国語の入試問題の「易化」がもたらすもの

今年の都立高校入試では、共通問題の国語の平均点が70点の「大台」を超えて73.9点となりました。

 

都立高校入試が「易化」すると、「学力判定」への影響が切実になります。

今年は、ちょっと見過ごせないほどに試験の水準が低下しました。

 

 

73.9点という都立共通問題の平均点は、下位の高校も上位の高校も、すべて合同で算出されています。

その平均点が70点を超えているということは、上位校の受験生の点数は、満点に近い高得点で拮抗しているということになります。

 

東京都教育委員会が公表した「得点分布」のデータによれば「分布のピーク」が80~84になっています。実際にグラフを見れば一目瞭然ですが、平均が73.9点で「ピーク」が80~84になっているわけですから、「分布」が高得点域に大きく偏っているわけです。

 

この国語の試験で50点以下の点数をとった受験生は、約10パーセントでした。

 

一方、90点以上を取った受験生は15パーセント以上います。

 

したがって、今年、都立高校の国語の問題を受験した約39,977人の受験生のうち、約6,000人が90点以上を獲得していることになります。(驚くべきことに、さらにそのうちの2,000人以上が95点以上を獲得していることになります。)

 

 

さて、次のような高校が、共通問題を使用する都立上位校です。

小山台、駒場、国際、竹早、三田、小松川、北園、武蔵野北、町田、小金井北、日野台、調布北。

 

12校の高校の今年の受験者数の合計は、4,067人です。

 

全受験生のうち、90点以上を取った受験生が6,000人いるわけですから、共通問題上位校に挑む約4,000人にとっては、90点以上の得点を取ることが「基準」となるでしょう。

 

上記の学校群の入試では、結局のところ、ほとんどの受験生がそれに近い点数を確保していたはずです。

 

 

 

しかし、問題の本質は、試験が「簡単すぎた」ということではありません。

得点差が無くなり、「入試点」が膠着してしまうと、合否を分かつ決定打になるのが、「内申点」となってしまうことです。

本番の入試得点で差がつかないのですから、「持ち点勝負」となってしまうわけです。

 

 

このブログでも、再三にわたって指摘しているとおり、恣意的な指標である「内申点」の比重が高まるほどに、入試の公平性は揺らいでいくわけです。

「簡単すぎる入試問題」は、「内申点」という「しばり」が存在する限り、都立高校入試の「選抜機能」を溶融させてしまいます。

 

 

入学試験が「易化」するほどに、内申点の価値が高まるとういう「メカニズム」は、入試を不安定にさせるある種の「呪縛」なのです。

 

 

その意味では、共通問題と同様に記述問題が激減した「グループ作成」の高校群も、同種の「気がかり」がぬぐえないわけです。

 

西高のホームページを見てみると、同校を受験した受験生の国・数・英の平均点が掲載されています。

 

今年の平均点は、国語が71.3点、数学が51.2点、英語が69.8点です。

やはり、国語の平均点が上昇しています。

また、英語の平均点も高くなっています。

西高の国語の平均点が70点を超えたのは、自校作を導入した最初の年以来です。

 

西高と同様に、「グループ作成校」全体の国語の平均点も上昇していると推測されます。

 

 

今年の入試では、過去の「入試情報」をもとに精度の高い分析を行っていた学習塾ほど、「内申基準」と「ボーダーライン」を読み違えていると思います。

 

 

 

ところで、話は変わりますが、国語の入学試験問題が「簡単」だった場合、「国語が得意な生徒」と「国語が苦手な生徒」のどちらが有利になるでしょうか。

 

多くの場合、「国語が苦手な生徒」に有利になると思います。

 

「簡単」というのは、要するに、得点を取る受験生が多くなるということです。

したがって、「国語が得意な生徒」は、国語の得点で他の受験生に対して「差」を付けることができなくなるということになります。

 

今回の都立共通問題の試験では、「国語の能力」が「抜群の生徒」と「平凡な生徒」に「差」がつかないばかりか、比較的国語を苦手にしていた生徒であっても、「おつりがくるほど」の得点を確保することができたわけです。

 

 

 

「セオリー」をいえば、高校受験の要諦は「数学の強化」です。

 

概して、難関校の入試では最も平均点の低い教科となるのが数学です。

「スペシャルな数学の能力」は、他の全ての不利を力づくで覆すだけの「可能性」を持っています。

 

たとえば、西高の入試では、過去に数学の平均点が30点台だったことが2度ありました。

そのような入試で、自分だけが80点、90点取れるような「能力」を持っていれば、圧倒的に有利です。

 

 

高得点域で受験生の平均的な学力が拮抗する試験では、「得点力」は「宝の持ち腐れ」となってしまいます。一方、低得点域で受験生の平均的な学力が拮抗する試験では、「得点力」を最大限に発揮できるわけです。

 

そして、数学は、後者の試験となることが非常に多いのです。

 

 

そうなると、「ベタな結論」としては、受験勉強は、国語よりも、数学に比重を置いて取り組むほうが「効率的」であるという話になります。

 

 

しかし、国語を「過小評価」する言説を躊躇なく口にする者は、その浅薄で安直な教育観を盛大に露呈させてしまいます。

 

受験の世界にも国語を軽んじる考えの人間が結構多いので、ぞっとすることがあります。

 

 

 

中学受験では、国語は、「核」となる教科として位置付けられています。受験科目としては算数が「最重要」となりますが、算数も含め理科・社会の「学力」を伸ばすためには、まず、「国語の能力」を鍛える必要があると考えられているわけです。「日本語の文章」が理解できなければ、説明を飲み込むこともできないし、問題も解けないからです。

 

大学受験では、「現代文」が「鍵」となります。「現代文」の出来がセンター試験の「結果」を左右することが多くあります。その上、多くの国公立大学の二次試験では、「国語の能力」をバックボーンとした「記述力」が必要となります。また、小論文や作文、あるいは、面接などに対応する「スキル」の土台となるのは「国語の能力」です。

 

 

国語という教科は、言語を扱う力を育むものです。

言語とは、思考とコミュニケーションを司るものです。

そして、「テスト」というものの内実は、「思考すること」と、「作問者や採点者と、問題や答案用紙を媒介にしてコミュニケーションをとること」なのですから、その根幹は「国語の能力」にあるといっても過言ではないわけです。

 

 

 

なぜか、高校受験では、国語は軽んじられる傾向にあります。

 

あからさまに国語の授業時間を削っているような塾もたくさんあります。

大手チェーン塾で、大学生講師が優先的に配置されるのも国語の授業です。

「答えは傍線部の近くにある!」というような、泥水のように低質な指導を行う講師もたくさんいます。

 

 

 

もしかすると、私立一貫校の生徒に比べて、都立高校出身の生徒が国公立大学受験に苦戦する原因のひとつは、「高校入試の国語」にあるのかもしれません。

 

 

来年以降の国語の作問を担当される方には、ぜひ気合を入れて「よい問題」を作っていただきたいと思います。

 

 

 

ちなみに、気づいておられる方も多いと思いますが、一言補足すると、今の方向性だと、都立高校の入学試験はセンター試験に接近していきます。これから消えゆく運命の試験に、近づいていくわけです。

 

 

また、余談ですが、この塾の生徒の国語の力は、他の生徒に比べて伸びていると思います。

その要因ひとつは、このブログを読む機会を持っていることなのかもしれません。

 

ということで、生徒の皆さん 、特に受験生、死ぬ気で数学に食らいついてください。数学が、君たちの未来を切り拓きます。

 

 (ivy 松村)

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