定期試験勉強のこと

今週末から保護者面談が始まります。

 

面談希望日を提出いただいたご家庭には、順次、面談予定日を設定し、お伝えしています。

すでに何日か、予定が埋まってしまった日もありますが、まだ、平日などは十分に余裕がございます。

面談希望日を提出されていないご家庭は、お早めにご提出くださいますよう、よろしくお願いいたします。

 

 

 

今週が中間テストの中学の生徒は、まさに今が「正念場」となっています。

明日、明後日が試験、精一杯頑張ってください。

 

 

一方、ほとんどの中学で中間テストが終わりました。

 

中間テストが終わった生徒のみなさんは、点数の報告をお願いします。

すべての答案が返却されたら、「中間テストレポート」を提出してください。

また、教科ごとの平均点や得点分布が記載された「資料」を塾に持ってくるようにお願いします。

 

 

 

中3は、2学期の中間試験と期末試験の間の「この時期」がとても大切です。

中学の勉強から距離を置いて、「受験勉強」に傾注することができるからです。

 

塾の教師として、「定期テストに煩わされることなく受験勉強だけに専心させたい」という思いは「やまやま」ですが、「この塾の生徒」のことを思うと、どうしても、定期試験前にはテスト勉強の時間をするべきであるという「結論」になります。

 

「特別選考」の復活を期待していたのですが、また、しばらく「その線」がなくなってしまったので、都立高校を志望する生徒にとっては、やはり「学校の成績」というのは大事です。

 

結局、定期テストに対する「余念」を抱えたまま「入試のための勉強」を継続するのは、「マイナス」が大きいと考えました。

 

「やる気」になっている生徒が、とことん「自分の意志」で勉強をやろうというのを、「止め立て」できないわけです。

 

心情としては、「受験勉強」をしてもらいたいと思いますが、あんなに勉強嫌いだった生徒たちが、一心に定期テスト勉強に取り組んでいる姿を見ていると、やはり、「この塾の生徒たちにとっては、これが正解なのだ」と思えます。やはり、その分「遅れ」が生じるわけですが、それは、「こっち」が何とかしてやろう、と思うわけです。

 

 

「学校の勉強」を考慮しない進学塾は、全国にたくさんあります。

そういった塾の指導もまた、「正解」だと思います。生徒が、納得できているのであれば。

 

結局「同じ」です。

「両立」が理想であることは、微動もしません。

 

 

 

中1、中2の生徒たちは、「まだまだこれから」というところですが、中3は、ある程度自律的な勉強のサイクルを構築できていると思います。多くの生徒が、定期テストに向けてどう勉強を進めていくのか、それぞれの「方法論」を確立できています。

 

これまでに、定期テストの勉強の仕方について、何度も何度も注意してきました。

それが、「実」になってきたのだとしたら、とてもうれしく思います。

 

 

 

この塾には、教科書、教科書ガイド、教科書準拠の問題集などがそろっています。

また、生徒たちに提供してもらった「定期テストの過去問」もある程度揃えています。

 

まあ、それは、「活用すべきとき」には活用するし、「活用する必要のないとき」には活用しません。

 

 

このブログにも過去の記事でさんざん書きましたが、「テスト対策」には、もちろん素晴らしい成果もありますが、大きな「弊害」もあります。

 

「点数が上がる」という結果以上に意味のあることなどあるのか、と考える人もいると思います。

 

もちろん、「点数」は大事です。

反面、「過保護」は、生徒の成長を妨げます。

 

 

「目の前」で行われている学校の先生の授業を軽視します。自分の力でものごとに取り組むことができなくなります。永遠に、「手助け」を必要とするでしょう。「手助け」が途絶えたら、その「せい」で被害を被った、と考えるようになるかもしれません。「努力してわかるようになる」ではなく、「楽にわかるようにしてくれ」。

 

あるタイプの生徒は、「点数」は上がりこそすれ、「成績」は上がらないわけです。

 

地道に真面目に取り組むように指導するのが、ついには「そういった生徒」にとっても「プラス」になります。

 

 

 

では、「そうではない生徒」は?

 

シンプルな真理です。

 

地道に真面目に取り組むようになった生徒は、よりいっそう成績を上げます。

 

さらにいえば、「自分の努力」で成績を上げる経験のほうが、数万倍価値があるといえます。

 

 

 

それならば、「塾なのに、勉強を教えないつもりなのか」という疑問があるかもしれません。

 

 

いえ、「受験勉強」と、「定期試験勉強のやり方」を教えているのです。

「そのバランス」を、常に常に考えています。

 

 

 

今回、思うように点数が取れずに悔しい思いをした生徒のみなさん、期末テストをいっしょにがんばりましょう。

 

 

 

補足ですが:

 

そうはいっても、生徒の様子を見ながら必要な範囲で定期テスト対策の「授業」を行っています。

中3の生徒に「おくのほそ道」と和歌についての講義を行ったり、中2のクラスでは2週間ほど集中して「平家物語」の解説と演習をおこなったり、中1のある中学の生徒たちにも社会の解説と演習を行いました。また、ある1人の生徒に対しては、総計4時間、教科書に準拠した英語の問題集の演習と解説を行いました。

さらに、毎回、生徒を呼んで、用意した確認問題を解かせたり、口頭で重要事項の確認を行ったりしています。

 

中3は、1学期から夏期講習にかけて、社会の2学期のテスト範囲となる現代史や公民の学習を終わらせ、英語も単元学習を終えています。その意味では、自分で取り組めなければならない、ともいえますが。

 

 

 

さて、そういうわけで、この塾は学校の勉強に対応した「資源」をそろえていますが、それを十全に、余すところなく活用しているというわけでもありません。

 

それでも、私は、たぶん一般的な塾講師に比べて、中学の教科書をよく読んでいる方だと思います。

また、近隣の中学校の授業やテストついて詳しい方だと思います。

 

 

「中学生に勉強を教える仕事」をしているわけです。

 

 

このブログにも、過去に何度も教科書や定期テストについての記事を書いてきました。

それは、塾の教師にとって「学校の勉強」を知ることは大切なことであるという「発見」を、「共有」したいという思いがあったからです。

 

 

 

塾の仕事は、「真面目な人にとっては」けっこう忙しい仕事だと思います。

それほど「真面目」ではない私でも、なかなか「やりたいこと」をやる時間がありません。はっきりいって、「まだまだ」だと思います。

 

もっと時間があれば、もっと教科書を「研究」できるのに、と常々思います。

 

時間のある塾の教師が教科書を読まないのは、本当にもったいないと思います。

 

 

 

教科書を読めば読むほど、「学校の勉強」というものをよく理解できます。

 

個人的には、特に「国語」は、「入試」と「定期試験」では、「まったく別の技能」を要求されるので、最も「やっかい」だと思います。

 

「入試」は、初見の文章への対応力が「肝」になります。

一方、「定期試験」は、指定された文章を深く理解することが求められます。

 

また、学校の先生によって、問題の質や傾向が大きく異なります。

 

 

ときとして、「受験勉強」よりも学校のテストのほうが「大変」かもしれません。

 

 

 

都立のトップ校への進学を希望している生徒の場合、学校の「定期試験」では、高得点を取ることが求められます。まあ、たとえば90点以上とか。

 

一方、「入試」では、都内トップレベルの受験生が、やっと40点を取ることができるようなテストが存在します。

 

「点数」を見れば「入試」のほうが点を取るのが難しいといえますが、両者は、そもそも「基準」と「位置付け」が同一ではありません。

 

至極当然のことながら、得点の入りにくいスポーツであるサッカーを、得点の入りやすいスポーツであるバスケットボールよりも「難しい」とは言えません。

 

 

都内トップレベルの受験生であっても、90点を取ることが困難な「定期試験」が存在します。

それでも、90点を目指してそれに挑まなければならないのだとしたら、それは恐ろしく過酷な「任務」となるでしょう。

 

 

単純に、「入試」はゴールへの最終関門で、「定期試験」は「プロセスの一部」であるという事実によって、「重要度」が違うのです。そのために、「定期試験」はしばし軽視されるわけです。

 

 

定期試験で高得点を取る生徒がいます。

それは、定期試験に向けて勉強をしたからです。

「塾の勉強だけ」で定期試験の成果を得ることは、不可能です。

どれほど優秀な生徒であっても、それは決して「当然のこと」ではありません。

 

その努力を、讃え、労ってあげたいと思います。

それで、ささやかながら、成績優秀者を掲示しています。

 

 

 

(ivy 松村)

 

 

「学校の怪談」

本日で、平山中と石川中の中間試験が終わりました。

 

石川中の1年生の生徒たちは、中間試験がなかったので、初めての定期テストを経験しました。

陵南中、四中、ひよ中の生徒は、奮闘中です。

 

今回、かなり成績が上がりそうな生徒もいるので、結果が待ち遠しいです。

 

 

 

さて、この3週間ほど、各中学の過去の定期試験の問題を見なおしたり、今回の定期テストの問題をチェックしたり、生徒たちに感想などを聞いたりしながら過ごしました。

 

あらためて気づいたのは、試験問題の「多様性」についてです。

本当に千差万別、いろいろな問題がありますね。

 

 

それにしても、ちょっと複雑な思いを抱かざるを得ないのは、試験問題の「使い回し」についてです。

 

過去問を手に入れることができるかどうか。

それが試験の点数に直結するようなケースが、実技教科で散見されます。

 

 

 

また、ある意味で「亡霊」と呼ぶべき試験問題も存在します。

 

 

 

昨年、中学校の教科書が改訂されました。

そのために、国語の教科書から、姿を消してしまった文章があります。

 

また、教科書の改訂に合わせて、採用する教科書を変更した市区町村があります。

 

 

その影響で、国語の定期試験の問題に、「現在の教科書に載っていない文章」が登場することがあるわけです。

 

つまり、それは、本来なら「現世」には存在し得ないという意味で、「亡霊」なのです。

 

 

「現在の教科書に載っていない文章」が試験に使われるパターンは、2つあります。

ひとつは、学校の先生がプリントなどで、「その文章」を使って授業をし、それを試験に使う場合です。

 

そして、もうひとつは「初見の文章題」として流用される場合です。

 

 

 

これは怖いです。読んだことも聞いたこともない文章が、突然「姿」を現すのです。

 

 

 

「ブルブルッ…」

 

 

身震いしますね。

 

 

 

光村図書の国語の教科書は、巻末に、「旧版」に掲載されていた文章の一部が「付録」のような形で収録されています。これは、非常に行き届いた「配慮」なのでしょう。

この部分を使って、授業をされる先生もいます。

 

これは一応「実体」があるので、「亡霊」とはいえません。

 

 

しかし、新版の教科書には掲載されていない、消え去ったはずの文章が、試験問題として登場することがあるわけです。

 

「亡霊」が、姿を現し、生徒たちを恐怖におとしいれるのです。

 

去年、そして今年も、様々な場所で「亡霊」が猛威を奮いました。

 

 

 

「うわ、わわ…」

 

 

身の毛がよだちますね

 

 

 

「亡霊」は、ある市区町村で採択される教科書の変更があった場合にも「目撃」されることがあります。

 

授業に使う教科書は、学校の先生が自分で決めることはできません。

各市区町村の中学の教科書は、教育委員会によって決められます。

 

教科書が変更になると、学校の先生は大変です。

これまで慣れ親しんでいた授業の「題材」と、離別しなければならないわけです。

 

特に 、規模の小さな中学校の先生にとっては深刻な問題です。

 

学年にクラスが1~2学級ほどしかない中学では、1人の国語教師が3学年すべての授業を担当することもあります。そうすると、1年生、2年生、3年生すべての学年の授業計画を、すべて新しく作成する必要があるわけです。

 

もちろん、試験問題も「新作」しなければなりません。

学校の先生にとって、非常に大きな負担です。

 

 

 

そうです!

 

 

 

学校の先生の「怨念」が!!

 

 

 

恐ろしい「亡霊」を生み出してしまうのです!

 

 

 

 

 

 

「ぎゃ~~!!助けて~~!!」

 

 

 

 

 

同じような「怪奇現象」は、教員の「移動」によっても起こります。

 

当然、別の市区町村から別の市区町村の中学校に転勤した場合に、使用する教科書が変わる場合があるわけです。

 

 

 

やはり、学校の先生の「怨念」が!!

 

…(以下略)。

 

 

 

まあ、「そういった事情」で、教科書に掲載されていない文章が、定期試験で出題される場合があるわけです。

 

 

 

いかにも「夏らしい話」で、背筋がぞっとしますね。

 

 

 (ivy 松村)

 

国語の教科書の確認

改訂された国語を確認しています。

 

 

日野市は、本年度以降も光村図書の国語の教科書を採択していますが、八王子市は教育出版に変更されました。

 

 

教育出版の教科書を、今、少しずつ読んでいるところなのですが、やはり国語の教科書は面白いですね。

 

 

さて、光村図書の国語の教科書は、長年掲載され続けている「定番」の文章と、改訂ごとに差し替えられる文章があります。

 

 

中1の教科書を見てみましょう。

 

※引き続き掲載されている文章:

 

・「ダイコンは大きな根?」

・「ちょっと立ち止まて」

・「星の花が降るころに」

・「大人になれなかった弟たちに……」

・「いろは歌」

・「蓬莱の玉の枝――『竹取物語』から」

・「今に生きる言葉」

・「少年の日の思い出」

 

 

※差換えになった文章

 

 

旧版(なくなった文章) 新版(新しく掲載された文章)
ノンフィクション  ― 「桜守三題」
 ― 「竹」
「木は旅が好き」 「ぼくがここに」
「詩四編」 「詩の世界」
物語 「にじの見える橋」 「花曇りの向こう」
随筆 「江戸からのメッセージ」 「空を見上げて」
物語 「雪とパイナップル」 「光る地平線」
古文解説 「七夕に思う」 「月に思う」
説明文 ※「流氷と私たちの暮らし」 「幻の魚は生きていた」
詩解説 「はじめての詩」  ―

 

「※」は新版では「資料」として掲載されている作品です。

 

 

 

中2の教科書を見てみましょう。

 

※引き続き掲載されている文章:

 

・「アイスプラネット」

・「枕草子」

・「メディアと上手に付き合うために」

・「言葉の力」

・「盆土産」

・「字のない葉書」

・「君は『最後の晩餐』を知っているか」

・「音読を楽しもう 平家物語」

・「扇の的――『平家物語』から」

・「仁和寺にある法師――『徒然草』から」

・「漢詩の風景」

・「モアイは語る」

・「走れメロス」

 

 

※差換えになった文章

 

 

旧版(なくなった文章) 新版(新しく掲載された文章)
ノンフィクション  ― 「小さな町のラジオ発」
論説文  ― 「科学はあなたの中にある」
 ― 「落葉松」
 ― 「鍵」
「明日」 「見えないだけ」
説明文 「やさしい日本語」 「生物が記録する科学」
短歌 「短歌十二首」 「短歌を味わう」
物語 「旅する絵描き」 「世界で一番の贈り物」
説明文 ※「五重塔はなぜ倒れないか」  ―

 

「※」は新版では「資料」として掲載されている作品です。

 

 

中3の教科書を見てみましょう。

 

※引き続き掲載されている文章:

 

・「握手」

・「月の起源を探る」

・「俳句の可能性」

・「批評の言葉をためる」

・「高瀬舟」

・「挨拶――原爆の写真によせて」

・「故郷」

・「音読を楽しもう 古今和歌集 仮名序」

・「君待つと――万葉・古今和歌集・新古今」

・「夏草――『おくのほそ道』から」

・「わたしを束ねないで」

 

 

※差換えになった文章

 

 

旧版(なくなった文章) 新版(新しく掲載された文章)
情報  ― 「『想いのリレー』に加わろう」
論説  ― 「新聞の社説を比較して読もう」
ノンフィクション  ― 「エルサルバドルの少女 ヘスース」
 ― 「初恋」
「朝焼けの中で」 「春に」
俳句 「俳句十六句」 「俳句を味わう」
論説 「ネット時代のコペルニクス」 「作られた『物語』を超えて」
評論/論説 「聴くということ」 「誰かの代わりに」
漢文 「学びて時にこれを習ふ――『論語』から」  ―
小説 ※「蝉の声」  ―
随筆 ※「アラスカとの出会い」  ―
随筆 ※「温かいスープ」  ―

 

「※」は新版では「資料」として掲載されている作品です。

 

 

「不動」の文学的文章は、やはり外せないので、説明的文章が頻繁に差し替えられます。

 

論説文や説明文は、「時代的な要請」や「流行」もあるので、なかなか「定番化」するのは難しそうです。

 

長年掲載されているのは、中1の「ちょっと立ち止まて」ぐらいでしょうか。

後は、中1の「ダイコンは大きな根?」、中2の「モアイは語る」、中3の「月の起源を探る」が、なじみの文章になりつつありますが。

 

 

構成面での変化は、「ノンフィクション」が掲載されるようになったことと、詩の掲載が増えたことです。

 

 

 

ところで、中2の教科書には「走れメロス」が載っています。

 

以前、「メロス」の「ス」の「ヽ」の部分を執念深く消しゴムでこすって消して、「フ」となった部分を、また根気よく消しゴムで整えて、最後にペンで丁寧になぞって「ン」に書き換えていた生徒がいました。

 

「走れメロン」。

 

 

 

・・・その「センス」はくるおしいほどに大好きですが、教科書を大切に使ってください。

 

 

整然としているもの、規律正しいもの、神妙なもの、静謐なもの、実直なもの、健全なもの、誠実なもの、真面目なものが「苦手」な人間は、そういったものを「汚す」ことで、精神的に落ち着こうとします。

 

教科書やノートやプリントに無意味な線を書きつけたり、だらしない文字を書きなぐったりして、「きちんとしたもの」が汚れると、安心するわけです。

 

プリントなどを整理せずに破いたり、おかしな折り目を付けたり、消しゴムを鉛筆で刺しまくったり、机に文字を彫ったりするのも、同じような幼稚な精神の表れです。

 

 

早く、精神的に成長しましょう。

 

 

 

中学の国語の教科書は、もっとも完成された「教養書」です。

 

これをおろそかに扱うのは、本当にもったいないと思います。

 

 

(ivy 松村)

 

英語の教科書の確認(と「Hero」の歌詞)

日野市では、英語の教科書は引き続き「NEW CROWN」が採択されています。

 

 

「NEW CROWN 3」

 

旧版と同じトピックを多く扱っていますが、同一の文章を使っているのは数ページだけですので、全体の変更箇所は非常に多かったといえます。印象では7、8割ぐらいの変更があったように感じます。

(あまり変更がみられなかった「TOTAL ENGLISH」とは対照的でした。)

 

旧版では8回あった「Lesson」が7回になっています。

そのうち、5つが同じ題材の「Lesson」になっていますが、内容はほとんど差し替えられています。

 

「Lesson 1 My Favorite Words」

・・・スキットの一部が変更されていますが、「Read」は同一です。

 

「Lesson 3 Rakugo Goes Overseas」

・・・題材は同じですが、全面的に書き換えられています。

 

「Lesson 4 The story of Sadako」

・・・スキットが大幅に変更されています(「Read」は同一の文章です。)

 

「Lesson 6 I Have a Dream」

・・・題材は同じですが、全面的に書き換えられています。

 

「Lesson 7 English for Me」

・・・タイトルは同一ですが、内容が全面的に書き換えられています。

 

また、旧版の「Lesson7」で扱われた「We Can Change Our World」が、「Let’s read 2」で扱われていますが、文章全体が差し替えられました。

 

その他「Practice」や「Word Bank」(旧「Word Corner」)であつかう表現や単語も増加しています。

 

 

 

※本文に少し変更があった箇所:

 

p6

・「Cool.」→「Great.」

・「It’s perfect for our class.」→「Right. We must help each other. The motto is perfect for our class.」

 

p36

「This building was destroyed in August 1945.」

→「This building was destroyed in 1945.」

 

「The Dome also reminds us of the importance of peace.」

→「The Dome also expresses us the hope for peace. We should remember importance of peace.」

 

 

その他の変更点など:

 

p22

・「What’s matter?」→「What’s wrong?」

・「Let’s go to the nurse.」→「You should go to the nurse. I’ll take you.」

 

p48

「I’ll take this chocolate cake.」「Very good. Anything else.」「Yes, please. Would  you add this card to the box?」

→「I’ll take this cake.」「All right. shall I wrap it for you?」「Yes, please. It’s for a birthday party.」

 

 

 

「英語の歌」は、旧版では「Take me home, country road」「Imagine」が紹介されていましたが、新版では「Heal the world」「Change the world」「You Raise Me up」が取り上げられています。マイケル・ジャクソン、エリック・クラプトン、シークレット・ガーデンですね。

90年代以降のロック、ポップスを大胆に取り上げていますね。

 

 

 

「TOTAL ENGLISH 3」

 

 

八王子では、英語の教科書の採択に変更がありました。

2年生、3年生は引き続き「TOTAL ENGLISH」を使用しますが、1年生は「ONE WORLD」を使用することになっています。

 

「TOTAL ENGLISH」は、この度の改訂で、旧版よりも情報量が増えたので、敬遠されたのでしょうか。八王子市は、比較的「易しい」内容の英語の教科書を採択したいという意向があるのかもしれません。

 

 

新版では、これまで2ページに分けて書かれていたスキットや文章を1ページにまとめ、その分、「Activities」などの演習のページを増やしています。さらに全体も20ページ増えました。

 

旧版にくらべて「分量」が30パーセントほど増えているように感じます。

 

しかし、本文は旧版とほとんど同じなので、全体の構成の7、8割は変わっていない印象です。

 

旧版に準拠した「ワーク」なども、引き続き活用できそうです。

 

スキットなどに大きな変更があったのは、「Lesson 3」と「Lesson 6」です。

 

 

旧版の「Lesson 3」は「E-mails from the U.S. and India」というタイトルでしたが、新版は「E-mails from Alaska and India」となっています。

 

後半の「India」の部分は変わりませんが、前半の「3A」と「3B」が全面的に変更されています。

 

「Lesson 6」は、タイトルやテーマは同じですが「3A」に変更がありました。

 

 

その他、p15、p43、p61、p89の「Review 2」の「Reading」文章が差し替えられています。

 

また、p86「Chapter 3 Project」の「大切な人について書いてみよう」が、「尊敬する人についてスピーチをしよう」に変更されています。

 

 

 

※本文に少し変更があった箇所:

 

p6

「I like sleeping more than eating breakfast.」→「I want to sleep more than eat breakfast.」

 

「I eat ham, eggs, salad and bread with butter.」(追加)

 

p32

「Yes, here you are.」「They’re a little big for me.」

→「Yes, here you are.」「Thanks. Oh, they’re a little big for me.」

 

p33

「Please show me this watch.」「Sure.」「How much is it?」

→「Please show me this watch.」「Sure.」「Thanks. How much is it?」

 

p39

「I’m in India now. “When in Rome. do as the Romans do.”」

→「I’m in India now. “When in Rome. do as the Romans do.” Right?

 

p83

「It is interesting to know such difference between language.」

→「It is useful to know such difference between language.」

 

 

 

「英語の歌」は旧版と変わらず、「We are the world」「If we hold on together」「Hero」が取り上げられています。チャリティソングとダイアナ・ロス、マライア・キャリーですね。

 

 

 

ところで、「Hero」は、アメリカで非常に人気のある曲です。

その曲名になっている「hero」という言葉は、アメリカ人の気質やアメリカ文化を象徴するものであるといえるかもしれません。

アメリカ人は、信念をもって困難を乗り越えようとする人間、犠牲的精神をもって社会に貢献しようとする人間、行動で人々を奮い立たせようとする人間に対して「熱狂的な敬意」を抱きます。

 

この曲は、一聴、待ち望んだ「hero」が、いつか自分の前に現れるのだということを主題としているように思えます。

 

 

でも、「Hero」の歌詞をよく読んでみると、この歌にはもっと深い意味が込められていることに気づきます。

 

「本当のheroは、あなた自身の中にいる」と歌っているんですね。

 

 

最後の部分をわかりやすく訳してみました。

 

 

  :

Lord knows

Dreams are hard to follow

 

But don’t let anyone

Tear them away

 

Hold on

There will be tomorrow

 

In time

You’ll find the way

 

 

And then a hero comes along

With the strength to carry on

 

And you cast your fears aside

And you know you can survive

 

So when you feel like hope is gone

Look inside you and be strong

 

And you’ll finally see the truth

That a hero lies in you

  :

確かに

夢を追いかけるのは大変なこと

 

でも、その夢を

打ち砕かせてはいけない

 

あきらめないで

明日はあるのだから

 

時がくれば

あなたの道が拓けるはず

 

 

やがて、heroは姿を現す

不屈の強さを携えて

 

恐れることはない

あなたは、最後までやり遂げることができる人

 

だから、希望が見えなくても

自分を強く持って、自分自身を見つめて

 

そうすれば、真実に気づくはず

heroは、あなた自身だということに

 

 

(ivy 松村)

 

 

新版の社会の教科書の確認

今年改訂された中学の教科書を確認しています。

 

日野市の社会は、地理が帝国書院、歴史が東京書籍です。公民は帝国書院から東京書籍に変更されています。

 

帝国書院の地理の教科書は、構成や内容が大きく変更されています。

ページ数は変わらないのですが、情報は増えています。

 

サイズが大きくなり物理的に写真や文字のスペースが増えたことと、記述がこれまでよりシンプルになったことで、記載される情報がより多くなっています。

 

勉強量は増えることになるわけですが、新しい教科書のほうが、学習効果が高いと思います。

 

 

これまでのものは、「コア」ではない情報にスポットが当てられたり、それほど重要ではない内容が冗長に記載してあったりして、「ぼんやり」した印象でした。

 

新しいものは、記述が簡潔になり、構成もコンパクトになったために、何が重要で、何を覚えるべきなのか、把握しやすくなっています。

 

 

特に、「第2章 世界の人々の生活と環境」が大きく変更されています。

 

まず、全27ページから全18ページに圧縮されています。

 

率直にいって、この単元は、中学生になったばかりの1年生の関心や興味をひくために、世界の特徴的な生活様式を取り上げているところで、地理の学習としては中身が「薄い」ところです。

 

また、各教科書で記載されている内容が違いすぎて、塾としては「扱い」に困っていた単元でもあります。

 

「シベリアでの生活」や「アンデス山脈での生活」を、だらだらと2学期まで取り上げるような授業がなくなると思えば、それは非常に生産的だと思います。

 

 

内容にもかなりの変更がありました。「暑い地域の暮らし」の例として取り上げられる国がツバルからインドネシアになり、また、スペインの生活が「温暖な地域の暮らし」の例として新しく加えられました。

 

読んでみると、スペインの「昼寝」の習慣である「シエスタ」が紹介されていました。

私はスペインに1か月ほと滞在したことがあるので、ちょっと懐かしくなりました。大きな都市ではそうでもないのですが、田舎に行くと、夏は夕方まで「シエスタ」ということで、お店なども全部閉まってしまい、困ることもありました。

 

さらに、この「第2章」では、詳細に「世界の気候」を説明するページが設けられています。

 

 

全体的に無駄な情報が削減されて、「地理」の学習にとって定番となる重要な情報が整理されて詳しく記述されています。

 

学習する「量」は増えると思いますが、アプローチの「質」があがるので、意欲のある生徒にとっては学習しやすい教科書になったと思います。

 

 

 

その他、注目されるのは「領土問題」の説明にページを大きく割いていることです。

 

地理の教科書だけではなく、歴史の教科書でも、「領土問題」は大きく扱われています。

 

この件に関して、できるだけ客観的に意見を述べるとすると、「相手国」が、自国の教科書に「領土問題」を載せないのであれば、日本も、教科書に載せないという選択を考えることができるのだろうと思います。日本だけが「領土問題」を教科書に載せてはならないという合理的な理由は見つかりません。どちらかといえば、挑発されているのは日本の側であって、「その結果」、反響的に「領土問題」はクローズアップされざるを得ないのだろうと考えます。

 

 

 

さて、東京書籍の歴史の教科書は、扱いが大きくなったり、記述が詳細になったりした箇所がいくつかみられました。

 

まず、「ギリシャ・ローマの文明」が「本文」で扱われるようになっています。

それから、平安期の「武士団の成長」の説明がより詳しくなりました。

そして、これまで記載のなかった江戸時代の新井白石の政治についての記述がみられるようになりました。

 

18世紀、19世紀の欧米の情勢も詳しく書かれています。

これまで記載のなかったドイツの政治家ビスマルクやロシア皇帝ピョートル1世も取り上げられています。

 

幕末期の説明も詳細になりました。新選組の説明コーナーも設けられています。

さらに、明治初期の外交政策、特に「国境と領土の確定」について、詳しい経過が述べられています。

 

また、戦間期の社会情勢の説明が詳しくなっています。張作霖爆殺事件などの記述も加えられています。

 

最後の章、節では、「日本社会の課題」として震災を受けた被災地の復興や防災対策等が取り上げられています。

 

 

(ivy 松村)

 

 

「ん」の話

「打消」の助動詞には「ない」「ず」「ぬ」に加えて、「ん」があります。

 

この中で、「ん」は、方言や話し言葉にみられるものです。

標準語では「~ませ」という言い方にあらわれます。

 

 

「走る」という動詞を打消してみましょう。

 

例:

走らない

走らず

走らぬ

走らん

 

 

「ん」と「ぬ」は音が近いので、口語文法の説明で、これらを同一視しているものもあります。

文語(古文)では、「ん」と「ぬ」は別の単語ですので、分けて考えなければなりません。

 

 

古文を読むときには、「ん」に注意が必要です。古文を読んでいて、「ん」が出てきても、「打消」の意味で読み取ってはいけません。

古文では、「ん」は「意志」や「推量」などの意味を持つ助動詞として使われます。

(「ん」は「む」と表記されることもあります。この場合、いずれも「ん」と発音します。)

 

例:

我、行か。 (私が行こう。) 「意志」〈~ウ/~ヨウ、~タイ〉

彼、行か。 (彼が行くだろう。) 「推量」〈~ダロウ、~ウ/~ヨウ〉

 

 

古文で「行かん」という言葉が出てきても、「行かない」という意味ではないので、注意しましょう。

 

 

では、中3の教科書(光村図書)で、「ん」の使われ方を確認してみましょう。

 

151ページ(『奥の細道』):

春立てる霞の空に白河の関を越え)、と…

 

「立春の頃に、霞の立ちこめる春の空の下で白川の関を越えようと…」

教科書では「超えたい」という訳がつけられています。

 

 

251ページ(『史記』):

虞や虞や 若(なんじ)を奈何(いかん)せ

 

「虞よ、虞よ、そなたをどうしよう。(どうすることもできない。)」

悲運の将軍項羽の嘆きの詩の書き下し文です。反語となっている表現にも注意しましょう。

 

 

 

「打消」の助動詞のまとめです。口語(現代文)と文語(古文)との意味の違いを確認しておきましょう。

 

 口語(現代文)  文語(古文)  例  現代語訳
打消 打消 行か 行かない
打消 完了(打消) 行き 行っ
打消 意志、推量など 行か 行こ、行くだろう

 (ivy 松村)

「ぬ」の話①

夏期講習に入って、中3は、集中的に古文に取り組んでいます。

 

 

高校受験の古文は、高度な文法知識よりも、読解力が重要です。

意味や文脈を類推したり、内容を大まかに把握したりする技術や能力が求められます。

 

しかし、むしろそのために、助動詞について、ある程度の文法的な知識が必要になります。

 

 

特に注意しなければならないのは「ぬ」の識別です。

これは、多くの人が一度は勘違いをする部分にちがいありません。

 

 

古文に出てくる「ぬ」にはおもに2つの用法があります。

 

 

①「打消」の助動詞「ず」の連体形である「ぬ」 (~ない)

②「完了」の助動詞「ぬ」の終止形である「ぬ」 (~た・~してしまった)

 

 

それぞれの例文を見てみましょう。

 

① 雨降らぬ日。 (雨が降らない日。)

② 雨降りぬ。 (雨が降った。)

 

 

それぞれの接続の形を確認しておきましょう。

①の「打消」の「ぬ」には未然形が接続します。ですから、「降る」は「降ら」と活用しています。

②の「完了」の「ぬ」には連用形が接続します。ですから、「降る」は「降り」と活用しています。

 

 

 

②の解釈を間違えないようにしてください。終止形の「ぬ」は「完了」の意味です。

「ぬ」は、映画のタイトルなどでもおなじみですが、勘違いしている人もいます。

 

 

「風立ちぬ」 (風が立った)

「風と共に去りぬ」 (風と共に去ってしまった)

 

 

もちろん、それぞれ「完了」の意味で使われています。

 

 

 

さて、2学期以降の予習です。

光村図書の3年の教科書を確認してみましょう。

 

 

・63ページ(俳句):

プラタナス 夜もみどりなる 夏は来ぬ    石田波郷

 

「夏は来た」という意味ですね。

 

 

・143ページ(和歌、万葉集):

東の 野に炎の 立つ見えて かへりみすれば 月傾きぬ    柿本人麻呂

 

「月は傾いている」という現代語訳が付けられていますが、「ぬ」は「完了」の意味を持つ助動詞であることに留意してください。すでに月は「傾いた」状態にあるのです。

 

 

・146ページ(和歌、古今和歌集):

秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる    藤原敏行

 

初句は「秋が来た」となります。

(この歌は、後日もう少し詳しい文法的説明をします。)

 

 

・154ページ(『奥の細道』):

「国破れて山河あり、城春にして草青みたり」と笠打ち敷きて、時のうつるまで涙を落としはべりぬ。

 

「はべる」は「です」「ます」などに相当する敬語です。文末は、「涙を落としました」という意味になります。

 

 

 

ついでに、2年の教科書も見てみましょう。

 

 

・61ページ(短歌):

はとばまで あんずの花が 散つて来て 船といふ船は 白く塗られぬ    斎藤史

 

「白く塗られた」という意味ですね。

 

 

・134ページ(『平家物語』冒頭部分より)

たけき者も遂には滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。

 

「栄えるものも必ず滅びてしまう」という意味になりますね。

 

 

・145ページ(『徒然草』第五十二段「仁和寺にある法師」):

年ごろ思ひつること、果たしはべりぬ。

 

「長年思っていたことを、成しとげました」という意味になります。

 

(ivy 松村)

دعونا دراسة اللغة العربية

3大宗教に数えられる「イスラム教」は、まだ日本ではそれほどなじみ深いものではないようです。ときに誤解されたり、偏見を持たれたりすることもあります。

 

中学の教科書にも、「イスラム教」に関する記述が増えてきましたが、まだ、十分に適切であるとはいえないような表記もあります。

 

私は、ずいぶん昔になりますが、4ヶ月間ほど中東に滞在したことがあります。

滞在中は、よく「モスク」にも足を運びました。

「イスラム教」は、私にとって親しみのあるものなのです。

ですから、「イスラム教」に対する理解が深まっていくいいなあ、といつも思っているのです。

 

 

 

現在は、識者を中心に、「イスラム教」という表記ではなく、「イスラーム」という表記が広まりつつあります。さらに、「イスラム教徒」を「ムスリム」と表記することも見られるようになってきました。

 

 

高校の教科書でも「イスラーム」や「ムスリム」という表記が増えてきているようですが、中学の教科書はまだ、「イスラム教」「イスラム教徒」という表記になっています。

 

 

「イスラム教」の開祖は、現在は「ムハンマド」と表記されていますが、以前は「マホメッド」という表記も見られました。

 

両者は、日本人にとっては全く違った発音に思えます。

あまりにも極端な変更に感じられて、奇異に思われた方もいらっしゃるかもしれません。

 

 

 

実は、これには、「アラビア語」の特性が大きく関係しています。

 

独特のアラビア文字は、日本人に奇抜な印象をもたらします。

下から上に書く、右から左に読む、といった、私たちにとって「逆」のルールもまた、とても不可思議に映ります。

さらに、その表記法も、別の文化圏で暮らす私たちに、驚きを与えずにはいられません。

 

 

実は、アラビア語は、基本的に母音を表記しないのです。

たとえば、「豊田」という言葉をローマ字にすると「toyoda」となりますが、アラビア語では「tyd」と表記されることになります。

 

(最近は日本語でも、こういう言葉遊びのような表記もよく見られるようになりましたね。)

 

さらに、アラビア文字は右から左に向けて書かれるので、実際の文字の並びは「dyt」となります。

 

「tyd」は、アラビア文字で表記すると「تيد」となります。

この文字列には、「t」「y(i)」「d」が「逆」に並んで表示されています。

アラビア文字は「草書体」で書かれるので分かりづらくなっていますが、この連続した点画は、3つの文字に分離できます。

左から「d」「y(i)」「t」をあらわす文字が並んでいます。

そして、アラブ人たちは、右から読み進めて、「tyd」と書いてあることを認識するのです。

 

要するに、「→」ではなく、「←」の向きに読むのですが、その際に、母音を類推しながら読んでいくのです。

 

 

混乱してしまうので、「تيد」(tyd)のように、( )の中に、対応するアルファベットを左から記載するようにしましょう。

 

 

実際には、アラビア語には、「a」「i」「u」の3つの母音があります。

慣例的に、「外国の語彙」などは母音を用いることになっているので、本当に「toyoda」をアラビア語で表記するときは、「تويودا」(tuyuda)としなければなりません。ですから、例に挙げた「تيد」(tyd)は、正式な表記ではありません。

 

 

 

子供や初学者のために、補助的な「発音記号」として母音を表記することはできます。

しかし、アラビア語は、母音をともなって発音される単語であっても、基本的には、母音を省略して表記されます。

 

 

ですから、アラビア語は、その表記法ゆえに、子音の拘束力が強く、母音の影響が弱い言語となっているといえるでしょう。また、それは、アラビア語の母音の少なさにも表れているように思えます。

 

 

実際に、アラビア語は、母音がそれほど重視されないので、場合によっては、おのおの好きなように母音を補って読むことが許されます。

 

日本語は、対照的に母音の拘束力が強いので、日本語を母語とする私たちは、こうしたアラビア語のシステムには、いっそう驚かされてしまいます。

 

 

さらに、アラビア語は、北アフリカからペルシャ湾岸地域まで、広範囲に渡って使用されている言語ですので、地域差が激しく、方言が発達しています。

そのため、同じアラビア語といっても、地域によって発音に大きな差異が生じやすいのです。

 

 

 

さて、「イスラム教」の開祖であるとされる預言者「ムハンマド」は、アラビア語では「محمد」(mhmd)と表記されます。

 

アラビア語では、子音さえ確定されれば、母音は自由に置き換えることができます。

 

ですから、「muham(m)ad」(ムハンマド)でも「mahomed」(マホメッド)でも「同じこと」なのです。

さらにいえば、「mohamed」(モハメド)もあり得ます。

 

「モハメド・アリ」というかつてのボクシングの世界チャンピオンをご存知の方も多いと思います。彼は、「イスラム教」に改宗し、その際に、改名したのです。いうまでもなく、「モハメド」は、「イスラム教」の最も重要な預言者の名をあらわしています。ちなみに、「アリ」もまた、「イスラム教」の重要人物の名で、「イスラム教徒」(ムスリム)に人気の名前です。

 

 

さらに、高校の世界史ではおなじみですが、オスマン帝国の皇帝に「メフメト2世」という人物がいます。「mehmet」(メフメト)もまた、預言者に由来する名前です。

 

「メフメト」は、アラビア語がトルコ語に移植される過程で、語末の「d」が「t」に変化したのだと考えられます。

「d」と「t」の交代は、あらゆる言語で頻繁に起きます。英語でも、「helped」「walked」などの「d」は[t]と発音されますね。

日本語では「たちつてと」は清音、「だぢづでど」は濁音と識別しますが、音声学的には[t]は無声音、[d]は有声音であると分類され、お互いが対をなしていると考えられています。

試しに「ティー」と「ディー」を連続して発音してみるとわかりますが、両者は、同じ口の形で発音され、非常に近い音です。

中国語のように、「t」と「d」を区別しない言語も存在します。また、音素が混同されたり、移行したりする現象もよくみられます。

「マホメッド」も「マホメット」と表記されることがあります。

 

 

 

「ムハンマド」=「マホメッド」=「モハメド」=「メフメト」は同じ語彙を指示しているということになります。

 

しかし、スタンダードのアラビア語の発音に最も近いものが「ムハンマド」なので、最近は「ムハンマド」と表記されるようになっているのです。

 

「マホメッド」ももちろん「間違い」ではないのですが、実は、この言葉は、アラビア語から直接「音」を採録した発音ではないのです。いったんアラビア語からヨーロッパにもたらされた言葉が、日本語に入ってきたものなのです。

ですから、実際のアラビア語の発音からはかけ離れてしまっています。

そのために、より原音に近い「ムハンマド」という表記へと改正されたのです。

 

 

 

「イスラム教」関連の語彙は、フランス語や英語から流入したものが多く、実際の発音や語彙と異なるものがかなりあります。

 

たとえば、イスラム教の寺院は一般的に「モスク」といい、教科書にもそう記載されていますが、実際のアラビア語では、「マスジド」といいます。

また、「イスラム教」の聖典である「コーラン」は、実際には「クルアーン」という発音が最も近いものです。

 

それだけでなく、神をあらわす「アラー」は「アッラー」もしくは「アッラーフ」、最大の聖地である「メッカ」は「マッカ」のほうが、実際のアラビア語により近い発音です。

 

 

インターネットや各種の出版物では、こうした表記も浸透しつつあります。

 

高校の教科書で、こうした表記を採用しているものもありますが、中学の教科書では、もう少し先になるのかもしれません。

 

 

 

ちなみに、私の名前は、アラビア文字では「ﻣﺎﺗﺴﻮﻣﻮﺭﺍ ﺁﻛﻴﺘﻮ」(Matsumura Akitu)と表記されます。

そして、「ivy」は「إفي」(a(i)fi(y))です。

また、植物の「ツタ」は、アラビア語では「لبلاب」というのだそうです。

 

 

 (إفي ﻣﺎﺗﺴﻮﻣﻮ)

頼朝は、いったい何をつくろうとしたのだろう?

歴史的な発見や、研究の成果によって、歴史の定説が覆ることがあります。

有名なものとして、「鎌倉時代」のはじまりが挙げられます。

専門家の議論を反映して、1192年から1185年へと、教科書の記載が変更されました。

 

ただし、これまでの説が完全に否定されたわけではなく、1192年および1183年も、有力な説として紹介されています。

 

 

「いい国つくろう」という定番の年号暗記のごろ合わせによって、1192年という年号は、世間によく知られたものとなっていました。今度は、「いい箱つくろう」と異口同音に唱えられているようです。

しかし、不思議なもので、「いい箱欲しいな」でも「いい箱あげるよ」でも問題ないのに、「つくろう」でないとしっくりこないものですね。

 

(ところで、本来ならば、西暦を「年号」というのはおかしいのですが、歴史を学習する際に暗記するべき「年」の総称として「年号」という表現が慣用的に使われていますので、私もそれに倣って「年号」を使います。)

 

 

さて、よく知られた年号である1192年が「間違っていた」と受け取られ、大きなインパクトとともに、この話題は人口に膾炙しました。しかし、実際には、「間違っていた」わけではなく、1185年という説が有力になったということなのです。

 

 

では、どうして、1185年が「鎌倉時代」のスタートとしてよりふさわしいと考えられるようになったのでしょうか。

 

 

源頼朝が征夷大将軍という官職を得たのは1192年です。現在でも、それによって「鎌倉幕府」が成立したのだという説を唱える研究者もいるようです。その事実が、政権樹立という意味で重要であると考えるならば、やはり「鎌倉時代」のスタートは1192年だということもできます。

 

しかし、頼朝が守護、地頭を全国に配置し、当時の日本の大部分を、政治的に支配する体制を確立したという実態を重要視するならば、1185年が「鎌倉時代」のスタートであるといえるだろうということになります。

 

その他、頼朝が東日本の支配権を確立した1183年が「鎌倉時代」の開始であるという説もあります。(1180年説もあり。)

 

 

かなり多くの人が勘違いをしているのですが、1185年に「幕府が開かれた」わけではありません。頼朝が征夷大将軍に任命されたのは1192年ですから、「征夷大将軍=開幕」という等式を用いるならば、「鎌倉幕府」の成立は1192年となります。この年号は動かしようのない事実です。

 

ところが、複雑なことには、「幕府」という概念は12世紀末の当時の日本にはありませんでした。したがって、征夷大将軍という役職と、「幕府」という政権の樹立は、必ずしも等式では結ばれないのです。

 

実は、「幕府」という言葉は、後世の人が、頼朝(や足利氏や徳川氏)の構築した統治機構を称するのに用いたものであって、当時の人々に意識されていた概念ではありません。

 

 

ですから、「頼朝が、征夷大将軍の地位についたので、幕府を開いた」という「史実」は、厳密には存在しないのです。

 

12世紀の末、政治権力を掌握した頼朝は、朝廷から切り離されるべき、武家がになう権力構造を確固たるものとすべく、試行錯誤していました。

その試みのひとつとして、朝廷に要求した官職が、征夷大将軍だったのです。

 

「幕府を開く」ために征夷大将軍になったわけではないのです。

頼朝本人でさえ、「幕府を開いた」という実感はなかったはずです。

 

要するに、頼朝の時代には、「幕府」と征夷大将軍という官職は関連していなかったといえるのです。

当時の武士たちに、征夷大将軍が武士の最高位であるとの認識はありませんでした。

もちろん、武士の棟梁=征夷大将軍という通念も存在していません。

 

 

征夷大将軍という役職に就くことを頼朝が志向したのは、この役職が「令外官」というもののひとつで、朝廷から独立して権力をふるうことができるものであったためだと考えられています。遠征軍の司令官は、わざわざ朝廷に指示を仰ぐことなく、独自の判断で部下に命令を下すことができるのです。頼朝は、この特権を最大限に利用しようと考えたのでしょう。

 

頼朝は、征夷大将軍という地位を手に入れることで、朝廷に干渉されることなく、東国から政治権力を行使することに対する「正当性」を手に入れようとしたのです。

 

 

頼朝が征夷大将軍になる前に、すでに頼朝を頂点とした武士の支配体制、つまり「鎌倉幕府」の骨格は出来上がっていました。たとえば、「侍所」「問注所」「政所」などはすでに設置されていました。

 

本来、当時の、武家による新しい独自の統治の始まりは、「幕府を開く」といういいかたでは十分に説明することができないのです。

しかし、現代の歴史研究において、「幕府」という概念を否定することはなかなかできません。

 

ですから、あえて、「幕府」という概念を用いてこの歴史的事象をみすえようとするならば、それは、「朝廷の外に存立する、武家による政治権力基盤の成立」というような、「ゆるやかな意味」として捉えられることになります。それは、頼朝の、征夷大将軍への任官に先立って成立していたので、征夷大将軍は、「鎌倉幕府」と結び付く根拠とはならないと考えられるのです。

 

したがって、頼朝が「実質的に」政権基盤を固めた時期がいつなのか、が歴史学的な焦点になってくるのです。

 

強いていえば、それは、頼朝が全国支配を確立した1185年になるだろう、ということであって、「頼朝が征夷大将軍となって鎌倉幕府を開いた」のが、実は1185年であった、ということではないのです。

 

 (ivy 松村)

社会の教科書、今と昔

社会科の教科書は、新しい発見があったり、社会情勢の移り変わりがあったり、社会・政治の仕組みが変化したり、別の学説が主流になってきたりすると、記載内容や表記が、それまでとは変えられてしまう場合があります。

 

 

高校の教科書には早々と学術的な研究成果や新情報が「反映」されますが、中学の教科書はすぐに「更新」されないこともあります。

併記したり注釈を入れたりして、「古い内容」を削らないような記述になっていることもあります。あるいは、断定的な表現を避け、解釈の余地を残すような記述となっていることもあります。

 

「混乱」を招かないための「配慮」なのかもしれません。

 

 

しかし、それでも、社会の教科書は時代とともにずいぶん変わりました。

 

中学生の保護者の方も、現在の教科書をご覧になって、ご自分の中学の頃とは内容が違っていることに、驚かれることがあるそうです。

 

実際に、現役の中学生と、保護者世代との間で、教科書の記載にどういった相違点があるのかみてみることにしましょう。

 

 

公民分野や地理分野の教科書は、時代の変化に合わせて、むしろ頻繁に、内容が「更新」されるべきであるといえます。

新しい制度の導入や、産業や社会の発展を反映して、教科書の内容が実情に合ったものに変えられることになります。

 

たとえば、「助役」や「公定歩合」といった用語が姿を消しました。

一方、「裁判員制度」「消費者庁」といった用語が記載されるようになりました。

 

また、「地球温暖化」「グローバル化」などの記述も見られるようになりました。

 

 

 

地理分野では、「四大工業地帯」が「三大工業地帯」になりました。北九州工業地帯が外されました。

 

日本の最大の貿易相手国が「アメリカ合衆国」ではなく「中国」になりました。

社会情勢や国際情勢は、日々変化しています。

こうした情報は、近いうちにさらにまた「更新」されることになるでしょう。

 

 

世界遺産も、世代によって、教科書に記載されていた登録数が違っています。

 

日本の世界遺産の登録年:

 

1993年12月

・法隆寺地域の仏教建造物 (奈良県)

・姫路城 (兵庫県)

・屋久島 (鹿児島県)

・白神山地 (青森県、秋田県)

1994年12月

・古都京都の文化財 (京都府、滋賀県)

1995年12月

・白川郷・五箇山の合掌造り集落 (岐阜県、富山県)

1996年12月

・原爆ドーム (広島県)

・厳島神社    (広島県)

1998年12月

・古都奈良の文化財 (奈良県)

1999年12月

・日光の社寺 (栃木県)

2000年12月

・琉球王国のグスク及び関連遺産群 (沖縄県)

2004年07月

・紀伊山地の霊場と参詣道 (和歌山県、奈良県、三重県)

2005年07月

・知床 (北海道)

2007年06月

・石見銀山遺跡とその文化的景観 (島根県)

2011年06月

・平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群― (岩手県)

・小笠原諸島 (東京都)

2013年06月

・富士山―信仰の対象と芸術の源泉 (静岡県、山梨県)

2014年06月

・富岡製糸場と絹産業遺産群 (群馬県)

 

 

現在の中学の教科書には、まだ「富士山」や「富岡製糸場と絹産業遺産群」は掲載されていませんが、次回の改定にあわせて、書き加えられることになるでしょう。

そして、「明治日本の産業革命遺産」も、無事登録されたあかつきには、当然教科書に記載されることになるでしょう。

 

 

 

歴史分野は、研究が進み、定説が覆ることが頻繁に起こります。また、より正確な名称、発音表記に置き換えられることもあります。

 

一部を、箇条書きで確認してみましょう。

 

 

・最古の人類・・・アウストラロピテクス → サヘラントロプス・チャデンシス

 

・日本最大の古墳・・・仁徳天皇陵 → 大仙古墳

 

・日本最古の貨幣・・・和同開珎 → 富本銭

 

・蘇我氏滅亡・・・645年大化の改新 → (645年「乙巳の変」)646年~ 大化の改新

 

・鎌倉時代のはじまり・・・1192年 → 1185年

 

・金剛力士像の制作者・・・運慶・快慶 → 運慶

 

・『徒然草』の著者・・・吉田兼好 → 兼好法師

 

・四大文明のひとつ・・・黄河文明 → 中国文明

 

・イスラム教の開祖・・・マホメッド → ムハンマド

 

・マルコ・ポーロの(口述による)著書・・・「東方見聞録」 → (「世界の記述」)

 

・モンゴル帝国の始祖・・・ジンギスカン → チンギス・ハン

 

・南北戦争のときのアメリカ合衆国大統領・・・リンカーン → リンカン

 

・イギリスに対するインド人の反乱・・・セポイの乱 → インド大反乱

 

・日清戦争のきっかけになった朝鮮半島の内乱・・・東学党の乱 →  甲午農民戦争

 

「非暴力」を貫いたインドの政治指導者・・・ガンジー → ガンディー

 

・女性解放運動家・・・平塚雷鳥 → 平塚らいてう(ちょう)

 

・サミット・・・先進国首脳会議 → 主要国首脳会議

 

・江戸幕府の直轄地・・・天領 → 幕領

 

・キリシタンを見つける方法・・・踏絵 → 絵踏  ※絵踏に使う「絵」が「踏絵」。

 

・「士農工商」 → 記載なし

 

・「慶安のお触書」 → 記載なし

 

・「四民平等」 → 記載なし

 

(ivy 松村)