春期講習6日目(「うそ」の話)

まだ作文を書き慣れていない生徒に出す作文の「お題」に、「うそをつくことは悪いことか」というものがあります。

必ず一度はこの「お題」で作文を書いてもらうようにしています。

 

この「お題」で作文を書いてもらう前に、生徒たちにの意見を聞きくと、ほぼ全員が、「悪いことである」と答えます。

 

そこで私は、生徒たちの価値観を揺さぶってみるのです。

 

 

たとえば、きみの親しい人がまごころをこめてきみに料理を作ってくれたときに、その料理がおいしくなかったからといって、「まずい」と伝えますか。

「おいしい」と言うことは「うそ」になるのではありませんか。

 

必ずいつも、真実が「正しい」とはいえないのではありませんか。

 

 

そのようなことを言うわけですが、「食いついてくる」生徒と、困惑する生徒がいます。

 

 

「私は、うそをつくことは悪いことだと思います。なぜなら、うそは人を傷つけてしまうからです。私は、以前うそをついて人を傷つけてしまった経験があります。・・・この経験から、私は、うそは人を傷つけてしまうものだということを学びました。私は、人を傷つけないために、これからは、うそをつかないようにしていこうと思います。」

 

典型的な作文を書こうとしていた生徒は戸惑ってしまうわけです。

こんな作文を書いてほしくないので、前もって「話」をするのです。

こんな作文を褒めてはいけないのです。

これは、ただの「作業」の結果です。

 

作文は、「自分の考え」を書くものです。

「その練習」をしなければなりません。

 

 

「うそは悪いものである」という意見の文を書くにしろ、「うそは悪いものではない」という意見の作文を書くにしろ、考えて書いた作文には、生徒が自分で選択した「価値」があらわれるのです。

 

 

 

ところで、「文学」は壮大な「うそ」であるということもできます。

 

うそが絶対的に悪であるのならば、古今東西の創作物は破棄されなければなりません。

もちろん、そんなことはだれも望まないわけです。

 

「うそ」が人を勇気づけたり、いやしたりすることもあるわけですね。

 

 

今日の中3の授業では、日本近代文学史の「キーパーソン」である島崎藤村と志賀直哉について解説しました。

 

島崎藤村は、浪漫主義→自然主義という大きな潮流を作り出した作家です。

志賀直哉は、反自然主義である「白樺派」との関わりを持ちながら、自然主義の流れをくむ「私小説」、「心境小説」を手がけました。

 

この2人に注目すると、日本の文学史の潮流が理解しやすくなります。

 

 

 

さて、エイプリル・フールは終わったわけですが、どうも、まだ、だまされていることがあるような気がしています。

 

うーん、あの話は、本当なのかなあ?

 

(ivy 松村)

 

 

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