昨日は、山梨に高校入試応援に行ってきました。高校入試の幕開けでした。
向こうは雪が積もっていて、歩くのに難儀しました。
縁起を担ぐわけではありませんが、自分のためというよりも、生徒のために一歩一歩気を付けながら歩いたのでした。
今日はセンターテストが行われました。
いよいよ入試のシーズンが本格的に到来したのだという感慨に、身が引き締まります。
この時期に、受験生は過去問を解きます。
もちろん、合格最低点を公表している高校の過去問を解くときには、それを越える点数を取ることを意識しなければなりません。
しかし、合格点を取る、ということが過去問を解く目的ではありません。
合格の可能性を計る、というのもちょっと違います。
塾の教師は「一点にこだわれ!」などと言って、受験生を鼓舞します。
私も、点数に対して貪欲になれ、というようなことを受験生によく言っています。
しかし、合格点が取れているかどうかということを、ことさら重視してはいません。
結局、過去問は入試で合格点を取るための練習材料です。
「その問題の点数を取れるかどうか」にこだわるのは本質を逸しています。
「入試本番で点数を取れるようになる」ために活用するものです。
少し考えればわかりますが、スポーツの大会前の調整試合などに負けることがあって、執拗に「負けたこと」を反省させるような指導者がいたら、ちょっと馬鹿げています。
調整試合は、本番で最も良いパフォーマンスを出すために、活用されるべきものです。
論理的な指導者の下でスポーツのトレーニングをした経験がある人はわかると思うのですが、調整試合には、その度ごとにテーマがあって、それができるかどうか、あるいはできているかどうかを確認するために試合を行うのです。
例えば、サッカーであれば、あるシステムを採用してみて、ボールの位置がこうなったときには特定の選手はこう動く、といったような約束事をゲームの中でできるかどうかといった確認。
または、守備の選手を入れ替えたときに守備陣形をこの位置で維持できるかどうかといった確認。
本番に備えて、そういったことを確認して、より良いやり方を採用したり修正したりするのです。
こうした「調整」はすべて、本番で、狙った通りの試合運びを行うためにあるものです。
当然ですが、最も考慮しなければならないのは「本番の結果」であって、すべての調整はそのための資源でしかありません。
過去問を解いた後で、生徒と「反省会」をします。その中で、何について話をするのかというと、プラン通りの「試験運び」ができたかどうかです。
特に、時間制限が厳しいことがわかっている高校を受ける生徒には、時間の使い方について細かく話をします。
チャレンジ校の過去問を解く場合、毎回毎回合格点に達することができない、ということが普通にあります。いつまでたっても光明が見えてこないという状況です。
それだけ厳しい挑戦をするということを決意したのです。
チャレンジ受験が第一志望になる場合、粘って粘って合格可能性をじりじり上げていく根性が必要になります。
それを養うために過去問を活用するのです。
過去問を解くのは 問題に慣れるためではありません。
合格できるかどうかを計るためでもありません。
合格点を取るために、何をするべきか、何ができるのかを分析するために過去問を解くのです。
(ivy 松村)