Imitation and Learning from others

本日は、定期テスト勉強会のために校舎を開けました。

 

小6から中3の生徒たちが集まって、それぞれの勉強に取り組んでいました。

 

 

連休明けの6(金)、7(土)、8(日)にも、定期テスト勉強会を行いますので、不安を残している人、さらにがんばろうという意欲のある人は参加してください。

 

 

特に、七生中の2年生。ちょっと今回、危ない気がします。

社会のテストが「簡単だ」と予告されているからといって、なめていると、全体の成績を落としてしまうかもしれません。

 

来られるのであれば、6日(金)に校舎に来て勉強するようにしてください。

進捗をチェックして、アドバイスをします。

 

 

必ず、3、4、5の三日間の間、毎日少しずつ時間を取って勉強を進めるようにしてください。

連休が明けてからまとめてやろうとするのは、絶対にやめましょう。

 

 

 

理科や社会は、学校のワークや問題プリント、塾のワークなどに取り組むときは、1ページずつ「完璧に仕上げて」から、次のページに進むように言っています。

 

必ず、言われたとおりに進めてください。

 

そのやり方でテスト勉強を続ければ、力がつきます。しかし、非常に時間がかかりますね。

 

一気に短時間で終わらせることができないので、早い時期から根気よく勉強を進めなさい、と言っていますが、面倒になって、思わず手を抜いてしまいたくなる人もいるかもしれません。

 

校舎を開けてある日は、なるべく塾で勉強したらどうか、と生徒のみなさんに提案するわけですが、その理由のひとつは、正しいやり方で勉強を進めているかどうかを確認するためなのです。

 

 

 

さて、話題は変わりますが、勉強に関してよく持ち上がる話で、「学ぶ」の語源は「まねぶ」であるというものがあります。

「まねぶ」というのは「真似ぶ」と書きます。つまり、「真似る」という言葉のもとになった表現で、「学ぶ」というのは人の様を「真似る」ことからはじまるのだ、と言いたいわけです。

 

その語源が本当なのかどうかは知りませんが、世の中には、こうした言説から「勘違い」をしてしまっている人が結構いるように思います。

 

 

勉強ができる人のやり方を「まね」ても、なかなか成績は上がりませんよね。

 

それもそのはずです。真似るべき「本質」を「まね」ていないからです。

何を真似なければならないか、ということを正しくとらえることができていないためです。

もう少し正確にいえば、まねてはならないことを「まね」しているわけです。

 

 

 

たとえば、成績優秀な友達に、「定期テストなんて、2時間くらい勉強すれば90点取れるよ」と言われたとします。

「勘違いする人」は、それを聞いて「2時間勉強すれば90点取れる」と信じて本当に2時間しか勉強せずに、60点しかとれないわけです。それで、60点の答案を手に、友達の95点の答案を見てしてきょとんとしているわけです。

 

こう言われていることに気づいていないのです。

「(自分は優秀なので、)定期テストなんて、2時間くらい勉強すれば90点取れるよ。」

 

重要なのは「結果を出すための方法」のはずなのに、「2時間」という「勉強時間」だけに反応して、それを「まね」してしまっているわけです。

 

 

実は、このような例は、保護者にもよく見られます。「うちの子は、中3から塾に通って、国高に合格したの」と言われたときに、「国高に合格するには、中3から塾に通えば大丈夫なのね」という受け止めかたをする保護者はとても多くいます。

 

 

「個別特殊な例」を「一般的な事象」であるととらえ、それを「自分(や自分の子供)」に当てはめて考えてしまいます。また、その際に、実は関連性のうすい2つの要素を「因果関係」として捉えてしまうのです。同じような論法は、似非科学や詭弁、詐欺や洗脳に応用されます。

 

 

 

別の例も考えてみましょう。

たとえば、成績優秀な友達が、「赤シート」を使って勉強しています。

それを見て、「勘違いする」人は、「『赤シート』を使えば暗記できるようになるのだな」という短絡的な思考をするわけです。

 

普通に考えて、その程度のことで暗記力が上がるはずはありません。

いつも、地道に根気よく覚えるようにしなければ暗記はできない、と塾の教師に言われています。

「赤シート」を使っても、覚えられるようにならないぞ、と注意されています。

 

それにも関わらず、「赤シート」に頼りたくなります。

 

なぜかといえば、「楽」そうだからです。

 

チラチラと、「赤シート」で答えを隠したり確認したりしながらノートを見つづけていると、いつの間にか覚えられると思っているわけです。

 

 

「正しいやり方で覚えなさい」という言葉よりも、「楽に覚えられそう」という都合のいい願望の方に飛びついてしまうわけです。

 

 

「赤シート」が効果を発揮するのは、「赤シート」の「程度」を分かっている人が使うときだけです。

 

「赤シート」を使うだけで暗記できるような頭脳の持ち主は、そのような勉強法で十分なわけです。

あるいは、通学や休憩の時間さえ惜しんで「赤シート」で暗記をしている生徒の場合は、それによって効果的な学習をしているわけです。

 

 

優秀な人間の「表面」をなぞっても、同じような「結果」を手にすることができるとは限りません。

 

そもそも、ものごとの「本質」を理解しようとしない人は、真似るべき対象を正しくとらえることができません。

 

 

「真似る」というのは、本来思慮深く知的な行為です。

 

上辺だけを他人と同じように取り繕う行為を「猿まね」と評することがありますが、それは、「知性の欠落」を示唆しているわけです。

 

 

その勉強法、「猿まね」になっていませんか?

 

 

 

学力を上げる、あるいは、成績を上げる、という「目的」を正しくとらえている人は、「そのために何をしたらよいか」について考えます。

そのうえで「目的」を達成するための合理的な行動を選択します。

 

自分が「人並みの能力」しか持っていないのだったら、努力して学力を向上させていこうと考えるでしょう。そして、訓練をとおして、暗記力を伸ばしていこうと考えます。

それが正常な判断です。

 

 

ところが、「目的」を見失っている人は、「楽」かどうかで行動を決めるわけです。なるべく少ない時間で、なるべく少ない労力で、なるべく少ない費用で乗り切ろうと考えます。

そのうち、なるべく「楽」をすることが「目的」となってしまうのです。

 

学力を上げるための行動を取っていないので、テストで点が取れないのです。当然の帰結です。

 

 

「目的」を見失っている人は、驚くべき発想をするようです。

 

 

「塾に行ったら『楽』に勉強できないから、家でやったほうがまし。」(そして、結局家でもやらず。)

 

 

 

本日、定期テストはまだずいぶん先の日程なのに、塾に来て勉強していた生徒がいました。

がんばっているね、と声をかけると、「家では勉強しないので」と謙遜していました。

 

その返答も、行動も、すべて正解です。

 

 

「家では勉強しない」というのは、もしかすると本当なのかもしれません。

まあ、世の中の大半の中学生は家では勉強しないのでしょう。

だから、塾が存在しているのだともいえます。

 

 

「家では勉強しない」→「だから、塾で勉強する」というのは、合理的な行動です。

 

一方、「家で勉強する」→「だから、塾に行かない」というのも、また、合理的な行動です。

 

 

では、「家では勉強しない」→「塾でも勉強しない」というのはどうでしょうか。

 

当然、成績は上がらないわけですが、なぜか、大半の生徒は成績が上がらない、と悩んでいるわけです。

 

 

また、成績の上がらない生徒で、以下のような行動様式を繰り返す人がいます。

 

「自己流(猿まね)の方法で勉強する」→「成績が上がらない」→「塾でアドバイスする」→「面倒なので、言われたとおりにやらない」→「自己流(猿まね)の方法で勉強する」→以下無限ループ。

 

もちろん、成績は上がらないわけですが、なぜか、大半の生徒は成績が上がらない、と悩んでいるわけです。

 

 

 (ivy 松村)

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