「面接」に臨む

本年度の最初の「合格」の報告がありました。

おめでとうございます。

 

終わったときにも、「やり切った」という表情で報告してくれて、いい結果が出そうな感触があったようでしたが、油断は禁物、ということで、「次」のことを考えておこうといっていました。

あらためて、胸をなでおろして喜びをかみしめているころだと思います。

 

夏休みは特に、集中して面接の練習や作文の直しに取り組みました。

その成果がうまく出せたようで、よかったです。

 

直前はかなりプレッシャーを感じていた様子でしたが、それもいい経験となったはずです。

精神的に苦しい時期を乗り越える経験は、人を成長させてくれます。

 

 

あらためて、おめでとうございます。

今後の活躍を期待しています。

 

 

 

大学入試では、AOや推薦入試の募集枠の拡大が話題になっています。

高校入試でも、今後、推薦入試のような「確実」な進路選択が積極的に活用されるようになるかもしれません。

 

 

実は、推薦入試に関して、ちょっと「持論のようなもの」を持っています。

それは、入試の「面接」に存在すると思われる「独特の評価の基準」についてです。

 

端的に、入試の「面接」は、企業文化のもとにある「就活」等の面接とは違うアプローチをしなければならないのではないかと感じているのです。

 

入試に際して「面接練習」をするとなったときに、「就活」を経験した「塾社員」が、屈託もなく「就活における面接マニュアル」を伝授しようとするのは、少し違和感を持ちます。

 

 

 

大学入試の「面接」は「大学の先生」が直接行います。

大学の先生方は、「研究者」、「教育者」の立場から学生を見ます。

 

特に、大学を「研究機関」であると位置づけ、大学の役割を「研究者の育成」であると規定しているような大学の教授は、一般的な「社会人」とは違う感性を持ち合わせています。

知的関心、熱意、研究に時間と労力を惜しまない実直な態度、そういった素質を感じさせる学生を迎え入れたいと考えるのです。

 

 

ですから、「大学に入学するにふさわしいかどうか」という判断は、「学ぶことに真摯であるかどうか」というような基準で計られることになります。

高校のランク、高校での成績、各種の資格でさえも、それほど意味のある指標にはなりません。

 

「大学で学ぶ意欲を持っているかどうか」が重要です。

 

ひたむきな研究を重ねつつ大学という組織の中で地位を築いた学者の方々は、「勉強」と「学問」を切り離して考えます。

大学で「学問」を学びたいという強い意志を感じさせる人をこそ、高く評価するでしょう。

 

 

もちろん、常識的なマナーや礼節、コミュニケーション能力などに問題があれば、それは論外ですが、「面接マニュアル」の受け答えにしたがっていないことを、すぐさま否定的に評価する人は少ないと思います。

まあ、「学会」は「変人」も多いところですからね。

 

 

学者は、企業的な価値観で人を判断しません。(もちろん、高校の先生も、です。)

 

当たり前といえば当たり前なのですが、かなり見落とされている「現実」だと思います。

 

 

「常識人」をうまく演じようとするよりも、むしろ、好奇心あふれる「変人」であったほうが、よい印象を持たれるかもしれません。

 

もし、AOや推薦入試の「面接」で「逆転」が必要なのであれば、「大学入試における面接の特性」をよく考える必要があると思います。

 

 

 

・・・というようなことを、おぼろげながらに考えながら、指導していました。

今回は、しっかりと対策してきたことが実を結んで、本当によかったと思います。

 

 

おつかれさまでした。

 

 (ivy 松村)

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