今日は、中3の英語で「時制」をあつかいました。
中3には、折にふれて、英語と日本語の違いについて話すことがあります。
それが両言語を深く理解する手助けになると思うからです。
時制に関する話は、夏期講習中によくしていたのですが、覚えているでしょうか。
今日話した内容と関連させて、少しまとめてみましょう。
一般的には、英語の時制は12あると考えることができます。(細かくカウントすると16になります。)
(基本) | (進行形) | (完了) | (完了進行形) | |||
(現在) | 現在形○ | 現在進行形○ | 現在完了○ | 現在完了進行形△ | ||
(過去) | 過去形○ | 過去進行形○ | 過去完了△ | 過去完了進行形 | ||
(未来) | 未来形○ | 未来進行形△ | 未来完了 | 未来完了進行形 |
中学で学習するのは、上の表の「○」がついている時制です。
進学塾の上位クラスでは、「△」がついているところまで教えるでしょう。
一方、日本語の時制は、2つであるとされています。
「現在」と「過去」です。
二つの言語を比べてみたとき、日本語の時制のあまりの少なさに、少し驚いてしまいますね。
英語の時制は非常に細かく設定されていて、日本語の時制はかなり大まかです。
理解しておかなければならないのは、ある概念や文法事項の有無が、言語の優劣を示すわけではないということです。単に、言語の「構造」や「表出形式」、「世界の捉え方」が違っているというだけのことです。
日本語は、時制に頼らずに、事象を表現する言語です。
そして、そのために、私たちは「時制」を理解しづらいのです。ですから、より注意深く英語の時制を学習しなければなりません。
さて、日本語であっても、別の方法を用いて、英語の時制に対応した表現をすることができます。
たとえば、英語の進行形には、「~ている」という訳が当てられます。
He is studying English now.
(彼は今勉強している。)
言語学では、「~ている」のような、動作のあり方を示すものを「アスペクト」と呼びます。
この「~ている」は、時制を表しているわけではありません。「アスペクト」は、時制のように、絶対的、固定的な「時間軸」の基準に照らして運用されるものではなく、動作の「様態」を表すものです。
日本語は、時制ではなく、「アスペクト」に重心がある言語です。
日本語の「~ている」は、動作や状態の「継続」を表しています。
この言葉は「進行形」の時制だけに固定されているわけではないので、「進行形」以外の時制の訳に当てられることがあります。
「~ている」は広い範囲の時制をカバーできるので、英語の「時制の枠」にとらわれることなく活躍します。
現在形や現在完了の「継続用法」でも「~ている」を使うことがあります。
He studies English every day.
(彼は毎日英語を勉強している。)
He has studied English for two years.
(彼は2年間英語を勉強している。)
また、「~ている」は、動作が「完結」した状態にあることを述べる際にも使われます。
そのため、現在完了の「完了・結果用法」で表現されるような内容を表すこともできるのです。
I have already finished my homework.
(私はもう宿題を終えている。)
まぎらわしいので、「完了・結果用法」の訳は「宿題を終わらせたところだ」とか「宿題を終わらせてしまった」という表現を使います。
今度は「未来」について考えてみましょう。
日本語には「未来形」がないということになっています。
普通「will」に訳を当てるときは、「~するつもりだ」とか「~だろう」という表現を用います。
しかし、実は、そのような言葉を付け足さなくても「未来」を表すことができます。
そもそも日本語の動詞の基本形は、「現在」の動作だけでなく「未来」の動作をも含んでいるからです。
I will go to the library tomorrow.
(私は明日図書館へ行く。)
I sometimes go to the library.
(私は時々図書館に行く。)
「行く」という形は、「現在形」と「未来形」の2つの時制に対応しているのです。
まぎらわしいので、「未来形」を訳すときには「図書館に行くつもりだ」と表現するわけです。
日本語は「未来形」がないというよりも、「現在形」と「未来形」の区別がない言語だといえます。
ですから、日本語の2つの時制を「非過去」、「過去」と呼んでいる研究者もいます。
最後に、「過去」について考えてみましょう。
「過去形」は、日本語では「~た(だ)」で表します
He came to Japan last year.
(彼は去年日本に来た。)
また、現在完了も同じく「~た(だ)」を使って表すことがあります。
Fall has come.
(秋が来た。)
ここまでは、よく知られた内容です。しかし、「~た(だ)」にもやはり、一筋縄ではいかない「ねじれ」があります。
さらに、別の例を見てみましょう。
The boy riding on a bike is my brother.
(自転車に乗っている少年は、私の弟です。)
日本語の文について考えてみましょう。
この文は、意味を損なうことなく以下のように言い換えることができます。
=「自転車に乗った少年は、私の弟です。」
驚くべきことに、「~た(だ)」は「~ている」と同じ意味で使われることがあるのです。
もとの英文は「~ing」を用いた「現在分詞の形容詞的用法」の文ですが、要するに、「~ing」の訳として「た(だ)」を使う場合があるということなのです。
(「~た(だ)」を、時制を示すものではなく、「アスペクト」であると考える人もいます。)
日本語は、英語よりも汎用性の高い「表現」が多い言語であるといえると思います。
そのため、意味の特定が「文脈」に依存することがあります。つまり、日本語は、言葉の組み合わせや状況によって、ある表現の「意味」を定めるというような傾向を持っているのです。
英語と比較することで、日本語の特徴がよりはっきりとわかりますね。
これも英語(外国語)を勉強する意義のひとつです。
他者を知るということは、自分を知るということでもあります。
(ivy 松村)