What is your dream?

先週の中1の国語の授業で川端裕人氏の「川の名前」を読みました。問題に取り上げられていたのは、主人公と友人が夢について語り合う場面でした。マンガ家になりたいという主人公に、友人が自分は宇宙飛行士になりたいのだと打ち明けます。彼は「難しいからこそやってみたいんだ」と話すのです。

 

授業の中で、生徒たちに「夢」をきいてみました。生徒たちは、それぞれの「夢」を教えてくれました。なかなか頼もしい「夢」です。ぜひとも、その希望を叶える手助けをしていきたいと思います。

 

 

ところで、「夢」とは何でしょう?

 

広辞苑を引いてみました。

 

①睡眠中に持つ幻覚。

②空想的な願望。

③将来実現したい願い。理想。

 

元来、日本語の「夢」には②③の意味はありませんでした。明治以降、①の意味を持つ英語の単語、「dream」に対応する訳語として「夢」が使われるようになります。その「dream」には②③の意味があったため、「夢」という言葉に②➂の意味が付加されたのです。

 

歴史上最も有名な「夢」は、キング牧師の「夢」でしょう。中学校で「NEW CROWN」を英語の教科書として使っている日野市の中3の生徒は、72ページを開いてみましょう。キング牧師の感動的なスピーチに触れることができます。

 

I have a dream that my four little children will one day live in a nation where they will not be judged by the color of their skin but by the content of their character. I have a dream today.

 

I have a dream that one day… little black boys and black girls will be able to join hands with little white boys and white girls as sisters and brothers. I have a dream today.

 

差別がなくなる日が訪れることを、彼は「夢」(dream)として語ったのです。

 

 

アメリカ人やイギリス人が語る「夢」(dream)は、日本人が「夢」として語るものとは少し違います。

家族が幸せに過ごすことであったり、世界に何らかの貢献をすることであったり、あるいは、望みの物を手に入れることであったりします。それは、社会や人生における理想の表明です。

 

一方、日本人にとっての「夢」は、多くの場合将来就きたい職業です。

 

 

 

私には「夢」にまつわる、ある体験があります。

 

私が小学校1年生の頃のことです。

私の小学校で、ある企画がスタートしました。それは、月の始めの週に、その月に誕生日を迎える生徒が同学年の児童の前に出て、おめでとうと声をかけてもらった後に、「将来の夢」を発表するというものでした。

第一回が私の誕生月でした。

 

小学1年生の私は、何を発表しようか悩みました。

先生に相談したところ、「なりたいもの」を言えばいいとアドバイスしてくれました。

 

その当時、私はライオンにあこがれていました。どのお話の中でもライオンは周りに恐れられ、敬われる存在として描かれていました。ずる賢しこいキツネなんかもライオンが少しにらんだだけで、恐れおののいて、悪事を白状してしまいます。人間でさえライオンを怖がり、びくびくしながら避けて行くのです。

 

私はどちらかというと気が弱い子供でした。我が強く、強引に遊具を占領する乱暴な子の陰で、思うようにふるまえない自分をもどかしく感じていました。悪いことをする子を注意しても、全然いうことを聞いてくれないのです。

 

私にとってライオンは、しびれるほどクールな存在でした。ただ、「そこにいるだけ」で回りの連中が気を使い、へりくだるのです。そして、ライオンがいるところは、常に秩序が保たれ、平和なのです。ライオンは「百獣の王」なんだよ、と教えられた日には、興奮のあまり失神しそうになってしまいました。

 

ライオンはまさに、カッコよさの象徴だったのです。

 

私は、「将来の夢はライオンになることです」と発表しようと決意しました。そうすれば、みんな、自分に感心し、一目置くようになるだろうと考えたのです。先生も、すごいことを考えつく子だ、と褒めてくれるに違いない、と思っていました。

 

 

発表の当日、私の発表は7番目か8番目くらいの順番だったと思います。ドキドキしながら自分の発表の瞬間を待っていました。

私の前に発表する子たちが、「野球選手」、とか「お医者さん」、とか「学校の先生」、とか「歌手」、とか「花屋さん」、とか発表するのを聞いているうちに、「おや、何かおかしいぞ」と思い始めました。「ライオン」、の違和感が突き抜けていました。

もし、「ライオン」と言ってしまったら、とんでもないハプニングになってしまう危険を察知したのです。

 

私の直前の子が「マンガ家」と言った後で、私の順番になりました。とっさの判断で私は前の子をマネして「ボ、ボクもマンガ家」といって、難を逃れました。危ないところでした。

 

私の後の子が「ケーキ屋さん」、とか「警察官」、とか言っているのを聞きながら、ドキドキがおさまりませんでした。

 

そのとき私は、大人に「夢」を聞かれたときには、なるべく楽しげな「仕事」か、立派に見える「職業」をこたえるのが「正解」なのだと学びました。

 

 

それにしても、何か腑に落ちない感覚が残りました。その後、私は「夢」とは何かについて、思索するようになりました。

この出来事が、私が、「夢」とは何か、について考えはじめる出発点となったのです。

(ivy 松村)

 

テストの理由

テストは「受けっぱなし」にしないように注意が必要です。折にふれて生徒のみなさんにはお話していますが、テスト直後に必ず解答解説を読み、答えを確認し、自分の点数を出すようにしてください。

 

その後できるだけ早く、「正解への筋道」「正解の理由」、あるいは「不正解になる理由」「不正解だった原因」を分析するようにしましょう。

テストの直後は最も力をつけることができる時間です。

テストの復習は次のテスト、さらに「本番のテスト」のための準備です。そのときまでに、課題を見つけ、克服することを繰り返していくのです。

 

 

 

テストを受けることは「直接」学力を伸ばすことにはつながりません。

テストを受けることで成績や学力が上がるのならば、ただ、テストだけを何十回も受ければいいでしょう。しかし、それは無意味です。

 

たとえば、年に16回実施されるVもぎのすべてを受け、さらにWもぎも受け、毎週毎週テストを受けたとしても、それは効果的な受験勉強であるとはいいがたいものです。

 

テストは勉強ではありません。テストは結局「テスト」なのです。

 

 

 

もし、1年後、ivyがカイロ校やメッカ校、バクダッド校などを作ることになり、私はどこかのアラブの国に赴任することになって、仕事のためにアラビア語を習得しなければならない状況になってしまったら、早急にアラビア語の勉強を始めなければなりません。(إن شاء الله)

 

そこで、アラビア語を全く知らない私が、いきなり明日「アラビア語検定テスト」を受けたとしても、それは何の面白みもない冗談にしかなりません。完全に無意味な行為です。

 

アラビア語を学習するという目的において、「アラビア語検定」を正しく活用することで、それはわたしにとって意味のあるものになります。

 

「アラビア語検定」を受けている時間に、アラビア語の力がつくわけではありません。「アラビア語検定」に向けてやる気を引き出したり、対策を考えたりすることが重要なのです。テストは、動機づけの材料です。

力を蓄えるのはテストの前です。

 

その上で、テストで自分の力を測るのです。そして、結果を受け止め、足りないものを補ったり、さらに理解を深めたりするための研究に使うのです。テストは反省のための材料です。

力をつけるのはテストの後です。

 

 

 

たとえ0点を取っても痛くもかゆくもない、というのであれば、受けないほうがましです。

動機のない行動は、無関心を増大させるだけです。

そして、反省のない行動は、成長を阻害します。

 

テストを受ける必要性や目的を考え、効果的にテストという材料を活用しなければ、時間(やお金)の無駄になります。精神的にも悪影響です。

 

「テストを受ける」こと自体に意味はないのです。50分間椅子に座っているという行為に価値はありません。

 

 

これから、またテストが始まります。中間テストです。

 

準備をしましょう。そして、対策を立てましょう。何のためにテストを受けるのかを考え、意志をもってテストに挑みましょう。

 

テストはじゃんけんの勝負とは違います。「たまたまそうなった」という偶然性のゲームではありません。運不運を競うものではないのです。

 

 

テストの点数は「結果」です。それは、そのためにどれだけしっかりと取り組んできたのかということを示すものなのではありませんか?

だから、その数字は、評価の尺度となるのです。

 

(ivy ﻣﺎﺗﻮﻣﻮﺭﺍ )

 

 

テストの「オペレーション」

 

一般的な学習塾のカリキュラムでは、中3の1学期までは単元学習が中心になります。学習内容に対して深く理解することが重要です。

2学期になって、過去問演習が始まると、得点を意識して取り組んでいかなければなりません。

 

そのため、中3の生徒たちに、テストを受ける際に、「いかに処理のスピードをあげるか」という話をしています。

 

入試に向けてどんな訓練をして処理のスピードを身につけるのか、という計画の話ではなく、本番でどう振る舞うのかという方法論についてです。

 

もちろん、処理能力そのものを向上させる訓練を行うことで、問題を解くスピードは上がります。問題を正確に、速く解く能力を身につけることは、最も大事なことです。

そのためのノウハウや理論もありますが、ここでは、手順や対処法を統一したり工夫したりすることで処理の時間を短縮するやり方を紹介したいと思います。

 

 

テストで問題に相対するとき、考えたり、解答を導いたり、記入したりするといった実質的な解答作業以外の処理全体を「オペレーション」と呼ぶことにします。

 

「オペレーション」は、その内容に応じて3つの局面に分けられます。

 

・「ルーティーン」…いつも決まったやり方をする

→どう処理するかという判断を省略し、もっとも効率的なやり方を機械的に行う。

 

・「マネージメント」…場合に応じて対処する

→出題される可能性のある問題内容・形式にあわせて対処法を用意しておき、確認とともに自動的に対処法を発動する。

 

・「アドリブ」…自分で考えて処理する

→想定外の事態に対して、その場で判断し、実行する

 

 

さて、入試でより高得点を取るために、なるべく多くの問題を解かなければなりません。したがって、問題を処理するスピードを上げる必要がある、という話でした。

 

そのための方法として、国語の入試問題を解く際の「オペレーション」を例に挙げます。

 

①まず、解答用紙から、情報を読み取ります。

 

生徒には、入試までに、必要な量の過去問を解き、受験校の入試問題の出題形式を脳に刻み込んでもらう

解答用紙を見れば、出題形式に変更があった場合、すぐに気づくことができる

「違和感」を感じたら、開始と同時に該当の設問を確認

また、問題数や、選択問題や記述問題の割合もわかる

 

 

②素早く問題用紙全体に目を通します。

 

文章題の長さや、語句、知識、文法、漢字などの独立問題の有無をチェックする。出題の傾向に変化がないか確認

問題の内容を確認

大問ごとの所要時間の目安を設定し、どの問題から手を付けるのかを判断する(解く順序を「ルーティーン」にしている場合には、素早く次のステップに移行する)

 

 

→文章題を解く。

 

 

➂必ず、冒頭に書かれている「次の文章を読んで後の問に応えなさい。」という指示を確認します。

 

文章に加工がしてあったり、特殊な文章が用いられていたり、複数の文章が使われている場合には、冒頭にその旨が示される

「次の文章を読んで後の問に応えなさい。」という指示のみの場合には、「普通」の文章が使われているということになる

 

※過去に、日本大学第二高校(日大二高)の入試で、バラバラの段落を並べ替えるという問題がありました。そのような特殊な出題がなされるときには、必ず、文章の「状態」が冒頭に記されます。

 

※都立高校の入試問題の「五」は古典(古文、漢文、韻文)を含む「融合文」の問題ですが、ここで、複数の文章が使われることがあります。鑑賞文や説明文、評論などの文章に、古典の原文、書き下し文、現代語訳がなどが付けられます。それに加えて、対談やスピーチなどの文章が使われることがあるのですが、その際にもやはり、冒頭で知らされます。

 

④筆者(作者)と題名を確認します。

 

知っている作者であれば、どのような文章なのか予想がつくので、内容の理解の手助けになる

また、題名が主題を表していたり、読解の手助けになったりする場合もある

 

※たとえば、外山慈比古氏の文章は、よく入試問題に使われます。外山氏が言語学者であると知っていれば、これから読む文章は言語に関する内容であると、心得た上で読むことができます。また、その文体や文章の特徴、思想などを知っていれば、読解に有利です。

 

ちなみに、2010年度の錦城高校の入試問題で、外山氏の「思考の整理学」が使われたのですが、偶然にも、同じ年の八王子東高校の入試問題で、同じ文章の同じ個所が使われました。八王子東高校が第一志望で、錦城高校を併願受験していた受験生には、かなり有利な状況だったはずです。

 

※入試問題によく使われる評論家、学者、作家の文章は、普段の授業でも扱っていきます。

・池内了氏…科学

・河合隼雄氏…心理学、その他

・鷲田清一氏…哲学

・池田晶子氏…評論、随筆

・日高敏隆氏…生物学

・見田宗介氏…社会学

・向田邦子氏…随筆(父親のこと)

 

 

⑤先に問題に目を通します。

 

筆記の問題があれば、抜き出しなのか、記述なのかを確認

指示語、接続語、語句知識、心情、主題、内容把握といった、問のテーマを読み取る

脱文の問題の有無を確認→あれば、挿入箇所を探しながら読む

選択問題の選択肢に読解のヒントやキーワードが埋め込まれている場合があるので、簡単に確認しておく

文章の要旨を選ぶ問題があれば、その選択肢の内容をしっかりと確認しておく

 

問題を解くために文章を読むというのが大前提→問題の答えを探しながら読む

 

 

⑥指示している方法にしたがって文章を読み、問題を解く。

 

学校の傾向や特徴に合わせて調整しておく

 

文章のジャンル、タイプによってアプローチが違います。

授業で、読解法や、線を引いたり図を書いたりといった読解のための補助作業のやりかたを提示しています。

 

 

テストに対する意識がまだ低い生徒には、自分のペースで最初から順番に問題を解き、時間が無くなったので、後ろの問題は全く手がついていない、ということがあります。

「オペレーション」を指示していても、いざテストになると忘れてしまいます。

点数を取りたい、という気持ちがまだ芽生えていないのです。あるいは、真剣に取り組むことを恐れているのかもしれません。

そんな生徒の意識を変えていくのも、塾教師の仕事だと思っています。

 

 

塾で教えるのは「教科の知識」だけではありません。点の取り方を教えています。

 

(ivy 松村)

問題を処理するスピードを上げる

テストで最も重要なのは、点数を取ることです。

そのために必要なことは、正確な解答を記入すること、そして、できる限りたくさん正解をすることです。

 

今回は、「出来る限りたくさん正解すること」について考えてみましょう。

 

高校入試問題は、長大、増量の傾向にあります。

「ゆとり」云々といわれていますが、二十年前ほど前と比べると英語の文章題などをはじめ、最近の入試問題は非常にボリュームアップしています。

難関校ほど量的な負荷が高く、問題数も多い傾向にあります。

レベルの高いチャレンジ校の入試問題となると、時間内にすべての解答欄を埋めることさえ難しくなります。

 

もちろん、誰も解けない問題ばかりを出せば、全員が不正解になるだけで、学力の差異を判定することができません。ですから、入試問題は、考えればわかる問題をいくつか出題し、時間内に何問正解できるのか、という能力をみるような構成になりやすいのです。

 

したがって、入試においては、テストの時間が余る、ということを想定することはできません。入試本番では一秒さえも無駄にはできないのです。

 

小学校のころのテストは、すぐに解き終わり、残りの時間を暇に過ごしていた人も多いと思います。

小学生のテストや公文などの教材は、子供を褒めてあげるための材料ですが、入試は、ある意味では、基準以下の人を排除するためのシステムです。全く正反対の設計なのです。

 

小学校のころの「点を取らせてあげる」テストのイメージを更新できていない生徒は、入試問題に接したときに、軽いパニックになってしまいます。大量の難しい問題が羅列されていて、途方もなく高い学力が要求されるものだと感じてしまうのです。

 

ですから、学習塾では、基本的には、ほとんどの生徒が時間内に解き終わるようなテストは実施しないようにします。(確認テストなどは別です)。生徒には、テストに対する概念を変えてもらう必要があるのです。

 

塾で受けたテストが返却されたときに、点数が低くて、ショックを受けてしまう生徒がいますが、それは必要な経験です。

 

 

 

 

さて、「できる限りたくさん正解をする」ということは、いい方をかえていうならば、「処理のスピードを上げる」ということです。

 

テストというものの本質は、「問題が解けるかどうか」ではありません。

「制限時間内にどれだけ正解の数を増やせるか」ということです。ですから、速く、正確に問題をこなす能力が要求されるのです。

 

国語という教科は、特にその傾向が顕著です。

 

丹念に文章を読んで、じっくり考えて答えを出せば、高得点を取れるかもしれません。しかし、それは無意味です。制限時間内にどれだけ点数を獲得できるか、が実力と見なされるのです。

 

 

たとえば、中央大学附属高校(中附)の入試問題は、特に処理のスピードが求められます。私は「高速処理型」入試問題と呼んでいます。明治大学付属中野八王子高校(明八)もそのタイプに近いです。

 

「高速処理型」の高校を第一志望とする生徒は、なによりも処理能力を上げていかなければなりません。そのためには多くの過去問演習をこなし、その中でいかにして時間短縮していくのかというコツをつかんでいく必要があります。

 

指導するほうも、無駄な時間を使っていないかチェックし、どうやって時間を削っていくのかアドバイスします。

 

ところで、正解することが難しく、点数が得られる可能性の少ない問題を「捨て問(すてもん)」と呼びます。思い切って、「解かない」という選択をしなければならない問題です。

 

難関校の入試では、いかに早く「捨て問」か、解くべき問題かを判断することも大切です。「捨て問」にすべき問題の処理にとまどってしまうと、その分、貴重な時間が失われてしまいます。そのせいで、解けるはずの問題が手つかずになってしまったら、それはまさしく「失点」です。

 

中附の国語の入試問題はほとんど「捨て問」がありませんが、例えば、早稲田実業学校(早実)などは、「捨て問」かどうかの判断が戦略上重要になってきます。見切りをつける練習もしなければなりません。

 

ちなみに、中附と同様に、中央大学の附属の高校である中央大学杉並高校(中杉)は、「高速処理型」ではなく、思考力や記述力が問われます。かつては聞き取り問題もありました。

入試問題は、その学校の理念や精神を体現するものであるといえますが、同じ大学の附属高校でも、非常に対照的で面白いですね。

 (ivy 松村)

ミスを防ぐ意識

今週、中1、中3の月例テストが実施されました。中2は来週行われる予定です。

今週末から来週の頭にかけて各中学校の中間テストがあります。

その後はまた、10月の月例テストです。

 

受験学年の中3生はさらに毎月vもぎを受け、そのうえ、月2回ほどのペースで入試演習特訓があります。ほぼ毎週何かしらのテストを受けることになります。

これからはテストが生活の中心になっていきます。

 

 

テストの「受け方」について考えてみましょう。

 

テストとは、制限時間内で設問に対して解答し、その合計点を出すものです。

 

出題者は、対象となる人物がどれくらいの力があるのかを試し、受検者(受験者)は、一般的には、合格点や目標の点数を獲得することを目指して取り組みます。

 

入試では、他の受験生とその点数を競うことになります。

 

なるべく多く得点を取ることが求められているわけですが、高得点を取るためには2つの要素が必要です。すなわち、正確に答えを記入すること、そして、たくさん正解すること、です。

 

 

当然のことながら、正しい答えを、求められている形式で解答しなければ点数にはなりません。

 

計算ミスは不正解になります。

小数点を付け忘れる、通分をし忘れる、単位量の間違い…など、すべて失点につながります。

 

解答欄を間違えたり、解答の形式を間違えたりすれば、得点を逃すことになります。

 

記号で記入するべき問題の答えを語句で記入しても、もちろん、得点は入りません。

ア.of

イ.at

ウ.to

エ.in

という選択肢の答えを「of」と答えてしまうような場合です。

 

「ひらがなで答えなさい」「漢数字で答えなさい」といった指示を守らなければ、正解にはなりません。

 

誤字や、綴り字の間違い、判読できない文字は正解とはみなされないでしょう。

高校入試で出題される漢字の設問に、特に「楷書で書きなさい」と指示されることがあります。それは、点画をつなげて書くと×にする、という意味に取れます。

 

また、文法や語法のルールに反した言葉遣いを用いれば、その答えは×になるでしょう。

 

厳密な国語のテストにおける採点基準に照らせば、記述解答の文末に句点を付け忘れると、「-1」になります。ですから、授業ではいつもしつこく、しつこく指摘します。

いつまでたっても直らない人、このブログ、見てますか?

 

 

人間は、わかっていても間違えることがあります。ミスや勘違いなどをして、得られるはずの点数を取り逃してしまった経験は、誰もが持つものでしょう。

 

時とともにそれを克服していく人がいる一方で、いつまでも「うっかり」を続ける人がいます。意識の差が、得点の差となるのです。

 

昔、テスト後に、「うっかりミス」をしてしまった生徒で、「あぁ~、しまった~!!」となぜか嬉しそうにニヤニヤしながら大声でアピールしている人がいました。今でもそのような人はいるものなのでしょうか。

四重に恥ずかしいので止めましょう。

 

1.答えられる問題をミスしたことの恥ずかしさ

2.その恥を周囲に知らしめるという、不可解な行動をドヤ顔でとる恥ずかしさ

3.反省できない、軽薄な人間性を周りに知られてしまう恥ずかしさ

4.それが恥ずかしいことだと気付いていない恥ずかしさ

 

 

「うっかりミス」をしてしまったときには、静かに、しかし、心の中では激しく反省し、二度としないことを心に刻みましょう。

 

「おっちょこちょい」は「人間的な魅力」だと勘違いしている人がたまにいますが、勉強や仕事において、それは「悪」でしかありません。失敗を笑って済ませる人間が、信用されるはずがありません。

100%なくすことは難しいものですが、「ミス」は憎むべきものであり、根絶しようと努力すべきものです。

 

実際の入試で、極度の緊張を経験する人もいると思います。

ミスが出やすい状況です。

 

 

「うっかりミス」で人生を棒に振っても、笑っているのですか?

 

(ivy 松村)

企業としての予備校を考える

あらためて、代ゼミが予備校運営を撤退する原因となった主なものをまとめてみましょう。

 

・少子化による受験生の減少

・現役志向の受験生が増えたこと

・国公立・理系志向の受験生が増えたこと

・AO入試や推薦入試の枠が広がり、一般入試の受験指導のニーズが減少したこと

 

 

このような社会的、制度的な変化が浪人生の減少をもたらし、浪人生を主なターゲットにする代ゼミの経営を圧迫することになりました。

 

しかし、浪人生が減少しているにもかかわらず、発表されている報道資料などによれば、代ゼミ以外の大手予備校の経営は堅調です。

駿台、河合などの他の予備校が国公立難関大学志望の現役生への受験指導に焦点していく中で、代ゼミは大学受験の潮流から取り残されていました。

代ゼミだけが「一人負け」の状態だったのです。

 

多くの専門家が、受験産業の市場は均衡縮小に向かっていると指摘しています。海外進出への道がなく、国内市場も飽和しています。そのため、現在の受験産業企業の経営戦略は、どうしても「パイ」の奪い合いになります。そのため、直接的、敵対的な競争が起こりやすいのです。

 

 

代ゼミにとっては、人気講師が、直接の競争相手である東進に相次いで移籍したことも痛手でした。

 

東進は全国の中小規模の塾とフランチャイズ契約を結び、「授業」の配信を行っています。講師は動画撮影のための授業を行い、全国の契約教室に通う生徒はパソコン画面で「授業」を受けるのです。

一度撮影をすれば、直接授業を行わなくても、何万人の生徒を教えていることになります。そして、その「授業」は次の年の受験生にも「受講」されるのです。

 

東進の講師は、最低限の授業を行うだけで、より高い報酬を得ることができます。「引き抜き」によって、多くの「名物講師」が東進の「顔」となりました。

 

その結果、講師のキャラクターや個人的な技量を重要視する層の受験生は、代ゼミから東進へ流れました。このようにして、東進は代ゼミを上回るまでに成長を遂げたのです。

 

さらに、現在では大学受験指導をおこなう教育サービス業が多様化しています。それにともなって、大規模教室での受験指導ではなく、面倒見のよい少人数制のクラスや個別指導を求める生徒も増えています。

こうしたニーズのもと、大学受験指導のノウハウが拡散し、高校部を作って高校受験後も生徒の面倒をみる中小学習塾や個人塾も増えました。

 

浪人生が減少してしまったこと加え、代ゼミは、現役生の取り込みに出遅れてしまいました。さらに、受験生が他の予備校・塾に流れてしまったことで、運営が一段と厳しくなっていったのです。

 

 

ただ、代ゼミには潤沢な資産があります。それを生かした「企業」としての生き残りの戦略があるのでしょう。代ゼミだけではありません。他の大手予備校も、1980年代後半から90年代の初めにかけて、巨額の利益を手にしています。

 

ある大手予備校関係の知り合いに聞いたことがあるのですが、にわかには信じられない、とんでもない額の資金がプールされているそうです(まあ、噂話の類かもしれませんが)。また、金融機関と組んで資産の運用も行っているはずですから、河合や駿台などもよっぽどのことがないかぎり、今日明日に倒産というようなことにはならないでしょう。

 

代ゼミの予備校事業縮小は、企業としての現実的な決断にすぎません。また、不動産業に転身するとしても、それは企業としての合理的な判断です。

 

にもかかわらず、どうして残念な気持ちになってしまうのでしょう。私も寂しさを感じてしまいました。端的にいえば、多くの人が「ショック」を受けたわけです。

もちろん、代ゼミに通ったことが、青春の思い出として刻印されている人にとっては、ある種の喪失感がもたらされる出来事であったでしょう。

しかし、寂しさは、そうしたノスタルジーではなく、失望に近いものがあるように思います。多くの方のコメントなどからも名状しがたい、何か鬱屈した「もやもや」を感じてしまいます。

 

もしかしたら、代ゼミのニュースが「ショック」だったのは、経済効率的な考え方が見え透いてしまって、教育機関としての幻想がはがれ落ち、あまりにも赤裸々に企業的側面が見えてしまったからかもしれません。

 

(ivy 松村)

大学浪人生の減少について考える

代ゼミは従来、私立文系の浪人生をおもなターゲットとしていました。90年代半ばごろまでは、私立文系の学生が多くいました。この時期に、代ゼミは多くの受講者を抱え大きく成長しました。

しかし、近年の浪人生の減少によって、代ゼミの経営は苦しくなっていきました。

 

浪人生の減少にはいくつかの大きな流れがあります。ひとつは、少子化が進み大学受験人口の絶対数が減少したことです。

1994年の18歳人口は約205万人でしたが、今年2014年では、約118万人にまで減少しています。受験生の減少は、大学受験指導の需要の低下を意味します。

 

浪人生の減少の要因のもうひとつは、大学の学生収容力が上がったことです。受験者人口は減っているにもかかわらず、大学入学者数は20年前に比べて増えています。

この20年の間、大学の数が増え、さらに既存の各大学も入学者を増やしていきました。特に、首都圏の大学は、郊外へのキャンパスの拡大や建物の増設によって、収容する学生の数を増やしました。

 

受験生の数が減り、合格者が増えたことで競争が緩和されました。浪人をしなくても大学に進学できる時代になったのです。

 

さらに、AO入試や各種の推薦入試など、一般受験ではない現役生対象の選抜方法による入学者の割合が増えました。そのため、予備校を必要としない高校生が多くなったことも一因として挙げられるでしょう。

AO入試が開始された2000年では、一般入試による大学入学者は38万9851人で全体の65.8%でした。推薦入試は31.7%、AO入試は1.4%、その他1.1%でした。

2012年度では、一般入試が56.2%にまで減少しましたが、推薦は34.8%、AO入試は8.5%にまで増加しています。

 

 

 

また、この20年の、社会・経済的な変化によって、現役志向の受験生の割合が増加している点も考える必要があります。

 

 

バブル崩壊後、平成不況を経て、家計の、教育費への支出が厳しくなっています。それが、公立高校、国公立大学に人気が集まる一因となっています。大都市圏から、地方の国公立大学を受験する例も増えています。そして、もはや、浪人を覚悟するような受験のやり方は少なくなっています。浪人には、お金がかかりますから。

 

 

90年代初頭は、バブル経済期と第二次ベビーブーム世代の大学受験期が重なり、浪人がある意味当たり前の状況でした。また、大学の数や、大学が受け入れる学生の数も今ほど多くなかったので、大学受験は激しい争いでした。

 

さらに、世相というか、社会的な雰囲気が「寄り道」や「遠回り」を許していました。当時は、「自分探し」が流行ったり、「夢」を追い求めることがもてはやされたりしました。就職せずにフリーターになることもめずらしいことではありませんでした。つまり、1年、2年浪人したり留年したりすることが人生の大きな遅れになるとは考えられていなかったのです。

 

現在は、堅実で安定した人生を求める傾向が顕著です。若い人は、「ストレート」でライフコースを歩もうとする意識が強くなっています。そのため、現役で確実に大学に入ることを優先し、大学受験に「勝負」をかけることをしないようになっていると思います。

 

 

今の学生の安全志向は、就職に対する考え方にも顕著です。それは、大学生の就職活動の過熱、大企業への就職や公務員を志望する学生の増加などに見て取れます。また、国立大学の、医学部を筆頭とした理系学部の人気の再燃も、その流れの中にある事象だと思います。

 

 

 

浪人生が減少している現状を、検証可能なデータで見てみましょう。

 

文部科学省が公表している「学校基本調査」という統計資料があります。最新の2014年度の速報が8月7日に発表されました。その中の「高校卒業年別入学者数」で、今年大学に入学した学生の高校卒業年別の人口が確認できます。

 

2014年度の大学入学者は、60万8232人です。そのうち、1浪の学生は6万6305人、2浪は9813人、3浪は2707人、4浪以上は4390人です。浪人をして大学に入学した学生の数は、合計8万3215人となります。

大学入学者に占める浪人生の割合は13.7%となっています。

 

最も浪人生が多かった1992年の浪人生の数は18万9136人です。そして、大学入学者に占める浪人生の割合は34.9%でした。約3人に1人が浪人生だったのです。

 

この20年間で、浪人をして大学に入学する学生の数は半分以下に減少しました。またその割合も3分の1にまで減っているのです。

 

今年はいわゆる「最後のゆとり世代」の卒業年でした。浪人をする学生は、来年は新課程で勉強してきた現役生と競争しなければなりません。そのことに心理的な負担を感じ、浪人を選択しなかった受験生が多かったのではないかと思います。そのため、来年度の大学入学者のうちの浪人生の割合はさらに減少するかもしれません。

 

 

現在は、高校進学志望者のほとんどが高校に入学しますが、かつては、「高校浪人」というものが存在しました。同じように、「大学浪人」も、希少になっていくのかもしれません。

 

(ivy 松村)

 

お知らせ 中3「高校入試演習特訓講座」

2学期から、中3受験生対象の「日曜特訓」が開講します。

詳しくはお知らせのページをご覧ください。

 

指定の日時にivy校舎で、過去問演習(テスト)を行い、解説、復習の指示、という流れで行います。

実際の入試問題へのアプローチ、点数の取れる解答の作り方など、実践的な指導を行います。

 

さらに、受講生それぞれの志望校の入試問題の傾向、設問形式などの分析、得点力養成のために必要な取り組み、対策などをアドバイスします。

 

毎回、合格判定を行います。

普段の授業とは違う緊張の中で競い合い、力を磨く機会としていただきたいと思います。

 

日曜日の特訓講座は、ivyが開校した当初から計画していたものです。

パンフレットやホームぺージの「QアンドA」にも載せております。

 

 

多くの学習塾が同じような追加講座を行っています。

合格に向けて、できる限り多くの学習時間を確保するべきなのは間違いありません。

しかし、私たちは、以前から、学習塾の追加講座のありかたに疑問を感じていました。

 

このような、学習塾が提案する「商品」は、「お金儲け」の要素が強くなりすぎていると思います。

 

他塾の追加講座は、1回5,000円から、7,000円ほどが一般的なようです。

さらに、それよりも高価なものもあります。

(「日曜特訓」で検索していただけるとわかります)

それが、本当に価格に見合った「高品質」のものであれば、高額の料金を支払った甲斐もあるのですが・・・。

 

ivyは1回(300分)あたり1,620円で特訓講座を行います。

これは、進学塾の追加講座としては最低に近い額だと思います。

お金をいただくのは、利益のためではなく、私たちに「責任」を発生させるためです。

私たちは、全力でこの講座を運営し、価値のあるものを提供していきたいと考えています。

いい加減な「商品」を売るわけにはいかないというのが、私たちの矜持です。

 

受験生たちと、真剣に受験に取り組む時間をできる限り多く作りたいと思っています。

ぜひともご検討ください。

 

 

高校入試特訓講座のお問合せ、ご案内は、ivy校舎受付で承っております。

お知らせ 中学部「2学期中間テスト対策特訓」

9/23(祝), 9/28(日), 10/5(日)に中間テスト対策特訓を行います。

詳しくはお知らせのページをご覧ください。

 

毎回、定期テスト対策は無料で実施しております。ぜひ、活用ください。

ivyに通っていない生徒も参加いただけます。

 

テスト範囲や学習進捗状況・理解度などに合わせて学習計画を立てて取り組みます。

申込みされた生徒さんと、あらかじめ学習相談を行い、対策特訓で扱う内容を取り決めます。

お早めにお申し込みください。

 

現在ivyに通われてる、

日野四中、七生中、日野二中

打越中、横山中、城山中、小山中

の対策を行うことが決まっていますが、それ以外の中学に通う生徒の申込みにも対応いたします。

 

横山中、日野二中、日野四中の中3は中間テスト前に修学旅行があるので、しっかり計画を立てて取り組んでください。

また、Vもぎ、月例テスト、入試演習特訓などがあり、忙しい中で、中間テストに向けた取り組みをしていかなければならないので、時間的にもあまり余裕がありません。

まだ、部活が継続中の人はかなりの覚悟を持って取り組んでください。

中3は、二学期の内申を決める、大事なテストです。悔いのないように、全力で挑みましょう。

 

甘い見通しをもたず、現実的な量を、早め早めに、前倒しでこなしていきましょう。

 

校舎の空いている時間は、自習できます。

また、9/21(日)も校舎が開いていますので、教室を勉強に使えます。

来る人は、前もって連絡してください。

授業のない日や授業前にも、テスト勉強に校舎を利用しましょう。

 

勉強をするときは、必ず、何をどう取り組むのかを自覚した上で行いましょう。

何を覚えるのが(理解するのが)大切なのか、→何ができていれば得点が取れるのか

どうすれば覚えられるのか、

覚えるために何をするのか、どのような工夫をするのか、どれくらい(時間、量)するのか、

といったことをしっかりと考えること。

 

勉強のやりかたなどを事前にアドバイスをしますので、不安な人はスタッフまで相談にきてください。

いっしょにがんばろう!

 

中間テスト対策特訓のお問合せ、ご相談はivyまでご連絡ください。

 

代ゼミとサピックスのこと

代ゼミは、2009年にサピックスの中学部・高校部を買収し、翌年に小学部を買収したことで、サピックス全体をグループ化しました。別々に買収することになったのは、サピックスの小学部と中学部・高校部がそれぞれ独立した運営だったからです。

 

サピックス小学部と中学部・高校部は、受験業界におけるプレゼンスにおいて、全く別物といってよいかもしれません。サピックス小学部は、中学校受験において、頭一つ抜きんでた、圧倒的な実績を出しています。

 

この時の買収は、サピックスの側が持ちかけたものだそうです。サピックスを立ち上げた経営陣が第一線を退く年齢に差し掛かり、経営権を手放したといわれています。

 

代ゼミがサピックスの求めに応じ、合併を行ったのは、中学受験、高校受験をした生徒をそのまま大学受験まで「抱えこんで」いこうという予備校を運営する企業としての経営的な戦略があったからです。

 

大手の予備校はみな同じような戦略をとっています。河合塾は中学受験の老舗である日能研と提携しています。駿台予備校は関西の中学受験塾の浜学園と提携しました。そして、東進は中学受験の四谷大塚をグループ化しています。

 

いずれの予備校も、中学受験指導を行う塾との関係を強化しようとしています。中学受験を経て、中高一貫校に入学した有望な生徒が大学受験をするときに、その受け皿を担いたいと考えているのです。

 

 

サピックスの中学部・高校部に続き、首都圏の難関中学受験で圧倒的な実績を上げているサピックス小学部を傘下に収めた代ゼミは、非常に有利な立場にありました。

 

首都圏では、サピックスは大きなネームバリューがあります。中学受験では絶対的な強さを持つ存在であり、上位進学校に進んだ生徒の多くはサピックスに通っていたわけです。最難関大学を受験する学力上位層に対する知名度は抜群で、信頼感も大きなものです。

 

サピックス小学部で学び、名門の私立・国立進学校に入学した生徒は学力が高く、経済的にも恵まれています。要するに、代ゼミは、大学受験で輝かしい合格実績を出すはずの優秀な生徒に対し、継続して代ゼミに通ってもらうように声をかける機会を得ていたのです。

 

 

しかし、代ゼミはこのアドバンテージをうまく活かせません。サピックスと代ゼミの「客層」が違うからです。

 

まず、なによりも、代ゼミは「私立文系」の浪人生を主なターゲットとする予備校です。東大や一橋大、東工大などの難関大学を狙う現役の高校生は、他の予備校や大学受験塾に流れていきます。

 

 

そして、原理的に、代ゼミの運営面での特徴と、サピックス運営方針の違いによって、両者の融合に困難が生じます。代ゼミの指導の体制は、本質的にサピックスとは異質なのです。

 

代ゼミは「講師の代ゼミ」といわれるほど、多数の人気講師を輩出してきました。講師が持つ裁量権が大きく、テキストや授業時間さえも講師の独断に任せられています。生徒を集める人気講師は、その分高い報酬がもらえます。そのため、講師同士が競い合いながら、教務力を高めていくという側面と、それぞれの講師が独立して教務を行うため、総合的な指導、運営がおろそかになるという負の側面があります。

 

さらに、そのような体質がもたらした最も重大な影響は、講師が、学生に対して「迎合的」な授業を行うという文化が根付いてしまったことです。必然的に、人気が出るような授業、つまり、「面白い授業」へと流れてしまい、学生の学力を伸ばすことよりも、学生に気に入られるようなパフォーマンスが優先されるようになっていきます。

 

もちろん、代ゼミのほとんどの講師はすばらしい授業の技術を持っていらっしゃると思います。そして、そんな講師の方々の、面白く分かりやすい高度な授業は、学生にとって理想的なものであるといえます。しかし、それは受験指導において絶対的に「良質なもの」であるとはいえないと思います。なぜなら、受験には緊張やストレス、努力や継続への耐性も必要であり、授業はそれを養う機会でもあるからです。

 

結局のところ、代ゼミが「私立文系」に強いという評判は、結果的に私立文系型の学生が集まる「空気」の予備校であるということが大きいよう思えます。

 

当然、国公立大学を受験するには、幅広い勉強が必要です。たとえ文系であっても、数学や理科の勉強をしなければならないのですから。つまり、「耐性」が必要なのです。

 

 

一方で、サピックスは突出した講師を生み出さないような運営を行ってきました。冊子テキストは複数の執筆者によって練り上げられ、作りこまれています。また、授業の構成をマニュアル化し、ノウハウを共有する仕組みが出来上がっていると聞きます。

 

代ゼミに買収された後も、サピックスの合格実績は下がりませんでした。運営の中心となっていた講師が抜けても、さらに他塾を突き放しつつあります。組織的な教務力がサピックスの強みであるといえるのかもしれません。

 

しかし、あまりにも合格実績に執心し、学力下位層へのフォローがなおざりになっているのではないかという話もあります。難関中学受験に照準したカリキュラムについていけなくなる生徒も数多くいるそうです。サピックスの宿題をこなすために別の塾に通う生徒もいます。学力的に厳しい生徒には、あまり楽しくないところなのかもしれません。

 

 

ある意味で代ゼミとは対極的な体制であるといえます。組織文化的に、代ゼミとサピックスの「接続」は難しかったのかもしれません。

 

 

そもそも、代ゼミとサピックスの「接続」以前に、サピックスの小学部と中学部(あるいは一貫校向けのクラスがある「Y-SAPIX」)がうまく連携できていない印象があります。小学部があまりにも突出してしまっていて、中学部やその先が受け皿として機能できていないのではないのではないでしょうか。

 

「Y-SAPIX」というサピックスの高校生(と中高一貫校生)向けの大学受験のためのブランドがつくられていますが、ここに代ゼミの「過剰さ」が組み合わされば面白いと思います。

 

それも、よっぽど確かな先見性と豪胆な実行力のある人が指揮をとらないと難しいかもしれません。塾や予備校の講師は、自分のやり方に誇りと自信を持っている人が多く、その意味では保守的な人が多いのです。代ゼミを支えてきた人たちがサピックスに従属的に協力する雰囲気があるのかどうかもわかりません。(ある塾とある塾の合併に、間近で接する機会があったのですが、なかなか大変な様子でした。)

 

 

実際にはどうなのかわかりませんが、代ゼミが、サピックスを買ったのはただの衝動買いではなく、将来的にサピックス主導の体制に移行するためであって、大クラスの学生を捌く高利益のビジネスモデルを捨てて、不動産で儲けながら、利益は少なくとも本業として受験に携わる塾をつつましく誠実に営もうとしている…という可能性が5%ぐらいはあるかもしれないと思います。

 

(ivy 松村)