感じます。

 

 

 

ところで、「梅花の宴」の「序文」ですが、「元ネタ」の存在が指摘されています。

それは、古代中国の詩の一種、後漢の時代に活躍した張衡(ちょうこう)の『帰田賦』(歸田賦)「きでんのふ」です。

 

 

「梅花の宴」の「序文」と、その原典とされている『帰田賦』の当該箇所を比べてみましょう。

 

 

初春 月氣淑風 梅披鏡前之粉蘭薫珮後之香

 

仲春 月時 氣淸原隰鬱茂百草滋栄

 

 

 

非常に良く似ていますね。

 

こうした「比較」は往々にして「形式」に焦点があたるわけですが、私としては、『帰田賦』の「内容」に興味を持ちます。

 

 

『帰田賦』を記した張衡は、優れた芸術家、文筆家、学者であり、そして皇帝に仕える高級官僚でした。しかし、腐敗した政治の世界を嫌い、官職を辞して穏やかに暮らすことを望みました。

 

『帰田賦』は、その心情を綴った韻文(詩)なのです。

 

『帰田賦』=「田園に帰る詩」という意味になります。

 

張衡は、退廃的な政治の舞台を離れ、豊かな自然の中で人間性を回復していくことに人生の意義を見出したのです。

 

 

 

その「背景」を知れば、なぜ「梅花の宴」の「序文」に『帰田賦』の一節が借用されたのか、よくわかります。

 

「梅花の宴」の「序文」を書いた人物は、実は、確かになっていないのですが、おそらく旅人でしょう。

 

 

平城京を追われた旅人は、失意と悲観にくれる余生を送るのではなく、大宰府の地で、気品を失わず典雅に、風流に振る舞う気概を持ち続けようとしたのだろうと思います。

 

旅人は、『帰田賦』に自身を仮託し、遠地での生活に積極的な「意味」を見出そうとしていたのではないかと感じます。

 

 

 

そして、「梅花の宴」は、どうしても、ある人物を想起させます。

 

 

菅原道真です。

 

 

「大宰府」、そして「梅」というワードが、旅人と道真を結び付けます。

 

道真もまた、旅人と同じく、朝廷の権力闘争に身を投じ、敗れ、大宰府に送られる運命をたどります。

 

その際に道真が詠んだとされる歌は、よく知られています。

 

 

 

東風(こち)吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 主(あるじ)なしとて 春を忘るな

 

 

 

「東風が吹いたら匂いを香らせておくれ、梅の花よ。主人(私)がいなくとも、春を忘れてくれるな。」

 

 

東風(こち)というのは春に吹く風のことです。

 

道真は、自分の庭の梅の木に向かって、自分がいなくなっても春がきたら忘れずに花を咲かせなさいと、語りかけたとされています。

 

しかし、実際に道真が「どのように」この歌を詠んだのかは、わかっていません。

この歌は、道真の死後見出されて、広く知られるようになりました。

 

 

結句(第五句)には二つのバージョンがあって、「春を忘るな」ではなく「春な忘れそ」となっているものもあります。

 

 

この道真の歌は、おもに以下のように「解釈」されます。

 

ひとつは、梅の木に「自分の無念を忘れずに思い起こせ」と言い聞かせているという説です。

これは、道真の痛烈な「遺恨」が表現されているという「解釈」です。

 

さらに、道真は梅の木に「東から吹く風」に「匂い」を乗せて、大宰府にいる自分のところまで届けてくれ、と懇願しているのだというも説もあります。

これは、大宰府に遠ざけられても「都」との結び付きを保っていたいという未練、つまり、道真の、中央政界への「執着」が表れているのだという「解釈」です。

 

 

道真は、九州の地で不遇のまま眠りにつきます。

道真の悲運の人生は多くの同情を誘い、人々は、道真の魂が、いくらかでも慰められることを望みました。

そうした人々の憐憫の思いが、道真の邸宅の梅の精が大宰府に飛んでいったという、有名な「飛梅伝説」を生んだのだと思います。

 

 

 

私は長い間、道真は敗北感と無念を抱え、打ちひしがれて「都」を後にしたのだろうと思ってきました。しかし、「最近」になって、別の「見立て」を持つようになりました。

 

 

道真は、梅の木に対して「己の本性を忘れるな」と伝えようとしているのではないか。

他者のために咲くのではなく、「梅としての本質をまっとうするために」咲きなさい、と語りかけているのではないか。

 

 

道真は、優れた学者でもありました。

万葉集に収録された「梅花の宴」のエピソードについて、造詣を持っていたはずです。

 

道真は、旅人に自らを重ね合わせていたかもしれません。

 

これから九州の大宰府に向かう。その地で毅然と生き抜くために、旅人のように、「大宰府の梅花」をいつくしむ。そのような志で旅立とうとしていたのだとしたら。

 

もちろん、それは京にある自分の邸宅の梅の花に対する「情」が薄まったということではありません。運命によって惜別を余儀なくされたわけです。

 

その梅の花に向かって、道真は、「お前は、自分のために自分の花を咲かせなさい」と諭しているように思えるのです。

 

 

道真は、弱音を吐露したり自己を憐れんだりするためにこの歌を詠んだのではない。

「残していくもの」を鼓舞するためにこの歌を詠んだのだ。

 

 

私は、新しい道真像を思い描きました。

 

 

 

そして、菅原道真は、私に、さらにまた、もうひとりの人物を思い起こさせます。

 

 

陶潜(とうせん)〔陶淵明〕です。

 

陶潜は、史上最も有名な中国の詩文のひとつ、『帰去来辞』(歸去來兮辭)「ききょらいのじ」を記しました。

 

その『帰去来辞』に「訓読」をつけたのが、道真なのです。

 

 

 

歸去來兮 田園將蕪胡不歸

 

帰りなんいざ。田園将(まさ)に蕪(あ)れんとす。胡(なん)ぞ帰らざる。

 

 

「さあ、帰ろう。故郷の田園が今まさに荒れようとしている。どうして帰らずにいられようか。」

 

 

 

「歸去來兮」という箇所ですが、これは、漢文の本来の訓読のルールに従えば、「帰りなんいざ」とは読めません。

 

しかし、道真は、これをあえて「帰りなんいざ」と読みました。以後、私たちは「歸去來兮」を「帰りなんいざ」と読み習わすことになったのです。

 

 

 

陶潜は、中国の六朝時代の人です。

官吏=役人としての生活を捨て、故郷の田園で暮らそうという決意を『帰去来辞』に記しました。

 

陶潜は、後世に大きな影響を与えます。

中国の知識人たちは、陶潜に倣って、俗世間を脱し「晴耕雨読」の隠遁生活を送ることをある種の理想としました。

 

その「模範」になったのが『帰去来辞』でした。

 

のちに、自然の中でのびのびと自由に生きることを主題とする詩が作られるようになります。また、まったく別の潮流によるものですが、近代のヨーロッパでも同様の主題の詩が数多く創作されました。これらを「田園詩」と呼びます。

 

陶潜は、こうした「田園詩人」の嚆矢であり、巨頭であると評されています。

 

ちなみに、日本でも、たとえば兼好法師などがその「文学性」を受け継いでいます。

 

 

それから、ちょっと細かい説明をすると、『帰去来辞』は、韻文(詩)なのか散文なのか、意見が分かれています。

どちらにせよ、漢文学史上、もっとも重要な作品のひとつであることはまちがいありませんが。

 

 

 

さて、ここで、『帰田賦』の張衡を思い起こさずにはいられません。故郷の田園に帰る希望と喜びを表現した『帰田賦』は、『帰去来辞』より300年近く前の時代に作られた詩です。

 

実は、張衡こそが「田園詩人」の先駆者だったわけです。

 

 

『帰田賦』は「梅花の宴」の「元ネタ」なのではないかということで、日本と中国でにわかに注目を浴びました。しかし、私は、その作者張衡と『帰去来辞』の作者陶潜、二人の詩人の「類似性」に強くひきつけられます。

 

両者は、官職を辞し、田園での生活を求めました。

 

二人の偉大な表現者は、ともに、心を圧殺するような「しがらみ」を離れ、思いのままに生きることのすばらしさを描いています。

 

 

きっと、世の中の多くの人が、「帰りなんいざ」という句を懐の中で握りしめながら、日々の生活を送っているのだろうと思います。

私の懐中にもこの言葉が、ずっとあり続けてあったのです。

 

 

 

令和の随想の中で、四人の詩人の人生が重なり、交錯し、連環します。

 

 

 

令和という新しい元号は、春という季節にスタートするということで、選定にあたって、春のイメージが投影されました。

 

春といえば、私たちはやはり「桜」を思い浮かべますが、道真は「梅」を詠みました。

 

もちろん、道真にも「桜」の歌はありますが、「東風吹かば」の歌は「梅」でなければなりません。

 

なぜなら、匂う花は、「梅」だからです。

 

「桜」は、華やかで情緒豊かで、私たちの目をとらえて離しません。私たちは「桜」によって視覚を占拠されることを望みます。私たちが「桜」に心酔するのは宿命的であるかのようにさえ思えます。

 

一方、「梅」は、古来より、香で人々を魅了してきました。

 

 

「匂い」の感覚、すなわち嗅覚は、私たち人間の五感の中でもっとも未発達な機能です。

 

しかし、おそらくそれゆえにこそ、「匂い」は、私たちの記憶や心象と深く結びつくのでしょう。「匂い」は、「懐かしさ」や「心地よさ」、「愛着」、「親しみ」などの情感を呼び起こします。

 

現代人はとにかく「匂い」を嫌いますが、「匂い」は本来、好ましい感情に寄り添う感覚なのです。

 

 

また、「匂い」は、直接対象を、目視することなく認識させます。

 

「匂い」によって見えなくても対象が存在していることを感じたり、残っている「匂い」で対象が「存在していた」ことに気づいたりすることがあります。

 

 

花が咲いたことを知るためには、通常その花の眼前に赴く必要があります。

 

逆にいえば、離れた場所、あるいは、さえぎるものがある場所では花が咲いたことを確認することはできません。

 

しかし、「梅」であれば、その場にいない人に、花が咲いたことを知らせることができるわけです。

 

だから、「東風吹かば」の歌は「梅」でなければならないのです。

 

 

そして、「匂い」は、生命力、熱意、魅力、運気、活気などの発露であるとみなすことができます。

 

道真は、「梅」がたくましく生長し、精一杯生き続けることを願っていたにちがいありません。

 

 

 

東京では、「梅」は二月の終わりごろに咲き始めます。旧暦では、もう、「春」を迎えています。

 

私にとって、都立高校の入試日の「入試応援」は毎年の「区切り」のようなものとなっていて、受験生を見送って、その年の「任務」が終わったような心持ちになります。

もちろん、まだ「やること」は残っていますが、「やれること」はなくなるわけです。

 

いつのころからか、ぶらぶらと散策し、咲いている「梅」を見つけながら帰るのが恒例の行事のようになっていました。

 

 

「梅」を見て、菅原道真に思いを馳せ、そして「帰りなんいざ」とつぶやく。

何処に帰るのか、とぼんやりとつっこみながら。

 

 

二人の人物の幻影が、私の脳裏をよぎる。

 

解放感と希望に満たされて在地を離れ去ろうとする陶潜。

屈辱と怨嗟にとらわれて在地を離れ去ろうとする道真。

 

 

長い間、道真の歌は、私の心の「重し」のようでした。

 

 

しかし、この令和の時代に、私は、新しく菅原道真の実像に巡りあったのです。

 

 

 

 

 

菅原道真公は、広く「学問の神様」として信仰されています。「受験」に携わる人間にとって、やはり特別な存在であるといえます。

 

 

道真公が、「匂ひおこせよ」という言葉で、間接的に、「春」に「花」を咲かせなさい、と梅の木に思いを伝えます。私にとって、やはり、それは、象徴的な意味を帯びているように感じられます。

 

 

 

最後に、ここに私が書く言葉は、繰り返し、道真公の歌です。

 

この言葉を、令和の「受験生」たちに。

 

 

 

東風吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 ―

 

 

 

退任のお知らせ

私は現在ivyの教務を離れております。

ブログでお伝えするのが遅くなってしまい、大変申し訳ありません。

 

ivyはすでに新体制で始動しています。

 

やはり、ブログの読者の方々や、ブログを通して当塾のことを気にかけてくださっている方々にもお伝えするべきだと考え、書かせてもらうことにしました。

 

 

ご縁を結ばせていただいた生徒・保護者のみなさま、篤厚のご支援・ご助言をくださったみなさま、ありがとうございました。

あらためて、衷心より感謝申し上げます。

 

至らぬ点、気がまわらぬ点、未熟な点も多々あり、ご迷惑をおかけしたこともあったろうと反省するばかりです。

 

 

また、当ブログでは、怖いもの知らず、ドン・キホーテの蛮勇で、ずけずけといろいろなことを書かせていただきました。不快に思われた方々もいらっしゃったのではなかろうかと、今となっては恐縮するばかりです。寛大なお心でご容赦くださいましたら、かたじけなく存じます。

 

 

 

当ブログは、存外多くの方に愛読いただいき、気苦労もありましたが、やりがいを持って取り組ませていただくことができました。

 

過去に、私はブログの閲覧者数などをまったくチェックしていないと申し上げたことがありますが、疑っている人もいるかもしれません。が、偽りなく本当です。

実際よくわかっていないのですが、たまに、ネットで検索をしていると、このブログの記事がひっかかったりして、ちょっと驚いたりします。

 

読んでくださった方に、何かしら意味のあることを提供できたのかもしれないと思える兆候を発見したときに、ささやかな充足感を得ることができました。

 

当ブログの記事を紹介してくださったり、コメントを寄せてくださったりしたみなさまにも、謹んで御礼申し上げます。

 

 

 

卒業生のみなさん、みなさんのことはいつも気にかけています。

 

塾のブログなので、東大だの旧帝大だのと威勢のいいことを書いているわけですが、実は、割と、そんなことばかり考えているのも不健康だなと思っています。

 

大学にしても就職にしても、自分にとって、それがよりよい人生の道筋となるかどうか、しっかりと考え、悩んでください。

 

ただ、自分自身に頑張れる素質が備わっているとわかっている人には、困難に挑戦してもらいたいと思います。

 

 

 

そして、このブログを読んでいるかどうかわかりませんが、塾生のみなさん、みなさんのことを考えようとすると、胸がいっぱいになります。

 

みなさんの成長と成功を、いつもいつも願っています。

 

 

どうか、このブログの過去の記事を読んで欲しい。

 

みなさんに、伝えたくて伝えられなかったことが書かれています。

 

過去の記事は、もちろん過去の生徒に向けて書かれたものです。

でも、変なことをいうようですが、それは、みなさんに向けて書いたものでもあるのです。

 

書かれた言葉は残ります。

書くという行為は、未来に向けて行われるものでもあるのです。

 

 

しかしながら、このブログの命脈は長くありません。

 

私の書いた記事は、頃合いに削除されます。

 

 

 

無価値な記事もいくつかありますが、みなさんの端末に保存してもらえれば、私の記事は残ります。いつか、あなたにとって意味のある記事を見つけることができるかもしれません。

 

 

 

まだ、ちょっとわかりませんが、削除される前に、もしかすると、まだ、少し何かを書かせてもらうかもしれません。しかし、もしかすると、書かないかもしれません。

 

書くとしても、どんなことを書くか全く決めていなので、東京オリンピックのことなどをかいたりするかもしれません。

 

 

その意味で、この文章は実質、最後の記事です。

 

 

 

末筆に、ご愛読くださいましたすべてのみなさまのご健勝とご活躍を切に祈念申しあげます。

 

 

 

(松村)

 

come over to overcome

今日は、都立高校入試の合格発表の日でした。

 

塾生ではない生徒も、わざわざ報告に来てくれました。

 

入試の結果を伝えに来てくださった受験生のみなさん、ありがとうございました。

 

 

はにかんだような喜びの笑顔を見せてくれた生徒がいる一方で、まだ少し笑顔がぎこちない生徒もいました。

 

気持ちに整理をつけて、行くべき道を進もうとするその表情に救われました。

「塾に入ってよかった」という言葉に救われました。

 

 

「安全策」を何度も提言しました。

しかし、チャレンジの道を選びました。

 

望まない結果であっても受け入れる覚悟をもって、前進することを決意したのです。

 

「その経験」を大事に温めてほしいと思います。

 

 

 

これから進む道を見つめてください。

在校している生徒にいろいろと聞いていますが、きっと気に入ると思います。

 

入試の日に訪れたついでにと思って、帰る前にぶらりと一周してみました。

広くて落ち着いた雰囲気のある学校でしたね。

 

 

立派に合格を勝ち取った場所です。

志を携えて踏み入ってください。

 

 

 

そして私も、気持ちに整理をつけなければなりません。

 

 

 

 

 (ivy  松村)

 

平成31年度 高校入試志願傾向分析②

近年の私立大学附属校の「志願傾向」は、慶應義塾高校の入試日の変更に大きな影響を受けました。

 

慶應義塾高校は、もともとは2月13日を試験日としていましたが、神奈川県立高校の試験日変更の余波を受けて、→2月12日に変更され、その後→2月10日となりました。

 

今、とっさにこれを「ケイオウギジュクの大移動」と名付けましたが、この「ケイオウギジュクの大移動」が、近年の他の私立附属校の男子の倍率の乱高下を引き起こしました。

 

 

数年前には、上位の私立附属校を狙う男子の受験生は、以下のような受験パターンを組むことができました。

 

 

2月1日  立教新座

2月7日  慶應志木1次

2月9日  早稲田大学本庄高等学院1次

2月10日 早稲田実業

2月11日 (慶應志木2次)or 早稲田大学高等学院

2月12日 明治大学付属明治 or 青山学院

2月13日 慶應義塾1次

2月14日 (早大本庄2次)

2月16日 (慶應義塾2次)

 

 

「慶應」は、他の高校の「併願校」になるのを嫌うので、慶應志木は早大学院の試験日にあたる2月11日に、2次試験をぶつけます。

 

そして、慶應義塾は国立附属校の試験日である2月13日にぶつけていたわけですが、私立附属志望の受験生にとっては、2月13日はむしろ都合がよかったといえます。

他の私立附属と競合しない日程だったからです。

 

慶應義塾の入試は、附属志望の受験生にとって、入試シリーズ最後の「ラスボス」に挑むという趣向があったわけです。

 

 

ところが、神奈川県の高校受験の事情によって、慶應義塾は2次試験の日程を前倒しする必要に迫られます。結果、慶應義塾の1次試験が2月12日に変更となります。

 

そのインパクトの直撃に見舞われたのが、明大明治、青山学院、そして明大中野といった2月12日を試験日とする私立附属校でした。

 

これらの高校は、一時的に応募者数を減少させます。

が、慶應義塾が平成29年度に再度試験日をスライドさせたことによって、応募者数を回復しました。

 

 

 

○過去4年の慶應義塾、明大中野、明大明治、青山学院の受験応募者数

 

 

31年 30年 29年 28年
慶應義塾 1336 1386 1164 1779
明大中野 1056 1026 1006 861
明大明治 462 463 456 275
青山学院 411 422 343 331

 

 

 

29年度から、明大中野と明大明治の応募者数が大きく増加しています。

ちょうど、明治大学の人気が上昇していることが話題となっていた時期でもあったので、2つの明治大学の付属校の応募者数の増加は、大学人気が高校受験に波及したものであるという分析も見られました。

 

しかし、この2校の応募者数が再び増加した直接の原因は、慶應義塾の入試日の変更であるといえます。慶應義塾との「競合状態」が解除されたために、再び応募者数を増やすことができたわけです。

 

 

 

明治付属の2校に対し、青山学院は応募者数が増加に転じるまで1年の「タイムラグ」があります。青山学院の応募者数が増加するのは、平成30年からです。慶應義塾が入試日をずらして2月12日を退いた翌年です。

 

これは、キリスト教プロテスタントの学校である青山学院の事情が関係しています。

 

平成29年は、青山学院の従来の試験日である2月12日が「日曜日」だったのです。

 

キリスト教の「教義」にもとづき、青山学院はこの年、「安息日」とされる日曜日の入試実施を避け、試験日を2月11日にずらしました。

 

そのため、慶應志木の2次、早大学院、明大八王子、中大高などの試験日と競合することになってしまったのです。

 

平成30年度になって、青山学院の試験日は従来の2月12日にもどります。

これによって、早慶の有力校との「競合状態」が解除され、ようやく応募者数が増加することになったわけです。

 

 

中学入試では、プロテスタント系の学校が日曜日を忌避して試験日をずらす措置をとることがよく知られています。いわゆる「サンデーショック」と呼ばれるものです。

 

高校入試でも、「同様の状況」が起こります。

特定の高校が試験日をずらすために、ある年だけ、特別な併願が可能となったり、逆に、併願が不可能となったりするわけです。

 

高校受験では、青山学院や明治学院の附属校、そして、国際基督教大学高校(ICU)。これらの高校が日曜日を避けて試験日を移動させる年は、「志願傾向」に変化がもたらされます。

 

本年度は、2月10日が日曜日でした。したがって、例年この日を試験日とするICUが日程をずらしました。本年度のICUの入試は2月10日ではなく、2月11日に実施されました。

後述する通り、本年度の高校入試は、ICUの試験日変更に少なくない影響を受けています。

 

 

 

ところで、平成29年度に青山高校が試験日を2月11日に移動させたことは、明治大学のもうひとつの付属校、明治大学中野八王子高校の「志願傾向」を翻弄させることになりました。

 

 

○過去4年の明治大学中野八王子高校(男子)の受験応募者数

 

31年 30年 29年 28年
明八 239 325 228 303

 

 

 

29年度に応募者数が減少し、30年度に増加、そして本年度31年度に減少していることがわかります。

 

まずは、「隔年現象」で説明できるでしょう。

 

そして、29年度の応募者数の減少は、青山学院が明八と同日の試験日である2月11日に移動してきたことも要因のひとつであるといえるでしょう。「お互い」が応募者を奪い合った結果、両校ともに応募者数を減少させたわけです。

 

30年度は、青学が試験日を2月12日に戻したために、明八の応募者は再び増加しました。

 

また同時期に、国立大学の「入試改革」の不透明さなどを要因として、私立附属の人気がにわかに高まったことも、「追い風」となりました。

明八をはじめ、いくつかの私立附属校は推薦入試の応募者を増加させました。

 

 

推薦入試は、「入学のしばり」をともなう受験です。

したがって、推薦入試の応募者の増加は、その高校に必ず入りたい、という「受験熱」の高まりを示しています。つまり、人気の上昇を示唆する「計測機」とみなすことができるわけです。

 

ただし、明八の場合は、少し特殊な事情も作用しています。明八の推薦入試の受験者は、不合格になっても、一般入試での「加点」が得られます。推薦入試の「基準」が比較的ゆるいわりに、一般入試での「メリット」は存外に大きいわけです。

 

推薦入試の応募者が急増したことによって、「加点」を持った一般入試の受験者の割合が高まりました。そのため、明八の昨年度の一般入試は、近年にない激戦となりました。

 

今年31年度は、前年の激戦ゆえに回避傾向が生じて、明八は応募者を減少させました。

 

 

そして、明八の本年度の応募者の減少には、他校の「試験日の移動」も影響していると考えられます。

 

すなわち、本年度は2月10日が日曜日となったことで、2月11日にICUとの競合が生じたわけです。今度は、明八とICUとの間で応募者の奪い合いが起きたのです。

 

 

 

東京と神奈川の入試日は、2月10日、11日、12日の3日間に集中しています。

 

私学の取り決めで、10日より前に試験日を設定することはできないので、10日に入試を行えないときには、試験日を11日に遅らせることになります。

 

また、12日に入試が行えないときには、試験日を11日に前倒しすることになります。13日では、国立附属高校の試験日と重なってしまいます。また、14日の神奈川県立高校の試験日、都立高校の志願変更日などとの兼ね合いから、試験日を「後ろ」にずらしてしまうと、受験者の試験日程を圧迫し、募集に影響が出てしまいます。

 

そのため、ある年の日曜日が、2月10日か12日に重なった場合に、11日に「例年にない競合」が生じてしまい、同日に試験を行う高校の募集が低調になってしまうことがあるわけです。

 

2月11日に試験日を設定している中央大学高校も、やはり明八と同様に、29年度に応募者数を減らし、翌年に増加するという推移をたどっています。

 

 

 

さて、話を戻して、慶應義塾ですが、平成29年度、試験日を2月10日に移動します。

この変遷によって、高校受験の「地図」がさらに塗り替えられることになりました。

 

「ケイオウギジュクの大移動」が、高校受験を激しく揺さぶったのです。

 

 

○過去5年の慶應義塾、早稲田実業、中央大学附属、中央大学杉並の受験応募者数

 

 

31年 30年 29年 28年 27年
慶應義塾高 1336 1386 1164 1779 1732
早稲田実業 691 538 660 996 1115
中央大附属 552 391 331 435 364
中央大杉並 552 465 481 530 536

 

 

 

2月10日は例年、早稲田実業、中央大学附属、中央大学杉並などの試験日となっています。

 

平成29年度、慶應義塾が2月10日に「参戦」してきたために、試験日が競合するこれらの私立附属校は応募者数を減少させました。同時に、慶應義塾自身も、応募者を大幅に失いました。

 

特に大きな打撃を受けたのが早実でした。

27年度を基準として見ると、29年度は、約4割減です。翌30年度もさらに応募者数を減らし、3年で、応募者が半減しました。

 

今年31年度は、早実、中附、中杉が応募者数を伸ばしています。

 

もちろんこれは、直前の2年間の応募者数の低迷、ひいては倍率の低下に触発されたものです。

 

また、同時に、やはり「試験日の移動」という要因も考慮しなくてはなりません。

今年は、ICUが2月10日を回避しています。

 

そのため、2月10日にICUを受けるはずだった受験生は、「別の高校」に応募することになるわけです。

 

ICUと同ランクに位置づけられるMARCH附属校や、倍率の低下した早実への応募者が増加しました。

 

 

 

また、単純に私立附属高の人気が高まりから、これらの高校の応募者が増えました。

特に、推薦入試を受けやすい中附は、推薦入試の応募者を著しく増加させました。

 

 

ただし、注意しなければならないのは、「私立人気」は、現時点では「限定的な範囲」に留まっているという点です。

 

2月10日を試験日とする私立の進学校、つまり、「附属」ではない開成、桐朋などの応募者数に大きな変化は見られません。

また、東京東部の都立難関高校、日比谷、戸山、青山の男子の応募にも変化は見られません。

 

一方、西部の都立難関高校、八王子東、立川、西などは応募者数を減らしています。

 

したがって、東京都西部の、従来都立難関校を第一志望としていた「受験層」が、私立附属校へと流れていると考えられるわけです。

 

 

あとは、日大系の高校の動向も考慮する必要がありそうです。

現時点ではデータが乏しくてわかりませんが、「チャレンジ」をする受験生が増えているのかもしれません。

 

 

それから、近年は2月10日、11日、12日が「とっ散らかってしまった」ので、特に男子は「前受験」から入る王道の受験パターンを組む受験生が増えているように思います。

そのため、立教新座や慶應志木の応募者も増加傾向にあります。

 

 

 

この2、3年、明治大の付属校の応募者数の増加が目立ちました。一昨年は青学。本年は、中附と中杉。そして、去年と今年だけを見ると、早実の応募者数も増加しているわけです。

 

しかし、ここまで見てきたように、試験日の変更など、さまざまな要因が重なって「志願傾向」は変化します。

 

「相対的な分析」をしなければ、入試の実像をより鮮明に見ることはできません。

 

 

 

ところで、本稿で取り上げた私立大附属高校のうちのいくつかの学校は、この15年ほどの間に中等部の設置や共学化などの「改革」を行ってきました。

その度に、応募者数の増減、または倍率の上昇、下降が起こり、年度によって合格難易度に「ギャップ」が生じました。

 

しかし、傾向としては、私立大附属高校の受験は年々緩やかに敷居を下げ続けているといえます。

 

10年、20年のスパンで見ると、応募者数は減少しているからです。それにともない、倍率も低下傾向にあります。

 

 

例えば、慶應義塾の応募者数は平成22年度では2041人です。

したがって、当時と比較して本年度はおよそ700人もの応募者数を減らしています。

 

早大学院は、かなり古くなりますが、中学設置前の平成15年では2697人です。

したがって、当時と比較して本年度はおよそ1000人もの応募者数を減らしています。

 

中附も、中学設置前の平成15年の応募者数は男女合わせて1651人です。

したがって、当時と比較して本年度はおよそ800人もの応募者数を減らしています。

 

明大明治は平成20年度、共学化にともない男女合わせて1206人です。

したがって、当時と比較して本年度はおよそ400人もの応募者数を減らしています。

 

 

 

さらに、この10年ほどの間に都立の上位進学校の「復権」が進んだことで、学力上位層が都立に集まるようになりました。

 

昨年から今年にかけて私立附属校が応募者を増やしつつあるのは、その風向きが少し変わってきた、という部分もあるのだろうと思います。

 

これはセンター試験にかわる「新テスト」の導入など、大学受験に対する「不安要素」への懸念から、私立に「避難」する傾向が強まったためです。その中で、「私立志向」を高める直接の引き金となったのは、私立大学の「定員の厳格化」でした。

 

 

文部科学省から「指導」が入るまで、私立の大学受験において、ある意味で合格が「安売り」されていたわけです。

そのため、近年は、上位の学力層にとって早慶MARCHは「大学受験から入るのが最も容易である」という状況が生まれていたのです。

 

そういうわけで、都立に進学して大学受験を目指すほうが、より多くの可能性を残すことができると考えられたわけです。また、大学受験のほうが、いわゆる「コスパ」がいいという判断があったわけです。

 

 

「今の流れ」が続くようであれば、今後はおそらく、高校受験、なかでも推薦入試が見直されることになるのかもしれません。

 

ただ、「本線」の国立大学の入試制度改革が軟着陸しそうなので、まだちょっと読めない部分があります。

 

 

都立高校の場合は、 むしろ、東京都教育委員会に注視する必要があります。

教育庁は、中長期的には、都立高校を「スポイル」してしまうでしょう。

「都立高校改革」とか、あれ、無茶苦茶になりそうな予感しかしません。リリースなどを読んでみると気づきますが、「彼ら」は、大学進学実績とか、どうでもいいと思っています。

 

 

 

いずれにしろ、自校作を受けることを考えている生徒は、私立の上位附属校の受験を想定した勉強をしていくほうがよいと思います。

これは前々からこのブログでも述べてきたことですが、学力上位の生徒であればあるほど、都立と私立を切り分けて、どちらかだけに絞った受験勉強をしていくのはいろいろな意味で非合理だと思います。

 

ただ、結局「中途半端」になってしまうのも危険です。塾の先生などに相談しながら、より良い準備を進めていくようにしましょう。

 

 

 (ivy 松村)

 

 

 

 

平成31年度 高校入試志願傾向分析①

昨年度の高校入試は、いくつかの私立大学附属校の倍率が上昇しましたが、本年度はやや沈静化しています。

 

ただ、東京都西部というか、都下というか、多摩地区というか、「この辺」の「私立志向」はまだ脈動している状態です。

 

しかし、まあ、10年前には、いずれの附属校も現在よりも数百人多く応募者を集めていたわけです。「当時の水準」に立ち戻るためには、まだ、いくつかの「起爆剤」が必要かもしれません。

 

今後の高校受験、そして大学受験の「動向次第」では、再度「私立志向」が加速するかもしれません。しかし同時に、小康状態に陥りそうな気配もあります。

 

 

 

東京都東部と西部とでは、少し「温度差」があります。

 

これは、ひとつは「地域性」によるものです。

それから、もうひとつ、「情報」の差が作用しているかもしれません。

 

 

東部では、附属校よりも、進学校→国立大受験というルートへの「信頼感」が維持されています。

 

大学受験の「全体像」が明らかになるにつれて、不安感が払拭されつつあるからです。

 

そもそも、国立大学に対する「思い入れ」というのか、「意欲」というか「信念」というか、ともかく何かそういうものが、西部よりも強くあるのかもしれません。

 

一方、西部は、相対的に、「安全志向」が作用して、都立よりも私立の附属の人気がやや高まっているという印象を持ちます。

 

また、私立大学附属校が西部に集中しているという地理的な条件も、「私立志向」が醸成される大きな要因のひとつです。

 

 

 

過去3年の進学指導重点校の受験者数を見てみましょう。

 

まずは男子です。

 

 

○進学指導重点校7校の過去3年間の受験者数の推移:男子

 

31年度 30年度 29年度
日比谷 258 237 254
戸山 268 265 237
青山 247 262 225
西 191 230 225
八王子東 159 191 170
立川 200 235 201
国立 202 198 185
 合計 1525 1618 1497

 

 

 

昨年から今年にかけて、7校全体では、受験者数が減少しています。

 

では、東部3校と西部4校に分けて、確認してみましょう。

 

 

○東部3校

 

31年度 30年度 29年度
日比谷 258 237 254
戸山 268 265 237
青山 247 262 225
合計 773 764 716

 

 

○西部4校

 

31年度 30年度 29年度
西 191 230 225
八王子東 159 191 170
立川 200 235 201
国立 202 198 185
 合計 752 854 781

 

 

東部の3校は受験者数が増加しています。

一方、西部4校は減少しています。

また、本年度、東部3校の受験者数の合計は、西部4校の合計を上回っています。

 

 

 

次に女子です。

 

○進学指導重点校7校の過去3年間の受験者数の推移:女子

 

31年度 30年度 29年度
日比谷 223 219 214
戸山 223 198 212
青山 235 230 224
西 172 167 183
八王子東 158 181 164
立川 183 188 177
国立 190 221 176
 合計 1384 1404 1350

 

 

 

やはり昨年から今年にかけて、7校全体の受験者数は減少しています。

 

東部3校と西部4校はどうでしょうか。

 

 

○東部3校

 

31年度 30年度 29年度
日比谷 223 219 214
戸山 223 198 212
青山 235 230 224
合計 681 647 650

 

 

○西部4校

 

31年度 30年度 29年度
西 172 167 183
八王子東 158 181 164
立川 183 188 177
国立 190 221 176
 合計 703 757 700

 

 

男子と同様に、昨年と比べて、東部3校は増加、西部4校は減少となっています。

 

 

 

男子、女子ともに、東京都東部では、都立の最上位進学校の人気は維持されていますが、西部には陰りがみられます。

西部のトップ層の受験生の何人かは、私立附属校に流れているとみられます。

 

ただし、これにはもう少し詳細な分析が必要です。

私立附属校の応募者数のデータなどを見てみると、思われているよりも、応募者が増えているわけではありません。

「私立志向」が膨張しているのは、むしろ、中堅~下位の私立高校です。

 

 

 

東西のグループ分けをする際に、西高をどう位置づけるべきか、というのはちょっと難しいところです。

 

男子は「減」、女子は「微増」でした。

 

男子の応募者の減少は、「大学合格実績」の影響です。昨年の実績で、西は国立に抜かれました。

西と国立は、立地的に募集が競合します。

そのため、本年度、男子の応募者が西から国立へ流れました。

 

 

一方、西高の女子は、本年度はやや受験者数を増やしましたが、近年、低倍率が固定化され、「隔年現象」が発動されなくなっています。

女子も、西の応募者を国立が吸収していると考えられます。

 

西高を西部に組み込んだのは、「全体」の傾向をとらえるために、西と国立の関係を考慮する必要があると感じたからです。

 

 

 

西部4校の中で、国立の男子は唯一、受験者数を維持しています。

上記のように、西高から応募者を奪っているためですが、それだけでなく、立川、八王子東から、応募者を吸引しています。

 

多摩地域全体でみると、国立の「一強体制」が築かれつつあるといえると思います。

 

 

特に八王子東は、大きな「反作用」を被っています。

男子、女子ともに募集が低調となり「最優秀層」を集めることができなくなっているために、大学合格実績が下降しています。そうなると、さらに募集が低調にならざるを得ません。「負のスパイラル」に陥りつつあります。

 

 

 

少し話がそれますが、八王子東を「蘇生」させるためには、教育委員会の「支援」が必要だと思います。学校単体の取り組みだけでは、なかなか再浮上は難しいと思います。

 

 

戸山高校の人気を上昇させた「チームメディカル」という取り組みは、東京都教育委員会の主導で導入されましたが、八王子東にも導入してみたらどうなのだろうと思ったりします。

 

それから、これは文部科学省の案件ですが、現在まだ、「SGH」(スーパーグローバルハイスクール)に指定されている都立高校はありませんが、できるのであれば、八王子東を「推薦」してもらいたいと思ったりします。

 

それから、地の利を生かして、首都大ともっと連携を深める制度を取り入れてみたり。

首都大への「進学枠」を増やしたり。

 

などなど。

 

 

 

八王子東は、確か10年ほど前にも、倍率がとても低くなっていたときがありました。

ちょっとハラハラしながら見守っていたのですが、入ってきた生徒を鍛え上げて送り出し、大学進学実績を落とさなかったのです。

 

私は、八王子東は、「きちん」としている素直な子を、真っすぐに伸ばしていく高校というイメージを持っています。

 

八王子東の強みを活かせるような、積極的な変革が求められていると思います。

 

 

 

 

(ivy 松村)

 

都立高校入試の「漢字」②

何か書いていたほうが、気が紛れるのでいろいろと書いていますが、このブログはあともう少し続きます。

 

 

 

平成に実施された都立高校の入試で、国語の漢字問題で「重複」があったものを見てみましょう。

 

 

〔H31、H11〕 らか(ほが)

〔H31、H17、H9〕 渓谷(けいこく)

〔H31、H12〕 (ただよ)う

〔H31、H5〕  テツボウ(鉄棒)

〔H31、H3〕 トドく(届く)

 

〔H30、H10〕 れる(まぎ)

〔H30、H16〕 惜敗(せきはい)

〔H30、H15〕 舞踊(ぶよう)

〔H30、H6〕 う(つくろ)

〔H30、H1〕 イキオい(勢)

 

〔H29、H22〕 リョケン(旅券)

〔H29、H20、H12〕 アビる(浴びる)

〔H29、H19〕 ゼンセン(善戦)

〔H29、H18〕 ザイゲン(財源)

〔H29、H5〕 てる(へだ)

 

〔H28、H21、H13〕 華麗(かれい)

〔H28、H20〕 い(いこ)

〔H28、H18、H8〕 栽培(さいばい)

〔H28、H18〕 る(降る)

〔H28、H18〕 循環(じゅんかん)

 

〔H27、H20〕 車窓(しゃそう)/ シャソウ(車窓)

〔H27、H18〕 げる(投)

 

〔H26、H8〕 む(富)

 

〔H25、H13〕 陳列(ちんれつ)

〔H25、H4〕 む(はず)

 

〔H24、H14〕 カンゴ(看護)

〔H24、H13〕 バイバイ(売買)

〔H24、H2〕 アラう(洗)

 

〔H23、H20、H8、H2〕 い(うるお)

〔H23、H13〕 ジュクす(熟)

〔H23、H5〕 ウチュウ(宇宙)

〔H23、H2〕 ソウカン(創刊)

 

〔H22、H13〕 みる(かえり)

〔H22、H13〕 アタり(辺)

〔H22、H12〕 沸騰(ふっとう)

〔H22、H9〕 シタしい(親)

〔H22、H3〕 ユソウ(輸送)

 

〔H21、H14〕 ける(か)

〔H21、H14〕 ユメ(夢)

〔H21、H10〕 懇談(こんだん)

〔H21、H8〕 チュウヤ(昼夜)

〔H21、H5〕 ミチビく(導く)

 

〔H20、H5〕 シラべ(調)  *H13 シラベる(調)

 

〔H19、H12〕 える(燃)

〔H19、H11、H4〕 コウカイ(航海)

〔H19、H11〕 げる(告)

〔H19、H6〕 湖沼(こしょう)

 

〔H16、H5〕 る(ひた)

 

 

 

最近の4年間は、慢性的に「再利用」や「再使用」が行われています。

 

市販されている「過去問集」は「7年分」の収録のものが多いので、それより少し遡って「素材」を見つけてくれば、「当年の受験生の目に触れていない問題」として流用できます。

 

 

数年ごとに「重複」が活発になったり、不活発になったりしています。

 

「担当者」の「特徴」があらわれているのでしょう。

もしくは、「方法論」が伝承されたりされなかったりしているのかもしれません。

 

 

近年は、「再出題」が多くなっています。

したがって、都立の過去の漢字の問題をなるべく多く解くことが、最も合理的な入試対策だったわけです。

 

 

しかし、まあ、たとえば、「平成15年」あたりの過去問とか「平成5年」あたりの過去問を所有している塾もあれば、所有していない塾もあります。

 

たまたま古い過去問を所有している塾にいて、それを解くように勧められた生徒は、少しばかり受験に有利だったでしょう。

 

相対的に、古い過去問を所有していない塾の生徒は、その機会を得られないという点で、不利になるといえるのかもしれません。

 

 

しかし、「そういった要素」もまた「受験の一部」なのです。

いいかたをかえるならば、「競争の一部」なのです。

 

 

「公平」という概念を正しく理解していない人はいろいろと言いたくなるのでしょうが、不満をまき散らしたり、恵まれている人を呪ったりする時間も労力も、ただただ無駄なだけです。

 

そんな不毛なことにとらわれている暇があったら、漢字のひとつでも練習したほうが有意義です。

 

 

 

「成果」を出すために、分析をしたり工夫をしたりすることは、合理的な行動であり、正当な努力です。

 

野球やサッカーなどのスポーツで、「データ」や「情報」を集めて相手チームを研究したり、対抗策を練ったりすることは、極めて普遍的な戦略です。

企業や政府機関、あらゆる組織、個人にも同じことがいえます。

 

 

知り合いの塾の方と、お互い持っている過去問や教材を融通しあったり、機会があればブックオフに寄って古い過去問集がないか探してみたり、いろいろしました。

 

(2、3年ほど前に、東京近辺のブックオフでかたっぱしから古い過去問を買い漁った人(達)がいるみたいで、今はブックオフで古い過去問を見かけなくなっていますが。)

 

 

世の中には、ちょっと古くなった過去問を、もう使わないから、と捨ててしまう塾もあるのかもしれません。ちょっともったいないと思います。

今は、デジタルデータで保存することもできます。

 

 

 

さて、今回の記事を書いたのは、ある「思惑」からです。

 

「正しい想像力」を有した人には、伝わると思っています。

 

 

ひとつは、「これからの受験生」へのメッセージです。

 

それから、「業界の人」へのメッセージ。

 

もうひとつは、都立高校入試に対する「一石」です。

 

 

「次の時代」は、どんな入試問題になるのでしょうか。

 

 

(ivy 松村)

 

 

都立高校入試の「漢字」①

本年度の都立高校入試の国語では、以下のような出題がありました。

 

大問1(漢字の読み)

 

(1) 役者の真に迫った演技が喝采を浴びる。(かっさい)

(2) 教室かららかな笑い声が聞こえてくる。(ほが)

(3) 新緑の渓谷を眺めながら川下りを楽しむ。(けいこく)

(4) キンモクセイの香りがう公園を散策する。(ただよ)

(5) 著名な画家の生誕を記念する展覧会がされる。(もよお)

 

大問2(漢字の書き)

 

(1) 古都を巡る計画をメンミツに立てる。(綿密)

(2) 道路をカクチョウして渋滞を解消する。(拡張)

(3) 幼い子が公園のテツボウにぶら下がって遊ぶ。(鉄棒)

(4) 吹奏楽部の定期演奏会が盛況のうちに幕をじる。(閉じる)

(5) 日ごとに秋が深まり、各地から紅葉の便りがトドく。(届く)

 

 

よく知られているように、都立入試の国語の漢字は、過去に出題されたものが再度出されることがあります。

そこで、平成に実施された31回の都立高校入試(共通問題)の国語の試験で出題された漢字を調べてみました。

 

 

 

大問1(漢字の読み)

 

(1) 喝采(かっさい)

(2) らか(ほが)……H11 大問1 (5)

(3) 渓谷(けいこく)……H17 大問1  (2)、H9 大問1 (4)

(4) (ただよ)う……H12 大問1 (3)、H1 大問1 (1)

(5) される(もよお)

 

大問2(漢字の書き)

 

(1) メンミツ(綿密)

(2) カクチョウ(拡張)

(3) テツボウ(鉄棒)……H7 大問2 (5)

(4) じる(閉)

(5) トドく(届く)……H3 大問2 (4)

 

 

5題。再出題の頻度が高いことがわかります。

 

その他、大問1 (5)の「催す」という語ですが、「出題文」によく出てきます。

 

例えば:

 

・H17 大問2 (4) 校舎の落成を祝ってシキテンが催ざれる。

・H7 大問2 (4) 公会堂の落成をイワって、演奏会が催される。

・H3 大問2 (2) 恩師をマネいて、同窓会を催す。

 

 

問題は、太字のカタカナの部分ですが、問題文に「催す」が使われています。

 

 

ところで、本年度の大問1 (3)の問題文ですが、H9の問題と比べてみると、かなり似かよっています。

 

 

・H31 大問1 (3) 新緑の渓谷を眺めながら川下りを楽しむ。

・H9 大問1 (4) 美しい渓谷を眺めながら、川を舟で下る。

 

 

おそらく、「過去問」を参考にして、作問されたのでしょう。

 

同じような例を探してみました。

 

 

 

・H28大問1 (2)  氷上の華麗な舞に拍手が沸き起こる。

・H21大問1 (4)  氷上の華麗な舞いに、観客の拍手が起こる。

 

・H28 大問1 (4) 地域を循環するバスが満開の桜並木を走る。

・H18 大問1 (3) 街を循環するバスが新緑の並木道を走る。

 

・H28 大問1 (5) プランターで栽培したトマトが赤く色づく。

・H18 大問1 (5) 心を込めて栽培したトマトが赤く色づく。

・H8 大問1 (2) 栽培しているトマトが色づく。

 

・H27 大問2 (1) 体力テストで、ハンドボールをげる。

・H18 大問1 (1) 体力測定で、ハンドボールをげる。

 

・H23 大問2 (3) この春、新しい科学雑誌が創刊される。

・H2 大問2 (5) この春、新しい文芸雑誌が創刊される。

 

・H16 大問1 (5) 卒業アルバムを見ながら、なつかしい思い出にる。

・H5 大問1 (4) 卒業も問近になって、二年問の思い出にる。

 

 

 

それから、過去の「読み」の問題を「書き」の問題に「再利用」したものもあります。

また、文中の「別の漢字」を問題にするという「応用」もあります。

 

 

・H27大問2 (2)  バスのシャソウから新緑の山々を眺める。(書きの問題)

・H20大問1 (4) バスの車窓から雪をいただく山々を望む。(読みの問題)

 

・H28 大問1 (1) 額の汗をいながら、山道を歩く。

・H7 大問2 (3) ヒタイの汗をぬぐいながら、山頂を目指す。

 

・H17 大問2 (4) 校舎の落成を祝って、シキテンが催される。

・H7 大問2 (4) 公会堂の落成をイワって、演奏会が催される。

 

・H28 大問2 (3) 外国へ行くために、リョケンの発行を申請する。

・H22 大問2 (1) 海外に行くために、リョケンを申請する。

・H17 大問1 (5) 海外旅行のために、旅券の発行を申請する。

 

 

 

当然、「完全コピー」もあります

 

 

・H30 大問1 (5) 忙しさにれて、妹に頼まれた買い物を忘れる。

・H10 大問1 (5) 忙しさにれて、妹に頼まれた買い物を忘れる。

 

・H29大問1 (2)  垣根をてて、梅の香が漂ってくる。

・H5 大問1 (3)  垣根をてて、梅の香が漂ってくる。

 

・H23 大問2 (2) 庭のかきの実が、赤くジュクしてきた。

・H13 大問2 (1) 庭のかきの実が、赤くジュクしてきた。

 

・H22 大問2 (3) 料理のザッシを見ながら、夕食の献立を考える。

・H14 大問2 (3) 料理のザッシを見ながら夕食の献立を考える。

 

・H22 大問1 (5) 三年間の学校生活をみて、卒業文集の原稿を書く。

・H13 大問1 (5) 三年間の学校生活をみて、卒業文集の原稿を書く。

 

 

 

漢字の問題の「出題パターン」は、5とおりあります。

 

①出題文も問題もほぼ同じ。

②出題文が少し違う。問題は同じ。

③出題文はほぼ同じ。問題は違う箇所。

④出題文は違う。問題は同じ。

⑤出題文は違う。問題も違う。

 

 

①~③は「過去問」を参照して作問されています。

④は、たまたま同じ問題になってしまったのかもしれません。しかし、「過去問」を踏まえた出題だった可能性もあります。

 

 

 

できるかぎり過去問をやったほうがいいという話です。

都立の三十数年分の漢字の問題を解かせた受験生たちは、漢字で点数を落としませんでした。

 

 

 

で、まあ、話のついでに一応ちょっと書いておこうと思うのですが、希少な古い「過去問」を手に入れて利用することを「ズル」だと思う人は、「理性的な思考が苦手」なのだろうと思います。

 

 

私は、「それ」を使うことが塾の人間の「道義」であると確信しています。

 

 

 

 (ivy 松村)

平成31年度都立高校入試 社会

本日、卒業した高校生が顔を出してくれたそうなのですが、ちょうど不在にしていて話すことができなくて、残念でした。

 

元気そうな様子を伝え聞きましたが、もう少し「ハリ」のある生活に切りかえていきましょう。多分、もうすぐ学年末試験だと思います。

 

 

「理系の国公立大学」について少し。

 

東大や東工大はかなりの覚悟が必要ですね。筑波大、千葉大、横浜国立大もハードルが高いですよね。

それ以外の総合大学であれば、(都立大に名前が変わるそうですが)首都大、横浜市立大、埼玉大など。

それから、電気通信大、東京農工大、東京海洋大など。

あとは、東京医科歯科大。準大学(大学校)もあります。

「理系の教師」を考えるのであれば、学芸大も。

 

通学を考えると、電気通信大、東京農工大、首都大などがいいですよね。

文系も視野に入れるなら、学芸大の他、一橋大や東京外語大も近くて通いやすい。

都留文科大も通える距離ですね。

 

地方の国公立大学でも、「寮費」が月一万円以下の「格安」のところもけっこうあると思います。

広い視野で、いろいろな「可能性」を検討してみてください。

 

あっという間に大学受験がやってきます。

今のうちに調べたり確かめたりしましょう。

あと、「新テスト」になりますから、情報を集めたり、対策を練ったりするようにしましょう。

 

 

 

さて、都立高校入試が終わりました。

少し、所感などを書きたいと思います。

 

 

社会が難化しました。

 

 

「完全一致型」の設問や「完答型」の設問が増加しました。

 

さらに、「ヒント」が複雑化し、そのうえ受験者を惑わす「情報」が組み入れられているような設問がみられました。

選択肢を慎重に比較し、より「総合的」な思考力を働かせて正答を導くような問題に立ち向かわなければならなくなりました。

 

内容面では、アフリカ、南米、東南アジアなど、比較的なじみの薄い地域に焦点を当てる設問が増えています。

 

 

 

気になった問題をいくつか挙げてみます。

 

○大問2〔問2〕

 

W ペルー

X サウジアラビア

Y ノルウェー

Z モロッコ

 

 

「ア」を特定させるのは困難です。

「首都が内陸部」、「えびの養殖」という2つの情報が示されていますが、これだけの「ヒント」で、この選択肢を「X」のサウジアラビアに合致させるのは至難のわざです。

 

また、一般的な社会の教材では、「えびの養殖」は東南アジアのトピックとして出てくるので、戸惑った人も多かっただろうと思います。

 

 

「イ」も厄介です。

「東西方向に走る山脈」はアトラス山脈のことです。

「Y」はスカンディナビア山脈、「W」はアンデス山脈ですが、これらは南北に走る山脈です。全体の「ヒント」をうまく整理しないと、混乱するかもしれません。

 

また、「たこ」ですが、私はスペインなどに行ったことがあるので、あの辺りは「たこ」がよく獲れることを知っていますが、多くの中学生にはなじみがないかもしれません。

 

 

「ウ」は、「冬季においても凍らない湾」という表現のとらえ方に注意が必要でした。これを「暖かい地域」を示す「ヒント」であると捉えてしまうと、間違えてしまいます。

 

 

そして問題は、「エ」です。

「首都が乾燥帯」という記述から、反射的にこれを「X」のサウジアラビアに当てはめてしまった受験生が多くいたはずです。

ペルーは、アンデス山脈のイメージが強いので、「高山の気候」であると連想しがちですが、首都のリマは、乾燥帯の気候なのです。

 

一応、説明の後半には「山岳地域」というワードが出てきますが、他の選択肢にアトラス山脈、スカンディナビア山脈があるので、それほど有力な「ヒント」とはなりません。

 

ポイントは、「南から北へ流れる寒流」で、これによって、「エ」が南半球の国であることを特定します。

 

 

この設問は、かなりハードでした。

 

 

 

○大問3〔問2〕

 

W 東京

X 石川

Y 愛知

Z 京都

 

 

京浜工業地帯、中京工業地帯を擁する東京と愛知が、「ア」と「イ」になることがわかります。2都県は、製造業事業所数が多く、製造品出荷額が大きいはずです。

 

石川と京都を比較して、京都の方が産業的に発展していると考えられるので、「エ」が京都であると判断できます。

 

そして、「Ⅱ」の文章の「西陣織」「町屋」などのワードから、「京都」を特定します。

 

ただ、石川の金沢にも「町屋」があります。

さらに、「加賀友禅」と「西陣織」はちょっと混同しそうです。

 

 

ちなに、京都には、京セラ、任天堂、村田製作所といった世界的な機器メーカーの本社があります。また、京都大学、同志社大学、立命館大学をはじめ、多くの大学があります。

 

これも余談ですが、京都には、京都工芸繊維大学という名門国立大学があるのですが、よく知らない人は、それほど高いランクの大学だと思わず、ついあなどって恥をかいたりします。

 

 

 

○大問4〔問2〕

 

江戸初期、朱印船貿易の時代、山田長政という日本人が「タイ」の国王に仕えて活躍したという史実と、「タイ」の位置を知っておかなければならない問題でした。

 

 

 

社会は、得点を取り切れなかった受験生が多かったと思います。

 

社会は、昨年から明らかに作問の「方向」が変わりました。

 

数年前の「入試問題の『改善』」の影響で、記述問題の削減など、問題の「単純化」が進行していました。つまり、易化していたわけです。

 

そのため、特に自校作などの上位校では、得点率が「飽和」して、入試としての「選抜機能」を十分に果たすことができなくなっていました。

 

ちまたで「自校作を受けるなら、理社は90点以上!」などという「目安」が叫ばれたりしていますが、よくよく考えると、入試選抜としては好ましくないわけです。

 

私個人は、上位校は理社を独自作成(グループ作成)すればよいのに、と思いますが、まあ、現行の入試の「難易度の調整」がなされているとみてもいいのかもしれません。

 

 

それから、近年、ネットなどに「都立社会対策」の情報があふれるようになりました。

そういった「小賢しい手引き」に釘を刺すというような思惑もあるのかもしれません。

まあ、このブログも「牽引役」のひとつだったわけですが。

 

いずれにしろ、「安易な対策」が有効ではない入試問題が作られるのは非常に好ましいことだと思います。

 

 

 

最後に、ちょっとした付記を。

 

いずれ本年度の入試問題の「平均点」が公開されると思いますが、過年度の「平均点」と比べる際には注意しなければならない点があります。

 

もちろん、「平均点」は、問題の難易度によって上下します。

 

それだけでなく、「採点」の影響を受けます。

 

過去に、「採点」に多くの「誤り」が見つかったことがありました。また、採点基準が見直されたことがありました。

そうした「事態」は、「得点」を変質させています。つまり、例年の「平均点」と「同質」ではなくなっているわけです。

 

 

それから、母集団の学力が「平均点」を左右します。

 

最近の2年、都立高校の受験者数が減っていますが、特に、学力下位層が都立高校を受けなくなっています。

 

実は、「授業料軽減制度」を頼りに私立に進学する生徒は、あまり上位ランクではない私立高校に多いのです。

 

ちょっと気をつけたいことですが、これには、私立と都立の「学費」はあまり変わらなくなった、という「誤解」も働いています。

 

 

で、最近の都立高校の入試では、学力下位層が「抜ける」ために、どのくらい影響があるのかちょっとよくわかりませんが、ともかく「平均点」が上昇してしまうわけです。

 

 

「平均点」は、単純に「難易度」を示すというわけではないのです。

 

 

(ivy 松村)

 

eine Nachricht

早稲田の系属校に合格した生徒が、「メッセージ」を書いてくれました。

 

 

 

 

 私はこの一年間、受験に向かってたくさん勉強をしてきました。夏休みまでに三年生の内容を終わらせて、そこからは志望校の過去問や総合問題を解き進めていきました。

 

 勉強をしている中で苦しいと思うことがたくさんありました。例えば、過去問演習で良い点数が取れなかったときなどです。しかし、私は、自分はレベルアアップし続けている、これを乗り越えれば合格に近づくと信じ、また、高校生活を楽しんでいる自分を想像したりしながら取り組みました。そんな中で、初めて合格点に届いたときは、とても大きな喜びを感じました。

 

 私は自分の受験勉強を振り返り、良かった点と反省すべき点を考えました。全体を通して、最後まで生活のリズムを崩さずに過ごせたことや得意科目を大きく伸ばせたことが合格につながったと思います。一方、もっと早くふり返り学習を習慣化するべきだったと感じます。ふり返り学習をするのとしないのでは、知識の吸収率が違うということを身に染みて感じました。

 

 私は、この一年で、目標に向けて最善の選択を、たとえそれが苦しいことであってもできるようになったと思います。また、計画を立てて物事を進めていくこと、一つのものを多方面から見ることができるようになったと思います。このような力は、今後も必要なものだと考えています。

 

 私は、困難を乗り越えて受験を終える喜びを得ることができました。受験を終えた私が、受験において大切だと思うことは五つあります。一つ目は、自分のやることの優先順位を、やりたいことからではなくやらなければならない順にすること。二つ目は、一度やったことを完璧にすること。三つ目は、満足しないこと。四つ目は、協力してくれる人を積極的に使うこと。五つ目は適度な休息をとることです。これができれば、合格に大きく近づくと思います。受験は我慢勝負です。最後まで諦めず、合格をつかみ取ってください。

 

「Enjoy the pain if it’s inevitable !!」

 

 

 

 

 

「見習うこと」が多いですね。

 

(ivy 松村)

 

Studious students will be studying in the studio studiously.

明日は中3受験生の最後の「入試特訓」です。

 

朝10時には校舎が開いています。

中1、中2の生徒のみなさんも定期試験の勉強のために教室を空けてありますので、お家で勉強が手につかないという人は、利用してください。

 

定期試験勉強の進捗を聴き取りしています。

提出物等、まだかなり残っている人がいます。

早く、しっかりと仕上げて、試験勉強に打ち込んでいきましょう。

 

来週の土日も校舎を開けますので、どうぞ利用してください。

 

 

中1・中2の国語の授業では、1月中に、「出題範囲」の「予習」をしました。

中1は、「少年の日の思い出」、中2は、「走れメロス」と漢文。

その際に、「問題冊子」をお渡ししました。必要な人はどんどん取り組んでください。

提出してくれれば、採点します。

 

 

 

都立高校を受験する中3の生徒は、今日は平成8年度の英語の問題と、英作文の「まとめ」を行いました。

 

英語は、あと29年度と30年度を解いて、全部で22年分の演習を終了します。

国語は、平成3年度まで解くので、全部で27年分になります。

 

 

平成8年度は、まだ、リスニングや自由英作文が出題されるようになる前の年で、「発音・アクセント問題」や「和訳」が出題されています。

 

この年の問題を扱うかどうか、ちょっと迷ったのですが、骨子となる「会話文」と「物語文」の構成は、現在と大きく違わないので、「経験値」を上げ、対応力を強化するために実施しました。

 

 

いくつか文法的な話もしましたが、特に力を入れて伝えたのは、「意味」を考えろ、ということです。

 

英語は「言語」です。

したがって、単語にも、連語にも、句にも、節にも、文にも、文章にも、つねに「意味」が存在しています。

 

 

入試問題は紙面に「文字」として記載されています。ゆえに、視覚的に「形」に注視することで解ける設問が多くあります。

 

そのために、「形」に意識を集中させすぎてしまいます。

 

しかし、やはり「意味」を考えなければなりません。

 

 

「形」と「意味」の両面から、「考察する」ことが大事です。

 

 

 

それから、英作文は、ある意味「暗記」です。

 

 

使える「文例」のパターンを増やしていくことで、「12点満点」に近づきます。

 

残り「5日」。必死で覚えましょう。

 

 

 

では、また、明日、お待ちしています。

 

 

 

Tayal-Taiwan

 

台湾の先住民族、タイヤル族の民族衣装に身を包む若き日の私。

全く個人的な感傷ですが、今思い出してみると、台湾で過ごした日々が、人生でもっとも穏やかだったかもしれない。

 

 

 (ivy 松村)