The Teacher in the Lie

明日、11月3日は、休校日です。

 

先日からお伝えしてあるとおり、11月4日(金)は、中2の英語の補講を行います。

定期テストに合わせて進度を調整するためです。よろしくお願いします。

また、11月5日(土)は、小6特訓コースと中学部の月例テスト実施日となっています。

忘れないようにお願いします。

 

 

期末試験勉強がはかどっていない人は、休日を利用して進めておきましょう。

 

11月7日に、提出物チェックを行います。

 

それまでに、提出物を終わらせておきましょう。

 

 

 

中3生たちは、現在、とてもいい雰囲気で受験勉強に取り組めていると思います。

過去問演習を行いながら、日々、英検の二次試験対策や小テストをこなしています。

また、ある生徒たちは、必死にくらいついて期末テストに向けて格闘しています。

小6特訓コースの受験生も、真面目にコツコツと努力を積み重ね、力を蓄えてきました。頑張りの成果が実りつつあります。

 

今はいい流れで勉強できていますが、これから、すこしずつ精神的な負荷が大きくなる時期でもあります。

 

多分、杞憂になるのは間違いないのですが、念のため、気を付けてほしいことを書いておこうと思います。それは、これまでにも何度か君たちに直接伝えたことでもあります。

 

 

 

私は、毎年、受験生たちに、絶対にうそをつかないように、ごまかしをしないように、と口を酸っぱくして言います。

 

うそをつく生徒は、例外なく受験に失敗するからです。

 

 

「等身大の自分」を受け入れられない人間は、能力を拡張することができません。

合理的、科学的な思考力を高めることが不可能になるからです。

 

また、利己的な満足や体面を保つために現実を歪めてしまう人間は、精神的に成長することができません。「品性」や「気高さ」を欠く人間は、常に愚かな「判断」へと傾きます。

 

うそは、「個人」の発達を妨げます。

 

 

さらに、大きな「阻害要因」があります。

 

それは、うそは、「孤立」をもたらすということです。

 

当人はうそが見破られていないと思っているけれど、相手はうそであると気付いているという痛々しい状況に、人は、しばし向き合わなければならなくなります。

 

寛大に、その状況を受け入れてくれる人もいるのかもしれません。しかし、多くの場合、うそをついた人間は信頼を失うことになります。

 

たとえば、ある生徒がうそをついて、ある学校の先生をうんざりさせてしまったとしたら、その先生はその生徒に失望するかもしれません。

 

その先生を責める人はいないでしょう。人間はだれしも、誠実に努力する者の力になりたいと願うはずです。

 

同じように、友人にうそをついて、自慢したりからかったりすれば、やはり愛想をつかされて、相手にされなくなるでしょう。

 

 

周りの人たちに支えられることで、人は、持てる以上の力を発揮することができます。

うそをつく人間は、そのような美しい経験を得る機会を手放すことになるのです。

 

 

 

私は、だらしない生徒に厳しい注意をすることがあります。

しかし、どうしようもないうそをついた生徒に対しては、厳しい注意をしないようにしています。

 

うそをつくような弱い人間は、面目を失うと、完全に潰れてしまうからです。

まだ、うそに気づかないふりをして対処する方が「まし」なのです。

 

 

それでも、うそをつく生徒は、例外なく受験に失敗します。

 

 

 

今、私は、君たちに厳しい言葉を放つ心の準備ができています。同時に、それをいう機会がありません。君たちがまっすぐに成長してくれたからです。

 

「だれか」に忠告しようと思ってこの文章を書いているわけではありません。

今の君たちを、素晴らしく、誇らしく思います。今の真剣さを大切にしてもらいたいと思うからこそ、書いておきたかったのです。

 

 

これから受験までの数十日余りの間に、いくつものつらい局面が訪れるはずです。

その日々を、正直に、謙虚に、真面目に乗り越えていってください。

 

 

その先に見えるものを、いっしょに目指しましょう。

 

 

(ivy 松村)

 

 

春期講習6日目(「うそ」の話)

まだ作文を書き慣れていない生徒に出す作文の「お題」に、「うそをつくことは悪いことか」というものがあります。

必ず一度はこの「お題」で作文を書いてもらうようにしています。

 

この「お題」で作文を書いてもらう前に、生徒たちにの意見を聞きくと、ほぼ全員が、「悪いことである」と答えます。

 

そこで私は、生徒たちの価値観を揺さぶってみるのです。

 

 

たとえば、きみの親しい人がまごころをこめてきみに料理を作ってくれたときに、その料理がおいしくなかったからといって、「まずい」と伝えますか。

「おいしい」と言うことは「うそ」になるのではありませんか。

 

必ずいつも、真実が「正しい」とはいえないのではありませんか。

 

 

そのようなことを言うわけですが、「食いついてくる」生徒と、困惑する生徒がいます。

 

 

「私は、うそをつくことは悪いことだと思います。なぜなら、うそは人を傷つけてしまうからです。私は、以前うそをついて人を傷つけてしまった経験があります。・・・この経験から、私は、うそは人を傷つけてしまうものだということを学びました。私は、人を傷つけないために、これからは、うそをつかないようにしていこうと思います。」

 

典型的な作文を書こうとしていた生徒は戸惑ってしまうわけです。

こんな作文を書いてほしくないので、前もって「話」をするのです。

こんな作文を褒めてはいけないのです。

これは、ただの「作業」の結果です。

 

作文は、「自分の考え」を書くものです。

「その練習」をしなければなりません。

 

 

「うそは悪いものである」という意見の文を書くにしろ、「うそは悪いものではない」という意見の作文を書くにしろ、考えて書いた作文には、生徒が自分で選択した「価値」があらわれるのです。

 

 

 

ところで、「文学」は壮大な「うそ」であるということもできます。

 

うそが絶対的に悪であるのならば、古今東西の創作物は破棄されなければなりません。

もちろん、そんなことはだれも望まないわけです。

 

「うそ」が人を勇気づけたり、いやしたりすることもあるわけですね。

 

 

今日の中3の授業では、日本近代文学史の「キーパーソン」である島崎藤村と志賀直哉について解説しました。

 

島崎藤村は、浪漫主義→自然主義という大きな潮流を作り出した作家です。

志賀直哉は、反自然主義である「白樺派」との関わりを持ちながら、自然主義の流れをくむ「私小説」、「心境小説」を手がけました。

 

この2人に注目すると、日本の文学史の潮流が理解しやすくなります。

 

 

 

さて、エイプリル・フールは終わったわけですが、どうも、まだ、だまされていることがあるような気がしています。

 

うーん、あの話は、本当なのかなあ?

 

(ivy 松村)