令和随想 ―春を忘るな―

新しい時代の節目に、今一度文章を書こうと思います。

令和と名付けられた新時代に、まだ、このブログに書こうとは思いもよりませんでしたが、ちょっと書かせてもらおうと思い立ちました。

どのくらいの方の目に留まるのかわかりませんが。

 

 

「五月病」になっている人はいないか、ちょっと心配です。

今は運動会の季節ですね。それから、中間テストのある学校もあります。

ぜひとも頑張ってください。

 

 

それにしても、令和という新しい時代の訪れは、実に印象的でした。

寒さが去って陽気に包まれ、まるで春が二度訪れたかのような風情でした。

一度雨が上がって日差しに恵まれたことも、何となく象徴的に思えます。

 

 

「令和」という元号に、多くの人が、すでに親しみと好感を抱いています。

 

「令」という文字が元号に使われるのは初めてのことですが、「れい」という音は、日本人にとって愛着のある響きです。

 

礼、例、霊…など、数多くの言葉に「れい」という音があらわれます。

 

日本人にとって、麗しく心地よく感じられる響きです。それで、「れい」という音を名前に持つ人も多くいらっしゃいますね。

 

 

ところが、興味深く不思議なことに、「やまとことば」には元来「れい」という音が存在しません。

もうすこし正確にいえば、「やまとことば」には、語頭に「らりるれろ」の音をもつ語彙が存在しないのです。

 

「れい」という音をもつ語彙は全て「漢語」か「外来語」に由来するものです。

 

中国由来である「元号」は、「音読み」の漢字で構成されます。当然「れいわ」も「音読み」です。

 

「令和」は、史上初めて漢籍ではなく、日本の古典である「万葉集」を出典とする「元号」ですが、やはり、中国の文化と「縁」のあるものだと感じられます。

 

 

 

その「令和」ですが、「万葉集」に収められている「梅花の宴」の「序文」が典拠となっています。

 

天平二年(730年)の正月に、九州の太宰府、大伴旅人(おおとものたびと)の邸宅で歌会の宴が開かれました。

そのときの様子が、「梅花の宴」の「序文」に漢文で記されています。

 

 

初春 月氣淑風 梅披鏡前之粉蘭薫珮後之香

 

 

「初春のよい月が出て、空気はこころよく風はやわらかに、梅は鏡の前で白粉の(入れ物を開ける)ように花開き、蘭は腰帯にさげた香のように薫っている」

 

 

この一節から「令和」という新しい御代の名称が誕生しました。

 

清々しく穏やかな「春」の訪れをともに分かち合う喜びが、二つの字に込められているのでしょう。

 

 

 

大伴旅人は大宰府の長官を務めた人物です。

 

旅人は、政争に敗れます。そして九州に赴任させられたのです。

 

 

当時の貴族たちは、「都」から遠ざけられるということを非常に恐れました。

「都」は唯一の文明世界でした。鄙地での生活は、強烈な疎外感、劣等感を与えられるものでした。

そのため、政敵に対する報復や、気に入らない者への仕打ちとして、地方への「左遷」が効果的に使われたのです。

 

大宰府の長官に任命されるということは、不幸であり悲劇であったわけです。

 

 

 

しかし、旅人は、九州での生活を謳歌しようとしたのでしょう。

山上憶良など、当地の文化人たちと交流を持ち、風雅な歌会を催しました。

 

「梅花の宴」の「序文」に、旅人の満ち足りた「心持ち」があらわれているように感じます。

 

 

 

ところで、「梅花の宴」の「序文」ですが、「元ネタ」の存在が指摘されています。

それは、古代中国の詩の一種、後漢の時代に活躍した張衡(ちょうこう)の『帰田賦』(歸田賦)「きでんのふ」です。

 

 

「梅花の宴」の「序文」と、その原典とされている『帰田賦』の当該箇所を比べてみましょう。

 

 

初春 月氣淑風 梅披鏡前之粉蘭薫珮後之香

 

仲春 月時 氣淸原隰鬱茂百草滋栄

 

 

 

非常に良く似ていますね。

 

こうした「比較」は往々にして「形式」に焦点があたるわけですが、私としては、『帰田賦』の「内容」に興味を持ちます。

 

 

『帰田賦』を記した張衡は、優れた芸術家、文筆家、学者であり、そして皇帝に仕える高級官僚でした。しかし、腐敗した政治の世界を嫌い、官職を辞して穏やかに暮らすことを望みました。

 

『帰田賦』は、その心情を綴った韻文(詩)なのです。

 

『帰田賦』=「田園に帰る詩」という意味になります。

 

張衡は、退廃的な政治の舞台を離れ、豊かな自然の中で人間性を回復していくことに人生の意義を見出したのです。

 

 

 

その「背景」を知れば、なぜ「梅花の宴」の「序文」に『帰田賦』の一節が借用されたのか、よくわかります。

 

「梅花の宴」の「序文」を書いた人物は、実は、確かになっていないのですが、おそらく旅人でしょう。

 

 

平城京を追われた旅人は、失意と悲観にくれる余生を送るのではなく、大宰府の地で、気品を失わず典雅に、風流に振る舞う気概を持ち続けようとしたのだろうと思います。

 

旅人は、『帰田賦』に自身を仮託し、遠地での生活に積極的な「意味」を見出そうとしていたのではないかと感じます。

 

 

 

そして、「梅花の宴」は、どうしても、ある人物を想起させます。

 

 

菅原道真です。

 

 

「大宰府」、そして「梅」というワードが、旅人と道真を結び付けます。

 

道真もまた、旅人と同じく、朝廷の権力闘争に身を投じ、敗れ、大宰府に送られる運命をたどります。

 

その際に道真が詠んだとされる歌は、よく知られています。

 

 

 

東風(こち)吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 主(あるじ)なしとて 春を忘るな

 

 

 

「東風が吹いたら匂いを香らせておくれ、梅の花よ。主人(私)がいなくとも、春を忘れてくれるな。」

 

 

東風(こち)というのは春に吹く風のことです。

 

道真は、自分の庭の梅の木に向かって、自分がいなくなっても春がきたら忘れずに花を咲かせなさいと、語りかけたとされています。

 

しかし、実際に道真が「どのように」この歌を詠んだのかは、わかっていません。

この歌は、道真の死後見出されて、広く知られるようになりました。

 

 

結句(第五句)には二つのバージョンがあって、「春を忘るな」ではなく「春な忘れそ」となっているものもあります。

 

 

この道真の歌は、おもに以下のように「解釈」されます。

 

ひとつは、梅の木に「自分の無念を忘れずに思い起こせ」と言い聞かせているという説です。

これは、道真の痛烈な「遺恨」が表現されているという「解釈」です。

 

さらに、道真は梅の木に「東から吹く風」に「匂い」を乗せて、大宰府にいる自分のところまで届けてくれ、と懇願しているのだというも説もあります。

これは、大宰府に遠ざけられても「都」との結び付きを保っていたいという未練、つまり、道真の、中央政界への「執着」が表れているのだという「解釈」です。

 

 

道真は、九州の地で不遇のまま眠りにつきます。

道真の悲運の人生は多くの同情を誘い、人々は、道真の魂が、いくらかでも慰められることを望みました。

そうした人々の憐憫の思いが、道真の邸宅の梅の精が大宰府に飛んでいったという、有名な「飛梅伝説」を生んだのだと思います。

 

 

 

私は長い間、道真は敗北感と無念を抱え、打ちひしがれて「都」を後にしたのだろうと思ってきました。しかし、「最近」になって、別の「見立て」を持つようになりました。

 

 

道真は、梅の木に対して「己の本性を忘れるな」と伝えようとしているのではないか。

他者のために咲くのではなく、「梅としての本質をまっとうするために」咲きなさい、と語りかけているのではないか。

 

 

道真は、優れた学者でもありました。

万葉集に収録された「梅花の宴」のエピソードについて、造詣を持っていたはずです。

 

道真は、旅人に自らを重ね合わせていたかもしれません。

 

これから九州の大宰府に向かう。その地で毅然と生き抜くために、旅人のように、「大宰府の梅花」をいつくしむ。そのような志で旅立とうとしていたのだとしたら。

 

もちろん、それは京にある自分の邸宅の梅の花に対する「情」が薄まったということではありません。運命によって惜別を余儀なくされたわけです。

 

その梅の花に向かって、道真は、「お前は、自分のために自分の花を咲かせなさい」と諭しているように思えるのです。

 

 

道真は、弱音を吐露したり自己を憐れんだりするためにこの歌を詠んだのではない。

「残していくもの」を鼓舞するためにこの歌を詠んだのだ。

 

 

私は、新しい道真像を思い描きました。

 

 

 

そして、菅原道真は、私に、さらにまた、もうひとりの人物を思い起こさせます。

 

 

陶潜(とうせん)〔陶淵明〕です。

 

陶潜は、史上最も有名な中国の詩文のひとつ、『帰去来辞』(歸去來兮辭)「ききょらいのじ」を記しました。

 

その『帰去来辞』に「訓読」をつけたのが、道真なのです。

 

 

 

歸去來兮 田園將蕪胡不歸

 

帰りなんいざ。田園将(まさ)に蕪(あ)れんとす。胡(なん)ぞ帰らざる。

 

 

「さあ、帰ろう。故郷の田園が今まさに荒れようとしている。どうして帰らずにいられようか。」

 

 

 

「歸去來兮」という箇所ですが、これは、漢文の本来の訓読のルールに従えば、「帰りなんいざ」とは読めません。

 

しかし、道真は、これをあえて「帰りなんいざ」と読みました。以後、私たちは「歸去來兮」を「帰りなんいざ」と読み習わすことになったのです。

 

 

 

陶潜は、中国の六朝時代の人です。

官吏=役人としての生活を捨て、故郷の田園で暮らそうという決意を『帰去来辞』に記しました。

 

陶潜は、後世に大きな影響を与えます。

中国の知識人たちは、陶潜に倣って、俗世間を脱し「晴耕雨読」の隠遁生活を送ることをある種の理想としました。

 

その「模範」になったのが『帰去来辞』でした。

 

のちに、自然の中でのびのびと自由に生きることを主題とする詩が作られるようになります。また、まったく別の潮流によるものですが、近代のヨーロッパでも同様の主題の詩が数多く創作されました。これらを「田園詩」と呼びます。

 

陶潜は、こうした「田園詩人」の嚆矢であり、巨頭であると評されています。

 

ちなみに、日本でも、たとえば兼好法師などがその「文学性」を受け継いでいます。

 

 

それから、ちょっと細かい説明をすると、『帰去来辞』は、韻文(詩)なのか散文なのか、意見が分かれています。

どちらにせよ、漢文学史上、もっとも重要な作品のひとつであることはまちがいありませんが。

 

 

 

さて、ここで、『帰田賦』の張衡を思い起こさずにはいられません。故郷の田園に帰る希望と喜びを表現した『帰田賦』は、『帰去来辞』より300年近く前の時代に作られた詩です。

 

実は、張衡こそが「田園詩人」の先駆者だったわけです。

 

 

『帰田賦』は「梅花の宴」の「元ネタ」なのではないかということで、日本と中国でにわかに注目を浴びました。しかし、私は、その作者張衡と『帰去来辞』の作者陶潜、二人の詩人の「類似性」に強くひきつけられます。

 

両者は、官職を辞し、田園での生活を求めました。

 

二人の偉大な表現者は、ともに、心を圧殺するような「しがらみ」を離れ、思いのままに生きることのすばらしさを描いています。

 

 

きっと、世の中の多くの人が、「帰りなんいざ」という句を懐の中で握りしめながら、日々の生活を送っているのだろうと思います。

私の懐中にもこの言葉が、ずっとあり続けてあったのです。

 

 

 

令和の随想の中で、四人の詩人の人生が重なり、交錯し、連環します。

 

 

 

令和という新しい元号は、春という季節にスタートするということで、選定にあたって、春のイメージが投影されました。

 

春といえば、私たちはやはり「桜」を思い浮かべますが、道真は「梅」を詠みました。

 

もちろん、道真にも「桜」の歌はありますが、「東風吹かば」の歌は「梅」でなければなりません。

 

なぜなら、匂う花は、「梅」だからです。

 

「桜」は、華やかで情緒豊かで、私たちの目をとらえて離しません。私たちは「桜」によって視覚を占拠されることを望みます。私たちが「桜」に心酔するのは宿命的であるかのようにさえ思えます。

 

一方、「梅」は、古来より、香で人々を魅了してきました。

 

 

「匂い」の感覚、すなわち嗅覚は、私たち人間の五感の中でもっとも未発達な機能です。

 

しかし、おそらくそれゆえにこそ、「匂い」は、私たちの記憶や心象と深く結びつくのでしょう。「匂い」は、「懐かしさ」や「心地よさ」、「愛着」、「親しみ」などの情感を呼び起こします。

 

現代人はとにかく「匂い」を嫌いますが、「匂い」は本来、好ましい感情に寄り添う感覚なのです。

 

 

また、「匂い」は、直接対象を、目視することなく認識させます。

 

「匂い」によって見えなくても対象が存在していることを感じたり、残っている「匂い」で対象が「存在していた」ことに気づいたりすることがあります。

 

 

花が咲いたことを知るためには、通常その花の眼前に赴く必要があります。

 

逆にいえば、離れた場所、あるいは、さえぎるものがある場所では花が咲いたことを確認することはできません。

 

しかし、「梅」であれば、その場にいない人に、花が咲いたことを知らせることができるわけです。

 

だから、「東風吹かば」の歌は「梅」でなければならないのです。

 

 

そして、「匂い」は、生命力、熱意、魅力、運気、活気などの発露であるとみなすことができます。

 

道真は、「梅」がたくましく生長し、精一杯生き続けることを願っていたにちがいありません。

 

 

 

東京では、「梅」は二月の終わりごろに咲き始めます。旧暦では、もう、「春」を迎えています。

 

私にとって、都立高校の入試日の「入試応援」は毎年の「区切り」のようなものとなっていて、受験生を見送って、その年の「任務」が終わったような心持ちになります。

もちろん、まだ「やること」は残っていますが、「やれること」はなくなるわけです。

 

いつのころからか、ぶらぶらと散策し、咲いている「梅」を見つけながら帰るのが恒例の行事のようになっていました。

 

 

「梅」を見て、菅原道真に思いを馳せ、そして「帰りなんいざ」とつぶやく。

何処に帰るのか、とぼんやりとつっこみながら。

 

 

二人の人物の幻影が、私の脳裏をよぎる。

 

解放感と希望に満たされて在地を離れ去ろうとする陶潜。

屈辱と怨嗟にとらわれて在地を離れ去ろうとする道真。

 

 

長い間、道真の歌は、私の心の「重し」のようでした。

 

 

しかし、この令和の時代に、私は、新しく菅原道真の実像に巡りあったのです。

 

 

 

 

 

菅原道真公は、広く「学問の神様」として信仰されています。「受験」に携わる人間にとって、やはり特別な存在であるといえます。

 

 

道真公が、「匂ひおこせよ」という言葉で、間接的に、「春」に「花」を咲かせなさい、と梅の木に思いを伝えます。私にとって、やはり、それは、象徴的な意味を帯びているように感じられます。

 

 

 

最後に、ここに私が書く言葉は、繰り返し、道真公の歌です。

 

この言葉を、令和の「受験生」たちに。

 

 

 

東風吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 ―

 

 

 

退任のお知らせ

私は現在ivyの教務を離れております。

ブログでお伝えするのが遅くなってしまい、大変申し訳ありません。

 

ivyはすでに新体制で始動しています。

 

やはり、ブログの読者の方々や、ブログを通して当塾のことを気にかけてくださっている方々にもお伝えするべきだと考え、書かせてもらうことにしました。

 

 

ご縁を結ばせていただいた生徒・保護者のみなさま、篤厚のご支援・ご助言をくださったみなさま、ありがとうございました。

あらためて、衷心より感謝申し上げます。

 

至らぬ点、気がまわらぬ点、未熟な点も多々あり、ご迷惑をおかけしたこともあったろうと反省するばかりです。

 

 

また、当ブログでは、怖いもの知らず、ドン・キホーテの蛮勇で、ずけずけといろいろなことを書かせていただきました。不快に思われた方々もいらっしゃったのではなかろうかと、今となっては恐縮するばかりです。寛大なお心でご容赦くださいましたら、かたじけなく存じます。

 

 

 

当ブログは、存外多くの方に愛読いただいき、気苦労もありましたが、やりがいを持って取り組ませていただくことができました。

 

過去に、私はブログの閲覧者数などをまったくチェックしていないと申し上げたことがありますが、疑っている人もいるかもしれません。が、偽りなく本当です。

実際よくわかっていないのですが、たまに、ネットで検索をしていると、このブログの記事がひっかかったりして、ちょっと驚いたりします。

 

読んでくださった方に、何かしら意味のあることを提供できたのかもしれないと思える兆候を発見したときに、ささやかな充足感を得ることができました。

 

当ブログの記事を紹介してくださったり、コメントを寄せてくださったりしたみなさまにも、謹んで御礼申し上げます。

 

 

 

卒業生のみなさん、みなさんのことはいつも気にかけています。

 

塾のブログなので、東大だの旧帝大だのと威勢のいいことを書いているわけですが、実は、割と、そんなことばかり考えているのも不健康だなと思っています。

 

大学にしても就職にしても、自分にとって、それがよりよい人生の道筋となるかどうか、しっかりと考え、悩んでください。

 

ただ、自分自身に頑張れる素質が備わっているとわかっている人には、困難に挑戦してもらいたいと思います。

 

 

 

そして、このブログを読んでいるかどうかわかりませんが、塾生のみなさん、みなさんのことを考えようとすると、胸がいっぱいになります。

 

みなさんの成長と成功を、いつもいつも願っています。

 

 

どうか、このブログの過去の記事を読んで欲しい。

 

みなさんに、伝えたくて伝えられなかったことが書かれています。

 

過去の記事は、もちろん過去の生徒に向けて書かれたものです。

でも、変なことをいうようですが、それは、みなさんに向けて書いたものでもあるのです。

 

書かれた言葉は残ります。

書くという行為は、未来に向けて行われるものでもあるのです。

 

 

しかしながら、このブログの命脈は長くありません。

 

私の書いた記事は、頃合いに削除されます。

 

 

 

無価値な記事もいくつかありますが、みなさんの端末に保存してもらえれば、私の記事は残ります。いつか、あなたにとって意味のある記事を見つけることができるかもしれません。

 

 

 

まだ、ちょっとわかりませんが、削除される前に、もしかすると、まだ、少し何かを書かせてもらうかもしれません。しかし、もしかすると、書かないかもしれません。

 

書くとしても、どんなことを書くか全く決めていなので、東京オリンピックのことなどをかいたりするかもしれません。

 

 

その意味で、この文章は実質、最後の記事です。

 

 

 

末筆に、ご愛読くださいましたすべてのみなさまのご健勝とご活躍を切に祈念申しあげます。

 

 

 

come over to overcome

今日は、都立高校入試の合格発表の日でした。

 

塾生ではない生徒も、わざわざ報告に来てくれました。

 

入試の結果を伝えに来てくださった受験生のみなさん、ありがとうございました。

 

 

はにかんだような喜びの笑顔を見せてくれた生徒がいる一方で、まだ少し笑顔がぎこちない生徒もいました。

 

気持ちに整理をつけて、行くべき道を進もうとするその表情に救われました。

「塾に入ってよかった」という言葉に救われました。

 

 

「安全策」を何度も提言しました。

しかし、チャレンジの道を選びました。

 

望まない結果であっても受け入れる覚悟をもって、前進することを決意したのです。

 

「その経験」を大事に温めてほしいと思います。

 

 

 

これから進む道を見つめてください。

在校している生徒にいろいろと聞いていますが、きっと気に入ると思います。

 

入試の日に訪れたついでにと思って、帰る前にぶらりと一周してみました。

広くて落ち着いた雰囲気のある学校でしたね。

 

 

立派に合格を勝ち取った場所です。

志を携えて踏み入ってください。

 

 

 

そして私も、気持ちに整理をつけなければなりません。

 

 

 

 

 (ivy  松村)

 

平成31年度 高校入試志願傾向分析②

近年の私立大学附属校の「志願傾向」は、慶應義塾高校の入試日の変更に大きな影響を受けました。

 

慶應義塾高校は、もともとは2月13日を試験日としていましたが、神奈川県立高校の試験日変更の余波を受けて、→2月12日に変更され、その後→2月10日となりました。

 

今、とっさにこれを「ケイオウギジュクの大移動」と名付けましたが、この「ケイオウギジュクの大移動」が、近年の他の私立附属校の男子の倍率の乱高下を引き起こしました。

 

 

数年前には、上位の私立附属校を狙う男子の受験生は、以下のような受験パターンを組むことができました。

 

 

2月1日  立教新座

2月7日  慶應志木1次

2月9日  早稲田大学本庄高等学院1次

2月10日 早稲田実業

2月11日 (慶應志木2次)or 早稲田大学高等学院

2月12日 明治大学付属明治 or 青山学院

2月13日 慶應義塾1次

2月14日 (早大本庄2次)

2月16日 (慶應義塾2次)

 

 

「慶應」は、他の高校の「併願校」になるのを嫌うので、慶應志木は早大学院の試験日にあたる2月11日に、2次試験をぶつけます。

 

そして、慶應義塾は国立附属校の試験日である2月13日にぶつけていたわけですが、私立附属志望の受験生にとっては、2月13日はむしろ都合がよかったといえます。

他の私立附属と競合しない日程だったからです。

 

慶應義塾の入試は、附属志望の受験生にとって、入試シリーズ最後の「ラスボス」に挑むという趣向があったわけです。

 

 

ところが、神奈川県の高校受験の事情によって、慶應義塾は2次試験の日程を前倒しする必要に迫られます。結果、慶應義塾の1次試験が2月12日に変更となります。

 

そのインパクトの直撃に見舞われたのが、明大明治、青山学院、そして明大中野といった2月12日を試験日とする私立附属校でした。

 

これらの高校は、一時的に応募者数を減少させます。

が、慶應義塾が平成29年度に再度試験日をスライドさせたことによって、応募者数を回復しました。

 

 

 

○過去4年の慶應義塾、明大中野、明大明治、青山学院の受験応募者数

 

 

31年 30年 29年 28年
慶應義塾 1336 1386 1164 1779
明大中野 1056 1026 1006 861
明大明治 462 463 456 275
青山学院 411 422 343 331

 

 

 

29年度から、明大中野と明大明治の応募者数が大きく増加しています。

ちょうど、明治大学の人気が上昇していることが話題となっていた時期でもあったので、2つの明治大学の付属校の応募者数の増加は、大学人気が高校受験に波及したものであるという分析も見られました。

 

しかし、この2校の応募者数が再び増加した直接の原因は、慶應義塾の入試日の変更であるといえます。慶應義塾との「競合状態」が解除されたために、再び応募者数を増やすことができたわけです。

 

 

 

明治付属の2校に対し、青山学院は応募者数が増加に転じるまで1年の「タイムラグ」があります。青山学院の応募者数が増加するのは、平成30年からです。慶應義塾が入試日をずらして2月12日を退いた翌年です。

 

これは、キリスト教プロテスタントの学校である青山学院の事情が関係しています。

 

平成29年は、青山学院の従来の試験日である2月12日が「日曜日」だったのです。

 

キリスト教の「教義」にもとづき、青山学院はこの年、「安息日」とされる日曜日の入試実施を避け、試験日を2月11日にずらしました。

 

そのため、慶應志木の2次、早大学院、明大八王子、中大高などの試験日と競合することになってしまったのです。

 

平成30年度になって、青山学院の試験日は従来の2月12日にもどります。

これによって、早慶の有力校との「競合状態」が解除され、ようやく応募者数が増加することになったわけです。

 

 

中学入試では、プロテスタント系の学校が日曜日を忌避して試験日をずらす措置をとることがよく知られています。いわゆる「サンデーショック」と呼ばれるものです。

 

高校入試でも、「同様の状況」が起こります。

特定の高校が試験日をずらすために、ある年だけ、特別な併願が可能となったり、逆に、併願が不可能となったりするわけです。

 

高校受験では、青山学院や明治学院の附属校、そして、国際基督教大学高校(ICU)。これらの高校が日曜日を避けて試験日を移動させる年は、「志願傾向」に変化がもたらされます。

 

本年度は、2月10日が日曜日でした。したがって、例年この日を試験日とするICUが日程をずらしました。本年度のICUの入試は2月10日ではなく、2月11日に実施されました。

後述する通り、本年度の高校入試は、ICUの試験日変更に少なくない影響を受けています。

 

 

 

ところで、平成29年度に青山高校が試験日を2月11日に移動させたことは、明治大学のもうひとつの付属校、明治大学中野八王子高校の「志願傾向」を翻弄させることになりました。

 

 

○過去4年の明治大学中野八王子高校(男子)の受験応募者数

 

31年 30年 29年 28年
明八 239 325 228 303

 

 

 

29年度に応募者数が減少し、30年度に増加、そして本年度31年度に減少していることがわかります。

 

まずは、「隔年現象」で説明できるでしょう。

 

そして、29年度の応募者数の減少は、青山学院が明八と同日の試験日である2月11日に移動してきたことも要因のひとつであるといえるでしょう。「お互い」が応募者を奪い合った結果、両校ともに応募者数を減少させたわけです。

 

30年度は、青学が試験日を2月12日に戻したために、明八の応募者は再び増加しました。

 

また同時期に、国立大学の「入試改革」の不透明さなどを要因として、私立附属の人気がにわかに高まったことも、「追い風」となりました。

明八をはじめ、いくつかの私立附属校は推薦入試の応募者を増加させました。

 

 

推薦入試は、「入学のしばり」をともなう受験です。

したがって、推薦入試の応募者の増加は、その高校に必ず入りたい、という「受験熱」の高まりを示しています。つまり、人気の上昇を示唆する「計測機」とみなすことができるわけです。

 

ただし、明八の場合は、少し特殊な事情も作用しています。明八の推薦入試の受験者は、不合格になっても、一般入試での「加点」が得られます。推薦入試の「基準」が比較的ゆるいわりに、一般入試での「メリット」は存外に大きいわけです。

 

推薦入試の応募者が急増したことによって、「加点」を持った一般入試の受験者の割合が高まりました。そのため、明八の昨年度の一般入試は、近年にない激戦となりました。

 

今年31年度は、前年の激戦ゆえに回避傾向が生じて、明八は応募者を減少させました。

 

 

そして、明八の本年度の応募者の減少には、他校の「試験日の移動」も影響していると考えられます。

 

すなわち、本年度は2月10日が日曜日となったことで、2月11日にICUとの競合が生じたわけです。今度は、明八とICUとの間で応募者の奪い合いが起きたのです。

 

 

 

東京と神奈川の入試日は、2月10日、11日、12日の3日間に集中しています。

 

私学の取り決めで、10日より前に試験日を設定することはできないので、10日に入試を行えないときには、試験日を11日に遅らせることになります。

 

また、12日に入試が行えないときには、試験日を11日に前倒しすることになります。13日では、国立附属高校の試験日と重なってしまいます。また、14日の神奈川県立高校の試験日、都立高校の志願変更日などとの兼ね合いから、試験日を「後ろ」にずらしてしまうと、受験者の試験日程を圧迫し、募集に影響が出てしまいます。

 

そのため、ある年の日曜日が、2月10日か12日に重なった場合に、11日に「例年にない競合」が生じてしまい、同日に試験を行う高校の募集が低調になってしまうことがあるわけです。

 

2月11日に試験日を設定している中央大学高校も、やはり明八と同様に、29年度に応募者数を減らし、翌年に増加するという推移をたどっています。

 

 

 

さて、話を戻して、慶應義塾ですが、平成29年度、試験日を2月10日に移動します。

この変遷によって、高校受験の「地図」がさらに塗り替えられることになりました。

 

「ケイオウギジュクの大移動」が、高校受験を激しく揺さぶったのです。

 

 

○過去5年の慶應義塾、早稲田実業、中央大学附属、中央大学杉並の受験応募者数

 

 

31年 30年 29年 28年 27年
慶應義塾高 1336 1386 1164 1779 1732
早稲田実業 691 538 660 996 1115
中央大附属 552 391 331 435 364
中央大杉並 552 465 481 530 536

 

 

 

2月10日は例年、早稲田実業、中央大学附属、中央大学杉並などの試験日となっています。

 

平成29年度、慶應義塾が2月10日に「参戦」してきたために、試験日が競合するこれらの私立附属校は応募者数を減少させました。同時に、慶應義塾自身も、応募者を大幅に失いました。

 

特に大きな打撃を受けたのが早実でした。

27年度を基準として見ると、29年度は、約4割減です。翌30年度もさらに応募者数を減らし、3年で、応募者が半減しました。

 

今年31年度は、早実、中附、中杉が応募者数を伸ばしています。

 

もちろんこれは、直前の2年間の応募者数の低迷、ひいては倍率の低下に触発されたものです。

 

また、同時に、やはり「試験日の移動」という要因も考慮しなくてはなりません。

今年は、ICUが2月10日を回避しています。

 

そのため、2月10日にICUを受けるはずだった受験生は、「別の高校」に応募することになるわけです。

 

ICUと同ランクに位置づけられるMARCH附属校や、倍率の低下した早実への応募者が増加しました。

 

 

 

また、単純に私立附属高の人気が高まりから、これらの高校の応募者が増えました。

特に、推薦入試を受けやすい中附は、推薦入試の応募者を著しく増加させました。

 

 

ただし、注意しなければならないのは、「私立人気」は、現時点では「限定的な範囲」に留まっているという点です。

 

2月10日を試験日とする私立の進学校、つまり、「附属」ではない開成、桐朋などの応募者数に大きな変化は見られません。

また、東京東部の都立難関高校、日比谷、戸山、青山の男子の応募にも変化は見られません。

 

一方、西部の都立難関高校、八王子東、立川、西などは応募者数を減らしています。

 

したがって、東京都西部の、従来都立難関校を第一志望としていた「受験層」が、私立附属校へと流れていると考えられるわけです。

 

 

あとは、日大系の高校の動向も考慮する必要がありそうです。

現時点ではデータが乏しくてわかりませんが、「チャレンジ」をする受験生が増えているのかもしれません。

 

 

それから、近年は2月10日、11日、12日が「とっ散らかってしまった」ので、特に男子は「前受験」から入る王道の受験パターンを組む受験生が増えているように思います。

そのため、立教新座や慶應志木の応募者も増加傾向にあります。

 

 

 

この2、3年、明治大の付属校の応募者数の増加が目立ちました。一昨年は青学。本年は、中附と中杉。そして、去年と今年だけを見ると、早実の応募者数も増加しているわけです。

 

しかし、ここまで見てきたように、試験日の変更など、さまざまな要因が重なって「志願傾向」は変化します。

 

「相対的な分析」をしなければ、入試の実像をより鮮明に見ることはできません。

 

 

 

ところで、本稿で取り上げた私立大附属高校のうちのいくつかの学校は、この15年ほどの間に中等部の設置や共学化などの「改革」を行ってきました。

その度に、応募者数の増減、または倍率の上昇、下降が起こり、年度によって合格難易度に「ギャップ」が生じました。

 

しかし、傾向としては、私立大附属高校の受験は年々緩やかに敷居を下げ続けているといえます。

 

10年、20年のスパンで見ると、応募者数は減少しているからです。それにともない、倍率も低下傾向にあります。

 

 

例えば、慶應義塾の応募者数は平成22年度では2041人です。

したがって、当時と比較して本年度はおよそ700人もの応募者数を減らしています。

 

早大学院は、かなり古くなりますが、中学設置前の平成15年では2697人です。

したがって、当時と比較して本年度はおよそ1000人もの応募者数を減らしています。

 

中附も、中学設置前の平成15年の応募者数は男女合わせて1651人です。

したがって、当時と比較して本年度はおよそ800人もの応募者数を減らしています。

 

明大明治は平成20年度、共学化にともない男女合わせて1206人です。

したがって、当時と比較して本年度はおよそ400人もの応募者数を減らしています。

 

 

 

さらに、この10年ほどの間に都立の上位進学校の「復権」が進んだことで、学力上位層が都立に集まるようになりました。

 

昨年から今年にかけて私立附属校が応募者を増やしつつあるのは、その風向きが少し変わってきた、という部分もあるのだろうと思います。

 

これはセンター試験にかわる「新テスト」の導入など、大学受験に対する「不安要素」への懸念から、私立に「避難」する傾向が強まったためです。その中で、「私立志向」を高める直接の引き金となったのは、私立大学の「定員の厳格化」でした。

 

 

文部科学省から「指導」が入るまで、私立の大学受験において、ある意味で合格が「安売り」されていたわけです。

そのため、近年は、上位の学力層にとって早慶MARCHは「大学受験から入るのが最も容易である」という状況が生まれていたのです。

 

そういうわけで、都立に進学して大学受験を目指すほうが、より多くの可能性を残すことができると考えられたわけです。また、大学受験のほうが、いわゆる「コスパ」がいいという判断があったわけです。

 

 

「今の流れ」が続くようであれば、今後はおそらく、高校受験、なかでも推薦入試が見直されることになるのかもしれません。

 

ただ、「本線」の国立大学の入試制度改革が軟着陸しそうなので、まだちょっと読めない部分があります。

 

 

都立高校の場合は、 むしろ、東京都教育委員会に注視する必要があります。

教育庁は、中長期的には、都立高校を「スポイル」してしまうでしょう。

「都立高校改革」とか、あれ、無茶苦茶になりそうな予感しかしません。リリースなどを読んでみると気づきますが、「彼ら」は、大学進学実績とか、どうでもいいと思っています。

 

 

 

いずれにしろ、自校作を受けることを考えている生徒は、私立の上位附属校の受験を想定した勉強をしていくほうがよいと思います。

これは前々からこのブログでも述べてきたことですが、学力上位の生徒であればあるほど、都立と私立を切り分けて、どちらかだけに絞った受験勉強をしていくのはいろいろな意味で非合理だと思います。

 

ただ、結局「中途半端」になってしまうのも危険です。塾の先生などに相談しながら、より良い準備を進めていくようにしましょう。

 

 

 (ivy 松村)

 

 

 

 

平成31年度 高校入試志願傾向分析①

昨年度の高校入試は、いくつかの私立大学附属校の倍率が上昇しましたが、本年度はやや沈静化しています。

 

ただ、東京都西部というか、都下というか、多摩地区というか、「この辺」の「私立志向」はまだ脈動している状態です。

 

しかし、まあ、10年前には、いずれの附属校も現在よりも数百人多く応募者を集めていたわけです。「当時の水準」に立ち戻るためには、まだ、いくつかの「起爆剤」が必要かもしれません。

 

今後の高校受験、そして大学受験の「動向次第」では、再度「私立志向」が加速するかもしれません。しかし同時に、小康状態に陥りそうな気配もあります。

 

 

 

東京都東部と西部とでは、少し「温度差」があります。

 

これは、ひとつは「地域性」によるものです。

それから、もうひとつ、「情報」の差が作用しているかもしれません。

 

 

東部では、附属校よりも、進学校→国立大受験というルートへの「信頼感」が維持されています。

 

大学受験の「全体像」が明らかになるにつれて、不安感が払拭されつつあるからです。

 

そもそも、国立大学に対する「思い入れ」というのか、「意欲」というか「信念」というか、ともかく何かそういうものが、西部よりも強くあるのかもしれません。

 

一方、西部は、相対的に、「安全志向」が作用して、都立よりも私立の附属の人気がやや高まっているという印象を持ちます。

 

また、私立大学附属校が西部に集中しているという地理的な条件も、「私立志向」が醸成される大きな要因のひとつです。

 

 

 

過去3年の進学指導重点校の受験者数を見てみましょう。

 

まずは男子です。

 

 

○進学指導重点校7校の過去3年間の受験者数の推移:男子

 

31年度 30年度 29年度
日比谷 258 237 254
戸山 268 265 237
青山 247 262 225
西 191 230 225
八王子東 159 191 170
立川 200 235 201
国立 202 198 185
 合計 1525 1618 1497

 

 

 

昨年から今年にかけて、7校全体では、受験者数が減少しています。

 

では、東部3校と西部4校に分けて、確認してみましょう。

 

 

○東部3校

 

31年度 30年度 29年度
日比谷 258 237 254
戸山 268 265 237
青山 247 262 225
合計 773 764 716

 

 

○西部4校

 

31年度 30年度 29年度
西 191 230 225
八王子東 159 191 170
立川 200 235 201
国立 202 198 185
 合計 752 854 781

 

 

東部の3校は受験者数が増加しています。

一方、西部4校は減少しています。

また、本年度、東部3校の受験者数の合計は、西部4校の合計を上回っています。

 

 

 

次に女子です。

 

○進学指導重点校7校の過去3年間の受験者数の推移:女子

 

31年度 30年度 29年度
日比谷 223 219 214
戸山 223 198 212
青山 235 230 224
西 172 167 183
八王子東 158 181 164
立川 183 188 177
国立 190 221 176
 合計 1384 1404 1350

 

 

 

やはり昨年から今年にかけて、7校全体の受験者数は減少しています。

 

東部3校と西部4校はどうでしょうか。

 

 

○東部3校

 

31年度 30年度 29年度
日比谷 223 219 214
戸山 223 198 212
青山 235 230 224
合計 681 647 650

 

 

○西部4校

 

31年度 30年度 29年度
西 172 167 183
八王子東 158 181 164
立川 183 188 177
国立 190 221 176
 合計 703 757 700

 

 

男子と同様に、昨年と比べて、東部3校は増加、西部4校は減少となっています。

 

 

 

男子、女子ともに、東京都東部では、都立の最上位進学校の人気は維持されていますが、西部には陰りがみられます。

西部のトップ層の受験生の何人かは、私立附属校に流れているとみられます。

 

ただし、これにはもう少し詳細な分析が必要です。

私立附属校の応募者数のデータなどを見てみると、思われているよりも、応募者が増えているわけではありません。

「私立志向」が膨張しているのは、むしろ、中堅~下位の私立高校です。

 

 

 

東西のグループ分けをする際に、西高をどう位置づけるべきか、というのはちょっと難しいところです。

 

男子は「減」、女子は「微増」でした。

 

男子の応募者の減少は、「大学合格実績」の影響です。昨年の実績で、西は国立に抜かれました。

西と国立は、立地的に募集が競合します。

そのため、本年度、男子の応募者が西から国立へ流れました。

 

 

一方、西高の女子は、本年度はやや受験者数を増やしましたが、近年、低倍率が固定化され、「隔年現象」が発動されなくなっています。

女子も、西の応募者を国立が吸収していると考えられます。

 

西高を西部に組み込んだのは、「全体」の傾向をとらえるために、西と国立の関係を考慮する必要があると感じたからです。

 

 

 

西部4校の中で、国立の男子は唯一、受験者数を維持しています。

上記のように、西高から応募者を奪っているためですが、それだけでなく、立川、八王子東から、応募者を吸引しています。

 

多摩地域全体でみると、国立の「一強体制」が築かれつつあるといえると思います。

 

 

特に八王子東は、大きな「反作用」を被っています。

男子、女子ともに募集が低調となり「最優秀層」を集めることができなくなっているために、大学合格実績が下降しています。そうなると、さらに募集が低調にならざるを得ません。「負のスパイラル」に陥りつつあります。

 

 

 

少し話がそれますが、八王子東を「蘇生」させるためには、教育委員会の「支援」が必要だと思います。学校単体の取り組みだけでは、なかなか再浮上は難しいと思います。

 

 

戸山高校の人気を上昇させた「チームメディカル」という取り組みは、東京都教育委員会の主導で導入されましたが、八王子東にも導入してみたらどうなのだろうと思ったりします。

 

それから、これは文部科学省の案件ですが、現在まだ、「SGH」(スーパーグローバルハイスクール)に指定されている都立高校はありませんが、できるのであれば、八王子東を「推薦」してもらいたいと思ったりします。

 

それから、地の利を生かして、首都大ともっと連携を深める制度を取り入れてみたり。

首都大への「進学枠」を増やしたり。

 

などなど。

 

 

 

八王子東は、確か10年ほど前にも、倍率がとても低くなっていたときがありました。

ちょっとハラハラしながら見守っていたのですが、入ってきた生徒を鍛え上げて送り出し、大学進学実績を落とさなかったのです。

 

私は、八王子東は、「きちん」としている素直な子を、真っすぐに伸ばしていく高校というイメージを持っています。

 

八王子東の強みを活かせるような、積極的な変革が求められていると思います。

 

 

 

 

(ivy 松村)

 

都立高校入試の「漢字」②

何か書いていたほうが、気が紛れるのでいろいろと書いていますが、このブログはあともう少し続きます。

 

 

 

平成に実施された都立高校の入試で、国語の漢字問題で「重複」があったものを見てみましょう。

 

 

〔H31、H11〕 らか(ほが)

〔H31、H17、H9〕 渓谷(けいこく)

〔H31、H12〕 (ただよ)う

〔H31、H5〕  テツボウ(鉄棒)

〔H31、H3〕 トドく(届く)

 

〔H30、H10〕 れる(まぎ)

〔H30、H16〕 惜敗(せきはい)

〔H30、H15〕 舞踊(ぶよう)

〔H30、H6〕 う(つくろ)

〔H30、H1〕 イキオい(勢)

 

〔H29、H22〕 リョケン(旅券)

〔H29、H20、H12〕 アビる(浴びる)

〔H29、H19〕 ゼンセン(善戦)

〔H29、H18〕 ザイゲン(財源)

〔H29、H5〕 てる(へだ)

 

〔H28、H21、H13〕 華麗(かれい)

〔H28、H20〕 い(いこ)

〔H28、H18、H8〕 栽培(さいばい)

〔H28、H18〕 る(降る)

〔H28、H18〕 循環(じゅんかん)

 

〔H27、H20〕 車窓(しゃそう)/ シャソウ(車窓)

〔H27、H18〕 げる(投)

 

〔H26、H8〕 む(富)

 

〔H25、H13〕 陳列(ちんれつ)

〔H25、H4〕 む(はず)

 

〔H24、H14〕 カンゴ(看護)

〔H24、H13〕 バイバイ(売買)

〔H24、H2〕 アラう(洗)

 

〔H23、H20、H8、H2〕 い(うるお)

〔H23、H13〕 ジュクす(熟)

〔H23、H5〕 ウチュウ(宇宙)

〔H23、H2〕 ソウカン(創刊)

 

〔H22、H13〕 みる(かえり)

〔H22、H13〕 アタり(辺)

〔H22、H12〕 沸騰(ふっとう)

〔H22、H9〕 シタしい(親)

〔H22、H3〕 ユソウ(輸送)

 

〔H21、H14〕 ける(か)

〔H21、H14〕 ユメ(夢)

〔H21、H10〕 懇談(こんだん)

〔H21、H8〕 チュウヤ(昼夜)

〔H21、H5〕 ミチビく(導く)

 

〔H20、H5〕 シラべ(調)  *H13 シラベる(調)

 

〔H19、H12〕 える(燃)

〔H19、H11、H4〕 コウカイ(航海)

〔H19、H11〕 げる(告)

〔H19、H6〕 湖沼(こしょう)

 

〔H16、H5〕 る(ひた)

 

 

 

最近の4年間は、慢性的に「再利用」や「再使用」が行われています。

 

市販されている「過去問集」は「7年分」の収録のものが多いので、それより少し遡って「素材」を見つけてくれば、「当年の受験生の目に触れていない問題」として流用できます。

 

 

数年ごとに「重複」が活発になったり、不活発になったりしています。

 

「担当者」の「特徴」があらわれているのでしょう。

もしくは、「方法論」が伝承されたりされなかったりしているのかもしれません。

 

 

近年は、「再出題」が多くなっています。

したがって、都立の過去の漢字の問題をなるべく多く解くことが、最も合理的な入試対策だったわけです。

 

 

しかし、まあ、たとえば、「平成15年」あたりの過去問とか「平成5年」あたりの過去問を所有している塾もあれば、所有していない塾もあります。

 

たまたま古い過去問を所有している塾にいて、それを解くように勧められた生徒は、少しばかり受験に有利だったでしょう。

 

相対的に、古い過去問を所有していない塾の生徒は、その機会を得られないという点で、不利になるといえるのかもしれません。

 

 

しかし、「そういった要素」もまた「受験の一部」なのです。

いいかたをかえるならば、「競争の一部」なのです。

 

 

「公平」という概念を正しく理解していない人はいろいろと言いたくなるのでしょうが、不満をまき散らしたり、恵まれている人を呪ったりする時間も労力も、ただただ無駄なだけです。

 

そんな不毛なことにとらわれている暇があったら、漢字のひとつでも練習したほうが有意義です。

 

 

 

「成果」を出すために、分析をしたり工夫をしたりすることは、合理的な行動であり、正当な努力です。

 

野球やサッカーなどのスポーツで、「データ」や「情報」を集めて相手チームを研究したり、対抗策を練ったりすることは、極めて普遍的な戦略です。

企業や政府機関、あらゆる組織、個人にも同じことがいえます。

 

 

知り合いの塾の方と、お互い持っている過去問や教材を融通しあったり、機会があればブックオフに寄って古い過去問集がないか探してみたり、いろいろしました。

 

(2、3年ほど前に、東京近辺のブックオフでかたっぱしから古い過去問を買い漁った人(達)がいるみたいで、今はブックオフで古い過去問を見かけなくなっていますが。)

 

 

世の中には、ちょっと古くなった過去問を、もう使わないから、と捨ててしまう塾もあるのかもしれません。ちょっともったいないと思います。

今は、デジタルデータで保存することもできます。

 

 

 

さて、今回の記事を書いたのは、ある「思惑」からです。

 

「正しい想像力」を有した人には、伝わると思っています。

 

 

ひとつは、「これからの受験生」へのメッセージです。

 

それから、「業界の人」へのメッセージ。

 

もうひとつは、都立高校入試に対する「一石」です。

 

 

「次の時代」は、どんな入試問題になるのでしょうか。

 

 

(ivy 松村)

 

 

都立高校入試の「漢字」①

本年度の都立高校入試の国語では、以下のような出題がありました。

 

大問1(漢字の読み)

 

(1) 役者の真に迫った演技が喝采を浴びる。(かっさい)

(2) 教室かららかな笑い声が聞こえてくる。(ほが)

(3) 新緑の渓谷を眺めながら川下りを楽しむ。(けいこく)

(4) キンモクセイの香りがう公園を散策する。(ただよ)

(5) 著名な画家の生誕を記念する展覧会がされる。(もよお)

 

大問2(漢字の書き)

 

(1) 古都を巡る計画をメンミツに立てる。(綿密)

(2) 道路をカクチョウして渋滞を解消する。(拡張)

(3) 幼い子が公園のテツボウにぶら下がって遊ぶ。(鉄棒)

(4) 吹奏楽部の定期演奏会が盛況のうちに幕をじる。(閉じる)

(5) 日ごとに秋が深まり、各地から紅葉の便りがトドく。(届く)

 

 

よく知られているように、都立入試の国語の漢字は、過去に出題されたものが再度出されることがあります。

そこで、平成に実施された31回の都立高校入試(共通問題)の国語の試験で出題された漢字を調べてみました。

 

 

 

大問1(漢字の読み)

 

(1) 喝采(かっさい)

(2) らか(ほが)……H11 大問1 (5)

(3) 渓谷(けいこく)……H17 大問1  (2)、H9 大問1 (4)

(4) (ただよ)う……H12 大問1 (3)、H1 大問1 (1)

(5) される(もよお)

 

大問2(漢字の書き)

 

(1) メンミツ(綿密)

(2) カクチョウ(拡張)

(3) テツボウ(鉄棒)……H7 大問2 (5)

(4) じる(閉)

(5) トドく(届く)……H3 大問2 (4)

 

 

5題。再出題の頻度が高いことがわかります。

 

その他、大問1 (5)の「催す」という語ですが、「出題文」によく出てきます。

 

例えば:

 

・H17 大問2 (4) 校舎の落成を祝ってシキテンが催ざれる。

・H7 大問2 (4) 公会堂の落成をイワって、演奏会が催される。

・H3 大問2 (2) 恩師をマネいて、同窓会を催す。

 

 

問題は、太字のカタカナの部分ですが、問題文に「催す」が使われています。

 

 

ところで、本年度の大問1 (3)の問題文ですが、H9の問題と比べてみると、かなり似かよっています。

 

 

・H31 大問1 (3) 新緑の渓谷を眺めながら川下りを楽しむ。

・H9 大問1 (4) 美しい渓谷を眺めながら、川を舟で下る。

 

 

おそらく、「過去問」を参考にして、作問されたのでしょう。

 

同じような例を探してみました。

 

 

 

・H28大問1 (2)  氷上の華麗な舞に拍手が沸き起こる。

・H21大問1 (4)  氷上の華麗な舞いに、観客の拍手が起こる。

 

・H28 大問1 (4) 地域を循環するバスが満開の桜並木を走る。

・H18 大問1 (3) 街を循環するバスが新緑の並木道を走る。

 

・H28 大問1 (5) プランターで栽培したトマトが赤く色づく。

・H18 大問1 (5) 心を込めて栽培したトマトが赤く色づく。

・H8 大問1 (2) 栽培しているトマトが色づく。

 

・H27 大問2 (1) 体力テストで、ハンドボールをげる。

・H18 大問1 (1) 体力測定で、ハンドボールをげる。

 

・H23 大問2 (3) この春、新しい科学雑誌が創刊される。

・H2 大問2 (5) この春、新しい文芸雑誌が創刊される。

 

・H16 大問1 (5) 卒業アルバムを見ながら、なつかしい思い出にる。

・H5 大問1 (4) 卒業も問近になって、二年問の思い出にる。

 

 

 

それから、過去の「読み」の問題を「書き」の問題に「再利用」したものもあります。

また、文中の「別の漢字」を問題にするという「応用」もあります。

 

 

・H27大問2 (2)  バスのシャソウから新緑の山々を眺める。(書きの問題)

・H20大問1 (4) バスの車窓から雪をいただく山々を望む。(読みの問題)

 

・H28 大問1 (1) 額の汗をいながら、山道を歩く。

・H7 大問2 (3) ヒタイの汗をぬぐいながら、山頂を目指す。

 

・H17 大問2 (4) 校舎の落成を祝って、シキテンが催される。

・H7 大問2 (4) 公会堂の落成をイワって、演奏会が催される。

 

・H28 大問2 (3) 外国へ行くために、リョケンの発行を申請する。

・H22 大問2 (1) 海外に行くために、リョケンを申請する。

・H17 大問1 (5) 海外旅行のために、旅券の発行を申請する。

 

 

 

当然、「完全コピー」もあります

 

 

・H30 大問1 (5) 忙しさにれて、妹に頼まれた買い物を忘れる。

・H10 大問1 (5) 忙しさにれて、妹に頼まれた買い物を忘れる。

 

・H29大問1 (2)  垣根をてて、梅の香が漂ってくる。

・H5 大問1 (3)  垣根をてて、梅の香が漂ってくる。

 

・H23 大問2 (2) 庭のかきの実が、赤くジュクしてきた。

・H13 大問2 (1) 庭のかきの実が、赤くジュクしてきた。

 

・H22 大問2 (3) 料理のザッシを見ながら、夕食の献立を考える。

・H14 大問2 (3) 料理のザッシを見ながら夕食の献立を考える。

 

・H22 大問1 (5) 三年間の学校生活をみて、卒業文集の原稿を書く。

・H13 大問1 (5) 三年間の学校生活をみて、卒業文集の原稿を書く。

 

 

 

漢字の問題の「出題パターン」は、5とおりあります。

 

①出題文も問題もほぼ同じ。

②出題文が少し違う。問題は同じ。

③出題文はほぼ同じ。問題は違う箇所。

④出題文は違う。問題は同じ。

⑤出題文は違う。問題も違う。

 

 

①~③は「過去問」を参照して作問されています。

④は、たまたま同じ問題になってしまったのかもしれません。しかし、「過去問」を踏まえた出題だった可能性もあります。

 

 

 

できるかぎり過去問をやったほうがいいという話です。

都立の三十数年分の漢字の問題を解かせた受験生たちは、漢字で点数を落としませんでした。

 

 

 

で、まあ、話のついでに一応ちょっと書いておこうと思うのですが、希少な古い「過去問」を手に入れて利用することを「ズル」だと思う人は、「理性的な思考が苦手」なのだろうと思います。

 

 

私は、「それ」を使うことが塾の人間の「道義」であると確信しています。

 

 

 

 (ivy 松村)

平成31年度都立高校入試 社会

本日、卒業した高校生が顔を出してくれたそうなのですが、ちょうど不在にしていて話すことができなくて、残念でした。

 

元気そうな様子を伝え聞きましたが、もう少し「ハリ」のある生活に切りかえていきましょう。多分、もうすぐ学年末試験だと思います。

 

 

「理系の国公立大学」について少し。

 

東大や東工大はかなりの覚悟が必要ですね。筑波大、千葉大、横浜国立大もハードルが高いですよね。

それ以外の総合大学であれば、(都立大に名前が変わるそうですが)首都大、横浜市立大、埼玉大など。

それから、電気通信大、東京農工大、東京海洋大など。

あとは、東京医科歯科大。準大学(大学校)もあります。

「理系の教師」を考えるのであれば、学芸大も。

 

通学を考えると、電気通信大、東京農工大、首都大などがいいですよね。

文系も視野に入れるなら、学芸大の他、一橋大や東京外語大も近くて通いやすい。

都留文科大も通える距離ですね。

 

地方の国公立大学でも、「寮費」が月一万円以下の「格安」のところもけっこうあると思います。

広い視野で、いろいろな「可能性」を検討してみてください。

 

あっという間に大学受験がやってきます。

今のうちに調べたり確かめたりしましょう。

あと、「新テスト」になりますから、情報を集めたり、対策を練ったりするようにしましょう。

 

 

 

さて、都立高校入試が終わりました。

少し、所感などを書きたいと思います。

 

 

社会が難化しました。

 

 

「完全一致型」の設問や「完答型」の設問が増加しました。

 

さらに、「ヒント」が複雑化し、そのうえ受験者を惑わす「情報」が組み入れられているような設問がみられました。

選択肢を慎重に比較し、より「総合的」な思考力を働かせて正答を導くような問題に立ち向かわなければならなくなりました。

 

内容面では、アフリカ、南米、東南アジアなど、比較的なじみの薄い地域に焦点を当てる設問が増えています。

 

 

 

気になった問題をいくつか挙げてみます。

 

○大問2〔問2〕

 

W ペルー

X サウジアラビア

Y ノルウェー

Z モロッコ

 

 

「ア」を特定させるのは困難です。

「首都が内陸部」、「えびの養殖」という2つの情報が示されていますが、これだけの「ヒント」で、この選択肢を「X」のサウジアラビアに合致させるのは至難のわざです。

 

また、一般的な社会の教材では、「えびの養殖」は東南アジアのトピックとして出てくるので、戸惑った人も多かっただろうと思います。

 

 

「イ」も厄介です。

「東西方向に走る山脈」はアトラス山脈のことです。

「Y」はスカンディナビア山脈、「W」はアンデス山脈ですが、これらは南北に走る山脈です。全体の「ヒント」をうまく整理しないと、混乱するかもしれません。

 

また、「たこ」ですが、私はスペインなどに行ったことがあるので、あの辺りは「たこ」がよく獲れることを知っていますが、多くの中学生にはなじみがないかもしれません。

 

 

「ウ」は、「冬季においても凍らない湾」という表現のとらえ方に注意が必要でした。これを「暖かい地域」を示す「ヒント」であると捉えてしまうと、間違えてしまいます。

 

 

そして問題は、「エ」です。

「首都が乾燥帯」という記述から、反射的にこれを「X」のサウジアラビアに当てはめてしまった受験生が多くいたはずです。

ペルーは、アンデス山脈のイメージが強いので、「高山の気候」であると連想しがちですが、首都のリマは、乾燥帯の気候なのです。

 

一応、説明の後半には「山岳地域」というワードが出てきますが、他の選択肢にアトラス山脈、スカンディナビア山脈があるので、それほど有力な「ヒント」とはなりません。

 

ポイントは、「南から北へ流れる寒流」で、これによって、「エ」が南半球の国であることを特定します。

 

 

この設問は、かなりハードでした。

 

 

 

○大問3〔問2〕

 

W 東京

X 石川

Y 愛知

Z 京都

 

 

京浜工業地帯、中京工業地帯を擁する東京と愛知が、「ア」と「イ」になることがわかります。2都県は、製造業事業所数が多く、製造品出荷額が大きいはずです。

 

石川と京都を比較して、京都の方が産業的に発展していると考えられるので、「エ」が京都であると判断できます。

 

そして、「Ⅱ」の文章の「西陣織」「町屋」などのワードから、「京都」を特定します。

 

ただ、石川の金沢にも「町屋」があります。

さらに、「加賀友禅」と「西陣織」はちょっと混同しそうです。

 

 

ちなに、京都には、京セラ、任天堂、村田製作所といった世界的な機器メーカーの本社があります。また、京都大学、同志社大学、立命館大学をはじめ、多くの大学があります。

 

これも余談ですが、京都には、京都工芸繊維大学という名門国立大学があるのですが、よく知らない人は、それほど高いランクの大学だと思わず、ついあなどって恥をかいたりします。

 

 

 

○大問4〔問2〕

 

江戸初期、朱印船貿易の時代、山田長政という日本人が「タイ」の国王に仕えて活躍したという史実と、「タイ」の位置を知っておかなければならない問題でした。

 

 

 

社会は、得点を取り切れなかった受験生が多かったと思います。

 

社会は、昨年から明らかに作問の「方向」が変わりました。

 

数年前の「入試問題の『改善』」の影響で、記述問題の削減など、問題の「単純化」が進行していました。つまり、易化していたわけです。

 

そのため、特に自校作などの上位校では、得点率が「飽和」して、入試としての「選抜機能」を十分に果たすことができなくなっていました。

 

ちまたで「自校作を受けるなら、理社は90点以上!」などという「目安」が叫ばれたりしていますが、よくよく考えると、入試選抜としては好ましくないわけです。

 

私個人は、上位校は理社を独自作成(グループ作成)すればよいのに、と思いますが、まあ、現行の入試の「難易度の調整」がなされているとみてもいいのかもしれません。

 

 

それから、近年、ネットなどに「都立社会対策」の情報があふれるようになりました。

そういった「小賢しい手引き」に釘を刺すというような思惑もあるのかもしれません。

まあ、このブログも「牽引役」のひとつだったわけですが。

 

いずれにしろ、「安易な対策」が有効ではない入試問題が作られるのは非常に好ましいことだと思います。

 

 

 

最後に、ちょっとした付記を。

 

いずれ本年度の入試問題の「平均点」が公開されると思いますが、過年度の「平均点」と比べる際には注意しなければならない点があります。

 

もちろん、「平均点」は、問題の難易度によって上下します。

 

それだけでなく、「採点」の影響を受けます。

 

過去に、「採点」に多くの「誤り」が見つかったことがありました。また、採点基準が見直されたことがありました。

そうした「事態」は、「得点」を変質させています。つまり、例年の「平均点」と「同質」ではなくなっているわけです。

 

 

それから、母集団の学力が「平均点」を左右します。

 

最近の2年、都立高校の受験者数が減っていますが、特に、学力下位層が都立高校を受けなくなっています。

 

実は、「授業料軽減制度」を頼りに私立に進学する生徒は、あまり上位ランクではない私立高校に多いのです。

 

ちょっと気をつけたいことですが、これには、私立と都立の「学費」はあまり変わらなくなった、という「誤解」も働いています。

 

 

で、最近の都立高校の入試では、学力下位層が「抜ける」ために、どのくらい影響があるのかちょっとよくわかりませんが、ともかく「平均点」が上昇してしまうわけです。

 

 

「平均点」は、単純に「難易度」を示すというわけではないのです。

 

 

(ivy 松村)

 

eine Nachricht

早稲田の系属校に合格した生徒が、「メッセージ」を書いてくれました。

 

 

 

 

 私はこの一年間、受験に向かってたくさん勉強をしてきました。夏休みまでに三年生の内容を終わらせて、そこからは志望校の過去問や総合問題を解き進めていきました。

 

 勉強をしている中で苦しいと思うことがたくさんありました。例えば、過去問演習で良い点数が取れなかったときなどです。しかし、私は、自分はレベルアアップし続けている、これを乗り越えれば合格に近づくと信じ、また、高校生活を楽しんでいる自分を想像したりしながら取り組みました。そんな中で、初めて合格点に届いたときは、とても大きな喜びを感じました。

 

 私は自分の受験勉強を振り返り、良かった点と反省すべき点を考えました。全体を通して、最後まで生活のリズムを崩さずに過ごせたことや得意科目を大きく伸ばせたことが合格につながったと思います。一方、もっと早くふり返り学習を習慣化するべきだったと感じます。ふり返り学習をするのとしないのでは、知識の吸収率が違うということを身に染みて感じました。

 

 私は、この一年で、目標に向けて最善の選択を、たとえそれが苦しいことであってもできるようになったと思います。また、計画を立てて物事を進めていくこと、一つのものを多方面から見ることができるようになったと思います。このような力は、今後も必要なものだと考えています。

 

 私は、困難を乗り越えて受験を終える喜びを得ることができました。受験を終えた私が、受験において大切だと思うことは五つあります。一つ目は、自分のやることの優先順位を、やりたいことからではなくやらなければならない順にすること。二つ目は、一度やったことを完璧にすること。三つ目は、満足しないこと。四つ目は、協力してくれる人を積極的に使うこと。五つ目は適度な休息をとることです。これができれば、合格に大きく近づくと思います。受験は我慢勝負です。最後まで諦めず、合格をつかみ取ってください。

 

「Enjoy the pain if it’s inevitable !!」

 

 

 

 

 

「見習うこと」が多いですね。

 

(ivy 松村)

 

Studious students will be studying in the studio studiously.

明日は中3受験生の最後の「入試特訓」です。

 

朝10時には校舎が開いています。

中1、中2の生徒のみなさんも定期試験の勉強のために教室を空けてありますので、お家で勉強が手につかないという人は、利用してください。

 

定期試験勉強の進捗を聴き取りしています。

提出物等、まだかなり残っている人がいます。

早く、しっかりと仕上げて、試験勉強に打ち込んでいきましょう。

 

来週の土日も校舎を開けますので、どうぞ利用してください。

 

 

中1・中2の国語の授業では、1月中に、「出題範囲」の「予習」をしました。

中1は、「少年の日の思い出」、中2は、「走れメロス」と漢文。

その際に、「問題冊子」をお渡ししました。必要な人はどんどん取り組んでください。

提出してくれれば、採点します。

 

 

 

都立高校を受験する中3の生徒は、今日は平成8年度の英語の問題と、英作文の「まとめ」を行いました。

 

英語は、あと29年度と30年度を解いて、全部で22年分の演習を終了します。

国語は、平成3年度まで解くので、全部で27年分になります。

 

 

平成8年度は、まだ、リスニングや自由英作文が出題されるようになる前の年で、「発音・アクセント問題」や「和訳」が出題されています。

 

この年の問題を扱うかどうか、ちょっと迷ったのですが、骨子となる「会話文」と「物語文」の構成は、現在と大きく違わないので、「経験値」を上げ、対応力を強化するために実施しました。

 

 

いくつか文法的な話もしましたが、特に力を入れて伝えたのは、「意味」を考えろ、ということです。

 

英語は「言語」です。

したがって、単語にも、連語にも、句にも、節にも、文にも、文章にも、つねに「意味」が存在しています。

 

 

入試問題は紙面に「文字」として記載されています。ゆえに、視覚的に「形」に注視することで解ける設問が多くあります。

 

そのために、「形」に意識を集中させすぎてしまいます。

 

しかし、やはり「意味」を考えなければなりません。

 

 

「形」と「意味」の両面から、「考察する」ことが大事です。

 

 

 

それから、英作文は、ある意味「暗記」です。

 

 

使える「文例」のパターンを増やしていくことで、「12点満点」に近づきます。

 

残り「5日」。必死で覚えましょう。

 

 

 

では、また、明日、お待ちしています。

 

 

 

Tayal-Taiwan

 

台湾の先住民族、タイヤル族の民族衣装に身を包む若き日の私。

全く個人的な感傷ですが、今思い出してみると、台湾で過ごした日々が、人生でもっとも穏やかだったかもしれない。

 

 

 (ivy 松村)

“Sale on”― “Sail on !”

いよいよ受験シーズンです。

 

今日は、うれしい合格発表もありました。

 

 

昨日、受験生といっしょにハチマキをつけて、「エイ・エイ・オ~!」をやりました。

その後、「豆まき」を敢行しました。

 

okashi

 

 

 

この時期、あちこちに「受験グッズ」を買いに行くのですが、ちょっと前にはよく見かけていた「受験仕様」のお菓子を見かけなくなりました。

それで、あまり生産されなくなってしまったのかな、と思っていたのですが、ちょっと遠出をしたところのあるスーパーに「コーナー」が作られていて、たくさん置いてあるのを発見しました。

ただ単に、近くのお店で取り扱わなくなっていただけなのですね。

思わず「衝動買い」をしてしまいました。

 

けっこう余ってしまったので、非受験の学年の生徒のみなさんにも今度「おすそわけ」しますね。

 

 

 

明日は、都立中入試です。

 

君たちが、「入学試験」と向き合い、格闘し、考え抜き、今までで一番いい「答案」を仕上げて帰ってきてくれることを祈っています。

 

頑張れ。

 

 

(ivy 松村)

 

 

 

合理的―合理的

昨日、高幡不動のだるま市に行って、だるまを買ってきました。

 

daruma

 

 

(生徒が右目を入れてしまいましたが、先にどっちの目を入れてもいいそうです。)

 

 

 

小6の生徒たちに、いつも、「合理的な思考」を心がけるように言っています。

 

「合理性」を求めることで、人間の脳は開発されます。

 

それから、「合理的」な人間は、同じように「合理的な思考をする人」を納得させることができます。

つまり、「正しく考える人」を、味方にすることができるのです。

 

 

生徒のみなさんには、より良い人生を生きるために、「合理的」にものごとを考えることができる人間になってほしいと願っています。

 

 

それにしても、このようなことを述べると、「でも、冷たい人間は人に好かれないのでは?」と返したくなる人がいます。

 

そのような考えは、まったく「合理的」ではありません。「合理的」=「冷たい人間」ではないからです。

 

 

ならばお前は「合理的」なのか、と問われれば、面目もありません。私は多分に情動的、感覚的な人間なので、恥ずかしながら、あまり「合理的」であるとはいえないと思います。

 

しかし、どうすれば入試でより高い得点を取れるのか、という核心的な事柄については、人よりもほんの少しだけ、「合理的」に考えることができると思います。

 

 

 

入試において、何が「合理的」なのか。

 

当然、それは点数に結びつく「行動」です。

また、あるいは、失点の予防です。

 

こうすれば点数を得られる、こうすれば失点を食い止められる、という「判断」をして、それを実行にうつすわけです。

 

 

「正答」を解答欄に書き込めば、得点となります。

 

 

では、「正答」がわからなければ?

 

もっとも「正答」に近いと「判断」できる内容を書き込みます。

 

 

では、「手も足も出ない」問題が出てしまったら?

 

「正答」かもしれない「何か」を書き込みます。

 

答案を「白紙」で提出することは、「合理的」ではありません。

 

 

 

それから、作業のスピードを上げることも、「合理的」です。

補助的なメモを用いたり、作業のやり方などを工夫したりすることで、答えにたどり着く時間を短縮できます。

 

 

日々の生活の中で、「アイデア」を練ったり、「気になるもの」を探したりすることも、「合理的」な行動です。

 

 

自分の欠点を直すように取り組んだり、自分の長所を伸ばすように取り組んだりすることも、「合理的」です。

 

ただし、「自分」を正しく認識できていなかったり、その「方法」が間違っていたりする場合には、それは「合理的」であるとはいえなくなります。

 

 

努力をすることも、「合理的」です。

ただし、「正しい努力」でなければ、それは不合理です。

 

 

 

さて、では、だるまやお守りのようなものに「願かけ」を行うのは、「合理的」なのでしょうか。

 

 

そんなものは当てにならない、という人もいるでしょう。

「そういった効果」をまったく信じていない人にとっては、確かに無意味なものなのでしょう。

 

 

一方、「そういったもの」に情緒を見出したり、「そういったもの」を通して、人情の機微を感じとったりすることができる人にとっては、少しの「力」になるかもしれません。

 

自分を良い状態に保つために、ほんのちょっとでも役立つものを利用することは、「合理的」です。

 

 

 

最後に、受験生のみなさん、入試までの日々をどう過ごすのか、よく考えましょう。

 

残された時間を、「合理的」に使うようにしましょう。

 

 

 (ivy 松村)

「私立志向」について②

「私立大学の定員の厳格化」について考えてみましょう。

 

 

近年、私立大学の「合格難度」が上昇しています。

 

学生数が「超過」状態にあった大学に対して、「適正な収容力」に見合った「学生数」とするように、文部科学省からの「指示」があったためです。

 

「定員数」が減らされ、「合格者数」も減少しました。

 

そのために、「倍率」が高騰し、合否の「ボーダー」が著しく上昇しました。

 

 

 

もうすこし、「ディテール」を見てみましょう。

 

 

最難関の国立大学を目指した受験生のうち、少なくない人数が、国立だけでなく早慶などで厳しい結果となってしまいました。

 

従来であれば、早慶などの合格を得られたはずの「層」が、MARCHの合格のみに留まってしまうわけです。

 

それで、上位国立大学相当の学力を持った学生が、MARCHに流れます。

 

 

一方で、浪人が増えます。

 

この1、2年、浪人生の数が回復しているといわれています。

そのもっとも大きな理由のひとつは、私立大学の「収容力」が低下してしまったことです。

 

 

 

日本の経済状況がよくなかった時期には、地方の学生の、東京の大学への進学が下火となりました。

東京で「一人暮らし」をするのは、経済的に大きな負担です。

 

また、同時に、地方では「少子化」が著しく進行しました。

 

結果として、この15年ほどの間に、東京の大学に在籍する地方出身者の割合は低下しました。

 

 

他方、東京やその近県の大学進学者数が増加しました。

 

「地方からの参戦」が抑制される状況で、私立大学が「キャパ」を大きく超える数の「合格」を出したからです。

 

近年、都立高校をはじめ、「大学進学実績」を向上させる都内の高校が多く現れましたが、それは、上記のような、都内居住者に有利な「構造」が強化されたことが背景にあるわけです。

 

 

 

今年は、私立大学の合格者が絞られてしまいました。

その「あおり」で、「進学実績」が頭打ちになってしまった高校がありました。

 

「変化」をつかみ切れず、「合否の可能性」を読み違えてしまった高校も、あったかもしれません。

 

これから、いくつかの高校は、進学校としての「成長」を鈍化させてしまうかもしれません。

 

 

 

さて、本題の「私立志向」についてです。

 

私立大学の「難度」が上昇しました。

しかし、「私立大学離れ」は起こらないと思います。

 

むしろ、私立大学入試が激化するかもしれません。

 

 

国立大学と私立大学の両方を受験することは、「勉強量」において、非常に大きな負担になります。

 

上で述べたように、国立大学志望でありながらMARCHに進学することになる学生がいるわけですが、その中の何人かは、「私立大進学」に絞って受験勉強していれば、早慶の合格を得られた可能性が高かったのだろうと思います。

 

つまり、「現在の状況」は、ある意味で、国立大学受験の「リスク」がより高まっている、という側面があるわけです。

 

 

また、前回の記事でも述べたように、国立大学と私立大学を比べて、国立大学の「アドバンテージ」が、相対的により小さくなっているという見方が強まると、国立大学受験は回避されるでしょう。

 

「ハイリスク・ハイリターン」ではなく、「ハイリスク・ローリターン」の傾向が強まると捉えられることになるからです。

 

 

実際、国公立大学の受験者は、減少傾向にあるといわれています。

 

 

 

今年の「高校入試」でも、私立大学附属校の「倍率」が高騰しました。

また、「中学受験」でも、附属校の人気が再燃しています。

 

ある意味で、「中学受験」や「高校受験」は、「先物取引」のようなものであるといえます。

 

早期に、国立大学を回避する方向性が固まったのであれば、「大学受験」のタイミングを待つ必要はないわけです。

 

 

 

ところで、国立大学と私立大学の「差異」の捉え方、というのは、とても難しい問題です。

それだけではなく、「大学」に対する「目線」も、人によって「ばらつき」があります。

 

「その人」の主観的なものの見方、考え方、見通し、人生観、価値観、教育観、思惑あるいは思想そして経験などが、直接的に反映されてしまうからです。

 

人の言うことをうのみにせず、自分なりに調べたり、考えたりしましょう。

 

(もちろん、この記事も、うのみにしないようにしましょう。)

 

 

(ivy 松村)

 

「私立志向」について①

12月26日(水)から、冬期講習がはじまります。

 

冬期講習前の3日間は休校期間となります。

 

 

◎休校期間

・12月23日(日)

・12月24日(月)

・12月25日(火)

 

 

12月30日(日)と1月3日(木)は「入試特訓」です。

「入試特訓」の授業が行われるのみで、冬期講習の授業はありませんが、宿題や課題などに取り組みたいという人のために空き教室を開放しますので、どうぞ利用してください。

 

 

 

さて、少し「受験」の話を。

 

昨今、「私立志向」が伸長しているといわれています。

 

さまざまな「要因」が「動向」に影響を及ぼしているわけですが、少し整理して考えてみましょう。

 

 

◎私立志向の要因:

 

①好景気

②私立大学の定員の厳格化

③「私立高校」の教育費支援制度(いわゆる「授業料無償化」)

④大学入試制度改革

⑤都立高校入試改革

 

 

 

いろいろな「記事」などに目を通したりしているのですが、他の「要因」の印象が強すぎるためか、どうも①の「好景気」という「要因」はあまり論じられていないようです。

 

 

近年、「アベノミクス」の成果で、「好景気」が続いています。

 

「アベノミクス」は、ある特殊な状況を作り出しています。「好景気」の効果は限定的で、「恩恵を受けている人たち」と「そうでない人たち」は分断されています。

つまり、「所得の格差」が広がっているわけですが、まあ、それはちょっと置いておきましょう。

 

端的にいえば、結婚し、子供を生み育てている世帯の収入は全体としては上がっているわけです。特に東京圏はそうだと思います。

 

現在は、ある程度「経済的な見通し」がなければ、子供を持つことが難しい時代です。

別のいい方をするならば、子供のいる「家計」は、安定的な経済基盤に支えられているわけです。

つまり、それは「好景気」の効果を存分に受けられるようなもので、たとえば、「ボーナスの額が過去最高になった」とか、そういうことです。

 

要するに、経済的に余裕のある「子を持つ家庭」が増えつつあるわけです。

 

 

 

そこで、「私立志向」という話の「流れ」になるわけですが、それとは別の観点に着目したいと思います。

 

すなわち、就職活動で、学生側に「有利」な状況です。いわゆる「売り手市場」というものです。

 

現在の経済状況であれば、たとえばMARCHなどの難関私立大学に入ることができれば、「十分に良い就職」が可能であると考えられるわけです。

 

 

そのため、リスクや負担を負って国立大学を目指す「必要」が薄まったといえます。

反対に、私立大学および私立大学附属校の人気が高まるわけです。

 

 

 

(ivy 松村)

 

 

過去問の「リスニング」

今日授業後に卒業生が進路の報告に来てくれました。

 

高1、高2のころ、推薦で大学進学を考えているということで、定期試験に向けて、校舎に来て勉強していました。高3になって、どうしているかな、と思っていたのですが、部活動のために、数か月「合宿」のような状況の中、勉強していたそうです。

がんばりましたね。

 

おめでとうございます。

また、そのうち顔を出してください。

 

 

 

さて、先日の「入試特訓」についてもう少し。

 

 

日曜日の「入試特訓」では、「共通問題クラス」は25年度の入試問題、「自校作成コース」は25年度の西高の独自問題でした。

 

 

25年度は、「記述問題」の全盛期で、英国社などの文系科目の「記述」や「作文」で、得点を取り切れなかった生徒がいました。

 

 

また、英語では、いつもとは違う「リスニング音源」を使ったことで、点数を取り切れなかった生徒がいたのかもしれません。

 

 

都立高校の「過去問」を販売している出版社は意外と多くあります。

それで、個人的にいろいろな出版社の過去問を集めているのですが、今回は、ちょっとマイナーな出版社が刊行している「過去問」の音源を使用してみたのです。

 

 

実は、都立高校入試で実際に使われているリスニングの音声は、過去問に付属している「リスニング音源」とは異なっています。

過去問に付属している「リスニング音源」は、公開されている「原稿」をもとに、各出版社が「再現」して録音したものなのです。

 

ですから、出版社ごとに「リスニング音源」の「声」が違うのです。

 

 

普段の過去問演習は、「東京学参」や「声の教育社」の音源を使うことが多いのですが、いつもとは違う「声」も経験してもらうことにしたのです。

 

 

少し聞き取りづらい声だったかもしれません。

 

そのせいなのかどうか、わかりませんが、〔問題B〕の「Q2」は全員間違えていました。

 

しかし、まあ、この設問の正答率は7.9パーセントですから、もともと「難しい問題」ですが。

 

 

ある生徒は、「she saw old Tokyo.」というフレーズの「old」がうまく聞き取れずに、「all」にしてしまいました。

 

この問題が出題された「当該の入試」でも、「同じような間違い」が多かったということなので、「実際の入試問題」でも、やはり「old」が聴き取りづらかったのかもしれません。

 

 

別の「リスニング音源」であれば、聞き取れていたのかもしれません。

 

 

 

かなり「マニアック」というか、「ディープ」な話になってしまいますが、「リスニング音源」のなかでは、私は、「東京学参」がいちばんフェイバリットです。

 

 

「声の教育社」の「音源」は、男性の声が、かなりシブいというか、シブすぎるというか、けっこう年配の方の声で、「若い男の子の声」としてはちょっと違和感があります。

 

 

「東京学参」の男性の声は、若々しくて、さわやかです。

 

それから、「東京学参」の女性の声は、はっきりしていて非常に聞き取りやすい美しい声です。多分、「役者」の方なのではないかと勝手に想像するのですが、彼女は、一人で、さまざまな年齢や性別の「声」を使い分けていて、いつも聞き入ってしまいます。

 

 

とはいうものの、まったく皮肉なことに、「受験勉強」としては、「聞きやすい声」というのは、難点でもあります。

実際の入試問題で使用される声が、相対的に「聴き取りにくい声」であるかもしれないからです。

 

特定の「聞きやすい声」に慣れてしまうと、入試本番で、うまく放送を聞き取れなくなってしまうかもしれません。

 

 

 

もしかすると、今回の演習で、「いつもの声」を使用していたとしたら、「Q2」を正解できたかもしれません。

しかし、どのようなタイプの音でも、じっくりと聞きとる練習をしておくことも大切です。

 

 

しっかりと準備を進めていきましょう。

 

 

 (ivy 松村)

 

What will we get after the days we study as much as possible ?

新しいパンフレットが完成に近づいてきました。

 

インタビューなどに協力してくださった在塾生・卒業生のみなさんとご家庭に、「サンプル」をご確認いただいております。

ご面倒をおかけして恐縮ですが、誤記や、訂正のご要望などがございましたら、校舎まで仰せ付けくださいますよう、お願い申し上げます。

 

 

さて、パンフレットの件で、何人かの卒業生のご家庭に連絡をさせていただいた際に、近況などを伺わせていただきました。

 

みなさん、大変ながらも充実した高校生活を送っているそうですね。

期末試験を終えた人は、少しゆっくり過ごしているところだと思います。

 

 

塾の方でも、試験期間中、毎日勉強をしに来ていた高校生たちが減り、少し寂しい気分ですが、小6、中3は、いよいよ入試に向けて、スパートをかけていく時期になってきました。

校舎にも、刻々と緊張感が漂ってきました。

 

 

 

昨日は、「入試特訓」の第一回目でした。

 

 

中学生の「入試特訓」は、今年度は「全5回」と、例年に比べて少なめですが、それは、普段の授業で十分な演習量を確保できているために、余裕をもってスケジュールを組んでいるからです。

 

これまでは、「入試特訓」の日程と、期末テストや公開模試、学校説明会などが重なってしまって、かなり無理をして参加していた生徒もいました。

 

今年は、早期に進学先が内定した生徒が多かったので、通常の授業で行う入試問題演習を効率的に行うことができています。

 

たとえば、国語は、すでに都立高校の「共通問題」だけで10回ほど演習を行っています。

 

 

「都立共通問題」のコースは、「入試特訓」で5回、冬期講習で毎日8回の演習を行うので、両方に参加する生徒は、さらに13回分の演習をする機会を得られます。

 

 

都立高校の入試までに、30回分ほどの演習を行うことができると思います。

 

 

 

と、「このようなこと」を書くと、「そんなにやる必要がるのか」という「疑問」を持つ人がいるのだろうと思います。

なかには、いろいろな理由をこじつけて、そんなにやっても効果はない、という批判めいたことをいいたくなる人もいるかもしれません。

 

 

しかし、現実に、「都立共通問題」は、たくさん解くことがもっとも有効な対策となります。都立の問題を熟知している人は、同様の考えを持つと思います。

 

 

まあ、勉強のやり方や指導の方法はさまざまあるので、何が「正解」なのかということを、確定的に述べることはできないわけですが、あえて個人的な「考え」をいうのであれば、「なるべくたくさん受験勉強をする」ということを否定するというのは、なんというか、残念というか、あまり合理的ではない思考です。

 

 

 

そういえば、パンフレットのインタビューに答えてくれた卒業生が、印象的なことを言っていました。

 

 

「定期試験の勉強をするのがフツーになってた。」

 

 

何が「フツー」なのかは「その人」によって違うわけですが、少なくとも、その生徒にとっては、今や試験に向けて勉強するのが「フツー」なわけです。

 

 

「高校で、周りの生徒が、定期試験が近づいてきても全然勉強してなくてビビる。」

 

「周りの生徒は、勉強しはじめても、15分ぐらいで集中が切れてボーとしていて、やばいと思う。」

 

 

 

・・・「昔の自分」を見るようで、いろいろと、思うところがあるようです。

 

 

 (ivy 松村)

 

 

お知らせ「2018年度 冬期講習」「入試特訓講座」

◎2018年度冬期講習会の御案内です。

 

詳しくは、「お知らせのページ」をご覧ください。

 

 

 

 :lol:  小4進学コース :lol: 

・講習料金/教材費:7,560円 2,160円

・教科:算数・国語(各50分)

・日数:12/28、12/29、1/6、1/7 (4日間)

・時間:9:00~10:50 

 

 

 :lol:  小5進学コース :lol: 

・講習料金/教材費:7,560円→ 2,160円

・教科:算数・国語(各50分)

・日数:12/26、12/27、1/4、1/5 (4日間)

・時間:16:30~18:20 

 

 

 :lol: 小6進学コース :lol: 

・講習料金/教材費:7,560円→ 2,160円

・教科:算数・国語(各50分)

・日数:12/26、12/27、1/4、1/5 (4日間)

・時間:9:00~10:50 

 

 

 :lol: 都立中受検コース :lol: 

・講習料金/教材費:15,660円→ 2,160円

・教科:理系・文系・作文(各50分)

・日数:12/26~12/29、1/4~1/7 (8日間)

・時間:12:30~17:20   

 

 

 :lol: 中1特訓コース :lol: 

・講習料金/教材費:15,390円→ 3,240円

・教科:英語・数学・国語(各50分)

・日数:12/26~12/28、1/4~1/6 (6日間)

・時間:18:40~21:30 

 

 

 :lol: 中2特訓コース :lol: 

・講習料金/教材費:24,840円→ 3,240円

・教科:英語・数学・国語(各50分)

・日数:12/26~12/28、1/4~1/6 (6日間)

・時間:18:50~21:40

 

 

 

 :lol: 中3特訓コース :lol: 

・講習料金/教材費:43,200円

・教科:英語・数学・国語(各50分)

・日数:12/26~12/29、1/4~1/7  (8日間)

・時間:11:00~17:20

 

 

 

 :lol: 中3選抜コース :lol: 

・講習料金/教材費:43,200円

・教科:英語・数学・国語(各50分)

・日数:12/26~12/29、1/4~1/7  (8日間)

・時間:11:00~17:20

 

 

 

 :lol: 中3特訓/選抜 5科コース :lol: 

・講習料金/教材費:54,000円

・教科:英語・数学・国語・理科・社会(各50分)

・日数:12/26~12/29、1/4~1/7  (8日間)

・時間:9:00~17:20

 

 

 

 

◎高校入試特訓講座のご案内です。

 

都立高校の過去問演習と解説授業の講座です。

詳しくは、「こちら」を参照ください。

 

・料金  全5回 8,100円

・時間  10:00~19:40 (昼食時間あり)

・内容  テスト(国数英社理 各50分)  解説(国数英 各50分 社理 各30分)

・日程  ① 12/16(日)  ② 12/30(日)  ③ 1/ 3(木)  ④ 1/14(祝)  ⑤ 2/17(日)

 

 

※「都立自校作成上位校コース」と「都立共通問題コース」があります。

 

 

☆都立中(南多摩中)入試特訓講座も開講します。

詳細は、校舎までお問い合わせください。

 

 

(ivy 松村)

 

 

 

連絡「2学期 期末テスト対策」

◎2学期期末テスト対策

 

・11月4日(祝) 14時~22時30分

・11月5日(日) 14時~22時30分

 

・11月10日(土) 14時~22時30分

・11月11日(日) 14時~22時30分

 

 

 

期末テストが近づいてきました。

しっかりと準備を進めていきましょう。

 

今週の土曜日は祝日ですが、校舎を開けます。

家で勉強できない中学生は、テスト勉強に来てください。

 

小学生も、教室で勉強できます。

 

 

 

中1、中2の生徒は、土曜日(金曜日)に、提出物の進捗チェックをしますので、持ってくるようにしてください。

 

それから、中2の生徒は、今週の土曜日(金曜日)に、四字熟語のテストがありますので、忘れないようにしてください。

中2は、来週に月例テストもありますよ。

 

中3生は、自分でしっかり計画を立てて、勉強を進めていきましょう。

 

 

テスト範囲の単元の問題が欲しい人や、昔の問題を閲覧したい人は、声をかけるようにしてください。

 

 

 

世間はハロウィンの話題で持ちきりですが、先日、思いがけずお菓子をいただいて、ハロウィンの楽しさが、ちょっとわかったような気がしました。ありがとうございました。

 

 

各中学の合唱祭も終わり、いよいよ「期末」です。

寒くなってきました。しっかりと体調を整えながら、がんばりましょう。

 

 

 

Yungang

 

中国山西省、雲崗石窟。けっこう昔ですが、人生で一番痩せているときかも。

 

最近まで、フィルムのカメラを使っていました。カメラは、古いけれどそんなに悪くないものだと思いますが、人に撮ってもらうと、ピントが合わなかったりします。当時、中国の田舎ではあまり良いフィルムを売っていませんでした。ひどい店だとフィルムの「中身」がすり替えられていたり。

 

最近の「写真」は、精細に撮れますが、加工することが当たり前になっていますね。昔の写真を見直していると、「粗い素の写真」のほうが、実は、「なんとか映え」するのではないかと思ったりします。

 

 

 

(ivy 松村)

 

都立中入試と「いりたま作文」②

「いりたま作文」の「原形」は、かなり古い時代から存在しています。

70年代、80年代にはすでに使われていたと思われます。

 

それは、もともと100~200程度で「意見」を書かせる入試問題に対応するために考案されたものです。

 

100~200字程度で「意見」を書く場合、結論を先に書くのがセオリーです。字数オーバーにならないように、まず、結論を書いて、残りの字数で、書き切れるように調整しながら「理由」を書くと、はやく、確実に問題に対処できるわけです。

 

ですから、「い」→「り」の順番で「作文」を書くというのは、あながち間違った方法というわけではありません。

 

たとえば、200字の「作文」を出題する三鷹中の入試問題などでは、堅実な答案をつくることができるでしょう。

 

私自身、まず200字程度で「意見→理由」を述べる「疑似いりたま作文」を書かせるところから、指導を始めます。

 

 

しかし、一般的な都立中の「作文」の解答を「いりたま作文」で書くと、バランスを欠いた薄気味悪い文章が出来上がります。

 

ひとつは、先に書いたように、「なぜなら」を適切に使うように指導がなされていないからです。

 

さらにもうひとつ、まったく単純な理由を挙げることができます。

 

多くの都立中の「作文」は、400字程度の字数設定となっていますが、その「400字」という字数が、「いりたま作文」が有効性を発揮する「キャパ」を超えているわけです。

 

「いりたま作文」で「400字の作文」を書くと、冗長になってしまうのです。

 

 

200字程度が「最適」である「いりたま作文」を、「400字」に適合させると、答案用紙を「埋める」作業が必要になります。

そのため、多くの「いりたま作文」が、「た」にあたる「体験」を引き延ばして書き、文量を稼ぐような構成になります。

 

著しくバランスを書いた答案になると、400字のうち、300字程度も「体験」を書き連ねるというような歪な「作文」が出来上がります。

 

 

このような「体験」で「水増し」をするという「作文」の書き方を、都立中は嫌厭します。

 

それで、さまざまな「指示」を与えて「作文」の内容を制御したり、「体験」そのものを「作文」に組み込めないような出題形式にしたりして、「水増し作文」を封じ込める「対策」が取られるようになったわけです。

 

 

 

前にも書いたように、私は、「いりたま作文」をあまり好ましく思っていません。

 

 

ここではあまり多くを述べませんが、「いりたま作文」は、その文章自体に欠陥があらわれやすいということ以上に、「その型」で文章を書き続けるということに大きな弊害があります。

 

 

しかし、それでも、「業界」がこれを受験対策に導入したことについては、ある意味当然のことだと考えています。

 

受験指導を行う者は、「合格」に対して、現実的、合理的であるべきだと思うからです。

 

 

 

都立中入試の黎明期に、「作文」に対応する「切り札」として導入された「いりたま作文」は、これまで、存分にその効果を発揮してきました。

それぞれの都立中で作成された「作文」の問題は、「いりたま作文」にがっちりハマるものが多くありました。

 

 

しかし、受検生のほとんどが「いりたま作文」を書くようになり、客観的な学力判定が困難になってしまいました。

 

そこで、「いりたま作文」を発動させないような問題形式が「トレンド」にあらわれてきたわけです。

 

 

近年、「適性検査Ⅰ」では、なかなか高得点を取れなくなっているという話を聞きますが、その主因は、やはり出題傾向の変化にあると考えられます。

 

「作問・採点側」は、「いりたま作文」を排除しようとしているのに、「指導・解答側」が、依然として「いりたま作文」(の応用)で対応しようとしているために、得点が得られないわけです。

 

 

 

「共通問題」の導入を契機として、都立中入試は、明らかに「新しいフェーズ」に突入しました。

 

 

いまや「いりたま作文」は「旧式の方法論」となりつつあります。

 

 

去年の段階ではまだ気づけませんでしたが、今年の入試問題を見て、確信しました。

 

 

 

今後は、「こちら側」も対策を考えていかなければなりませんね。

 

 

(ivy 松村)

 

 

都立中入試と「いりたま作文」①

過去4年間の都立中の「適性検査Ⅰ」の出題傾向を精査すると、立川国際以外の中学が、出題の「方向性」を固めてきていることがわかります。

 

 

「タイムライン」を整理すると:

 

① 27年度 「共通問題」がスタート

② 28年度 「共通問題」の「作文」に「構成の統制」の傾向があらわれる

③ 29年度 「独自作成」の各中学の「作文」に「構成の統制」の傾向があらわれる

 

 

 

これまで確認してきたように、桜修館、両国、南多摩、白鷗、三鷹のいずれの中学も、29年度以降、「作文」の出題に変化が確認できます。

 

 

適当な言葉が見つからないので、とりあえず「構成の統制」と表記しましたが、その「内実」は、大きく2つのポイントに集約できると思います。

 

 

・「作文」の「構成」(段落の数や内容)を細かく指示する

・「体験」(経験)をオミットする

 

 

 

このような出題形式を採用する「意図」は、明白です。

 

つまり、「ワンパターンな作文」の忌避です。

 

 

もうすこし具体的に述べると、「いりたま作文」というものを謝絶したいわけです。

 

 

 

「いりたま作文」というのは、「受験業界」で、「作文」を指導する際に用いられる「定型」です。

 

 

「い」…「意見」 私は、…について、~だと思う。

「り」…「理由」 なぜなら、~からだ。

「た」…「体験」 私にはこんな体験がある。(延々と体験を書き連ねる)

「ま」…「まとめ」 私は、このような体験を活かし、今後も努力したい。

 

 

とまあ、このような「流れ」で作文を書くと、「作文」に不慣れな生徒でも「作文」を書けるようになるということで、この「メソッド」が大いに普及したのです。

 

いってみれば、「いりたま作文」というのは、「作文」が苦手で、まったく手につかない生徒に、なんとかそれなりのものを書かせるための「苦肉の方策」だったわけですが、いつしか、受験における「作文」の定石のような扱いになってしまったわけです。

 

 

しかし、「いりたま作文」には、「日本語で書かれる文章」として、大きな瑕疵が存在します。

 

一般的な「教務感覚」を持った国語教師は、「それ」を憂慮するにちがいありません。

 

都立中の先生方の間で「そうした問題意識が共有されるに至ったタイミング」で、「いりたま作文」の放逐が推進されているのではないかと考えます。

 

 

「いりたま作文」について、少し考えてみましょう。

 

 

 

「いりたま作文」の肝は、「り」にあたる「理由」を述べる箇所です。

ここで、「なぜなら」という接続詞を使用します。

 

至極まっとうな日本語の感性を有した人であればすぐに気づきますが、この「なぜなら」が、「いりたま作文」に打ち消すことのできない違和感を与えているはずです。

 

 

たとえば以下の例文を参照してみましょう。

 

 

「私は兄が好きだ。なぜなら、優しいからだ。」

 

 

まっとうな感性を有した人であれば、この文章に不気味な印象を抱くでしょう。

自然な表現を求めると、以下のようになります。

 

 

「兄は優しい。だから、私は兄が好きだ。」

 

 

日本語は、「原因・理由」→「結果・結論」の順番に事柄を並べる言語です。

これが、日本語にとって、自然な表現です。

 

「なぜなら」をという接続詞を用いた表現は、「逆」です。

「結果・結論」→「原因・理由」の順番に事柄を並べています。

つまり、「倒置」をおこしているわけです。

 

もちろん、表現技法としての「倒置」は、日本語表現の一部として認められています。

書き手が、「倒置」を駆使することで、自分の伝えたいことをより明確に表現できると考えるなら、「倒置」を用いるべきでしょう。

 

しかし、「倒置」を使う必然性のないところで、意味もなくこれを用いれば、なんとも落ち着かない文章となってしまうわけです。

 

 

「なぜなら(ば)」という語は、江戸時代までの日本語にはありませんでした。

明治以降、西洋の言語を取り入れる際に、「発明」されたものです。

 

普段の会話の中で、「なぜなら」を使うことは、ほとんどないと思います。

この語が、日常的な日本語に組み込まれたものではないからです。

 

 

 

現代日本語で、「なぜなら」は、特別な使い方で用いられる語です。

「なぜなら」は、「理由」を特に強調して述べるときにのみ用いられるべきものです。

 

 

以下の表現には、違和感がないはずです。

 

 

「私はうそをつくことは必ずしも悪いことだとは思わない。なぜなら、うそが人を幸せにすることもあるからだ。」

 

 

「理由」を強調するために、あえて「なぜなら」を用いた「倒置表現」を「選択」するのであれば、「なぜなら」は見事に機能します。

 

そのためには、文脈上、「理由」が「焦点化」されるような内容の文章でなければなりません。

 

「理由」が、想像外のものであったり、一般的に推測しにくいものであったり、自分の意志を強く表明するようなものであったり、あるいは、「AではなくBなのだ」というような示唆を含む説明であったりする場合に、「なぜなら」は効力を発揮します。

 

 

「いりたま作文」を「オートマチックな型」として身に着けている生徒は、意外性がなくありきたりな「理由」を、「なぜなら」とともに使用します。

 

「読み手」は、「なぜなら」の後に、何か特別な「理由」が示されることを、推測しながら読みます。それなのに、「なぜなら」の後に、まったく「平凡な理由」が述べられているだけだとすると、文章を読む上での「平衡感覚」が狂ってしまうわけです。

 

 

 

少し補足しますが、学術論文や報告書などは、一般的に「結論」を導入で示します。

ですから、「結果・結論」→「原因・理由」の順序で事柄を並べます。

こうした「文書」を書くことが念頭にある人は、「いりたま作文」の問題点に気づきにくいと思います。

 

 

「いりたま作文」は、自然な日本語表現を身に着けるべき時期の「小学生」に、「特殊な型の作文」を刷り込んでいるわけです。

 

たとえ将来作家になれるほどの言語的な才能をもった生徒であっても、「いりたま作文」を仕込まれてしまうと、その道は閉ざされてしまうかもしれません。

 

 

 

「なぜなら」という語は、ある種の「麻薬」のようなものに思えます。

文章を書くのが苦手な人ほど、「なぜなら」に依存します。

 

その理由はけっこう単純で、「日本語」が未熟だからです。そのために、日本語の「違和感」に鈍感です。むしろ、それを「格調の高さ」だと思ってしまいます。

 

 

蛇足ですが、英作文でも、同じ傾向があって、「because」を使って、2文目に「理由」を書きたがる生徒が非常に多くいます。

 

当然、「because」を文頭にして「理由」を述べるような文を、2文目に置くことはできないわけですが、塾などでの受験指導では、そこを無理やり「That’s because」のような形にしてにして、なんとか2文目に「理由」を述べる文を置けるような「工夫」がなされます。

 

「その型」でなければ、文章を書けないような生徒が多いわけです。

 

 

もちろん、「単純な方法」で取り組む方が、利分が大きくなる、というタイプの生徒もいます。

しかし、当然のことですが、全ての生徒にとって、ある一つのやり方が、常に正しいということはありえません。

 

 

 

「いりたま作文」は、ある意味で自転車の「補助輪」です。

 

一人で自転車に乗れない子供が、自転車に乗る訓練をするという場合には、効果的な「方法」であるといえます。

 

いずれ、「補助輪」は外され、自転車は「あるべき姿」で走り始めるでしょう。

 

 

他方、「補助輪」をつけた自転車を上手に運転するために、ひたすら「補助輪」つきの自転車で練習し続ける人がいるとするならば、その人は、かなり的外れな考えの持ち主だと思われることでしょう。

 

 

 (ivy 松村)

 

都立中の「作文」④

白鷗中学は、28年度まで、「作文」に「条件」を設けていましたが、29年度から「条件」を失くしています。

他の中学が「構成の統制」を進めているのに対し、自由度を高くしているわけですから、ちょっと珍しい傾向だといえるかもしれません。

 

しかし、28年度からは、説明系の「作文」にシフトしています。

 

したがって、問題の「性質上」、「体験」を延々書き連ねるような「ワンパターン作文」を書いてしまうと、点数が上がってこないと思います。

 

 

白鷗27

〔問題3〕

あなたの将来の目標について、資料A 資料Bをふまえ、次の条件(1)~条件(3)を全て満たして四百字以上四百五十字以内で書きなさい。

 

条件(1) 学校や家庭での生活の中で、あなたが「直観」または「直感」を使った例や経験を書く。

条件(2) あなたの将来の目標に近づくために、今後身に着けていく必要があることを書く。

条件(3) 条件(1)の例や条件(2)の必要なことがどのように結びつくと考えるかを書く。

 

 

白鷗28

〔問題3〕

あなたの身近にある道具について、資料A 資料Bをふまえ、次の条件(1)~条件(3)を全て満たして四百字以上四百五十字以内で書きなさい。

なお、取り上げる道具を解答用紙の最初のらんに書きなさい。このらんは、字数に数えません。

条件(1) ある共通の機能を持ち、「多様性」を残しているものと、機能を特化したものを取り上げる。ただし、資料Bにある金槌とハンマーの例は用いないこと。

条件(2) 取り上げたものそれぞれの特徴について書く。

条件(3) 取り上げたもののうちどちらがよいか、あなたの考えとその理由を書く。

 

 

白鷗29

〔問題3〕

あなたは将来、海外から日本に来た方にどのようにして「おもてなし」をしようと思いますか。本文をふまえ、四百字以上四百五十字以内で具体的に書きなさい。

 

 

白鷗30

〔問題3〕

私たちが生きている社会の中で、資料B の「思考停止」してしまっている例を一つあげ、それを変え多様性を大切にしていくためにはどうしたらよいか、資料A、資料Bの内容をふまえて、あなたの考えを四百字以上四百五十字以内で書きなさい。

 

 

 

三鷹中もまた、29度以降、出題傾向が変わりました。

 

三鷹は、例年、「文学的文章」(小説・随筆)と「説明的文章」の2つの課題文が用意されます。

それぞれの文章について、記述問題が1題、「短い作文」(180~200字)が1題出題され、全体で計4題の出題となります。

 

つまり、三鷹中学の「適性検査Ⅰ」は、他の都立中と一線を画す出題形式となっているわけですが、詳細に見てみると、やはり最近2年の問題に変化がみられます。

 

 

28年度まで、200字程度の2つの「短い作文」は、ともに「体験」を組み込んで書くタイプのものでしたが、29年度以降、「体験」を組み込んで書くものは1つだけとなりました。

 

27年度の[1]の〔問題2〕は、ちょっと「イレギュラー」な出題となり、「体験」を組み込む指示のない問題となっていますが、従来2つの「短い作文」は、基本的に「体験」を組み込んで書く「傾向」が定着していました。

 

明確に「方向性」が固まり、「体験」を組み込むものが1つにしぼられるのは、29年度からです。

 

 

三鷹中の29年度以降の出題内容は、以下のように整理されました。

 

〔問題1〕「理由」の説明〔心情〕(50~60字)

〔問題2〕体験を組み込んだ「短い作文」〔主題〕(180~200字)

〔問題3〕「内容」の説明〔文脈〕(50~60字)

〔問題4〕「具体例」をともなった説明〔主題〕(180~200字)

 

 

三鷹中の、過去4年の「適性検査Ⅰ」の問題を確認してみましょう。

 

 

三鷹27

[1]

〔問題1〕「堂々と答えられる」のはなぜか。本文の言葉を使って、二十八字以上三十五字以内で説明しなさい。

 

〔問題2〕 「まど・みちお、という名前に出会うより、ずっとずっと前に、私は『ぞうさん』に出会っていた。」と同じように、次の空らんにそれぞれ十字以内の適語を入れて題名を作り、あなたにとって「出会い」とは何かを百八十字以上二百字以内で書きなさい。

 

[2]

〔問題1〕

空らんに入る語句を三字以上六字以内で書きなさい。

 

〔問題2〕

「なつかしい風景の復活」とありますが、自分の家と川がつながっていることを一人ひとりが意識しなければ、多摩川が再生の道を歩むことはできませんでした。川の汚染以外で、あなたが学校で学んだ環境問題を挙げ、それについてあなたの考えを学校生活の中での体験を交えて百八十字以上二百字以内で書きなさい。

 

 

三鷹28

〔問題1〕

宮崎県出身の友だちに不思議そうに「なんで?」と聞き返されたのだ。とありますが、それはなぜですか。六十字以上七十字以内で説明しなさい。

 

〔問題2〕

「私たちの目の高さは、蟻にとっては大空なんです」という言葉を通じて筆者が言いたいことを、あなたの体験を交えて一六〇字以上一八〇字以内で説明しなさい。なお、必ず「角度」「他者」ということばを両方用いること。

 

〔問題3〕

「人生は旅」という隠喩は、人生に対するどのような思考から生まれたものですか。筆者の言葉を用いて、四十字以上四十五字以内で説明しなさい。

 

〔問題4〕

あなたの小学校時代について比喩を用いて次の空らんの中に表しなさい。また、その比喩を用いた理由を、あなたの体験を交え、一六〇字以上一八〇字以内で説明しなさい。

 

 

三鷹29

〔問題1〕

ガネーシャが、『人間は意識を変えることはできない』 と言ったのはなぜですか。本文中にある「楽」「期待」の二語を必ず用いて、五十字以上六十字以内で書きなさい。

 

〔問題2〕

『変わる』 とは、この場面ではどのようなことを意味していますか。あなた自身の具体的な体験を交えて、百六十字以上百八十字以内で説明しなさい。

 

〔問題3〕

「明治のはじめ、日本は固有の文化はすべて価値なしと考えた。」

とあるが、そのように考えたのはなぜであると、筆者は説明しているか。本文で挙げられている例を出しながら、四十字以上五十字以内で書きなさい。

 

〔問題4〕

筆者の言うような、「外国の真似をすればいい、と誤った観念にしばられ」ない考えをもつためには、あなたはどうすればよいと思いますか。具体的な取り組みや手立てを挙げながら、一八〇字以上二〇〇字以内で書きなさい。

 

 

三鷹30

〔問題1〕

「ポロポロなみだをこぼし」とありますが、このときの小鳥がなみだを流した理由を、五十字以上六十字以内で説明しなさい。

 

〔問題2〕

「お父さまのおっしゃったこと」とありますが、霜王様の言葉から北風はどのようなことを学びましたか。本文中の言葉を使いながら、あなた自身の体験も交えて、百八十字以上二百字以内で説明しなさい。

 

〔問題3〕

「言葉の用いられ方や、言葉の持つ印象は時代によって変わっていく。」とありますが、時代によって変化していく言葉をどのように受け入れていけばよいと筆者は説明していますか。五十字以上六十字以内で書きなさい。

 

〔問題4〕

「名前が変われば、意識が変わる。常識が変わる。」とありますが、このことから筆者はどのようなことを伝えたいと考えていますか。あなたが考える「○○って、△△だ。」という命名法を用いた具体例を挙げながら百八十字以上二百字以内で説明しなさい。

 

 

(ivy 松村)

 

 

都立中の「作文」③

南多摩中は、「体験」をオミットしています。

この2年は、「説明」をさせる「作文」を出しています。

 

「パターン作文」では太刀打ちできない問題です。

 

 

それにしても、南多摩中は、作問者によって試験問題の「内容」が大きく変わることがあるかもしれないので、ちょっと注意が必要かもしれません。

 

 

南多摩27

〔問題2〕

あなたも実行委員として、会話 に参加しているとします。

まず、あなたは、たまお君とみなみさんのどちらの意見に賛成するか書きなさい。

次に、その意見が〝やさしいきびしさ〟または〝きびしいやさしさ〟のどちらにあてはまるか書きなさい。

さらに、あなたの体験をあげながら賛成する理由を書きなさい。

以上のことを四百字以上五百字以内でまとめなさい。

 

南多摩28

〔問題2〕

文章1・文章2をふまえ、あなたが「わかったつもり」から、具体的な経験を通して、本当に「わかった」ことを書きなさい。

以上のことを四百字以上五百字以内でまとめなさい。

 

南多摩29

〔問題3〕

「あなた自身、困こまったとき、「どうしたらいいだろうか」「どんなことをすればいいのかな」と無意識に自分や周りにいる誰かに問いかけているはずです。」と筆者は言っています。

では、私たちの社会や地域の中で、あなたが「どうしたらいいだろうか」と困っていることは何ですか。そして、それを少しでも良くするためにあなたは周りにどのように働きかけますか。次のページの〔手順〕にしたがって、四百字以上五百字以内で説明しなさい。

 

〔手順〕

1. あなたが「どうしたらいいだろうか」と困っていることを書く。

2. 1.で挙げたことに対して、なぜ困っているのか、理由を説明する。

3. 今の状きょうを少しでも良くするために、周りにどのように働きかけるか。あなたにできることを説明する。

 

南多摩30

〔問題3〕

自分の主張が受け入れられないとき、あなたはどのような歩み寄りの提案をしますか。

本文の内容をよくふまえ、次の〔手順〕にしたがって、四百字以上五百字以内で説明しなさい。

 

〔手順〕

1 自分の主張を理由とともに、具体的に書く。なお、何について主張するのかは自分で決める。

2 想定される別の意見を書く。

3 別の意見を言う人の意図をふまえ、歩み寄りの提案をする。

 

 

 

立川国際は、近年も、「体験」をふまえた「作文」を書かせるような出題が続いています。

ある意味で、「保守的」ですね。

立川国際は、いまや「特殊な」出題傾向の中学となっているので注意が必要です。

 

しかし、この中学も、ある年にいきなり「トリッキーな出題」がありそうで、ちょっと怖いですね。

 

 

立川国際27

〔問題3〕

「読書のたのしみとは、ほかでもない、この「どのように」を味わうことにあるのだから。」の「どのように」をわかりやすく説明した上で、自分の読書体験をふまえ、「読書のたのしみ」とはどのようなものか、あなたの考えを三六〇字以上四〇〇字以内で書きなさい。

 

立川国際28

〔問題3〕

「質問すること」が生み出すことは何だと筆者は言っているか。その筆者の考えをふまえて、「質問すること」に対するあなたの考えを、自身の経験をまじえて四六〇字以上五〇〇字以内で書きなさい。

 

立川国際29

〔問題3〕

筆者は、私たちが「自然に無理解になってきているようです」と述べていますが、本文を通して筆者は自然を理解するとはどのようなことが分かることだと考えていますか。また、この筆者の考えについてあなたはどう思いますか。あなたの考えを身近な具体例をあげて四百二十字以上四百六十字以内で述べなさい。

 

立川国際30

〔問題3〕

「本来のやさしさ」とは、どのようにすることだと筆者は述べていますか。また、その考えについてあなたはどう思いますか。あなたが今までに実際に受けたやさしさの経験を交え、あなたの考えを、四百六十字以上五百字以内で書きなさい。

 

 

 

(ivy 松村)

 

 

都立中の「作文」②

三鷹、両国、白鷗、立川国際、南多摩、桜修館は、「適性検査Ⅰ」を独自作成しています。

 

ところが、興味深いことに、これらの中学の多くが「共通問題」の「影響」を受けつつあります。

 

「作文」の出題傾向に変化がみられます。

 

「共通問題」を作成するために、各中学校の先生が集まって、「意見交換」などが活発に行われるようになったことが、「独自問題」にも「効力」を及ばしているのだろうと思います。

 

 

特に顕著なのが桜修館です。

 

桜修館中学の「作文」は、従来、かなり自由度の高い出題でしたが、最近2年は、出題傾向が大きく変化しました。

 

 

桜修館27

次の詩を読んで、あなたが考えたことを分かりやすく書きましょう。

字数は、五百字以上、六百字以内とします。

 

桜修館28

次の資料を見て、あなたが考えたことを分かりやすく書きましょう。

字数は、五百字以上、六百字以内とします。

 

桜修館29

右の 文章 は日本の古い書物の中の一部分で、この文章は「名工(優れた工芸技術をもつ人)は少し切れ味の悪い小刀を使うという。奈良時代の名工の妙観の小刀はたいして切れない。」という意味です。

あなたはこの書物の著者は、この文章を通して、どのようなことを言いたかったのだと考えますか。また、あなたは「著者の言いたかったこと」について、どのように考えますか。

第一段落には、著者がどのようなことを言いたかったのかについて、あなたが考えたことを百字程度で分かりやすく書きましょう。

次に、段落をかえて、その「著者の言いたかったこと」について、あなたがどのように考えるのかを、いくつかの段落に分けて、分かりやすく書きましょう。

なお、全体の字数は五百字以上、六百字以内とします。

 

桜修館30

右の文章は江戸時代のある学者が、自分のもとで学ぶ若者もののために示したいくつかの文章の一部分です。

文章A は「水を飲んで愉快に思う人がいる。また、豪華かで美しい着物を着てなげき悲しむ人がいる。」という意味です。 文章B は「出る月を待つのがよい。散る桜を追ってはいけない。」という意味です。

この学者は、この文章を通して、どのようなことを言いたかったのだとあなたは考えますか。

解答らん①に「Aは……。」、段落をかえて「Bは……。」という構成で、全体で百六十字以上、二百字以内で分かりやすく書きましょう。

また、この二つの文章に共通する物事のとらえ方・考え方はどのようなものだとあなたは考えますか。そして、その物事のとらえ方・考え方について、あなたはどのようなことを考えましたか。あなたの考えを、解答らん②にいくつかの段落に分けて、四百字以上、五百字以内で分かりやすく書きましょう。

 

 

 

両国中も、出題傾向が変化してきた中学です。

 

両国は、以前から2つの課題文が出される問題の「形式」を採用しています。これは、「共通問題」と類似しています。

相違点は、問題数が多く、各文章に関する設問が2題ずつあり、「作文」を含めて5題の出題になることです。

 

28年度までは、「パターン」で処理できるような出題でした。

 

しかし、29年度は、「作文」に組み込む「要素」を細かく指示しています。

そして、30年度では、第一段落に2つの文章の要点をまとめるように指示しています。

 

 

両国27

〔問題5〕

文章1と 文章2を読んで、あなたの人生を幸福にするためには、どのようなことをしていきたいと考えましたか。次の二つの条件を満たしながら、三百五十字以上、四百字以内で書きなさい。

 

条 件

1.「記憶の自己」・「好奇心」というそれぞれの言葉が、本文で示している内容にふれること。

2.あなたがこれまでにやってきたことと、これからやりたいことをそれぞれ具体例として挙げること。

 

両国28

〔問題5〕

文章1と 文章2はどちらも「ものの見方」について書かれています。これらの文章を読んで、あなたは今後どのような「ものの見方」をしていきたいですか。次の二つの条件を満たしながら、三百五十字以上、四百字以内で書きなさい。

 

条 件

1.二つの文章に書かれている「ものの見方」について、それぞれの筆者の考えをまとめること。

2.あなたがこれまでにやってきたことと、これからやりたいことをそれぞれ具体例として挙げること。

 

両国29

〔問題5〕

いまの日本はたくさんの「馬車」があふれている とありますが、あなたは「いまの日本」にはどのような「馬車」があると考えますか。また、あなたが考えたその「馬車」の問題を課題発見的に解決するためにはどうすればいいと考えますか。筆者が述べている「課題解決」や「課題発見」ということばの意味をふまえて、あなたの考えを三百五十字以上四百字以内で答えなさい。

 

両国30

〔問題4〕

文章1 文章2 は、どちらも「成長」をテーマに、筆者の体験や意見が書かれています。二つの文章を読んで、あなたは自らを「成長」させるためには何が大切だと考えましたか。次の二つの条件を満たしながら、三百五十字以上、四百字以内で書きなさい。

 

条件1 第一段落には、 文章1文章2の要点をまとめること。

条件2 第二段落からは、あなたの経験をふまえた考えを書くこと。

 

 

 (ivy 松村)

都立中の「作文」①

「共通問題」が導入されて4年が経ち、都立中の入試問題の「方向性」が明らかになってきました。

ちょっと気付いたことを書いてみます。

 

 

都立中学の入試の「適性検査Ⅰ」では、いわゆる「作文」が課されます。

 

過去4年の「適性検査Ⅰ」の「共通問題」は、課題文が2つ用意され、それぞれの文章から1題ずつ記述問題が出されています。さらに、それに加えて「作文」が出題されています。

 

 

「共通問題」の体制がスタートし、漸次、「作文」の「構成の統制」が押し進められました。

27年度から、「三段落構成」が「標準」となり、28年度からは、段落の内容に詳細な指示が与えられるようになりました。

 

それによって、総合的に、より精度の高い学力検査が行えるような「安定的な問題」の作成が「本格化」しました。

 

 

各年度の「適性検査Ⅰ」の〔問題3〕を見てみましょう。

 

 

共通(小石川・武蔵・富士・大泉)27

〔問題3〕

人が何かを伝え合うときには、どのようなことが重要だと思いますか。 文章1と文章2、それぞれの要点をふまえ、あなたの考えを、三段落構成にまとめ、四百字以上四百四十字以内で書きなさい。

 

 

共通(小石川・武蔵・富士・大泉)28

〔問題3〕

あなたにとって「読書が与えてくれるもの」とは何ですか。「文章1」と「文章2」、それぞれの要点にふれ、あなたの考えを四百字以上四百四十字以内で適切にまとめなさい。ただし、次の条件に従いなさい。

 

条件1 三段落構成にし、第一段落には「文章1」、「文章2」それぞれの要点をまとめること。

条件2 あなたの考えは、一つにしぼって書くこと。

条件3 考えの根拠・理由を書くこと。

 

 

共通(小石川・武蔵・富士・大泉)29

〔問題3〕

文章1 と 文章2 それぞれの「自由」についての考え方に共通する内容をまとめた上で、それについてのあなたの考えを四百字以上四百四十字以内で書きなさい。ただし、次の条件に従したがいなさい。

 

条件1  三段落構成にし、第一段落には、文章1と文章2に共通している考え方を書き、第二段落および第三段落は、内容やまとまりに応じて、自分で構成を考えて書くこと。

条件2 あなたの考えは、一つにしぼり、理由をふくめて書くこと。

 

 

共通(小石川・武蔵・富士・大泉)30

〔問題3〕

あなたは、これから学校生活や日常生活の中で、何を大事にし、どのように行動していこうと思いますか。 文章1と文章2、それぞれの内容に関連づけて、四百字以上四百四十字以内で書きなさい。ただし、次の条件にしたがうこと。

 

条件  次の三段落構成にすること。

① 第一段落で、 文章1と文章2、それぞれの内容にふれること。

② 第二段落には、「①」をふまえ、大事にしたいことを書くこと。

③ 第三段落には、「②」をふまえ、行動を具体的に書くこと。

 

 

 

「共通問題」は、各都立中学校の先生方が共同で取り組まれます。

そのため、いろいろな「知恵」が集積され、出来上がる入試問題は、より合理的で洗練されたものとなります。

いわゆるところの「集合知」、ということができると思います。

 

 

さて、共通化以後の都立中の「作文」の骨子となっている「構成の統制」は、ある重要な「ポリシー」を示唆しています。

 

つまり、紋切り型の「ワンパターンな作文」の放逐です。

 

受検生に、「決まった型」を使って、毎度毎度「複製」を書き上げるようなやりかたで、「文章」を書く訓練をしてほしくないわけです。

 

「パターン」に当てはめて「作文」を書きあげるような「準備」を嫌っているわけです。

入試問題と、用意していた「パターン」がかみ合って、たまさか高得点を得る、というような状況を排除したいわけです。

 

さらにいえば、「体験」をオミットしました。

これも、けっこう重要な「転換」だと思います。

 

 

まあ、私がこのように思うのは、私が「そういう作文」を好ましくないと感じているからなのかもしれませんが、しかし、実際、入試問題の「読み取り」をすると「そういう結論」になりそうです。

 

 

(ivy 松村)

 

 

 

連絡「定期テスト対策」

ずいぶん涼しくなってきました。

体調を崩しやすい時期です。

くれぐれも、体調に気をつけて過ごしてください。

 

 

漢検の合否を、受検した生徒にお伝えしています。

お休み等で、まだ、お伝えできていない方は、みな合格されています。

 

合格されたみなさん、おめでとうございます。

 

惜しくも不合格だったみなさん、この結果を「学び」として次に活かしましょう。

 

 

 

中学の中間テストが近づいてきました。

しっかり準備して挑みましょう。

 

来週以降、塾は、「定期テストモード」に突入します。

 

授業のない日、授業前後を利用して、勉強を進めるようにしましょう。

14:00~22:50まで自習が可能です。

また、対策プリントや説明プリントが必要な人は、声をかけてください。

 

二中と七生中は、1〜2週間先です。

授業内容等を調整しますので、指示に合わせて授業を受けるようにしてください。

 

 

来週、再来週の休日は、校舎を開放しますので、テスト勉強に利用するようにしてください。

 

◎定期テスト対策:

・9月22日(土) 14:00~22:50

・9月23日(日) 14:00~22:50

・9月24日(祝) 14:00~22:50

 

・9月29日(土) 14:00~22:50

・9月30日(日) 14:00~22:50

 

 

 

頑張っていきましょう‼

 

 

mount nemrut

トルコ東部、標高2000メートルの山頂、破壊された古代遺跡の神像と若き日の私

 

 

当時は、観光地として整備されていなかったので、行くのには苦労したけれど、かなり自由に見回ることができました。今は、たぶん近づいて写真を撮ることはできなくなっていると思います。それにしても、自分でいうのも何ですが、ずいぶん「現地」になじんで、少しばかり「ワイルド」な面立ちになっていますね。着ている服は「現地」で買ったものです。晩秋、冬になろうかという時期の高地、あまりに寒く、ハーフパンツを重ね着しています。別に民族衣装ではありません。まあ、ちょっとクルド人っぽいですが。

 

なつかしい。

 

(ivy 松村)

 

英語の発音「オウ」と「オー」⑦

やっと、「オウ」と「オー」の話が終わります。

 

最後に、「残り」の、発音に気をつけたい単語を紹介します。

 

 

[ou](オウ)の発音が含まれる単語:

 

don’t(ドウント)*“do”の否定形

won’t(ウォウント)*“will”の否定形

 

October(オクトウバァ)「10月」

November(ノウベンヴァ)「11月」

 

Nobel Prize(ノウバル・プライズ)「ノーベル賞」→×「ノーベル」

notice(ノウタス)「気付く」→×「ノーティス」

 

solar(ソウラァ)「太陽の」→×「ソーラー」

soldier(ソウルジャァ)「兵士」→×「ソルジャー」

social(ソウシャル)「社会の」→×「ソウシャル」

total(トウタル)「全部の→×「トータル」

 

hotel(ホウテル)→×「ホテル」

modal(モウダル)「形式上の」

model(モウデル)→×「モデル」

moment(モウマント)「瞬間」→×「モーメント」

 

global(グロウバル)「世界的な」→×「グローバル」

local(ロウカル)「地域的な」→×「ローカル」

location(ロウケイシャン)「位置」→×「ロケーション」

 

robot(ロウバート)→×「ロボット」

focus(フォウカス)「焦点」→×「フォーカス」

comb(コウム)「櫛」

clothes(クロウズ)「衣服」

 

poster(ポウスター)→×「ポスター」

program(プロウグラム)→×「プログラム」

protocol(プロウトカール)「外交儀礼」→×「プロトコール」

protein(プロウティーン)→×「プロテイン」

profile(プロウファイル)→×「プロフィール」「プロファイル」

 

Poland(ポウランド)→×「ポーランド」

 

 

 

[ou](オウ)の発音を持つ単語の中で、特異な例外:

 

sew(ソウ)「縫う」

 

 

 

一方、[ɔː](オー)の発音が含まれる単語:

 

door(ドーァ)→「扉」×「ドア」

floor(フローァ)→「床」×「フロア」

cloth(クロース)「布」→×「布」

chocolate(チョークラト)→×「チョコレート」

Portugal(ポーチャグル)→×「ポルトガル」

 

 

 (ivy 松村)

 

語尾が“or”になる英単語

前回の記事で接尾語が“or”になる単語を少し紹介しましたが、気になったので、語尾が“or”になる単語を集めてみました。

意外とたくさんあります。

 

 

英語の造語の規則では、単語の後ろを“er”か“or”にすることで、「~する人」「~する(してくれる)もの」という名詞をつくることができます。

 

 

語尾を“er”にするのか、それとも“or”にするのか、けっこう惑わされてしまいますよね。

 

ラテン語起源の語彙は、“or”になることが多いですね。英語にとってのラテン語は、日本語にとっての「漢語」のような位置付けになります。

 

日本語の専門用語や法律用語に「漢語」が多く使われるのと同様に、英語の専門用語や法律用語もラテン語由来の単語が多く使われます。

 

 

それから、もともと“our”というつづりを、アメリカ人が“or”にしてしまった単語があります。

 

あとは、「たまたま」語末が“or”の単語もありますが、一応載せてあります。

 

 

abductor(アブダクタァ)「誘拐犯」

abettor(アベタァ)「教唆者」

abhor(アブホァ)「忌み嫌う」

accelerator(アクサラレイタァ)「加速器」

activator(アクタヴェイタァ)「活性剤」

actor(アクタァ)「俳優」

actuator(アクチュエイタァ)「作動装置」

administrator(アドミナストレイタァ)「管理者」

agitator(アジャテイタァ)「扇動者」

alligator(アリゲイタァ)「わに」

ambassador(アンバサダァ)「大使」

ancestor(アンセスタァ)「先祖」

anchor(アンカァ)「船のいかり」

animator(アナメイタァ)「アニメ作家」

armor(アーマァ)「鎧」

assessor(アセサァ)「査定人」

author(オーサァ)「著者」

 

bachelor(バチャラァ)「独身男性」

behavior (ビヘイヴャァ)「ふるまい」 *behaviourとも

belt conveyor(ベルトコンヴェイア)「ベルトコンベアー」

 

calculator(カリキャレイタァ)「計算機」

captor(キャプタァ)「捕まえる人」

chancellor(チャンサラァ)「大臣」

circulator(サーキュレイタァ)「循環装置」

collaborator(カラバレイタァ)「協力者」

collector(カレクタァ)「収集家」

color(カラァ)「色」 *colourとも

commentator(カーメンテイタァ)「評論者」

communicator(カミューナケイタァ)「伝達者」

competitor(カンペテタァ)「競争相手」

compressor(カンプレサァ)「圧縮装置」

conciliator(カンシリエイタァ)「調停者」

condor(カンダァ)「(鳥の)コンドル」

conductor(カンダクタァ)「指揮者」

confessor(カンフェサァ)「告白者」

connector(カネクタァ)「連結器具」

conqueror(コンカラァ)「征服者」

conspirator(カンスピラタァ)「共謀者」

constructor(カンストラクタァ)「建設者」

contractor(カントラクタァ)「土建業者」

contributor(カントリビュタァ)「寄付者」

coordinator(コウオーディネイタァ)「まとめ役」

cooperator(コウオペレイタァ)「協力者」

corridor(コーラダァ)「廊下」

councilor(カウンセラァ)「評議員」

counselor(カウンセラァ)「相談役」 *councilorと同音

creator(クリエイタァ)「創造者」

creditor(クレディタァ)「債権者」

cursor(カーサァ)「(パソコンの)カーソル」

curator(キュアレイタァ)「学芸員」

 

debtor(デタァ)「債務者」

demeanor(ディミーナ)「態度」 *dimeanorも

denominator(デノミネイタァ)「分母」

depositor(ディパーザタァ)「預金者」

detector(ディテクタァ)「探知機」

dictator(ディクテイタァ)「独裁者」

director(ダレクタァ)「監督」

doctor(ドクタァ)「医師」

distributor(ディストリビゥタァ)「分配機」

donor(ドナァ)「提供者」

duplicator(デュプリケイタァ)「複写機」

 

editor(エダタァ)「編集者」

educator(エデャケイタァ)「教育者」

effector(イフェクタァ)「効果を上げる装置」

elector(イレクタァ)「有権者」

elevator(エラヴェイタァ)「昇降機」

emperor(エンパラァ)「皇帝」

emulator(エミャレイタァ)「(コンピュータの)エミュレーター」

endeavor(インデヴァァ)「努力」 *endeavvourも

equator(イクウェイタァ)「赤道」

error(エラァ)「誤り」

estimator(エスタメイタァ)「評価者」

executor(イグゼキャタァ)「執行者」

exterior(イクスチアリアァ)「外面」

 

facilitator(ファシラテイタァ)「進行係り」

factor(ファクタァ)「要因」

favor(フェイヴァ)「好意」

flavor(フレイヴァ)「風味」 *flavourとも

 

junior(ジューニィァ)「より若い」

 

generator(ジェナレイタァ)「発生装置」

gladiator(グラディエイタァ)「剣闘士」

governor(ガヴァナァ)「知事」

 

harbor(ハーバァ)「港」 *harbourとも

honor(アナァ)「名誉」 *honourも

humor(ヒューマァ)「人間味あふれたおかしみ」

 

illustrator(イラストレイタァ)「挿絵画家」

imitator(イマテイタァ)「模造人」

impostor(インパースタァ)「詐称者」

indicator(インダケイタァ)「指示器、計測器」

inferior(インフィアリアァ)「より劣っている」

inheritor(インヘラタァ)「相続人」

innovator(イナヴェイタァ)「革新者」

inspector(インスペクタァ)「検査官」

instructor(インストラクタァ)「指導者」

inventor(インヴェンタァ)「発明者」

interior(インティアリア)「インテリア」

investor(インヴェスタァ)「出資者」

investigator(インヴェスティゲイタァ)「調査者」

 

labor(レイバァ)「労働」 *labourとも

legislator(レジスレイタァ)「議員」

liberator(リベレイタァ)「解放者」

liquor(リカァ)「酒」

 

major(メイジャァ)「主要な」

malefactor(マレファクタァ)「悪人」

manipulator(マニピャレイタァ)「操縦者」

mayor(メイヤァ)「市長」

meditator(メダテイタァ)「瞑想する人」

mentor(メンタァ)「指導教官」

metaphor(メタフォァ)「隠喩」

meteor(ミーティア)「隕石」

minor(マイナァ)「より小さい」

mirror(ミラァ)「鏡」

monitor(モニタァ)「モニター」

moderator(マーデレイタァ)「仲裁者」

motivator(モウタヴェイタァ)「やる気を起こさせる人」

motor(モウタァ)→「原動機」

 

navigator(ナヴィゲイタァ)「航海士」

negotiator(ネゴウシエイタァ)「交渉人」

neighbor(ネイバァ)「隣人」 *neighbourとも

nonconductor(ナンコンダクタァ)「絶縁体」

 

odor(オウダァ)「におい」 *odourも

operator(アーパレイタァ)「オペレーター」

oppressor(アプレサァ)「暴君」

orator(オーラタァ)「演説者」

originator(オリジャネイタァ)「創始者」

 

parlor(パーァラァ)「お店」

predator(プレダタァ)「捕食者」

processor(プラセサァ)「処理装置」

professor(プラフェサァ)「教授」

projector(プラジェクタァ)「映写機」

protector(プラテクタァ)「プロテクター」

protractor(プロウトラクタァ)「分度器」

 

radiator(ラディエイタァ)「冷却装置」

razor(レイザァ)「かみそり」

receptor(リセプタァ)「受信機」

refrigerator(リフリジァレイタァ)「冷蔵庫」

regulator(レギャレイタァ)「調節器」

respirator(レスパレイタァ)「人工呼吸器」

rigor(リガァ)「厳格さ」

rotor(ロウタァ)「回転部分」

rumor(ルーマァ)「噂」 *rumourとも

 

sailor(セイラァ)「船乗り」

savior (セイヴャァ)「救済者」*saviourも

scissor(シザァ)「はさみで切る」 *scissorsで「はさみ」

sculptor(スカルプタァ)「彫刻家」

sector(セクタァ)「部門」

senator(セナタァ)「理事」

senior(シーニィァ)「より年上の」

sensor(センサァ)「感知器」

separator(セパレイタァ)「分離機」

simulator(シミャレイタァ)「模擬実験装置」

spectator(スペクテイタァ)「観衆」

speculator(スペキャレイタァ)「相場師」

splendor(スプレンダァ)「豪華さ」 *splendourも

sponsor(スパンサァ)「スポンサー」

stressor(ストレサァ)「ストレス(を引き起こすもの)」

successor(サクセサァ)「後継者」

sun visor(サンバイザー)「日よけ」

superior(スピアリア)「より優れている」

supervisor(スーパァヴァイザァ)「監督者」

survivor(サァヴァイヴァ)「生存者」

suitor(スータァ)「求婚者」

 

tailor(テイラァ)「仕立屋」

terminator(ターマネイタァ)「終結させる者」

terror(テラァ)「恐怖、テロ」

tremor(トレマァ)「振動」

tractor(トラクタァ)「トラクター」

traitor(トレイタァ)「反逆者」

translator(トランスレイタァ)「翻訳家」

tenor(テナァ)「テナー」

tumor(テューマァ)「腫瘍」

tutor(テュータァ)「指導員」

 

vapor(ヴェイパァ)「蒸気」

vector(ヴェクタァ)「征服者」

vendor(ヴェンダァ)「売り手」

ventilator(ヴェンタレイタァ)「換気装置」

victor(ヴィクタァ)「勝者」

vigor(ヴィガァ)「活力」  *vigourも

visitor(ヴィジタァ)「訪問者」

 

warrior(ウォーリァ)「戦士」

 

 

 

 

 (ivy 松村)

 

 

 

英語の発音「オウ」と「オー」⑥

※英語の「オウ」と「オー」の発音についての①~⑤の記事ですが、間違いが見つかったり、他の例が見つかったりしたので、ちょっと手直しをしました。

 

 

 

語末の“o”は、[ou](オウ)と発音します。

 

go(ゴウ)「行く」→×「ゴー」

no(ノウ)「いいえ」→×「ノー」

so(ソウ)「だから」→×「ソー」

ago(アゴウ)「~前に」「→×「アゴー」

kilo(キロウ)「キロ」〈単位〉→×「キロ」

hello(ヘロウ)「こんにちは」→×「ハロー」

zero(ジィロウ)「零」→×「ゼロ」

motto(マトウ)「標語」→×「モットー」

auto(オートウ)「自動(車)」→×「オート」

photo(フォウトウ)「写真」→×「フォト」

photograph(フォウトウグラフ)「写真」→×「フォトグラフ」

radio(レイディオウ)→×「ラジオ」

video(ヴィデオウ)→×「ビデオ」

piano(ピアノウ)→×「ピアノ」

potato(パテトウ)「じゃがいも」→×「ポテト」

tomato(タメイトウ)→×「トマト」

buffalo(バファロウ)「水牛」→×「バッファロー」

curio(キュリオウ)「骨董品」

mosquito(マスキィトウ)「蚊」→×「モスキート」

volcano(ヴォルケイノウ)「火山」

 

Tokyo(トウキオウ)→×「トーキョー」

Chicago(シカゴウ)→×「シカゴ」

Mexico(メクシコウ)→×「メキシコ」

Morocco(マローコウ)→×「モロッコ」

San Francisco(サンフランシスコウ)→×「サンフランシスコ」

Toronto(タラントウ)→×「トロント」

Oslo(オスロウ)→×「オスロ」

 

 

 

今度は、単語の最初の“o”です。

英単語の語頭の“o”は、さまざまな発音がありますが、その中に、[ou](オウ)と[ɔː](オー)の発音があります。

 

 

[ou](オウ):

oh(オウ)「おや」

ohm(オウム) *電気抵抗の単位

OK(オウケイ)「よろしい」

over(オウヴァ)「~の上に」

open(オウペン)「開ける」

ocean(オウシャン)「海」

only(オウンリィ)「唯一の」

obey(オウベイ)「従う」

omen(オウメン)「前兆」

omit(オウミット)「除外する」

opaque(オウペイク)「不透明な」

 

 

[ɔ](オ) [ɔː](オー):

on(オ[ー]ン)「~の上に」

off(オ[ー]フ)「離れる」

offer(オ[ー]ファ)「申し出る」

often(オ[ー]フン)「しばしば」

office(オーフィス)「事務所」

officer(オーフィサァ)「幹部」

ostrich(オーストリチ)「ダチョウ」

 

 

語頭が“o”の発音の種類は他にもいくつかありますが、特に注意が必要な[ʌ](ア)の発音を見ておきましょう。

 

 

[ʌ]

other(アザー)「もう一方」

onion(アニャン)「玉ねぎ」→×「オニオン」

oven(アヴン)→×「オーブン」

 

“onion”(アニャン)や“oven”(アヴン)の発音には気をつけましょう。

 

 

“or”は、[ɔːr](オー)になります。

 

[ɔːr](オー):

or(オーァ)

order(オーダァ)「順番」

ordinary (オーディナリィ)「普通の」

orchestra(オーケストラ)

oral(オーラル)「口頭の」

orange(オーレンジ)

oracle(オーラクル)「神託」

orbit(オービット)「軌道」

organ(オーガン)「器官」

organic(オーガニク)「有機栽培の」

organization(オーガニゼイション)「組織」

orient(オーリアント)「東洋」→×「オリエント」

origin(オーラジン)「起源」→×「オリジン」

ornament(オーナマント)「装飾品」

orthodox(オーソドクス)「正統な」

 

 

“origin”は[ɔːr](オー)の発音ですが、派生語の“original”(アリジャナル)や“originality”(アリジャナラティ)は[ə](ア)になります。

 

 

 

語頭以外の“or”も、[ɔːr](オー)になります。

 

for(フォーァ)、force(フォース)、forest(フォーレスト)、forward(フォーワァド)、fortune(フォーチュン)、foreign(フォーリン)、form(フォーム)、perform(パァフォーム)、born(ボーン)、corn(コーン)、coral(コーラル)、corner(コーナァ)、cord(コード)、chord(コード)、chorus〈コーラス〉、port(ポート)、sport(スポート)、airport(エアポート)、transport(トランスポート)、important(インポータント)、short(ショート)、story(ストーリィ)、storm(ストーム)、morning(モーニング)、priority(プライオーラティ)、lord(ロード)、north(ノース)、horse(ホース)、important(インポータント)、boring(ボーリング)、normal(ノーマル)、absorb(アブソーブ)、sorry(ソーリィ)

 

 

接尾辞の“or”は[ər](ァ)になります。

 

actor(アクタァ)「俳優」

doctor(ダクタァ)「医師」

editor(エディタァ)「編集者」

monitor(モニタァ)「モニター」

instructor(インストラクタァ)「指導員」

alligator(アリゲイタァ)「ワニ」

author(オーサァ)「著者」

warrior(ウォーリァ)「戦士」

 

 

“wor”は、[wə:r](ワー)と読む単語があります。

 

word(ワード)「単語」

world(ワールド)「世界」

work(ワーク)「働く」

worse(ワース) *badの比較級

worm(ワーム)「虫」

worth(ワース)「~の値打ちがある」

 

 

一方、“war”は、[wɔ:r](ウォー)と発音する単語があります。

 

war(ウォー)「戦争」

warp(ウォープ)→×「ワープ」

warm(ウォーム)「温かい」

warn(ウォーン)「警告する」

 

 

 

その他、“wa”を[wɔ:]と発音する単語:

 

wash(ウォーシュ)「洗う」

water(ウォータァ)「水」

watch(ウォーチ)「腕時計」

want(ウォーント)「~が欲しい」 *(ワント)も

wall(ウォール)「壁」

wallet(ウォーレット)「財布」 *(ワーレット)も

walk(ウォーク)「歩く」

 

 

(ivy 松村)

 

 

英語の発音「オウ」と「オー」⑤

“oa”のつづりは[ou](オウ)と読みます。

 

oak(オウク)→×「オーク」〈植物〉

oatmeal(オウトミール)→×「オートミール」

boat(ボウト)→×「ボート」

coat(コウト)→×「(上着の)コート」

float(フロウト)「浮かぶ」)→×「フロート」

coast(コウスト)「海岸」→×「コースト」

toast(トウスト)→×「トースト」

roast(ロースト)→×「ロースト」

throat(スロウト)「のど」→×「スロート」

boast(ボウスト)「自慢」

toad(トウド)「ヒキガエル」

goal(ゴウル)→×「ゴール」

coal(コウル)「石炭」→×「コール」

coach (コウチ)→×「コーチ」

poach(ポウチ)「ゆでる」

approach(アプロウチ)「接近する」→×「アプローチ」

soak(ソウク)「浸す」

soap(ソウプ)「石鹸」→×「ソープ」

loaf(ロウフ)「パン一斤」

foam(フォウム)「泡」→×「フォーム」

roaming(ロウミング)→×「ローミング」

loan(ロウン)→×「ローン」

moan(モウン)「うめき声」

road(ロウド)「道」→×「ロード」

 

 

以下のような単語は[ɔː](オー)になります。

 

broad(ブロード)「広い」

abroad(アブロード)「海外に」

broadcast(ブロードキャスト)「放送」

Broadway(ブロードウェイ)「ブロードウェイ」

 

“road”(ロウド)との発音の違いに気をつけてください。

 

 

また、“oa”を含む、以下のような特殊な発音の単語にも注意しましょう。

 

cocoa(コウコウ)→×「ココア」

koala(コウアーラ)→×「コアラ」

oasis(オウエイシス)→×「オアシス」

 

 

 

“oa”に“r”がついて、“oar”になると、[ɔːr](オーァ)になります。

 

oar(オーァ)→×「オール」

soar(ソーァ)「舞い上がる」

roar(ローァ)「轟音」

coarse(コーァス)「粗い」

hoarse(ホーァス)「かすれた声の」

board(ボーァド)「板」

aboard(アボーァド)「搭乗して」

cupboard(カボーァド)「食器棚」

hoard(ホーァド)「蓄える」

 

 

 

つづりが“oe”となる単語は、発音が[ou]となります。

 

 

doe(ドウ)「(鹿や羊の)雌」

toe(トウ)「つま先」

hoe(ホウ)「鍬(くわ)」

roe(ロウ)「魚の卵」

foe(フォウ)「敵」

woe(ウォウ)「悲哀」

 

aloe(アロウ)→×「アロエ」

floe(フロウ)「(水に浮いている)氷原」

sloe(スロウ)「スモモの一種」

throe(スロウ)「激痛」

oboe(オウボウ)→×「オーボエ」〈楽器〉

 

 

 

以下のような単語は、例外です。

 

[uː](ウー)

shoe(シュゥー)「靴」

canoe(カヌゥー)「カヌー」

 

[ʌ](ア)

does(ダズ)

 

 

 

さらに、つづりが「ol+子音」のときに、[ou](オウ)の発音が現れる単語があります。

 

folk song(フォウク・ソング)→×「フォーク・ソング」

 

“folk”の“l”は黙字です。発音しません。

 

 

old(オウルド)「古い」→×「オールド」

hold(ホウルド)「持つ」→×「ホールド」

cold(コウルド)「寒い」→×「コールド」

gold(ゴウルド)「黄金」→×「ゴールド」

told(トウルド)*“tell”の過去形・過去分詞形→×「トールド」

fold(フォウルド)「折りたたむ」→×「フォールド」

mold(モウルド)「鋳型」

sold(ソウルド)*“sell”の過去形・過去分詞形→×「ソールド」

 

bolt(ボウルト)→×「ボルト」

jolt(ジョウルト)「揺さぶる」

dolt(ドウルト)「うすのろ」

molt(モウルト)「(動物の)毛の生え替わり」

colt(コウルト)「雄の子馬」

volt(ヴォウルト)→×「ボルト」〈電圧の単位〉

revolt (リヴォウルト)「反乱」

 

holy(ホウリィ)「神聖な」

 

roll(ロウル)「転がる」→×「ロール」

poll(ポウル)「投票」

toll(トウル)「通行料」

 

 

“oll”の“o”を[ɔː](オー)と読む単語もあります。

 

[ɔː](オー)

doll(ドール)「人形」

 

 

つづりが“ost”の単語も、やはり[ou](オウ)の発音になります。

 

 

host(ホウスト)「主人」→×「ホスト」

most(モウスト)→×「モースト」

post(ポウスト)→×「ポスト」

ghost(ゴウスト)→「幽霊」×「ゴースト」

 

 

 

 

ただし、以下の単語などは、[ɔ](オ)あるいは、[ɔː](オー)と発音されます。

 

 

lost(ロスト、ロースト)*“lose”の過去形・過去分詞形

cost(コスト、コースト)「費用」

 

roster(ロースタァ)「(スポーツチームの)選手名簿」

foster(フォースタァ)「育成する」

 

Boston(ボースタン、ボスタン)「ボストン」

 

 

 

一方、つづりが「al+子音」のときは、[ɔː](オー)になることがあります。

 

all(オール)「すべて」

ball(ボール)「ボール」

fall(フォール)「落ちる」

tall(トール)「背が高い」

wall(ウォール)「壁」

hall(ホール)「ホール」

call(コール)「呼ぶ」

mall(モール)「(ショッピング)モール」

small(スモール)「小さい」

stall(ストール)「失速する」

install(インストール)「インストール」

 

also(オールソウ)「~もまた」→×「オルソー」

almost(オールモウスト)「ほとんどの」→×「オールモスト」

alternative(オールターナティヴ)「代わりの」→×「オルタナティブ」

although(オー[ル]ゾウ)「しかしながら」

always(オー[ル]ウェイズ)「いつも」

already(オー[ル]レディ)「すでに」

 

salt(ソールト)「塩」→×「ソルト」

halt(ホールト)「停止」

malt(モールト)「麦芽」→×「モルト」

falter(フォールタァ) 「つまづく」

Yalta(ヨールタ)→×「ヤルタ」 *「ヤルタ会談」の

Baltic(ボールティック)「バルト海の」→×「バルチック」

 

 

 

次のような単語の“l”は発音しません。

 

walk(ウォーク)「歩く」

talk(トーク)「話す」

calk(コーク)「滑り止めの釘」

chalk(チョーク)「チョーク」

balk(ボーク)「(野球の)ボーク」

 

 

次の単語は、発音が[ɔː](オー)または[ɑː](アー)となります。

 

calm(コーム)「穏やかな」 *(カーム)も

balm(ボーム)「芳香」 *(バーム)も

palm(ポーム)「ヤシの葉」 *(パーム)も

almond(オーマンド)→×「アーモンド」 *(アーマンド)も

 

 

以下の単語は、[ɑː]/[æː](アー)になります。

 

half(ハーフ)「半分」

calf(カーフ)「子牛」

salmon(サーモン)「鮭」

 

 

その他、語頭の“al”の発音は、基本的には[æl](アル)または、[əl](アル)になります。

 

[æl](アル):

alps(アルプス)「アルプス山脈」

album(アルバム)「アルバム」

alcohol(アルカホール)→×「アルコール」

alphabet(アルファベト)「アルファベット」

algorithm(アルガリズム)「アルゴリズム」

alkali(アルカリ)「アルカリ」

Algeria(アルジアリア)「アルジェリア」

allegory(アレゴーリィ)「寓話」

allergy(アレァジィ)→×「アレルギー」

 

[əl](アル):

alliance(アライアンス)「同盟」

allegro(アレグロウ)→×「アレグロ」〈音楽用語〉

 

 

「ついで」の話ですが、“alien”(エイリアン)「外から来た人」は、「al+子音」の構成の単語ではありませんが、“al”の発音の例外ですので、覚えておきましょう。

 

 

それから、語末が「~al」の形容詞に「ly」をつけて副詞にすると「al+子音」の構成になりますが、この場合の発音は、[əl](アル)になります。

 

 

actually、basically、cynically、especially、finally、generally、gradually、individually、internationally、locally、logically、musically、nationally、naturally、normally、officially、originally、regionally、specially、severally、technically、traditionally、universally、usually…など。

 

“really”は、「リアリィ」という人もいますが、多くの人は「リーリィ」といいます。

 

 

 (ivy 松村)

 

 

英語の発音「オウ」と「オー」④

英単語の語末が「子音+e」で終わる場合、子音の直前の母音を二重母音にして発音します。

 

したがって、「o+子音+e」のつづりは、基本的に[ou](オウ)の発音になります。

 

しかし、多くの「例外」があるので、注意が必要です。

 

 

 

hole(ホウル)「穴」→×「ホール」

whole(ホウル)「全体の」

role(ロウル)「役割」→×「ロール」

sole(ソウル)「靴の裏」→×「ソール」

pole(ポウル)「さお」→×「ポール」

stole(ストウル) *“steal”の過去形

 

clothe(クロウズ)「着せる」

 

close(クロウス)「近い」

close(クロウズ)「閉じる」

rose(ロウズ)「薔薇」*“rise”の過去形、「バラ」

nose(ノウズ)「鼻」

those(ゾウズ)「あれらの」

chose(チョウズ) *“choose”の過去形

pose(ポウズ)→×「ポーズ」

arose(アロウズ) *“arise”の過去形

suppose(サポウズ)「~だと思う」

propose(プラポウズ)「結婚を申し込む」→×「プロポーズ」

 

froze(フロウズ) *“freeze”の過去形

 

bone(ボウン)「骨」→「ボーン」

tone(トオウン)「音色」→×「トーン」

cone(コウン)「円錐」→×「コーン」

zone(ゾウン)「地帯」→×「ゾーン」

phone(フォウン)「電話」→×「フォーン」

throne(スロウン)「王座」

stone(ストウン)「石」→×「ストーン」

postpone(ポウストポウン)「延期する」

 

lone(ロウン)「一人の」clone(クロウン)→×「クローン」

alone(アロウン)「独りで」→×「アローン」

lonely(ロウンリィ)「孤独な」→×「ロンリー」

 

vote(ヴォウト)「投票する」

wrote(ロウト) *“write”の過去形

remote(リモウト)「遠隔の」→×「リモート」

note(ノウト)「覚え書き」→×「ノート」

notebook(ノウトブク)→×「ノートブック」

 

coke(コウク)「コカ・コーラ」→×「コーク」

woke(ウォウク) *“wake”の過去形

joke(ジョウク)「冗談」→×「ジョーク」

smoke(スモウク)「煙」→×「スモーク」

spoke(スポウク) *“speak”の過去形

stroke(ストロウク)「ひとかき」→×「ストローク」

 

code(コウド)「記号」→×「コード」

rode(ロウド)“ride”の過去形

mode(モウド)「様式」→×「モード」

explode(イクスプロウド)「爆発する」

 

home(ホウム)「自宅」→×「ホーム」

dome(ドウム)「丸い天井」→×「ドーム」

Rome(ロウム)→×「ローマ」

rhizome(リゾウム)「地下茎」→×「リゾーム」

syndrome(シンドロウム)症候群」→×「シンドローム」

 

rope(ロウプ)「なわ」→×「ロープ」

hope(ホウプ)「望み」→×「ホープ」

scope(スコウプ)「視野」→×「スコープ」

slope(ソロウプ)「傾斜」→×「スロープ」

globe(グロウヴ)「地球」→×「グローブ」

envelope(エンヴァロウプ)「封筒」

 

cove(コウヴ)「入り江」

wove(ウォウヴ) *“weave”の過去形 *→“weaved”

dove (ドウヴ) *“dive”の過去形 *→“dived”

drove(ドロウヴ) *“drive”の過去形

stove(ストウヴ)「レンジ、暖炉」→×「ストーブ」

mangrove(マングロウヴ)→×「マングローブ」

 

 

 

 

[ɔː]/[ɔːr](オー)の発音になる単語:

 

gone(ゴーン) *“go”の過去分詞形

 

ore(オーァ)「鉱石」

more(モーァ) *“many”の比較級

core(コーァ)「中心」

tore(トーァ) *“tear”の過去形

sore(ソーァ)「痛い」

shore(ショーァ)「岸」

bore (ボーァ) 「退屈させる」*“bear”の過去形

wore(ウォーァ) *“wear”の過去形

score(スコーァ)「得点」

store(ストーァ)「店」

before(ビフォーァ)「~の前に」

 

 

 

[uː](ウー)の発音:

 

lose(ルーズ)「失う」

whose(フーズ)「誰の」

 

move(ムーヴ)「動かす」

remove(リムーヴ)「取り除く」

prove(プルーヴ)「証明する」

approve(アプルーヴ)「良いと認める」

reprove(リプルーヴ)「叱る」

improve(インプルーヴ)「改善する」

 

 

 

[ʌ](ア)の発音:

 

one(ワン)「一」

none(ナン)「どれも~ない」

done(ダン) *“do”の過去分詞形

come(カム)「来る」

some(サム)「いくらかの」

dove(ダヴ)「鳩」

love(ラヴ)「愛」

above(アバヴ)「~より上に」

glove(グラヴ)「手袋」

shove(シャヴ)「押しのける」

 

 

 

その他、[ə](ア)=「弱い発音のア」になるものもあります。

 

awesome(オーサム)[ɔːsəm]「すさまじい」

handsome(ハンサム)「凛々しい」

lonesome(ロウンサム)「寂しい」

 

purpose(パーパス)[pəːrpəs]「目的」

 

 

 

(ivy 松村)

 

 

英語の発音「オウ」と「オー」③

[ou](オウ)という二重母音の発音が現れるつづりに“ow”があります。

 

 

ただし、“ow”のつづりには、[ou](オウ)以外に[au](アウ)などの発音もあるので、単語を覚えるときに、必ず確認しながら覚えるようにしましょう。

 

 

 

“ow”を[ou](オウ)と読む単語:

 

low(ロウ)「低い」→×「ロー」

row(ロウ)「列」

bow(ボウ)「弓」

tow(トウ)「牽引する」

sow(ソウ)「種をまく」

show(ショウ)「見せる」→×「ショー」

know(ノウ)「知っている」

snow(スノウ)「雪」→×「スノー」

stow(ストウ)「しまい込む」

throw(スロウ)「投げる」→×「スロー」

crow(クロウ)「からす」

grow(グロウ)「成長する」

escrow(エスクロウ)「第三者預託」→×「エスクロー」

arrow(アロウ)「矢」→×「アロー」

borrow(ボロウ)「借りる」

sorrow(ソロウ)「悲しみ」

narrow(ナロウ)「狭い」

sparrow(スパロウ)「雀」

tomorrow(トゥモロウ)「明日」→×「トゥモロー」

flow(フロウ)「流れる」→×「フロー」

blow(ブロウ)「吹く」→×「ブロー」

glow(グロウ)「輝く」

below(ビロウ)「~の下へ」

bungalow(バンガロウ)「小さな家」→×「バンガロー」

hollow(ホーロウ)「空洞」

fellow(フェロウ)「仲間」→×「フェロー」

follow(フォロウ)「ついていく」

pillow(ピロウ)「枕」→×「ピロー」

yellow(イェロウ)「黄色の」→×「イエロー」

shallow(シャロウ)「浅い」

bellow(ベロウ)「うめく」

mellow(メロウ)「芳醇な」

swallow(スワロウ)「燕」→×「スワロー」

shadow(シャドウ)「影」→×「シャドー」

window(ウィンドウ)「窓」→

elbow(エルボウ)「肘」→×「エルボー」

rainbow(レインボウ)「虹」→×「レインボー」

bestow(ビストウ) 「授ける」

Glasgow(グラスゴウ)→×「グラスゴー」〈スコットランドの都市〉

known(ノウン)*“know”の過去分詞形

flown(フロウン)*“fly”の過去分詞形

grown(グロウン)*“grow”の過去分詞形

thrown(スロウン*“throw”の過去分詞形

own(オウン)「自分自身の」

owner(オウナァ)「所有者」→×「オーナー」

bowl(ボウル)「お椀」→×「ボール」

 

 

 

“ou”を[au](アウ)と読む単語:

 

now(ナウ)「現在」

how(ハウ)「どのように」

cow(カウ)「雌牛」

wow(ワウ)「うわあ」

vow(ヴァウ)「誓い」

yow(ヤウ)「うわー」

pow(パウ)〈衝突音〉

allow(アラウ)「許す」

prow(プラウ)「船首」

plow(プラウ)「耕す」

scow(スカウ)「大型の平底船」

endow(エンダウ)「贈る」

town(タウン)「町」

down(ダウン)「下の方に」

gown(ガウン)「ガウン」

crown(クラウン)「王冠」

brown(ブラウン)「茶色の」

clown(クラウン)「道化師(ピエロ)」

drown(ドラウン)「溺れさせる」

renown(レナウン)「名声」

frown(フラウン)「眉をひそめる」

vowel(ヴァウァル)「母音」

howl(ハウル)「吠える」

fowl(ファウル)「家禽」

owl(アウル)「ふくろう」

bowel(バウル)「腸」

towel(タウル)→×「タオル」

tower(タウァ)「塔」→×「タワー」

power(パウァ)「力」→×「パワー」

shower(シャウァ)→×「シャワー」

flower(フラウァ)「花」→×「フラワー」

crowd(クラウド)「人ごみ」

rowdy(ラウディ)「乱暴な」

drowsy(ドラウジィ)「眠い」

chow(チャウ)「食料」

chowder(チャウダー)→「(クラム)チャウダー」

eyebrow (アイブラウ)「眉毛」→×「アイブロー」

 

 

 

以下のような例外もあります。

 

[ɔː](オー)

 

toward(トード)[tɔːd]または(トウォード)[twɔːd]「~の方へ」

 

knowledge(ノーリジ)[nɔːlidʒ]または[nɑːlidʒ](ナーリジ)「知識」

 

 

 

さらに、“aw”のつづりを含む単語を確認しましょう。

 

“aw”は、基本的に[ɔː](オー)の発音になります。

 

 

saw(ソー) *“see”の過去形・過去分詞形

law(ロー)「法律」

raw(ロー)「生の」

jaw(ジョー)「あご」

paw(ポー)「動物の手足」

gnaw(ノー)「かじる」

maw(モー)「(動物の)胃」

thaw(ソー)「解ける」

draw(ドロー)「引く」

claw(クロー)「鳥獣の爪」

flaw(フロー)「欠点」

hawk(ホーク)「鷹」

gawk(ゴーク)「気の利かない人」

dawn(ドーン)「夜明け」

fawn(フォーン)「小鹿」

lawn(ローン)「芝生」

pawn(ポーン)「(チェスの)ポーン」「(質の)質草」

yawn(ヨーン)「あくび」

shawl(ショール)「ショール」

trawl(トロール)「探す」「トロール漁」

crawl(クロール)「這う」

scrawl(スクロール)「なぐり書きする」

sprawl(スプロール)「手足を伸ばして寝そべる」

straw(ストロー)「わら」

strawberry(ストローベリィ)「苺」

awful(オーフル)「ひどい」

awesome(オーサム)「すさまじい」

awkward(オークワァド)「ぎこちない」

 

 

以下のような例外もあります。

 

award(アウォード)[əwɔːrd]「賞」→×「アワード」

 

同様に、“away”(アウェイ)や“awake”(アウェイク)のような、接頭辞の「a」は[ə](ア)になります。

 

 

(ivy 松村)

 

英語の発音「オウ」と「オー」②

二重母音の[ou](オウ)について見ていきましょう。

最初に、単語のつづりに“ou” (“ough”)が含まれている単語についてです。

 

 

“ou”は、基本的に[ou](オウ)とは読みません。注意しましょう。

 

“ou”のつづりを[ou](オウ)と読むのは、以下のような「例外」のみです。

 

 

soul(ソウル)「魂」

shoulder(ショウルダー)「肩」→×「ショルダー」

poultry(ポウルトリィ)「家禽」

dough(ドウ)「パンの生地」

doughnut(ドウナト)→×「ドーナッツ」

though(ゾウ)「にもかかわらず」

although(オルゾウ)「にもかかわらず」

 

 

 

それに対し、以下の語は、長母音[ɔː](オー)の発音になります。

しっかり区別して覚えましょう。

 

four(フォー)「四」

course(コース)「進路」

court(コート)「法廷」

source(ソース)「源泉」

 

cough(コーフ/コフ)「咳」

ought(オート)「~すべきである」

thought(ソート) *“think”の過去形・過去分詞形

bought(ボート) *“buy”の過去形・過去分詞形

brought(ブロート) *“bring”の過去形・過去分詞形

sought(ソート) *“seek”「探す」の過去形

fought (フォート) *“fight”「戦う」の過去形・過去分詞形

 

 

 

以下の語は、“ou”を[ʌ](ア)と読みます。

 

touch(タチ)「触れる)

double(ダブル)「二倍の」

cousin(カズン)「いとこ」

young(ヤング)「若い」

couple(カプル)「二つ」

southern(サザン)「南の」

country(カントリ)「国」

trouble(トラブル)「面倒なこと」

 

tough(タフ)「しぶとい」

rough(ラフ)「粗い」

enough(イナフ)「十分な」

 

 

以下の語は、“ou”を[uː](ウー)と読みます。

 

you(ユー)「あなた(たち)」

youth(ユース)「若い人」

rouge(ルージュ)「口紅」

route(ルート)「道筋」

soup (スープ)「スープ」

souvenir(スーヴェニァ)「お土産」

wound(ウーンド)「負傷する」

wounded(ウーンディド)「負傷した」

group (グループ)「集団」

acoustic(アクースティク)「音響の」

Vancouver(ヴァンクーヴァ)「バンクーバー」

 

through(スルー)「~を通って」

 

一般的な音楽用語としての「アコースティク」は、電気によって音を増幅したり加工したりせずに、直接音を出す楽器で演奏することや、そのような演奏に用いる楽器を意味します。

しかし、英語の“acoustic”の発音は、[əkuːstik](アクースティク)ですので、気をつけましょう。

 

 

 

以下の語は、“ou”を[au](アウ)と読みます。

 

ounce(アウンス) →×「オンス」*重さの単位

our(アウァ)「私たちの」

hour(アウァ)「一時間」

out(アウト)「外に」

doubt(ダウト)「疑う」

shout(シャウト)「叫ぶ」

trout(トラウト)「鱒」

about(アバウト)「~について」

sprout(スプラウト)「芽」

loud(ラウド)「うるさい」

cloud(クラウド)「雲」

proud(プラウド)「誇りを持つ」

found(ファウンド) *“find”の過去形・過去分詞形

sound(サウンド)「音」

bound(バウンド) *“bind”の過去形・過去分詞形

pound(パウンド) *→×「ポンド」*重さ、通貨の単位

wound(ワウンド) *windの過去形・過去分詞形

around(アラウンド)「~の周りに」

ground(グラウンド) 「地面」

count(カウント)「数える」

amount(アマウント)「量」

house(ハウス)「家」

mouse(マウス)「はつかねずみ」

mouth(マウス)「口」

south(サウス)「南」

foul(ファウル)「反則」

vouch(ヴァウチ)「保証する」

pouch(パウチ)「小袋」→×「ポーチ」

noun(ナウン)「名詞」

trousers(トラウザァズ)「ズボン」

mountain(マウンテン)「山」

thousand(サウザンド)「千」

 

drought(ドラウト)「干ばつ」

 

 

以下の語は、“ou”を[u](ウ)と読みます。

 

should(シュド)

could(クド)

would(ウド)

 

 

 

また、以下のような発音もあります。

 

[əːr](アー):

journey(ジャーニィ)「旅行」

journalist(ジャーナリスト)「報道記者」

encourage(インカーリジ)「励ます」

 

 

[uə](ウァ):

tour(トゥァ)「旅行」

 

 

 

形容詞の語末につく“ous”は[əs](アス)の発音になります。

 

jealous(ジェラス)「嫉妬深い」

famous(フェイマス)「有名な」

serious(シリァス)「真剣な」

various(ヴェリアス)「様々な」

delicious(デリシャス)「おいしい」

dangerous(デインジャラス)「危険な」

nervous(ナーヴァス)「不安な」

gorgeous(ゴージャス)「豪華な」

conscious(カンシャス)「意識している」

curious(キュリアス)「好奇心が強い」

marvelous(マーヴェラス)「すばらしい」

glorious(グローリアス)「栄誉に満ちた」

humorous(ユーマラス)「ユーモアのある」

ridiculous(リディキュラス)「ばかげた」

mysterious(ミスティァリアス)「謎につつまれた」

ambitious(アンビシャス)「野心を持った」

 

 

 

ついでに、“au”のつづりを含む単語を確認しましょう。

 

“au”は、基本的に[ɔː](オー)の発音になります。

 

 

auto(オートウ)

audio(オーディオウ)

audience(オーディエンス)「視聴者」

August(オーガスト)「八月」

Australia(オーストレイリア)→「オーストラリア」

author(オーサァ)「著者」

autumn(オータム)「秋」

autograph(オータグラフ)「(有名人の)サイン」

 

fault(フォールト)「誤り」

cause(コーズ)「原因」

because(ビコーズ)「なぜなら」

pause(ポーズ)「休止する」

clause(クローズ)「(文法における)節」

caution(コーション)「警告」

sauce(ソース)「液状の調味料」

saucer(ソーサァ)「受け皿」

sausage(ソーシジ)「挽肉の腸詰め」

Paul(ポール)「ポール:人名」

bauxite(ボーキサイト)「ボーキサイト」

haunted(ホーンティド)「お化けのよく出る」

laundry(ローンドリ)「洗濯物」→×「ランドリー」

cauliflower(コーリフラウワァ)→×「カリフラワー」

astronaut(アストラノート)「宇宙飛行士」

 

daughter(ドータァ)「娘」

caught(コート) *“catch”の過去形・過去分詞形

taught(トート) *“teach”の過去形・過去分詞形

 

しかし、やはり、いくつかの例外があります。

 

[æ][ɑː](ア):

aunt(アント)おば」

laugh(ラフ)「笑う」

draught(ドラフト) *→“draft”「下絵を描く」

 

 

[ə](ア):

aurora(アローラ)→×「オーロラ」 *一応「オーロラ」も

 

 

[ei](エイ)

gauge(ゲイジ)→×「ゲージ」

 

 

[au](アウ)

Palau(パラウ)→×「パラオ」

 

 

 

 (ivy 松村)

英語の発音「オウ」と「オー」①

夏期講習前に、英語の発音について書いた記事を、手直ししようと思ったまま放置していました。

せっかくなので、載せますね。

 

 

 

英語の「発音問題」で、特に気を付けたいのが、[ou](オウ)と[ɔː](オー)の識別です。

 

・「オウ」→[ou]…二重母音

・「オー」→[ɔː]…長母音

 

 

日本人は、この2種類の発音を曖昧に認識しています。

たとえば、「王様」(オウサマ)に声をかけるときに、多くの人は「オーサマ」と言います。

 

日本語の発音体系は、両者に差異を見出しません。

そのために、英語の[ou](オウ)と[ɔː](オー)は混合されて日本語に取り入れられました。

 

以下の英単語の発音を思い起こしてみましょう。

 

“go”「行く」

“open”「開ける」

“over”「~の上に」

“home”「家庭」

 

 

 

確認してみましょう。

 

“go”の発音は、[gou](ゴウ)です。「ゴー」ではありません。

“open”発音は、[oupən](オウペン)です。「オープン」ではありません。

“over”の発音は、[ouvər](オウヴァ)です。「オーバー」ではありません。

“home”の発音は、[houm](ホウム)です。「ホーム」ではありません。

 

 

 

英語は、[ou](オウ)と[ɔː](オー)を明確に区別します。

以下の例を見てみましょう。

 

 

二重母音 長母音
[ou](オウ) [ɔː](オー)
ow オウ aw オー
so ソウ saw ソー
low ロウ law ロー
loan ロウン lawn ローン
flow フロウ flaw フロー
hole ホウル hall ホール
bowl ボウル ball ボール
coal コウル call コール
cold コウルド called コールド
coat コウト court コート
boat ボウト bought ボート
stole ストウル stall ストール
woke ウォウク walk ウォーク

 

 

 

これらの語は、それぞれ違う発音なので、注意しなければなりません。

 

 

それから、私たちは、二重母音の[ou](オウ)と短母音の[o](オ)を混同していることがあります。

 

以下の英単語の発音を思い起こしてみましょう。

 

“only”「唯一の」

“sofa”「長いす」

“hotel”「宿泊所」

“hello”「やあ」

 

 

確認してみましょう。

 

“only”の発音は、[ounli](オウンリ)です。「オンリー」ではありません。

“sofa”の発音は、[soufa](ソウファ)です。「ソファー」ではありません。

“hotel”の発音は、[houtel](ホウテル)です。「ホテル」ではありません。

“hello”の発音は、[helou](ヘロウ)です。「ハロー」ではありません。

 

 

 

私たちは、特に、[ou](オウ)の発音に気を配らなければならないということがわかります。

 

(ivy 松村)

 

 

 

「外国籍の受検者に対する特別措置」について

本日は、休講でした。

台風が接近し、強風が激しく、夕方から夜に小中学生が外を出歩くのはちょっと危険な状況でした。学校も、午後から下校になったようです。

 

 

 

さて、前々から気になっていることについて、ちょっと書いてみます。

 

東京都立高校の、「外国籍の受検者に対する特別措置」についてです。

 

現在、東京都立高校の入試では、在日期間が3年以内の「受験生」は、以下のような「特別措置」を受けることができます。(→この期間をさらに「6年以内」にのばそうという動きもあるようです。)

 

・漢字に「ルビ」(読みがな)を振った問題を使用できる

・国語以外の試験に辞書を持ち込める

・辞書を持ち込む場合、試験時間が10分延長される

 

 

 

「入学試験」というものは、その生徒が、高校に進学し、学習を続けていくことができる「学力」を有しているかどうか、を試すものであるといえます。

 

つまり、入試問題を通して、「受験生」の学力を測るわけです。

その入試問題を解くのに辞書が必要な生徒に入学の許可を出すということに、少なからず疑問を感じます。

 

 

 

この制度は、入学試験の「公正さ」を著しく毀損します。

 

もちろん、外国出身の人が、日本で差別を受けたり理不尽な目にあったりしないように、私たちは、いろいろな面で、彼らをサポートするべきだと思います。

 

 

しかしながら、高校の「入学試験」において、「外国出身者」を「優遇」すべき「正当な理由」は、基本的には存在しません。

少し論理的に、まともな思考を巡らせて考えてみればすぐにわかることですが、「入学試験」は、「学力検査」です。

「学力」が「水準」に達していないものは不合格になる、というのが原理原則です。

 

 

 

特定の生徒だけが、辞書を持ち込み、しかも、辞書を引くのに時間がかかるという理由で、10分多く試験時間をもらえます。

 

「日本語の読み書きに全く問題のない生徒」でも、「条件」を満たせば、10分の「特別ボーナス」を得ることができるわけです。

 

 

平成31年度東京都立高等学校入学者選抜検討委員会」に、興味深い「事例」が報告されています。

 

・検査会場で、持ち込んだ辞書を活用する場面がほとんどないと監督教員から聞いている。辞書を持ち込むことよる検査時間の延長のためだけに申請している受検者も中に入ると考えられる。(p24)

 

検査時間が長くなるので受検が有利になると考え、取りあえず申請しようとする受検者がいる。また、外国人を支援する人たちの中には、ルビ振りの措置だけではなく、辞書持込みの措置申請をするよう助言している人もいると聞いている。本当にこの制度を必要とする生徒のためになっているのかが不明である。(p24)

 

 

 

以下のような意見もありました。

 

・心理的な配慮という点で効果はあるかもしれないが、一般の受検者やルビのみの措置申請をした受検者と比べて過度な措置のように思う。他の受検者と比較したとき、選抜が適正に行われたと言ってよいか疑問である。(p24)

 

 

 

さらに、皮肉なことに、この制度自体が、外国出身の受検者に「格差」をもたらしています。

 

英語やフランス語、ドイツ語、中国語そして朝鮮語などの「メジャーな言語」を母語とする生徒は、すぐに必要な辞書を用意することができます。

 

しかし、自分の母語と日本語の辞書を手に入れることができない生徒もいます。

 

「平成31年度東京都立高等学校入学者選抜検討委員会」によれば、教育委員会の「アンケート」に答えた生徒の約35パーセントが、母語と日本語の辞書について、「存在しない(見たことがない)」と答えています。(p23)

 

(この資料、ちょっとおかしくて、グラフは「35%」ですが、「数値」が「20.9%」になっています。)

 

 

つまり、これは、辞書を手に入れられる生徒にとってのみ、有効な制度であるということなのです。

 

 

(一応念のため:韓国や北朝鮮で話されている言語は、正式には「朝鮮語」です。韓国人は「韓国語」と言いますが、これは朝鮮半島の言語なので、「朝鮮語」が正しい呼称です。NHKなどでは韓国、北朝鮮の双方に配慮して「ハングル語」などという呼称を「開発」しましたが、ハングルは文字のことなので、本来「ハングル語」といういい方はおかしいのです。その辺、「きちっとした教育機関」ほど「朝鮮語」といいます。)

 

 

 

常識的に考えれば、外国籍の生徒を対象とした「独自の選抜」を実施するべきだと思うのですが、ちょっとよくわからないエクスキューズがなされています。

 

・公平性を確保するため、在京外国人生徒対象の選抜において学力検査を実施することに肯定的な意見もある。しかし、第一次募集・分割前期募集と同日程で実施することになれば受検機会が1回減ることになり、簡単に結論は出せない。また、どのような学力検査をするのがよいかを決定することも難しい課題である。 (p26、p27)

 

 

どういうことを言っているのか、ちょっとよくわからないのですが、「外国人」対象の入試を、都立高校の一般入試日(第一次募集・分割前期募集)に行うと、一般入試を受ける「受験機会」が減ってしまうということを言おうとしているのでしょうか。

 

一般入試を受けるのが厳しい「外国人」の生徒は、一般入試を受けるのではなく、「独自の試験」を受けてもらえばよいわけです。ということで、どちらを受けるにしても、「1回」です。

 

どうして「受験機会」が減ることになるのか、ちょっとよくわからないのですが、私のとらえかたが間違っているのでしょうか。

 

それとも、「外国人」は「外国人」対象の選抜と、一般入試選抜の2回の試験を受けられるのが当然だということなのでしょうか。ちょっとよくわかりません。

 

しかも、この意見、丁寧に2か所に掲載されています(p26とp27)。なぜなのでしょう。

 

ちょっとよくわかりません。

 

 

一般入試で、「外国人」に「配慮」しようと思うからおかしくなるのであって、一般入試とは別の選抜を行えばよいはずです。

 

 

 

また、「日本国籍」でも、日本語を十分に習熟していない生徒は、「特別措置」を受けられるようにするべきだという意見があったみたいです。

 

・東京都においては、外国籍の生徒とともに、日本国籍で日本語を母語としない生徒も増加傾向にある。外国籍の生徒に限らず日本国籍を有している生徒の中にも、日本語指導が必要な生徒は少なくない。入学者選抜において、日本語指導が必要な日本国籍の生徒に対しても、共通問題でルビを振る措置の対応を可能としていただきたい。(p24)

 

 

じゃあ、日本語=国語が苦手なウチの子も「特別措置」を受けさせてくれ、という意見があちこちから出てこないか、心配です。

 

 

 

わざわざ述べなければならないようなことではないかもしれませんが、「入試選抜」というのは、同一の試験問題を用いて、同一の基準で学力を測る、というものです。

 

「平等で、公平な選抜が行われている」という「前提」があるからこそ、不合格となってしまった者も、「その結果」を必死に受け入れることが出来るのです。

 

 

テニスの大会で、この選手はテニスの経験がなくて、テニスの実力が十分ではないから、特別なルールで試合をしてもよい、などということはありえません。

 

 

 

少し補足すると、都内にはたくさんの都立高校があって、例年「定員割れ」となる高校も少なからずあります。定時制の高校もたくさんあります。

 

一般的に、受験生は、自分の「学力」に見合った高校を受験します。

 

いずれの都立高校も、外国籍の生徒を受け入れているわけですから、都立高校を志望する外国籍の生徒も、同じように、自分の「学力」に相応した高校へ進学することを目指せばよいわけです。

 

 

 

それにしても、この制度は、より上位の高校を狙う「ある特別な立場」の生徒にとんでもなく有利なわけです。

 

 

まあ、それとなく具体的に「要点」に言及すると、国際高校です。

 

 

 

さて、どうして、このような不条理な制度が実現してしまったのでしょうか。

 

「平成31年度東京都立高等学校入学者選抜検討委員会報告書」を読んでみると、多くの教員や関係者が、この制度に疑問を感じていることがわかります。

 

 

 

世の中には、「弱者」に対して「配慮」を行うことをすべて「正義」であると信じている人がいます。

 

もちろん、私たちは、この世界をより良いものにしていきたいという希望を携え、この世界に横たわる様々な問題を是正していきたいと考えます。

 

しかし、「勝敗を決める」あるいは「序列を決める」というような営為において、そのような「配慮」は、矛盾、というよりも、自己否定となってしまいます。

 

少なくとも、「入試選抜」において、「学力」の劣ったものに「配慮」をすることは、「入試選抜」というシステムそのものを根底から蝕みます。

 

そういった当たり前の認識が欠如した人間が、運悪く「それなりの立場」に立ってしまうことは、社会にとって悲劇です。

 

合理的、巨視的な思考を持たない浅薄なヒューマニストが、自身の寛大で慈悲深い人間性に酔いしれるために、ルールや制度に「穴」を開けてしまうわけです。

 

 

 (ivy 松村)

 

 

関係代名詞の授業

新学期が始まり、9月になりました。

 

台風が近づいています。気象情報に注意ください。

危ないときには、無理をせずに通塾を控えるようにお願いします。

 

 

 

夏休みに漢字検定を受検した生徒のみなさん:

 

9月13日以降に結果をお伝えできる予定ですので、しばらくお待ちください。

問題と解答を受け取っていない人は、今度お渡しします。

 

 

 

今日は、中3特訓コースの英語の授業で「間接疑問文」をあつかいました。

次回の授業で、中学で学ぶ英語の単元を一通り終えることになります。

まあ、いろいろ「穴」もあるでしょうから、また、復習が必要ですが、学校の英語の授業は、ずいぶん楽になると思います。

 

選抜コースは夏期講習前にすでに単元学習を終えているので、中3受験生は、みな、これから過去問演習にシフトしていきます。

 

 

選抜の夏期講習は、私立向けの文法問題をあつかいました。

 

特訓コースは、1年生2年生の復習と中3の未習単元の両方を進めていきました。

今年は、1日2コマの授業時間が取れたので、多くの演習をこなすことができました。

 

特に、「関係代名詞」を夏休み中にまとめて学習できたのは、とても大きな成果でした。

 

 

その「関係代名詞」で、ちょっとした「気づき」があったので、書いてみようと思います。

 

今回、ある教材からヒントを得て、これまでとは違うアプローチで授業をしてみたのです。

 

 

 

今回試みたのは、関係代名詞を「名詞修飾」の一形態として捉えるという方法でした。

 

つまり、関係代名詞は「文」をつなぐものであるという説明をやめてみたのです。

 

 

まず、「プロローグ」で、「名詞修飾」について「おさらい」をします。

 

英語の「後置修飾パターン」の確認です。

 

①前置詞句

a car [in the garage] ([車庫の]

 

②不定詞(形容詞的用法)

a car [to go shopping] ([買い物に行く]

 

③分詞

・a car [running over there] ([向こうを走っている]

 

 

 

いずれの例も、「a car」という名詞が、後ろに置かれた句によって修飾されています。

 

私の授業では、修飾される名詞のことを「ヘッド」と呼びますが、「ヘッド」の後ろに「修飾要素」が置かれるということを覚えておいてください。

 

 

 

さて、では、「私が買った車」という表現をしたいときにはどうすればいいでしょうか。

以下のようになりますね。

 

a car [I bought] ([私が買った]

 

「ヘッド」の後ろに「修飾要素」を置けばいいわけです。

 

 

 

文を作ってみましょう。

 

This is a car. (これは車です。)

 

→This is a car [I bought] . (これは[私が買った]です。)

 

 

 

「ヘッド」と「修飾要素」の間に“that”を置くこともできます。

 

a car that [I bought] ([私が買った]

 

 

 

“that”を置いたほうが、「修飾関係」がよりわかりやすくなりますね。

 

・This is a car that [I bought] . (これは[私が買った]です。)

 

 

 

では、「速く走る車」と表現したいときには、どうすればいいでしょうか。

 

「a car runs fast」と表すことはできません。これでは「ある車は速く走る」という意味の「文」になってしまいます。

 

 

以下のような操作をして、「速く走る車」という表現をつくることができます。

 

a car that [runs fast] ([速く走る]

 

“that”をはさむことで、「名詞修飾」のフレーズをつくることができるのです。

 

まず「文」を作って、その文中の主語の後ろに「that」をおけば、主語を「ヘッド」とする「名詞修飾」のフレーズに変換できるわけです。

 

 

この場合、“that”を「省略」することはできません。

“that”が無くなってしまえば、ただの「文」にもどってしまうからです。

 

・I have a car that [runs fast]. (私は[速く走る]を持っている。)

 

 

…このような流れで関係代名詞の授業をしてみました。

 

 

 

従来の一般的な説明では、関係代名詞は、2つの文をつなぐものであると説明されます。

 

たとえば:

 

I have a car. + It runs fast.

 

2つの文を連結させると:

 

I have a car which runs fast.

 

 

関係代名詞の「which」は、文をつなぐ接続詞と、代名詞「it」を兼ね合わせた働きをしているということができる、と。で、これは主格の関係代名詞というやつで、モノやものごと、動物が「先行詞」のときは「which」を使い、人が「先行詞」のときは「who」を使って、さらに、「which」や「who」は「that」に置き換えることもできて……と「解説」が続いていくわけですね。

 

 

やはり、英語の苦手な生徒にとっては、「ややこしい」わけです。

 

 

 

今回の授業の「ポイント」は、

 

①「修飾関係」を軸に説明することで、英語の基本語順の理解が深まる

②実は理解しやすい「目的格」の「接触節」から説明する

 

というところですね。

 

 

 

集中的に学習ができる夏期講習で、時間を取って関係代名詞に取り組めたのはよかったと思います。かなり理解が進んだと思います。

 

定期テストの範囲に入ってくるのが2学期の期末あたりになるはずなので、また、それにあわせて復習しましょう。

 

 

 (ivy 松村)

日比谷高校の英語の「発音問題」

日比谷高校は、英語で、他の都立高校にはない出題があります。

 

それは、「発音問題」です。

 

 

今年の日比谷高校の英語の入試問題の、大問3の〔問8〕を見てみましょう。

 

 

次の五つの単語のうちで,下線の引かれている部分の発音が他の四つと異なるものを,次のア~オから一つ選びなさい。(下線を表示できないので、太字で表します。)

 

ア know   イ only   ウ both   エ most   オ from

 

 

それぞれの発音を確認してみましょう。

 

ア「ノウ」 [nou

イ「オウンリ」 [ounli]

ウ「ボウス」 [bouθ]

エ「フロム」 [frəm]

 

 

正答は、「エ」です。

 

「from」の発音は[frəm]、あるいは[frʌm]、[frɑːm]、[frɔːm]などと発音されますが、いずれにしても[ou]ではありません。したがって、他とは発音の異なるのは「エ」ということになります。

 

 

 

昨年の入試問題でも、日比谷高校は「発音問題」を出しています。

昨年の29年度は、いわゆる「グループ作成」による入試選抜が行われました。

この年、日比谷高校は、大問3の差し替えを行い、あえて「発音問題」を出題したわけです。

 

去年の「説明会」で、前年の「発音問題」に関して熱のある言及があったということだったので、おそらく今年も出すのだろうと考えていましたが、やはり出題されました。

(来年は、どうなのでしょうか。)

 

 

 

それにしても、都立高校で「発音問題」を出しているのは、日比谷高校だけです。

 

以前は、都立高校でも「発音問題」が出題されていましたが、平成9年度に「リスニング問題」が導入されたために、都立高校入試から「発音問題」は姿を消しました。

 

 

高校受験では、一般的に、「発音問題」は「聞く力」を測る「代替措置」であると考えられています。

ですから、私立高校入試でも、「発音問題」を多く出すのは、「リスニング試験」を実施しない高校であることが多いわけです。

 

もう少しいえば、多くの英語教師は、「発音問題」よりも「リスニング問題」のほうが望ましいと考えています。「生きた英語」をあつかう能力のほうが、より重要であるというわけです。

さらに、「発音問題」の対策は、最終的に「暗記作業」に行き着いてしまう、ということも「発音問題」が不人気な理由のひとつであるといえるでしょう。

 

それで、「リスニング問題」が一般化するにつれて、「発音問題」は下火になっていったわけです。

 

大学受験でも、今後センター試験がなくなれば、「発音問題」は廃れていくのかもしれません。

 

 

 

さて、そういうわけで、日比谷高校が「発音問題」を出題しているというのは、ちょっと珍しいわけです。

 

しかし、もちろん、きまぐれや酔狂で「発音問題」を出しているわけではありません。

 

日比谷高校が「発音問題」を「復活」させた理由は、「話す力」を測るためであると考えられます。

 

これには、「正確に」英語を話す能力を培ってほしい、という受験生に向けたメッセージがこめられています。

 

「発音問題」をとおして、日比谷高校は、すでに英語の「四技能」を視野に入れた入試選抜を行っているということができると思います。

 

つまり、「発音問題」に、「新しい意味」が与えられているわけです。

 

 

これは、都立高校入試に「スピーキングテスト」が導入されるまでの過渡的なものなのかもしれませんが、ちょっと興味深く思います。

 

 

 

ちなみに、平成6年の都立高校の英語の入試問題(共通)の大問4の〔問8〕は、以下のような設問でした。

 

次の語のうちに、下線の部分の発音がsawの下線の部分の発音と同じものが一つある。それはどれか。(下線を表示できないので、太字で表します。)

 

ア look   イ father   ウ so   エ call

 

 

 

また、平成4年の都立高校の英語の入試問題(共通)の大問4の〔問8〕は、以下のような設問でした。

 

次の語のうちに、下線の部分の発音がhomeの下線の部分の発音と同じものが一つある。それはどれか。(下線を表示できないので、太字で表します。)

 

ア among   イ love   ウ stop   エ told

 

 

 

 

わかった人には、「飴」を差し上げましょう。

松村まで、どうぞ。

 

 

 

(ivy 松村)

 

 

 

平成30年度都立高校入試の社会の平均点

今年の都立高校入試の社会の平均点は、昨年と比べて少し上昇しました。

 

◎社会の平均点

 

・平成30年度…「61.5」

・平成29年度…「58.6」

 

昨年と比べて、2.9ポイント上がったことになります。

 

この結果は、少し意外な気がしました。

今年の平均点は、もう少し低くなると感じていたからです。

 

それで、ちょっと子細を確認してみました。

 

 

 

東京都教育委員会が公表している「東京都立高等学校入学者選抜学力検査結果に関する調査」によれば、今年の社会の小問、大問ごとの「正答率」は以下のようになっています。

 

 

大問 小問 小問正答率  大問正答率
1 1 95.7 65.9
2 28.4
3 73.5
2 1 53.8 45.6
2 38.8
3 44.2
3 1 75.7 72.4
2 75.1
3 66.5
4 1 41.6 52.1
2 62.4
3 58.5
4 45.8
5 1 94.5 72.0
2 78.1
3 60.2
4 55.3
6 1 24.4 38.8
2 59.4
3 32.5

 

 

 

このデータは、「抽出調査」によって求められたものです。

そのことには、ちょっと気をつけなければならないと思います。

つまり、これらは、都立高校の受験生のすべての得点状況を集計したものではないということです。

 

平均点と得点分布は、全ての受験者の得点から算出されていますが、「正答率」は、一部の受験生のデータをもとに、「全体」の数値を「推測」する手法で算出されています。

 

 

受験生一人ひとりの得点は、採点の際に、各校ごとにデジタルのデータで入力、保存されます。それを合算すれば、平均点や得点分布を出すことができます。

しかし、さすがに小問ごとにすべての得点を入力するのは手間がかかりすぎるのでしょう。

受験生全体の学力差をふまえて、いくつかの学校を選び、そこで得られたデータを「処理」して「正答率」を出しているのだと思います。

 

調査法が示されていないので、詳細はよくわかりませんが、きっと、「統計学」の理論にもとづいて、「信頼度」が担保できるような方法がとられているのだろうと思います。

 

 

 

「小問正答率」から「平均」を求めると、「58.2」になります。(「大問正答率」から「平均」を求めると、「57.8」になります。)

 

先ほど述べたように、「小問正答率」は全受験生のデータではないので、実際の平均点と齟齬が出るわけです。実際の平均点は「61.5」なので、その差は「3.3」になります。過去10年の「小問正答率」を出して確認してみましたが、今年は、例年に比べて差異が大きくなっています。

 

 

また、「正答率」は、「部分正答も含めた割合」になっています。

 

つまり、「記述問題」などの解答に不備があり、点数を引かれていても、「正答」としてあつかっているわけです。

都立高校入試の社会は全ての問題が5点の配点となっていますが、そのうち、4点や3点、2点や1点しか得られなかった場合でも、その解答を「正答」に含めて「正答率」を出しているわけです。

 

そうすると、「小問正答率」の「平均」は、そうした「満点ではない解答」を「5点」として計算することになります。

 

したがって、「正答率」を算出するのに用いられた「サンプル」の「実際の平均点」は「58.2」よりもさらに低い数値になるはずです。

 

 

 

まあ、ともかく、「正答率」のデータを信頼して読み解いてみましょう。

 

 

 

データをよく見てみると、「正答率」が、90パーセントを超えた設問が、2題あります。

大問1の〔問1〕と大問5の〔問1〕です。「正答率」はそれぞれ95.7パーセント、94.5パーセントになります。

 

この2題が、今年の社会の「平均点」を押し上げました。

 

仮に、この2題の「正答率」が80パーセントだったならば、「小問正答率」の「平均」は、「56.7」まで下降します。

 

 

 

過去10年間で、「正答率」が90パーセントを超えた設問は、3題しかありません。

そのうちの2題が、「今年」だったわけです。

 

ちなみに、「正答率」が90パーセントを超えているもう1題は、平成25年度の大問1の〔問2〕です。「正答率」は、91.0パーセントです。

 

 

今年の都立高校の入試の社会は、ほとんどの受験生が造作もなく答えられる設問が2題あり、約95パーセントの受験生が、10点を易々と確保できたわけです。

 

また、それ以外にも、「正答率」70パーセントを超える設問が、さらに4題ありました。

 

 

 

その一方で、今年は難度の高い出題がみられました。

 

「正答率」30パーセントを下回る設問が、2題あります。

大問1の〔問2〕と大問6の〔問1〕です。

 

 

過去10年間で、「正答率」が30パーセントを下回った設問は、9題あります。

そのうちの2題が、「今年」だったわけです。

 

ちなみに、その9題のうち、5題が、「世界地理/世界史」の問題です。

今年の2題も、「世界地理/世界史」の問題でした。

 

 

また、「正答率」30パーセントを下回った9題のうち4題は「完全一致問題」です。また、2題が「語句筆記」の問題です。残りの3題が、「4択問題」です。

 

 

くじ引きのように、完全に恣意的な選択を行った場合、「4択問題」の「正答率」は25パーセントに収束します。したがって、「4択問題」の「正答率」が30パーセントを切って25パーセントに近似するということは、その設問はことのほか受験生を苦しめる問題だったということになります。

 

 

今年の社会の入試問題の大問1の〔問2〕は、「4択問題」で、「正答率」は28.4パーセントでした。

 

大問6の〔問1〕は「完全一致問題」で、「正答率」は24.4パーセントでした。

 

 

 

今年の社会の入試問題は、正答を求めるのが難しい設問が用意されました。その設問の印象から、私や、何人かの教師は難度が上がったと判断しました。

 

その一方で、ほとんどの受験生が正答できるような、著しく簡単な出題があり、平均点を押し上げました。

 

こうした点が、入試問題に対する「印象」と平均点に乖離をもたらした、というわけです。

 

 

 

今年西高に合格した生徒が、過去問演習時に比べて、入試本番で点数を少し落としていました。

 

得点分布をみても、やはり「95~100点」の割合が、昨年に比べて減っています。

 

 

このあたりは、難度の高かった例の2題の影響ですね。

 

 

 

(ivy 松村)

 

 

お知らせ「漢検」&「夏期講習会」

塾内生の方へ:

漢検の申込締切日が迫っています。

 

受検希望の方は、お早めにお申し込みください。

 

 

 

塾外生の方へ:

夏期講習のご案内です。

 

ivyの夏期講習会が、7月23日(月)からはじまります。

 

詳しくは、「お知らせ」のページをご覧ください。

 

 

→「夏期講習のお知らせ

 

 

 

 

ポスターを作りました。

 

 

kaki

 

しかし、このポスターは、諸事情があって、「ボツ」になりました。

せっかくなので、ここに載せることにしました。

 

 

 

今年の夏期講習も、漢字検定を実施します。

検定日は8月21日です。

漢検の検定料は講習料に含まれていません。

 

講習最終日に志望校判定テスト(小学部進学コースは成果判定テスト)を行います。

(テスト料金は、講習料に含まれています。)

 

 

 

:lol: 小4進学コース :lol:

◎教科:算・国 各50分(50分×2)

◎日数:12日間(Ⅱ期・Ⅲ期・Ⅴ期)

◎時間:9:00~10:50

◎講習料:20,520円→9,720円

 

◎日程:

 

7月 8月
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第 Ⅰ 期 第 Ⅱ 期 第 Ⅲ 期 第 Ⅳ 期 第 Ⅴ 期 第 Ⅵ 期

:lol: 小5進学コース :lol: 

◎教科:算・国 各50分(50分×2)

◎日数:12日間 (Ⅱ期・Ⅲ期・Ⅵ期)

◎時間:16:30~18:20

◎講習料:20,520円→9,720円

 

◎日程:

 

7月 8月
23 24 25 26 27 28 29 30 31 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25
× × × × :-P  :-P  :-P  :-P  :-P  :-P  :-P  :-P  × × × × × × × × :-P  :-P  :-P  :-P  
第 Ⅰ 期 第 Ⅱ 期 第 Ⅲ 期 第 Ⅳ 期 第 Ⅴ 期 第 Ⅵ 期

 :lol: 小6進学コース :lol: 

◎教科:算・国 各50分(50分×2)

◎日数:14日間(Ⅰ期・Ⅳ期・Ⅵ期)

◎時間:9:00~10:50

◎講習料:・23,220円→12,420円

 

◎日程:

 

7月 8月
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:-P :-P :-P  :-P  × × × × × × × × :-P :-P :-P :-P × × × × :-P  :-P  :-P  :-P 
第 Ⅰ 期 第 Ⅱ 期 第 Ⅲ 期 第 Ⅳ 期 第 Ⅴ 期 第 Ⅵ 期

:lol: 小6都立中受検コース :lol: 

◎教科:適性 50分×2 作文 50分(50分×3)

◎日数:20日間(Ⅰ期・Ⅲ期・Ⅳ期・Ⅴ期・Ⅵ期)

◎時間:15:30~18:20

◎講習料:・54,000円→42,120円

 

◎日程:

 

7月 8月
23 24 25 26 27 28 29 30 31 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25
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第 Ⅰ 期 第 Ⅱ 期 第 Ⅲ 期 第 Ⅳ 期 第 Ⅴ 期 第 Ⅵ 期

:lol: 中1特訓コース :lol:

◎教科:英・数・国 各50分(50分×3)

◎日数:16日間(Ⅱ期・Ⅲ期・Ⅴ期・Ⅵ期)

◎時間:18:50~21:40

◎講習料:35,640円→21,600円

 

◎日程:

 

7月 8月
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第 Ⅰ 期 第 Ⅱ 期 第 Ⅲ 期 第 Ⅳ 期 第 Ⅴ 期 第 Ⅵ 期

:lol: 中2特訓コース :lol: 

◎教科:英・数・国 各50分(50分×3)

◎日数:16日間(Ⅰ期・Ⅳ期・Ⅴ期・Ⅵ期)

◎時間:18:50~21:40

◎講習料:46,440円→27,000円

 

◎日程:

 

7月 8月
23 24 25 26 27 28 29 30 31 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25
 :-P  :-P :-P :-P × × × × × × × × :-P :-P :-P :-P :-P :-P :-P :-P :-P :-P :-P :-P
 Ⅰ 期 第 Ⅱ 期 第 Ⅲ 期 第 Ⅳ 期 第 Ⅴ 期 第 Ⅵ 期

 :lol: 中3特訓3科コース :lol: 

◎教科:英・数・国 各50分(50分×3)

◎日数:24日間 (Ⅰ期・Ⅱ期・Ⅲ期・Ⅳ期・Ⅴ期・Ⅵ期)

◎時間:11:00~17:20

◎講習料:108,000円→77,760円

 

◎日程:

 

7月 8月
23 24 25 26 27 28 29 30 31 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25
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第 Ⅰ 期 第 Ⅱ 期 第 Ⅲ 期 第 Ⅳ 期 第 Ⅴ 期 第 Ⅵ 期

:lol: 中3特訓5科コース :lol: 

◎教科:英・数・国・理・社 各50分(50分×5)

◎日数:24日間(Ⅰ期・Ⅱ期・Ⅲ期・Ⅳ期・Ⅴ期・Ⅵ期)

◎時間:9:00~17:20

◎講習料:129,600円→93,960円

 

◎日程:

 

7月 8月
23 24 25 26 27 28 29 30 31 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25
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第 Ⅰ 期 第 Ⅱ 期 第 Ⅲ 期 第 Ⅳ 期 第 Ⅴ 期 第 Ⅵ 期

:lol: 中3選抜3科コース :lol: 

◎教科:英・数・国 各100分(50分×6)

◎日数:24日間(Ⅰ期・Ⅱ期・Ⅲ期・Ⅳ期・Ⅴ期・Ⅵ期)

◎時間:11:00~17:20

◎講習料:108,000円→77,760円

 

◎日程:

 

7月 8月
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第 Ⅰ 期 第 Ⅱ 期 第 Ⅲ 期 第 Ⅳ 期 第 Ⅴ 期 第 Ⅵ 期

:lol: 中3選抜5科コース :lol: 

◎教科:英・数・国 各100分 理・社 各50分(50分×8)

◎日数:24日間(Ⅰ期・Ⅱ期・Ⅲ期・Ⅳ期・Ⅴ期・Ⅵ期)

◎時間:9:00~17:20

◎講習料:129,600円→93,960円

 

◎日程:

 

7月 8月
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第 Ⅰ 期 第 Ⅱ 期 第 Ⅲ 期 第 Ⅳ 期 第 Ⅴ 期 第 Ⅵ 期

 

 

 

ぜひ、ご検討ください。

 

 

 

(ivy 松村)

 

 

 

 

 

読書案内⑥(日本・文化・etc)

本を読み始める「経緯」は2種類しかありません。

ひとつは、「自分から読み始める」。

もうひとつは、「人に言われて読み始める」。

 

「自分から読み始める」ためには、「読む本を自分で探す」ことが必要です。

 

 

「大人」が、読書を推奨するのに、「これを読みなさい」というのは、少しズレているのかもしれません。

 

 

ここに挙げた本のすべてを読むことは困難です。

まず、何よりも「読む本を探す」という行為に慣れてほしいのです。

 

苦痛をより軽減するための作業は、けだるい労働の一部にしかなりません。

しかし、良いものを探そうとするとき、たいていの人は、「わくわく」するものだと思います。

 

 

読みたいと思える本を、探してみましょう。

 

 

 

食と日本人の知恵』  小泉 武夫

 

食と日本人の知恵

 

 

 

いのちをはぐくむ農と食』  小泉 武夫

 

いのちをはぐくむ農と食

 

 

 

食を考える』  佐藤 洋一郎

 

食を考える

 

 

 

もの食う人びと』  辺見 庸

 

もの食う人びと

 

 

 

菊とポケモン――グローバル化する日本の文化力』  アン・アリスン / 実川 元子 訳

 

菊とポケモン

 

 

「しきり」の文化論』  柏木 博

 

「しきり」の文化論

 

 

 

日本人と日本文化』  司馬 遼太郎・ドナルド・キーン

 

日本人と日本文化

 

 

 

江戸の笑い』  興津 要

江戸の笑い

 

 

 

江戸時代はエコ時代』  石川 英輔

 

江戸時代はエコ時代

 

 

 

お江戸でござる』  杉浦 日向子 監修

 

お江戸でござる

 

 

 

カムイ・ユーカラ――アイヌ・ラッ・クル伝』  山本 多助

 

カムイ・ユーカラ

 

 

 

ジャガイモのきた道――文明・飢饉・戦争』  山本 紀夫

 

ジャガイモのきた道

 

 

 

「モナリザ」の微笑み――顔を美術解剖する』  布施 英利

 

「モナリザ」の微笑み

 

 

 

砂糖の世界史』  川北 稔

 

砂糖の世界史

 

 

 

阿修羅のジュエリー』  鶴岡 真弓

 

阿修羅のジュエリー

 

 

 

博物館へ行こう』  木下 史青

 

博物館へ行こう

 

 

 

一本の樹からはじまった』  土岐 小百合

 

一本の樹からはじまった

 

 

 

特別授業3.11 君たちはどう生きるか

 

君たちはどう生きるか

 

 

(ivy 松村)

読書案内⑤(情報・社会・技術)

以前、出版社の方に、本を出さないかと声をかけていただいたことがありました。

とても心惹かれるお話でしたが、結局断りました。

 

もし、引き受けていたら、このリストにさりげなく入れることができたのに!

 

 

 

池上彰のメディア・リテラシー入門』  池上 彰

 

池上彰のメディア・リテラシー入門

 

 

 

池上彰の新聞活用術』  池上 彰

 

池上彰の新聞勉強術

 

 

 

ニュースの読み方使い方』  池上 彰

 

ニュースの読み方使い方

 

 

 

デジタルを哲学する――時代のテンポに翻弄される〈私〉』  黒崎 政男

 

デジタルを哲学する

 

 

 

情報のみかた』  山田 奨治

 

情報のみかた

 

 

 

わたしが情報について語るなら』  松岡 正剛

 

わたしが情報について語るなら

 

 

 

データはウソをつく――科学的な社会調査の方法』  谷岡 一郎

 

データはウソをつく

 

 

 

父と娘の 法入門』  大村 敦志

 

父と娘の 法入門

 

 

 

“経済学入門”の巻:レモンをお金にかえる方法』  ルイズ・アームストロング / 佐和 隆光 訳

 

レモンをお金にかえる法

 

 

 

14歳からの社会学――これからの社会を生きる君に」  宮台 真司

 

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増補改訂 14歳からの仕事道」  玄田 有史

 

14歳からの仕事道

 

 

 

新 13歳のハローワーク』  村上 龍

 

新 13歳のハローワーク

 

 

 

道具にヒミツあり』  小関 智弘

 

道具にヒミツあり

 

 

 

ものづくりに生きる』  小関 智弘

 

ものづくりに生きる

 

 

 

町工場・スーパーなものづくり』  小関 智弘

 

町工場・スーパーなものづくり

 

 

 

どっこい大田の工匠たち――町工場の最前線』  小関 智弘

 

どっこい大田の工匠たち

 

 

 

職人』  永 六輔

 

職人

 

 

 

木に学べ――法隆寺・薬師寺の美』  西岡 常一

 

木に学べ

 

 

 

木のいのち木のこころ――天・地・人』  西岡 常一 / 小川 三夫 / 塩野 米松

 

木のいのち木のこころ

 

 

 

法隆寺を支えた木』  西岡 常一 / 小原 ニ郎

 

法隆寺を支えた木  

 

 

 

五重塔はなぜ倒れないか』  上田 篤 編

 

五重塔はなぜ倒れないか

 

 

(ivy 松村)

 

読書案内④(哲学・言語)

自然の情理として、受験生には「入試に出題される本」を薦めたくなります。

 

たとえば、池田晶子氏や外山滋比古氏の文章は、中高の入試によく出題されます。

 

 

「国語」の入試問題は、「国語の先生」が作成します。「国語の先生」がよく読むのは、やはり「人文社会系」の本なので、「人文社会系」の文章が入試問題によく使われます。

 

また、「読書」は、一般的に「国語の先生」の「守備範囲」であると考えられているので、「おすすめの本」を選ぶのは、やはり「国語の先生」の仕事になることが多いと思います。

 

そういった理由もあって、中学生や受験生向けの「おすすめの本」は、「人文社会系」に偏る傾向が出ますね。それで、けっこう似たような「セレクション」になります。

 

 

個人的には、「入試」と「読書」は分けて考えるほうがよいと思いますが、「読書」が「入試」に資するのも、また現実です。

 

ただ、「これからの入試」は、日常的な読書習慣というか、読書が日常に根づいているような生徒、別のいい方をするなら、読書を「勉強の一部」だとは感じないような生徒が「力」を発揮できるようなものになっていくと思います。

 

その意味では、生徒のみなさんには、「純粋に」(?)読書を楽しんでもらいたいと考えます。

 

 

 

中学生からの哲学「超」入門――自分の意志を持つということ』  竹田 青嗣

 

中学生からの哲学「超」入門

 

 

 

わかりやすいはわかりにくい?――臨床哲学講座』  鷲田 清一

 

わかりやすいはわかりにくい?

 

 

 

てつがくを着て、まちを歩こう』  鷲田 清一

 

てつがくを着て、まちを歩こう

 

 

 

じぶん・この不思議な存在』  鷲田 清一

 

じぶん・この不思議な存在

 

 

 

14歳からの哲学――考えるための教科書』  池田 晶子

 

14歳からの哲学

 

 

 

14歳の君へ――どう考えどう生きるか』  池田 晶子

 

14歳の君へ

 

 

 

あたりまえなことばかり』  池田 晶子

 

あたりまえなことばかり

 

 

 

はじめて考えるときのように――「わかる」ための哲学的道案内』  野矢 茂樹

 

はじめて考えるときのように

 

 

 

日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』  内山 節

 

日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか

 

 

 

森にかよう道――知床から屋久島まで』  内山 節

 

森にかよう道

 

 

 

自由論――自然と人間のゆらぎの中で』  内山 節

 

自由論

 

 

 

「里」という思想』  内山 節

 

「里」という思想

 

 

 

プチ哲学』  佐藤 雅彦

 

プチ哲学

 

 

 

〈子ども〉のための哲学』  永井 均

 

〈子ども〉のための哲学

 

 

 

子どものための哲学対話』  永井 均

 

子どものための哲学対話

 

 

 

ひとり』  吉本 隆明

 

ひとり

 

 

 

先生はえらい』  内田 樹

 

先生はえらい

 

 

 

教養としての言語学』 鈴木 孝夫

 

教養としての言語学

 

 

 

この言葉! ――生き方を考える50話』  森本 哲郎

 

この言葉!

 

 

 

日本語 表と裏』  森本 哲郎

 

日本語 表と裏

 

 

 

言葉はなぜ生まれたのか』  岡ノ谷 一夫

 

言葉はなぜ生まれたのか

 

 

 

ふしぎなことば ことばのふしぎ』  池上 嘉彦

 

ふしぎなことば ことばのふしぎ

 

 

 

思考の整理学』  外山 滋比古

 

思考の整理学

 

 

 

ことわざの論理』  外山 滋比古

 

ことわざの論理

 

 

 

探検!ことばの世界』  大津 由紀雄

 

探検!ことばの世界

 

 

 

犬は「びよ」と鳴いていた――日本語は擬音語・擬態語が面白い』  山口 仲美

 

犬は「びよ」と鳴いていた

 

 

 

日本語を反省してみませんか』  金田一 春彦

 

日本語を反省してみませんか

 

 

 

数え方でみがく日本語』  飯田 朝子

 

数え方でみがく日本語

 

 

(ivy 松村)

 

 

読書案内③(自然・環境)

本を読む「きっかけ」は、さまざまです。

 

①宣伝に惹かれる

②人に薦められる

③興味のある内容、必要なことが書かれてある本を探して手に入れる

④面白そうだと思って、読んでみる

⑤読むように指示される

 

 

本を入手する方法が、いくつかあります。

 

①人に借りる

②プレゼントされる

③図書館/図書室で閲覧する/借りる

④有料図書館、貸本屋などで借りる

⑤新刊を買う

⑥古本を買う

⑦物々交換

 

 

本を入手する「ルート」も、たくさんあります。

 

①書店、本屋、コンビニなど

②インターネットなど→配達

③古本屋、リサイクルショップなど

④古本市、フリーマーケットなど

⑤図書館、図書室、貸本屋など

⑥拾う

 

 

 

外国を旅行してみると、よくわかりますが、日本は、本当に本が豊かな国です。

日常の中に、本があふれています。

 

逆に、裕福ではない国では、本は、貴重な「知の資源」として、とても大切にされています。

それはそれで素晴らしいと思わされます。

 

 

日本は、出版大国です。

 

 

本が担った「役割」の大部分は、やがて「デジタル端末」に受け渡されるでしょう。

 

しかし、それでも、「本」は、その存在価値を失うことはないと思います。

 

 

私たちは、本があふれる国に住んでいます。

 

本を読まないのは、本当に、もったいない。

 

 

 

長い旅の途上』  星野 道夫

 

長い旅の途上

 

 

 

アラスカ 光と風』  星野 道夫

 

アラスカ 光と風

 

 

 

旅をする木』  星野 道夫

 

旅をする木

 

 

 

草花のふしぎ世界探検』  ピッキオ

 

草花のふしぎ世界探検

 

 

 

地球(ガイア)のささやき』  龍村 仁

 

地球のささやき

 

 

 

地球(ガイア)の祈り』  龍村 仁

 

地球の祈り

 

 

 

山の自然学』  小泉 武栄

 

山の自然学

 

 

 

白神山地――8000年の〈生命〉をたずねて』  鈴木 喜代春

 

白神山地

 

 

 

生物多様性と私たち――COP10から未来へ』  香坂 玲

 

生物多様性と私たち

 

 

 

地球環境読本――人間と地球の未来を考えるための30のヒント』  加藤 尚武

 

地球環境読本

 

 

 

環境問題の基本のキホン――物質とエネルギー』  志村 史夫

 

環境問題の基本のキホン

 

 

 

あなたが世界を変える日――12歳の少女が環境サミットで語った伝説のスピーチ』  セヴァン・カリス=スズキ

 

あなたが世界を変える日

 

 

 

環境とつき合う50話』  森住 明弘

 

環境とつきあう50話

 

 

 

循環型社会入門』  片谷 教孝 / 鈴木 嘉彦

 

循環型社会入門

 

 

 

森のこころと文明』  安田 喜憲

 

森のこころと文明

 

 

 

沈黙の春』  レイチェル・カーソン / 青樹 簗一 訳

 

沈黙の春

 

 

 

運命の海に出会って――レイチェル・カーソン』  マーティー・ジェザー / 山口 和代 訳

 

運命の海に出会って

 

 

 

ガラスの地球を救え――21世紀の君たちへ』  手塚 治虫

 

ガラスの地球を救え

 

 

 

鉄が地球温暖化を防ぐ』  畠山 重篤

 

鉄が地球温暖化を防ぐ

 

 

 

森よ生き返れ』 宮脇 昭

 

森よ生き返れ

 

 

 

富士山を汚すのは誰か ――清掃登山と環境問題』  野口 健

 

富士山を汚すのは誰か

 

 

 

野生動物の首をしめるゴミ』  宮崎 学

 

野生動物の首をしめるゴミ

 

 

 

タマゾン川――多摩川でいのちを考える』  山崎 充哲

 

タマゾン川

 

 

 

(ivy 松村)

 

 

読書案内②(生物・動物)

人から勧められた本を読むのは、とても有意義です。

たくさんの「面白い本」に出会うことができます。

 

一方で、自分で本を探してみるのも、意義深いことだと思います。

 

本を探すときは、「Amazon」などの「情報」を参考にするといいと思います。

ただし、「他人」の意見にとらわれ過ぎないようにしましょう。

 

「自分にとって」大切な一冊を、ぜひ、見つけてください。

 

 

 

小さな博物誌』  河合 雅雄

 

小さな博物誌

 

 

 

子どもと自然』  河合 雅雄

子どもと自然

 

 

 

野生動物と共存できるか――保全生態学入門』  高槻 成紀

 

野生動物と共存できるか

 

 

 

なぜ飼い犬に手をかまれるのか――動物たちの言い分』  日高 敏隆

 

なぜ飼い犬に手をかまれるのか

 

 

 

春の数え方』  日高 敏隆

 

春の数えかた

 

 

 

動物の言い分 人間の言い分』  日高 敏隆

 

動物の言い分 人間の言い分

 

 

 

世界を、こんなふうに見てごらん』  日高 敏隆

 

世界を、こんなふうに見てごらん

 

 

 

「生きもの」感覚で生きる』  中村 桂子

 

「生きもの」感覚で生きる

 

 

 

サボり上手な動物たち――海の中から新発見!』  佐藤 克文 / 森阪 匡通

 

サボり上手な動物たち

 

 

 

ゴリラ図鑑』  山極 寿一

 

ゴリラ図鑑

 

 

 

ゴリラは語る』  山極 寿一

 

ゴリラは語る

 

 

 

おかあさんになったアイ』  松沢 哲郎

 

おかあさんになったアイ

 

 

 

スズメの謎――身近な野鳥が減っている!?』  三上 修

 

スズメの謎

 

 

 

進化の大研究:恐竜は鳥に近い――生物のひみつを探ろう』  長谷川 眞理子

 

進化の大研究

 

 

 

恐竜時代I――起源から巨大化へ』  小林 快次

 

恐竜時代I

 

 

 

クモの糸の秘密』  大崎 茂芳

 

 

クモの糸の秘密

 

 

 

素数ゼミの謎』  吉村 仁

 

素数ゼミの謎

 

 

 

サバンナの動物親子に学ぶ』  羽仁 進

 

サバンナの動物親子に学ぶ

 

 

 

(ivy 松村)

読書案内①(科学・宇宙)

「読書案内」を作ってみました。

 

ぜひ、定期テストが終わったら、読書をしましょう。

 

他のいろいろな「読書案内」を参考にしています。

私もまだ読んだことのない本がかなりあります。何冊か、気になる本もあります。

 

 

本の内容や「レベル」を知るのに、本の「装丁」やデザインが「手がかり」になります。

そこで、本の「表紙」をせっせと載せることにしました。

 

本のタイトルをクリックすると、出版社のHPに飛ぶようにリンクを張っています。

 

 

こんな形で本を紹介しておきながら、こんなことをいうのも何ですが、私自身が勧めたいのは、実は、書店や図書館で実際に手に取って読む本を決めることです。

現代は、何でもネットで完結してしまう時代ですが、実物から感じる「インスピレーション」もけっこう大事です。

 

 

また、大人の方にも、読書を勧めたいと思います。

子ども向けの本もたくさんありますが、大人が読んでも面白いと思います。

 

 

ぜひ、面白そうな本をいろいろと探してみてください。

 

 

 

0.1ミリのタイムマシン――地球の過去と未来が化石から見えてくる』  須藤 斎

 

0.1ミリのタイムマシン

 

 

 

疑似科学入門』  池内 了

 

疑似科学入門

 

 

 

天文学者の虫眼鏡――文学と科学のあいだ』  池内 了

 

天文学者の虫眼鏡

 

 

 

科学の考え方・学び方』  池内 了

 

科学の考え方・学び方

 

 

 

科学と科学者のはなし――寺田寅彦エッセイ集』  池内 了 編

 

科学と科学者のはなし

 

 

 

雪は天からの手紙――中谷宇吉郎エッセイ集』  池内 了

 

雪は天からの手紙

 

 

 

科学の扉をノックする』  小川 洋子

 

科学の扉をノックする

 

 

 

おはようからおやすみまでの科学』  佐倉 統 / 古田 ゆかり

 

おはようからおやすみまでの科学

 

 

 

いっしょに考えてみようや――ノーベル物理学賞のひらめき』  小林 誠 / 益川 敏英

 

いっしょに考えてみようや

 

 

 

アインシュタインが考えたこと』  佐藤 文隆

 

アインシュタインが考えたこと

 

 

 

いたずらはかせのかがくの本――もしも原子がみえたなら』  板倉 聖宣

 

いたずらはかせのかがくの本

 

 

 

ロウソクの科学』  ファラデー /  三石 巌 訳

 

ロウソクの科学

 

 

 

ビヨンド・エジソン――12人の博士が見つめる未来』  最相 葉月

 

ビヨンド・エジソン

 

 

 

フィボナッチ――自然の中にかくれた数を見つけた人』  ジョセフ・ダグニーズ / 渋谷 弘子 訳

 

フィボナッチ

 

 

 

点と線のひみつ――考え方の練習帳』  瀬山 士郎

 

点と線のひみつ

 

 

 

山はどうしてできるのか――ダイナミックな地球科学入門』  藤岡 換太郎

 

山はどうしてできるのか

 

 

 

脳を育て、夢をかなえる――脳の中の脳「前頭前野」のおどろくべき働きと、きたえ方』  川島 隆太

 

脳を育て、夢をかなえる

 

 

 

単純な脳、複雑な「私」』  池谷 裕二

 

単純な脳、複雑な「私」

 

 

 

脳はなにかと言い訳する――人は幸せになるようにできていた!?』  池谷 裕二

 

脳とはなにかと言い訳する

 

 

 

海馬――脳は疲れない』  池谷 裕二 / 糸井重里

 

海馬

 

 

 

考えるヒト』  養老 孟司

 

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解剖学教室へようこそ』  養老 孟司

 

解剖学教室へようこそ

 

 

 

生物と無生物のあいだ』  福岡 伸一

 

生物と無生物のあいだ

 

 

 

眠れなくなる宇宙の話』  佐藤 勝彦

 

眠れなくなる宇宙のはなし

 

 

 

137億光年のヒトミ――地球外知的生命の謎を追う』  鳴沢 真也

 

137億光年のヒトミ

 

 

 

月のきほん』  白尾 元理

 

月のきほん

 

 

 

大望遠鏡「すばる」誕生物語――星空にかけた夢』  小平 桂一

 

大望遠鏡「すばる」誕生物語

 

 

 

『 宇宙と生命の起源――ビッグバンから人類誕生まで』  嶺重 慎 / 小久保 英一郎 編著

 

宇宙と生命の起源

 

 

 

夜空からはじまる天文学入門――素朴な疑問で開く宇宙のとびら』  渡部 潤一

 

夜空からはじまる天文学入門

 

 

 

 

(ivy 松村)

 

 

 

 

「政治の話」の話

このブログは、いろんな人が見ているようです。

塾の人も、けっこう見ているらしいです。

 

他の塾の教師の中には、うわ、このブログ、政治の話なんか書いている、と思いながらハラハラしている人もいるかもしれません。

また、「性格の悪い人」は、ニヤニヤしながら見ているかもしれません。

 

その感覚も、わかります。「政治の話」というのは、かなりリスキーです。世の中には、「政治の話」に、想像外の反応をする人が多くいます。塾の「評判」に影響が出る可能性もあります。

 

 

「政治の話」を書いている塾のブログは、他にないでしょう。

このブログでも、当初は「政治の話」を書くつもりはありませんでした。

 

まあ、でも、ちょっと「チャレンジ」してみようと思うようになりました。

 

ちょっと、試したくなったのです。

 

 

あと、「政治の話」なんか、読む人いるの?と、いぶかしく思っている人もいるかもしれません。

 

まあ、世の中、何事であっても、興味を持たない人もいれば、興味を持つ人もいるでしょう。

幸か不幸か(?)このブログに興味を持つ人もいます。

 

まことしやかな噂では、政治家や政府関係者も読んでいるとか。(ホンマですか?)

 

どれほど小さなものであったとしても、この社会に、何かしらの「爪痕」を刻むことができたのだとしたら、苦労して書いた意味があったと思えます。

 

 

 

私の文章は、世の中に出回っている「政治評論」とはずいぶん趣が違うと思います。

 

自分で文章を書きながら、「塾の人間」が「政治の話」をするということの「意味」を、ちょっと考えました。

 

このブログの文章には、私が「塾の人間」であるがゆえの特徴がよくあらわれていると思います。

自分で言うのも口はばったいことですが、それは、「簡易化」と「要点化」であるといえます。

 

私は、「知っていること」を「てんこ盛り」にして全部を書きません。

テンポや構成のバランスを損なう情報は、ばっさり削除します。

 

また、内容が雑多になりすぎないように、できる限り単純に、包括的に説明するように心がけます。ノイズになりそうな情報を捨象して、必要な情報をグループ化したり、定式化したり、概念化したりします。

 

私は、こうした作業を、自分で「引き算」と呼んでいます。

 

 

私が文章を書く際に「引き算」を重視するのは、私が「塾の教師」であることと無関係ではありません。私は「理解しやすさ」に気を配りながら、文章を推敲します。

 

 

学者や評論家は、「引き算」が苦手な人が多いと思います。

「情報量」の多寡で「マウント」を取り合う習性が身についてしまっているからです。

 

それに、学者や評論家の中には、「理解するということ」は、より多くの情報や知識を取得することだ、と考える人が多いように思います。

 

一方、私は、「理解するということ」は、物事を「よりシンプルな構造」に組み替えることだと考えます。

 

 

一応、念のために:私は、けっこう図々しい性格をしていますが、いくら何でも、自分の書いたものが、専門家が書いたものよりも優れているとは思っていません。

「役割」が違うわけです。

私が書くものは、いわば「旅行案内」のようなものなのだと思います。

 

 

 

けっこう長い期間「政治の話」を書いてきたわけですが、もうそろそろ終えようか、と思います。まあ、秋ぐらいには、また少し書くかもしれませんが。

 

「政治の話」のシリーズは、各回に設定された主題に沿って、ひとつひとつの記事が書かれています。ですから、それぞれの記事は独立した内容になっているわけですが、実は、シリーズ全体に通底する「テーマ」があります。

回を重ねるごとに、その「テーマ」に少しずつ接近していって、やがて最後の記事に収束するという構成でした。

 

ところが、書いているうちに、まとめるのがちょっと大変になってきました。

それに、いいかげんそろそろ切り上げなければ、別の記事を書く機会がなくなる、という懸念が大きくなりました。

 

それで、この辺でいったん書くのをやめようと決めたわけです。

 

一応、構想としては、この後、「世襲」、「政治スキャンダル」、「圧力団体」、「ウヨクとサヨク」について書くつもりでした。

最後に、「平等と公正」について書くつもりでした。

 

 

 

で、なぜ、このような「言い訳」のようなものを記しているのかというと、ここまで書いてきた内容「だけ」を読んだ人は、けっこういろいろな「誤解」をしてしまうのではないか、と思ったからです。

 

私が一連の記事を通して書きたかったのは、「リベラルの役割」についてでした。

 

 

 

現代日本社会に、「外国人」を酷い言葉で罵倒するような人たちがいます。そのような人たちの言葉に、やるせない憤りを感じます。

 

なぜ彼らはそのような振る舞いをするのか、という動機の説明に「ルサンチマン」という言葉が使われます。

「ルサンチマン」というのは、もともとは哲学の用語ですが、通俗的な用法が広まって、評論などでは、本来とは少し違った文脈で用いられます。

 

評論などで、「ルサンチマン」という言葉は、妬みや嫉みをこじらせて、他者に対して攻撃的な言動を発してしまうような人間の「鬱屈した精神」を指します。

 

一般的にそのような人物は、人生を思い通りに生きられず、その苛立ちや自身の不甲斐なさを他者に転嫁する「弱い人間」であるとみなされます。

 

 

彼らは、狭量で下品な人格であると判断されます。まともな感性の人間は、「彼ら」と同じように思われたくない、と考えるにちがいありません。

 

「リベラル」は、よりいっそう彼らを嫌悪します。「外国人」を悪く言うなんて、と。

 

 

しかし、本来、「リベラル」という思想は、「ルサンチマン」を抱えているような人に寄りそうようなものであったはずなのです。

 

「弱き者の味方」であり続けることこそが、「リベラル」の使命だといえるからです。

 

 

 

多くの人が感じていることなのだろうと思いますが、現代日本の「リベラル」は、「ドメスティックではない背景」に近接しています。

泥沼の「リベラル」言論人や政治家と、「それ」を紐づけているものは、明るみに出せないような、けっこう陰惨なリアリティです。

 

 

まあ、「紐づけられている者」はともかく、「公正」、という人類普遍の価値を推戴する「真のリベラル」は、「真に弱き者」を正しく見つめる必要があるのではないかと思うわけです。

 

過去に、何人もの偉大な人道主義者、啓蒙主義者たちが、人生を投げうって、世界を前進させてきました。彼らは、「弱き人びと」が因襲や蒙昧にとらわれていても、諦めませんでした。

 

 

 

安倍さんは、どちらかといえば「グローバリスト」です。

ですから、まあ、どちらかといえば、社会の下位の階層にいる人たちよりも、社会の上位の階層にいる人たちにとって有利な政策をすすめています。

 

 

「アベノミクス」の成果として、「大手企業」のボーナスが過去最高額になった、というニュースを見て、「やったぜ、さすが安倍総理!」といっている人たちがいるわけです。

でも、「彼ら」の人生は、「それ」とは「交わらない」わけです。

 

それなのに、「彼ら」は、安倍政権を支持します。

その理由は、まったく単純です。

安倍政権は、「ドメスティックではない背景」に譲歩しないからです。

 

ついでにいえば、安倍政権打倒に執念を燃やす人たちの動機も「そこ」にあります。

さらに、ついでをいえば、安倍政権は、米国に対しては、さまざまな譲歩を行っています。

 

 

 

「二元論」でしか物事をとらえられない人は世の中にけっこうたくさんいて、このような文章を書くと、結局お前は「どっちの側」なのだ、とききたがります。

 

そういう問いに一言で答えられないからこそ、書こうとするわけですが。

 

ただ、これまでに書いてきた通り、私は、安倍さんという人を「すごい人」だと思っています。

失意の中から立ち上がり、再び前進を始める人は、誰であっても何ぴとであっても尊敬したくなります。

 

 

 

最後に、「政治の話」を書こうと思った「直接の動機」について書きたいと思うのですが、それは、生徒との「質問タイム」でした。

 

去年の中3の授業では、気になったことを「何でも」質問していい「質問タイム」というものがありました。これは、生徒の「質問」を題材にして、アドリブで私がおもしろおかしく話をするというただの「雑談」の時間なのですが、まあ、「質問」という理屈づけというか、体裁をとっているわけです。

 

で、私は、毎度毎度アホっぽいことをいったり、ボケをかましたりしていたわけです。

去年の中3の生徒は、頭の回転が速い子が多かったので、とても楽しい時間でした。

 

2つのクラスの生徒は、みんな「コミュニケーション」というものの本質を理解していました。

「こういう時間」をうまく活用したほうが、自分にとってもプラスになります。

理解力のある生徒は、「こちらの意図」を汲み取って、気分転換や、「スイッチ」を入れるきっかけにするために、積極的に参加してくれます。

 

 

それで、たまに「政治の話」がトピックになることがありました。

昨年、このブログに政治についての記事を何度か書きました。その記事はかなり婉曲的に書いたので、それについてどういうことなのか、ききたかったのかもしれません。

それに、昨年はいろいろと「政治の動き」が活発だった年でもありました。

 

でも、私は、「政治の話」をあまりすることなく、はぐらかすことが多かったのです。

「政治の話」をすることに躊躇があったのです。

 

それは、個人的な経験に起因しているかもしれません。

中学の頃、延々と「政治の話」をする教師が多くて、いつもうんざりしていました。

自分は「政治の話」をしないようにしよう、と思っていたわけです。

 

しかし、はぐらかしてばかりいると、何となく、やましいことを隠しているような雰囲気になってしまいます。かといって、「マジ」で話をしてしまうと、「質問タイム」の趣旨を損なうばかりか、とんでもなく時間を取られてしまいます。

 

何度か簡単な「答え」を返したこともあったのですが、そのうち、なんとなく「政治の話はNG」みたいな空気になっていきました。

 

後になって、そのことに対して、ちょっとした後悔を感じるようになりました。

 

それで、過去には、生徒たちに、「政治の話」は控えなさい、などと言っていたのに、自分から盛大に「政治の話」を書きまくってしまいました。

 

 

あとは、もう、書き尽してやれ、と思って書いてきましたが、この辺でお終いですね。

 

 

 

最後の最後に、もう一度注釈を。

 

 

政治について議論するときに、以下のことに気をつけてください。

 

これは正しい、とか、これは間違っているというように「価値観を表明すること」と、なぜそのようなことが起きるのか、とか、なぜそのような結論が導かれるのか、というように「論理的に説明すること」は「次元」が違います。

 

 

世の中には、両者の区別がつかない人がたくさんいます。

 

「政治的なこと」について考えるときには、その2つをよくふまえて熟慮するようにしましょう。

 

 

 

 

(ivy 松村)

 

 

 

連絡「期末テスト対策」

期末考査が近づいてきました。

 

 

ひよ中とみなみ野中は、来週に始まります。

その他の中学は、2週間後ですね。

 

しっかり準備して挑みましょう。

 

 

各学校の生徒の「提出物」と試験勉強の進捗の「チェック日」を指定しています。

 

進んでいない人もごまかさずに、持ってきてチェックを受けてください。

毎度、「忘れた」といって、「都合の悪い状況」を見られないように努力する人がいますが、何が自分にとって「プラス」になるのかを、よく考えて行動しましょう。

 

あと何日あるので、こういうペースで進めていきましょう、ということを確認します。

 

「手つかず」のままにしていると、ちょっとは「小言」をいわれることもあるかもしれませんが、それは、少しも深刻なことではありません。

 

大事なのは、今、この瞬間からやれることをしっかりとやり切って、試験に挑み、より良い結果を目指すことです。

 

 

がんばりましょう。

 

 

 

今週の土日と来週の土日は、定期試験勉強のために、校舎を開けますので、家で勉強が手につかない人は、利用してください。

 

 

定期試験対策

 

・6月16日(土) 14:00~

・6月17日(日) 14:00~

 

・6月23日(土) 14:00~

・6月24日(日) 14:00~

 

 

 

月~金も、開校時間に自習することができますが、最近、「個別指導」の授業が入ることが多くなってきて、夜の時間に空き教室が無くなってしまうことがあります。

 

その場合でも、必ず受付の机などを利用できるように手配します。

「勉強する空間」は絶対に確保しますので、その点は心配しないでください。

 

 

~19:30までは、必ずどこかの教室で自習ができます。

それ以降、教室が空いているかどうか気になる人は、問い合わせてください。

 

 

家で勉強に取り組める人は、自宅でしっかりと勉強をしていきましょう。

むしろ、自宅で勉強する習慣をつけてもらいたいと思います。

 

自宅で勉強できるようになれば、それが一番良いことです。

 

しかし、なかなか家では勉強する気になれないという人もいるでしょうから、そういう人は、遠慮なく塾を利用してください。

 

 

 

それでは、お待ちしております。

 

 

 

 

sìchuān_morning

 

中国四川省のシャレオツなカフェーで、ハイセンスな一皿をエンジョイするヤングな私。

 

 

 

 

(ivy 松村)

 

 

 

 

 

政治の話⑨(「アベノミクス」)

安倍内閣の政策の目玉は、「アベノミクス」であるということになっています。

 

「アベノミクス」は、経済の「成長戦略」であると説明されます。

 

要するに、経済活動を抑制したり、緊縮させたりしないようにするわけです。

 

そのために、投資家に、積極的に投資をしてもらえるようにするわけです。

また、企業が、積極的に経済活動を行えるようにするわけです。

 

 

そして、政府は、積極的に「公共事業」を行います。

「公共事業」は、社会生活や経済活動の基盤となるような設備やシステムを整えることです。

これらは、一般的に、「社会資本(インフラ)」と呼ばれます。

「社会資本」の整備は、政府の重要な機能の1つで、「公費」が投じられます。

つまり、「税金」を使って、「仕事」と「雇用」を生み出すわけです。

 

 

余談ですが、かつて、「公共事業」は、「政治腐敗」の温床となりました。

政治家は、自分たちに利益を還流してくれる業者に、「公共事業」を優先的に発注したわけです。

 

 

景気を浮揚させるために、政府が、積極的に「公共事業」を行うことは、いうまでもなく「経済の基本」です。

しかし、これを「歳出」でまかなうわけですから、過剰な「公共事業」が行われてしまうと、「財政」が悪化します。

ですから、「公共事業」は、念入りに計画されなければなりません。

 

 

ここには、ひとつの問題点が横たわっていると思います。

 

 

すなわち、「消費税率の引き上げ」です。

 

 

積極的な「財政出動」を行って経済成長を促す、というのが「アベノミクス」の骨子だったわけです。そして、「アベノミクス」は順調だ、と。

 

非常にシンプルな話で、「歳出」を増やしたあげく、「歳入」が足りなくなって、「増税」…「これ」に納得できない人は多いと思います。

 

もちろん、「消費税率の引き上げ」を決めたのは安倍さんではありません。

「財政」に占める「公共事業費」の割合も大きくはありません。

 

が、これは、「整合性」の問題、というか、説明に「納得できるか」という問題です。

 

 

 

投資家や大企業は、「アベノミクス」の恩恵を受けています。

 

「経済活動」をするうえで、さまざまな「制約」が取り払われたからです。

 

また、政府が、「円安」を誘導してきたことも、メーカーなどの企業の追い風になりました。

「円安」は輸出企業に有利に働くからです。

 

多くの企業が収益をアップさせ、株価も上昇しました。

 

しかし、投資家や大企業からの税収が増えているわけではありません。

さまざまな「租税回避」が可能となっているからです。もちろん、それは「合法」ですが、「収益に見合った納税」をしていない、とみることもできるわけです。

 

 

つまり、「アベノミクス」によって、投資家や企業の経済活動は活発になったわけですが、「財政」の状況がよくなっているわけではないのです。

 

 

それで、「消費税率の引き上げ」です。

 

 

 

「雇用状況」がよくなっているのは、「アベノミクス」の成果であると説明されます。

 

失業率が下がり求人倍率が上がりました。特に、大学の新卒の「就職活動」が、完全な「売り手市場」になっていることが大きな話題になっています。

 

しかし、これは割と単純に、団塊世代がリタイアして、企業が「人手不足」になっていることが主な原因です。団塊世代が、「定年→(嘱託→)退職」を迎えるタイミングが訪れたわけです。

 

少し補足すると、いくつかの企業では、給与の高いベテラン社員が退職し、若い社員の割合が高くなったために、人件費が下がり、利益が出やすくなっているわけです。

 

 

他にも、「人件費」を抑える方法がいくつかあります。

企業は、「正社員」の比率を下げることで「支出」をカットすることができます。

また、低賃金で働いてくれる外国人労働者を雇うことができます。

さらに、「物価」が上昇しないので、平均賃金の上昇も抑制できます。

 

企業で働く「中低所得層」の収入が増えているわけではないので、「インフレ」が誘導されません。

 

「アベノミクス」は「好景気」をもたらしている、と広報されているわけですが、現実的に、この数年、日本社会全体の「生活水準」が上がっているとはいい難いと思います。

 

 

それなのに、「消費税率の引き上げ」です。

 

 

 

少し嫌味ないい方をするならば、「お金持ち」から税金を集めずに、税収が足りなくなり、仕方がないので「みんな」から徴収する、という感じでしょうか。

 

 

消費税率が引き上げられ、東京オリンピックが終わった後の日本を想像すると、けっこう怖いものがあります。

 

 

日本は資源を持たないので、「ものづくり」の国を目指しました。

日本の「ものづくり」は高く評価されて、工業先進国となりました。

しかし、もはや、後発の国々に完全にキャッチアップされています。

 

現在、日本のメーカー企業の業績がいいのは、政府が、「税と為替」の支援をしているからです。

こうした「ドーピング」が効かなくなったときに、日本の企業は競争力を発揮できるのでしょうか。

 

 

 

「アベノミクス」には、ちょっと「あやふや」なところがあって、危うい部分がります。

 

たまに「アベノミクス」の問題点を指摘する「声」を聞くこともありますが、オープンに議論する人はあまりいないように感じます。

 

反面、安倍さんは、けっこういろいろな「人格攻撃」にさらされていますが。

 

 

テレビや雑誌などで活躍する「識者」は、どちらかといえば「アベノミクス」の恩恵を受ける側であることが、その理由の1つかもしれません。

 

テレビ局などは「典型」ですが、下火となりつつある産業であるにもかかわらず、「業績」は上がっているわけです。

 

また、安倍さんの支持者は、「経済政策」よりも「外交」や「防衛」に興味がある人が多いことも原因かもしれません。

 

 

「マスコミ」や「野党」の人でも、「おいしい思い」をしている人は、 「やぶへび」になりそうな「余計はこと」は決していわないわけです。よくわからない人も、やっぱり何もいわないわけです。

 

 

ついでにいうと、「働き方改革」や「教育無償化」にもいろいろな問題点がありそうです。

もっと議論するべきだったと思いますが。

 

ああ、何か、いろいろありましたね。

 

 

 

ところで、「増税」を主導したのは、いうまでもなく財務省です。

 

 

ああ、あの省庁。

 

 

官僚たちの説明を聞いて、政治家は「増税やむなし!」という結論になったわけですね。

 

 

それにしても、その説明、「本当」ですか?

 

 

 

(ivy 松村)

 

 

政治の話⑧(「派閥」)

現在の自民党を支える「三鼎」は、以下の3派閥です。

 

・「清和会」系「細田派」

・「宏池会」系「岸田派」

・「経世会」系「竹下派」

 

 

自民党総裁であり、内閣総理大臣でもある安倍さんは、「細田派」の出身です。

 

「細田派」の正式な派閥名称は、「清和政策研究会」ですが、「清和会」と表記して話を進めていきましょう。同じく、「岸田派」は「宏池会」、「竹下派」は「経世会」と表記します。

 

 

少し補足ですが、その他、自民党内には「麻生派」、「二階派」などの派閥があります。

 

「清和会」に次ぐ大勢力の「麻生派」は、「宏池会」の流れをくむ派閥ですが、派閥の会長である麻生さんは、安倍政権を支える閣僚でもあります。

 

「二階派」の会長であり、また、自民党幹事長でもある二階さんは、もともと「経世会」出身の政治家で、「根回し」や「調整」を得意とします。ある意味で、二階さんはもっとも「経世会」的な政治家であるといえるかもしれません。

 

 

 

さて、安倍さんの出身派閥である「清和会」ですが、ときに皮肉交じりに「保守傍流」と呼ばれることがあります。

 

他の「宏池会」と「経世会」は、日本の戦後政治の礎を築いた吉田茂の系譜に連なる「名門派閥」です。

2派閥は、ある種の自負心から、自分たちを「保守本流」であると称しました。おのずと「清和会」は、「保守傍流」という位置づけになるわけです。

 

 

しかし、最近20年ほどの間、「清和会」は常に自民党の「主流派」を構成してきました。

その間、自派閥から、森喜朗、小泉純一郎、安倍晋三(第一次)、福田康夫、安倍晋三(第二次)の「5人」を総理大臣に排出しました。

 

「傍流」などと皮肉られてきた「清和会」ですが、現在は、名実ともに保守政権の「中枢」を担っているわけです。

 

 

また、「清和会」は、政治評論家などに「タカ派」と呼ばれることがあります。

「タカ派」というのは、強い保守的傾向を示す「政治用語」です。

 

一方、「宏池会」「経世会」は、自民党内の「ハト派」であると位置づけられることがあります。

 

一般的に、ハトという鳥は「平和の象徴」であるとみなされることから、「ハト派」というのは、平和主義的な穏健派、を指すものであるとされています。

 

反面、「タカ派」というのは、強硬的、武断的な政治姿勢を暗示し、どちらかというと、悪い評価であるとみなされます。

 

 

「清和会」という派閥は、かつては「保守傍流」、「タカ派」などと「揶揄」される対象だったわけです。

 

 

 

80~90年代は、「清和会」にとって不遇の時代でした。

 

2000年代に入り、特に小泉さんの「登板」を契機として、「清和会」は「最盛期」を迎えます。

 

小泉さんは、古い自民党の「構造」を壊して、党組織を刷新しようとしました。

「派閥」を失くそうとしたのです。ところが、その後、「派閥」が復活し、「清和会」が自民党内の「主導権」を保持し続けました。

 

現在、自民党内にいくつかの派閥が存在していますが、総理・総裁を擁する「清和会」の発言力は、強大です。

 

ある意味で、「自民党全体」が「清和会」に染まりつつあるといえるのかもしれません。

 

つまり、「自民党全体」が「タカ派」的な色彩を強めているわけです。

 

 

 

「清和会」の最大の特徴は、「親米」です。

 

歴史的に「清和会」は、アメリカ合衆国との「連携」を深めてきました。

 

別の面からいうならば、「清和会」の政治家は、基本的に、米国の利益を損なわないような政策を実施してきました。

 

 

小泉さんは、アメリカ合衆国大統領だったブッシュさんと緊密な関係を築きました。

 

安倍さんは、オバマさんの対日不信を払拭しました。

安倍さんは、また、今、トランプ大統領との「関係」を強化しつつあります。

 

 

 

ついでに述べると、「清和会」は、かつては韓国とも「太いパイプ」でつながっていました。

 

冷戦下、日本、米国、韓国は、資本主義の同盟国として、協調して社会主義に対抗する必要があったわけです。

 

ところが、韓国が「民主化」され、冷戦が終結したことで、韓国国内の政治状況が大きく変化しました。

北朝鮮に対して宥和的な「左派」の政治勢力が台頭しました。

 

90年代後半から、韓国は「右派」と「左派」が交互に政権を取り合います。

 

「振幅」の激しい政治状況で、両者ともに共振することができたのが、「反日」だったわけです。

 

さらに近年、韓国は中国への経済的依存を強め、「親中反米」に傾斜しました。これは、厳密には「親北反米」工作です。

 

 

つまり、日本が米国との関係を強める一方で、韓国は、日米との距離を広げていったわけです。

 

 

あまり話題に上ることはありませんが、安倍さんのお父さんは、安倍晋太郎さんという方で、「清和会」のリーダーでした。安倍晋太郎さんは韓国に「コネクション」を持つ「親韓派」の政治家として知られました。

 

 

 

「清和会」の話の続きです。

 

ちょっと俗な直言をすれば、「清和会」の「バック」には、アメリカがいるというわけです。

 

したがって、他の政治勢力は、アメリカ以外の国との「連携」を模索します。

 

「経世会」は、中国に接近しました。(が、歴史的に、中国と「太いパイプ」を構築したのは、小沢一郎さん、二階俊博さんなど、「経世会」から離脱していった人たちでした。)

 

そして、「保守本流」を自認する「宏池会」ですが、80年代に入って以降、急速に「リベラル」色を強めました。中国や韓国に対して、さまざまな面で配慮や歩み寄りを行いました。

 

 

 

90年代までの日本では、「反米」というような政治的立場をとる人たちが、一定の勢力を保っていました。日本は、米国への依存を脱し、「自主的な国」になるべきだという考えが根強くあったわけです。

 

つまり、「清和会」の「旗色」は、あまり良くなかったわけです。

 

しかし、2000年代以降、中国や韓国との間で「対立」が鮮明化しました。また、ロシアが国力を高めましました。北朝鮮の問題もありました。

 

日本は、やはりアメリカとの関係を強化するべきだという「世論」が高まったのです。

 

 

「清和会」が台頭するのは、ある意味で「必然」だったわけです。

 

 

「民主党」による政権奪取を経て、現在、日本は、再び自民党の政権下にあります。その「中枢」に座しているのは、やはり「清和会」です。

「民主党政権」は、「清和会」の「権勢」を決定づけたといえます。

 

 

 

現在、北朝鮮問題が「山場」を迎え、日米両国は強調して、事態に臨もうとしています。

 

しかし、実際には、安倍さんは、トランプさんに振り回されています。

 

「今」も、「土壇場」になって「アドリブ」が飛び出さないか、ひやひやしているかもしれません。

 

 

トランプさんは、アメリカ合衆国の歴史の中で、特異な大統領です。トランプさんは「ビジネスの世界」と「テレビの世界」で活躍してきた人で、本来「政治の世界」の人ではありません。

 

つまり、自民党「清和会」が、長い年月をかけて築き上げてきた「パイプ」を使って「意見」や「利害」を調整することができない相手であるということです。

 

 

トランプさんは一般的な政治の文脈や、国際政治の慣例などを無視して、予想外の行動に出たり、突発的な発言をしたりします。

 

それは、政治家としてありえない短慮な言動だったり、感情的なリアクションだったりすることもありますが、ときとして、それは、「ビジネス」の経験をもとにしたトランプさんの「交渉術」の一端であるわけです。

 

 

表面上、安倍さんとトランプさんは、非常に友好的な関係を築いているように見受けられますが、実際には、海千山千の「ビジネスマン」は、「自分の利益」を冷徹に見積もっているでしょう。

 

日本の「顔」を立ててやれば、「見返り」を要求できる、と考えているかもしれません。

 

 

 

アメリカ合衆国に、日本の「国益」の一部が流出することに対しては、「世論」は一定の理解を示すと思います。回りまわって、日本に一部の「利益」が還流することもあります。

 

しかし、朝鮮半島情勢に日本が関与しなければならなくなるとすると、「世論」の反応は大きくなるかもしれません。

 

 

安倍さんは、米国との関係を強化する一方で、周辺国に対して譲歩しないことで支持を集めてきました。

ところが「これから」は、「それぞれ」を「別々」に対処することができなくなるかもしれないわけです。

 

 

(ivy 松村)

 

 

政治の話⑦(「ブーメラン」)

近年「リベラル」の「空回り」が目立ちます。

 

それは、多くの「リベラル派」の人たちが、自分たちの「状況」を正確に把握できていないことが根本的な原因です。

 

大きく4つの点で、「リベラル派」の人たちは「勘違い」をしています。

 

 

1つ目は、自分たちの主張は「論理的である」と考えている点。

 

2つ目は、自分たちは「正義である」と考えている点。

 

3つ目は、自分たちは「支持されている」と考えている点。

 

4つ目は、自分たちの方法論は「効果的である」と考えている点。

 

 

 

まず、1つ目です。「リベラル」が、自分たちの主張は「論理的である」と考えている点です。

 

「リベラル」は、原理的に「パラドクス」を抱え込む「思想」です。

 

とはいっても、それは、その「思想」が質的に劣っているという意味ではありません。

地球上のほとんどすべての思想や価値観の体系は、なにかしらの矛盾を内包しています。科学、という営みでさえ、そういった指摘を免れないでしょう。

 

問題は、そのことを軽視、あるいは、無視していることです。または、そのことに無自覚であることです。

 

思想の「核心部分」に逆説を抱えているわけです。本来ならば、整合性や正当性を突き詰めなければならないはずです。

 

ところが、何人かの「リベラル」の言論人は、無邪気に、自分は、誰もが納得するべき理知的な考えを、朗々と言い聞かせているのだ、と信じ切っています。

 

論理に齟齬があるのに、理論構築をしたり理論武装したりすることなく、放置しています。

 

小手先の理屈で言いくるめられると思っているわけです。

 

ある意味で、「世間」をみくびっています。

 

 

「もりかけ」などの一連の問題で、「世論」を巻き込むことができないのも、「論理の欠如」があるからです。

 

 

 

2つ目です。「リベラル」が、自分たちは「正義である」と考えている点です。

 

現代の「リベラル」のエッセンスを一言でいえば、それは「弱者を助けよう」という「善意」です。

その情動は、尊いものです。

 

しかし、何人かの「リベラル」の言論人は、自分は道義的に正しいことをしていると信じ切っているために、別の考えをもつ人を、反射的に「不道徳」であると考えてしまいます。

 

そのために、何人かの「リベラル」の言論人は、「道義的高み」から、高説を説くがごとく弁舌を奮います。

 

威勢よく強い言葉で「相手」を論難するのは、当人は充足した気分になるでしょうが、それをはた目でみている人は、良い印象を持たないかもしれません。

 

 

また、自身を絶対的な「正義」であるとする考えは、言動に歪を生み出します。

しばし人間は、「大儀」のために、「小さな不義」はやむを得ない、と考えがちです。

 

 

もう一点指摘します。「リベラル」の大きな特徴のひとつは、「道徳性」を、政治的に重要な争点であるとみなす点です。

 

もちろん、自分たちの政府を、「精神的に」信頼できるかどうか、というのは重要なことです。

 

しかし、自らが「道徳性」を持ち出した以上、自身にも「道徳性」が突きつけられてしまうわけです。

 

昨今、「ブーメラン」という俗語が日本の政治の文脈に定着しつつありますが、それは、まさに現代日本の「リベラル」の「現状」を、過不足なく物語っています。

 

 

 

3つ目です。「リベラル」が、自分たちは「支持されている」と考えている点です。

 

「リベラル」は、自分たちは正しいことを言っていると自認しています。

したがって、分別を持った人々は、「実際には」自分たちを支持しているはずだ、と考えがちです。

 

今、劣勢に立たされていても、「うまいやり方」をすれば、「支持」が戻ってくると考えるわけです。

 

 

その「驕り」は、判断を狂わせています。

間違った現状認識のもとで方針を決めたり計画を立てたりするために、思いどおりの「結果」が得られません。

 

 

また、「リベラル」が、オールドメディア、つまり、「マスコミ」に依存する傾向が強いことも、「世論」を読み誤る原因となっています。

 

日本社会は、すでに「インターネット」の影響力がオールドメディアを凌駕する時代に突入しています。

 

しかし、「リベラル」は「インターネット」に対する「不信」に囚われてしまっているために、「インターネット」を有効に活用する路線を打ち出せません。

 

 

先日の世論調査で内閣支持率が上昇しましたが、安倍政権に対する「リベラル」の認識と「世論」の「乖離」は、ある種冷酷な「現実」を突きつけます。

 

「リベラル」の言論人の中には、安倍政権の支持率が下がらない今の世の中はおかしい、と考える人もいます。

 

人間社会に「不条理」が蔓延していることを否定するつもりはありませんが、眼前の「現実」と向き合わなければ、「リベラル」の低落に歯止めがかかることはないでしょう。

 

 

 

4つ目です。「リベラル」が、自分たちの方法論は「効果的である」と考えている点です。

 

日本の社会も日本の政治も「新しい時代」に入っているのですが、「リベラル」の「方法論」は旧来のままです。

 

「成功体験」に固執して、同様の手法で「政治闘争」を繰り返しますが、それは機能しなくなっているのです。

 

「相手」の「人間性」を問題にして、政策や人事の批判につなげ、それを撤回させたり譲歩させたりするやり方は、一昔前には非常に有効でした。

 

しかし、現在はむしろそういった手法は「逆効果」になりつつあります。

 

また、テレビや新聞、週刊誌などのオールドメディアと連携して、「世論」を喚起する方法も、効果が薄れています。

 

「大騒ぎ」をして、さも「相手」が「とんでもないことをやらかした」ということを喧伝するような立ち回りは、もう、見切られています。

 

 

ついでにいえば、世論調査などで、「もりかけ問題」を追求すべきだ、という回答が7割くらいあって、それで、意気盛んになって「もりかけ」に邁進するのも大きな錯誤です。

 

はっきりいってしまえば、ほとんどの日本人は、もう、「もりかけ」に興味がありません。興味のない人間に聞いているわけです。興味のない人間は、質問者が望んでいる回答を汲み取って、「そう答えてあげる」わけです。

 

それで、「もりかけ」が立ち消えになるのは、よいか悪いかといえば、あまりよくないとは思いますが、しかし、「そうさせた」のは「もりかけ」に執心している人たちです。

 

 

 

総じていえば、「リベラル」には、いまだに「過信」があります。

 

それが「リベラル」の低落をもたらしています。

 

 

(ivy 松村)

 

 

 

アメフト・タックル問題について

大学アメフトの件が「炎上」し、「社会問題」となっています。

 

「危険なタックル」を実行した選手の記者会見と、その大学の「指導者」の記者会見の「凄惨なコントラスト」が、この問題を一層大きな社会的関心事に祭り上げてしまいました。

 

責任ある立場の老人は、不毛な「現在」を、死守しようとしています。

 

一方、才能のある20歳の若者は、洋々たる「未来」を、自ら閉ざすと言い切りました。

 

 

 

物騒なことですが、「相手を潰せ。」という極めて野蛮な言葉は、確かにスポーツでよく使われるフレーズにちがいありません。

 

しかし、スポーツの世界では、広く一般に、「相手を潰せ。」というのは「比喩表現」であると周知されています。

 

この言葉が、アメフトで日常的に使用されるものであるというのであれば、それこそ、選手が、その意図を間違って認識することはあり得ないでしょう。

 

健全な指導を受けてきたはずのスポーツマンが、果たして「そのような非道な勘違い」をするのか、という疑問があります。

 

「指導者」たちは、「特別な意図」を込めて、この言葉を発したのだろうと思わざるをえません。

 

 

 

「指導者」たちの記者会見では、あの「犯罪的なタックル」は、選手が、監督、コーチの「意図」を誤解してしまったために起こったものだと説明されました。

 

誰が悪いのか、という追及を逃れるためには、自分以外の誰か、が「悪者」でなければなりません。

 

あの神妙な表情のコーチは気づいているのでしょうか。次は自分だ、ということに。

 

 

 

「名門」のチームの監督、そして選手が、どのようなものなのか、わかったような気がします。

 

「そのようなチーム」の監督は、選手に対してコツコツと指導したり、細々と指示を出したりはしないわけです。日本代表に選ばれるような選手でさえ、普段、監督とまともに話したこともないわけです。

 

毎日の練習の「指導」は、10人以上のコーチ陣が担当していて、試合直前になって、監督が突然何かを言ったりするわけです。

 

 

昨年、監督が再就任した直後に大学日本一になったということですが、それは優秀なコーチ陣が作り上げたチームだったのかもしれません。

 

そうだとしても、その「栄誉」を一身に受けるのは、「責任者」の立場にいる人間です。

たとえ、強いチームが出来上がった後に、急に舞い戻ってきたのだとしても。

 

今年再び大学日本一になり、さらに翌年の「ライスボール」に優勝すれば、記念となる年に、華をそえることができたでしょう。

もしそうなれば、その「業績」は、さぞ、学内で讃えられたことでしょう。

それは、「その後」にとって大変意味のあることだったのかもしれません。

 

 

それにしても、彼らは、一体どれほどの「代償」を支払うことになるのでしょうか。

 

 

 

この「事件」は、人間社会の断面を暴き立てる、普遍的なテーマ性を持ったひとつの「悲劇」です。

 

もし、今が江戸時代であったら、歌舞伎や浄瑠璃の題目となり、未来に語り継がれるものとなったかもしれません。「忠臣蔵」のように。

 

 

 

あの会見は、素晴らしく優秀な「弁護士」が、見事にコントロールしていました。

ただ一点、「笛の音は聞こえていた」という返答を除いて。

 

 

私たちは、彼が、入念な「打ち合わせ」を行って、会見に臨んだことを知っています。

 

 

それでも、胸にこみあげるものを抑えることができないのです。

 

 

 

記者たちは、その異常な指示を、拒絶することはできなかったのか、と問いただします。

 

同時に、彼らは、気づいています。

 

目の前にいる、真摯な、外連味のない健気な青年が、実は、自分の「写し鏡」であるということを。

 

私は、「記者」という種類の人間の「業」を非常に良く理解できます。

 

そして、それは、あの場にいた記者だけの話ではないのです。

私たちの社会には、「同じようなタックル」を実行した人間が、あまりにも多すぎるのです。

 

 

 

彼のことをよく理解できる人間と、理解できない人間がいると思います。

 

それは、良いことでもあり、悪いことでもあります。

 

彼を思いやることができる人間が、この世界には必要です。

しかし、そのような人間は、本当は、この世界には存在してはいけないのです。

 

 

 

いろいろとツッこみを浴びることを承知の上で、個人的な思いを述べるなら、私は、彼に、NFLに挑戦してもらいたいと思っています。

 

 

 

この「事件」が、私たちの社会に多くの「教訓」をもたらすことを願っています。

これが、単なる「悪」を懲らしめて心を晴らすストーリーで終わらないように。

 

 

私個人は、この「事件」は、インターネット社会にひとつの「画期」をもたらしたと感じています。

 

問題の発覚と拡散の仕方は、いかにも現代的でした。

 

社会的な問題の経緯や推移が可視化され、多くの人に検分されてしまう時代になったため、当事者が情報をコントロールすることが、非常に難しくなりました。

「民意」を鎮静化して「幕引き」を図ることは、ある種「技術的なオペレーション」となりつつあります。

 

旧来の対処法やリスクマネージメントは、有効ではなくなったばかりか、「逆効果」をもたらします。

 

それから、「記者会見」はこれから様変わりすると思います。

「会見」は、「マスコミ」にではなく、直接「世間」に言葉を届けるようなものになるでしょう。いずれ、「記者」を呼ぶ必要さえなくなるかもしれません。

したがって、「記者」の役割も少しずつ変化していくと思います。その場に臨席する「記者」は、「『世間』が求めている質問」を当意即妙に切り出すことが求められるようになるでしょう。

 

 

 

それにしても、あまりにも多くのことを考えさせられます。

 

しかし、この「報道」に触れてからずっと、ズシリと、私の脳裏を占領し続けているのは、あの発端の「2秒間」なのです。

 

 

 

ボールを投げ終えたクォーターバックに、体をぶつけるまでの2秒間

 

心中に湧きあがろうとする良心を押さえつけて

感情を消し去り

一心に「悪意の塊」であろうとする

 

「逆切れ」し、別の選手を突き飛ばし、退場になった3つ目の反則は

意識的にやった、というが、あれは「心」を失った人間の自暴自棄だった

 

 

あれが、「修羅」というものなのだと思う

 

 

その凍てついた心象を思うたびに、戦慄して涙が出そうになる

 

 

「大人」が、「教育者」が、あんなことをさせてはダメだ

 

 

 

(ivy 松村)

政治の話⑥(「排除の論理」)

東京都知事の小池さんが立ち上げた希望の党は、とうとう「解党」してしまいました。

希望の党と民進党が「合流」し、国民民主党が立ち上げられました。

 

 

昨年の秋の衆議院選挙で、躍進すると目されていた希望の党は、選挙戦の中盤に入って、急失速し、「惨敗」を喫することになりました。

 

それは、世間一般に、「排除発言」が原因であると考えられています。

 

しかし、実際には、希望の党の「敗因」は「排除発言」ではありません。

 

 

むしろ、「排除しなかったこと」が原因でした。

 

 

 

「排除」という言葉が大きくクローズアップされてしまったために、大きな勘違いが広まっています。

 

小池さんは、当時、党組織の「収容力」と「処理能力」を大きく超える、限界以上の人数に公認を出しました。

 

小池さんは、多くの「リベラル系」の民進党員を受け入れたのです。

それが、その後の希望の党の迷走の大きな原因になるわけですが、混乱が引き起こされるリスクを背負って、「リベラル系」の候補者を合流させたのです。

 

 

それは、「数」が必要だったからです。

 

小池さんは、総理大臣の椅子を狙っていたと思います。

そのために、自身の政党である希望の党所属の衆議院議員の人数をできる限り増やしておく必要があったわけです。

 

小池さんは、「保守系」の政治家で、自民党出身です。

おそらく、小池さんは、一定数の議席を確保したうえで、自民党内の「反主流派」や他の「保守系」の議員とうまく連携できれば、連立内閣を成立させることができると考えたのではないかと思います。

その「流れ」の中で、自身が衆議院議員に「くら替え」する機会を見定めようとしていたのかもしれません。可能であれば、自身も即座に衆議院に立候補、無理であれば、いずれかのタイミングで再度政局を仕掛ける、というような算段だったのかもしれません。

 

 

 

小池さんは、国会内で自身の影響力を確保するために、政治的な考えがまったく違う大勢の「リベラル系」の政治家を飲み込んだわけです。

 

したがって、「排除した」と非難されるのは、かなりの「見当違い」だといえます。

 

 

小池さんが「惨敗」を喫してしまったのは、むしろ、そのために「保守層」の支持が離れてしまったからです。

 

「ここ」の分析を誤ってしまうと、野党も、そして与党も、今後、選挙で同じような失敗をしてしまうでしょう。

 

 

 

直前まで、小池さんが選挙で無類の強さを発揮することができたのは、コアとなる「保守層」の支持に加えて、幅広い層からの支持を取り込むことに成功したからです。

 

実は、「改革派の保守」というのは、現代の日本で最も訴求力のある政治家像です。

 

小池さんは、非常にうまくメディア戦略を展開し、期待される政治家のイメージを具現化しました。

小池さんが「世論」の安定的な支持を得ることができていたのは、「守旧勢力」と対決しながらも、「リベラル」に対して毅然とした姿勢を見せていたからです。

 

 

しかし、昨年の衆議院議員選挙では、「数」を得るために、これまで堅持していた姿勢を崩し、「リベラル」の勢力を党内に取り込みました。

 

そのために、自身の人気の「基調」であった「保守層」の支持を手放すことになってしまったたわけです。

 

 

 

小池さんには、いくつかの「計算外」がありました。

 

そのうち、もっとも大きなものは、当時の民進党の代表だった前原さんの「振る舞い」でした。前原さんが、民進党の候補者「全員」で希望の党に合流することを目指したために、小池さんは、「リベラル色」の強い「左派」の政治家は受け入れない、と「宣言」する必要に迫られたわけです。

 

前原さんは、旧民進党に所属していましたが、「保守系」の政治家です。したがって、小池さんとは政治的な考えが近い政治家です。そのために、「合流話」がうまくまとまったわけですが、当然、「左派」の政治家を受け入れないということも、含意されていたはずなのです。

実際、前原さん自身は党内「左派」の対応に苦慮していました。

 

かなり大掛かりな政局工作が仕掛けられたわけですが、2人は、自民党に対抗する「保守の第二極」を作るという目的で、一致したのだろうと思います。

 

 

ところが、前原さんは、党内の「合意」を得る過程で、にわかに「情緒的」になってしまい、「左派」を「切る」ことを明言するのを躊躇してしまいました。

 

前原さんは、党員に対して、誰が合流を許可され、誰が許可されないのか、さも小池さんの一存で決まるかのように説明してしまったのです。

 

そのうえで、「全員が合流できる可能性もある」というような、その場しのぎの言葉で、いうなれば、まさしく「希望」というものを、「全員に」与えてしまったのです。

 

それは、なかなか強烈な皮肉です。

 

恐らく本当は、前原さんには、党員たちの「運命」が見えていたはずです。

 

 

ただ、私は、個人的には、少しばかり前原さんに同情する余地はあると思っています。

 

喉元過ぎれば熱さを忘れる、ということなのか、多くの人はたった数か月前のことを忘れ去っていますが、衆議院の解散が決まったとき、民進党は、異常な空気に包まれていました。

あのまま選挙に突入していれば、民進党の崩壊どころか、日本から「リベラル」が駆逐されていてもおかしくなかったわけです。それは、当事者である民進党の議員のほうが、よりリアルに理解していたはずです。

後日、前原さんは、希望の党に合流できなかった「左派」の候補者から非難を浴びましたが、「左派」の政治家が、自身の政治信条と小池さんの政治信条を照らし合わせて、同じ政党に所属できると本気で考えていたとするなら、ずいぶん面の皮が厚い、と思います。

 

 

 

さて、何度も言及しているように、小池さんは「保守系」の政治家です。

「リベラル」の政治家とは、政治に対する考え方が大きく違うわけです。したがって、「リベラル」の政治家を受け入れない、という判断は、極めて合理的なものです。

 

 

ところが、「排除発言」は、非常に大きな「非難」を浴びることになりました。

 

 

「排除」という言葉に過敏に反応したのは、「リベラル系のマスコミ記者」でした。

「排除」という言葉が、「リベラル的価値観」を強く刺激したのかもしれません。

 

 

「排除発言」が、「世論」の逆風を招いた、というのは、一般的に信じられている「マスコミ」のロジックですが、実際には、別の「原理」が働いて、希望の党は失速したわけです。

 

 

希望の党は、あてにしていた「保守層」の票を失ったのです。

 

 

さらに、失った票があります。それは、立憲民主党に流れました。

 

 

先の衆議院議員選挙では、立憲民主党は、「リベラル」の票に加えて、希望の党から流れてきた票を得ることができました。

 

 

立憲民主党を浮上させたのは、その、ある特殊な「票」の集まりです。

 

日本の選挙の特徴のひとつは、「信条」ではなく、「心情」で投票する有権者が一定数いることです。

政党や政治家の公約や実績ではなく、その候補者を「応援したい」という気持ちに突き動かされて、投票する「人情票」が存在します。

 

 

今回、立憲民主党に投票した一部の層は、その前の都知事選では、小池さんに投票したでしょう。

その層は、政権交代をしたときの民主党に投票したでしょう。

その前は、小泉さんに投票したでしょう。

 

 

つまり、そのときそのときの選挙で、「その候補者が当選したら面白そうだ」あるいは「その政党が勝ったら痛快だ」というような「感情」にもとづいて投票するわけです。

 

 

「人情票」は「無党派層」と混同されがちですが、立候補者の身の上や人物像に対する「好感度」、あるいは、対立候補に対する「嫌悪感」が投票の「動機」であるという点で、観点が異なります。

 

 

「人情票」は、「数」としては限定的ですが、まとまった票が一斉に動くので、条件が合わさって発動したときには、「劇的な結果」に繋がりやすくなります。

 

 

前回の選挙で、立憲民主党が躍進しましたが、これを「額面どおり」に受け取るのはとても危険だと思います。先の衆議院選挙では、様々な「フィルター」が作用したことが、「票」に結びつきました。

 

もし、今、選挙になれば、かなり深刻な状況になってしまう可能性があります。

 

 

 

それにしても、「一寸先は闇」という言葉がありますが、政治の舞台も、明日をも知れない世界です。

枝野さんが再び表舞台に立ち、小池さんは挫折しました。

 

 

なぜ、小池さんは「あのタイミング」で勝負をかけたのか、いろいろ考えます。

 

もし、「あの選挙」のとき、「党勢の拡大」ではなく、「堅実な足固め」に徹していれば、今、小池さんは、「最大のチャンス」を迎えていたはずです。

自民党内の「反主流派」と一部の野党勢力を結集して、「首班指名」を実現できたかもしれません。

 

もちろん、ただの「結果論」に過ぎませんが。

 

 

これは、まったくの個人的な想像ですが、小池さんの政治家としての「原風景」に、1993年の「政変」が刻印されているのかもしれません。

 

この年、戦後の日本政治を独占し続けた自民党を打ち倒し、細川内閣が成立しました。

小池さんは、細川さんが率いた日本新党の一員として選挙を戦い、日本の政治史にエポックを刻んだのです。

 

あのときの「熱」が、小池さんを突き動かしていたのかもしれません。

 

それから、これも単なる想像ですが、アラブ諸国で連鎖的に起こった政治運動、「アラブの春」に政治家として感応したのかもしれません。小池さんは、アラブ世界に通じた稀有な政治家でした。

 

 

 

いずれにしても、小池さんの「関ヶ原」は終わりました。

 

 

小池さんには、ぜひ都政を良いものにしてもらいたいですね。

オリンピックもありますし。

 

 

その一方、国民民主党は、どうなっていくのでしょうか。

 

 

 (ivy 松村)

 

 

政治の話⑤(「多様性」)

「多様性」というものが良いことである、という観念は、極めて現代的なものです。

 

第二次世界大戦後、「秩序」や「同質性」、「整然とした社会」のイメージは、ファシズムや軍国主義と深く結びつけられ、悪質なものであるとみなされるようになりました。

 

また、前世紀の後半には、個人の「主体的な生」を抑圧する古い社会因習を打破し、個人は、多様な人生のありかたを自由に選択するべきなのだという考えが広まりました。

 

これが「リベラル」の思想的ルーツです。

 

20世紀をとおして、「多様性」は社会の理想的なあり方を示す「キーワード」であるという認識が強められました。

 

現代、「多様性」という概念は、あらゆる「社会思想」においても「重要な位置」を占めているといえます。

 

しかし、ここ数年、「多様性」を重視すべきであるという考えが深く浸透したはずの「先進国」で、これに「逆行」するような動きが強まっています。

 

 

「多様性」について、少し考えてみましょう。

 

 

 

「多様性」が「有益なもの」であるという「見解」は、社会科学的な観察や考察の中から生まれたものではありません。

 

おそらく、生物学的な所見がその基底にあります。

 

よく知られているように、「生態系」における「生物の多様性」は、「自然環境」に強度をもたらします。

 

 

社会学という学問の中に、「社会有機体説」、「社会システム理論」といった考え方があるのですが、これらは、生物学をベースにしたものです。つまり、社会学は、古くから生物学に着想を得てきたわけです。

 

「多様性」を「社会的概念」として導入することは、少なくとも社会学にとってはまったく「自然な発想」であったといえます。

 

 

生物学的な知見に重ね合わせるように、「人間社会」にとっても「多様性」が重要であるという考えが、広く普及しました。

 

 

「多様性」という概念は、本来「人間社会」を対象とした研究から惹起されたものではありません。

そのため、「人間社会」における「多様性」の議論には、いくつかの見落としがあります。

 

 

 

たくさんの種類の生物が生息する「生態系」のなかで、動植物は「共生」しているというように、説明されます。

それぞれの動物たちは、お互いに気を使いながら、仲よく、ほほえましく暮らしているというイメージを思い浮かべてしまいます。

 

しかし、実際には、それぞれの個体は、自分が生き延びるために、自分より弱い個体を捕食しようと五感を研ぎ澄ませ、常に機をうかがっているわけです。

弱い個体は、天敵に捕食されないために、神経をすり減らしながら逃げ惑っているわけです。

 

生物が多様であるということは、別の面では、生存競争が活発であり、苛烈であるということを示唆するはずです。

 

 

「生態系」の「実像」から切り離されて、多様な存在が「同居」しているという表面的なイメージだけが共有されるようになると、多種多様な個体が「弱肉強食」の世界でしのぎを削っているというような「リアリティ」が抜け落ちてしまうわけです。

 

 

 

「自然環境」における「生態系」という観点を持つとき、私たちは、自身を「生態系」の「外側」に置いています。したがって、自身を、その中の「多様性」を担う存在として認識していません。

 

一方、「社会」にとっての「多様性」を考えるとき、私たちは、その社会の構成員であるという前提に立ちます。自身は、「社会」の「内側」に置かれているわけです。

 

 

 

「生態系」に「多様性」は必要か、と問われて、「否」と答える人は、まれです。

自分の生活にとって、眼前の利害と関係しない「議題」を否定する意味はありません。

 

ところが、「社会」に「多様性」は必要か、と問われれば、それは、たちまち複雑な「議題」となり変わります。

 

 

「社会的な多様性」について考えるとき、人は、自分自身が帰属する「コミュニケーションの地平」に「他者」を受け入れるべきかどうか、という「現実」と向き合わなければならなくなるからです。

 

自分の帰属する社会あるいはコミュニティに「他者」が参入することが、自分にとって「プラス」になるという立場の人は「賛成」するでしょう。

 

逆に、それが「マイナス」になるという立場の人は「反対」するでしょう。

 

 

 

「多様性」に恩恵を受けている人は、これを肯定します。

 

「多様性」の恩恵を受けやすいのは、上位の社会階層に帰属する人です。

 

たとえば、大学のような研究機関や多国籍企業は、多様な地域から有能な人材を集めます。

「開放的」な組織に属し、「多様な背景」を持った優秀な同僚、上司部下と接する機会の多い人は、「多様性」の素晴らしさを享受します。

 

また、研究者は、世界中の研究者と交流する必要があります。企業は世界中で取引を行い、世界中で製品を売る必要があります。グローバル化を推し進める組織の中では、閉鎖的な思考が育まれる余地はありません。

 

さらに、スポーツ選手、芸術家、音楽家、俳優、作家等も同様の視点を持つ人が多いでしょう。

 

 

 

ここで、私たちは、現代社会において「多様性」が「社会」にとって良いものであるとみなされていることを思い出します。

 

一般的に、「多様性」を否定することは不見識な行為であるとみなされます。

「他者」を快く受け入れる寛容な心を示すことが、優れた「人間性」の証であると考えられているわけです。

 

そこで、私たちは、公に「多様性」を否認するようなことを慎むわけです。

 

そして、「多様性」を否認していると受け止められるような誰かの言動に触れたとき、即座にこれを咎め、抑え込もうとします。そうすることで、自分自身の器量を誇示することができるわけです。

 

 

 

ひとつの、捨て置かれている「視点」を指摘することができると思います。

 

すなわち、全員が、というつもりはありませんが、少なくとも一部の「多様性の守護者」は、「多様性」を肯定することで、自尊心を満たしているのだ、といえるわけです。あるいは、自身の人格の高潔さを世間に知らしめようとしているのだ、といえるわけです。そして、多くの場合、「彼ら」は「安全な場所」にいます。しかも、そのことに無自覚です。

 

 

 

さて、今の時代に、「多様性」の「神話」を疑う声が広がりつつあります。

 

多くの国で、社会的な葛藤が引き起こされています。

それは、ある意味で、社会階層間の相克でもあるわけです。

 

それはまた、その国の社会の「分断」が進行していることを物語っています。特に顕著なのが、アメリカ合衆国です。

こうして、ひとつの社会の中で、それぞれの人々が、別々の「地平」を生き、別々の「社会観」を持つわけです。

 

 

これはある意味で喜劇、同時に悲劇です。

 

 

皮肉なことに、「多様性」に否定的な人は、「同質的な社会」を希求しながら、その意思を「同胞」に否定されるわけです。

 

「多様性」に肯定的な人は、「排他的な人たち」よりも「多様な背景を持つ人々」との親交を大事にします。

 

 

さらに、皮肉なことに、「多様性」に肯定的な人は、「多様性」を否定する人々の存在もまた、「多様性」の一部である、という単純な事実に気づきません。

 

 

「多様性」を否定する人々を否定することは、「多様性」を否定することになるわけですが…。

 

 

 

 

 (ivy 松村)

 

政治の話④(「マスコミ」)

安倍内閣の実質的な「ナンバー2」である麻生財務大臣と「マスコミ」の記者の対立が先鋭化しています。

 

麻生大臣が担当する財務省は、「一連の問題」の「震源地」となりました。

 

一部の記者が麻生さんに刺激的な質問を浴びせ、それに対して、麻生さんは歯に衣着せない辛辣な口調で記者に「反論」する様子が、テレビや新聞に度々取り上げられています。

 

 

麻生さんは、先の総理大臣時代に、自らの発言を「マスコミ」に何度も悪意的に取り上げられた苦い経験があります。

マスコミの「キャンペーン」と、いわゆる「リーマンショック」などによる世界的な経済危機への対応に苦慮し、麻生政権はじりじりと追い詰められました。

 

麻生さんには「マスコミ」に対する、大きな「遺恨」があるわけです。

 

 

一方、「マスコミ」にとっては、麻生さんは「旧弊」を絵に描いたような横暴で独善的な政治家に映ります。

一部の「マスコミ」の記者は、是が非でも麻生さんから「失言」を引き出し、それを政権批判に結び付けようと躍起になります。

 

第二次安倍政権が発足した後も、閣僚となった麻生さんの「失言」は何度も「マスコミ」で取り上げられました。

 

しかし、それは、政権に、大きな「ダメージ」を与えていません。

 

「マスコミ」は、さらに必死になって麻生さんの「失言」を大々的に取り上げますが、思ったように「世論」を喚起することができません。

 

 

 

いまや、麻生さんが総理大臣だった「10年前」とは違います。状況が劇的に変化しています。

 

完全に「潮目」が変わり、「失言」のような小手先の「陥穽」で、政権を追い落とすことができるような時代ではなくなっているのです。

 

 

もちろん、許されてはならない言語道断の「問題発言」をする政治家がいます。社会的に認められはない発言をしてしまった政治家は、その責任のありかたを問われるべきです。

 

過去に、何人もの国務大臣が、呆れるような「舌禍」をさらし、更迭されました。

 

 

しかし、特定の政治家を追い詰めるために、文脈から切り離された「一部の発言」を糾弾するような手法は、もはや実効性が無くなりつつあります。

 

「そういった手法」が効果的でなくなったばかりか、むしろ「そういった手法」が即座に見ぬかれ、逆に非難を受ける時代になったわけです。

 

 

 

「世論」への「マスコミ」の影響力が弱まっているのは、「マスコミ」の報道に対する「不信感」が高まっているためです。

「マスコミ」の報道は公平中立ではなく、強いバイアスがかかっていると、知られるようになりました。

 

特に「インターネット」は重要な役割を担いました。

 

 

一部の「マスコミ」は、いまだに「インターネット」の影響力を軽視しています。

 

 

「インターネット」の「プラットフォーム」には、あらゆる「個人」、あらゆる「組織」から多面的な情報が集積されます。また、そこから、広範に情報が拡散されます。

 

 

「人間」を軽んじている人間は、より多くの人間が介在すれば、信用できない情報があふれることになる、と考えます。しかし、実際には、「その反対」が優位となります。

 

つまり、多くの人間が介在することによって、より論理的でより整合的な情報が選択され、拡散されるのです。

 

「マスコミ」に限らず、多くの「識者」は、「インターネット」の「多参性」というものを過小評価しすぎていると思います。

 

 

どこの誰が発信したのかわからない情報は、確かに存在します。なかには、それを無条件に信じる人もいるでしょう。

しかし、「インターネット」の利用者の多くは、「どこの誰が発信したのかわからない情報」であるからこそ、その情報が信用できるかどうかを示す「根拠」を重視します。

 

いわゆる「エビデンス」というやつですね。

 

 

(それとも、単純に、情報を使って人々を扇動しようとする人間ほど、他人も同じように、情報を使って人々を扇動しようとするはずだ、と考えるのかもしれません。)

 

 

 

これまで、「マスコミ」はその強大な「影響力」を集約的に動員することで、「ここぞ」という場面で政治状況に「加担」してきました。

安倍さんも麻生さんも、過去に、煮え湯を飲まされてきました。

 

しかし、現代、「マスコミ」は、政治を左右する力を失いつつあります。

 

その事実は、「マスコミ」に強烈な焦燥感をもたらしています。

 

 

 

財務事務次官が辞任に追い込まれた問題は、「政治」と「マスコミ」の間に横たわる「溝」を、修復不可能な深奥としました。

 

当然、「リテラシー」を有した人は気づいていますが、これは、「表面的な問題」と「本質的な問題」が別、なのです。

「マスコミ」は、自身の体質を棚上げして、これを「倒閣」の材料に加えようと「決断」しました。その「報酬」として、政治家、官僚さらには財界人、学者、専門家、もっといえばジャーナリストも、「マスコミ」に過度に近づくべきではない、との共通の認識を持つに至りました。

特に政治家と官僚は、今後「マスコミ」と「深奥な距離」を保つように努めるでしょう。それは、どうしても合理的、常識的な判断であるといわざるをえません。

同時に、「マスコミ」の取材は、やはり「自制」すべきものになりました。

それが「マスコミ」の「要望」であるというわけです。

 

 

 

さらに、安倍政権と「マスコミ」の「確執」には、別の「根本的な要因」が存在することも指摘しておかなければなりません。

 

安倍政権は、新聞社とテレビ局の「特権」の廃止に向けて動き出しています。

具体的には、新聞社の税制上の優遇を撤廃し、テレビ局の「既得権益」を潰そうとしています。

 

「マスコミ」が安倍政権に対して闘争的なのは、自身の存亡が、政権の存亡と「背中合わせ」になっているからです。

さて、果たして、どうなることに、なるのでしょうか。

 

 

 

それにしても麻生さんの「マスコミ」に対する「攻撃的な態度」は、ちょっと気になります。

 

財務省の「公文書書き換え問題」は、麻生さんと熾烈に「やり合っていた」報道機関のスクープでした。また、その報道機関と関係の深い別の報道機関は、財務次官の問題にも関与していました。

 

これらの報道によって、麻生さんは財務大臣を辞任せざるを得ない状況に追い込まれる可能性がありました。

 

当初、私は、麻生さんの「ストレス」が言動にあらわれているのかもしれないと考えました。

 

しかし、その後、「一連の問題」が収束しつつあるにもかかわらず、麻生さんの「マスコミ」に対する姿勢は、あまり変化しませんでした。

 

 

もしかすると、麻生さんは、もはや「マスコミ」に対して「取り繕う必要はない」、と考えているのかもしれません。

 

 

あるいは、別の可能性もあります。

 

麻生さんは、秋以降、財務大臣ではなく、別のポストに就任するのかもしれません。

それは、もしかすると「党務」のほうなのかもしれません。

 

安倍さんは、果断に「人事の変更」をします。

安倍政権について、「お友達内閣」などと揶揄されることがありますが、安倍さんは、「抜擢」が多く、同時に「見切り」も早い政治家です。

 

(本当のところをいえば、「お友達内閣」という評論は、「リベラル」な人物を排除する安倍さんの姿勢を批判する物言いなのです。)

 

実は「大胆な人事」というのは、安倍さんの政治家としての「特徴」のひとつです。

(これは、個人的には、小泉さんの影響が大きいと思います。)

 

安倍さんの「人事」については、決断力があるともいえますが、同時に「情が薄い」と考える人もいるかもしれません。

 

 

安倍さんと麻生さんが二人だけで会合をしたというニュースを、けっこう気にしているのですが、どうなんでしょう。気になりますね。まあ、秋までに状況に変化があるかもしれませんし、今はわかりませんね。

 

 

 

 (ivy 松村)

 

 

政治の話③(「倒閣運動」)

国会の「攻防」が激化しています。

「正念場」となったこの2か月、数々の「問題」が矢継ぎ早に噴出し、「野党」の攻勢に拍車がかかりました。

 

 

「野党」には、この通常国会の会期中に、どうしても安倍政権に「致命傷」を与えておかなければならない「事情」がありました。

ある意味で、数々の「問題」は、そのために「用意されたもの」であるといえます。

 

 

 

秋に、自民党の「総裁選」が行われます。

 

もし、そこで、安倍さんが自民党の総裁に選ばれず、他の誰かが新しい自民党の総裁に選ばれれば、結果として、安倍政権は幕を閉じることになります。

新しい総裁が、内閣総理大臣に指名されることになるからです。

 

そうなれば、現在の日本の「野党」の「最優先の目的」である、「倒閣」が実現するわけです。

 

 

通常国会が終われば、国会は「夏休み」に入ります。

そうすると、「野党」が、安倍政権を直接攻め立てる機会は完全に失われます。

 

したがって、今このときに、安倍政権が危機的な状況を迎えているという「空気」を、大きくふくらませておく必要があったわけです。

 

 

 

「野党」にとって「政権交代」は、もはや現実的ではありません。選挙では、勝てる見込みがないからです。

 

そこで、自民党内で働く「力学」に刺激を与えることで、「安倍おろし」を実現させたいと考えているわけです。

 

 

現職総理大臣に対する「世論」の反発が盛り上がれば、自民党内で現職総理大臣の求心力が低下します。現職総理大臣が「トップ」のままでは、選挙に勝てなくなると考える党員が出てくるからです。

 

また、次の総理大臣の椅子を狙う自民党の政治家の活動が活発になります。

現在の「トップ」を追い込むことが、自分にとって「プラス」になるからです。

したがって、党内の「権力争い」が顕在化します。

 

 

「野党」にとって、自民党は倒すべき敵ですが、自民党内には、「同じ目的」を持った「敵の敵」がいるわけです。そこで、「野党」は、自民党内の実力者に、それとなく「呼応」を促し、安倍さんの失脚につなげようと考えます。

 

このような、他の政治勢力に対して協力関係を求める態度を、政治の文脈で「秋波をおくる」と表現します。

 

よくニュースを見てみると、「秋波」に反応しようとしている自民党の政治家がいることがわかります。ときに、自民党の政治家が、政権批判を行ったりすることがありますね。

 

 

 

現在の「与党」の最大勢力である自民党の「トップ」を決める「総裁選」は、総理大臣を決定する「プロセス」でもあります。

 

「野党」の、内閣に対する激しい攻撃は、自民党内部に揺さぶりをかけようという意図があるわけです。

 

 

 

この2か月の「攻防」は、戦後政治史に残るほどの無軌道ぶりをみせ、苛烈を極めました。

 

しかし、「野党」の目論見は、徐々に腰砕けになりつつあります。

 

現状では、安倍体制の牙城を崩すことはできないでしょう。

 

安倍さんは、非常に巧みに自民党をまとめています。

秋の「総裁選」では、安倍さんが再選される見通しが強まっています。

 

 

 

安倍さんの自民党内の「ガバナンス」が安定している理由をいくつか挙げることができます。

 

 

1つ目は、安倍さんの「選挙の強さ」です。

 

第2次政権以降、安倍さんは、都知事選、都議会選では苦杯を喫しましたが、国政選挙では、無類の強さを発揮しています。

 

国民人気の高い安倍さんが「総理・総裁」であれば、自民党の政治家は当選する可能性が高くなるわけです。

 

 

2つ目は、党の「執行部」の「集権化」が進んでいることです。

 

自民党では、かつて「派閥政治」が横行しました。

現在も「派閥」の枠組みは温存されていますが、もはや「派閥」単位で選挙を戦う時代ではなくなりました。衆議院で小選挙区制が導入されたことや政党助成法ができたことで、「執行部」(特に幹事長)が、公認や資金の分配などの権限を持ちました。

それによって、2000年代中ごろから、自民党は、ボトムアップ型の組織からトップダウン型の組織へと変貌しました。

 

 

 

3つ目は、安倍さんの「後継者」がいまだに頭角を現していないことです。

 

これは、同じように長期政権を担った小泉さんとは対照的です。

小泉さんはその執政期に、安倍さんを含め、多くの後継者候補を育てました。

 

 

 

そして、4つ目は、安倍さんの「トップ」としての資質です。

 

安倍さんは、他の政治家とは異質な「感性」を持った政治家だと思います。

それは、安倍さんの「キャリア」と関係しているように思います。

 

 

安倍さんは、世襲政治家でありながら、長い「下積み時代」を経験しています。また、当初は民間企業に勤めました。

 

安倍さんは、しがらみや固定観念にとらわれず、適材適所に人を配置します。人の能力を引き出す術を知っている人だと思います。言葉をかえるならば、人を使うのが非常に上手です。

安倍さんは、他の政治家とは一線を画した「組織論」を持っているように思います。

 

さらに、安倍さんは、類まれなコミュニケーション能力を持った政治家です。

折衝や交渉が非常に巧みで、社交性が豊かです。冗談や皮肉も上手です。

 

こうした「能力」は、天分なのかもしれませんが、その多くをサラリーマン時代や「下積み時代」に培ったのだろうと推察します。

 

 

また、安倍さんは、第1次政権時に大きな蹉跌を経験しました。

 

今の安倍政権には、多少の「揺さぶり」には動じない強い「メンタリティ」があると思います。ありていな言葉でいえば、「腹が据わっている」というのだろうと思います。

それは、一度失敗をして、這いあがってきた政治家に特有のものなのかもしれません。

 

 

(反面の、安倍さんの政治家としての欠点は、「口の軽さ」だったり、信用できないとみなした相手を徹底的にみくびって反感や恨みを買う部分だと思います。また、その「頑固さ」は、長所でもありますが、短所でもあると思います。)

 

 

 

さて、安倍政権が、猛攻撃に見舞われながら、なお盤石な体制を維持している最大の理由は、やはり、「野党」に対する世の中の「不信感」が大きくなっていることです。

 

「野党」を信用できないので、消去法で現政権を支持せざるをえないという層が広がっています。

たとえ「消去法」であっても、「政権・与党」が多数の「支持」を集めているという「構図」に変わりはないわけです。

 

「野党」への支持が広がらないのは、「倒閣」が、完全に「目的化」してしまっているからです。

無理を押し通してでも「倒閣」を遂行しようという思惑が透けて見えてしまって、共感をよばないわけです。「安倍政権を倒す」ということの優先順位が、「この国を良くしよう」という政治家の「本懐」よりも上にきてしまっています。

 

 

もう少し踏み込んだ指摘をするならば、一連の問題で見せた「野党」の行動パターンは、すでに古い時代のものになっています。

したがって、同じように古い感性を共有する層にはある程度の訴求力を発揮しますが、同時代的な感性には共感をよびません。

 

「テレビ栄え」を意識したパフォーマンスや演出は、むしろ逆効果となっています。

 

 

 

「野党」は、財務省の「公文書書き換え問題」で、政権を追い込もうと試みましたが、「失敗」に終わりました。

「野党」にとって思いどおりの「成果」を得ることはできませんでした。

 

 

本来であれば、「問題」の原因を突き止めて、再発防止に向けた議論を行うべきでしょう。

 

ところが、野党は、「倒閣」のために、この問題を利用しようとしました。

「誰かの指示」があったのではないか、という「ストーリー」にこだわり過ぎたのです。

 

そのおかげで、麻生財務大臣は辞任を免れたといってもいい過ぎではないと思います。

 

国家公務員が、重大な違反行為を行ったわけです。

「責任者」が「責任」を取る、というのは、(個人的には疑問に思う部分もありますが)日本社会の「しきたり」や「慣習」に従えば、十分に「筋」のとおる決着のつけかたであったといえると思います。しかし、これを「政権の進退」という「論題」にすり替えようとしてしまったために、なけなしの「成果」さえも失ってしまったわけです。

 

 

 

さらに、財務省の次官が辞任に追い込まれた件でも、「野党」は「それ」を「倒閣」に結び付けようとしました。

 

本来であれば、「この問題」は、日本社会や日本の「組織」をより良くするための「一歩」となったかもしれなかったのです。

「問題の本質」とはかけ離れた扱われ方をしてしまったために、禍根だけが残りました。

 

 

 

今また加計学園問題が再燃していますが、政権を追いつめるのは、やはりちょっと厳しそうです。まあ、この件は少し他と違う点があるので、まだちょっとわからない部分もあるのですが。

 

 

 

「野党」の「倒閣運動」は、たとえるなら「無自覚な焦土戦」です。

 

これまで築き上げられてきた政治的なインフラや社会システムを倒壊させながら、「政治不信」を膨張させています。

 

 

ある人たちは、一部の「野党」に対して、「混乱」を拡大させることに、ある種の「インセンティブ」があるのではないかと疑っています。真偽はともかく、こうした「疑念」を持たれてしまうことが、さらに安倍政権を幇助するわけです。

 

 

(ivy 松村)

 

政治の話②(「リベラルズ・パラドクス」)

前回の衆議院選挙以降、いくつかのメディアでは、若者の「保守化」が進行しているとして、ちょっとした話題になりました。

 

これは、不正確な認識だと思います。

 

正しくは、(若者の)「リベラル離れ」が進行しているのです。

 

 

若い世代ほど、「リベラル」的な価値観や言論、政策に説得力を感じない人が増えています。

そのために、近年、日本の政治的、社会的形勢から「リベラル」が加速度的に退潮しています。

 

これは西欧や北米など、資本主義と民主主義が根づいている国々、つまり「先進国」で同時的に進行している現象ですが、日本独自の文脈も存在します。

 

 

日本の「リベラル」の言論は、多くの論理的不整合を抱え、自家撞着を起こしています。

私は、これを「リベラルズ・パラドクス」と呼んでいます。

 

 

「リベラルズ・パラドクス」に対する「回答」を提示しない限り、「リベラル」は、より衰退することになるでしょう。

 

 

 

日本の「リベラル」の最大の特徴は、「多様性」というものを最重視することです。

さらに付け加えるならば、それは、他の様々な社会的、個的異相を放置し、民族的、文化的な差異のみに、強く焦点化されます。

 

 

わかりやすくいえば、「マイノリティに対する寛容さ」という主題に「オールイン」してしまうわけです。

 

 

しかも、それは「インバウンド」における「マイノリティ」に結論づけられてしまっています。

 

 

たとえば、「金星」では「火星人」は「マイノリティ」です。

しかし、「火星」では、「金星人」が「マイノリティ」です。

 

「マイノリティ」という「立場」は、相対的なものであって、固定的なものではありません。

したがって、「火星人」は、常に弱い立場の少数者というわけではありません。

 

 

「マイノリティ」を気遣い、いたわりながら接することが普遍的な義務であるといえるのであれば、それは「金星人」だけでなく、「火星人」にとっても義務であるはずです。

 

もし、「金星人」に対しては義務の履行を強く迫る一方で、「火星人」に対しては「目こぼし」を行うのであれば、それは一貫性のない単なる「ご都合主義」にしかなりません。

 

 

「『金星人』は『火星人』の気持ちをもっと考えるべきである」などと安易に口にする人がいるわけです。

「彼ら」は、「その逆」もいえるのだということを無視しているか、あるいはそれに無自覚でありつづけます。

 

 

このような「片務性」は、現代の日本の「リベラル」が抱えるもっとも顕在的な「パラドクス」です。

 

 

 

もう少し、「リベラルズ・パラドクス」について考えてみましょう。

 

 

「国民」とか「民主主義」という言葉は、「絶対的な価値と大儀」を示す「威光」のように扱われます。

 

「国民が納得しない!」

「民主主義をないがしろにするな!」

 

というように、「政敵」に対して非難を浴びせる際に用いられるわけです。

 

 

いうまでもないことですが、国民は主権者です。

 

したがって、「多数の日本国民」の意見や感情に寄りそって、政策は施行されるべきです。

日本国籍を持たない「外国人」に対して、「過度の優遇」が行われるとすると、それは「国民主権」の否定になってしまいます。

 

 

 

さて、ここでちょっと「注釈」を。

「こうした議論」には、一抹の懸念があります。「こうした議論」を実直に続けていくと、「苛烈な反応」が生じるかもしれないという憂慮がもたげます。「この時点」で、すでに、私が「マイノリティ」を悪くいっていると受け止めてしまうような、知性に乏しく読解力の貧しい人間が、世の中に存在するわけです。

 

 

いうまでもないことですが、私は、「パラドクス」について述べているのです。

 

 

 

議論を戻しましょう。

 

「民主主義」についても、相似の「パラドクス」が存在します。

 

つまり、「少数派」に対する配慮が度をこえてしまうと、「民主主義」の否定につながるわけです。

 

たしかに、「民主主義」の「説明」には、「少数の意見を尊重すること」が付随します。

しかし、「少数意見を尊重すること」は、「少数意見を取り入れること」とは違います。

 

無知なのか故意なのか、わかりませんが、政治家の中にも、間違った解釈にもとづいて「多数決」を非難する人がたまにいます。

 

「民主主義」の根幹は、「議論」です。「尊重」というのは、少数意見であっても「議論」の対象とすることが重要であるということなのです。

 

当たり前の話ですが、少数意見を認めたり少数意見に譲歩したりするような「特別扱い」を許容するとすれば、それは、むしろ健全な民主主義が機能していない状態です。

 

もし、「少数派」が「少数派であること」を理由として利得を得るようなことがあれば、「民主主義」は崩壊します。

 

「民主主義」と「少数派の優遇」は、原則として「両立」しません。

 

 

つまり、そこには、やはり「パラドクス」が潜んでいるわけです。

 

 

 

最後に、構造的な「パラドクス」について考えてみましょう。

 

 

「リベラル」は、「寛容さ」という姿勢と態度を、社会に求めます。

「他者」に対する「寛容さ」が、「多様性」を醸成させるというわけです。

 

したがって、「寛容さ」というものは、「リベラル」にとって、ある種の「教条的な意味」を持つといえるのかもしれません。

そうすると、「リベラル」は、道理として「不寛容」を放置できないわけです。

 

つまり、「リベラル」は、原理的に、「不寛容」に対して「不寛容」である、という状態に陥るわけです。

 

それが、「リベラル」にとって最大の「パラドクス」となっています。

 

 

たとえば、「『火星人』を受け入れるな」というような「不寛容」な意見は封じ込めなければならないわけです。

 

 

「リベラル」にしてみれば。

 

 

ところが、「『火星人』を受け入れるな」という意見も、「多様な意見」のうちのひとつであるといえます。

 

さらにいえば、「『火星人』を受け入れるな」という意見を認めないという態度は、「不寛容」であるといえるわけです。

 

 

 

念のために再度述べますが、これは「パラドクス」についての説明です。

私自身が、排他的な主張をしているわけではありません。

 

このような「論」を述べると、「いや、でも社会的に悪影響のある意見は抑止しなければならないのだ」というようなことを反射的に発したくなってしまう人がいます。

そういう人は、「それ自体」が、私の述べていることの一部であるということに永遠に気づきません。

 

 

あえて加言すれば、その「無残な鈍感さ」が、「リベラル離れ」の主因です。

 

 

 

私は、「パラドクス」について述べています。

 

 

 

(ivy 松村)

 

 

政治の話①(「支持率」)

当初、このブログには「政治的なこと」を書くつもりはなかったのですが、折に触れていくつかの記事を書きました。「政治」を「タブー」にするほうが、なんというか、不自然だなと、だんだんに思うようになってきたのです。

 

去年は、まとまった記事を書いてみましたが、それは、ちょっとした「実験」の意味合いもありました。

「政治的な考え」を抑制しながら、「政治的な意見」を書くことができるのかどうか、試してみようと思いました。それが、うまくいったのかどうか、まあ、まだよくわかっていないのですが。

 

 

そんなこんなで、今回も、ちょっと「政治的なこと」を書いてみようと思っているのですが、政治の話なので、自分の考えとは違う、と思う人もたくさんいると思います。ですが、まあ、いってみれば、小話の一種のようなものですので、その辺によくいる市井のおっさんの独り言だと思って、気楽に受け流してもらえれば、と思います。

 

 

それで、これは常日頃いっていることなのですが、これは正しい、とか、これは間違っているというように「価値観を表明すること」と、なぜそのようなことが起きるのか、とか、なぜそのような結論が導かれるのか、というように「論理的に説明すること」は「次元」が違うわけです。

 

 

世の中には、両者の区別がつかない人がたくさんいます。

 

「政治的なこと」について考えるときには、その2つをよくふまえて熟慮するようにしましょう。

 

 

 

さて、最近の「政治的な状況」をきちんと整理してみようと思ったのが、「きっかけ」です。

 

 

「もりかけ問題」が1年以上もくすぶり、さらに、この2か月ほどの間にも、次々と「問題」が発覚しました。

 

「野党」は、血気にはやり、内閣を追い詰めようと精力的に活動しましたが、いまや完全に「袋小路」の状態になってしまいました。

 

「野党」の「倒閣運動」がうまくいかない最大の理由は、「世論に訴える」という旧来の方法論が機能しなくなっているからです。

 

 

本来、政権にとって、「支持率」の低下は見過ごすことのできない大きな関心事のはずです。

放っておけば、「選挙」に勝てなくなるからです。

 

そのため、従来は、内閣の「支持率」が下がってくると、与党内からも「突き上げ」が起こりました。

党内外、そしてマスコミからの「首相下ろし」の圧力が強まって、政権の維持が現実的ではなくなると、次の選挙に臨む前に、その内閣は「末期」を迎えました。

 

 

過去のこのような政治のメカニズムは、もはや前時代的なものになりつつあります。

 

現政権にとって、マスコミが示す「世論」は「弱み」ではなくなっているからです。

 

 

安倍政権が、「支持率」の低下に大きく動揺しない理由はおもに2つあります。

 

 

ひとつは、「世論調査」の信憑性がゆらいでいることです。

 

 

アンケート調査は、質問文の書き方や質問の順序を調整したり、回答者を選別したりすることによって、「結果」をある程度コントロールすることができます。

 

具体的には、アンケートの対象を「固定電話」の所有者に限定する場合、回答者の「属性」に偏りが生じます。平均年齢が高くなるわけです。

 

 

近年は、新聞各紙あるいは各テレビ局がどのような「政治色」を持っているのか、一般にもよく知られるようになってきました。

そのうえで、各報道機関の「世論調査」が、その報道機関の主張にとって都合の良い数字になることも広く知られるようになってきました。

 

たとえば、現政権を支持する論調の新聞の「内閣支持率」は高めに出て、反対に現政権に批判的な論調の新聞の「内閣支持率」は低めに出るわけです。

 

結果的に、現代は、政治に関心を持っている人ほど、「内閣支持率」を「あて」にしなくなっています。

 

 

インターネットの台頭によって現出した「情報社会」は、「マスコミ」の影響力の崩落をもたらしました。

 

「マスコミ」の「主観性」が広く浸透し、その「誤謬性」を誰もが疑うようになったわけです。

 

 

そのため、「内閣支持率」の下落傾向が強くなっても、「世間」の反応は鈍いし、政権も慌てふためいたりはしないわけです。

 

 

 

もうひとつの理由はもっと単純です。

「支持率」が低下しても「選挙」に勝てるという目算があるからです。

 

端的に、一連の「倒閣運動」でより大きなダメージを負ったのは、「野党」のほうでした。

「内閣支持率」は下降しましたが、「与党支持率」とその他の政党の「支持率」は、依然大きく広がったままです。

 

「支持政党なし」の割合が大きくなっていますが、現状では、選挙になった場合「無党派層」は「与党」に傾くので、「野党」は全体の勢力をさらに縮小させることになるでしょう。

 

これまで、「支持率」という数字に大きな関心が寄せられていたのは、それが「選挙」を占うものだと考えられていたからです。

 

また、それが「選挙」に影響を与えるものだと考えられていたからです。

 

 

安倍さんは、自民党の総裁になって以降、国政選挙にすべて勝っています。

「支持率」が低くても、「選挙」で勝てるのであれば、「支持率」を気にする必要はないわけです。

 

 

海外の選挙でも似たような傾向が出始めていますが、現代は、「支持率」と「選挙」がリンクしない時代となりつつあります。

 

 

もう少し踏み込んでいえば、マスコミ報道をとおして「危機感」や「終末感」を煽るというような「手法」は、もはや効果的ではなくなっているのです。

 

 

反面、テレビや新聞のみを情報源としている人は、注意が必要かもしれません。

「報道とは違う現実」と直面して、戸惑うことになります。

たとえば、これだけの騒ぎを起こしておいて、なぜ内閣は平気でいるのだ、と不思議に思う人もいるでしょう。

 

 

(ivy 松村)

 

 

ハリルホジッチ氏の解任について考えたこと

今年はサッカーのワールドカップが開かれる「ワールドカップ・イヤー」ですが、ワールドカップ本選を目前にして、3年間日本代表チームの監督を務めたバヒド・ハリルホジッチ氏が解任され、大変な議論となりました。

 

 

サッカーのワールドカップは、その歴史、規模、注目度からいって、まさしく世界最高峰のスポーツイベントです。ワールドカップの「成績」は「その国のサッカー」の今後を大きく左右するにちがいありません。

 

ハリルホジッチ氏の解任に「賛成」の立場の人は、ハリルホジッチ氏が監督では、ワールドカップで良い成績が残せないと考えています。

したがって、別の監督に変えなければならない、というわけです。

 

一方、ハリルホジッチ氏の解任に「反対」の立場の人は、「継続性」を重視します。

ハリルホジッチ氏の就任からワールドカップ終了までを1つの「区切り」であると捉え、その期間の「検証」を行うことで、それを「次」につなげることができると考えているわけです。

 

また、「消極的な反対派」も存在します。

彼らは、ハリルホジッチ氏の手腕に疑問を抱いているけれども、直前に監督を変更するのは「悪手」であると考えています。

 

 

 

今回の「解任劇」について、新聞やテレビには「前代未聞」という刺激的な言葉が踊りました。

 

しかし、「サッカーの世界」では、本番直前に監督が解任されたり、大会期間中に監督が更迭されたりすることなど、実は、わりとよくある話です。

ハリルホジッチ氏自身、ワールドカップ直前に解任されたのは、これが「2度目」の経験です。

 

つまり、日本サッカー協会の「決断」は、そうした「サッカーの世界」の「スタンダード」からみれば、決してめずらしいものではないのです。

 

ある意味で、ハリルホジッチ氏の「反応」は過剰だったともいえます。

 

 

日本サッカー協会が、その「態度や物腰」を、さも非礼で冷淡であるかのようにそしられ、そのような「予想以上」の反響にとまどい、苛立ちを募らせたのは、無理もないことだったのかもしれません。

 

 

 

ただ、私は、「この件」に関しては、ハリルホジッチ氏に同情的です。

 

ハリルホジッチ氏は、「プライドを傷つけられた」と繰り返し述べていました。

 

ハリルホジッチ氏が耐えられなかったのは、本当は、「辞めさせられたこと」ではないのかもしれません。

 

「ハリルホジッチ氏ではワールドカップに勝てない」という評価を下されたことなのだろうと思います。

 

 

 

ハリルホジッチ氏に限らず、およそすべてのスポーツ指導者は、悲惨な負け方をしてしまったときに、酷評される覚悟をしていると思います。

 

ところが、「今回」は、「結果」ではなく「予想」で監督としての能力を見限られてしまったわけです。

ハリルホジッチ氏は「そのような事態」をまったく想定していなかったために、狼狽し、錯乱したのだと思います。

 

少し補足するならば、ハリルホジッチ氏は、前回のワールドカップで、前評判を覆し、世界を驚嘆させる結果を残した監督です。日本サッカー協会は、まさに「その手腕」を見込んで、日本代表の監督のオファーを出したわけです。

 

 

 

解任の「ひきがね」となったのは、3月の「遠征試合」でした。

その「試合内容」に危機感を募らせた日本サッカー協会は、ハリルホジッチ氏の解任に大きく傾くことになったと言われています。

 

日本サッカー協会は、その「遠征試合」を、ワールドカップ本番をみすえた重要な「模擬戦」であると捉えていました。

他方、ハリルホジッチ氏は、その「遠征試合」を、本番に向けた調整の一部であると考えていました。

 

 

両者の「認識の違い」は「問題」を複雑にした原因のひとつですが、通常、こうした「溝」は容易に解消することができるものです。

 

単純に、「遠征試合の結果次第では、解任もあり得る」と伝えておけばよかったのです。

 

そうすれば、ハリルホジッチ氏は協会が「危機感」を抱いていると理解し、自分の「立場」や「なすべきこと」について考えをはせることができたはずです。

 

日本サッカー協会は、選手との「コミュニケーション不足」を、ハリルホジッチ氏の指導の問題点として挙げていました。

 

しかし、実際にコミュニケーションが不足していたのは、協会と監督だったということなのですが、「そのこと」を「ほとんどの人」は示唆しません。

 

 

 

別の見解も存在します。

「遠征試合」の試合内容が良くなかったというのは「口実」にすぎず、もっと他の「直接的な理由」があったのではないかという観点です。

 

そうであるならば、日本サッカー協会の説明は、単なる「後付け」の解任理由であるということになります。そのために、「遠征試合」の結果が「唐突に問題視されることになった」のかもしれません。

 

 

日本サッカー協会が「問題視」したのはハリルホジッチ氏の「選手選考」であった、という可能性があります。

こうした見方は、なお報道関係者の間でくすぶっています。

 

 

つまり、ワールドカップに向けたハリルホジッチ氏の構想が具体的になるにつれて、協会側が要望する選手がメンバー登録から外される可能性が強まったわけです。

 

日本サッカー協会は、「経済効果」も含めた「総合的な見地」から、代表監督の人事を考えなければならないということなのでしょう。

 

 

 

「選手選考」は監督の「専権事項」であり、他の何人たりとも侵害しえない、という観念は、根強くあります。

 

 

しかし、現実的に、サッカーの「プロの監督」は、無制限の「権限」を与えられ、自由にチームを編成したり、独自の方針や戦術を決定したりすることができるような存在ではありません。

 

それはサッカーの監督に限った話ではなく、およそ「現場の指揮者」という役割を担う人物は、様々な「制約」や考慮すべき「リクエスト」などを飲み込んで、「チーム」をコントロールし、成果をあげようとするはずです。

 

イタリアなどのヨーロッパのサッカークラブではよくある話ですが、たとえば、「ワンマン」的なクラブの「オーナー」が、ある選手と「出場試合数」を保証する契約を結ぶことがあります。その選手に「強力なスポンサー」がついているような場合です。

そのチームの監督は、「あたえられた条件」をふまえてチームの戦術を策定しなければなりませんが、「それ」も「監督の仕事」に含まれているわけです。

 

 

 

ヨーロッパでキャリアを積んできたハリルホジッチ氏は、当然、そうしたサッカーの監督の「リアリティ」というものを身に染みて理解しているはずです。

 

 

もしかすると、日本サッカー協会は、ハリルホジッチ氏に「自由に選手を選んでよい」と伝えていたのかもしれません。

 

だとすれば、「問題」の所在は、「そこ」にあるような気がします。

 

日本サッカー協会にしてみれば、それは「建前」です。

最後はこちらの意向を汲んでくださいね、いや、汲んでくれますよね、という思いを抱いていたのでしょう。

 

何というのか、「そういうこと」を表現する便利な日本語があったような気がするのですが、まあ、ちょっとわすれてしまいました。

ともかく、日本サッカー協会は、表面上は、ハリルホジッチ氏を信用して「一任する」という態度を示しておきながら、胸中に「自分たちの要請」をしまいこみ、なぜか、「きっと思いが通じる」という根拠のない期待をしていたのではないのかな、と思います。

 

ハリルホジッチ氏にしてみれば、「契約」に書かれていないことを考慮する義務はありません。

信用しているので好きなように選手を選んでくれ、と言われれば、わかった、ということで自分の信念にもとづいて、「選手選考」を行うでしょう。

 

 

 

ハリルホジッチ氏は、「真実」を知りたい、と繰り返し述べていました。

 

自分は信用されていると自負していたのに突如解任され、それをまったく理解できない状況だったわけです。だから、最初、ハリルホジッチ氏は自身の解任について「陰謀」に巻き込まれたのだと感じたのでしょう。

 

 

やはり、「コミュニケーション不足」というキーワードが浮かびあがります。

 

 

 

中心選手をワールドカップのメンバーから外す、というのは、少々大げさにいえば、「スキャンダル」に限りなく近い行為なのだと思います。

 

思い起こされるのは、1998年、日本が初出場したフランス・ワールドカップです。

当時日本代表チームの監督だった岡田武史氏は、ワールドカップ直前ギリギリ、フランスでのキャンプ中に、最終メンバーを選びました。

おそらく、岡田氏はもっと前からチーム構想を固めていたはずですが、できるかぎり「雑音」を遮断しようとしたのだろうと思います。

 

岡田氏は、「自由に選手を選んでもよい」という「言葉の裏側」をよく理解していたのだと思います。

日本の「組織人」である岡田氏は、「それは簡単なことではない」と熟知していたので、本当に自由に選手を選ぶために、「正攻法」をとらなかったのだろうと思います。

 

 

2002年に日本代表の指揮を執ったフィリップ・トルシエ氏も、日本サッカー史上もっとも優れたテクニックを持つ選手のひとりをメンバーから外す決断をしました。

 

トルシエ氏は、非常に「エキセントリック」な指導者として知られました。

トルシエ氏の任期中に、一部の「協会関係者」から「解任の声」が上がりましたが、サッカーファンは、「解任反対」の運動を展開し、トルシエ氏の続投を望みました。そして、当時の日本サッカー協会の会長だった岡野俊一氏の「一声」で、トルシエ氏の留任が決まりました。

ある意味で、「今回」とは反対の結果だったわけです。

協会のトップの「お墨付き」と、ファンからの熱烈な信頼を得たトルシエ氏は、完全に自由裁量の「選手選考」を行うことができました。

 

 

「逆の例」としては、2006年に指揮を執ったジーコ氏、2014年に指揮を執ったザッケローニ氏が挙げられます。両氏は、協会との良好な関係を保ちました。

 

 

 

振り返ってみれば、日本が初めてワールドカップに出場して、20年の月日が経ちました。

 

この20年の間に、「グローバリズム」が大きく進展しました。

多くの人が見落としていることですが、「サッカー」は、もっとも強く「グローバリズム」の影響を受けている「ビジネス」のひとつです。

 

 

日本は、1993年までサッカーのプロリーグを持ちませんでした。

そのためか、日本のサッカー界には、非常に頑強な「アマチュアリズム」が根付きました。

信じがたい話かもしれませんが、日本サッカー協会は、かつてはワールドカップよりもオリンピックのほうを重視していたくらいです。

 

「Jリーグ」が発足して四半世紀、ワールドカップに出場して20年。「日本のサッカー」は、大きく発展しました。

 

しかし、「世界のサッカー」は、それ以上の速度で展開しています。他に類をみないほどの急激な変化が起こっているわけです。サッカーは、今や「巨大な資本」が動く、大掛かりな地球規模の「ビジネス」です。

 

 

これは個人的な所感ですが、日本人は、サッカーというスポーツの「ビジネス」としての側面を、うまく制御できていないような気がします。

さらに踏み込んでコメントを加えるならば、多くの人は自分はグローバル化にコミットしていると思い込んでいるけれども、肝心なところでは、ローカルなメンタリティとローカルなコミュニケーション様式に埋没してしまうのだと思います。

 

 

 

ハリルホジッチ氏の解任の理由が「選手選考」にあったのだとしたら、「処方箋」はわりとすぐに見つかりそうです。

 

 

「こちらの意向」を汲んでくれることを期待し、期待が裏切られたら、「困った性格」などといって、「相手のせい」にするのは、もうやめなければなりません。

 

 

「処方箋」のひとつは、「こうして欲しい」と直接相手に伝えることです。

それが、「コミュニケーション」の本質なのだろうと思います。

 

どうしても折り合わなければ、解任ということになりますが、お互いの立場を説明し、意見を出し尽くした末の「結果」であれば、「相手」も納得することができるでしょう。

 

 

もうひとつの「処方箋」は、協会の権限を具体的に「契約」に盛り込むことです。

これは「例」のひとつですが、「必ず2人は協会の指定した選手をメンバーに選ぶ」というような内容に同意したうえで、監督を引き受けてもらうわけです。

 

こうした「契約」をばかばかしく感じてしまう人もいると思いますが、このほうが、「グローバル・スタンダード」です。

 

 

 

さて、ここまで述べてきたとおり、私は、日本サッカー協会が日本代表の「選手選考」に介入することに、必ずしも否定的ではありません。

 

そして、ハリルホジッチ氏の解任が「正解」なのか「不正解」なのか、結局「正しい判断」をすることができる人はいないのだろうと思っています。

 

 

しかしながら、「今回のこと」については、ハリルホジッチ氏を気の毒に思います。

 

 

評論家やジャーナリスト、コメンテーターの意見をざっくりと見ましたが、監督を経験したことがあるかないかによって、意見に偏りがあるように感じました。

 

つまり、監督経験のある人は、解任に反対する人が多いわけです。

一方、そうでない人は、解任に賛成する人が多いわけです。

 

時間が経つにつれて、解任に賛成するという意見を述べる人が増えていきました。

 

 

これは、「想像力」の問題でもありますが、別の「力学」も作用しています。

日本サッカー協会の「立場」を推し量って、批判的なコメントを差し控えているわけです。

 

何というのか、「そういうこと」を表現する便利な日本語があったような気がするのですが、まあ、ちょっとわすれてしまいましたが、ともかく、日本サッカー協会に「不利」なことは言わないわけです。

 

いろんな情報番組で、ハリルホジッチ氏や通訳の方を小ばかにするような、軽薄な言動が聞かれたようです。

 

なかでも、20年前に、直前にメンバーから外され、ワールドカップに行くことができなかった「元選手」の辛辣なコメントには、せつない感情が沸き起こりました。

 

 

 

多くの人が「想像力」というものを勘違いしていると思うのですが、「想像力」というのは、見たこともない別世界を思い描くこと、ではありません。

 

自分の体験に照らし合わせて、「他のシチュエーション」を理解することです。

多様な体験を積み重ねてきた人ほど、豊かな「想像力」を持っているわけです。

 

 

彼は、ハリルホジッチ氏の胸中を、より深く理解できる人であるはずなのに。

 

 

 

これは、論理的な思考ではなく、多分に情緒的なものですが、私は、ハリルホジッチ氏の「無念」に思いをはせます。

 

きっと、同じように感じる塾の人間は、たくさんいると思います。

 

 

 

それから、私は、Jリーグがスタートした1993年の熱気を思い起こします。

あのとき、私たちは「100年後の日本のサッカー」を夢想したのです。

 

 

「目先の結果」も大事ですが、培ってきたものを大切にすることも意味のあることだと思います。

 

 

 

日本のサッカーが、「75年後」に、さらに前に向かって進んでいることを願います。

 

 

 

 (ivy 松村)

 

 

 

「H」の話⑦

最後に、「H」に与えられたもうひとつの「役割」を紹介して、「H」の話は終わりです。

 

 

前に、古代ギリシアにおいて、「ハヒフヘホ」=[]の音が失われ、[]の音を表す「Η」の文字は「ヘータ」という呼称から「エータ」という呼称に変わったという話をしました。

 

その後、「Η」=「エータ」には、別の「役割」が与えられました。

それは、「長音」の表記です。

 

「長音」とは、「伸ばす音」のことです。

 

 

 

4月に入って、猫も杓子もメジャーリーグの大谷選手の話題で持ちきりですが、彼のユニフォームには「OHTANI」と書かれていますね。

 

「オータニ」の「ー」を表すのに、「H」が使われています。

 

 

英語で日本語の語彙を表記する場合、一般的に使われているのは「ヘボン式ローマ字」です。

(小6の生徒たちは、英語の授業でヘボン式ローマ字を練習しました!)

 

 

「ヘボン式ローマ字」では、基本的に「長音」を「省略」して表記します。

 

たとえば、「東京」は「Tokyo」、「九州」は「Kyushu」になります。

「大阪」は「Osaka」、「大分」は「Oita」です。

 

 

大谷選手の「OHTANI」のような表記は「ヘボン式ローマ字」ではありません。

学校や塾で習う「ヘボン式ローマ字」以外にも、「ローマ字」にはいくつかの「種類」があるのです。

 

 

 

「ヘボン式ローマ字」で表記すると、「大谷」は「OTANI」です。

 

そうなると、「大谷」なのか「小谷(おたに)」なのか判別できないわけですが、英語にとって、それは「日常的なこと」です。

 

「読み方がわからない言葉」というのは、英語の中にありふれています。

(実は、それは日本語でもいえることで、日本にも「読むのが難しい熟語」がたくさんあります。)

 

 

しかし、スポーツ選手は、自分の名前をファンになるべく正確に覚えてもらいたいわけです。

それで、スポーツ選手の登録名やローマ字の表記は、「H」を使って「長音」を表し、より正確な発音に近づけているのだと思います。

 

 

 

「H」で「長音」を表す表記法は、日本人が勝手に考えてやっているのではなく、古代ギリシア語に「ルーツ」があります。

 

英語は、それを受け継ぎませんでした。

一方、それを受け継いでいる言語があります。

 

ドイツ語です。

 

 

以下のドイツの音楽家の名前を確認してみましょう。

 

Mendelssohn「メンデルスゾン」

Brahms「ブラムス」

 

 

彼らは、クラシック音楽の世界では非常に良く知られた「巨匠」です。

 

「h」が、「長音」を担っているのがわかりますね。

 

 

大谷選手の「OHTANI」に見られるように、日本語を「ローマ字」で表記する際に「長音」を「H」で表すことがあります。

 

実は、それは、古代ギリシアに由来する、正統な「H」の使い方のひとつなのです。

 

 

(ivy 松村)

 

連絡「連休中の開校日」

4月30日(日)~5月6日(日)は、通常授業はありませんが、5月1日(火)、5月2日(水)は定期テスト勉強を進められるように、校舎を開けますので、中学生は勉強に来てください。

 

中間テストのない中学の生徒も、できる限り参加してください。

 

 

連休中の開校日:

 

・5月1日(火) 18時~22時

・5月2日(水) 18時~22時

 

 

 

しっかり準備をして、最高得点をめざそう!

 

 

 

古代遺跡の前で、暑さにへばっている若き日の私。

 

Palenque Pyramid

 

 

(ivy 松村)

 

 

「H」の話⑥

「ph」は「ファ・フィ・フ・フェ・フォ」=[]の発音になります。

 

 

勘のするどい人はもうすでに気づいているかもしれませんが、やはり古代ギリシア語に2つの「パピプペポ」があったわけです。

 

古代ギリシア語の語彙がラテン語に移植される際に、1つが「p」になり、もう1つが「ph」になりました。

 

やがて、「ph」の発音は[]になりました。

 

 

 

「ph」を含む古代ギリシア語、ラテン語由来の語彙をみてみましょう

 

 

pharmacy「ファーマシ」(薬屋)

phantom「ファントム」(幽霊)

philosophy「フィロサフィ」(哲学)

physics「フィジックス」(物理学)

phase「フェイズ」(段階)

phenomenon「フェノメノン」(現象)

photograph「フォウトグラフ」(写真)

phrase「レイズ」(句)

 

 

atmosphere「アトモスフィア」(大気)

earphone「イヤフォン」(イヤホン)

elephant「エレファント」(ゾウ)

graph「グラ」(図表)

sapphire「サファイア」(サファイア)

symphony「シンフォニ」(交響曲)

typhoon「タイーン」(台風)

telephone「テレフォウン」(電話)

dolphin「ドルフィン」(イルカ)

hieroglyph「ハイエログリ」(象形文字)

biography「バイオグラィ」(伝記)

pamphlet「パンレット」(パンフレット)

metaphor「メタファー」(隠喩)

 

 

 

数は少ないですが、「rh」もあります。

 

やはり、古代ギリシア、ラテン語由来の語彙です。

 

これは、単純に「ラリルレロ」=[]の発音です。

したがって、「h」が無音化されていると考えることができます。

 

 

rhyme「イム」(韻)

rhapsody「プソディ」(狂詩曲)

rhythm「ズム」(リズム)

rhetoric「トリック」(修辞)

 

 

 

まったくどうでもいい個人的な話ですが、私は「ラプソディ」という言葉を、わりと気に入っていて、けっこう暗喩的に使うことがあります。

「ラプソディ」は、日本語で「狂詩曲」と訳されます。

それで、「教師」という意味を含ませたり→「狂師」というような意味合いに展開させたりして、「ラプソディ」にかけて言葉遊びをすることがあります。

 

 

 

その他、英語の代表的な「二重字」に、「sh」があります。

 

「sh」は、「シャ・シ・シュ・シェ・ショ」=[ʃ]を表します。

 

 

she「ー」(彼女は)

sheep「ープ」(羊)

shade「シェイド」(陰)

shape「シェイプ」(形)

ship「ップ」(船)

shout「シャウト」(叫ぶ)

shirt「シャート」(シャツ)

shut「シャット」(閉める)

shampoo「シャンプー」(シャンプー)

shoe「シュー」(靴)

should「シュド」(~するべきである)

shrine「シュライン」(寺院)

show「ショウ」(見せる)

shoulder「ショウルダー」(肩)

short「ショート」(短い)

shock「ショック」(衝撃)

shop「ショップ」(店)

 

 

 

語末に「sh」のある単語も多くあります。

 

 

wish「ウィシュ」(望む)

crush「クラシュ」(押しつぶす)

Spanish「スパニシュ」(スペイン人)

dish「ディシュ」(皿)

foolish「フーリシュ」(愚かな)

fish「フィシュ」(魚)

flash「フラシュ」(きらめき)

 

 

 

「sh」以外で、[ʃ]の音が現れる単語もたくさんあるので注意が必要です。

 

フランス語由来の「ch」も[ʃ]と発音します。

 

machine「マーン:məʃíːn」(機会)

 

 

また、以下のような単語:

 

station「ステイション:stéiʃən」(駅)

information「インファメイション」:ìnfərméiʃən」(情報)

 

「tion」は「ション」と読みますね。

 

 

さらに、以下のような単語:

 

ocean「オウシュン:óuʃn」(海)

sugar「シュガー:ʃúgər」(砂糖)

sure「シュア:ʃúər」(確かに)

 

 

 

「h」が含まれる「二重字シリーズ」の最後は、「wh」です。

 

 

「wh」は、かつては「hw」と綴られていました。

 

したがって、「what」などは、「hwat」=「フワット」のような発音だったわけです。

 

現在は、「what」の「h」は無音化されているので、「ワット」ですね。

 

今でもたまに「フワット」という人がいます。

これは「フ」→「ワ」という発音ですから、昔の「h」→「w」が踏襲されているといえます。

 

 

以下の語彙は、一般的には、「h」が無音化されています。

 

which「ウィッチ」(どちら)

where「ウェアー」(どこで)

when「ウェン」(いつ)

why「イ」(なぜ)

what「ット」(何)

 

wheel「ウィール」(車輪)

whisper「ウィスパー」(ささやく)

whistle「ウィスル」(口笛を吹く)

whale「ウェイル」(クジラ)

white「イト」(白い)

 

 

日本語のカタカナ表記では、「ホ」が置かれることがありますが、そのまま発音しても英語話者にはほとんど通じません。

 

「wheel」→「ホイール」

「whale」→「ホエール」

「whistle」→「ホイッスル」

「white」→「ホワイト」

 

 

 

以下の単語は、逆に、「w」が無音化されています。

 

 

who「ー」(誰)

whom「ーム」(誰に・誰を)

whose「ーズ」(誰の)

whole「ール」(全体の)

 

 

(ivy 松村)

「H」の話⑤

古代ギリシア語には、「タチツテト」の音が2つありました。

したがって、「タチツテト」を表記するための文字が2種類ありました。

 

1つは「Τ」です。この文字は「タウ」といいます。

これが英語の「T」(ティー)の由来ですね。

 

もうひとつが「Θ」です。この文字は「テータ」と呼ばれました。

「テータ」は、強く発音するもうひとつの「タチツテト」を表記するために使われました。

 

そして、古代ギリシア語がラテン語に取り入れられる際に、「テータ」は「二重字」で表記されるようになります。

 

「th」です。

 

しかし、ラテン語ではその後、両者の発音は同一化し、「th」は「タチツテト」=[]の音に統合されます。

 

そのため、イタリア語、フランス語、ドイツ語などの現代の西欧言語では、「th」を[]と発音します。

 

 

たとえば、「ーマ(主題)」というギリシア語由来の「ドイツ語」があります。

その綴りは「Thema」です。

 

また、「カリーヌ」というフランスで人気のある女の子の名前があります。

その綴りは「Catherine」になります。

 

 

 

さて、ややこしいことに、「本家」のギリシアでは、「Θ」=「テータ」の音に変化が生じます。上の歯と下の歯の間に置いた舌の間から息を流して発音する独特の音です。

 

それは、英語の「th」と同じ音です。

 

thank「ンク」(感謝する)

think「ンク」(思う)

three「リー」(3)

 

などの「th」です。

 

これは、日本語には存在しない音です。

慣例的には「サシスセソ」で書きあわらしますが、実際には「サシスセソ」の音ではないので、注意してください。

 

 

 

発音に変化が生じたことによって、「Θ」の呼称が変化します。

「Θ」は、「シータ」と呼ばれるようになります。「シータ」の「シ」は「th」の音です。

 

ちなみに、「th」の発音ですが、この音を表す「発音記号」には「シータ」の小文字が使われます。

 

それは「θ」です。

 

 

他の言語とは違い、英語の「th」は[θ]の音を担っています。

 

それは、偶然かもしれません。あるいは、ギリシア語の発音の変化を踏まえたものなのかもしれません。

 

 

英語は、古くから[θ]の音を有していました。英語固有の語彙に[θ]の発音がたくさんあります。

その音を表すのに「th」が使われました。

 

それに加えて、古代ギリシア、ラテン語の「th」も[θ]の音で発音するようになったのです。

 

「th」は、英語と他の言語で発音が異なる綴りなので、気をつけてください。

 

 

先ほど触れた単語を見直してみましょう。

 

「Thema」(テーマ)は英語ではないので、注意が必要です。

英語では、「theme」と綴ります。その発音は「ーム」です。

 

また、「Catherine」という名前の女の子は、英語話者には「キャリン」と呼ばれます。

 

 

 

「th」=[θ]のつく古代ギリシア語、ラテン語由来の語彙を見てみましょう。

 

theater「アター」(劇場)

sympathy「シンパー」(同情)

theory「オリー」(理論)

panther「パンー」(黒豹)

myth「ミ」(神話)

method「メッド」(方法)

 

 

その他、「th」=[θ]の英語の語彙を確認しましょう

 

 

thousand「ウザンド」(千)

third「ード」(3番目の)

thirsty「ースティ」(のどが渇いた)

Thursday「ーズデイ」(木曜日)

thief「ーフ」(泥棒)

thick「ック」(厚い)

thin「ン」(薄い)

thing「ング」(もの、こと)

through「ルー」(~を通って)

throw「ロウ」(投げる)

throat「ロート」(のど)

 

 

 

「th」=[θ]が語末にあらわれる語彙もあります。

 

 

wealth「ウェル」(富)

smooth「スムー」(滑らかな)

tooth「トゥー」(歯)

path「パ」(小道)

faith「フェイ」(信念)

health「ヘル」(健康)

mouth「マウ」(口)

month「マン」(1か月)

length「レン」(長さ)

worth「ワー」(~に値する)

 

 

 

英語の「th」は、さらにもう一つの発音を担っています。

 

θ]を強く発音した音で、慣例的に「ザジ(ディ)ズゼゾ」で表記します。

 

 

the「」(冠詞)

this「ディス」

that「ザット」

 

などの発音です。

 

この発音の発音記号は[ð]です。

 

 

 

「th」=[ð]の英語の語彙をみてみましょう。

 

 

than「ン」(~よりも)

these「ーズ」(これらの)

there「ア」(そこで)

their「アー」(彼らの)

therefore「アフォー」(それゆえに)

they「イ」(彼らは)

them「ム」(彼らに・を)

then「ン」(そのとき)

though「ウ」(~にもかかわらず)

those「ーズ」(あれらの)

 

other「アー」(他の)

another「アナー」(もう1つの)

either「イーー」(どちらかの)

with「ウィ」(~と一緒に)

weather「ウェー」(天気)

whether「ウェー」(~かどうか)

although「オルウ」(~にもかかわらず)

gather「ギャー」(集める)

southern「サン」(南の)

together「トゥゲー」(一緒に)

father「ファーー」(父親)

farther「ファーー」(さらに遠く)

further 「ファーー」(さらに遠く)

feather「フェー」(羽)

brother「ブラー」(兄・弟)

bother「ボーー」(悩ます)

mother「マー」(母親)

neither「ニーー」(どちらも~ない)

northern「ノーン」(北の)

rather「ラー」(むしろ)

 

 

 

以下の単語の発音は要注意です。

名詞と動詞で、「th」の「発音」が違います。

 

 

bath「バ:[θ]」(入浴)

bathe「ベイ:[ð]」(入浴する)

 

breath「ブレ:[θ]」(息)

breathe「ブリー:[ð]」(息をする)

 

cloth「クロー:[θ]」(布)

clothe「クロウ:[ð]」(着る)

 

 

補足ですが、「cloth」の複数形は、

 

cloths「クロース:[θs]」(布:複数形)

 

になります。([(ð)]で発音する人もいるみたいです。)

 

 

ところが、「衣服」を意味する単語は、また、少し違います。

 

clothes「クロウズ:[]」(衣服)

 

になり、[ð]を発音しないので、注意しましょう。

 

 

さらに補足しますが、この「clothes」(衣服)の発音は、

 

close「クロウズ」(閉める)

 

と同じです。

 

しかし、

 

close「クロウス:[]」(近い)

 

とは発音が違うので気をつけてください。綴りは同じですが、[]ではなく[]です。

 

 

 

はたまた余談ですが、歴史上もっとも偉大な音楽家の1人、「Beethoven」ですが、この姓名は、「beet」と「hoven」という単語が複合されたものなので、「t」と「h」の間に意味上の「句切れ」があります。

 

ドイツ語では、「ベートホーフン」に近い発音です。

英語では「ベィトウヴン」に近い発音で、「h」の音が消えます。(「h」を発音する人もいます。)

 

「beet」というのは「ビート」、いわゆる「てんさい」(サトウダイコン)のことです。「hoven」は、「ビート」と組み合わせる文脈では「農場」になります。ですから、「大根畑」というような意味の名前になりますね。

 

彼はドイツ生まれの音楽家ですが、祖先は現在のベルギーに住んでいたオランダ系の一族でした。

 

フルネームは「Ludwig van Beethoven」(ルードヴィッヒ・ファン・ベートホーフン)です。

「van」はオランダ語の前置詞で、英語の「of」または「from」に当たります。ドイツ語では「von」になります。

「van」はオランダ系の名字によく使われます。したがって、ヨーロッパ人には、彼がもともとドイツ系ではないことがすぐにわかります。

 

 

「ひまわり」で有名なオランダ人画家、「ゴッホ」にも「van」がつきます。

→「Vincent van Gogh」(フィンセント・ファン・ゴッホ)

 

ちなみに、「Gogh」の発音は、言語や地域によって違います。「gh」がやっかいですね。

「ゴッホ」という人もいますが、「ゴフ」や「ゴウ」と読む人もいます。

 

多くのアメリカ人は、「ヴィンセント・ヴァン・ゴウ」といいます。

 

 

(ivy 松村)

「H」の話④

「gh」は、基本的に発音されない「黙字」です。

 

 

weight「ウェイト」(重さ)

eight「エイト」(8)

ought「オート」(~するべきだ)

although「オルゾウ」(~にもかかわらず)

caught「コート」(catchの過去形)

sigh「サイ」(ため息をつく)

sight「サイト」(視界)

straight「ストレイト」(まっすぐな)

through「スルー」(~を通って)

though「ゾウ」(~にもかかわらず)

thought「ソート」(thinkの過去形)

daughter「ドーター」(娘)

delight「デライト」(喜ばせる)

taught「トート」(teachの過去形)

night「ナイト」(夜)

neighbor「ネイバー」(隣人)

high「ハイ」(戦う)

height「ハイト」(高さ)

fight「ファイト」(戦う)

flight「フライト」(飛行)

fright 「フライト」(恐怖)

bright「ブライト」(明るい)

brought「ブロート」(bringの過去形)

bought「ボート」(buyの過去形)

might「マイト」(mayの過去形)

light「ライト」(光)

right「ライト」(正しい、権利、右の)

 

 

 

語末に「gh」が置かれたときに、発音されることもあります。

 

その際の発音は「フ」=[]です。

 

]は、日本語の「ハヒフヘホ」の「フ」ではないので注意しましょう。下唇を軽く噛み、弾くようにして発音します。

 

 

enough「イナ」(十分な)

cough「コ」(咳)

tough「タ」(頑丈な)

laugh「ラ」(笑う)

rough「ラ」(粗い)

 

 

 

昔は、「gh」が発音されていました。

その音は、「強く発音するハヒフヘホ」です。

 

発音記号は[x]です。

慣れないと戸惑うと思いますが、[x]は「ハヒフヘホ」を表す発音記号です。

 

x]の音は消失してしまって、英語からなくなりました。

そのため、この[x]の発音記号は、「現代英語には」みられません。

 

 

古い時代の英語には[x]の発音が存在し、それに「gh」が当てられたのです。

 

英語の「gh」の発音は、

 

x]→[]→「無音」

 

と変化してきたわけです。

 

]の音が残っている単語は、無音化されずに発音が残存したものです。

 

 

 

x]=「強く発音するハヒフヘホ」は、ドイツ語の「ch」の音だったことを覚えているでしょうか。

 

x]の発音を示すのに、ドイツ語は「ch」を用いたわけです。一方、英語は「gh」を代用したわけです。

 

ドイツ語の「ch」と古い英語の「gh」はともに同じ音→[x]を表すということになりますね。

 

(発音体系に少しだけ「ズレ」があって、ドイツ語の「ヒ」の発音は[x]では表さないのですが、まあ、あまり重要ではありません。)

 

両者は、驚くほどに「照応」しています。

英語とドイツ語は、そもそも「親類」の言語だからです。

 

 

 

以下の例を見てみましょう。

 

 

英語 ドイツ語 ドイツ語の発音 意味
eight acht 「アト」 (8)
high hoch 「ホッ (高い)
night Nacht 「ナト」 (夜)
daughter Tochter 「トター」 (娘)
laugh lachen 「ラッン」 (笑う)
light Licht 「リト」 (光)
right recht 「レト」 (正しい)

 

 

 

英語とドイツ語の語彙が非常によく似ていることがわかります。

 

英語は、そもそも「ドイツ語の方言」だからです。

 

5世紀ごろに、ドイツ西部に住んでいた「ゲルマン人」の一派が、ブリテン島(イギリス)に渡り、住み着きました。彼らの話していたドイツ語が、英語の母体となったのです。

 

その後、英語はフランス語などの影響を受け、大きく変化していきますが、日常生活で頻繁に使用される「基本語彙」などを中心に、古い形や発音を残した単語があります。

 

前に、英語をよく知るためにはフランス語を学ぶとよい、と書きましたが、もし、英語の「原風景」を知りたいのなら、ドイツ語を学ぶのもよいと思います。

 

 

 

「gh」の例外も見ておきましょう。

 

Edinburgh 「エディンバラ」(エジンバラ:スコットランドの都市)

 

 

スコットランドは、イギリス=「連合王国」を構成する国(地域)のひとつで、「エジンバラ」はその「首都」です。

 

「Edinburgh」は、語末の「ア」という母音が「gh」で表されているので、ちょっと珍しい単語です。

英語やドイツ語などの「ゲルマン語」には、城や都市を意味する「burg」(バーグ、ブルグ)という語がありますが、それが訛って、「バラ」になっているようです。

 

 

 

前に、「gh」の「h」が無音になって、[g]の発音になる語彙の例として、「ghost」(ゴウスト:幽霊)や「Ghana」(ガーナ)を挙げましたが、それ以外にも、

 

spaghetti「スパゲッティ」(スパゲッティ)

yoghurt 「ヨーグルト」(ヨーグルト)

 

などがあります。

 

「spaghetti」は、もともとイタリア語なので、「h」が発音されません。

 

「yoghurt」は、「h」を書かない表記もありますが、「h」のある表記もよく見られます。

 

 

(ivy 松村)

 

 

「H」の話③

「H」を用いた「二重字」は、意外と多くあります。

 

たとえば、「ch」「sh」「ph」「th」「gh」「wh」「rh」などです。

 

この中で、「ch」は少し厄介です。「ch」には、複数の発音があります。

 

 

スペイン語、イタリア語、フランス語のそれぞれの言語の「ch」の発音を確認してみましょう。

 

・スペイン語の「ch」…「チ」→「チャ・チ・チュ・チェ・チョ」

・イタリア語の「ch」…「ク」→「カキクケコ」

・フランス語は「ch」…「シュ」→「シャ・シ・シュ・シェ・ショ」

 

 

英語の「ch」は、いずれの発音も有しています。

つまり、英語において「ch」は、「チ」と読む可能性もあれば、「ク」と読む可能性もあります。

それだけでなく「シュ」と読む可能性もあるわけです。

 

「ch」の綴りが出てきたときは、発音記号を確認するようにしましょう。

 

・「チ」の発音記号→[tʃ

・「ク」の発音記号→[k

・「シュ」の発音記号→[ʃ

 

 

 

3つの発音の中で、英語の「ch」の「基本」となるのは「チ」です。

 

China「チャイナ」(中国)

child「チャイルド」(子供)

champion「チャンピオン」(王者)

chance「チャンス」(機会)

charity「チャラティ」(チャリティ)

church「チャーチ」(教会)

cheer「ア」(応援)

chicken「キン」(鶏肉)

cheese「ーズ」(チーズ)

cheap「ープ」(安い)

choose「チューズ」(選ぶ)

chair「チェア」(椅子)

change「チェンジ」(変わる)

chocolate「チョコレト」(チョコレート)

chopsticks「チョプスティクス」(箸)

 

 

枚挙にいとまがありません。

「ch」の付く英語の基本語彙は、一般的には「チ」で読まれます。

 

 

 

「ch」を「ク」と発音するのは、古代ギリシア語、ラテン語(あるいはイタリア語)に由来する語彙です。

 

 

chaos「オス」(混沌)

chameleon「メレオン」(カメレオン)

charisma「リスマ」(人を心酔させる魅力)

 

character「ャラクター」(特徴)

 

Christ「ライスト」(キリスト)

Christmas「リスマス」(クリスマス)

 

chemistry「ミストリー」(化学)

chemist「ミスト」(薬屋)

 

chronicle「ロニクル」(年代記)

 

cholera「レラ」(コレラ)

chorus「ーラス」(合唱)

 

 

 

なじみのある単語で「ch」=「ク」の発音をするものもけっこうありますよ。

 

 

anchor「アンー」(最終走者)

school「スール」(学校)

technic「テニック」(技術)

technology「テノロジー」(科学技術)

orchestra「オーストラ」(管弦楽団)

echo「エー」(反響)

 

 

 

また、「ch」=「ク」になる単語は、古代ギリシア語、ラテン語に由来する語彙なので、学術用語や専門用語、あるいは抽象的な概念や造語などによく見られます。

 

 

anachronism「アナロニズム」(時代遅れの)

archive「アーイヴ」(記録文書)

scholarship「スラーシップ」(奨学金)

 

archeology「アーオロジー」(考古学)

architecture「アーテクチャー」(建築)

anarchy「アナーー」(混乱)

scheme「スーム」(計画、体系)

 

epoch「エポッ」(新時代)

synchronize「シンロナイズ」(同時性を持つ)

stomach「スタマッ」(胃)

monochrome「モノローム」(白黒)

 

psychology「サイロジー」(心理学)

mitochondria「ミトンドリア」(ミトコンドリア)

 

 

 

「archive」(アーカイヴ:記録文書)は「achieve」(アチーヴ:達成する)と混同しそうになってまぎらわしいので、気をつけてください。

 

 

 

他にも、

 

ache「エイ」(痛み)

 

という単語がありましたが、これは、ちょっと特殊です。

この語は古くからある英語の語彙であるにもかかわらず、その由来が古代ギリシア語であると「勘違い」されてしまったために、「エイク」の綴りに「ch」が当てられてしまったのだそうです。

 

 

 

また、

 

choir「ワイアー」(聖歌隊)

 

という単語がありますが、この単語の発音、めっちゃ注意してください。

 

「oi」を「ワ(イ)」と発音します。「oi」を「ワ」と読むのは、フランス語のルールです。

つまり、この語はフランス語由来なのです。

ということは、この語は、古くはおそらく「ショワー」と発音されていたはずなんですよね。

フランス語では「ch」は「シュ」になるからです。

 

しかし、この語は「chorus」(コーラス:合唱)などと同じ語源で、古代ギリシア語由来です。そのため、「ch」が「ク」に「復元」されたのだと思います。

しかし、「oi」は「フランス語の発音」のまま維持されたので、難解な発音の単語になってしまったのでしょう。

 

 

「oi」=「ワ」のフランス語の例は、他にも、

 

croissant「クロワソン」)(クロワッサン)

foie gras「フォワグラ」(フォアグラ)

 

などがあります。

 

 

あとは、フランス語で「歴史」を意味する「histoire」という語も、「イストール」と発音しますね。

 

 

 

まったくどうでもいい話ですが、日本に住んでいるフランス人の「必殺ジョーク」があって、スマホなどがまだ普及していないころ、あるフランス人が道に迷って、しかたなく電話をかけてきたので、周りに何か目立つ建物がないかきいてみたところ、「ワワ」という建物がある、と。

よくわからないので、「ワワ」って何だ、他に何か書かれていないか、ときいても、いや建物に「ワワ」としか書かれていないと言う。

とりあえず探して、やっと会うことができて、ところで「ワワ」って何だったの、ときかれた彼が、あれだよ、と指さしたデパート。

見てみると「OI OI」と書かれてあったわけです(爆笑)。

 

 

(このジョークが理解できれば、君もフランス人だ! ボンジュ~ル!)

 

 

 

蛇足ついでといっては何ですが、フランス語の「r」は日本人にはちょっと難しい発音です。

フランス語の「r」は慣例的に「ラリルレロ」で表記するようになっているのですが、日本語の「ラリルレロ」とは全然違う音です。「うがい」をするときのように、のどの奥をゴロゴロさせるような独特の発音で、人によっては「ガギグゲゴ」のような音に聞こえるかもしれません。

 

ですから、「r」の音が入っている「histoire」や「croissant」や「foie gras」などのフランス語の単語は、フランス語を習ったことのない日本人には聞き取れないし、声に出してもほとんど通じないと思います。

 

 

 

フランス語が難しい、というのはよくいわれることですが、フランス語に挑戦してみると、思ってもみない「意外なメリット」がけっこうあります。

 

そのひとつは、「英語を深く理解できるようになる」というものです。

 

何度も述べてきましたが、英語は、フランス語から大きな影響を受けています。

フランス語を知れば、英語のことをより詳しく知ることができます。

 

 

 

さて、「ch」の続きを。

 

「ch」を「シュ」と発音するのはフランス語由来の語彙です。

 

 

chandelier「シャンデリィア」(シャンデリア)

champagne「シャンペイン」(シャンパン)

Chicago「カゴゥ」(シカゴ)

chic「ック」(上品な)

chivalry「ヴォリィ」(騎士道)

chef「シェフ」(料理長)

Chevrolet「シェヴォレ」(シボレー:自動車メーカー)

 

machine  「マーン」(機械装置)

cache「キャシュ」(隠し場所)

parachute 「パラシュート」(パラシュート)

moustache「マスタッシュ」(口ひげ)

 

 

「cache」(キャシュ:隠し場所)は、「cash」(キャシュ:現金)と発音は同じですが、綴りは違うので注意してください。

また、「ache」=「エイク」ですが、「cache」=「キャシュ」なので、これも気をつけましょう。

 

 

 

ちなみに、チョコレートは英語では「chocolate」ですが、フランス語では「chocolat」です。

語末が「t」になっていますが、フランス語は語末の「t」を読みません。

したがって、フランス語では、これを「ショコラ」といいます。

 

 

 

その他、まあ、「例外」のひとつですが、オランダ語由来の「ch」があります。

 

yacht「ヨット」(ヨット)

 

これは「ch」が無音になっています。

 

 

 (ivy 松村)

 

 

「H」の話②

「H」の起源は、古代ギリシアの文字にあります。

 

古代ギリシア語には「ヘータ」という文字がありました。「ヘータ」の大文字の字形は「H」と同じ形です。

これが、「エイチ」のルーツです。

 

この「Η」=「ヘータ」は、やがて「エータ」という名称で呼ばれるようになります。

古代ギリシア語において、[]の音の消失が起こったからです。

 

そのため、「Η」という文字からも[]の音が失われたわけです。

 

 

現代英語では、「H」という文字は「エイチ」と呼ばれます。

実は、これは奇妙なことです。

 

英語において、「H」という文字が担う基本的な「音素」は、[]=「ハヒフヘホ」の音だからです。

 

「エイチ」という呼称に、[]の音が含まれていないのです。

 

たとえば、ドイツ語では、「H」の文字は「ハー」と呼ばれます。

これは、ごく自然な「命名」だといえるでしょう。

「ハヒフヘホ」の音を担う文字の名称には、[]の音が組み込まれているわけです。

 

ラテン語でも「H」は「ハー」と呼ばれました。(ラテン語には当初[]の「音素」がありました。)

 

 

ラテン語から派生したイタリア語、スペイン語、フランス語などのロマンス諸語は、「H」を発音しないということを、前回の記事で紹介しました。

 

では、これらの言語は、「H」をどのように呼んでいるのでしょうか。

 

 

・イタリア語 …「アッカ」

・スペイン語 …「アチェ」

・フランス語 …「アシュ」

 

 

イタリア語は「H」の文字に「カ」→「カキクケコ」の音を代表させています。

スペイン語は「H」の文字に「チェ」→「チャ・チ・チュ・チェ・チョ」の音を代表させています。

そして、フランス語は「H」の文字に「シュ」→「シャ・シ・シュ・シェ・ショ」の音を代表させています。

 

これらは、実は、それぞれの言語の「ch」の発音です。

つまり、これらの言語にとって「H」は、「ch」を形成するための文字であるとみなされているわけです。

 

 

 

ということで、「ch」についてもう少し詳しくみていきましょう。

 

 

]の音を失った「Η」という文字には、新しい役割が与えられるようになります。

それは、「二重字」の一部になることです。

 

「二重字」というのは、「ひとつの文字」と同じような機能を持つ2文字列のことをいいます。

要するに、「セット」になった2つの文字に、「独自の発音」を付与するわけです。

 

「H」という文字の重要な働きのひとつは、「二重字」を構成するということです。

 

 

「ch」は、「c」という文字と「h」という文字が組み合わさった代表的な「二重字」です。

 

イタリア語、スペイン語、フランス語では、「H」という文字の名称に「ch」の音があてられています。

これらの言語にとって、「H」という文字の「第一義」は、「ch」を作り出すことなのです。

 

 

それにしても、それぞれの言語で、「ch」の発音がずいぶん違っていますね。

 

 

イタリア語では、「ch」は「カキクケコ」の音になります。

たとえば、イタリアの有名な童話の登場人物「ピノッオ」の綴りは「Pinocchio」になります。

 

スペイン語では、「ch」は「チャ・チ・チュ・チェ・チョ」の音になります。

たとえば、キューバ革命に参画し、スペイン語圏で人気の高い歴史的人物のひとり、「チェ・ゲバラ」の綴りは「Che Guevara」になります。

 

フランス語では、「ch」は「シャ・シ・シュ・シェ・ショ」の音になります。

たとえば、ピアノ曲で有名な作曲家の「ショパン」の綴りは「Chopin」になります。

 

フランス語では「in」の発音が「アン」になるので、「Chopin」は「ショパン」です。

ちなみに、「ルパン」は「Lupin」と書きますよ。

 

余計な話ですが、“Chopin”は、英語でも「ショパン」ですが、「チョピン」という人もいます。“Lupin”は、「ルピン」ですね。

 

 

…チョピン。…なんか、残念。

 

 

 

ドイツ語においても、「ch」は独自の発音を持っています。

 

ドイツ語には「ハヒフヘホ」が2種類あります。

ひとつは「H」で表される[]です。

もうひとつは、強く発音される「ハヒフヘホ」で、「カ」と「ハ」を強く同時に発音するような音です。

文字で説明するのはなかなか大変ですが、寒いときに、手に息を吹きかけるときに出すような「ハ~」という音で、のどの少し奥まった上のあたりを息でこするようにして出します。

 

ドイツ語には「ハヒフヘホ」が2種類あるので、これらを区別するために「ch」が用いられているわけです。

 

たとえば、ドイツの偉大な音楽家、「バッ」の綴りは「Bach」となります。

また、ドイツ起源の人気のあるお菓子に「バウムクーン」がありますが、その綴りは「Baumkuchen」になります。

 

 

 

そして、英語の「H」ですが、「エイチ」と読みます。

したがって、その名称には、やはり「ch」という二重字が念頭に置かれているわけです。

英語における「ch」の発音は、「チャ・チ・チュ・チェ・チョ」です。

 

 

さて、ここでひとつの疑問に突き当たります。

 

イタリア語やスペイン語、フランス語などとは異なり、英語には、[]の音が存在し、「H」という文字は、その発音の表記を担っているわけです。

そうすると、この文字の名称は、「ハー」とか「ヘー」であるべきです。

 

 

なぜ、「H」は「エイチ」なのでしょうか。

 

 

そのヒントは、フランス語にあります。

 

英語は、フランス語の影響を強く受けています。

「フランス人」がイギリスを支配していた時代があるためです。

「フランス人」によるイギリスの「征服」を、歴史の用語で「ノルマン・コンクエスト」といいます。

 

デンマークやノルウェー、スウェーデンなどの北欧には、かつて「ノルマン人」と呼ばれるゲルマン人の一派が住んでいました。「ノルマン」というのは「北方の人」という意味です。

フランス北西部に、「ノルマンディー」という場所がありますが、その地名は「ノルマン人」にちなんだものです。

 

「ノルマン人」というのは、つまりは「バイキング」のことです。

彼らは、巧みに船を操り、ヨーロッパ各地の沿岸に勢力を伸ばしていき、やがてその一部がフランスに土着します。その地が、「ノルマンディー」と呼ばれるようになったわけです。

 

フランスに根を下ろした「ノルマン人」は、次第に「フランス化」し、フランス語を話すようになります。

 

そうはいっても「バイキング」の末裔です。

11世紀後半、彼らは対岸のイギリスに侵攻し、イギリスを支配下におさめます。

こうして、イギリスは「ノルマン人」に征服されてしまうわけですが、それは、もはや「フランス人」によるイギリス支配だったわけです。

 

「ノルマン・コンクエスト」を契機として、イギリスには大量のフランス語の語彙が流入しました。

 

英語に、フランス語由来の語彙がたくさんあるのも、また、フランス語(風)の発音を持った語彙が存在するのも、「ノルマン・コンクエスト」の影響なのです。

 

 

 

「H」に話を戻しましょう。

 

フランス語では、「H」を「アシュ」と発音します。

その綴りは“ache”です。フランス語では「ch」は「シュ」の発音になります。

 

イギリスにおいても、「フランス人」に支配されていた時代には「H」は「アシュ」と発音されていました。

 

しかし、やがてイギリスでは「ch」は「チ」と発音されるようになります。

 

イギリス人が、国内からフランスの勢力を追い出し、英語が「国民の言語」として形成されていくなかで、いくつかの要因が重なって、英語の発音に変化が起こりました。

 

 

となれば、“ache”の読みは(スペイン語と同じように)「アチェ」になるはずです。

 

ところがまた、中世から近世にかけて、英語の発音に変化が生じました。そのため、「アチェ」のような発音は、維持されなかったのです。

 

英語独特のユニークな「発音体系」が、15世紀から17世紀にかけて形作られました。

そのうちのひとつは、語末が「子音+e」になるときに、「e」を発音せず、その直前の母音を二重母音で発音するというものです。

 

 

たとえば:

 

・「ace」→「エイス」(トランプの1)

・「age」→「エイジ」(年齢)

・「ape」→「エイプ」(猿)

・「ate」→「エイト」(eatの過去形)

 

 

したがって、“ache”は「エイチ」と発音されなければなりません。

 

フランス語において「H」の文字は“ache”という名称です。

フランス語では、その綴りを「アシュ」と発音しますが、英語では「エイチ」と発音されてしかるべきなのです。

 

 

 

…しかしながら、“ache”は「エイチ」とは読みません。

 

よく知られているように、現代の英語では、“ache”を「エイク」と読みます。

 

 

「ache」という綴りの、別の単語が「現れた」のです。

18世紀ごろに、「痛み/痛い」という意味を持つ「エイク」という発音の語彙が、「ake」ではなく、「ache」という綴りに整理されたのです。

 

 

そのため「ache」=「エイク」となってしまったわけですが、「H」の呼称は、依然として「エイチ」です。

 

そこで、「エイチ」という発音を表記する別の綴りが求められたのです。

 

 

それで「エイチ」は「aitch」となったわけです。

 

 

ちなみに、現代の英語で「アシュ」といえば、「ash」(灰)のことですね。(少し発音が違いますが。)

 

 

 (ivy 松村)

 

「H」の話①

アルファベットの8番目の文字「H」(aitch)「エイチ」についてです。

一応、念のため、いっておきますが、「Hな話」ではありません。

 

 

まったくどうでもいい話ですが、私は、授業の雑談の際に、けっこう「雑なアンケート」を取ることがあって、たとえば、「好きな地図記号は?」とか、「好きな部首は?」とか、アホみたいなことを生徒に聞いたりすることがあります。

私の好きな地図記号は「発電所」で、好きな部首は「がんだれ」なのですが、そんな私の好きなアルファベットの文字は、「H」なのです。

しかし、その回答は、何か、誤解されそうで、生徒にもアルファベットのアンケートをしづらいというのが、最近の悩みです。

 

 

 

そんなどうでもいい話はさておいて、「H」についてです。

「H」はかなり特異な文字です。

 

「H」=「h」についてみていきましょう。

 

 

まず、「h」の基本の「役割」ですが、それは、「ハヒフヘホ」の「音素」→[]を表わすということです。

 

 

・hand「ハンド」, house「ハウス」,hundred「ハンドレド」

・heat「ヒート」,hill「ヒル」, hit「ヒット」

・hair「ヘア」 heavy「ヘヴィ」,hello「ヘロウ」,

・home「ホーム」,horse「ホース」,hospital「ホスピタル」

 

ただし、「ヒュー」になる場合があります。

 

・human「ヒューマン」,humor「ヒューマァ」,huge「ヒュージ」,humid「ヒューミッド」

 

 

「ハヒフヘホ」の音を表示するのは、最も一般的な「h」の使われ方ですね。

 

 

 

「h」は、「黙字」となることもあります。

 

発音をしない「h」ですね。

 

 

・honest「オネスト」

・honor「オナー」

・hour「アワー」

 

 

これらは、フランス語に由来する単語です。

 

英語は、歴史的にフランス語の影響を強く受けています。イギリスがフランスの支配を受けた時代に、多くのフランス語が英語に流入したのです。

 

 

フランス語は、「h」を発音しません。

 

たとえば、“hotel”はフランス語では「オテル」です。

 

“henry”という名前は、イギリスでもフランスでも人気の名前ですが、英語では「ヘンリー」、フランス語では「アンリ」になります。

 

日野は「イノ」、八王子は「アシオジ」になります(chiの発音が「シ」になるため)。

「母の日」は「アアノイ」になりますね。

 

 

昔、フランスから中国経由で日本に帰ろうとして、旅行会社の窓口でチケットの手配を頼んだときに、受付のお姉さんが、「サンガイ、サンガイ…」とずっと言っていて、「サンガイ」というのはどこだっけ?と、しばらく考えていたのですが思い当たらなくて、「サンガイってどこですか?」ときいたら、「え、サンガイも知らないの?」みたいなリアクションをされて、「ここよ!」って示されたところを見てみると、“Shanghai”でした。

「シャンハイ」は、フランス語では「サンガイ」ですね。

 

 

 

それにしても、フランス語はなぜ、綴りに「h」が用いられているのに、発音されないのでしょうか。

 

 

その「原因」は、古代のギリシアで起こった、「h」の発音の消失にさかのぼることができます。

 

 

ギリシャ文字(ギリシア文字)は、私たちの知っている西ヨーロッパで使われている「アルファベット」(ローマ字)とは違っているので、ちょっとわかりづらいのですが、たとえば、古代ギリシア語で「歴史」を意味する単語を「ἱστορία」と書きます。

 

これを「ローマ字」で書き表すと「historia」になります。

 

これは「ヒストリア」と読めます。

しかし、古代ギリシアで「h」の音がなくなってしまったために、この単語は「イストリア」と発音されるようになります。

 

こうした「慣例」が後の時代に受け継がれることになるのです。

 

 

ヨーロッパ文明の礎となった古代ギリシア文明、その繁栄を担ったギリシア語の語彙は、ローマ帝国に継承され、やがてヨーロッパに伝播していくことになります。

 

ローマ帝国で使用されていた公用語はラテン語です。

ローマの人々は、古代ギリシア語をラテン語に取り入れる際に、「h」を発音しないという「慣例」も受容したのです。

 

 

フランス語は、ラテン語から派生した言語です。

したがって、「h」を発音しないという古代の「慣例」を受け継いでいるわけです。

 

フランス語では「歴史」のことを「histoire」と書き、「イストワール」と読みます。

「hi」の発音が「イ」となっていますね。

 

 

 

ちなみに、フランス語だけでなく、イタリア語やスペイン語でも「h」は発音されません。

 

これらの言語は、古代ローマ帝国で使用されていたラテン語を共通の祖先とした同系統の言語です。古代のローマ帝国に起源を持つこれらの言語をまとめて「ロマンス語」といいます。

(念のため、一応いっておきますが、「ロマンス」というのは、うっとりするような情感豊かな物語のこと、ではなくて、「ローマの」という意味です。)

 

 

一方、英語の「歴史」は、当然「history」です。これは「ヒストリー」と読みますから、「h」が発音されています。

 

英語は、「ロマンス語」の系統ではなく、「ゲルマン語」の系統です。

 

同じく「ゲルマン語」の系統のドイツ語には「歴史」を意味する単語が2つありますが、そのうちのひとつは「Historie」です。これも「ヒストリー」と発音します。ドイツ語にも「h」の発音があるわけです。

 

 

ざっくりとまとめると、「ロマンス語」は「h」を発音せず、「ゲルマン語」は「h」を発音します。

 

「ゲルマン語」の系統である英語やドイツ語は、古代ギリシア語やラテン語に由来する語彙に、「h」の発音を与えて受け入れたわけです。

 

英語は元来「h」の発音を有しています。

しかし、11世紀以降、イギリスに「ロマンス語」のひとつである「フランス語」が流入します。「h」の音がない語彙は、その際にもたらされたものです。

 

「フランス経由」でイギリスにもたらされた語彙のうち、フランス語の「語感」が強かった語は、フランスの発音を維持し続け、今日までその発音が踏襲されることになったわけです。

 

 

 

ところで、これはまったくの余談ですが、私は中学のころ、ある女性の英語教師に「history」の語源は「his story」だと教えられました。

要するに、歴史というのは、「“彼の”物語」なのである、と。

その教師は、これは、「歴史」というものが「男」によって作られ、独占されてきたのだということの表れなのであると力説しました。

 

私はずいぶん長らくその話を信じていましたが、あるときにそれは成り立たないということに気づきました。

 

ある時期に、ほんの3、4か月ですが、フランス語を学習したことがあって、そのときに「歴史」を意味する「histoire」という言葉に出会ったのです。

明らかにその語は英語の「history」と同根の単語でした。

 

そのとき私にフランス語を教えてくれていたのはフランス人の教師でしたが、そのことについてちょっと質問してみたのです。

すると、その先生は、ああ、それはいい質問ですね、といって、それら2つの語はともに古代ギリシア語に由来するもので、「his story」という句から「history 」という言葉が作られたというのはただの俗説だということをあっさりと説明してくれました。

 

まあ、要するにただの「ダジャレ」だったわけです。

 

 

しかし、この俗説は、非常に根強く世間に浸透しているようです。

私の身内にオーストラリアに留学していたものがいるのですが、オーストラリアの英語教師が同じことを言っていたそうです。英語のネイティブでさえ、鵜呑みにしているわけです。

 

 

今でも、この俗説をせっせと説いている教師が、存在するのでしょう。

 

この世界が「男性中心」に形作られ、女性が様々な面で抑圧されてきたというのは、「真実」だと思います。当然、世界はよりよく変化するべきだと思いますし、「そのため」に「啓蒙」は必要でしょう。

 

しかし、その言説が「ダジャレ」によるものでは、台無しだと感じます。

 

 

 

「h」の話をもう少し。

 

先に、古代ギリシアで「h」を発音しなくなったということを書きました。

しかし、これは特殊な出来事というわけではなく、実は[]はそもそも無音化されやすい音なのです。

 

 

たとえば、日本には「高橋(タカハシ)」という苗字の人や「上原(ウエハラ)」という苗字の人がいますが、よく聞いてみると彼らは「タカーシ」とか「ウエァラ」と呼ばれていることがあります。

 

]の音は、けっこう「弱い音」なので、消えやすいのです。

 

 

「アルコール」は、オランダ語を語源とする外来語で、「alcohol」と綴ります。

この綴りは英語と同一です。

オランダ語も英語も「アルコホール」と発音します。日本人も昔は「アルコホル」と発音していましたが、今は「アルコール」と呼んでいます。

 

 

現代の英語話者でも、ロンドンの下町やアメリカの方言では、[]を発音しない話し方がみられます。

 

 

 

その他、「gh」や「th」から[]の「要素」だけが消失し、「g」や「t」の発音になった語彙もあります。

 

・ghost「ゴウスト」(幽霊)

・Ghana「ガーナ」(国名)

・Thailand「タイランド」(国名:タイ)

・Thames「テムズ」(ロンドンを流れるテムズ川)

・thyme「タイム」(薬草、香辛料)

 

 

 

あと「exhibition」は「エグザビション(展示会)」と読みますが、これも[]の音が消えているとみることができますね。

 

 

 

(ivy 松村)

「一陽来復」to「一言居士」

インターネットで拾った今年の「高校の大学合格実績」をざっくりと見比べてみました。

 

都立中・高は、ちょっと興味深い「状況」です。

 

まだ、高校に「報告」をしていない受験生が多くいるはずなので、これから各高校の合格者数は増加するでしょう。さらに、後期日程があります。現時点では、「目途」でしかありませんが、気になったことなどを。

 

(「人数」を載せようかとも思ったのですが、やめました。)

 

 

 

もしかすると、「難関4大学」の合格実績は、最終的に、国立が西を上回るかもしれません。ただ、今年の国高の大学合格実績は、西高以上に、浪人生に依存したものになりそうな感じです。

 

「難関4大学」にフォーカスすると、進学指導重点校のなかで、八王子東と立川は、他の5校に引き離されつつあります。

 

おそらく、多摩地区の「最上位層」の生徒が、国立に集中する傾向が強まっているのだと思います。

 

 

 

都立中では、武蔵が小石川に肩を並べるまで実績を伸ばすかもしれません。

武蔵は、昨年の実績が少し下降しましたが、今年はやはり上げてきました。

 

立川国際は、少し持ち直して来ました。

 

 

南多摩中は、気になっているのですが、まだ、ちょっとわからないみたいですね。

先日、南多摩中等の高3の教え子が、進学先が決まったと報告に来てくれたのですが、学校の先生も、私立大学が厳しかったと、おっしゃっていたそうです。

 

 

都立高校と都立中学を大まかに比較すると、生徒数の多い都立高校の方が、「数」の実績が上回りますが、「率」を比較すると、両者は肉薄しています。

 

 

「現浪」の比較をすると、圧倒的に都立中の「現役」の実績が上回ります。

 

ある意味で、トップレベルの都立高校は、「浪人」を「現実的な選択」として想定しているといえます。

それに対して、都立中学は、「6年間」を有効に使って「現役」で合格を得る、という戦略に比重が置かれているといえます。

 

 

 

・「公立中学3年+高校3年」

・「中高一貫校6年」

 

それぞれに「良さ」があると思いますが、「大学受験」を見すえると、「6年」という「持ち時間」以外にも、中高一貫校にはいくつかのメリットがあります。

 

多くの公立中学の生徒は、「実技4教科」の内申に苦戦しているわけですが、他方、中高一貫校の生徒は、大学受験に直結しない教科を「リラックス」して学ぶことができます。

そのあたりの「ストレスフリー」も、中高一貫校の魅力の一つだと言えるのかもしれません。

 

「不器用だけど勉強ができる」という生徒がたまにいます。

そういう生徒は、公立中学に進むと、「可能性」が狭められるかもしれないわけです。

一方、中高一貫校に進学すれは、心理的な圧迫を感じずに、実技教科を学べるわけです。

 

 

 

ちょっと前に中高一貫で6年間勉強して大学受験に挑んだ生徒に接する機会があって、今日、都立高校で3年間勉強して大学受験に挑んだ生徒と接する機会がありました。

 

それで、ちょっといろいろと考えてしまいました。

 

 

まあ、私のどうでもいい小話はともかく、ぜひ、素晴らしい大学生活を送ってください。

 

 

 

あと、ちょっと、申し開きというか、事情の説明なのですが、夕方の早い時間帯に、私は校舎にいないことがあります。

 

昨年、農工大に合格した教え子が報告に来てくれたのですが、そのときに話すことができずに、残念でした。

 

今日も、話をしに来てくれた生徒がいたのですが、会うことができませんでした。

 

よければ、ぜひ、また今度顔を出してください。いろいろと話ができるのを楽しみにしています。

 

 

それから、卒業生のみなさん、これまでに「ご縁」のあった生徒のみなさん、保護者のかた、塾のかたも、再び、お話しできる機会がありましたら、うれしく思います。

 

 

 

さて、大学受験は、「まだ」です。

 

これから勝負に挑む受験生、がんばれ!

 

 

(ivy 松村)

 

 

数億年の途方の果て

毎年、「今日という日」には、複雑な思いに駆られます。

 

何を書こう、と考えて、私の魂は、泥炭の沼底に閉じ込められたトリケラトプスの化石のように、数億年の途方に暮れてしまいます。

 

 

祝福の言葉でもなく、なぐさめの言葉でもなく、はげましの言葉でもなく、ねぎらいの言葉でもなく、「現実的な言葉」を発しようと思ったときに、気づいたのです。

 

 

みなさんが、「この世界に自分の居場所を築く」、それが、私の願いだったのです。

 

 

高校受験は、強力な「手段」です。でも、それは、「絶対」ではありません。

これからの「居場所」となることが大事なのです。

 

だから、みなさんは、「これから」のことを考えてください。

 

 

思えば、今年受験をした中3のクラスは、一人ひとりの「居場所」というものが実は大きなテーマだったのかもしれません。

 

 

 

私は、塾の人間なので、いつも、「今日という日」にも、勉強の話をしたがる。

 

「高校に入ったら・・・」「大学受験は・・・」

 

なんて興ざめな人間なのだろう。

生徒のみなさんがあきれているのも知っているけれども、でも、言いたい。

勉強は、大事なのだ、と。

 

一方で私は気づいている。

「幸せ」というものは、少し「ずれたところ」にあるのだということを。

 

 

世の中には「幸せの才能」を持った人たちがいて、その人たちは、直観的に、幸せを呼び込む。

 

そのような天賦に恵まれない私たちは、「論理的思考力」と「知識」を駆使して、幸せを求めるしかない。

 

だから、やはり勉強は、大事だ。

 

 

とはいっても、結局最後は、「誠実さ」だったり「真心」だったりが、「幸せの鍵」になるのだと思う。

 

お前にそれがあるのか、と問われれば、ちょっと窮してしまうけれども、私がどんな人間であるかにかかわらず、みなさんには「幸せ」になってもらいたいと思う。

 

だから、私は「誠実に努力をしなさい」という。

 

 

誠実に努力する人間は、周りの人をひきつける。

真心を持った人間は、周りの人の美点を引き出す。

 

 

そういう人は、この世界に、自分の居場所を築くことができると思う。

そして、「幸せ」を引き寄せる。

 

 

「幸せな人生は、素晴らしい」というのは、究極の「知性」だと思う。

 

 

 

さて、ここで、「現実的な話」を。

 

 

都立高校では、入試得点の開示請求という制度があります。

この制度を利用して、「採点の誤り」がなかったのかを確認することができます。

 

また、ある人にとっては、これは1つの「決別の儀式」となるのかもしれません。

 

 

以下に、「都立高校Q&A」に掲載されている開示請求の概要を引用します。

 

 

 

Q 学力検査の得点や面接・作文などの得点は、どのようにすれば知ることができますか。

また、学力検査の答案を開示してほしい場合は、どのようにすればよいのですか。

 

A 都立高校では、受検者又は保護者の開示請求に基づき、学力検査の得点及び面接・作文などの得点を記載した「学力検査等得点表」や、「学力検査における答案の写し」を、受検者又は保護者に直接交付します。

 

開示を希望する場合は、合格発表日以降に「学力検査等得点表・学力検査における答案の開示請求書」を受検した高校に提出する必要があります。その際、本人確認ができるもの(受検票や身分証明書など)を提示してください。

 

なお、保護者が開示を請求する場合は、受検票と本人確認できるもの(身分証明書など)の両方の提示が必要です。

 

請求受付時に開示請求受付票をお渡しします。この開示請求受付票には、学力検査等得点表や答案の写しの交付日が記載されますので、交付日以降に開示請求した高校に開示請求受付票を提出し、請求時と同様に本人確認を行った後、学力検査等得点表や答案の写しを受領してください。開示請求受付票は、受領する際に必要となりますので、大切に保管してください。

 

なお、保護者が受領する場合は、受検票、本人確認できるもの及び受検者と保護者との関係を証明するもの(住民票の写しなど)の3点の提示が必要です。

 

開示請求書の用紙は、各都立高校の窓口で配布します。中学校での配布を希望する場合は、先生にお尋ねください。

 

 

  • 本制度は、採点の防止や、採点誤りにより不合格となった受検者の救済を目的として導入した制度です。そのため、事務手続きを円滑に進める観点から、以下のとおり、合格者と不合格者の受付期間を設定しています。

 

<不合格者>

○受付開始日 当該募集の合格発表日

○受付終了日 平成30年8月31日(金)

 

<合格者>

○受付開始日 平成30年5月1日(火)

○受付終了日 平成30年8月31日(金)

 

 

 

考えもまとまらないまま、徒然なるままに書きつくってきましたが、最後に、「泥炭の沼底に閉じ込められたトリケラトプスの化石」の独り言を。

 

 

 

都立高校入試が終わり、長かった受験勉強に、「ピリオド」がつけられました。

 

「結果」は「二通り」しか存在せず、私たちは、そのどちらかを受け取らなければなりません。

 

いずれにしろ私たちは、時をさかのぼることができないので、ただ「未来」に向かって進んで行くしかありません。

 

しかるべき「未来」に、手中にあるその「結果」の価値を見届けることができます。

 

その「結果」は、今この時に、決定的な固有の価値を帯びているわけではないのです。

 

 

いずれの「結果」を手にした人にとっても、時が経って、受験という経験が、意味のある人生の一幕であってほしいと思います。

 

 

 

(ivy 松村)

平成30年度 都立高校「自校作成」の国語

進学指導重点校の英数国の入試問題は、本年度から「自校作成」となりました。

各校が、5年ぶりに独自問題を作成するとあって、「業界」でも大きな注目が集まりました。

 

 

私は、各校がリリースしている「出題の方針」に注目していました。

 

これをみれば、各校の出題構成と内容が、かなり精密に把握できると理解していたからです。

 

特に気を配っていたのが、国語でした。

国語の「記述」がどうなるのか、が本年度の入試の大きなポイントでした。

 

 

 

日比谷、西、戸山の3校が、大問3で「記述」を課すことは数か月前から判明していました。

また、国立が、大問3で「記述」を出題しないことも、数か月前から判明していました。

 

 

4校は、「出題の方針」をホームページに掲載し、公表していました。

 

いずれの高校も、入試選抜という「プロジェクト」を周到に準備してきたということがわかります。

 

4校の入試問題は、「出題の方針」に沿って作問されています。

 

 

 

一方、青山、八王子東、立川の3校は、「出題の方針」をホームページに掲載していませんでした。

 

 

青山は、都立の入試日になっても、まだ昨年の「出題の方針」をホームページに掲載したままでした。しかし、意外にも、今年の入試問題を最も早くホームページに掲載したのは青山高校でした。

その際に、今年の「出題の方針」もアップされました。

(ちなみに2番目は日比谷で、3番目は八王子東です。)

 

 

国語の入試問題は、すぐにはホームページ等に掲載できないので、現時点で問題を見ることはできませんが、「解答」と照らし合わせて「出題状況」を確認しました。

 

 

青山は、「出題の方針」で「記述」を示唆しないまま、「記述」を出題しています。

 

まあ、「出題の方針」で示された内容には「出題形式」自体への言及がなされていないので、「記述」が出題されたとしても、「出題の方針」に適合していないとは言えない、という「弁解」が、なんとか可能かもしれません。

 

 

この塾に青山を受ける受験生がいたら、ちょっと困ったことになったかもしれませんが、それでも、私は、青山の問題作りは評価できると考えています。

 

 

私は、一貫して、

 

・「記述」を出すべきである

・難度を上げるべきである

 

という主張をしてきました。

 

 

「解答」を見ただけの印象に過ぎませんが、青山高校の入試問題は、非常に熱が入っていると思います。

 

問題点は、入試選抜、もっといえば「生徒募集」が、ちょっと「ちぐはぐ」になっているということです。

 

英語でも、大問3の文章が、「物語文」なのか「説明文」なのかを明示していません。

おそらく、「出題の方針」は、実際の入試問題を想定しないまま作られたのではないかと思います。

「出題の方針」を出さなければいけないので、「とりあえず」あいまいな形でリリースして、後で問題を作り込んでいったのかもしれません。

 

 

「担当者」どうしの「連携」が取れていないとか、「生徒募集」を総括する人が総合的な指示を出していないとか、そういう部分があったのかもしれません。

 

 

 

そして、八王子東と立川です。

私は、2校の「資料」を手にし、「出題の方針」を確認することができました。

 

八王子東と立川は、ともに「入試説明会」で「グループ作成のものと同じような問題」を作ると説明していました。

 

それで、国語の入試問題で「記述」が出題されないという「予断」を持った受験生や受験関係者は多かったはずです。

しかし、八王子東と立川の「出題の方針」には、大問3について以下のように記されていたのです。

 

 

八王子東「文学的な文章を読み、叙述や描写などに即して、場面、登場人物の様子、心情などを正しく理解する能力及び読み取った内容をまとめ、表現する能力などをみる。」

 

立川「文学的な文章を読み、叙述や描写などに即して、場面、登場人物の様子、心情などを正しく理解する能力及び読み取った内容を適切にまとめ、表現する能力などをみる。」

 

 

ともに大問3で「表現する能力」を検査すると書かれてあります。

したがって、私は、両校は大問3で「記述」を出題すると判断しました。

 

 

 

八王子東は、「記述」を出題しました。これは、まったくの予想どおりでした。

 

一方、立川は、大問3で「記述」を出題しませんでした。

 

 

 

八王子東は、この一年、いろいろな面で非常に精力的な取り組みをしているのが伝わってきました。

とりわけ、今回の入試問題は気合が入っていると思います。

問題作りに「攻め」の姿勢があって、ちょっとグッときますね。

 

八王子東の取り組みが変わってきた理由の1つは、昨年の入試で応募人数を大きく減らしてしまったことでしょう。

また、もうひとつは、このままでは進学指導重点校の指定が危うくなるという危機感だと思います。実は、八王子東は、難関4大学の合格実績が下降し、進学指導重点校の「基準」のひとつを満たしていません。ある意味で、「酌量」されて、昨年の進学指導重点校の再指定を受けたわけです。

 

 

ただ、八王子東も、統率が取れた「生徒募集」になっていなかった印象です。

「説明会」などで、魅力をアピールしきることができていませんでした。

 

「入試説明会」では、国語に関してけっこうユニークな内容のお話しがあったということですが、「記述」については触れられなかったようです。そのうえ、「独自問題」について「グループ作成と同じような問題」を出題すると表明していたそうなので、実際の入試問題を目にして、驚いた人も多かったのだろうと思います。

 

 

 

そして、立川です。「表現する能力をみる」と明言していながら、そのための設問が用意されていません。

 

立川の問題を見ましたが、国語は、ボーダーを押し上げる要因になりそうです。

大問3で苦戦した受験生は少なかったと思います。さらに、決定的なのが大問4で、ほとんどの受験生はここで無難に得点を確保できたはずです。

 

立川の国語の問題は、大問3・4と、大問5の「統一感」がバラバラで、しかも全体の「バランス」がとれていません。

大問5は、古文の先生が作っていると思います。これは「骨」のある問題でした。

しかし、多くの受験生は、大問3・4では時間を取られないので、大問5に十分な時間をかけることができたはずです。

 

 

 

立川は、「入試説明会」で合格者の「内申点」の情報などを明かしています。

たとえば、男子は「オール4」に届いていなくても、入試得点で「逆転」できることなどが、データで示されました。

こうした積極的な「情報開示」が、立川の男子の倍率を高めた要因のひとつとなりました。

 

しかし、入試問題が易化し、入試得点が高得点域で均衡してしまうと「内申点」が乏しい受験生にとっては不利な受験になるわけです。

 

 

青山や八王子東と同様に、立川も、「生徒募集」と「作問」が「ちぐはぐ」だったわけですが、他の2校とは違い、立川の場合、「作問」に対する「意識」がおろそかだったという印象です。

 

 

 

虚飾なしに、端的にいえば、日比谷、西の「情報」は、「信頼」できます。

むしろ、高校が出してくる情報を細部までしっかりと読み取ることが大事です。

 

戸山も堅実です。

 

 

国立は、実はちょっと「気がかり」です。

 

国立高校は、かつては国語の入試問題で「重厚で濃密な記述」を出題することで知られていました。現在は見る影もありません。

 

積極的な「差換え」を行わなかった近年の入試問題に大きな違和感を持っていましたが、今年の「自校作成」でも「守り」の姿勢を崩していません。

 

 

日比谷と西は、問題作りと採点に対して、「覚悟」を持っています。

 

「この御時勢」ですから、「採点ミス」などがあれば、大きな責任問題になるでしょう。

それでも、「記述」を増やしました。

 

それから、戸山、八王子東、青山も前に進む決意をしました。

 

 

でも、国立は、ちょっと「教育庁のほう」を気にし過ぎているような印象を受けます。

 

 

国立高校の「歴史」を調べてみると、この高校は、「立地」を含めて、けっこう「ラッキー」が重なって、進学校としての「地位」を向上させてきたことがわかります。

 

適切な言葉なのかどうか、あまり自信はありませんが、あえていえば、もしかすると「殿様商売」といえるのかもしれません。

 

 

「集まってくる生徒のパワーと能力」を最大限に引き出すことができるのは、伝統の「強み」なのかもしれませんが、逆にいえば、「集まってくる生徒の質」が変われば、一気に「高校の質」も変わってしまう危険性を持った高校だと思います。

 

 

ちょっと「今の方向性」は、怖い気がします。

 (ivy 松村)

「休校」のお知らせ

2月28日~3月4日は「休校」となっておりますので、ご注意ください。

 

(3月1日は、都立高校の合格発表日ですので、校舎は開いていますが、授業等は行いません。)

 

 

 

本日が、平成29年度の最終授業日でした。

 

まだ、学年末試験が続く生徒は、試験勉強、本日で試験が終了した生徒は、個別の課題に取り組みました。

 

高校でも、試験が近づいてきたので、高校生も自習に来ました。

 

 

しばらくご不便をおかけしますが、よろしくお願いします。

 

 

 

新しく中学生になる6年生の生徒は、3週間「中学準備講座」を続けてきました。

次回からは、「中学部」の授業です。

はりきっていきましょう。

 

 

 

新年度のスタートは3月5日からです。

 

 

気合を入れていきましょう。

 

 

(ivy 松村)

 

 

 

学年末試験に向けてがんばろう

都立高校一般入試が終わりました。

 

受験生のみなさん、おつかれさまでした。

 

あとは、発表を待つのみです。

 

発表の日、私たちは朝から校舎で待機していますので、連絡をくださるようにお願いします。

 

それから、都立の合格発表日以降、私立の「繰り上げ合格」があるかもしれません。

もし、連絡があったら、一応お知らせくださるようにお願いします。

 

 

 

問題に目をとおしてみましたが、社会が難化していました。

ちょっと深い「知識」を聞いてくる問題が、数題出されました。

昨年の入試問題が満点の生徒も、今年の問題は少し点を落としました。

 

社会は、上位校の「平均点」も若干下がると思います。

 

 

自校作成校の国語の「記述」に注目していましたが、ほぼ予想通りの構成でした。

 

しかし、立川は、「出題の方針」に沿っていない構成でした。

立川高校の「出題の方針」では国語の大問3の「構成と内容」は、以下のように記されていました。

 

「文学的な文章を読み,叙述や描写などに即して,場面,登場人物の様子,心情などを正しく理解する能力及び読み取った内容を適切にまとめ,表現する能力をみる。」

 

ところが、本年度の国語の入試問題の大問3は、選択問題のみの構成で、「表現する能力」は検査されませんでした。

 

 

立川の国語は、「平均点」が大きく上がりそうです。

 

 

 

一方、八王子東は、「記述」は出ないと考えていた人が多かったと思いますが、「記述」が出題されました。

 

 

 

さて、中2、中1の生徒たちは、学年末試験が待っています。

 

今日からはじまっている中学もありますね。

 

 

明日、明後日の「土日」は2時から校舎を開けていますので、家ではかどらない人は、勉強に来てください。

 

 

日野も八王子も、2年生は「走れメロス」、1年生は「少年の日の思い出」が試験範囲になっています。

 

解説や問題のプリントがありますので、もらってください。

 

 

それから、3学期の定期テストの過去問はあまりそろっていないのですが、あるものは閲覧できますので、確認したい人は一応問い合わせてみてください。

 

 

ないものは、ないので仕方ありません。

あるものは利用して、活かしてください。

 

 

「知性」を尊ぶ人間は、与えられた環境のなかで「許される限りの努力」をします。

 

 

まあ、見なくても大丈夫という人は、自力で頑張って、高得点をねらいましょう。

 

 

 

中3生も、最後の定期テスト、ぜひ、しっかり取り組んでください。

 

「ここ」で手を抜いてしまうような行動は、なんというか、いろいろなものを表象するように思います。

思わしくない結果であれば、「そのメンタリティ」が原因だと思いますし、良い結果であっても、「そのメンタリティ」では「先がない」と思います。

 

 

少しゆっくり過ごしてください。

 

そして、学校の先生への敬意を示し、自分の中学生活への「けじめ」のために、定期試験勉強のための時間を作るようにしてください。

(まあ、これは、私のただの個人的な希望ですが。)

 

 

今日、言い忘れてしまいましたが、中3は、月耀日と火曜日は一応「授業日」です。

 

 

 

それでは、みなさん、学年末テストに向けてがんばりましょう!

 

 

(ivy 松村)

 

 

今日は都立高校入試日。

いよいよ都立高校入試です。

 

さっきまで、いろいろと注意点を書いたり、ちょっと気取った「はげましの言葉」みたいなものを書いたりしていたのですが、載せるのはやめますね。

 

 

すべての「答えの筋道」は、みなさんの「脳」の中に存在しています。

「自分が培ってきたもの」で勝負してください。

 

「直観」は、ギリギリの最後の手段です。

 

 

 

気をつけて行ってきてください。

 

みなさんの「冒険談」を聞くのを楽しみにしています。

 

 

(ivy 松村)

 

 

「出題の方針」の確認

本年度の入試の出題構成について確認しましょう。

 

 

「グループ作成」、「自校作成」の高校は、「出題の方針」をもとに、入試に備える必要があります。

 

 

 

日比谷高校の「出題の基本方針」の「各問のねらい」を見てみましょう。

 

 

□1 漢字を正しく読む能力をみる。

 

□2 漢字を正しく書く能力をみる。

 

□3 文学的な文章を読み、叙述や描写などに即して、場面、登場人物の様子、心情などを正しく理解する能力、表現する能力などをみる。

 

□4 説明的な文章を読み、叙述や文脈などに即して、語句や文の意味、文章の構成及び要旨などを正しく読み取る能力をみるとともに、考えが正確に伝わるように根拠を明らかにしながら、自分の意見を論理的に表現する能力などをみる。

 

□5 古典に関する文章を読み、古典並びに現代の語句及び文章の内容についての理解などをみる。

 

 

 

日比谷高校の国語の漢字の出題は、「グループ作成以前」とその後で構成が変わっています。

 

以前は「文章題からの引用」でした。私立の入試でよくみられるパターンのもので、文章中からいくつかの語句が取り上げられ、その漢字の「読み」や「書き」を問われるという形式でした。

「グループ作成」となってからは他校と「足並み」をそろえる必要から、大問1が「漢字の読み」、大問2が「漢字の書き取り」という独立した問題構成となりました。

 

 

「自校作成」に回帰した本年はどうなるのか、それは、「出題の方針」に示されています。

本年は、「グループ作成」と同じ構成になることがわかります。

 

 

「出題の方針」を参照せずに、暗中模索におちいっている受験生がいたら、説明会で入手したものを確認するとよいと思います。

 

 

 

さて、本年度の国語の入試を予測するうえで、「記述」がどうなるのか、気になっている人も多いと思います。

 

 

各校の大問3の「出題の方針」を比較してみましょう。

 

日比谷「文学的な文章を読み、叙述や描写などに即して、場面、登場人物の様子、心情などを正しく理解する能力、表現する能力などをみる。」

 

戸山「文学的な文章を読み,叙述や描写などに即して,場面,登場人物の様子,心情などを正しく理解する能力及び読み取った内容を適切にまとめ,表現する能力をみる。」

 

国立「文学的な文章を読み,叙述や描写などに即して,場面,登場人物の様子,心情などを正しく理解する能力をみる。」

 

 

日比谷や戸山は大問3で記述問題が出題されるでしょう。

一方、国立は記述問題が出題されないでしょう。

 

 

また、いずれの高校も、大問5で「記述」は出題されないでしょう。

 

 

受験生向けの説明会や塾向けの説明会で、本年度の入試は「グループ作成と同じような出題」になると説明していた高校があったようです。

それで、たとえば、昨年と同様に「記述」は出題されないと高をくくっていると、当日に驚くことになるかもしれません。

その高校の「出題の方針」を見てみると、ちょっと違った出題になるということがみえてきます。

 

 

 

日比谷は、英語の「出題の方針」の「各問のねらい」も確認しておく必要があります。

 

 

□1 自然な口調で話される英語を聞いて、その具体的な内容や大切な部分を把握したり、聞き取った事柄について英語で表現したりする能力をみる

 

□2 まとまりのある対話文を読み、その流れや大切な部分を把握したり、読み取った事柄などについて英語で表現したりする能力をみる

 

□3 物語文を読み、そのあらすじや大切な部分を把握したり、読み取った事柄などについて英語で表現したりする能力などをみる

 

4 短い対話文を読み、読み取った事柄について、異なる2つの意見を適切に英語で表現する能力をみる

 

 

大問1は、全校共通のリスニングです。

大問2~4が独自問題ですが、それぞれ大問2は「長大な対話文」、大問3は「物語文」、大問4は「短い対話文」の問題であることがわかります。

したがって、「説明文」ではなく、「対話文」や「物語文」を読む「準備」をしておかなければなりません。

 

また、すべての大問で「英語で解答する設問」があることがわかります。

それは「抜き出し」の問題なのかもしれませんが、「英語で解答を記述する」問題である可能性が高いと思います。

 

注目すべきは、大問4で「異なる2つの意見を適切に英語で表現する能力」を検査されるという点です。

ここでは、2つの意見が交換される「対話文」が示され、受験生は、「2つの立場」に立ってそれぞれの意見を英語で要約する、あるいは主張を代理する、というような英作文を課せられるのかもしれません。

 

 

 

他塾の方も見ているでしょうから、このへんで。

 

 

 

都立入試に挑む受験生には、本年度の入試の「概要」を伝えています。

 

みなさんは、これまでの受験勉強、そして私立入試を通して、大きく成長しています。

私が、こんこんと伝えるまでもなく、一人ひとりが自分で「入試」をいうものを理解し、取るべき行動を判断することができるようになっています。

 

当日、思いもよらない問題が出ても、落ち着いて対処できるだけの力をつけています。

自信を持ってください。

 

 

 

みなさんといっしょに勉強してきた日々が、すでになつかしく思えます。

もう、「授業」の必要もありません。

 

私は、採点と問題の準備に追われる日々です。

後は、リスニングの「スタート」のボタンを押す係。

 

そして、くだらない質問に対して、くだらない受け答えをする人。

 

月日が過ぎて、あのくだらないやり取りの断片が、みなさんの記憶にかすかに残っていて、あるとき、ふと思い出して、ちょっとだけ愉快な気持ちになってくれたら、うれしく思います。

 

 

 

受験という「航海」の果てに、英作とリスニング、作文と漢字に立ち返ってきました。

これらが「最後のピース」です。

 

 

 

あと少し。がんばろう。

 

 

 

 (ivy 松村)

 

平成30年度の志願変更

G7(進学指導重点校)の志願変更の状況を詳しく見てみましょう。

 

 

まずは、男子です。

 

 男子 倍率 2/7 取下 再提出 2/15 倍率 増減
日比谷 2.38 314 11 10 313 2.37 -1
西 2.09 276 14 10 272 2.06 -4
戸山 2.52 332 22 6 316 2.39 -16
青山 2.01 300 22 26 304 2.04 4
国立 1.75 231 18 7 220 1.67 -11
八王子東 1.67 220 24 9 205 1.55 -15
立川 1.98 261 18 21 264 2.00 3

 

 

 

次に、女子です。

 

 

 女子 倍率 2/7 取下 再提出 2/15 倍率 増減
日比谷 2.05 250 18 11 243 1.99 -7
西 1.48 181 8 7 180 1.48 -1
戸山 1.84 224 17 10 217 1.78 -7
青山 1.86 255 12 8 251 1.83 -4
国立 2.00 244 23 6 227 1.86 -17
八王子東 1.55 189 10 7 186 1.52 -3
立川 1.60 195 14 16 197 1.61 2

 

 

 

「数字」に大きな変化がなかったようにみえても、実は、「取下げ」と「再提出」が活発に行われていた高校があることがわかります。

 

特に、青山と立川の男子です。

 

両者とも志願変更前に約2倍の倍率を示していました。

 

したがって、「再提出」をした人員は、高倍率の受験を覚悟している受験生です。

つまり、その多くが「上から」の「流入」だと考えられるわけです。

 

もちろん、その中には、存外の私立入試の結果が得られたために、「上げてきた」受験生もいるはずです。

 

いずれにしても、「再提出」をしてきた新手は、「手ごわい相手」です。

 

 

日比谷の男子や西の女子も、ほぼ同数の「入れ替え」がありました。

 

 

「数字」に大きな変化がなかったとしても、競争相手は入れ替わり、静かに、戦いはよりハードなものになっているのです。

 

 

気を引き締めていきましょう。

 

 

(ivy 松村)

 

 

平成30年度都立高校最終応募倍率

都立高校の最終応募状況が明らかになりました。

 

 

G7(進学指導重点校)を見て見ましょう。

 

 

まず、倍率の比較です。

 

 男子

本年 昨年

 女子

本年 昨年
倍率 倍率 倍率 倍率
日比谷 2.37 2.47 日比谷 1.99 2.03
戸山 2.39 1.89 戸山 1.78 1.71
青山 2.04 1.98 青山 1.83 2.08
西 2.06 1.96 西 1.48 1.72
八王子東 1.55 1.34 八王子東 1.52 1.39
立川 2.00 1.67 立川 1.61 1.50
国立 1.67 1.57 国立 1.86 1.54

合計

2.01 1.84

合計

1.73 1.71

 

 

 

次に応募者数の推移を見てみましょう。

 

 

 男子 本年 昨年 増減  女子 本年 昨年 増減  
日比谷 313 326 -13 日比谷 243 248 -5  
戸山 316 282 34 戸山 217 233 -16  
青山 304 258 46 青山 251 250 1  
西 272 259 13 西 180 208 -28  
八王子東 205 177 28 八王子東 186 168 18  
立川 264 220 44 立川 197 182 15  
国立 220 207 13 国立 227 186 41  

合計

1894 1729 165

合計

1501 1475 26  

 

 

 

男子の応募者数は、昨年度に比べ、グループ全体で165人増加しています。

倍率は、1.84から、2.01に上昇しています。

 

女子の応募者数は、昨年度に比べ、グループ全体で26人増加しています。

倍率は、1.71から1.73に微増しています。

 

 

男子は、日比谷以外の高校の応募者が増えました。

特に、青山、立川、戸山の応募者が増加しています。八王子東も昨年比で大きく応募者を増やしました。

 

男子は、「チャレンジ」の出願が増えているようにも思えますが、もしかすると、私立との併願が活発化していることが原因かもしれません。

 

今後、入試の「欠席率」を確認することで、本年度の「受験動向」をより詳細につかむことができます。

 

 

女子は、「グループ全体」の状況は昨年と大きく変動はありませんが、「区部」と「多摩地区」で、受験動向に「違い」がみられます。

日比谷、戸山、青山、西の4校の応募者は昨年と比べて減っているのに対し、八王子東、立川、国立の応募者は増えています。

 

グループ内では、西高から国立へ人員の「流出」がみられます。

西の女子は、近年、いわゆる「隔年現象」にはまっているようです。

 

 

 

本年度の志願変更の状況を見てみましょう。

 

 

男子 増減 2/15 2/7 倍率  女子 増減 2/15 2/7 倍率
日比谷 -1 313 ←314 2.37 日比谷 -7 243 ←250 1.99
戸山 -16 316 ←332 2.39 戸山 -7 217 ←224 1.78
青山 4 304 ←300 2.04 青山 -4 251 ←255 1.83
西 -4 272 ←276 2.06 西 -1 180 ←181 1.48
八王子東 -15 205 ←220 1.55 八王子東 -3 186 ←189 1.52
立川 3 264 ←261 2.00 立川 2 197 ←195 1.61
国立 -11 220 ←231 1.67 国立 -17 227 ←244 1.86

合計

-40 1894

←1934

2.01

 合計

-37

1501

←1538

1.73

 

 

 

男子は、戸山、八王子東、国立から、人員が「流出」しています。

女子は、国立が「-17」となっています。

 

日比谷、西の二強には、大きな動きはありませんでした。

 

 

 

戸山の男子は、高倍率を嫌って、「流出」が起こっています。

 

本年度の戸山の高倍率の要因は、ひとつは、昨年よりも応募人数が減らされたことによるものです。さらに、昨年度の合格実績、とりわけ現役の合格状況の良さが訴求力となって、志願者を集めました。また、スーパーサイエンスハイスクール指定校、チームメディカルといったプロジェクトなど、進学指導体制の充実が信頼感を高めました。

 

一方、戸山の女子は、昨年に比べて倍率は微増していますが、応募者数は減少しています。

 

 

国立は、昨年度、目覚ましい大学合格実績をあげました。

本年度、多くの志願者がひきつけられましたが、高倍率を敬遠して、男女ともに人員が「流出」しています。

 

 

八王子東も、耳目を集める大学合格実績が要因となって、応募者を増加させました。

しかし、男子の倍率が例年に比べて高かったこともあって、志願変更による「流出」を招きました。

 

 

 

多摩地区にフォーカスして、本年度の応募状況を整理してみましょう。

 

八王子東の応募者が増加し、男女ともに倍率が1.5以上になりました。

 

八王子東、立川、国立の3校を比較すると、男子の人気は立川、女子の人気は国立に集まっています。

 

また、3校ともに応募者数を増やしています。

昨年に比べて男子が「+85」、女子が「+74」です。

 

特に女子は、区部の4校と比べて、大きな変化がありました。

区部の4校の応募者数は、昨年と比べて「-48」となっています。

区部では、依然として「慎重な出願」が基調となっています。

 

それに対し、多摩地区の3校は大きく応募者を増やしています。

 

 

 

志願変更は、一部、「再提出」を行わない者が出てくるので、「全体」としては「流出」が多くなりますが、ほとんどの受験生は、いったん「再提出」を行います。

 

志願変更は、より合格可能性の高い「下位」の学校に受験校を変更する受験生のほうが多いので、「最上位」の高校群からの「流出」は、相対的に活発になります。

 

人員の「流出」の状況をもう少し詳しく見てみましょう。

 

 

 男子 倍率 増減  女子 倍率 増減  
国立 1.67 -11 国立 1.86 -17  
立川 2.00 3 立川 1.61 2  
八王子東 1.55 -15 八王子東 1.52 -3  
国分寺 1.60 6 国分寺 1.60 3  
武蔵 1.65 -11 武蔵 1.52 15  
武蔵野北 1.46 0 武蔵野北 1.67 -12  
小金井北 1.92 -29 小金井北 1.82 -5  
町田 1.36 5 町田 1.53 7  
調布北 1.55 37 調布北 1.42 12  
多摩科技 1.87 1 多摩科技 1.87 -2  
日野台 1.56 18 日野台 1.33 10  
昭和 1.79 -17 昭和 1.79 -12  
南平 1.77 -7 南平 1.72 -8  

 

 

 

男子は、国立、八王子東、武蔵などから「流出」した人員は、低倍率を示していた調布北、日野台に吸収されました。

 

女子は、国立や武蔵野北から武蔵、町田、または調布北、日野台に「流出」しているようです。

 

本年度は、倍率が高い高校から低い高校へ、積極的な志願変更がみられました。そのため、「全体」の倍率が一定の範囲に収束する傾向が強まりました。

 

 

 

ところで、「進学校」を考えるうえで、南平高校はひとつの「基準」たりえると思います。

 

南平高校を含めた上記の高校群は、応募者数を増やしています。

特に男子は顕著で、全体で231人の増加です。

 

一方、上記以外の旧7学区~旧10学区の高校は、その多くが応募者数を減少させています。

 

 

そのおもな要因を2つ挙げることができます。

 

ひとつは、生徒数の減少です。

もうひとつは、私立高校の「授業料軽減制度」です。「ここ」がこの制度の「ボリュームゾーン」になると思います。

 

 

 

本年度の中学の卒業予定者は、昨年に比べて1685人減っています。

また、志望校調査によれば、都立高校を志望する生徒の割合も減少していることが確認できます。したがって、相対的に私立高校を志望する生徒の割合が高まっていると考えられます。

 

都立高校入試の最終応募者の人数は、その数値に呼応した減り方をしていません。

つまり、都立高校の応募者数の減少は抑制されています。しかし、これは「出願」の数なので、「内実」よりも数字が大きくなります。

 

また、本年度は、私立入試の動向に大きな変化があったので、それがどう影響しているのか、という部分もあります。

 

 

さて、重要な点は、中学卒業予定者および都立志望者は減っているのに、上位校の応募者は増えているという点です。

 

これについては、少し時間をかけて考える必要があります。

 

 

 

それにしても、本年度は、ちょっと「難しい部分」がありました。

実は、その「一部」は「このブログ」なんですよね…。

 

自分が思っている以上に、受験動向に影響を与えているようです。

 

ある理由で、アクセスの解析を全くやっていません。一度も見たことがないのです。それで、どれくらいの人が読んでいるのかも知らないまま書き続けているのですが、自分が思っているよりも多くの人が読んでいるみたいです。ある程度「計算」していたつもりだったのですが、「予想」を上回っているようです。

 

ちょっと確かめてみようと、情報をコントロールしてみたのですが、どうも、やっぱり、そういう気がします。

 

 

それで、この記事もどうしようか考えながら書いてみたのですが、う~ん。

 

どうなんでしょう。

 

 

 

 (ivy 松村)

 

 

Kakomon Go

「都立ターン」に入って、最後の入試に挑む受験生は、都立の過去問中心の勉強です。

 

 

過去問は、社会は古い年度から、最近年度に向かって進めています。

夏休みの終わりから、もう、20回分以上の演習を行っています。

 

あと、2年分残っているので、それをやって「仕上げ」です。

もう少し「量」が必要な人は、都立対策用の演習教材をお渡しします。

 

 

共通問題に挑む受験生は、最近年の2年の問題形式を念頭に準備する必要があります。

 

一方、自校作成に挑む受験生は、古い年度の問題をたくさん解く必要があります。

英数国は、過去問集をやり終えた人から、古い年度にさかのぼって演習を行います。

 

 

西高は、英語の問題を以前の形式に戻すと、受験生に向けて説明しています。

 

したがって、形式も難度もまったく異なる近年の「グループ作成」の問題を、間際になって解くことの意味は薄くなりました。

 

他の自校作成校も、問題形式や内容に手を加えてくる可能性が高いと思います。

 

通常は、いちばん最近の入試問題を入試の直前に解くというやり方が合理的なのですが、本年度の自校作成校を受ける受験生には、効果的ではないかもしれません。

 

 

ちなみに、秋に実施された、「ある西高模試」は、本年度実施される西高の問題形式と同一ではありませんでした。

まあ、いろいろと「事情」があるのだとは思いますが、受験生はその模試を受けたことに満足しないでしょうし、その結果の「判定」にも納得できないでしょう。

 

 

 

ついでに述べますが、会場模試の採点は、けっこういいかげんなところがあります。

 

採点が厳しかったり、ゆるかったりします。

 

たとえば、ある生徒は、国語の「作文」で、十分に点数を確保できるはずの答案が「0点」になっていたことがありました。

詳しくは書きませんが、都立入試ではありえない採点でした。

 

また、英作文で、「because」や「so」などの接続詞の使い方を間違えていたり、不定冠詞の「an」にすべきところを「a」としていたり、大文字にし忘れていたり、かなり基本的な間違いに、まったく減点されていない採点を見かけることがあります。

 

ここ数年、会場模試の受験者が大きく増えているので、採点も大変なのだろうとは思いますが、ちょっと杜撰な印象を持つことが、しばしあります。

 

 

さらにいえば、問題の「作り込み」が雑な回があります。

 

1月の最後の模試で出題された国語の漢字の問題は、都立では出題される可能性がかなり低いものでした。

 

社会でも、「そのタイプ」の筆記や記述の問題は、今の傾向にあっていないのでは?と思わされる出題があったりします。

 

 

とはいうものの、会場模試を受けることには非常に大きな意味があります。

生徒たちにはできる限り会場模試を受けるようにいってきました。

 

 

 

会場模試の成績は、受験校を考えるうえで、かなり重要な「判断材料」です。しかし、会場模試の「合格可能性」をまるっきり鵜呑みにするべきではありません。

 

より大事なのは、「過去問の点数」です。

「会場模試の点数」と「過去問の点数」。より信頼できるのは「過去問の点数」です。

 

 

 

共通問題の国語は、「小学校で習う漢字」が中心に出題されます。

それは、授業でも伝えましたし、実際に数回過去問を解けば、すぐにわかることです。

 

もう「この時期」ですから、毎回の授業でカリカリとやり続けてきた漢字や単語などの「小テスト」をやっていませんが、今日、ちょっとした「隙間の時間」に、ずっと使ってきた漢字教材で、小学生の漢字の「チェック」をしていた受験生がいました。

 

きちんと「理解している受験生」の行動です。

 

「そういうこと」ですよね。

 

 

 

英語の授業では、リスニングと英作文を同時にこなす「マルチタスク」の練習をしましたが、自分の判断で、「自分の受験校の傾向」をふまえて英作文を書いた受験生がいました。

 

「そういうこと」ですよね。

 

 

 

受験というのは、究極的には「脳」の戦いです。

 

日頃から「脳」を使うようにしましょう。

 

 

 

ところで、中学校から出された「課題」は、完全に無視してください。

 

私立受験前にも、いくつかの中学の中3のクラスに、社会のワークを何十ページやってくるように、だとか、数学のプリントを何枚やってくるように、だとか、いきなり「大量の宿題」が出されました。

 

これは今年に限ったことではありません。

 

はっきりいいますが、毎年恒例の「いやがらせ」です。

「この時期」に「そのような指示」を出す神経は、ちょっとまともではありません。

 

 

「理解している受験生」は、大丈夫なのです。

 

でも、真面目で優しい、真っすぐな「いい生徒」ほど、報われない負担をこなそうとするわけです。

「相手」にも「それ」がわかっています。

 

「悪意」につき合う必要はありません。

 

 

自分の置かれている立場、状況、目的、因果、取るべき行動を、合理的に考えるようにしましょう。

 

それが、あなたの「脳」を進化させます。

 

 

 

明日も、過去問演習です。

 

私たちは、私立高校入試で立ち止まっているわけにはいきません。

「前進」を続けなければならないのです。

 

一緒に、前に進んで行きましょう。

 

 

 (ivy 松村)

日比谷、国立、八王子東の「正答率」の比較

私立高校入試が一段落し、次は都立高校入試です。

 

明日から、「都立のターン」です。

 

最後まで、気を抜かず、しっかり頑張っていきましょう。

 

 

 

都立の入試問題について、少し情報を書きます。

 

 

本年度は、「自校作成」が復活します。

 

日比谷、西、戸山、青山、国立、立川、八王子東、それに加えて国分寺、新宿、および墨田川は、それぞれの学校が独自の英数国の入試問題を作成し、実施します。

また、国際高校は英語のみ自校作成、白鷗、両国、富士、大泉、武蔵はグループ作成問題となります。

 

 

昨年度までは、「グループ作成」となっていました。

 

したがって、「差替え」が行われた問題を除いて、各校が「同じ問題」を使っていたわけです。

 

日比谷、国立、八王子東は、過去の入試の「正答率」を公表しています。

そこで、3校の昨年度の入試問題の「正答率」を比べてみました。

 

本年度の入試問題から、こうした比較はできなくなります。

 

3校の「正答率」を比べてみると、いくつかの興味深い事実が明らかになってきます。

 

 

 

まずは、英語です。

 

 

大問1 (リスニング)

 

日比谷 国立 八王子東 共通問題
問題A 1 ほぼ10割 98.6 94.3 72.3
2 ほぼ10割 99.2 99.1 87.8
3 9割強 90.0 84.4 56.6
問題B Q1 ほぼ10割 98.1 97.6 78.5
Q2 8割弱 56.2 53.3 26.1

 

 

 

正答率は、学校の「序列」を反映し、日比谷>国立>八王子東になっています。

 

特に、記述で答える問題BのQ2で、日比谷とそれ以外の2校の「正答率」に大きな差が生じています。

 

 

 

大問2 (会話文)

 

 

日比谷 国立 八王子東
問1 a ほぼ9割 84.8 78.1
b 97.5 97.6
問2 ほぼ10割 94.2 94.0
問3 9割強 81.7 66.1
問4 9割弱 96.4 91.3
問5 ほぼ10割 93.4 83.5
問6 ほぼ9割 82.0 74.6
問7 9割弱 94.5 90.4
問8 ほぼ7割 53.7 41.1
77.6 72.5

 

 

 

問3の「正答率」に差が出ています。

 

日比谷の「正答率」は「9割強」です。受験者のほとんど全員が正解を導いています。

一方、八王子東は、「66.1」です。「正答率」は3分の2程度にとどまっています。

 

この問題は整序(並べ替え)問題でした。

私立によくあるタイプの、「文章題に組み込まれている」整序問題です。

 

明八などによく出題される形式です。

 

 

日比谷を受ける受験生のほとんどが、難関私立高校の入試問題に対応する能力を有していることがわかります。

 

一方、八王子東は、問3のような、典型的な私立入試の問題パターンへの対応力が乏しい受験生が多くいることがわかります。

 

しかも、この問題は、完全な整序問題ではなく、特定の順番に配置される語の組み合わせを選ぶ問題です。つまり、「選択問題」だったわけです。

 

「6択」にまで正解の選択肢が絞られていれば、日比谷の受験生は正答にたどり着くことができます。

しかし、八王子東の受験生は、3分の1が対応できません。

 

 

八王子東は、「併願優遇」を利用した受験パターンを組み、ほとんど「私立型」の受験勉強をしていない受験生が多くいるのだろうと思われます。

 

 

さらに、問5、問6、問8のような、文脈・内容把握、読解の力を問うような問題でも、「正答率」に差が出ます。

 

 

昨年の日比谷の合格者のほとんどが、大問1・大問2をほぼ「全正解」していると思います。

 

 

「差」のつかない入試問題には意味がありません。

 

日比谷は、入試説明会で難度を上げると公言しています。

 

一方、八王子東は、「グループ作成問題」と同程度の難易度であると説明しています。

 

 

 

次に国語を見てみましょう。

 

大問1 (漢字の読み取り)

 

 

日比谷 国立 八王子東
(1) 10割弱 99.2 98.2
(2) 7割5分 66.5 59.6
(3) 9割弱 91.7 84.9
(4) 7割 67.0 58.0
(5) 9割5分 97.2 94.9

 

 

 

大問2 (漢字の書き取り)

 

 

日比谷 国立 八王子東
(1) 10割 99.7 97.3
(2) 9割 91.7 90.5
(3) 5割 42.7 32.1
(4) 8割強 81.4 74.8
(5) 9割弱 88.1 84.6

 

 

 

大問3 (文学的文章)

 

国立は、別問題でしたので、日比谷と八王子東の比較です。

 

 

日比谷 国立 八王子東
問1 7割 62.2
問2 9割 89.8
問3 10割弱 97.0
問4 9割弱 86.8
問5 8割 70.6
問6 8割 68.7

 

 

 

 

大問5 (融合文)

 

 

日比谷 国立 八王子東  
問1 5割 53.5 54.5  
問2 9割 90.0 85.6
問3 9割 86.1 81.3
問4 6割 54.3 49.8
問5 6割弱 52.1 48.8

 

 

 

問1が、わずかですが、八王子東の正答率が最も高くなっています。

また、「5割」という表記になっているので、日比谷がもっとも低くなっているのだと考えられます。

 

この問題は、選択肢「エ」を選んでしまって、不正解になった受験生が多かったのだろうと思います。

 

正答率が「逆転」している理由について、少し考えています。

 

 

 

最後に数学です。

 

(3校の入試問題のうち、「同一の問題」の「正答率」が表示してあります。)

 

 

 

大問1 (小問集合)

 

 

日比谷 国立 八王子東
問1 9割強 87.4
問2
問3
問4 8割強 87.5 80.2
問5 7割5分 63.2

 

 

大問2 (関数)

 

 

日比谷 国立 八王子東
問1 72.3 61.0
問2 (1) 58.1 53.1
(2) 65.7 55.9

 

 

大問3 (平面図形)

 

 

日比谷 国立 八王子東
問1 9割強 81.4
問2 (1) 6割5分 72.0
(2) 4割弱 25.2

 

 

 

問2(1)は証明問題ですが、日比谷と国立の「正答率」が「逆転」しています。

おそらく、日比谷の「採点基準」が厳しいのだろうと思われます。

 

 

 

さて、3校を比較して、いくつかのことがわかってきます。

 

 

ひとつは、受験生の「違い」です。

各校の「得点力」が判明し、それぞれの高校の「序列」があきらかになります。

また、「どのようなタイプ」の受験生が多いのかが、わかります。

 

 

 

もうひとつは、採点の「違い」です。

 

都立高校入試は、以前、「採点の誤り」の問題の影響で、一度「採点基準」を「厳格」に統制しようとする「動き」がありました。

 

たとえば、ある年には、英作文など、「内容」をほとんど考慮せず、「文法的に間違いのない文」であれば、一律「正答」とみなすような採点がなされました。

 

本年度は、「独自入試問題」を実施するわけなので、採点も「独自」の「基準」を用いることができます。

 

「自校作成」が復活するということで、どんな問題が出るのか、大きく注目されています。

しかし、「試験」ですから、どんな採点がなされるのか、というのも見過ごせない重要な「テーマ」ですね。

 

 

(ivy 松村)

One hand, the other hand

いよいよ私立高校入試です。

 

 

いろいろありましたね。

 

長かったようで短く、短かったようで長い半年が過ぎました。

 

 

夏期講習、

夏期合宿、

漢検、

英検、

二次試験の練習、

中間テスト、

期末テスト、

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入試演習、

冬期講習、

 

 

整序、

空欄補充、

和訳、

単語テスト、

連語・熟語テスト、

リスニング、

英作文、

文章題・・・

 

 

漢字、

語句プリント、

文法、

文学史、

古文、

記述、

作文、

読解・・・

 

 

 

「結果」はもちろん大事です。

しかし、それにもまして、みなさんが、「受験」という試練と向き合い、覚悟を持って立ち向かったのだという「証」を携えて、「ここ」に帰ってきてくれることを待ち望んでいます。

 

 

 

不安なときには、「笑い袋」を握りしめてください。

 

ただし、決して「音」を出さないでください。

 

「笑い袋」から笑い声が聞こえなくても大丈夫です。

 

あなたの人生は、これからたくさんの「笑い」に彩られます。

 

 

 

不安なときには、あなたの利き手を見つめてください。

 

もしかすると、震えているかもしれません。

 

でも、大丈夫です。

心強いあなたの「パートナー」は、答えを書きたくて「うずうず」しているのです。

 

試験中、たとえ何にも思い浮かばなくても、放置せず、その手に、何かを書かせてあげよう。

 

 

これまで、あなたの利き手は、いったいどれほどの量の文字を書き続けてきたことでしょう。

 

 

その手は、決してあきらめません。

あなたも、その手とともに「前」に進んでください。

 

 

そして、すべての試験が終わったら、自分の手に、そっとお礼を言ってあげてください。

 

 

 

よし。

 

がんばれ!

 

 

 

 

(ivy 松村)

 

 

 

平成30年度都立高校の出願状況

都立高校の出願状況が公表されています。

 

 

進学指導重点校(G7)の状況を見てみましょう。

 

 

まず、男子です。

 

 

男子

倍率の推移 応募者数の推移
30年度 29年度 28年度 27年度 30年度 29年度 28年度 27年度
日比谷 2.38 2.48 2.61 3.29 314 328 347 437
戸山 2.52 1.95 2.36 2.90 332 290 314 386
青山 2.01 1.97 2.60 2.44 300 256 340 366
西 2.09 1.98 2.21 2.17 276 262 294 289
八王子東 1.67 1.15 1.40 1.44 220 152 186 192
立川 1.98 1.82 1.50 2.10 261 240 199 279
国立 1.75 1.52 1.93 2.15 231 200 257 286

合 計

2.06 1.84 2.09 2.36 1934 1728 1937 2235

 

 

 

次に女子です。

 

 

女子

倍率の推移 応募者数の推移
30年度 29年度 28年度 27年度 30年度 29年度 28年度 27年度
日比谷 2.05 2.15 2.39 2.46 250 262 289 298
戸山 1.84 1.68 2.06 2.31 224 228 247 277
青山 1.86 2.05 2.60 2.23 255 246 309 303
西 1.48 1.84 1.53 1.74 181 223 184 209
八王子東 1.55 1.40 1.61 1.48 189 169 193 177
立川 1.60 1.50 1.49 1.46 195 182 179 175
国立 2.00 1.59 1.93 2.00 244 192 231 240

合 計

1.77 1.74 1.94 1.96 1538 1502 1632 1679

 

 

 

本年度は戸山高校が1クラス減、青山高校が1クラス増でした。

したがって、グループ全体の募集人数は、昨年と比べて大きな変化はありませんでした(+2)。

 

 

男子の倍率と応募者数は、2年前の水準に回復しています。

女子も若干回復しました。

 

 

減少傾向にあった男子の出願者数が再び増加に転じた理由の1つは、各高校の「ボーダー」となる「内申基準」が明らかになってきたことです。

学校の説明会などで、受験者・合格者の得点や内申の分布などの資料が公開されています。

 

都立入試の制度変更後、慎重な出願が大勢を占めていましたが、「データ」が蓄積されたことで、「戦略的」な出願が可能になってきました。

 

 

もう1つの理由は、「自校作成」が復活したことで、入試問題の難化が想定されていることです。

「内申」が乏しい受験生の「逆転」の「可能性」が高くなったことで、「差し込み」の出願が増えていると考えられます。

 

 

さらに、私立を「本命」とする受験生が増えたことも理由の1つとなっているかもしれません。

私立を「本命」とする受験生は、都立で「大勝負」をすることができます。

私立進学が「本筋」なので、「強気」で都立の出願ができるわけです。

 

 

 

「志望校調査」と比較して倍率が上昇しています。

 

 

それは「推薦入試」という「ファクター」が関与することで引き起こされます。

 

「志望校調査」は、推薦入試と一般入試の「合計の定員」をもとにして倍率を算出しています。

そこから、「推薦入試合格者」を引いて再び計算をすると、志望者数が一定であっても、倍率は上昇するのです。

 

 

推薦入試の定員が30人、一般入試の定員が120人の高校を例にして考えてみましょう。

「合計の定員」は、150人です。

その高校に250人が志望しているとすると、倍率は250÷150=「1.67」になります。

これが、「志望校調査」の倍率です。

 

推薦入試の定員が30人なので、推薦入試後30人が合格します。

単純な計算をすれば、志望者数は250−30=220人となります。

 

今度は一般入試の倍率を算出するわけですが、倍率は、220÷120=「1.83」になります。

 

 

「志望校調査」の時点から、志望者数が変わらなくても、一般入試の倍率は自然に「上昇」するわけです。

 

これが、「志望校調査」と比べて「一般入試」の倍率が「上昇」する第1の理由です。

 

 

 

さらに、都立を第2志望以下に設定している受験生の出願が行われるため、「出願者」は「志願者」よりも多くなります。

これが、2つ目の理由です。

 

私立と都立の両方を受験することを考えている受験生のうち、私立を第一志望とする受験生は、当然ながら「志望校調査」における都立高校の志望者には含まれないわけです。

 

私立の一般受験をする受験生のうち、都立を受験パターンに組み込んでいる受験生は、都立の出願を行います。

ゆえに、「志望校調査」に反映されていない出願が加えられ、倍率が上昇します。

 

ただし、このうち、私立に合格した受験生は、入試を欠席するので、実質倍率は下降します。これは、特に日比谷高校に顕著です。

 

本年度の高校受験の「私立併願」の状況は、受検欠席のデータを分析することで、ある程度明らかになります。

 

 

 

「志望校調査」の志望者数・倍率と「出願状況」における出願者数・倍率を比べてみましょう。

 

 

まず、男子です。

 

 

出願状況 志望校調査
出願者数 倍率 志望者数 倍率 増加
日比谷 314 2.38 276 1.67 71
戸山 332 2.52 355 2.16 9
青山 300 2.01 245 1.48 71
西 276 2.09 293 1.79 15
八王子東 220 1.67 226 1.38 26
立川 261 1.98 289 1.76 4
国立 231 1.75 275 1.68 -12
 合 計 1934 2.06 1959 1.70 184

 

 

次に女子です。

 

 

出願状況 志望校調査
志望者数 倍率 出願者数 倍率 増加
日比谷 250 2.05 254 1.67 26
戸山 224 1.84 238 1.57 16
青山 255 1.86 237 1.56 33
西 181 1.48 202 1.33 9
八王子東 189 1.55 218 1.43 1
立川 195 1.60 210 1.38 15
国立 244 2.00 302 1.99 -28
 合 計 1538 1.77 1661 1.56 72

 

 

上の表の「増減」は、「志望者数」から「推薦入試の合格者数」を引いた数と、一般入試の出願者数を比べたものです。

・「志望校調査の志望者数」-「推薦合格者」=「一般入試に出願するはずの志望者」

・「実際に出願した人数」-「一般入試に出願するはずの志望者」

=「増減」(「志望校調査」時の志願者数と一般入試の出願者の人数差)

 

上の表では、日比谷高校の男子の「増減」は「71」になっています。

これは、「志望校調査時」に日比谷を第一志望としていない生徒が、「計算上」71人、日比谷高校に出願しているということを示しています。

 

 

 

男子に「変化」が大きく現れている高校があります。

 

日比谷は、国私立を第一志望とする受験生の併願が多いため、出願時に応募者が増えます。

 

青山は、「志望校調査」時の低倍率に吸引されて、出願者が増加しました。

同様に、八王子東も応募者を増加させています。

 

一方、国立は、高倍率を避けて撤退した人員が出ています。

 

 

 

女子は、戸山、青山、立川など、「志望校調査」で低倍率だった高校が人員を吸引しています。

 

一方、女子もまた、国立から志望者が流出しています。

 

西の女子の倍率は今のところ抑制されていますが、少し変化があるかもしれません。

 

八王子東は、「倍率」は上昇していますが、「増減」は実は1人増だけです。

八王子東の女子の例に見られるように、「志望者」が増えなくても一般入試の倍率は上昇します。

 

 

八王子東は、志願変更時に女子、男子ともに倍率をさらに上昇させるかもしれません。国立から、まだ人員が流れる可能性があります。

 

 

 

「出願状況」に変化を与えるものは、他にもあります。

 

それは、「推薦入試受験者の動向」です。

 

都内の高校の推薦入試を受ける受験生は、必然的に受験校を第一志望に設定することになりますが、都立高校の推薦入試が不合格だった受験生のうち、出願先を変更する受験生がいます。

 

また、合格の「確約」を出さない私立の推薦入試の不合格者のうち、一般入試の受験パターンに都立を組み込んでいる受験生は、都立高校に出願をします。

そのなかで、実際には積極的に都立への進学を考えている受験生もいるのだろうと思います。

 

本年度の私立高校受験の動向を知るには、もう少し時間が必要です。

 

 

 

本年度は、新宿高校、国分寺高校などが出願者数を減らしています。

したがって、「リスク」を負ってより上位校を狙おうという受験生が増えているのだろうと思われます。

 

 

 

最後に、「多摩地区」の本年度の「状況」を考えてみましょう。

 

 

日比谷、戸山、青山、西の4校と、八王子東、立川、国立の3校の2グループの出願者数を比べてみます。

 

 

 

まず、男子です。

 

30年度 29年度 28年度 27年度
日比谷 314 328 347 437
戸山 332 290 314 386
青山 300 256 340 366
西 276 262 294 289

4校計

1222 1136 1295 1478

 

 

30年度 29年度 28年度 27年度
八王子東 220 152 186 192
立川 261 240 199 279
国立 231 200 257 286

3校計

712 592 642 757

 

 

日比谷、戸山、青山、西の四校の男子の29年度の出願者数の合計は1136人です。30年度の出願者数の合計は1222人です。

したがって、昨年度と比べて、日比谷、戸山、青山、西の4校は、出願者を計86人増やしています。

一方、八王子東、立川、国立の3校の29年度の出願者数の合計は592人です。30年度の出願者数の合計は712人です。

したがって、昨年度と比べて、120人が増加しています。

 

とりわけ、八王子東の増加が顕著です。

 

 

 

次に、女子です。

 

 

30年度 29年度 28年度 27年度
日比谷 250 262 289 298
戸山 224 228 247 277
青山 255 246 309 303
西 181 223 184 209

4校計

910 959 1029 1087

 

 

30年度 29年度 28年度 27年度
八王子東 189 169 193 177
立川 195 182 179 175
国立 244 192 231 240

3校計

628 543 603 592

 

 

日比谷、戸山、青山、西の四校の女子の29年度の出願者数の合計は959人です。30年度の出願者数の合計は910人です。

したがって、昨年度と比べて、日比谷、戸山、青山、西の4校は、出願者を計49人減らしています。

一方、八王子東、立川、国立の3校の29年度の出願者数の合計は543人です。30年度の出願者数の合計は628人です。

したがって、昨年度と比べて、85人の増加です。

 

 

女子は、2つのグループの「差」がより鮮明にあらわれました。

 

 

 

本年度、私立、都立ともに多摩地区の受験の動向に、変化が生じています。

その要因について、ちょっと思いあたるところもあります。

 

 

しかし、まあ、今回は、このへんで。

 

(ivy 松村)

平成30年度の南多摩中適性検査②

「適性検査Ⅱ」をみてみましょう。

 

 

大問1

 

〔問題1〕

 

さいころの展開図です。絶対に落とせない問題です。

 

 

〔問題2〕

 

「かけ算の答え」と「割り算の答え」を足して、7になる計算式を考える問題です。

使えるのは1から6までの整数のうち、異なる4つだけです。

 

□×□+□÷□=7 (□÷□+□×□=7)

 

 

答えが7になる「足し算」の式は、以下の3つです。

 

・4+3=7(3+4=7)

・5+2=7(2+5=7)

・6+1=7(1+6=7)

 

「4と3」、「5と2」、「6と1」の組み合わせになるものを考えます。

 

 

・4×1+6÷2

・5×1+4÷2

・5×1+6÷3

 

 

以上のような解答があります。

(「6と1」の組み合わせは存在しません。)

 

 

〔問題3〕

 

使われているさいころは、「1」の面を上に置いているので、「6」の面が下になっています。

したがって、2・3・4・5が横の面になっています。「2と5」、「3と4」は向かい合っているので、となりあうことはありません。「2と3」の組み合わせを除くと、以下の組み合わせが残ります。

 

・2と4

・3と5

・4と5

 

図6と同じように、8個のさいころを書いて「見えている面」の合計を出せば、「60」になることがわかります。

そうすると、太朗さんのいう「おもしろいこと」というのは、「1の面を上にした」さいころの「見えている面」の合計は、常に「60」になるということなのではないかと推測できます。

 

「6」以外の面はすべて4つずつ存在します。

したがって、「見えている面」の合計は、常に「60」になるわけです。

 

(1+2+3+4+5)×4=60

 

 

 

大問2

 

〔問題1〕

 

東京スカイツリーは634mです。

一方、東京タワーは、333mです。

 

私たちの目には、「近く」にあるものは大きく見え、「遠く」にあるものは小さく見えます。

東京スカイツリーは東京タワーの2倍の高さです。
東京タワーが、東京スカイツリーと同じ高さに見えるということは、東京タワーが自分の「近く」にあるためであるということになります。

 

 

〔問題2〕

 

・三大都市圏・・・東京都市圏(首都圏)・名古屋都市圏(中京圏)・大阪都市圏(近畿圏)

・三大工業地帯・・・京浜工業地帯・中京工業地帯・阪神工業地帯

 

東海道新幹線は、「三大都市圏」・「三大工業地帯」を結ぶ高速鉄道であるととらえることができます。

 

表1の「人口」の資料からは、さらに横浜と京都を説明に加えることができます。

表2の「工業地帯・工業地域」の資料からは、さらに東海工業地域を説明に加えることができます。

 

 

〔問題3〕

 

グラフと割合の計算です。

 

定規を用意するように、という指示があったので、「グラフ」かもしれないと受検生に伝えていたのですが、やはりそうでしたね。

 

図4は、家電製品や乗用車などの普及率が大きく上昇していることが示されています。

 

図3のグラフの「その他」の支出割合は、1965年から1990年の間に増加しています。それは、多くの家庭で家電製品や自動車などの「耐久消費財」を購入するようになったからだということがわかります。

 

「食料」の支出が減っているのは、いわゆる「エンゲル係数」が低下しているということを示しています。

 

 

 

「東京都」には、オリンピック・パラリンピックを盛り上げ、成功させたいという大願があります。

「都立中学」の入試問題に、そうした「意気込み」が反映されていると考えることができます。

たぶん、「都立高校」の入試問題にも、同じような「傾向」が見られるでしょう。

 

 

 

大問3

 

〔問題1〕

 

この問題が、本年度の入試の「要所」となりました。

 

「1㎠」は「1㎝×1㎝」、つまり「10㎜×10㎜」=「100㎟」です。

したがって、「4㎟」の25倍です。

 

しかし、「2.5倍」であると勘違いをした受検生が多くいたはずです。

 

「単位」をきっちりと「攻略」していない受検生は当然失点したでしょう。

のみならず、普段なら間違うはずのない学力レベルの受検生でも、何人かは失点をしてしまったのだろうと思います。

 

「算数」の試験であれば慎重に対処できたはずの問題であっても、「適性検査」では、落としてしまうことがあります。

「適性検査」は、問いの説明や構成、解答形式がより複雑で、さらにスピードが求められます。

正確に、速く問題を「処理」しなければならないことが「あせり」を生み、受検生の「注意力」を散漫にしてしまいます。

 

 

〔問題2〕

 

会話文を読んで図をみれば、解答を導ける問題でした。

 

 

〔問題3〕

 

・「図5」→① 夏になると雨が降るので、地表の砂はかわいた状態ではなくなる

・「図6」→×

・「図7」→② 夏になると強い風が吹く回数が減るため、砂が巻き上げられなくなる

・「図8」→③ 夏になると東に向かう風が弱まるため、砂が日本まで運ばれない

 

 

 

今年の入試は、かなり易化しました。

「ボーダー」は相当高くなりそうです。

 

 

本年度の南多摩中の入試の「ポイント」を2つ挙げることができます。

 

1つ目は、調査書の点数の比重が高まったということです。

入試問題が易化するということは、多くの受検生の得点が、高得点域で均衡するということを意味します。したがって、調査書の点数が乏しい受験生は、「逆転」が難しくなります。逆にいえば、調査書の点数=学校の成績が良い受検生ほど有利になります。

 

2つ目は、私立中受験の勉強をしてきた受験生ほど有利になる「傾向」がいっそう強まったことです。

「適性検査Ⅰの問題1・問題2」は、私立中の入試問題と遜色ありません。

「適性検査Ⅱ」は、よりいっそう私立中入試に近接しました。

 

「共通」の入試問題を作成するということは、ある意味で、都立中の「適性検査」の「一般化」「普遍化」を促しているといえると思います。

それは、また同時に「易化」を進行させています。

つまり、「訓練を積んだ受験生」にとって「解きやすい」問題であるということです。

 

 

 

南多摩中は、これまで、「理科」や「算数」などの理系科目で、難解な問題が出されることが多くありました。そのため、理系科目を攻略することは、合格へ大きく近づくことを意味しました。

しかし、理系科目が易化しています。おそらく、大問1と大問3では、受検生の得点に大きな「差」はつかないでしょう。

 

したがって、今年の南多摩の入試は、「適性検査Ⅰの問題3」=「作文」が、合格への「鍵」になったかもしれません。

 

 

(ivy 松村)

 

平成30年度の南多摩中適性検査①

私立中、都立中の入試が終わりました。

おつかれさまでした。

 

南多摩中の入試問題の分析をしてみようと思いますが、ちょっと。

 

南多摩中を受けた生徒は、読まない方がいいと思います。

いずれにしろ、間もなく「結果」が出ます。

 

「塾の人間」は、過去に目を向けます。そういう「習性」なのです。

でも、「受験生」の目は未来を向いていなければなりません。

 

 

人生の大きな「節目」を乗り越えて、ひとつ、大きな財産を手に入れました。

 

明日から中学準備講座です。

さっそく、人生の次のステージの勉強を始めましょう。

 

 

 

まず、「適性検査Ⅰ」です。

 

「問題1」は第二の自己表現のタイプである「攻撃的自己表現」について記述する問題でした。

 

「どのように何を守ることですか」と問われているので、

 

①どのように、

②何を守る

 

という2つの「要素」を組み込んで解答を作ります。

文末は「~こと。」です。

 

 

①ですが、以下の箇所を解答に使えます。

 

第二段落「自分のことだけをまず考えて行動し」

第十二段落「自分が正しいかのように言い張り、相手を黙らせようとしたり、同意させようとしたりする」

同「自分と異なる意見やものの見方に耳を傾けようとせず」

 

 

②ですが、以下の箇所を解答に使うことができます。

 

第十一段落「自分の言い分や気持ちを通そうとする」

 

 

「自分のことだけを考えて行動し、自分の言い分や気持ちを守ること。」

「自分が正しいかのように言い張り、自分の言い分や気持ちを守ること。」

「異なる意見やものの見方を尊重せず、自分の言い分や気持ちを守ること。」

 

上のような解答であれば、大きく点数を落とすことはないと思います。

 

 

 

「問題2」は「アサーティブな自己表現」における「葛藤が起こる可能性」があるのはどのようなときかを答える問題でした。

 

解答の文末は「~とき。」です。

 

 

「葛藤」という言葉の意味を知らない、あるいは類推できなければ、解答を導くことができません。

 

 

解答には、第二十、二十一段落が使えます。

 

「意見や考えが一致せず、合意が得られないとき。」

 

 

 

いずれ学校から正式な「解答例」が公表されます。

 

「解答例」はいろいろな「情報」を示唆してくれますが、ちょっと注意しなければならないことがあります。

 

それは、「解答例」は、決して「的確な解答」というわけではないということです。

実は、都立中や都立高校の「記述問題」の「解答例」は、かなり「ルーズ」に書かれています。

 

「解答例」とかけ離れた表現で書いても、「内容」と「解答形式」に不備がなければ正解になります。

 

当たり前といえば当たり前の話ですが、「決まり切った答え」を求めるような入試問題ではないので、「解答」は「特定の様式の文」に収束しないのです。

 

さらに、学校側が、採点に「幅」を持たせるために、あえて課題文中の言葉を外して「解答例」を作ることもあります。

 

 

つまり、自分の解答に使用した「文中の箇所」や「語彙」が「解答例」に近似しているかどうか、だけで「正誤」や「部分点」を判断してはいけないということです。

 

「解答例」こそが「規範」であると勘違いしてしまうと、正しい筋道の思考が滞ってしまうので、受験勉強が「手詰まり」になってしまうこともあります。

「解答例」にたどり着くためにはどのように考えるべきなのか、というアプローチにこだわりすぎてしまうと、他の「間違っていない考え」も排除されてしまいます。

 

「解答例」は唯一の「正解」というわけではなく、ひとつの「例」にすぎません。

これは、都立中に限らず、あらゆる入試に挑む受験生が注意しておかなければならないことのひとつなのかもしれません。

 

 

 

「問題3」は「手順」が指示されています。

 

 

1 自分の主張を理由とともに、具体的に書く。

2 想定される別の意見を書く。

3 別の意見をいう人の意図をふまえ、歩みよりの提案をする。

 

 

人によって意見が分かれる「テーマ」を選ぶ必要があります。

つまり、自分に対する「反対意見」を提示する必要があるわけです。

ただし、それに「反論」するわけではなく、「歩み寄りの提案」をしなければなりません。

 

①自分の主張「~すべき」

②理由「~ためだ」

③別の意見「~という考えもある」

④別の意見をいう人の意図「~ためだろう」

⑤歩み寄りの提案「~することで、双方が納得できるのではないか」

 

 

 

都立中の「受検」では、「いりたま作文」というのが猛威を奮っていて、かなうのであれば、都立中の先生にどう思われるのか率直な「本音」を聞きたいと日頃思っているのですが、今年の南多摩の問題は、「いりたま崩し」だと思います。

 

「いりたま」を念頭において、これに依存して作文を書こうとした受検生は、大きく点数を落としたと思います。

 

都立中の「作文」は、ちょっと読めないところがあって、「いりたま」ががっちりハマる年もあれば、強烈な「いりたま崩し」となる年もあります。

 

「いりたま作文」というものについて都立の先生方が知らないはずはないので、「いりたま」がハマるような出題がなされたときには、先生方がある種の「諦念」のもとに「いりたま」に迎合したのかな、と思ったりします。しかし、その後、また、「いりたま崩し」が見られたりします。

 

そのうちだんだん、出題傾向の変化は「意図的なもの」ではなく、単に作問の担当が替わって、当年の担当者が「自分好み」の問題を作っているだけなのかな、と思うようになりました。

 

 

 (ivy 松村)

 

 

本年度の高校入試の動向

いよいよ入試が近づいてきました。

 

ちょっと、本年度の高校受験について書きたいと思います。

 

ただ、その前に、一言。

 

受験生は読まない方がいいと思います。

 

 

こういう情報を気にする人もいれば気にしない人もいるでしょうが、結局、受験校を決めている人にとっては、ノイズとなるかもしれません。

 

個人的な「思い」として、生徒たちに「強い精神力」を培ってもらいたいという気持ちもありますが、現実を知ることが悪影響になるような人もいるかもしれません。

 

 

私個人は、ある種の「役割意識」のようなものに駆られてこうした記事を書くわけですが、必ず受験生のみなさんに知らせたいものとして書いているわけではないので、無理して目をとおさないでください。

 

 

まあ、そうはいっても、読む人は読むのでしょうから、その場合は、自分の意志で読んでください。

 

 

あと、一点。

ちょっと忙しくて、情報を集めきれていません。

予想や推測も交えて「動向」を書きますが、全てを鵜呑みにしないようにお願いします。

 

 

 

さて、本年度の高校受験ですが、私立を「本命」とする受験生が増えています。

 

私立の推薦入試が終わりましたが、応募者数が分かった高校の、本年度の応募者数と昨年度の応募者数の合計を比較してみました。

 

 

 

2018年度 2017年度 増減
明八 393 304 89
中附 304 231 73
法政 141 84 57
日大二 139 105 34
明明 126 93 33
豊島岡 85 58 27
中杉 268 251 17
青学 198 190 8
慶應女子 109 104