「H」の話②

「H」の起源は、古代ギリシアの文字にあります。

 

古代ギリシア語には「ヘータ」という文字がありました。「ヘータ」の大文字の字形は「H」と同じ形です。

これが、「エイチ」のルーツです。

 

この「Η」=「ヘータ」は、やがて「エータ」という名称で呼ばれるようになります。

古代ギリシア語において、[]の音の消失が起こったからです。

 

そのため、「Η」という文字からも[]の音が失われたわけです。

 

 

現代英語では、「H」という文字は「エイチ」と呼ばれます。

実は、これは奇妙なことです。

 

英語において、「H」という文字が担う基本的な「音素」は、[]=「ハヒフヘホ」の音だからです。

 

「エイチ」という呼称に、[]の音が含まれていないのです。

 

たとえば、ドイツ語では、「H」の文字は「ハー」と呼ばれます。

これは、ごく自然な「命名」だといえるでしょう。

「ハヒフヘホ」の音を担う文字の名称には、[]の音が組み込まれているわけです。

 

ラテン語でも「H」は「ハー」と呼ばれました。(ラテン語には当初[]の「音素」がありました。)

 

 

ラテン語から派生したイタリア語、スペイン語、フランス語などのロマンス諸語は、「H」を発音しないということを、前回の記事で紹介しました。

 

では、これらの言語は、「H」をどのように呼んでいるのでしょうか。

 

 

・イタリア語 …「アッカ」

・スペイン語 …「アチェ」

・フランス語 …「アシュ」

 

 

イタリア語は「H」の文字に「カ」→「カキクケコ」の音を代表させています。

スペイン語は「H」の文字に「チェ」→「チャ・チ・チュ・チェ・チョ」の音を代表させています。

そして、フランス語は「H」の文字に「シュ」→「シャ・シ・シュ・シェ・ショ」の音を代表させています。

 

これらは、実は、それぞれの言語の「ch」の発音です。

つまり、これらの言語にとって「H」は、「ch」を形成するための文字であるとみなされているわけです。

 

 

 

ということで、「ch」についてもう少し詳しくみていきましょう。

 

 

]の音を失った「Η」という文字には、新しい役割が与えられるようになります。

それは、「二重字」の一部になることです。

 

「二重字」というのは、「ひとつの文字」と同じような機能を持つ2文字列のことをいいます。

要するに、「セット」になった2つの文字に、「独自の発音」を付与するわけです。

 

「H」という文字の重要な働きのひとつは、「二重字」を構成するということです。

 

 

「ch」は、「c」という文字と「h」という文字が組み合わさった代表的な「二重字」です。

 

イタリア語、スペイン語、フランス語では、「H」という文字の名称に「ch」の音があてられています。

これらの言語にとって、「H」という文字の「第一義」は、「ch」を作り出すことなのです。

 

 

それにしても、それぞれの言語で、「ch」の発音がずいぶん違っていますね。

 

 

イタリア語では、「ch」は「カキクケコ」の音になります。

たとえば、イタリアの有名な童話の登場人物「ピノッオ」の綴りは「Pinocchio」になります。

 

スペイン語では、「ch」は「チャ・チ・チュ・チェ・チョ」の音になります。

たとえば、キューバ革命に参画し、スペイン語圏で人気の高い歴史的人物のひとり、「チェ・ゲバラ」の綴りは「Che Guevara」になります。

 

フランス語では、「ch」は「シャ・シ・シュ・シェ・ショ」の音になります。

たとえば、ピアノ曲で有名な作曲家の「ショパン」の綴りは「Chopin」になります。

 

フランス語では「in」の発音が「アン」になるので、「Chopin」は「ショパン」です。

ちなみに、「ルパン」は「Lupin」と書きますよ。

 

余計な話ですが、“Chopin”は、英語でも「ショパン」ですが、「チョピン」という人もいます。“Lupin”は、「ルピン」ですね。

 

 

…チョピン。…なんか、残念。

 

 

 

ドイツ語においても、「ch」は独自の発音を持っています。

 

ドイツ語には「ハヒフヘホ」が2種類あります。

ひとつは「H」で表される[]です。

もうひとつは、強く発音される「ハヒフヘホ」で、「カ」と「ハ」を強く同時に発音するような音です。

文字で説明するのはなかなか大変ですが、寒いときに、手に息を吹きかけるときに出すような「ハ~」という音で、のどの少し奥まった上のあたりを息でこするようにして出します。

 

ドイツ語には「ハヒフヘホ」が2種類あるので、これらを区別するために「ch」が用いられているわけです。

 

たとえば、ドイツの偉大な音楽家、「バッ」の綴りは「Bach」となります。

また、ドイツ起源の人気のあるお菓子に「バウムクーン」がありますが、その綴りは「Baumkuchen」になります。

 

 

 

そして、英語の「H」ですが、「エイチ」と読みます。

したがって、その名称には、やはり「ch」という二重字が念頭に置かれているわけです。

英語における「ch」の発音は、「チャ・チ・チュ・チェ・チョ」です。

 

 

さて、ここでひとつの疑問に突き当たります。

 

イタリア語やスペイン語、フランス語などとは異なり、英語には、[]の音が存在し、「H」という文字は、その発音の表記を担っているわけです。

そうすると、この文字の名称は、「ハー」とか「ヘー」であるべきです。

 

 

なぜ、「H」は「エイチ」なのでしょうか。

 

 

そのヒントは、フランス語にあります。

 

英語は、フランス語の影響を強く受けています。

「フランス人」がイギリスを支配していた時代があるためです。

「フランス人」によるイギリスの「征服」を、歴史の用語で「ノルマン・コンクエスト」といいます。

 

デンマークやノルウェー、スウェーデンなどの北欧には、かつて「ノルマン人」と呼ばれるゲルマン人の一派が住んでいました。「ノルマン」というのは「北方の人」という意味です。

フランス北西部に、「ノルマンディー」という場所がありますが、その地名は「ノルマン人」にちなんだものです。

 

「ノルマン人」というのは、つまりは「バイキング」のことです。

彼らは、巧みに船を操り、ヨーロッパ各地の沿岸に勢力を伸ばしていき、やがてその一部がフランスに土着します。その地が、「ノルマンディー」と呼ばれるようになったわけです。

 

フランスに根を下ろした「ノルマン人」は、次第に「フランス化」し、フランス語を話すようになります。

 

そうはいっても「バイキング」の末裔です。

11世紀後半、彼らは対岸のイギリスに侵攻し、イギリスを支配下におさめます。

こうして、イギリスは「ノルマン人」に征服されてしまうわけですが、それは、もはや「フランス人」によるイギリス支配だったわけです。

 

「ノルマン・コンクエスト」を契機として、イギリスには大量のフランス語の語彙が流入しました。

 

英語に、フランス語由来の語彙がたくさんあるのも、また、フランス語(風)の発音を持った語彙が存在するのも、「ノルマン・コンクエスト」の影響なのです。

 

 

 

「H」に話を戻しましょう。

 

フランス語では、「H」を「アシュ」と発音します。

その綴りは“ache”です。フランス語では「ch」は「シュ」の発音になります。

 

イギリスにおいても、「フランス人」に支配されていた時代には「H」は「アシュ」と発音されていました。

 

しかし、やがてイギリスでは「ch」は「チ」と発音されるようになります。

 

イギリス人が、国内からフランスの勢力を追い出し、英語が「国民の言語」として形成されていくなかで、いくつかの要因が重なって、英語の発音に変化が起こりました。

 

 

となれば、“ache”の読みは(スペイン語と同じように)「アチェ」になるはずです。

 

ところがまた、中世から近世にかけて、英語の発音に変化が生じました。そのため、「アチェ」のような発音は、維持されなかったのです。

 

英語独特のユニークな「発音体系」が、15世紀から17世紀にかけて形作られました。

そのうちのひとつは、語末が「子音+e」になるときに、「e」を発音せず、その直前の母音を二重母音で発音するというものです。

 

 

たとえば:

 

・「ace」→「エイス」(トランプの1)

・「age」→「エイジ」(年齢)

・「ape」→「エイプ」(猿)

・「ate」→「エイト」(eatの過去形)

 

 

したがって、“ache”は「エイチ」と発音されなければなりません。

 

フランス語において「H」の文字は“ache”という名称です。

フランス語では、その綴りを「アシュ」と発音しますが、英語では「エイチ」と発音されてしかるべきなのです。

 

 

 

…しかしながら、“ache”は「エイチ」とは読みません。

 

よく知られているように、現代の英語では、“ache”を「エイク」と読みます。

 

 

「ache」という綴りの、別の単語が「現れた」のです。

18世紀ごろに、「痛み/痛い」という意味を持つ「エイク」という発音の語彙が、「ake」ではなく、「ache」という綴りに整理されたのです。

 

 

そのため「ache」=「エイク」となってしまったわけですが、「H」の呼称は、依然として「エイチ」です。

 

そこで、「エイチ」という発音を表記する別の綴りが求められたのです。

 

 

それで「エイチ」は「aitch」となったわけです。

 

 

ちなみに、現代の英語で「アシュ」といえば、「ash」(灰)のことですね。(少し発音が違いますが。)

 

 

 (ivy 松村)

 

外来語の出身 ②(ドイツ語、フランス語、イタリア語、ロシア語について)

幕末・明治期の開国とともに、これまで日本人が知ることのなかった大量の知識や物品が、欧米から日本にもたらされました。

 

近代化に向けて国づくりを主導した当時の知識人たちは、新しい概念を、言葉を作り出すことで言い表し、日本に定着させていこうと考えました。

 

「経済」「社会」「自然」「科学」「文学」「美術」「物理」「出版」「写真」「図書館」「新聞」「意識」「理論」「空間」「国家」「警察」「工業」…

 

…このような、日本人によってつくられた漢語を「和製漢語」といいます。

 

そういえば、「野球」も「和製漢語」ですね。ということは、「投手」「打者」「盗塁」「三振」なども「和製漢語」ということになります。

 

もともとあった言葉に、日本人が新しい意味を含めた言葉も「和製漢語」に含みます。

 

「革命」「自由」「愛」などです。

 

 

和製漢語は、もちろん江戸時代以前にもつくられていましたが、西洋の文物を早急に吸収しなければならない幕末・明治期に、数多く作り出されました。これらの言葉は、現在の私たちの生活に欠かせない基本的な語彙となっています。

 

 

 

さて、幕末・明治期には欧米の考えや文物が大量に入ってきましたが、当然、すべてに翻訳語を与えることはできません。同時に、多くの「外来語」が日本に定着することになりました。

 

日本が、近代化の過程でお手本と考えていたのは、主にアメリカ、イギリス、ドイツ、そしてフランスでした。そのため、英語、ドイツ語、フランス語から導入された外来語がたくさんあります。

 

注意しなければならないのは、よく使用される、なじみのある外来語で、英語由来のものではない語彙が、意外に多いということです。当然、それらは英語話者には通じません。

 

現在の日本では、圧倒的に英語の影響力が強くなっています。外来語のほとんど、およそ8割以上が英語から導入されたものであると考えられます。

そのため外来語のほとんどは英語由来のものであるという観念が強まり、ドイツ語やフランス語から取り入れられた外来語であるのに、英語由来のものであると誤解されているものが少なくないのです。

 

 

 

ドイツ語由来の外来語…医学、登山、スキーに関するものが多い

 

オブラート、ガーゼ、ギプス、ワクチン、カルテ、ザイル、ピッケル、ゲレンデ、スキー

 

アルバイト、エネルギー、アレルギー、ホルモン、コラーゲン、アクリル、デマ、ディーゼル、エーテル

 

テーマ、ガーゼ、ノイローゼ、セレナーデ、ボンベ、ゼミナール、ナトリウム、カリウム

 

イデオロギー、ヒエラルキー、プロレタリアート、カテゴリ、ワンダーフォーゲル、メタン、

 

カルテル、コンツェルン、タクト、フィルハーモニー、シュラフ、リュックサック、バウムクーヘン

 

グミ、ヨーグルト、ベクトル、メルヘン(Märchen)、ワッペン、ヴィールス(ウイルス)…

 

 

 

フランス語由来の外来語…芸術、料理、服飾に関するものが多い

 

アトリエ、クレヨン、デッサン、レストラン、オムレツ、コロッケ(croquette)、ソース、ズボン、マント

 

デッサン、オブジェ、モルモット、シルエット、バカンス、スイス、リットル、メートル、グラム、コント

 

エチケット、コンクール、デジャヴ、バリカン、ブーケ、レジュメ、ジャンル、カモフラージュ、アベック

 

アンケート、グランプリ、クロワッサン、シュークリーム(chou à la crème )、アンコール、メトロ

 

マヨネーズ、エクレア、カフェ、ピーマン、ピエロ、フォアグラ、ポタージュ、グラタン

 

ブティック、エチュード、アバンギャルド、コラージュ、シュール、ブルジョア、プロレタリア

 

ルサンチマン、ルネサンス、ビバーク、ベージュ、ルポルタージュ…

 

 

ドイツ語、フランス語以外では、イタリア語やロシア語由来のものがいくつかあります。

 

 

 

イタリア語…音楽、食料に関するものが多い

 

オペラ、ソプラノ、アレグロ、フィナーレ、テンポ、マカロニ、スパゲッティ、ピザ

ソナタ、マニフェスト、フレスコ、アカペラ…

 

 

 

ロシア語…やはり革命や労働関係が多いのでしょうか

 

カンパ、コンビナート、ノルマ、インテリ、ツンドラ、ペチカ、トロイカ、ウォッカ

イクラ、アジト

 

 

 

もともと英語だと勘違いしていた言葉もけっこうありますね。

 

 

(ivy 松村)