勉強を「やらされている」という感覚から抜けきれない人は、勉強時間はなるべく短いほうがいいし、勉強量はなるべく少ないほうがいい、という発想になります。
なるべく勉強に来たくない。
なるべく勉強に来る回数を減らしたい。
なるべく長く休憩したい。
なるべく解く問題数を少なくしたい。
なるべく早く帰りたい。
勉強がつまらない?
まだ勘違いをしています。
「やらされている」のだからつまらないに決まっています。
一人で勉強できない?
当たり前です。
訓練せずにできるようになるわけがないでしょう。
残念ながら、一人で勉強できない人がたくさんいます。
10分もしないうちに、誰かに話しかけたくなる人。
行き詰ったら、凍りついて、動作を停止させる人。
説明やノートを参考にしながら問題を解くことができない人。
だらしない姿勢で、ゆっくりゆっくりと作業をして、時間がたつのをひたすら待つ人。
その状態から抜け出して、手ごたえをつかむためには、必死に取り組むしかありません。
一人で勉強できるようになるために、一人で勉強する時間を増やしていかなければならないのです。
そのためのアドバイスをしています。そのための時間を提供しているのです。
腕を折りたたんで、内角球をうまくさばけるようになるためには、そのための練習が必要です。
うまく打てないから、素振りが嫌い、だから、素振りの回数を減らそう、と思っている野球選手がいたら、どうかしてると思いますよね。
試合で、内角球が来たら見逃します。そして、「運が悪かった」と言い訳するのですね。
テストに出ると予告されているのに、勉強しない。
それがテストに出されたら、やはり「運が悪かった」ということですか。
ヘディングが苦手だから、試合でもせり合わない。接触プレーから逃げまくっているサッカー選手がいます。苦手なことを練習するのが嫌だから、いつもヘディングをしない言い訳ばかりを考えています。
ヘディングが嫌なので、得点チャンスでも、浮き上がったボールには近寄りません。
入試のときも、得点よりも、合格よりも、嫌いな問題から逃げ切ることの方が大事なのです。
いや、それって、きみのことですよ。
苦手なことに取り組む時間をつくらなければ、苦手を克服することはできません。
一人で、地道に問題を解きながら、その時間に慣れていくことが必要なのです。
手助けがないから、勉強が手につかないのではありません。
手助けを欲しがっているから、勉強が手につかないままなのです。
「勉強会」では、授業形式で講義することもあります。
また、合間には、声をかけたり、職員室に来てもらって質問に応じたり、説明をしたりしています。
定期テストでいい点を取り、内申点を挙げるためです。
同時に、「勉強会」は、自分で自分の学習を管理し、自分で学習を進めていけるような力をつけてもらうという目的もあるのです。
すでに、誰の助けも必要とせず、中間テストに向けての準備を着々と進めている生徒がいます。
反面、「勉強がうまく進められていないけど、相談に行ったら、全然できていないことがばれて、もっと勉強をさせられてしまって面倒だから、だまっていよう」と考えている人がいます。
いったい何を基準に生きているのですか?
誤解する人がいると思うので、あまりいいたくはないのですが、真実の話をします。
今は、「いいかげんな子」とたくさん話をしています。
説明することも、注意することも多いですから。
「自分一人でできる子」はほとんど声もかけず、帰り際に少し勉強内容を確認するくらいです。
受験が近づくと、それがかわります。
人生と向き合い、ギリギリの勝負に挑む受験生のために、伝えなければならないことが山のようにあるからです。
「受験したくない~」というような、低レベルな話にかまっていられないのです。
今は自分一人で取り組めるようになってください。
そして、本当に大事なときに、全力で手助けをさせてください。
連休があけたら、もう中間テストのカウントダウンです。
必ず、連休を、テストのための時間に使うようにしてください。
(ivy 松村)