「ピリッとタイム」と「わいわいタイム」

今日は、中学生の生徒たちは、定期テストのための勉強に取り組んでいました。

 

中2は、ピリっと集中して取り組んでいました。

私は、コピーをしたり、質問に答えたりしていただけでしたが、かなり疲れてしまいました。

 

真剣な人間のそばにいると疲れてしまうということを、久しぶりに思い出しました。

とても気分のいい疲労感です。

 

今週末が、多くの中学校の中間テストの山場となっていますが、勉強の成果を出し切ってほしいと思います。

 

これから定期テストに挑む人、がんばってください。

 

 

 

 

ときに、あまりにも当たり前すぎて、わざわざ口に出すことを躊躇してしまうような事柄があります。

 

たとえば、「メリハリをつけて勉強しよう」というような話です。

いまさらそんなことをいちいち確認をするのもくだらないような気がしていました。

 

でも、今日、少し時間を取って、その話をしてみたのですが、やはり言ってよかったな、と思いました。

 

 

 

私は、ときに、生徒に対して「きつい」口調で注意をすることもありますし、わいわいと雑談をすることもあります。

 

これまでは、どういったときに「きつい」態度になり、どういったときに「アホな」態度になるのか、ということに生徒のみなさん自身で気づいてほしいと思っていました。

そのために、より大げさなコミュニケーションになることもありました。「わかりやすい」態度をとろうとしたのです。

 

「その瞬間」だけで判断をしてしまう人は、「機嫌」によって態度が変わる「情緒のおかしな人」に映ってしまうのでしょう。

そう見られてしまうのは残念ですが、塾にいるにもかかわらず、できるだけ「わいわい」したいと思っている人は、常に「わいわいタイム」のチャンスをうかがっているので、「わいわい」を封じられると、困惑してしまうのですね。

 

 

きちんと状況を観察し、人の態度や、言動の変化の因果関係について考えようとする人は、私のやり方にすぐに気がついて、うまく私をいじったりできるようになります。

 

 

たとえば、私が授業で雑談をはじめたり、アホな「振り」をはじめたりするタイミングは、だいたい決まっています。よーく観察しているとわかると思いますよ。

授業の中で、集中して取り組む時間から逆算して、必要なタイミングでブレイクが入るようになっています。

 

小学生の授業では、頻繁に「アホ話」が入ります。

反面、入試直前の受験学年のように、長時間の集中に耐えられるようなクラスになってくると、今度はブレイクなしで解説が続いたりします。

 

集中の持続力をあげるために、あえてブレイクなしで長めの解説を続けることもあります。

そのときは、説明の「調子」を変えたり、「あと~分」と予告したりします。

 

ブレイクの回数や長さや内容は、そのときの授業に応じて変わりますが、わかる人は「法則」をみつけることができるはずです。

 

 

授業には「流れ」というものがあります。

その「流れ」に沿っていない「勝手な」言動や態度は「きつく」対応されるのです。

勉強に集中できなくなるからです。

 

今日、話をしたように、「ピリッとタイム」でなければならない時間帯に強引にブレイクを入れようと話を振ってきたり、ぼんやりして集中していなかったりするようなときに、「きつい」注意がなされるのです。

 

 

要するに、「ピリッとタイム」にピリッとしていないと、ピリッとしてもらうために、「ピリピリ」した話になって、それが続くのです。

「わいわいタイム」を強引に長引かせようとしたり、適切ではない話題を振ってきたりしたときも、スルーしたり、真面目に注意したりします。

 

勘違いしてほしくないからです。

「わいわい」が中心ではないのです。

 

集中して取り組む時間が充実するから、ブレイクの時間も充実するのです。

 

 

・・・というような、私の考えなどなどを、今日、生徒に話しました。

 

 

真剣に勉強に取り組み、その合間に雑談で盛り上がって、また真剣な勉強が再開され、そして塾が終わり、一日が終わる・・・。想像しただけで、わくわくしますよね。

 

「気持ち良い勉強」というものは存在するのです。

どうして、そうならないのか、という話。そして、今日がそうなった日。

 

実際には、今までも頑張っていましたよ。

でも、今日は本当にピリッとしていました。

素晴らしかったです。

 

 

 

今日はそれぞれが課題に取り組む日でしたから、この時間に「集中」するために、何をしなければならないのか、を確認し、スタートしました。

 

 

欲をいえば、私の授業の「組み立て」に、生徒自身で、気づいてほしかった、という思いもあります。しかし、それは思い上がりだったのかもしれません。

 

「言葉」にして思いを伝えることは、態度で伝えることと同じくらい大切なのだと思います。

 

今日のような「勉強空間」に感動させられながらも、もっと早く話をすればよかったという反省もあります。

 

 

正直にいえば、こういう話をしてしまうと、今後の授業は少しやりづらくなります。

まあ、それでも、本心が伝わってくれれば、その甲斐があったと思えます。

 

 

 

 

 

話は全く変わるのですが、以前、オーストリアからの留学生の友人に、

 

「機嫌がいい」と「機嫌が悪い」

「気分がいい」と「気分が悪い」

「気持ちがいい」と「気持ちが悪い」

 

という表現は、それぞれどう異なっているのか、ときかれて、説明に窮したことを思い出しました。

 

みなさんだったら、どう答えますか?

 

 (ivy 松村)

 

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