「船」に乗る

いよいよ高校入試の「瞬間」が近づいてきました。

 

 

これまで、さまざまなことを君たちに伝えてきました。

 

しかし、まだ伝えていないことがあります。

最後に、「受験」というものについて、記しておこうと思います。

 

 

 

どうして、「受験」というものが存在するのか。

 

受験に挑む者たちにとって、それは、自分の将来を阻もうとする「悪意」のようにさえ感じられることでしょう。

 

その結果によっては、人生が閉ざされてしまうと思い込んでいる人もいるかもしれません。

 

「受験」は、当事者にとっては、「船」に乗れる者と、乗れないものを峻別する「残酷な儀式」のように思えます。

 

 

「試練がきみたちを強くするのだ」というような、「きれいごと」や「おためごかし」を述べるつもりはありません。

あるいは、「人生は、ずっと競争なのだ」というような、「ニヒリズム」もやはり陳腐です。

 

 

 

「どうして、受験をしなければいけないか?」という素朴な疑問の答えは、意外なほどシンプルです。

 

 

「受験」は、「チャンス」だからです。

 

 

「受験」が人生を閉ざすのではなく、「受験」が人生を切り拓くのです。

 

「受験」は、君たちが「船」にのる権利を手に入れるための手段です。

 

そして、「受験」は、考え得る限りもっとも「公正な」選抜方法であるといえます。

 

 

 

想像してください。

 

昔は、自分の将来を、自分で決めることはできなかったのです。

 

農民の子は農民、猟師の子は猟師、靴屋の子は靴屋になる以外の人生はなかったのです。

 

貴族の子は貴族、奴隷の子は奴隷という時代が、この世界には確かに存在したのです。

 

 

生まれた瞬間に、人生の大半は定められていました。

 

「船」に乗れる人間は、はじめから決められていたのです。

 

「字なんか読めるようになったって、役に立たない」と、本気で考えられていた時代があったのです。

 

 

 

私たちの世界は、努力を重ね、犠牲を払いながら、少しずつ進歩してきました。

 

ようやく現代の、その一部の地域に、「自分の人生を自分で決められる」という社会が実現したのです。

 

 

 

私たちは、恵まれています。

 

「将来、何になりたい?」という質問が「成立する」時代に生きているのです。

 

 

「受験」をとおして、私たちは、自分の人生を「前に」進めることができます。

 

 

 

結果を気にしない人は存在しません。そのために、がんばり続けてきました。

 

しかし、「受験」という機会を与えられているという「幸運」に、ほんの少しでも思いをはせてほしい。

 

 

きみたちは「悪意」に立ち向かうのではないのです。

 

 

公正な世界に生きているという確証のために、「点数の勝負」に挑むのです。

 

 

(ivy 松村)

 

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