地頭がいい?

「地頭」と書かれてある言葉を見て、一般の人は「ジトウ」と読みます。中世の日本で荘園の管理や税の徴収をする役職です。

 

これを「ジアタマ」と呼ぶことがあります。憶測ですが、教育関係者の間で使われはじめたのが広まったのではないかと思われます。

 

漢字で構成された二字熟語に、読み方によって二つの意味を持たせることはよくありますね。

 

「上手、生物、市場、風車、人気、大事、大家、見物、色紙、寒気、分別、金星、今日、最中…」など。

 

さて、「ジアタマ」という言葉は、「その人が持つ本来の頭脳の性能」というような意味を表すようです。

ほとんどの場合「あの子はジアタマがいい」というように、子供に対する評価として使われます。つまりは褒め言葉の一種なのですが、ちょっと不思議な言葉です。

 

この言葉の概念は非常にあいまいです。先天的な素質に言及したいのか、家庭での教育環境を示唆したいのかよくわかりません。

 

また、「ジアタマのよさ」を裏付ける根拠や指標、評価の尺度もありません。多くの場合、「見ていればあの子はジアタマがいいのがわかる」というような、主観的な判断で語られます。数値化したり、証明したりできないので、ただ、「いい」とだけ評されます。

 

つまり、これは全く科学的ではない、ただの通俗的な会話の題材とか、社交のツールといったたぐいのものだといえます。いってみれば、血液型占いのようなものです。

 

この言葉を使って生徒を評する塾講師がたくさんいます。その理由を考えてみました。

 

・褒め言葉なので言われた保護者も悪い気がしない

・成績が良くない生徒にも使え、褒め言葉として汎用性が高い

・根拠なく使える

・実際の成績にあらわれない生徒の素質を見抜く自分、かっこいい

 

以上のような効用があり、とても便利な言葉なので、きっと営業の殺し文句として口癖になっている人もいるのかもしれません。

それでも、保護者に対してお世辞として使う分にはまだ理解できるのですが、講師どうしが軽口で生徒を評してこの言葉を使っているのを聞くと違和感を覚えてしまいます。

 

この言葉は、あたかも責任回避の呪文のようです。生徒の学力には、自分たちの及ばない因子が働いているという口実となります。生徒の学力を伸ばすことができなくても、それは教務力のせいではなく、「ジアタマ」のせいである、という考えに反転します。自分の教師としての能力を正当化してくれるのです。

それでいて自分を高みに配置し、「人の資質を判断することができる高邁な自分」に酔うことができる、魔法の言葉です。

 

塾講師にとって、「ジアタマ」というような視点は、無意味だと思います。

 

・成績のいい生徒で「ジアタマがいい」という評価→当然の帰結であって、中身がない

・成績の悪い生徒だが「ジアタマがいい」という評価→ただの空虚な慰め

・「ジアタマが悪い」→ただの人格攻撃

 

塾は勉強を教えるところです。成績や入試結果以外のもので頭脳の出来不出来を述べても空しいだけだと思っています。

 

科学的な尺度のない評価はただの感想です。

(ivy 松村)