大学入試改革の話

大学入試改革が「ごたごた」しているさまを見て、大学の受験を憂慮する声があがります。

 

国立大学入試がどうなるかわからない→それで、私立の附属へ進学、という「方策」が提唱されるわけです。

 

結論からいえば、今のところ、それはちょっと「過敏」だと思います。

 

 

まず、多くの場合、こうした話をリードするのは、「受験産業」や「教育産業」の「関係者」であるということに留意が必要です。

 

塾や予備校、通信教育などの「受験産業」は、歴史的に、教育や受験への「不安」を煽ることで、「需用」を喚起し、成長してきました。

 

また、それ以上に注意深く聞き分けるべきであると思われるのは、国公立大学の「競合者」の思惑です。端的に、私学を経営する「産業組織」は、これを「ビジネスチャンス」に変えようと血眼になっているわけです。

 

私立大学(や私立学校)は、大学入試改革を「利用して」学生(生徒)を集めたいわけです。

 

 

 

少し冷静になって考えてみればわかりますが、国立大学への進学が難しくなるわけではありません。「募集人数」が少なくなるわけではないのです。

 

国立大学が受け入れる学生の数が減らされるわけではありません。

 

 

選抜の制度が変わります。

それが不利になる人もいれば、有利になる人もいるでしょう。

なぜか、「新しい制度は不利だ」と誰もが考えてしまうわけですが、むしろ、新しい制度を「追い風」にすることができるかもしれないわけです。

 

そうでなくても、落ち着いて、「なすべきこと」を考えてみれば、新しい制度に対応した勉強をしていけばよい、という結論にたどり着くはずです。

 

 

 

現在議論されている「改革」の内実は、ものすごくざっくりといえば、「記述式(論述式)の問題」を導入したいということです。

(で、「採点をどうする?」ということでもめているわけです。)

 

ということは、「記述式の問題」に対応できる学力を身につけいけばいいわけです。

それは、「国立大学への進学を念頭においている中学生」にとって、「本来必要とされる学力」です。

よく知られているように、国立大学の二次試験では「記述式の問題」が出されるわけです。

 

従来の国立大学入試にくらべて、度し難いほどの大きな負荷が課せられるということはなさそうに思います。

現時点では何ともいえない部分もありますが、むしろ、自分の得意なタイプの試験に様変わりして、有利になるかもしれないわけです。

 

 

 

多くの中学生、高校生が「記述」を苦手としています。

そのため、「記述式の問題」に対する不安が大きくなるのも理解できます。

 

しかし、「記述」は、ある意味で避けては通れない「宿命」なのです。

 

大学入試を、「社会的上昇」のための「関門」であると考えるならば、そこで「記述する能力」を問われることは、まったくの「必然」です。

 

 

国立大学が、入試選抜で「記述」を重視するのには理由があります。

 

 

「入試選抜」の本質的な「機能」は、能力のあるものを引き上げて高度な教育を施し、最終的に、知識や技能、技術を有した人材を、社会のある一定のポジションに割りあてたり、配置したりすることです。

 

それは、産業組織や官僚組織のなかで、生産性を上げるための企画を策定したり、社会や組織全体を管理したりするような「上部の職域」であるといえます。

 

こうした「企画・管理」部門を担う人材には、「記述する能力」が求められるわけです。

 

たとえば、「論文」、「報告書」、「企画書」、「契約書」、「意見書」、「説明書」…など。

 

社会的に高い地位、評価を与えられるような「仕事」には、「書く」という業務が付随しています。

 

つまり、文書(文章)を作成する技量がなければ、「上部の職域」を担うことができないわけです。

 

 

国立大学の二次試験では「記述式の問題」が出されます。それは、志願者に「記述する能力」を錬成させたうえで、それを審査するためです。

 

また、入学後、大学で行われる授業の成績評価の方法も、「記述式の試験」を受けたりレポートを作成したりすることが中心になるわけです。

 

 

 

現在進められている「改革」の「社会構造的」問題点は、あらゆる「階層」に「記述の能力」を求めようとしている点です。この視点は、「完全に見落とされている」と思います。

 

上述したように、社会の「上部の職域」には文書(文章)を作成する技量が要求されます。

しかし、すべての職域で、その技量が必要であるというわけではないのです。

 

「書くこと」とは別の能力や技能、才能を育むべき職業もたくさんあります。

職人とか、技術者とか、漁師とか、デザイナーとか…。

 

こうした仕事を担う人たちは、自分の中にある「書くこと」とは別の能力を開発していくことで、一流の職業人になることを目指すわけです。

 

 

 

「ゆとり」のときもそうでしたが、教育や入試選抜の制度を変えようとする人たちは、どうも、「理想」というか、「思い込み」を優先してしまうように見えます。

 

 

 

それにしても、「新テスト」ですが、いろいろと「骨抜き」になるのは間違いなさそうです。

 

もちろん不安も大きいわけですが、「チャンス」でもあるわけです。

 

「入試」のことだけに目を奪われるような層の一部は、いち早く私学へと「方向転換」します。幸いなことに、競争相手がいなくなってくれるわけです。

「どうしても国立大学に入りたい」という人にとっては、「好都合」です。

「煽り」を真に受けてしまった人たちが国立大学受験を忌避してくれるおかげで、「国立大学に入りやすくなる」かもしれません。

 

 

再度記しますが、国立大学が受け入れる学生の数が減るわけではないのです。

 

 

(ivy 松村)

 

 

「馳文部科学大臣の発言」について考えてみる

今年は、「大学」に関するニュースで、2つの「改革」が大きな話題になりました。

 

ひとつは「大学入試改革」です。

大学入試センター試験にかえて、「新テスト」の導入が決まりました。

 

もうひとつは「国立大学改革」です。

国立大学の人文社会科学系の学部の「廃止」を、文部科学省が推進しようとしていると受け取られ、大きな反発を招きました。

 

これらのニュースについて、少し考えてみました。

 

でも、「国立大学改革」については、ある程度考えをまとめてみましたが、ちょっと書きにくい内容になってしまったので、載せないことにしました。

 

今回は、 もうひとつのトピックである「大学入試改革」に関して、馳文部科学大臣が行った発言について考えたことを書いてみようと思います。憶測や仮定などを含んだ部分もありますので注意してください。かなり踏み込んだ考えも書いていますが、まあ、世の中にある意見のひとつであると、鷹揚に受け止めていただければと思います。

 

 

 

さて、センター試験にかわる「大学入学希望者学力評価テスト」は2020年に導入される予定です。

しかし、先月に文部科学大臣に就任した馳大臣は、新聞社のインタビューで、このテストについて、導入の時期を先延ばしする可能性を示唆しました。

 

新しい文部科学大臣の「リーダーシップ」への期待感もあり、この発言は大きく注目されました。

私は、この馳大臣の発言を、「個人的な思い」の表れであると受け止めることを、今は保留しています。馳大臣が、どのようなタイプの政治家なのか、まだわからない部分があるからです。世間が思っているような「単純な発言」だった可能性もあります。

 

しかし、おそらく、用意された発言だったのではないかと考えています。

 

 

安倍総理大臣は、よく言われるように「保守本流」の政治家だと思います。

経済政策においては、政府の役割を小さくしようという考えを持っています。

 

一方、教育の分野では、政府の役割を大きくしようと考えています。

それは、第一次政権のときから強く打ち出されていました。

 

前任の文部科学大臣だった下村さんは、安倍さんと政治的な考えが近く、また、長年安倍さんに近い立場、役職で政治活動をされてきた方です。

3年前に政権をスタートさせるときに、安倍さんは、自身が強い信頼を寄せる政治家である下村さんを文部科学大臣に任命したのです。

 

おそらく、安倍総理は、文部科学大臣というポストを、世間が思う以上に重要視しています。だからこそ、自分の意をしっかりと汲んでくれる人を文部科学大臣に抜擢するのだと思います。

 

安倍総理大臣の様々な発言を見聞きしても、教育行政のテコ入れに、強い意欲と関心を持っていることがわかります。

政府主導で教育の「改革」を行っていくために、文部科学省を担当する国務大臣は、忠実に仕事を実行することができる人物を起用する人事となるわけです。

 

今回の内閣改造で文部科学大臣となった馳さんは、経歴や「党人」としての立ち位置も含めて、安倍さんの構想に合致する人だと思います。

 

 

安倍総理大臣は、小泉さんの政治手法に大きな影響を受けていると思います。

なかでも、「政府・与党執行部」が中心となって政治を動かすやり方は、とても似ています。

 

安倍さんが志向するのは、政府・与党の中枢が各省庁を主導的に指揮し、円滑に政策が施行されるような体制です。

 

安倍政権の閣僚(国務大臣)には、官邸(政府・与党)が決定した政策を、各省庁と連絡を取りながら実行する「実務能力」が求められるわけです。

 

つまり、馳大臣は、旧来の政治家のように、「独自色」を打ち出すことを求められたり、許されたりするような職務に就いているわけではないのです。

 

 

ですから、馳文部科学大臣が公にする発言は、政府の方針を代弁したものである可能性が高いといえます。

 

(もちろん、これは、馳大臣が、軽はずみに「個人的な思い」をメディアの前で話さない、という政治家としての基本的な資質を有していることが前提です。)

 

 

現代政治の力学をふまえて考えてみると、馳大臣の言葉は、文部科学省の「お役人」や関係者に向けて発せられています。

 

つまり、今のようないいかげんな案のままでは、予定どおりに「新テスト」を導入させるわけにはいかない、という警告をしているということです。

 

馳大臣の発言を聞いた文部科学省の「お役人」は、予定どおりに「新テスト」が導入されるように、現行の案の見直しを迫られます。

また、これがメディアをとおして発信されたことによって、「新テスト」がいいかげんなものになっていないかどうか、国民の「監視」を受けることになります。

そのため、言い逃れたり押し切ったりすることができなくなります。

 

馳大臣の発言は、そのことを計算したものだと思います。

 

 

 

私は、今の段階では、「新テスト」は、予定どおりに導入される可能性のほうが高いと思っています。

もちろん、未来のことは現時点ではわかりません。

しかし、すくなくとも、馳大臣は「新テスト」の導入時期を本格的に見直そうと考えているわけではないと思います。

件の発言は、その意図を現実的に読み取れば、要するに、「間に合うようにやりなさい」というものに過ぎないわけですから。

 

 

政治家が目指すのは、「お役人」の面目を潰すことではありません。

政治家は、「お役人」に力を貸してもらいながら、政治的な理想を実現することを目指します。

 

馳大臣の発言は、政治的な目的を達成するための手段として、なされているはずなのです。

 

 

 

さて、不透明な部分はあるにしろ、いずれにしても、大学入試の制度が刷新されることになりそうです。

 

おそらく、これは「受験業界」の再編の引き金となるでしょう。

 

センター試験が導入されたのは1990年ですが、それを契機として大手予備校が全国各地に「勢力」を拡大することになりました。

多くの受験生を抱えている予備校ほど、精度の高い情報を持ち得たことが大きな理由のひとつです。

 

予備校は、センター試験を受けた受験生の自己採点を集計して「ボーダー」等の分析を行うわけですが、こうした情報の取得は、「サンプル数」を多くかかえる大手が圧倒的に有利となります。

大手予備校は、特に国立大学を目指す生徒が求めるセンター試験の情報を武器に、さらに多くの学生を集めました。

 

こうして、90年代以降、地元の中小の予備校ではなく、全国展開している大手予備校へと学生がよりいっそう集中する状況が作られていったのです。

 

今回も同じように、「新しい入試」に呼応して「受験業界」の変化が訪れることになると思います。

 

 

 

生徒たちも大変ですが、私たちもうかうかしてはいられません。

「新テスト」をふまえた万全の指導を行えるように、しっかり準備していきたいと思います。

 

 (ivy 松村)