今日、以前に教えていた生徒が、合格を報告に来てくれました。
本当にうれしかったです。その結果は、完璧に、私が望んでいたものでした。
しかし、また、切ない話も知ることになりました。
塾の仕事は、毎年毎年、背負う荷物が増えていく、と誰かがどこかに書いていました。
業のようなものなのかもしれません。
それは、誰かに、必要とされることでいくらか軽減されるようにも思えたりもします。
くだらない自意識なのかもしれませんし、そこはかとない使命感なのかもしれません。
いずれにしても、私が塾の教師を続けられるのは、「背負う荷物」があるからなのです。
この「仕掛け」は悪魔的であって、キャリアの中で、常に全員合格を続けない限り、その循環から逃れられないのです。
また、同時にそれは、私の人生に実存的意味を与え続けるものでもあるのですから、なおさらなのです。
塾の教師の中で、たぶん、私のいわんとすることを理解できる人と理解できない人がいると思います。当然、一般の人が理解するのは難しいことでしょう。
そして、わからない人にとっては、気味の悪い情熱のように思えるのだろうと思います。
私が豊田で塾をする、ということが知られたとき、きっと私には「思惑がある」と思われていたに違いありません。
全てを否定はしませんが、実際には、「現実的」な場所がここであったということなのです。
魅力的な物件は、予算の3倍以上もするという現実があったのです。
そして、実に運命的な空間が、実在してしまったのです。
私の原点がどこにあるのか、ということは、私の古い知人たちは思いあたることでしょう。
もちろん、この場所で塾をするのですから、並々の、シンプルな願いがありました。
しかし、すぐに挫折しました。
端的にいえば、大きな混乱を招くのはよくないと思うようになったのです。
また、自分の心に痛ましさを感じるようになり、大きな負担になってしまいました。
表の道路では、うまく声が出なくなってしまいました。
それで、とにかく、ivyのことだけに集中しようと考えるようになったのです。
今日になって、もしかしたら、自分が力を貸してあげられた生徒がいたのかもしれない・・・と知りました。
もちろん、そんなものはただの誇大な妄想かもしれないし、都立高校の合格発表があった今日という一日のなかで情緒が揺さぶられているだけなのかもしれません。
それでも、この文章を、そうであるかも知れない生徒のために、書き記しておきたかったのです。
ぼくは、塾の人間だから、勉強のことばかり言ってしまうけど、本当は、勉強ではなくてもいいのです。何か、熱中するものをみつけてください。
できれば、勉強が、一番いい。でも、どうしても苦痛だったら、自分の心が空っぽにならないように、何かに打ち込んでください。
音楽でもいいし、マンガでもいい。ファッションでもいいし、俳句でもいいし、昆虫観察でもいい。
そして、大切なつながりを作ってください。友人、恋人、先輩、後輩、恩師…。高校の中でなくてもいい。
人間は、「つながり」のなかで生きています。
勘違いしてはいけないのは、「つながり」は息苦しいものではないということです。
たしかに、「つまらない人間」はこの世にあふれています。でも、その中から、輝いている人を見つけてください。
ただし、人間の本性は深いところにあります。表面で人を判断しないでください。
それから、自分の行く高校のいいところを探してください。
そして、最後に、これも単にぼくが塾の人間だからいうことなのですが、
まだ、心に火が残っているのだったら、3年後に、もう一度受験してください。
松村