外来語の出身 ①(ポルトガル語、オランダ語について)

私たちは何となく、外来語=英語のように思いがちですが、実は、英語から取り入れられたのではない外来語も数多くあります。

 

特に、室町後期~江戸初期(16世紀の半ばから、17世紀の半ば)の主な交易の相手国だった、ポルトガルからもたらされた言葉が数多くあります。さらに、江戸時代を通じて交易を行っていたオランダからもたらされた言葉もたくさんあります。

明治時代になって、日本はやっと西洋の文物を取り入れ始めたのだと誤解されている人もいるかもしれませんが、実は、それ以前から日本人は西洋の文物に触れ、その言葉を取りいれていたのです。

 

 

室町時代の終わりごろ、ヨーロッパの船が日本に来航するようになります。

 

日本に来たヨーロッパ人には、2種類の人たちがいました。商人と宣教師です。

 

商人たちは、お金儲けのために訪れました。彼らが求めていたのは、おもに「銀」でした。当時の日本は、世界有数の銀の産出国(石見銀山が有名ですね)であり、金と銀の交換比率が、ヨーロッパに比べてよかったのです。つまり、金を日本にもってきて銀と交換し、その銀を持ち帰って金に交換すれば、それだけで大儲けできたのです。

また、当時から日本は経済力の高い国(地域)でしたから、珍しい物品や、造船や土木工事などの技術を高く買ってもらえたので、商売の上でよい取引先だと考えられていたようです。

 

宣教師たちの目的は、日本にキリスト教を広めることでした。当時のヨーロッパは宗教改革の時代でした。古くから続く儀式を重んじるカトリック(旧教)と、聖書に書いてあることこそが真実であると主張するプロテスタント(新教)が対立していました。

徐々にプロテスタントが優勢になりつつあり、一方のカトリックの勢力は、ヨーロッパではない地域にカトリックを広めて対抗しようと考えたのです。

 

もっとも有名な宣教師はフランシスコ・ザビエルですね。

ところで、生徒の皆さんはよくザビエルさんの髪型を笑いますが、当時の日本の武士がしていた「ちょんまげ」も冷静に考えれば相当変な髪形ですよ。

 

ザビエルをはじめ、日本に来た宣教師たちは、日本人の庶民は友好的で理解が速い人たちであると感じていたようです。彼らは、日本人にキリスト教を広めることの意義を本国への手紙に書き綴っています。

 

 

いずれのヨーロッパの人も、日本に高い関心を抱いていました。そのため、彼らは、当時の日本に深くかかわり、多くの言葉を残したのです。

 

 

最初に日本にやってきたヨーロッパ人は、ポルトガル人でした。ポルトガルは日本に鉄砲を伝えました。戦国時代を迎えていた日本では各地で戦争が行われていたわけですが、鉄砲が伝わったおかげで、戦争の戦略に変化が起き、戦乱の世に収束をもたらすことになったといわれています。

 

そして、彼らはさまざまな珍しい品物とともにポルトガル語を日本に伝えました。約400年前に日本に伝えられたポルトガルの言葉は現在も私たちの生活の中に息づいています。

 

ポルトガル語由来の外来語

 

オルガン、タバコ(煙草)、パン、カルタ、カステラ、カッパ(合羽)、キリシタン、シャボン、ビードロ

 

ミイラ、フラスコ、ブランコ、襦袢、チョッキ

 

ボタン、カボチャ、金平糖(confeito)、テンプラ(temporas)チャルメラ(charamela)、バッテラ(bateira)

 

など。

 

 

江戸時代になって、江戸幕府は鎖国政策をとりましたが、ヨーロッパの国では唯一オランダとの交易は続けられました。そのため、古くからある言葉で、オランダ語から取り入れられた外来語も数多くあります。

 

また、江戸時代の中期以降、ヨーロッパの学問を学ぶことが許されるようになります。オランダがヨーロッパとつながる唯一の窓口だったので、阿蘭陀(オランダ)の学問、「蘭学」と呼ばれました。

特に、杉田玄白や前野良沢といった人たちによって医学の研究が進められました。そのため、医学用語が多くあります。

 

 

オランダ語由来の外来語

 

アルカリ、アルコール(元はアラビア語)、レンズ、メス、ビール、ランドセル、ペンキ、ズック、ブリキ

 

オルゴール、ガラス、カバン、コルク、コーヒー、ゴム、ポンプ、リュックサック、ホース、ペスト

 

スポイト、ピンセット、モルヒネ、サーベル、コップ(ポルトガル語copa)、レッテル

 

カトリック、ヨーロッパ、ドイツ、ベルギー、ビルマ、マホメット

 

お転婆(otembaar)、ドンタク(zondag)、ポン酢(pons)、ポマード

 

など。

 

 

意外なものもたくさんありますね。

 

(ivy 松村)