思索への疎外

明日は二中とひよ中の中間テストの最終日です。

 

これで、1学期の中間テストが終わります。

 

二中、ひよ中のみなさん、がんばってください。

 

 

 

今週から、保護者面談のご案内をお配りしています。

5月の27日からはじまる保護者面談の希望日時をお知らせくださるようにお願いします。

 

中間テストがあった中学のご家庭は、中間テストの成績をふまえて、期末テストに向けての取り組についてお話しさせていただきたいと思います。

 

 

 

以下、まったくとりとめもない話ですが、今日、ちょっと考えたことについて。

 

 

小6の都立中受検のクラスでは、先週から、「将来」についての作文に取り組んでいます。

 

何というか、「ストレートな内容」に面食らったり、けっこう、考えさせられたりします。

 

まず、「給料がいいから」「お金を稼げるから」という「理由」で「〇〇になりたい」というような内容が書かれた作文は、まったく評価されないという説明が必要でした。

 

 

お金を稼ぐことはもちろん悪いことではありませんが、それを自己表現の「主題」にするのは、一般的にはばかられる行為です。

「お金のために仕事をする」のは、まったくの「道理」ですが、だからこそ、「それ以外の理由」が大事なのです。

 

 

授業では、2つのポイントを示して解説しました。

 

ひとつは、「仕事」は、人と人をつなげるものであるということです。

仕事を持つということは、社会の中に自分を位置づけるということです。

つまり、働くということは、「お金」を媒介として、自分以外の人と何かしらの関係性を持つということを意味しているわけです。(だから、仕事には「責任」がついてくるのです。)

 

 

ちなみに、もうひとつは、「成長」についてです。

将来の仕事について考えるということは、自分は、「どのように成長するつもりなのか」という「見とおし」を持つことでもあります。

 

 

 

さて、今日はその後で中3の国語の授業があり、見田宗介氏の「貧困」をテーマにした文章を読みました。

 

見田氏は、「貧困」とは単に「お金を持たない」ということではなく、「お金が必要な生活の中で、お金を持たない」ということなのだと述べています。

 

自然とともに生き、「貨幣経済」とは無縁の生活をおくっているような人たちは、お金を持たなくとも、不幸(貧困)ではないわけです。

 

一方、「お金」を媒介とすることで生活が成り立つような仕組みの社会では、「お金」を持っているかどうか、によって、自分が「幸福」なのか「不幸」なのかを測るようになるわけです。

 

 

 

一日が終わった後で、ふと、2つの別々の授業の「内容」が、対立しながら重なっていることに気づいたのです。

 

 

なにか、大事なことが思い浮かびそうで、今ちょっと、考え中です。

 

 

 

 (ivy 松村)

 

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