合格を確保することと、勝ち取ること(三者面談の話②)

中学での三者面談が終わった中3の生徒に、どのような話があったのか、ということを聞いています。

 

八王子高校を受ける生徒は、「おさえ」の学校をしっかりと決めるようにという話があったそうです。

来年度は、併設の中学校からの進級があるため、高校受験の募集枠が減っているのでしょう。そのことを、学校の先生は気にされているのだと思います。

 

 

学校の先生は、塾の教師よりも、「手堅い」進路の提案をします。

塾側からすれば、必要以上に受験校のランクを下げることは、空が落ちてくることを心配するかのような、不条理で馬鹿げたことのように思えたりもします。

 

しかし、こういった学校の先生の、受験のとらえ方、考え方は、ある意味で立場上しかたのないことなのかもしれません。

 

 

中学3年生の担任をされている先生は、重い責任を背負っています。それは、卒業する生徒たちを、人生の次のステージへと送り出すということです。

 

そのために、進学を希望する生徒に対しては、「確実に」高校に入学する権利を得させることを最も重要視するのです。

 

学校の先生にとって、進学を希望している生徒の行く高校が無い、という事態は絶対に避けなければならないものなのです。

ですから、100パーセント合格できる高校を「確保」することが、受験を考える上での基本となるのです。

 

 

公立中学を来年卒業する中学3年生は、五月の時点では、日野市内だけでも1407人いますが、これだけの人数がいれば、おそらく、どこかの中学で、何かしらの進学に関するトラブルが起こるでしょう。また、学校の先生たちも、キャリアの長い人ほど、何かしらの問題に直面した経験をお持ちなのではないかと思います。公立の中学には、実に、さまざまな背景を持った生徒がいます。

 

何を述べたいのかといいますと、学校の先生が、受験において、何よりもまず進学先の「確保」を第一に考えるのは、受験には、何が起こるかわからないという怖さを切実に感じているからではないか、ということです。

 

そのため、堅実な路線で進路指導をされるのだろうと思います。

 

方向性は正反対で、あまり共感はできませんが、学校の先生の考え方には理解できるところもあります。

 

 

一方、塾の方は、受験に対して、チャレンジ志向を強く持っています。

 

その志向性は、塾の存在理由と不可分であり、それを自ら否定することは難しいものです。

そして、その意識の中に、合格は勝ち取とるものであるという主題が強く反映されます。

 

ただし、もちろん、学力や状況を無視した、無謀で無意味な受験を推奨することはあり得ません。

 

しかし、基本的には、生徒にはなるべく高いレベルのステージを目指してほしいと考えます。

特に、ハイレベルの環境にいるほど力を伸ばしていけるタイプの生徒は、できるだけ高いレベルの高校に進学してもらいたいと考えます。

 

 

塾と学校の「受験」に対するまなざしは全く対照的なものです。ですから、ある生徒に対する受験校や受験プランの見解が大きく異なってしまうことも、頻繁に起こってしまうのです。

 

 

再三にわたって、中学校の先生との三者面談について、中3の生徒に対して口を酸っぱくして注意を重ねています。

それは、学校の先生に言われたことをそのまま受け入れた場合、生徒が不利益を被ることが起こるかもしれないからです。

 

入試問題を研究し、その得点力を極限まで伸ばそうとする場所こそが塾です。つまり、学校の先生よりも、塾の教師の方が、一般的には「受験」に関しては高い専門性を持っており、その見地から生徒の学力=「得点力」=「合格の可能性」をより的確に判定できるといえるのです。

 

端的に、学校の先生の受験プランは、受験の専門家である塾の教師の目から見て、生徒の学力に見合っていない高校を受けさせようとするケースがとても多いのです。

 

 

本当は、心に秘めた希望があるのに、12月の三者面談で、学校の先生に提示された受験プランを、言われるままに受け入れてしまうことは、あり得ることです。

内申点を決定し、調査書を書いてもらうようにお願いしなければならない学校の先生に、「君にはそんな学力はない」「そんなレベルの学校は難しい」と言われてしまえば、自信がなくなり、先生が用意してくれた、絶対安全のツーランクほど下の併願校にすがりつきたくなってしまいます。第2志望としての「縛り」と引き換えに「合格」を「確約」してもらうものです。

 

そうなってしまうと、私立高校の受験を組み立てることができなくなってしまいます。万が一、都立高受験の結果が出なかったとき、特に魅力も感じない、微妙な高校に行くことになってしまうのです。安全策をとったつもりでも、実は、絶対に都立に受からなければならないという状況になり、逆に精神的には追いこまれてしまうケースもあります。

 

1人の人間の未来が、その場の空気で決められてしまうことはあってはならないと思っています。

 

ですから、しつこいくらいに何度も何度も、「受験プラン」の確認を行い、学校の先生に言われた話を、聞かせてもらっているのです。

 

(ivy 松村)

学校の「学力」と、塾の「学力」(三者面談の話①)

11月です。いよいよ受験生の中学校の三者面談が始まります。

中3生は、夏休み、11月、12月に中学校で三者面談を行い、受験校を確定していきます。

 

 

受験生は、塾で受験勉強を行っていますが、「所属」は中学校です。合格を勝ち取るための学力を身につける場所は塾であっても、受験に向けた「手続き」は中学校を通さなければならないことが多くなります。

 

塾と中学校と家庭で、しっかり連携を取って、生徒・ご家庭の希望や現状をふまえて、受験の方向性を決めることができれば、それが一番よいことなのでしょうが、現実的に、中学校と塾が話し合いをすることはありません。

 

ですから、生徒・保護者の方には、塾、学校とそれぞれと面談をしてもらい、ご家庭でどのような形で受験を行うのかを決めていただくという形になります。

 

 

しかしながら、毎年、学校の面談と塾の面談でそれぞれ全く違う話をされて、生徒・保護者の方が困惑されてしまうということが見受けられます。

 

公立中学校と塾とでは、進学に対する考え方が違うので、それぞれが提示する受験の方向性に大きな隔たりが生じてしまうことがあるのです。

 

 

数年前、象徴的な出来事を経験しました。

塾での面談を通して、私立の難関校と都立の進学指導重点校を受験するプランを立てていた生徒がいました。

その生徒は、大人しい性格でしたが、真面目にコツコツと学習に取り組み、そのおかげで実際に高い学力を有していました。結果として立教新座、明八といった難関私立に合格し、最終的には八王子東に進学しました。

 

12月のことですが、学校の三者面談に出向くと、偏差値45ほどの私立の併願校を進められ、文字通り、茫然自失となってしまったそうです。

そして、その面談で学校の先生に言われた内容が、塾で聞いた話とあまりにも開きがあったために、受験に向けて不安を感じてしまわれたそうです。

 

 

これは、ひどく極端な話ですが、示唆的な例です。同じように、学校の先生に、生徒の学力を実際よりも低く見積もられてしまうことが往々にしてあります。

 

その理由はいくつかあります。

そのうちの1つは、学校の先生が、生徒の「リアルな学力」を知らないために、合格可能な受験校のレベルを低く設定してしまうというものです。

 

 

 

塾で指導する受験勉強は、学校の勉強とは、質的には別物です。

 

きちんとした「まともな」進学塾では、入試問題の分析を行います。

学校ごとの傾向や形式、構成などを抽象化し、分類や定義を行うことで、より現実的な対策を立てることができます。

そのうえで、どういった思考、手順で正解を導き出すのかといった方法論をマニュアル化します。また、入試問題を解くのに必要な知識や理解すべき概念の範囲を設定し、それらを吸収するためのプログラムを組みます。

 

そのようにしてまとめられた学習内容を、授業を通して生徒に定着さていくために、最も合理的な伝授法を理論化し、モデル化します。

さらに、どのようにして、生徒に合格点を獲得するだけの力を身につけさせるのか、といった戦略を立て、そのための学習プランを設計します。

 

加えて、きちんとした「まともな」進学塾の教師であれば、普遍性を持った指導理論や指導方法、システムを組み上げて、実践の中で洗練させ、より強度の高いものに仕上げていきます。その中で、生徒それぞれの個性や目標に合わせて、指導のやり方や内容を調整したり、必要な措置を講じたりします。

 

このようにして、入試問題に照準した「トレーニング」を積み上げていくことが、「受験勉強」と呼ぶべきものです。

 

私たちがみる「学力」とは、端的に「得点力」といい換えることができるかもしれません。

練り上げられた入試対策を行い、それを通して、生徒の入試での得点力をどれだけ伸ばせるのか、という視点で、私たちは「学力」というものを考えます。

 

 

一方、学校の先生は、授業態度や提出物、定期テストの成績などによって、「学力」を判定します。

最近では、「到達度テスト」も行われていますから、その結果も加味されると思いますが、結果が成績に反映されないので、生徒は高いモチベーションで挑んでいません。学校側も参考程度にとどめていると思います。

 

結局、中学校としては、学校側で構築された基準で、生徒の「学力」を判定することになります。

 

つまり、学校の先生は、「入試」とは全く別の指標で「学力」を測っているということになります。

 

そして、ごくごく一般的な推理を働かせるならば、その学校基準の「学力」と、入試結果との相関を、ある程度データ化しているはずです。

それをもとに、例えば、「オール4の生徒には、○○高校は無理だ」というような判断を下し、三者面談で伝えるのでしょう。

 

もちろん、学校の先生に悪気があるわけではなく、そこには先生方なりの、判断材料となる根拠があるのです。もし、学校の先生に「○○高校は厳しい」と言われたとすれば、実際に、厳しい結果が蓄積されているのでしょう。

 

そこには、実は、塾業界側の問題も横たわっています。

 

 

今の時代、中学3年生のほとんどは塾に通っていますが、世の中はきちんとした塾ばかりではない、ということを考えなければなりません。

 

学校でしっかりとした成績を取る生徒をあずかって、きちんと指導すれば、相応の高校に合格するはずなのに、その力を付けさせることができない塾もたくさんあるのです。

 

学校の成績は非常によくできるのに、中堅校に合格するのがやっと・・・。

そのような生徒が多ければ、学校の先生の「学力」に対する考え方がより強固になったとしても、それは当然のことであるといえるでしょう。

 

ある意味で、学校の先生が、受験校に対して悲観的なアプローチをしてしまうのは、仕方がないことなのかもしれません。

 

 

さて、「塾」側の視点から、いろいろと学校の先生に対する意見を書いてきましたが、ここでお伝えしたいのは、学校の先生に対する批判ではありません。

学校と、ivyのような塾とでは、受験に対するスタンスが違うので、注意していただきたいということを申し上げておきたかったのです。

 

「家庭」「学校」「塾」はそれぞれ、生徒が成長していくために必要な要素です。当然、それぞれが調和して存立していることが最も望ましい状態です。

 

「塾」など存在しない状態のほうが健全であると考える人も、世の中にはいるかもしれません。

しかし、現実的に、公教育が疲弊し、同時に、受験という「選抜制度」が学校教育と乖離している今という時代には、「塾」が必要とされているのです。

 

もちろん、「塾」と「学校」が対等であるといったような、大それたことを述べる意図はありません。学校が「富士」なら、塾はせいぜい「月見草」がいいところでしょう。

(まあ、世の中には、太宰治のように、「月見草」のほうがよいという人もいるかも知れませんが・・・。)

 

いずれにしても、「塾」と「学校」、あるいは「家庭」が対立するのはよくないことです。

しかし、「学校」と「塾」との間で意見に相違が生じることは、しばしば起こります。

ですから、「塾」のほうで、ある意味で「根回し」のようなものが必要であると考えているのです。

 

 

ivyでは、10月中に、お通いいただいている全ての生徒のご家庭と面談を行いました。

その際、受験生のご家庭には、ご希望をうかがいながら、具体的な高校名を挙げて、方向性や取り組みなどをお話しさせていただきました。

今後も、生徒・ご家庭と密に連絡を取りつつ、生徒にとって良い形の受験が迎えられるように、さまざまな提案や提言をさせていただければと思っております。

 

(ivy 松村)