人類は、片手に5本の指を持っています。
小さな子供たちは、自らの手に備えられた5本ずつの指を折って、計算を行います。
私たちの祖先も、現代の私たちと同様に、数を数えはじめるときに両手の指を用いました。
そして、両手の指の数の総和である「10」を数の基本としました。
私たちの文明が「十進法」を基礎としたことは、まったく自然なことであるように思われます。
しかし、ときに、生活のなかに「十二進法」をみることもあります。
例えば、「ダース」という単位、時間の表記、カレンダーなどです。
「1ダース」の缶ジュースの箱の中には「12本」の缶がはいっています。
時計の表示は、その時針の1周を「12時間」としています。
また、現代の暦は、1年を12ヵ月の単位としています。
さらに、東洋の「十二支」、西洋の「星座(黄道十二宮)」なども「十二進法」にもとづくものであるといえるでしょう。
また、英語の「11」と「12」が独自の字形をもっているのは、「十二進法」の痕跡であると考えることができます。
※少し補足します。
「eleven」の語源は「(10の)1残り」、「twelve」の語源は「(10の)2残り」というものだそうです。ですから、これらの表記は「10」を基準としていることになり、ゆえに、英語は「十二進法」であるとはいえない、と考える人もいます。
しかし、この表示法は、「13」以降の数え方を統一しているのですから、12までの数字を「1セット」であると考えていることになります。当然、これは「十二進法」の数のとらえ方です。
実は、ドイツ語の数の表示もよく似た構成になっています。
英語とドイツ語は、もともとは、ヨーロッパの「ゲルマン人」という民族集団の、同一の言語でした。おそらく、「ゲルマン人」が持っていた「十進法」の文化に「十二進法」が混入したのでしょう。
そして、その後また「十進法」が優勢になっていったのではないかと考えられるのです。
さて、上記のように、「十二進法」は、頻繁に私たちの生活に立ち現れます。
「十進法」ほどではありませんが、「十二進法」もまた、私たちになじみ深いものであるといえるでしょう。
しかし、それにしても、「十二進法」は何をもとにして成立したのでしょう。
一説によれば、「十二進法」は、人差し指から小指の、4本の指それぞれの「3つの関節(節)」を数えたものだといわれています。すべてを合わせると「12」になります。実際に、片手の、親指以外の関節を用いて数を数える民族も存在するといわれています。
しかし、人類の文明に「十二進法」がもたらされた説明としては、すこし「弱い」と思います。
この説は、「指」にとらわれすぎていると思います。
「十進法」が「自然の表記法」であるとするならば、「十二進法」は「人知的な表記法」です。
その根底には、「数学的な感覚」があるように思います。
「円」は、ひとつの完成された図形です。
そして、もっとも安定し、もっとも簡易に描ける図形であるといえます。
円は、2本の棒を用いて「コンパス」を作ることで、描くことができます。
円を等分しようと思うとき、2等分することは、造作もありません。
中心を通る直線を引けば、円は2等分されます。
しかし、それ以上となると、少し面倒です。
端的に、円を正確に10等分することは、非常に困難です。
一方、円を6等分することは、容易です。
コンパスを用いて、円を中心から60度ずつに分けることができます。
さらにコンパスを使って、たやすく、正確に12等分することができます。
そこには、空間的、物理的に重要な意味を持つ、90度・「直角」があらわれます。
この、美しく厳かなバランスをたたえた精密な図形を、私たちの祖先が、測量の尺度にしようと考えたとしても不思議ではありません。
円を1周するのに、12の目盛を通過します。これを「位」として数字を表記するのです。
特に、循環する「時間」を計測する際には、円周上の目盛を用いることが、最も理にかなっています。
また、方位(角度)を見定める際にも、「円」にもとづいた計測が必要になります。
おそらく、「十二進法」の始原は、このような「理知的」な作業を根拠としています。
ある意味で、「単純」な「十進法」とは対照的なものです。
その他、4大文明のひとつである「メソポタミア文明」では、「六十進法」が使われていました。現代の私たちの感覚からすると、特異な印象を受けますね。
「六十進法」については、60は、多くの約数を持っている数字であるために便利であったという説明がなされます。私は、小学生のときに、ある先生に、「どろぼうが盗んだ財宝を山分けするのに便利だから彼らは『六十進法』を使っていたんだよ」と教えられました。
(「小数」や「分数」という概念を用いずに数量を割るときに、なるべく細分化された「位」であるほうが有用だったのです。)
同時に、10と12の「最小公倍数」であるということが、「六十進法」が用いられた理由のひとつであるような気がします。
ただし、これは、完全な「六十進法」ではありませんでした。
60個すべての「数字」に独自の表示が与えられているわけではないのです。
これらは、「十進法」を用いて数え、「六十」で「位取り」を行うものです。
同じような「六十進法」は、現代の「時間の単位」のなかにあらわれます。
「1時間」=「60分」、「1分」=「60秒」です。
1週間は7日ですから、ある意味では「七進法」です。
これは、ちょっと特殊な成り立ちです。
古代の人々が、神様に「6日働いて、1日休みなさい」と命じられたことがその由来です。
休みの日を「安息日」といいます。これが日曜日となりました。
そうすると、「週」は「六進法」の変形であるといえます。
「十二進法」の説明で触れたように、6もまた、安定的な数字です。
ちなみに、イスラム教の「安息日」は金曜日です。
「二十進法」もあります。
「二十進法」は、「十進法」を発展させたものであるとみることができます。
フランス語を学習する人は、みな、数の数え方に愕然とします。
フランス語の「70」は、「soixante-dix」(ソワサント ディス)と表記しますが、これは「60+10」を意味しています。英語でいえば「sixty-ten」と表記していることになります。
「80」には、さらに困惑させられます。「80」は「quatre-vingts」(キャトル ヴァン)と表記しますが、これは「4×20」を意味しています。英語でいえば「four-twenty」と表記していることになります。
「90」は「quatre-vingt-dix」(キャトル ヴァン ディス)で、「4×20+10」です。
英語でいえば「four-twenty-ten」となります。
このような、フランス語の、変則的な数の表記法は、「二十進法」の名残です。
古くは、「40」を「2×20」、「60」を「3×20」と表示していたはずです。
フランス語に現存する奇妙な表記法は合理的であるとはいえませんが、フランス人は、「文化」を堅持することに対して、ある種の「誇り」を感じているのかもしれません。
「五進法」は、「十進法」を前提として成立します。
5の二倍が10、あるいは、10の半数が5です。
ローマ数字は「五進法」を使っています。
Ⅰ=1
Ⅱ=2
Ⅲ=3
Ⅳ=4
Ⅴ=5
Ⅵ=6
Ⅶ=7
Ⅷ=8
Ⅸ=9
Ⅹ=10
また、クラス委員を決めるときなどの集計の際に用いられる「正」も、「五進法」であるといえます。
例:正正正正 =「20票」
「二進法」は、見えないところで私たちの生活を支えています。
コンピュータのプログラミングは、「二進法」を用いています。
中学入試では、「二進法」を用いた問題が出題されることもありますね。
その他にも、さまざまな数の表示法「~進法」が併用されていました。
それは、実は、「小数」という概念がなかったからです。
17世紀に「小数」が発明されたことによって、整数の「間」を表示することができるようになりました。それによって、ほとんどの「単位」が、ようやく「十進法」に統一されることになったのです。
しかし、それでも依然として残留している「例外」が存在します。
さて、みなさんは、それを、「面白い」と感じるのでしょうか、それとも、「面倒だ」と感じるのでしょうか。
(ivy 松村)