政治の話④(「マスコミ」)

安倍内閣の実質的な「ナンバー2」である麻生財務大臣と「マスコミ」の記者の対立が先鋭化しています。

 

麻生大臣が担当する財務省は、「一連の問題」の「震源地」となりました。

 

一部の記者が麻生さんに刺激的な質問を浴びせ、それに対して、麻生さんは歯に衣着せない辛辣な口調で記者に「反論」する様子が、テレビや新聞に度々取り上げられています。

 

 

麻生さんは、先の総理大臣時代に、自らの発言を「マスコミ」に何度も悪意的に取り上げられた苦い経験があります。

マスコミの「キャンペーン」と、いわゆる「リーマンショック」などによる世界的な経済危機への対応に苦慮し、麻生政権はじりじりと追い詰められました。

 

麻生さんには「マスコミ」に対する、大きな「遺恨」があるわけです。

 

 

一方、「マスコミ」にとっては、麻生さんは「旧弊」を絵に描いたような横暴で独善的な政治家に映ります。

一部の「マスコミ」の記者は、是が非でも麻生さんから「失言」を引き出し、それを政権批判に結び付けようと躍起になります。

 

第二次安倍政権が発足した後も、閣僚となった麻生さんの「失言」は何度も「マスコミ」で取り上げられました。

 

しかし、それは、政権に、大きな「ダメージ」を与えていません。

 

「マスコミ」は、さらに必死になって麻生さんの「失言」を大々的に取り上げますが、思ったように「世論」を喚起することができません。

 

 

 

いまや、麻生さんが総理大臣だった「10年前」とは違います。状況が劇的に変化しています。

 

完全に「潮目」が変わり、「失言」のような小手先の「陥穽」で、政権を追い落とすことができるような時代ではなくなっているのです。

 

 

もちろん、許されてはならない言語道断の「問題発言」をする政治家がいます。社会的に認められはない発言をしてしまった政治家は、その責任のありかたを問われるべきです。

 

過去に、何人もの国務大臣が、呆れるような「舌禍」をさらし、更迭されました。

 

 

しかし、特定の政治家を追い詰めるために、文脈から切り離された「一部の発言」を糾弾するような手法は、もはや実効性が無くなりつつあります。

 

「そういった手法」が効果的でなくなったばかりか、むしろ「そういった手法」が即座に見ぬかれ、逆に非難を受ける時代になったわけです。

 

 

 

「世論」への「マスコミ」の影響力が弱まっているのは、「マスコミ」の報道に対する「不信感」が高まっているためです。

「マスコミ」の報道は公平中立ではなく、強いバイアスがかかっていると、知られるようになりました。

 

特に「インターネット」は重要な役割を担いました。

 

 

一部の「マスコミ」は、いまだに「インターネット」の影響力を軽視しています。

 

 

「インターネット」の「プラットフォーム」には、あらゆる「個人」、あらゆる「組織」から多面的な情報が集積されます。また、そこから、広範に情報が拡散されます。

 

 

「人間」を軽んじている人間は、より多くの人間が介在すれば、信用できない情報があふれることになる、と考えます。しかし、実際には、「その反対」が優位となります。

 

つまり、多くの人間が介在することによって、より論理的でより整合的な情報が選択され、拡散されるのです。

 

「マスコミ」に限らず、多くの「識者」は、「インターネット」の「多参性」というものを過小評価しすぎていると思います。

 

 

どこの誰が発信したのかわからない情報は、確かに存在します。なかには、それを無条件に信じる人もいるでしょう。

しかし、「インターネット」の利用者の多くは、「どこの誰が発信したのかわからない情報」であるからこそ、その情報が信用できるかどうかを示す「根拠」を重視します。

 

いわゆる「エビデンス」というやつですね。

 

 

(それとも、単純に、情報を使って人々を扇動しようとする人間ほど、他人も同じように、情報を使って人々を扇動しようとするはずだ、と考えるのかもしれません。)

 

 

 

これまで、「マスコミ」はその強大な「影響力」を集約的に動員することで、「ここぞ」という場面で政治状況に「加担」してきました。

安倍さんも麻生さんも、過去に、煮え湯を飲まされてきました。

 

しかし、現代、「マスコミ」は、政治を左右する力を失いつつあります。

 

その事実は、「マスコミ」に強烈な焦燥感をもたらしています。

 

 

 

財務事務次官が辞任に追い込まれた問題は、「政治」と「マスコミ」の間に横たわる「溝」を、修復不可能な深奥としました。

 

当然、「リテラシー」を有した人は気づいていますが、これは、「表面的な問題」と「本質的な問題」が別、なのです。

「マスコミ」は、自身の体質を棚上げして、これを「倒閣」の材料に加えようと「決断」しました。その「報酬」として、政治家、官僚さらには財界人、学者、専門家、もっといえばジャーナリストも、「マスコミ」に過度に近づくべきではない、との共通の認識を持つに至りました。

特に政治家と官僚は、今後「マスコミ」と「深奥な距離」を保つように努めるでしょう。それは、どうしても合理的、常識的な判断であるといわざるをえません。

同時に、「マスコミ」の取材は、やはり「自制」すべきものになりました。

それが「マスコミ」の「要望」であるというわけです。

 

 

 

さらに、安倍政権と「マスコミ」の「確執」には、別の「根本的な要因」が存在することも指摘しておかなければなりません。

 

安倍政権は、新聞社とテレビ局の「特権」の廃止に向けて動き出しています。

具体的には、新聞社の税制上の優遇を撤廃し、テレビ局の「既得権益」を潰そうとしています。

 

「マスコミ」が安倍政権に対して闘争的なのは、自身の存亡が、政権の存亡と「背中合わせ」になっているからです。

さて、果たして、どうなることに、なるのでしょうか。

 

 

 

それにしても麻生さんの「マスコミ」に対する「攻撃的な態度」は、ちょっと気になります。

 

財務省の「公文書書き換え問題」は、麻生さんと熾烈に「やり合っていた」報道機関のスクープでした。また、その報道機関と関係の深い別の報道機関は、財務次官の問題にも関与していました。

 

これらの報道によって、麻生さんは財務大臣を辞任せざるを得ない状況に追い込まれる可能性がありました。

 

当初、私は、麻生さんの「ストレス」が言動にあらわれているのかもしれないと考えました。

 

しかし、その後、「一連の問題」が収束しつつあるにもかかわらず、麻生さんの「マスコミ」に対する姿勢は、あまり変化しませんでした。

 

 

もしかすると、麻生さんは、もはや「マスコミ」に対して「取り繕う必要はない」、と考えているのかもしれません。

 

 

あるいは、別の可能性もあります。

 

麻生さんは、秋以降、財務大臣ではなく、別のポストに就任するのかもしれません。

それは、もしかすると「党務」のほうなのかもしれません。

 

安倍さんは、果断に「人事の変更」をします。

安倍政権について、「お友達内閣」などと揶揄されることがありますが、安倍さんは、「抜擢」が多く、同時に「見切り」も早い政治家です。

 

(本当のところをいえば、「お友達内閣」という評論は、「リベラル」な人物を排除する安倍さんの姿勢を批判する物言いなのです。)

 

実は「大胆な人事」というのは、安倍さんの政治家としての「特徴」のひとつです。

(これは、個人的には、小泉さんの影響が大きいと思います。)

 

安倍さんの「人事」については、決断力があるともいえますが、同時に「情が薄い」と考える人もいるかもしれません。

 

 

安倍さんと麻生さんが二人だけで会合をしたというニュースを、けっこう気にしているのですが、どうなんでしょう。気になりますね。まあ、秋までに状況に変化があるかもしれませんし、今はわかりませんね。

 

 

 

 (ivy 松村)

 

 

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