秀吉が、織田信長に「サル」という「あだ名」で呼ばれていたことはよく知られています。
信長は少し「お茶目」なところがあったのだろうと思います。愛情を、「悪口」で表す性格だったようです。
秀吉はむしろ「はげねずみ」と呼ばれていたことがわかっています。明智光秀は「キンカン頭」と呼ばれていました。
また、信長は、自分の息子にも「奇妙丸」とか「茶筅丸」とか「三七」とか、けっこう「不思議な名前」をつけています。
それにしても、「サル」という「あだ名」は、現代の私たちからすると、少し「ドキッ」とします。
「差別的なニュアンス」を感じる人も多いと思います。
実は、その「感覚」というのは、まったくもって「近代的」なものです。
猿は、日本人にとって、親しみのある身近な動物でした。
「西遊記」に登場する猿の妖怪、孫悟空は、歴史上、日本でもっとも人気のある外国のキャラクターです。
日本の物語にも猿はよく登場します。特に「桃太郎」です。猿は、献身的な家来として描かれます。
猿は、知恵を持った動物であることから、賢しい悪だくみをする敵役としてあらわれることもあります。「猿蟹合戦」です。
「サル」という言葉が、人格を否定するような侮辱的な中傷であると見なされるようになったのは、「進化論」が原因です。
つまり、人類の「祖先」は「猿」であるという観念が、その下地になっているわけです。
「進化論」が一世を風靡する前の、19世紀以前の世界では、猿は、賢い動物であるとみなされていました。
それが一変、「劣った存在」の暗喩とみなされるようになったわけです。
もちろん、信長の時代にはそのようなものの見方は存在していませんでした。
実は、信長が本当に秀吉を「サル」と呼んでいたかどうかは定かではないのですが、もし、そうであったとしても、信長はただ単純に猿に似ていた秀吉を「サル」と呼んでいたのでしょう。
それもまあ、ひどいといえばひどいのでしょうが、信長なりの愛情表現だったのかもしれません。
(ivy 松村)