入試応援のこと

昨日も入試応援に行ってきました。

 

今日、その入試結果の発表だったのですが、合格を果たしました。

 

おめでとうございます。

 

併願ではない受験でしたから、実力で勝ち取った合格です。

うれしかったでしょう。

しかし、なにより、ご家族は、ほっとされたと思います。

 

2日前に体調を崩してしまって、直前に十分対策ができませんでした。

前日も、帰る予定の時間を2時間近く超えて面接の練習などを行いました。

お家の方はずっと心配されていました。

家族の支えがあっったからこそ、がんばり切れたのだということを忘れないでください。

 

そして、まだ、ゴールは先にあります。気を引き締めてがんばっていきましょう。

 

 

 

さて、いよいよ2月に入り、東京の入試が始まりました。

 

今日2月1日は、私立中学入試のスタートでした。

今年はサンデーショックの年です。

 

受験に関する情報を集めていて、サンデーショックを用いて、中学入学時の学力と大学合格実績との関係を分析した論文があることを知りました。少しだけ読んでみましたが、結論としては、あまり関係がないのだそうです。

 

その結論によって、間接的に示唆されるのは、入学後の教育や環境の方が、学力の伸長に影響があるのだということです。

 

興味深いですね。

そうすると、実力相応の学校に入るよりも、単なる幸運でもいいから、上位の学校に入学したほうがよいということになります。

そして、「優秀な生徒が集まるから、進学実績がよいのだ」という因果の説明が揺らぐことになります。

 

分析の対象が私立の難関中高一貫校ということなので、一般化して考えることはできないと思いますが、大変貴重な、意義のある研究だと思いました。

 

 

 

今日、2月1日は中学受験の山場です。

多くの塾関係者が、入試応援に動員されていたはずです。

 

その入試応援に関して、面白い記事が配信されていました。

 

受験生激励大声やめて! 入試会場で塾関係者ら過熱

 

入試当日、塾関係者が受験校の校門の前に集まって、生徒に最後の激励をして送り出すという、一種の風物詩的な光景に対する記事です。

 

一言でいうと、「迷惑」であるということです。

 

 

ある学校が「ほかの受験生が萎縮する事態を避けるため、塾に対し、

 

・集団で声を上げての決起集会

・旗やのぼりの使用

・ベンチコートの着用

 

―などをやめるよう、事前に文書で呼び掛けた」

 

のだそうです。にもかかわらず、「当日、集会をして大声を上げた塾があり、抗議したという」ことです。

 

 

身につまされますね。

 

正直、塾の教師の中には、自分が「ならず者」に思われても、受験生の合格可能性0.1パーセントでも上がるのなら、本望だと思う人がいると思います。

 

 

入試応援という行為が、とても効果があることもわかっています。

 

緊張しない生徒もいれば、緊張で力を出し切れない生徒もいます。

また、怖いのは、大丈夫だと思っていた生徒が、当日になって、ガチガチになることです。その日になって、その生徒の本来の性質が現れることもあるのです。

 

私たちが考えなければならないのは、生徒が力を出し切るために、できることは何か、ということです。

早起きをして朝そこにいるだけで、そうした懸念をいくらかでも軽減できるのなら、当然そうします。

 

同業者として、そういう思いを共有することはできても、否定することはできません。

 

 

 

ただ、問題は、関係のない者がそこにいることです。「賑やかし」でいるだけの人間は「邪魔」以外の何物でもありません。

 

 

ものごとの本質を失っていて滑稽なだけでなく、悪影響が大きすぎるのです。

 

記事にもあるように、世間に迷惑であり、塾業界の悪評になり、当の受験生に望まれていないものになります。

 

もちろん、塾の従業員が、会社組織の圧力のもとにそこに来させられているのでしょうから、正常でないのは、動員の指示を出した人なのでしょう。彼らにとって、塾の従業員は、受験を「祝祭空間」にするための「小道具」です。威嚇や宣伝のために、そこ立たされています。

 

そして、哀しいことに、きっと、勢力の誇示は、企業の業績と相関があるのでしょう。

 

企業の論理が、教育の倫理に上回る端的な事例です。

 

 

 

昔、中学受験をする多人数の受験生を教えていたとき、必ず、こっそりと生徒に伝えていたことがありました。

 

「入試当日、大人たちが集まって、大騒ぎしています。ほとんどお祭りみたいになっています。多分、君たちは、ドン引きします。でも、それは、塾の人たちの、君たちを応援したいという気持ちのあらわれなのです。もし、嫌だな、と思ったら、さっと学校の中に入ってください。」

 

 

実は、小学生でも、受験生は逞しいもので、「そんなものだ」と冷めて見ている生徒も結構います。自分たちをそっちのけにして騒いでいる大人を見ながら、社会のあり方を学んでいくのかもしれません。(「先生」の鏡ですね)

 

しかし、そうだとすると、まあ、さらに滑稽ですよね。

 

滑稽だな、と思いながら、私がその一員を演じてきたのは、それに励まされる生徒が、必ずいたからです。その目的のために道化になれるのです。

 

 

 

入試応援を面倒に思う塾の教師も、多くいます。当然、塾の仕事は「夜型」になりますから、朝はきついのです。

以前は、入試応援に行きたがらない講師を歯がゆく思ったり、軽蔑したりしていましたが、今は、誰にとっても、その方がいいと思うようになりました。これは本心です。

 

 

受験生の力になりたい、という核心を失ってしまったら、入試応援は、すがすがしいほどの、ただの迷惑行為です。

 

ですから、私は、自分の生徒のすべての入試を同じように応援しようと思っています。

 

入試のある日は、必ずどこかの入試会場に行くようになって、何年か経ちました。

今年も、すでに6か所、高校入試の応援に行きました。

 

一人だけの入試応援も、風情があると思えるようになりました。

世の中の、私以外の塾の教師全員が「行かなくていい」と判断した入試会場には、私一人しかいません。

高校の先生も、塾の人が来るとは思っていないので、怪しまれて、声をかけられたりします。

 

 

お祭りのような喧噪のなかで受験生を探し出すことも、静寂の中でじっと生徒が来るのを待つことも、私にとっては等価であり、そして、喜びでもあるのです。

 

 

(ivy 松村)

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