都立中の「適性検査」は、入試としては「特殊な問題」だと考えている方もいらっしゃると思います。
しかし、実は、都立中の適性検査は、試験の「王道」であるといえます。
試験には、二つの志向性があります。すなわち、
・必要な準備と対策を怠っていないかどうかを確認する(~を覚えたか)
・求められる資質を備えた人物かどうかを判定する(~ができるか)
というものです。
当然、暗記中心の試験は、前者にもとづいています。
一方、後者の代表的な例が、国公立大学の二次試験です。
つまり、論述による解答を求めるような試験です。
問いに対する理解度や、対応力、論理的思考力、知識などを、論述の形式や内容をもとに総合的にみようとするものです。
要するに、都立中の適性検査は、国公立大学の入試の「入り口」になっているということなのです。
また、あえて補足するならば、都立高校の入試問題(特に進学指導重点校の推薦入試)もまた、その「道筋」に連なるものとして作られているといえます。
(実は、大学合格実績を誇るいくつかの名門私立中高一貫校にも、都立中と同様の論述重視の傾向があります。)
公立の小学校、中学校では、まともに作文を教わることができません。
これは、先生の能力の問題というよりも、優先順位の問題です。
基礎的な知識を身につけるだけで精いっぱいの生徒が大勢いますから、作文は後回しにされてしまうのです。
そのためだけではありませんが、「作文嫌い」の生徒は非常に多いです。
しかし、「文章を書いて意見(解答)を述べる」という能力を鍛えなければ、社会の中で「前に進めなくなる」ということが起きてくるかもしれません。
「試験」という観点から世の中を見渡してみると、社会的地位や役職を得るための重要な資格の授与や昇格、入門の許可などは、その多くが「論述タイプ」の試験を課していることがわかります。
そして、入試のような公的な教育選抜制度は、そういった「最終的な試験」に立ち向かう人材を「引き上げる」という機能を果たしていることもみえてきます。
特に、国立の教育機関は、最終的に、学会や政府機関、産業組織のなかで、社会をリードしていく人物を輩出することを、その役割としているのです。
それゆえに、国立大学では、理系・文系を兼ねた総合的な学力が求められるとともに、「論述タイプ」の入試が行われるのです。
都立中の適性検査は、決して「特殊」なものではなく、「その先」を見すえて作られています。
都立中学が論述を重視しているというよりも、今の社会が「エリート」に、「論述の能力」を求めているのだといえます。
ですから、都立中学(の上の教育行政)は、「適性検査」を実施することによって、その素質を持つ生徒を見出そうとしているのです。
逆にいえば、都立中の受検対策を行うことで、社会的に重要な技術である「論述の能力」を養っていくことができるのです。
塾のような受検対策を目的とした教育機関は、それを養うための場所であるといえます。
試験は、それを証明する機会です。
そして、仕事や役職に就き、その能力をもとに、社会に対して貢献する人間に成長していくことができるのです。
(ivy 松村)