気がつくと、ブログを書き始めて一年が経っていました。
始めたときには、とにかく、絶対に「放置状態」にしないようにしようと考えていました。
一年間の継続は、ひとつの区切りとなりました。感慨と安堵の心持ちです。
最初の数回の記事を読み返してみると、我ながらいろいろな試行錯誤が見えて、ほほえましくなります。結構、肩に力が入っていますね。でも、以前の記事の方が読みやすいように感じたりもします。
ブログを書き始めてしばらくして、「アナと雪の女王」についての記事を書きました。
それは、私にとっては、ちょっと例外的な記事です。このブログには、エンターテイメントについての文章は書かないつもりでしたから。
昨年大ヒットしたこの映画の主題歌を生徒たちが口ずさんでいて、気になってDVDを借りて見たのです。ちょっと強引に勉強のことと関連させて記事を書いていますが、本来は塾のブログに似つかわしくない題材でしょう。
今更ながらに書くのですが、あの映画にはとても救われたのです。
エルサが「氷の城」を築く場面と、そこで挿入される主題歌は非常に印象的です。
「氷の城」は、「決意」と「強靭な精神」の象徴です。
小さな塾の中で、たった1人でブログを書いているとき、たまに「let it go, let it go…」と口ずさんでいました。
私は、このブログを書くうえで、いくつかのルールを自分自身に課しました。
実は、このブログの文体が「硬い」のもそのためです。特に、
・「おもねらない」
・「おどけない」
・「おちゃらけない」
という3つの教条をブログの基本に定めました。(私はこれを「3O(スリー・オー)」と呼んでいます。)
ブログの中の私と、実際に教室で授業をしていたり、生徒とおしゃべりをしたりしている私は、かなり対照的な「性格」をしていると思います。
顔文字や絵文字を使ったりせず、また、文字の装飾や画像に頼らずに文章を書くことにこだわっています。
一部で、現代のウェブ・コミュニケーションの様式や流行を取り入れたり、レトリックや表現形式をマネしたりしている部分はありますが、保守的な文体や言葉づかいを心がけています。
ウェブ上の文章表現を観察してみると、「1人ボケ・ツッコミ」や、「www」や「(笑)」などの「記号」を用いて「オチ」を可視化する手法が広がっています。
あるいは「毒舌」や「自虐」ですね。まあ、「おかしみ」のポイントは人それぞれです。つきつめれば単なる感性の違いということでしかないので、それらを「つまらない」と評しても、詮の無いことです。
しかし、現代の一般的なブログの世界観は、私個人が持っている言葉の世界とはまるっきり違うものだと感じています。
「学習塾」という機関と「ブログ」のような活字を用いたメディアは、非常に相性がいいと思います。知識や論理、あるいは「説明」を伝達するためには、まとまった量の文章をあつかえる媒体が好都合です。
ですから、塾講師によるブログが全国的に広がり、模倣されていったのでしょう。実に多くの「塾ブログ」が存在しています。
しかし、最近、どうしても読みたいと思えるような「塾ブログ」が徐々に減ってきました。
とても寂しいですね。
いつも勉強させてもらっている「塾ブログ」にはがんばってもらいたいと思っています。
ブログを書き始めて、また、さまざまな「塾ブログ」を閲覧するようになって、自分の中で、敬愛すべき塾の教師と、残念に思う塾の従業員とを隔てるものが何なのかわかってきたように思います。
「勉強する人間」に対するいとおしさこそが、私の価値観を形作っているといえます。
これは、強烈な極私的発見だったのですが、とどのつまり、私は塾の教師なのでしょう。
「塾ブログ」には、その筆者が「勉強する人間」なのかどうか、がとてもよくあらわれます。
その人の信念や教育観はその内容にあらわれ、知性やチャレンジ精神はその構成に反映されます。そして人柄や誠実さはその文体に投影されるのです。
「勉強する人間」の文章は、本当に「キラキラ」しています。現実に、それは宝物なのです。
「勉強する人間」の書いたものであれば、たとえ自分の書いたブログの内容を剽窃されたとしても、あまり腹が立たないかもしれません。
一方、浅薄な理解や低質な論理、見苦しい言葉づかい、惰性的報告や稚拙なコミュニケーションがみられるブログは、残念な気持ちになります。
私は、ブログを一種の「メッセージ」だと思って書いています。
記事は、必ず「誰」に向けて書くのかを念頭において推敲しています。
あるときには塾の生徒たちに、あるときは保護者の方に、またあるときには世の中の小中学生や保護者の方に、そして、あるときには塾の世界を生きる同志に。
個人宛てのときもあれば、グループに向けるときもあります。また、その「メッセージ」が顕在的である場合もあれば、潜在的である場合もあるでしょう。
その内容に合わせて文章を調整していますが、どんな内容の記事であっても、中学生が読めるようなものであるように気を付けています。あまり難しい言葉は使わないようにしているつもりですが、あえて、高度な概念や特別な語彙を使うこともあります。
それは、このブログを、インターネットに接続されている情報端末で閲覧されるということを前提として書いているからです。読者は、意味のわからない言葉を直ちに調べられる環境のもとにこのブログを見ているので、どうしても意味が分からなければ、自分で検索することができます。
それにしても、この1年の間に、いろいろな方にこのブログをご覧いただいたようです。
実は、閲覧回数などの解析を一切やっていないので、どれくらいの人がこのブログを読んでくださっているのか全く知らないのですが、それでも、このブログを読んだ方からお問合せをいただいたり、ブログを通してご縁を結ばせていただいたりする機会が増えてきました。
都立高校入試の直前に、社会の入試問題についての記事を書いたことがあったのですが、ある高校生が、ブログのおかげで合格できました、という報告をしてくれて、本当にうれしかったですね。
ブログのことを振られると、ちょっと恥ずかしくなってそっけない返事をしてしまうことが多いのですが、実は内心、浮かれているのです。
気にかけていただいている方々には、ありがたい気持ち、いっぱいでおります。
今後とも、アイヴィーブログをよろしくお願いいたします。
(ivy 松村)