「日比谷つぶし」と都立高校入試④

平成26年1月23日に「東京都立高等学校入学者選抜検討委員会報告書」が公表されました。

 

この中で、都立高校を「凋落」させるための具体的な施策がはじめて公開されました。

 

 

①内申点は、実技4教科を2倍に換算して算出する

②入試得点と内申点の比重をすべて「7:3」とする

③「特別選考」を廃止する

 

 

①と②の「内申点」にまつわる2つの変更は、ある意味で、「布石」であるといえます。

 

「本丸」は、③の「特別選考」の廃止です。

 

 

「東京都立高等学校入学者選抜検討委員会報告書」には、審議に参加した中学と高校の教員の「意見」が載せられています。

 

 

「特別選考」に関する「中学」と「高校」の意見をみてみましょう。

 

 

※「特別選考の1割部分において、学力検査の得点のみを選考資料として合格者を決定する学校にいたが、特別選考により順位の変動はあまりみられず、合格者はそれほど変わらないという結果であった。」(p32「高校」の意見)

 

 

まず、「特別選考」を実施してもしなくても、合否結果はほとんど変わらないという「意見」が出されます。「特別選考」を廃止しても、影響はないという空気を作りたいわけです。

 

できればデータを出して欲しいところですが、なんとも、幼稚な「意見」です。

 

「特別選考」の眼目は、「低い内申点の受験生から合格者を出すこと」ではないのです。

「特別選考」という制度が重要なのは、この制度がある種の「保険」として機能している点です。つまり、「ひどい中学校」に属している受験生でも、これを頼って「上位校」を目指すことができるという「残されたルート」だったのです。

「特別選考」は、「劣悪な環境」であっても、努力によって夢を実現できるという切実な「希望」だったのです。

 

 

 

さらに、報告書の中で、入試制度をわかりやすくするために、「わかりにくい制度」である「特別選考」を廃止するべきであるという「意見」が強く主張されています。

 

 

※「今回の入学者選抜の改善の目的は、分かりやすくすることであることから、現行の入学者選抜制度を分かりにくくしている特別選考については、廃止するということでよい。」(p32「中学校」の意見)

 

 

驚くべきことに、この教員は、公平な選抜よりも入試制度の「わかりやすさ」のほうが重要だと述べているのです。

 

「報告書」の31ページからはじまる「特別選考報について」という箇所を読んでみると、ダラダラと「特別選考の歴史」を書き連ねて、面接や調査書を用いたごく少数の稀な「特別選考」を紹介し、情報を錯綜させたうえで「わかりにくい」といっています。

 

多くの都立上位進学校が、1割の合格者を入試得点のみで選抜する「特別選考」を行っています。これはよく知られた内容だと思いますが、そうでなくても、この程度の内容を「わかりにくい」というような「理解力」の生徒に合わせて、有意義な制度を失くす必要があるのだろうか、と疑問に思います。

 

 

 

そして、やはり、中学校の成績が重要なので、これを考慮しなければならないという「意見」も述べられています。

 

 

※「特別選考で、選考資料として学力検査の得点のみで行っている学校があるが、学力検査の得点のみではなく、中学校で付けられた評価・評定についてもきちんとみるべきである。」(p32「高校」の意見)

 

 

日比谷高校をはじめとする都立難関校の受験は「激戦」になります。まさしく、1、2点が合否を分ける戦いとなります。

それなのに、受験生に恣意的に与えられる「内申点」には、痛ましすぎるほどの「差」があります。

 

受験生の側から見れば、「内申点」というのは信頼できる指標ではありません。

多くの中学生・保護者は、中学の教員によって評価の基準が違い過ぎることを不公平であると感じています。それでも、あきらめることなく挑戦することができたのは、「特別選考」があったからです。

 

「特別選考」こそが、「活路」となるのです。

 

ですから、「日比谷つぶし」を仕掛ける不実な人間は、「内申点」という「しばり」を強くしたいわけです。

逆にいえば、「内申点」に左右されない入試選抜は、彼らにとって「都合が悪い」ものになります。

 

 

入試得点と内申点の比重を「7:3」に「固定する」という取り決め(②)は、地味ながら本質をついています。見方を変えていうならば、「内申点」の比重を軽くすることを禁じているわけです。

 

本旨は、「10:0」の受験を消滅させることです。すなわち、「特別選考」を廃することなのです。

 

「報告書」の中で、再三、すべての高校が「7:3」に統一されると念入りに強調しています。これが「原則」であり「既定」であるとして、「配分」に手を加えることを「タブー化」しようという目論見が垣間見えます。

 

 

実際、こうした「工作」は、非常に滑らかに「原則」の堅持を訴える「意見」と結びついて、「特別選考」廃止の「圧力」を作り出すことに成功しています。

 

 

※「 学力検査の得点のみで選抜する特別選考を残すとした場合、中学校で評価をした調査書と学力検査の得点の両方を用いて選抜を行うという、学力検査に基づく選抜の基本的な考え方と矛盾する。」(p32「高校」の意見)

 

 

上の「意見」内に示された「基本的な考え方」というのは「内申点」を合算して合否判定を行うというものです。

その考え方に則って、「内申点」を合算しない「特別選考」を行うべきではない、と言っているわけです。

これは一種の「トートロジー」(同義反復)です。つまり、「同じ内容」を繰り返して述べているにすぎません。正確には、「裏返し」の内容を並べて「矛盾だ」と言っているわけですが。

 

あるタイプの人は、中身のない「言葉の羅列」を押しつけようとします。

都合の悪いものを「否定すること」が重要なのであって、「論理」などどうでもいいと思っているからです。

 

 

 

「報告書」には、「特別選考」について以下のような「まとめ」が添えられています。

 

 

※「選抜資料を学力検査の得点や調査書点のみとしたり、学力検査の得点と調査書点の比率を各学校が決定したりするなど選抜尺度を変えることができる特別選考は、中学校で身に付けるべき力を、学力検査を実施する教科を原則5教科、学力検査の得点と調査書点の比率を7:3としてみることとする今回の学力検査に基づく選抜の改善の趣旨とは異なるため、廃止することが望ましい。」(「東京都立高等学校入学者選抜検討委員会報告書」p32)

 

 

 

ちなみに、この箇所は、1月23日に発表された当初のものです。

 

現在、東京都教育委員会のホームページで閲覧できる「報告書」は、2月28日に差換えられています。

 

太字が差し替えられた箇所です。

 

 

※「選抜資料を学力検査の得点や調査書点のみとしたり、学力検査の得点と調査書点の比率を各学校が決定したりするなど選抜尺度を変えることができる特別選考は、中学校で身に付けるべき力を、学力検査の得点と調査書点によりみることとする今回の学力検査に基づく選抜の改善の趣旨とは異なるため、廃止することが望ましい。」(「東京都立高等学校入学者選抜検討委員会報告書〔2月28日差換〕」p32)

 

 

 

やはり、注意深く、過敏になっているのでしょうね。言葉に対して「神経質」になっています。

 

 

 

(ivy 松村)

 

「日比谷つぶし」と都立高校入試③

もっとも効果的に学校を「衰退」させる方法は、入試選抜を「機能不全」にすることです。

 

「内部工作」のような大掛かりなことをする必要はありません。学校の「内部」は「外」からはほとんど見えないのですから、学校の「空気」が悪くなったり生徒指導の「質」が低下したりしても、「出口」の実績や生徒募集に影響が出るまでには「タイムラグ」が生じます。

 

即効性があり、そして、確実な方法は、受験生がその学校の受験を回避するように仕向けることです。

 

入試選抜を麻痺させるのです。そうすれば、どれほどの名声を得た名門校であろうとも、瞬く間に支持を失っていきます。

 

 

十分な学力を有した受験生が妥当に選抜されなければ、優秀な生徒を迎え入れることができなくなるので、その学校の「学力」は低下します。

 

しかし、それ以上に深刻なのは、適切な選抜が行われなくなった学校には、合理的な思考をする――つまり、優秀な頭脳を持った受験生が集まらなくなるということです。

 

「学校群制度」の歴史が、そのことを証明しています。

 

 

 

50年後の現在、どのような方法を用いることが、入試選抜機能を損傷させるのに効果的なのでしょうか。

 

現代は、大掛かりな入試制度の変更が難しくなっているので、段階的な毀損を行うことが現実的です。

 

 

以下のような要素を「入試」から排除することで、入試選抜機能を壊滅させることが可能となります。

 

 

①独自性・自主性

②公平性・信頼性・客観性

 

 

 

これらを駆逐するためには、入試選抜の「内容」と「方法」を腐敗させることが必要になります。

 

まず、入試選抜の「内容」ですが、独自に「良質の入試問題」が作れないように、「作問」の自由を奪います。

完全に「作問」の権利を取り上げることはできなくても、入試問題の「メッセージ性」や「ブランド力」を削ぐことができれば、有効な打撃となります。

 

また、入試問題の「出題形式」を制限し、受験生の学力判定が適正に行えないようにします。

何かしらの手立てで、受験生の本質的な学力を計る「記述問題」を封じ込めることができれば、上々の成果です。

 

 

次に、「方法」ですが、合否判定に、恣意的な尺度を取り入れます。

「運不運」の要素が大きくなればなるほど、学力にもとづいた適正な選抜ができなくなります。

具体的には、合否への「内申点」の依存度を強くします。中学の評定は、学校によって評価基準が著しく異なるため、入試選抜に対する不公平感を増大させることができます。

 

特に、努力で「学力」を補うことが難しく、「センス」や器用さ、身体能力などが大きく成績に影響する実技教科の比重を大きくします。そうすることで、生徒に徒労感や挫折感を植え付け、やる気やチャレンジ精神を削ぐことができます。

 

 

 

さて、石原氏が都知事を辞められた直後の平成25年に、国分寺高校の「入試問題流用」が明るみになりました。

 

当時、都立の難関校は、英・数・国の入試問題を独自に作成する「自校作成」の入試を行っていましたが、国分寺高校が独自に作成した国語の入試問題が、過去の他の入試問題を「剽窃」したものだったことが明るみになったのです。

 

このとき、東京都教育委員会の対応は敏速でした。

すぐさま、入試問題の「自校作成」が改められ、「グループ作成」体制に移行したのです。

 

 

これが、「第二次日比谷つぶし」の嚆矢となりました。

 

「グループ作成」化は、入試選抜機能の「独自性・自主性」を奪います。

 

特に、「自校作成」の「作問」に意欲的だった日比谷高校は、大きな痛手を被ることになります。

 

 

「グループ作成」体制となったことで、「特徴」のある入試問題を作ることができなくなったのです。

もちろん「グループ作成」となった今でも、入試問題の一部を「独自問題」に差替えることはできます。しかし、一律ではないとはいえ、「入試問題の共通化」は、「選抜機能」を高度に維持していかなければならない「進学校」にとって、重い「足枷」となります。

 

 

 

日比谷高校の「復活」の大きな原動力となったのは、平成13年に他校に先駆けて行われた「自校作成」入試でした。

 

入試問題というものは、ある意味で学校から受験生に向けて発せられる「メッセージ」です。

日比谷高校は、「作問」をとおして、感応力、理解力の高い受験生に向けて骨太の「メッセージ」を発信してきました。作問の「質」が、日比谷高校のブランド力を高めてきたといっても過言ではありません。

 

他校との差別化を念頭においた「作問」を重視していた日比谷にとっては、「グループ作成」体制への移行は、大きな「後退」となりました。

 

 

偶然にしろ何にしろ、ある一人の愚鈍で不精な教員が引き起こした「入試問題流用」事件は、退潮的な入試制度変更の「名目」を提供することになりました。

 

 

「グループ作成」への移行は、明らかな「災難」ですが、もしかすると、「作問」の「負担」から解放されて、喜びの声を上げている教員もいるのかもしれません。あえて指摘しますが、結局のところ、彼らは、「日比谷つぶし」に加担する一味です。足を引っ張っているわけです。

 

「作問」の「負担」に同情したり理解を示したりする人もいるかもしれません。そういう人は、職業意識が根本的に欠如している人か、「受験」という世界からかけ離れた人生を生きている人です。

 

名門校であればあるほど、「入試問題」をおろそかにはできません。

 

とかく怠惰な存在は、意欲と熱意を持った人間の障害になるものです。

 

 

 

いずれにしろ、「グループ作成」というのは「突破口」でした。これが、都立高校を「凋落」させるための足掛かりとなるのです。しかし、このときはまだ、さらに大規模な「攻勢」が準備されつつあったことに気づくことができた者はほとんどいなかったのです。

 

 

(ivy 松村)

 

 

「日比谷つぶし」と都立高校入試②

多くの「受験関係者」が、今年の都立高校の入試問題に大きな衝撃を受けました。

入試問題が、大きく「様変わり」していたからです。

 

近年、都立高校の入試制度が矢継ぎ早に変更されました。

 

 

私は、一連の「流れ」を「危険だ」と感じています。

来年の入試も「台無し」にされてしまうと、都立高校は再び「凋落」の道へ歩を進めることになります。

 

かつて、「日比谷つぶし」と呼ばれた「学校群制度」の導入によって、都立の名門進学校は「衰退」を余儀なくされました。

 

50年後の今、「第二次日比谷つぶし」が着々と進行しています。

今度は、目立たないように、少しずつ、じりじりと。

 

 

 

近年の、都立高校入試の制度変更を確認してみましょう。

 

・「自校作成」→「グループ作成」

・入試得点と内申点の比重を「7:3」とする

・特別選考の廃止

・内申点は、実技4教科の評定を2倍に換算する

・マークシート導入→「記述問題の削減」

 

 

いずれも「入試選抜」の質を低下させる施策です。

 

 

 

都立高校をスポイルしようという「動き」が活発になったのは、石原慎太郎氏が都知事を辞任されてからです。

 

石原氏は、都立高校の改革を推し進め、「都立復権」を実現しました。その後を継いだのは猪瀬直樹です。そして、その後、舛添要一氏が都知事に就任されました。

 

猪瀬氏が都知事を辞められることが確定してから、都立高校入試の制度変更が矢継ぎ早に行われました。

あまりにも性急な決定が相次ぎ、十分な周知や議論がなされることがないまま、「いつの間にか変えられていた」という印象です。

 

 

 

都立高校入試制度の変更について、時系列で追ってみましょう。

 

 

 

  年月日    発表された内容等
2012年12月18 猪瀬直樹氏 就任
2013年3月26日 国分寺高校 入試問題流用発覚
2013年3月28日 2014年度から「グループ作成」が行われることが決定
2013年12月24 猪瀬直樹氏 辞任
2014年1月23日 「都立高校入学者選抜検討委員会報告書」
入試得点と評定の比重を「7:3」、実技4科の評定を2倍、特別選考を廃止する方向を示唆
2014年2月11 舛添要一氏 就任
2014年2月27日 都立高校入試で理科の出題ミス
2014年4月10日 荻窪高校で採点ミスが発覚、直ちに調査が開始される
2014年4月18日 「採点ミス問題」の報告
2014年4月24日 「採点ミス問題」の報告
2014年5月29日  入試選抜方法の改善
入試得点と内申点の比重をすべて「7:3」とすることを正式に決定
2014年6月3日 「採点ミス問題」の一次調査の結果と対応策
「都立高校入試調査・委員会」の設置
2014年8月28日 「採点ミス問題」の二次、三次調査の結果
2014年8月28日 「都立高校入試 調査・改善委員会報告書」
マークシート方式の導入を決定
2014年9月11日 「採点ミス問題」職員の処分の発表
2014年9月11日 「採点ミス問題」再発防止・改善策
  :   :

 

 

 

広報戦略上の、非常に巧妙な「テクニック」が駆使されていることが見てとれます。

 

猪瀬氏の辞任のタイミングで「都立高校入試 調査・改善委員会報告書」が発表されています。

非常に重要な内容です。都立高校入試の制度を根本から大きく変えようというものでした。

 

「2014年1月23日」というタイミングは、「狙ったもの」なのでしょう。

都立高校推薦入試の願書の受付が前日の「22日」です。学校関係者や受験関係者が志願状況や倍率の発表に注目している「隙」に「超重大な発表」を行ったわけです。

 

 

また、世間の耳目を集める「採点ミス問題」に関する情報や報告に紛れ込み、その背後に隠れるような形で、少しずつ入試制度が「削られている」ことがわかります。

 

「採点ミス問題」は、「カムフラージュ」としては抜群の効果を発揮しました。

また、一連の「動き」を正当化する絶大な「口実」となりました。

たぶん、石原さんが都知事を続けられていたならば、(対応はされたとは思いますが)わざわざ「大事」にはしなかったでしょう。

 

 

「人間は『歴史』に学ぶことができる」ということを示す格好の事例であるといえるのかもしれません。

50年前の「日比谷つぶし」は、あまりにも大きく広報してしまったために、批判や誹謗が非常に強く湧き起こりました。

 

「第二次日比谷つぶし」は、目立たないようにひっそりと展開されてきたわけです。

 

 

 

石原氏が辞められてから、「堰」から少しずつ水がもれはじめ、猪瀬氏が辞められてからは、完全に「決壊」して「濁流」が押し寄せてきているという印象です。

 

 

都知事の交代によって、東京都教育委員会という組織には、ある種の「コンフリクト」が起こっているように感じます。

 

もしかすると、現在の「トップ」は「外遊」や「湯治」に忙殺されて、「教育」のことに頭が回らないのかもしれません。おそらく、そのほとんどすべてを「誰か」にゆだねているのではないかと思われます。

 

「トップ」の交代によって「政策」が反転し、人事や実務に影響が出ることは「政府」や「組織」の中でしばし起こりうるものです。

 

 

私はあるひとつの「仮説」を立てています。

 

それは、東京都の「教育行政」を執行する組織内の「人事」で、都立高校を「復権」させようと努めていた「勢力」が基盤と実権を失い、都立高校をスポイルしようと考える「勢力」が発言権を強めているのではないかというものです。

 

 

 

多くの人は、東京都教育委員会の職員や関係者の考え方が「とんちんかん」だったり、能力が不足していたりするために、都立高校の入試が「グダグダ」になっているのだと感じてしまうと思います。

 

そうではなくて、計画的に都立高校をダメにしようと考えている人間が権勢を持ったのだろうと考えます。

さらに、都立高校の「弱体化」を望む人たちの「意を汲む」行動をとっているのかもしれません。

 

 

彼らは愚鈍なわけではなく、むしろ、「確信犯的」に動いているのではないかという気がします。

 

 

現実に、都立高校が「躍進」することを好ましく思わない人たちが存在します。

いいかえるなら、都立高校の「低迷」を望む人たちがいるわけです。

 

 

「私立学校」は、その代表例だといえるでしょう。

 

 

 

50年前の「日比谷つぶし」が完遂された後、大学受験における高校の「勢力図」は大きく塗り替えられました。

 

「私立学校」の著しい台頭がみられたわけです。

 

逆の見方をすれば、都立高校が強い勢力を持っていた1960年代には、「私立学校」勢力は都立に「抑え込まれていた」わけです。

 

 

公立学校と「私立学校」は競争関係にあります。

これはトップレベルの層だけに限ったことではありません。いずれの「レベル」であっても、「私立学校」は、生徒募集において公立学校と競合する運命にあります。

 

 

つまり、公立学校の「凋落」は、「私立学校」にとっては望ましい状態であるといえるわけです。

 

 

 

「私立学校」の存亡の「カギ」は、自治体の教育行政が握っています。

 

教育委員会という組織は、地域の教育行政「全体」を司っています。

ですから、教育委員会の政策や方針の転換は、「私立学校」の「利害」を左右することになります。

 

 

たとえば、東京都の場合、東京都教育委員会という教育行政の中枢が、積極的な都立高校の運営を行えば、「私立学校」は必然的に「圧迫」されることになるわけです。

 

「都立の復権」と「私立学校の衰退」はある意味で呼応関係にあります。逆もまたしかり、ということであって、「都立の凋落」と「私立学校の繁栄」は呼応しています。

 

ですから、「私立学校」側は、できれば「教育行政」にはたらきかけて、なんとか、「私立学校」が「圧迫」されないような施政を行ってもらおうと考えるでしょう。

「私立学校」にとっては、教育委員会との「折衝」が「死活問題」となるような「業界の構造」があるわけです。

 

 

 

「決定権」を有した人物や組織(政・官)に、「業界団体」が接触を持つことは社会一般によく見られる「営業」です。また、あるいは、政治的な活動や社会運動などを通して、「意を汲んだ人物」を「決定機関」に送り込み、「パイプ」を作ることも一般的に行われています。

 

 

確認すればすぐにわかることですが、多くの「私立学校」の大学の先生が、市町村の教育委員を務めています。たとえば、東京都西部のある有力な市の教育委員会は、教育長を除く4人の委員のうち3人が「私立学校」の関係者です。そこに、何か意味深いものがあるのかどうかはわかりませんが。

 

「教育委員」は「公選」によって選ばれるわけではないので、ちょっと、「見えにくい部分」があるのではないかという気がしています。

 

 

ちなみに、「教育学」関係の大学の先生の著書を読んでいると、教育機会の「平等」を唱える方が多くいることに気づきます。そういった方々は、「競争」や「社会の発展」というものを嫌うので、入試選抜の「強度」を下げようという「動機」を持っているようにも思えます。

 

 

 

東京都教育委員会の「愚かさ」を嘆くのは、もしかすると、「勘違い」なのかもしれません。

 

数々の都立高校入試の「改悪」は、よかれと思ってやったことが裏目に出ているのではなくて、ある人たちが、積極的に都立高校をダメにしようと思ってやっているのかもしれないわけです。

 

 

(ivy 松村)

 

「日比谷つぶし」と都立高校入試①

今年、日比谷高校は53名の東大の合格者を出しました。

 

日比谷高校の東大合格者数が50名を超えるのは、44年ぶりになるということです。

「東大合格者ランキング」でも、トップ10をうかがう位置にまで来ました。

 

日比谷高校の「躍進」が、ネットサイトや週刊誌等で大きく取り上げられています。

 

その裏で、「第二次日比谷つぶし」が着々と進められています。

 

 

 

日比谷高校は、都立高校の「復権」の象徴であり、都立高校の「牽引役」を担っています。

重厚な「伝統」、そして英雄的な「復活」を果たすという波乱の「歴史」が、この高校に、その宿命を帯びた役割を与えているのでしょう。

そして、その意味で、日比谷の「趨勢」は都立高校全体に非常に大きな影響をおよぼすのです。

 

 

都立高校を「凋落」させるのは、造作もないことです。もし仮に、だれかが都立高校の「活躍」を快く思わず、なんとかして都立高校を押さえこみたいという背徳的な考えを抱いているとするならば、ただ、日比谷高校を「狙い撃ち」すればいいわけです。

 

 

 

現在では、「日比谷つぶし」という言葉を知らない受験関係者も多くいると思います。

「日比谷つぶし」というのは、今から50年前に行われた都立高校の入試制度改革の、「本当の目的」を称して広まった言葉です。

 

1967年に都立高校入試に「学校群制度」が導入されました。

これは、全国トップの進学校であった日比谷高校の「力」をそぎ落とすために行われたのだということが、誰の目にも明らかだったわけです。

 

つまり、「日比谷高校をつぶすため」に、「学校群制度」が設けられたわけです。

 

 

1960年代までは、東大の合格者数の1位は、日比谷高校の「指定席」でした。

日比谷は、都内に限らず、日本の高校のトップに君臨する進学校だったのです。

 

日比谷をはじめとする都立高校が「隆盛を極めた」のは、1964年です。この年、日比谷高校の東京大学合格者数は192人にのぼり、やはり全国トップでした。続く2位は西高(156人)、3位は戸山(110人)でした。また、新宿高校も全国4位(96人)に入り、小石川高校が全国6位(79人)、両国高校が全国8位(63人)でした。東大合格実績のトップ3を都立高校が独占し、ベスト10内に6校が名を連ねていたのです。

 

 

1960年代をとおして、日比谷高校は東大合格者数の1位を他校に譲ったことはありません。

ところが、70年代に入ると、日比谷の大学合格実績は急落の一途をたどり、80年代には2けたの合格者数を維持することも困難になっていきます。

 

「日比谷つぶし」によって、日比谷の「覇権」はあっけなく崩れました。それに引きずられるかのように、都立の「低迷時代」が訪れました。

 

 

 

「学校群制度」の導入を境として、日比谷の「衰退」は加速度的に進行していきますが、それは「予想外の結果」だったわけではありません。

なぜなら、この制度が導入されれば、日比谷が低落していくことは誰の目にも自明のことであって、その「衰退」は、想定された結果にすぎないものだったからです。

 

あえて断言すれば、それが「目的」だったわけです。

 

 

「学校群制度」の主眼は、「教育の平準化」でした。

優秀な生徒が集中する「突出した高校」とその他の高校の「格差」をできるだけ「なだらか」にしようという考えのもとに計画された制度なのです。

 

つまり、これは、明白に、日比谷高校を「引きずり下ろす」ことを「目的」として実施されたわけです。

 

東京都立高校の入試に「学校群制度」が導入されたのは、1967年です。都立高校が「隆盛を極めた」3年後のことです。

 

 

 

この制度の「要所」は、「合格」しても志望する都立高校に進学できない受験生を生み出すことです。

そのために、都立高校は避けられ、高校受験の重心が国私立へと移っていきました。

 

 

「学校群制度」のもとでは、都立高校は2校ないし3校のグループにまとめられて「学校群」を形成し、受験生は「学校群」を受験します。

 

単独の「高校」を受験するわけではないので、「合格」したとしても、その受験生は「学校群」に「合格」したということになります。したがって、合格者は、その「学校群」のいずれかの高校に通うことになるわけです。

 

たとえば、A校、B校、C校がそれぞれ「学校群α」を形成している場合、A校を志望する生徒は、その「学校群α」を受験することになります。しかし、「合格」しても、A校ではなく、B校やC校に進学することになる可能性があるわけです。

 

 

つまり、「学校群制度」のもとでは、受験生は、入学先を自分で決めることができないのです。

都立高校の入試は、どの高校に進学することになるのかわからないまま、受験しなければならなくなったわけです。

 

 

日比谷高校は、九段高校、三田高校とともに「第11群」を形成しました。日比谷高校を志望する生徒は「第11群」を受験するわけですが、「合格」しても日比谷以外の高校に進学しなければならない場合があるわけです。

 

なぜ、志望校に進学ができなくなるのかというと、「学校群」を形成するそれぞれの高校の「学力」が、同じくらいになるように調整されたからです。

 

一部の高校の学力が突出しないように、学力の高い生徒を、第一志望ではない「ほかの高校」に入学させることができるわけです。

 

日比谷高校に、特別、学力が高い生徒が集まっていることが「問題」だったのです。

信じがたい話ですが、抜群の大学合格実績をあげることが「良くない」と考えられたわけです。

 

 

日比谷高校の属した「第11群」は、他校と「学力差」が大きい日比谷高校に「不利」なものでした。

たとえば、西高校は青山とペアを組み、戸山高校は富士とペアを組みました。そして、多摩地区では立川と国立がペアを組みました。これらの「学校群」は、比較的学力が拮抗している高校同士が2校のみで「学校群」を形成しました。

そのため、第一志望に進学できない場合の「ダメージ」が相対的に少なかったのです。

 

 

 

「学校群制度」は、「学校間の格差」を「是正」するために設計されたものであるということになっています。

そのために、学力の高い生徒は「平等」に、「学校群」のそれぞれの高校に「配分される」わけです。

 

受験生からみれば、志望する高校に進学できるかどうかは「運しだい」というわけです。

ある意味で、入試が、「ギャンブル」そのものになってしまったのです。

 

 

たぶん、はじめて「学校群制度」について知った人は、「意味が分からない」と思うに違いありません。私も、「正気の沙汰ではない」と感じました。

 

当時の東京都教育委員会は、現実に、この悪夢のような制度を導入したわけです。

 

 

「学校群制度」導入の問題点は、その制度自体が愚劣であることはもちろんですが、実は、本質的には、「信頼」の問題なのだろうと思います。

 

受験生や保護者の目には、東京都教育委員会は都立高校をスポイルし、ダメにしようとしていると映ったはずです。

 

自分の船の計器を自分で壊す船長のようなイメージが思い浮かびます。自ら船を遭難させようとする人間が指針をとる船に、一体誰が乗りたいと考えるでしょうか。

 

 

優秀な生徒の学力を伸ばそうとするのではなく、学力を押さえつけようという発想がその根幹に横たわっています。受験生・保護者は、都立高校の教育を「信頼できなくなった」と感じたことでしょう。

 

その結果、学力上位層の「都立高校離れ」が急速に進み、漸次、都立高校の大学進学実績は下降していきました。

 

 

 

この馬鹿げた制度を実現させたのは、偏狭な「平等主義」です。

 

競争はよくない、差をつけるのはよくないという考えのもとに、教育を一律、均質なものにし、平準化させようという思想です。

 

 

運動会の徒競走で、「だれかが最下位になるのはかわいそうだから、みんなで手をつないで同時ゴールしましょう」というような驚愕の発想は、同質の思想のもとに想起されます。

 

これは、「弱者」を基準に制度を決めようという考えです。

もちろん、「平等主義」のすべてが間違っているわけではありません。

 

しかし、個人の能力や資質をもとに進路を決定する「入試選抜」という制度と、「平等主義」のような考え方は、ある意味で対極に位置するものです。

 

 

「平等主義」は、一部の教育関係者に、今も根強く浸透しています。

 

「入試選抜」を台無しにしようとする不実な計画は、こうした教条的な考えが、教育の制度設計を総括する教育委員会や文部科学省のような組織の中で「支配的」になったときに、始動するわけです。

 

 

(ivy 松村)

 

 

 

やはり、「出題ミス」ではない(都立高校入試の理科)

昨日、「中学」の「地学」の先生からメールを頂戴しました。

 

その中で、先日私が書いた「都立高校入試の理科の『出題ミス』について」というブログの記事のなかにある誤りを指摘いただきました。

 

 

まず、私は、「図1」が「正しくない」と書いていましたが、「出題ミス」として問題視されているのは「図3」の選択肢の「イ」の位置でした。

 

私は「図3」の「イ」の「位置」を基準にして考えてしまいました。そのため、「図1」の金星は正しく描かれていないのだと思ってしまいました。

 

また、教科書によれば、金星の見え方が「図2」のようになるのは「イ」以外にない、と書きましたが、「図2」の金星の形は、「ア」の可能性を捨てきれるものではありません。

 

したがって、そこには「図2」によって「ウ」の選択肢を「完全に消去できる」と書くべきでした。

 

 

メールでは、非常にていねいな指摘と解説をしていただきました。

また、この件で、大変な思いをされている方々がいるということをおっしゃっていました。

 

 

当該の記事の細部で、私が思い違いをしていたり、おかしな表現を使っていたりした部分があったようです。申しわけありませんでした。

 

 

指摘を受けた部分を含めて整理してみると、「出題ミス」であるとされている都立高校入試の理科の大問3の〔問1〕は、以下のような「解答の筋道」で構成されていることになります。

 

①「図2」の情報によって、解答を「ア」と「イ」にしぼる

②「図1」の情報によって、「イ」が正答であると特定する

 

 

つまり、選択肢「ウ」にまつわる「補助線」をどのように引こうと、正答を導くうえで「一切関係がない」ということがわかりますね。

 

 

 

記事の中で、私はいくつかの点で誤った内容を書いていますが、それは論旨に影響を与えるものではなかったので、私の主張は変わりません。

 

結局、「ウ」は中学で学習する理科の知識をもとに「消去」されるべき選択肢です。

ですから、「ウ」を正解とするべきではないのです。

 

 

多くの方が「非難の声」をあげていますが、「ウ」を選んでしまった受験生は、学力が足りなかったために誤った解答をしてしまったわけです。

それを「救済」するべきである、という主張は「論理的」ではないと思います。

 

「作問」が不用意であったというのなら、それはそうなのでしょうが、当該の設問は入試問題として「成立している」とみなすほかはありません。

 

 

 

いくつか、理解できたことがあります。

それは、状況から推測できるということであって、実際のことはわからないままなのですが、ちょっと考えたことを書こうと思います。

 

 

 

きっと、東京都教育委員会の「対応」に腹を立てている都立高校の先生方がいらっしゃるのだろうと思います。

 

「入試」に関して異議を申し立てないように、というような「圧力」のようなものがあったのかもしれません。

あるいは、異議を取り合わないというような態度を示しているのかもしれません。

 

 

東京都教育委員会は、今回の件について、外部の識者や塾の人間の抗議はあるが、教員からはない、と述べているそうです。

もしかすると、教員の声を受け付けていないだけなのかもしれません。

 

 

新聞紙上で「出題ミス」が取り上げられてから、この問題は大きくクローズアップされることになりました。これは「リーク」なのだろうと思います。

 

また、塾関係者をはじめ、いろいろな方がネット上でさかんに意見を述べています。

おそらく、自分で声を上げられない人たちが、情報提供をしたり、外部の人間を「けしかけ」たり「たきつけ」たりしているのだろうと思います。

 

 

 

一方、東京都教育委員会の側では、今年の入試は「つつがなく」終えなければならないという事情がありました。

この数年、都立高校入試に関する「不祥事」が続いていました。

 

都教委からすれば、一昨年に発覚した「採点ミス問題」は、現場の高校の教員が引き起こしたものです。都教委の職員の方々は、その対応に忙殺されたことでしょう。

監督する立場として「多少強引なやり方でことを収めるのもしかたがない」という考えにとりつかれていたということも考えられます。

 

 

今回の「出題ミス」の騒ぎは、「感情的なもつれ」が大きく作用していると思います。

 

 

 

私は、多くの方に、この問題を「理性的」に考えてほしいと思っています。

 

 

 

東京都教育委員会を「追いつめる」ことで、一体何を得ようとしているのでしょう。

再三指摘しているとおり、「ウ」を選んだ受験生は学力が不足していたのです。「ウ」を選んだ受験生に得点を与える根拠はありません。

 

これは、「悪」を懲らしめるストーリーなのでしょうか。

情緒的な扇動には、説得力はありません。

 

 

私は、東京都教育委員会の職員の方々もまた、「被害者」であると考えています。

そして、私は、さまざまな抑圧のなかで、「都立復権」の灯を絶やすまいと暗闘されている方々がいらっしゃると信じています。

 

 

 

「想像力」は大事なものだ、とよくいわれます。

「想像力」とは、「直接知覚できない現実の局面を、理知的に把握する能力」のことをいいます。

 

 

「騒ぎ」を拡大させて、今年の理科の入試問題を「出題ミス」であると認めさせることに「成功」したとしましょう。果たして何が起こるのかを「想像」していただきたいと思うのです。

 

 

必ず、次年度以降の入試問題の「質」が低下します。

 

思考力を問うような、作りこまれた問題が少なくなり、誰からも「クレーム」を付けられることのない「のっぺりとした」設問が並べられることになるはずです。「幸い」マークシートが稼働しています。

 

 

もう一度都立高校を「凋落させよう」という「流れ」を、押しとどめることができなくなっていくでしょう。

たった2年で、「あそこまで」都立高校の入試選抜はスポイルされてしまいました。

 

 

「この件」は、一歩まちがうと「ダメ押し」になる可能性が高かったのです。

 

 

無責任な「足の引っ張り」が続けば、再び「日比谷潰し」が成し遂げられ、都立高校の「凋落」が「決定的」になります。

 

 

(ivy 松村)

 

都立高校入試の理科の「出題ミス」について

本年度の都立高校入試の理科の問題に「出題ミス」があったのではないか、と話題になっているようです。

 

大問3の〔問1〕の「金星の位置」を答える問題です。

 

 

個人的な「意見」を述べるならば、私は、中学生が解く理科の問題として「成立している」と考えます。

 

 

 

この件は、塾の先生方の間でも、かなり話題になっているようです。

福岡や大阪の塾の先生もコメントをされていました。

やはり、東京の塾の先生方にとっては重大な関心事ですので、大きく取り上げる方も多かったようです。

 

 

ところで、本題とは関係ない話ですが、塾の先生で、「読める文章」を書ける人は「理系」の人が多い気がします。というよりも、ほとんど「そう」です。

 

「理系」の方か、「理系」の背景をもった「オールラウンダー」タイプの方か、「文系」の出身で「理系」を教えている方ばかりです。

 

文章を書くという行為には、「論理的な資質」が必要なのかもしれません。

 

同時に、あらためて思うのは、ほとんどの「文系」の「先生」は、「書くこと」を苦手としているということです。「文章を書けない人間」が「作文」や「小論文」を教えていたりすることも、往々にしてありそうです。

 

 

 

塾の先生方の意見を拝読すると、当該の理科の問題は「おかしい」という見解が多数を占めています。

 

(大手塾の先生は意見を書きづらいと思いますが、その中で、「ポイント」の概説にとどめた記事は印象に残りました。)

 

私が知る限り、「問題ない」という意見をおっしゃっていたのは1人だけでした。

 

 

 

「理系」を「専門」とする先生方が口をそろえて「おかしい」といっているのに、「理系」を「専門」としない私は、身が縮む思いで、その「逆」の意見を述べようとしています。

 

 

それは、もしかすると、私が「専門外」の人間であるからこそ、持ち得る判断なのかもしれません。

 

さらにいえば、私が「この問題」を「学者」の目線でみておらず、ある意味で、「政治的」な立場でとらえていることも理由のひとつであるといえます。

 

ここでいう「政治的」という言葉のニュアンスを正確に伝えるのは難しいのですが、あえて換言するならば、「理性的」に「この問題」をみようとしているつもりです。

 

 

 

当該の設問は、「図1」と「図2」のヒントから、「図3」における金星の位置を4つの選択肢から選ぶものでした。

 

 

「図1」には「西の空」から見える「金星の位置」が示されています。

「図2」には観察した「金星の形」が描かれています。

 

このうち「ミス」として指摘されたのは、「図1」に示された「西の空」に描かれている金星の位置が「正しくない」という点でした。

 

それはもちろん「正しくない」わけですが、この設問の「テーマ」から考えれば、それは「主眼」ではないわけです。

 

 

この設問の「重心」は、「図2」の「金星の形」にあります。

 

「金星の見え方」と「金星と地球の位置関係」に関する知識こそが、「中学生の理科」の主要な学習内容であり、それを確認することがこの設問の「テーマ」なのです。

 

 

 

日野市や八王子市の公立中学校では、理科の教科書は啓林館のものが使われています。

 

啓林館の理科の3年生の教科書の54ページおよび55ページで、この地域の中学生は「地球から見た金星の位置と見え方」を学習します。

 

 

つまり、公立中学で理科を学んだ中学生が、その知識をもとに本問を解こうとするときには、「図2」の情報をもとに答えを導くわけです。

 

教科書を一瞥しただけで明らかになることですが、金星の見え方が「図2」のようになるのは選択肢の「イ」以外にはあり得ません。

 

 

 

一方、「おかしい」と指摘されている「図1」ですが、これが「正確ではない」ということは間違いありません。

しかし、見過ごすべきでないのは、知っておくべき知識を装備していなかった受験生は、「図2」から正答に直結する情報を読み取れなかったために、しかたなく「図1」のみに頼って答えを得ようとしていたのだということだと思います。

 

都立高校の入試問題は、社会もそうですが、なるべく複合的な「ヒント」を組み合わせた問題を作ります。

複数の「脈絡」から正答に迫ることができるような作りになっているのです。

 

都立の入試に精通している教育関係者、あるいは受験に携わる人間であれば容易に思いあたると思いますが、そのような作問が行われているのは、いってみれば「救済措置」であるわけです。語弊を恐れずにいえば、学力が乏しい生徒であっても、必死でがんばれば解答できるような設問を忍ばせているわけです。

 

どちらかといえば、「図1」の情報は、平面的な情報を、空間的、立体的に再構成してとらえられるかどうかをみようとするものであって、理科の知識からややかけ離れたものです。そして、これは結局「主観的」な「感覚」にすぎないことではありますが、やはり、一般的には、「イ」の位置に金星がありそうだというとらえ方のほうが有力になると思います。

 

このようないいかたが正しいのかどうかはわかりませんが、「図1」のような「ヒント」は、理科を苦手とする生徒に対する「思いやり」として、付け加えられたものです。

 

 

要するに、「図2」を考慮せずに、「図1」だけの情報をもとに「ウ」を解答してしまった生徒は、根本的に、正当な、正答への筋道を見失っていたわけです。

 

 

 

理科の入試問題で、「科学」をないがしろにしてしまったのは、確かに良くないことでした。

 

しかし、なぜ「不正確な図」が出来上がってしまったのかは、少しわかる気がします。

 

今回の場合は、難度を下げようという「配慮」が「裏目」に出てしまったということなのだと思います。

 

 

 

端的にいって、「ウ」を選んでしまった受験生は、必要とされるべき理科の知識を欠いています。

 

この設問の解答を求めるのに、「図1」の情報のみに依存してしまった受験生が「ウ」を選んでしまったとしたら、それは、どちらかといえば「あてずっぽう」に近い行動だといえるでしょう。

 

また、高度な理科の知識を持った生徒であるほど間違える可能性があるという見方もあるかもしれませんが、その考えには違和感を覚えます。

概して、思考力の優れた、言い換えるならば、取るべくして点を取るような受験生であるならば、設問の「意図」というものを考えるはずだからです。理科の学力が高い受験生であるほど「イ」という解答に行き着くでしょう。

 

 

中学で学ぶべき理科の知識をしっかりと学び、吸収してきた受験生ほど正答率が高くなるように作られているわけですから、この設問は、入試問題として「成立している」と判断せざるを得ません。

 

 

あえて指摘するならば、この件について、入試直後に速やかに「おかしい」と言う声が上がらなかったのは、「そのまちがい」が本質的なものではないからです。

 

 

 

「この問題」が「炎上」してしまったのは、東京都教育委員会がホームページでおこなった「釈明」が「おそまつ」だと思われたからなのだと思います。

 

「専門家」の目から見れば、あきれるくらいに「おかしい」のだと思います。

しかし、「補助線」がどうのこうの、という話は、もはや「入試問題」という焦点からはかけ離れすぎていると感じます。

 

 

東京都教育委員会に対して、「物申し」をしたくなる気持ちはよく理解できます。

 

しかし、ちょっと冷静に「大局的」に考えることも必要だと思います。

 

塾の人間は、小学生や中学生に勉強を教える仕事をしているわけですが、萎縮してしまった生徒ほど「ミス」をおかすということをよくご存じなのではないかと思います。

 

もちろん、「大人」を子供のように扱えというのでは、アホっぽい話にはちがいありませんが、それでも、人間や人間の集まりである組織は、そもそもそういうものなのでしょう。

 

事態が悪くなるのは、「本人の資質」が問題なのではない、と思うことは多々あるわけです。

 

 

別に、大目に見ろ、といいたいわけではありません。

 

今回の件に関しては、ちょっと「ずれている」と思います。

 

指摘されている「ポイント」は、入試選抜の機能を損なっていません。

 

 

(私が、自分はずいぶん「政治的」な人間だな、と感じるのはこういう思考をするからなのかもしれませんが。)

 

 

(ivy 松村)

 

 

(注:後日、この記事の間違いの訂正や補足の記事を書きました。こちらもあわせてお読みください。)

 

 

平成28年度都立高校入試の社会の問題③

本年度の都立高校入試の社会の、大問5と6の解説をします。

 

○大問5「公民」

 

〔問1〕

 

社会権のうちのひとつである「生存権」について述べられている選択肢を選ぶ問題です。

この問題を落とすことはできなかったはずです。

 

平成26年度の大問5の〔問1〕で、「生存権」を答える問題が出されました。

2年前に出題された内容を確認していない受験生がいたとすれば、それは「致命的」です。

 

また、平成20年の大問5〔問1〕でも、「社会権」を答える問題が出されています。

 

 

2年前の問題の内容が「そのまま」書かれている「ア」が正解になります。

 

「イ」「ウ」の選択肢には「自由」という言葉がみられます。

これらは「自由権」について述べられているということに気づくことができれば、これらの選択肢を消去できます。

また、「エ」は、公務員の地位や参政権(選挙権)について述べられたものです。

 

過去に「基本的人権」について出題された例は、平成23年度の大問5の〔問1〕や、平成22年の大問5の〔問1〕、平成21年の大問5の〔問2〕、平成17年の大問5の〔問4〕などがあります。

これらの問題には、本年度の問題の選択肢「イ」「ウ」「エ」の「内容」が「ほぼそのまま」書かれた選択肢が使われています。

(憲法の条文なので、言い換えられることはないのです。)

 

 

〔問2〕

 

労働基準法について書かれた「ウ」が正解となる選択問題です。

 

このトピックも、過去にあつかわれています。

 

まず、平成20年度の大問5の〔問3〕です。本年度の問題とほぼ同じ内容でした。

「1日8時間、週40時間の労働時間」を定めた法律を選ぶ問題です。

 

また、平成15年度の大問5の〔問2〕でも、「労働基準法」を答える問題が出されました。

 

 

〔問3〕

 

グラフを読み取る問題です。

 

文章で述べられている内容にあてはまらない選択肢を消していけば、正解の「エ」にたどり着くことができます。

 

 

〔問4〕

 

わが国の社会保障の課題について、資料を用いて説明する問題です。

 

この問題は、「因果関係」にあてはめて記述をすることで、解答しやすくなります。

 

「グラフⅠ」をみると、社会保険料による収入と、社会保障給付費は、ともに増加していますが、その「差」が年々大きくなっていることがわかります。

つまり、「収入」と「支出」の差が増大して、「赤字」が拡大しているのです。

 

これが、「結果」です。

 

 

「グラフⅡ」をみると、65歳以上の「高齢者人口」が増加していることを示すグラフであることがわかります。

(同時に15歳以上~64歳の「生産年齢人口」が減少していることもポイントです。)

 

これが「原因」です。

 

 

高齢者人口の割合が増えているため(原因)、社会保障給付費による支出が増えています(結果)。

また、生産年齢人口の割合が減っているため(原因)、社会保険料による収入が増えなくなっています(結果)。

 

 

受験生は、「少子高齢化」によって「社会保障関係費」による支出が増大していることが、わが国の財政上の大きな問題となっていることを知っておく必要があります。

 

この問題は、「財政」、「社会保障」、「人口問題(少子高齢化)」など、複数のトピックに関係しています。

 

 

 

○大問6「融合問題」

 

〔問1〕

 

「Ⅱ」の文章で述べられている国を選ぶ問題です。

 

A=ブラジル

B=カナダ

C=インド

D=フランス

 

 

「ア」は、森林面積がもっとも広く、国土に占める森林面積の割合が大きいことから、ブラジルだとわかります。ブラジルには「アマゾン」と呼ばれる熱帯林が広がっています。

 

「イ」は、森林面積が広いことと、針葉樹の伐採が盛んに行われていることから、カナダであるとわかります。カナダは木材の生産国です。

針葉樹は涼しい気候でも生長するので、「亜寒帯」に広く生い茂る樹種です。これは社会の「基礎的な知識」として知っておかなければなりません。

 

 

「ウ」と「エ」を比較します。

 

国土の広さから考えて、インドの方が、森林面積が広くなるはずであると推測することができます。また、人口の多いインドの方が木材の需要が大きいので、木材伐採高が高くなるはずです。

 

したがって、「ウ」がフランス、「エ」がインドであると特定することができます。

 

 

「Ⅱ」の文章には、「18世紀後半には、市民を中心とした、自由で平等な社会を目指す動きがあった」という記述がみられます。

これは、フランス革命のことを述べているので、正答は「ウ」になります。

 

 

また、「森林面積及び国土面積に占める森林面積の割合は増加している」というヒントによって、「ア」と「イ」の選択肢を消し、さらに、「東部国境から南東部に広がる山地には針葉樹が分布している」(これはピレネー山脈のことです)という記述に着目して、針葉樹伐採高が高い「ウ」を選ぶことで正答にたどり着くこともできます。

 

 

〔問2〕

 

この問題は、ちょっと「やっかいな問題」ですが、「環境庁の設置」が1971年であることを知っていれば、正しい答えを見つけ出すことができます。

 

 

「環境庁の設置」に関しては、平成22年の大問5の〔問3〕、平成15年度の大問6の〔問2〕の年表、平成10年度の大問6の〔問3〕など、度々取り上げられてきました。

 

また、平成26年度の大問6の〔問2〕でも「環境関連」の問題が出されています。

 

67年 公害対策基本法

71年 環境庁の設置

72年 国連人間環境会議

:   :

 

といった「出来事」は、おさえておく必要があります。

 

「公害問題」と「高度経済成長」は、現代日本史の「陰と陽」をなすトピックです。「高度経済成長」と同じ時期に「公害問題」が大きくなり、法整備や政府機関の設置が求められたのです。

 

 

〔問3〕

 

この問題は、「記述問題」と「記号問題」の2つのパターンが用意されていたことがわかっています。

 

東京都教育委員会がホームページで発表している本年度の「入試問題」の大問6の〔問3〕は、「記述問題」となっています。

 

しかし、東京都教育委員会が2月26日にホームページで公表した入試日に起こった「不備」の内容を読んでみると、本年度の受験生に配られた入試問題の大問6の〔問3〕は、「記号問題」だったことになっています。

 

「記号問題」を配布しなければならないのに、誤って2名の受験生に「記述問題」を配ってしまったと記載されています。

 

ちょっとよくわかりませんね。

 

 

また、理科の入試問題でも、大問6の〔問3〕などの「記述問題」が、「記号問題」として作られている「別バージョン」のものが存在することがわかっています。複数の入試問題の「候補」が作られ、最終的に、大問6の〔問3〕が「記述問題」となっているものが入試問題として「採用」されたのだということになります。

さらに、公表された内容を読み解くと、理科の「別バージョン」は、「全て記号で答える」入試問題であったということがわかります。

 

 

なんだか、いろいろ考えさせられますね。

 

 

さて、大問6の〔問3〕ですが、「記述問題」としては、やはり、「因果関係」の構造を使って解答することができる問題です。

 

 

「変化の様子」と「その理由」を答える問題です。

 

ですから:

 

①森林面積がどうなった(増えたか減ったか)「変化の様子①」(結果)

②農地面積がどうなった(増えたか減ったか)「変化の様子②」(結果)

③それはなぜなのか「その理由」(原因)

 

という3つの「要素」を記述する必要があります。

 

 

「Ⅲ」から、記述の対象がアフリカ州であることが読み取れます。特に、「ナイル川」のヒントは見落とせません。

 

「Ⅱ」から、アフリカ州の人口増加率が27.7パーセントと他の地域よりも高いことがわかります。これが「その理由」(原因)の「要素」になります。

 

「Ⅰ」から、アフリカ州の森林面積が大きく減少し、農地面積が拡大していることがわかります。これが「変化の様子」(結果)です。

 

 

よって、記述する内容は、

 

①農地が拡大している

②森林が減少している

③なぜなら、人口が急増しているためである

 

というものになります。

 

 

ただし、「上位校」の場合には、この記述では不十分です。

(「本年度から」学校ごとの基準で「部分点」を採点するのだそうです。)

 

・人口増加→「より多くの食料が必要」

・農地の拡大→「農地を広げるために森林が減少している」

 

上記のような「補足」をしなければ整った解答にならないので、「部分点」を引かれてしまうかもしれません。

 

 

「解説」は以上です。

 

私が、授業で平成28年度の入試問題を解説するとしたら、ここまで書いてきた内容の、さらに倍くらいの情報を「肉付け」して生徒に伝えると思います。

 

「入試の日」まで、どういった「受験勉強」をしていくのか、考えることはたくさんありそうですね。

 

 

 (ivy 松村)

 

 

平成28年度の都立高校入試③

平成28年度の都立高校入試の社会ですが、個人的には「易化」したように思います。

 

しかし、もしかすると、私が「社会」を教えるときに、特に「ポイント」にしている内容が多く出題されたためにそう感じるのかもしれません。

 

社会という教科において、重要とされている知識や基本的な考え方をベースにした問題が多く、非常に「正統的」だと思いました。

 

 

昨年度4題だされた記述問題が、本年度では3題となっています。

 

他の教科と比べて出題の形式に大きな変化はありませんが、難度は下がっている印象です。

昨年度の大問5「公民」は、かなり厳しい問題が並びました。

 

近年の都立の社会は、どれかの大問に、厳しい問いが集められた「山場」があるのですが、今年にはそれがないように感じます。

 

 

気になった問題は、大問3の問1でしょうか。

 

「第二次世界大戦前から鉄鋼業」=「八幡製鉄所」で福岡県であるとわかりますが、広島県を選んでしまった受験生も多くいたと思います。

 

 

また、大問6の問2も、正答率が低くなりそうな問題です。

 

「環境問題」は非常に重要なトピックなので、現代史の中で「環境会議」の開催、公害や環境に関連する法律の整備、「政府機関」の設置などがいつ行われたのかを確認しておく必要があるのですが、環境庁をチェックしていなかった受験生はかなり多くいたと思います。

(「環境庁」の設置については、過去に出題されたこともあります。)

 

 

 

ところで、記述問題に関して、また、認識を変えなくていけなくなりました。

 

先日、都立高校の入試に「採点基準」が存在しているということをこのブログに書きました。

 

 

昨年度、東京都の教育委員会が、都立高校入試における記述問題の「部分点の基準」をホームページで公表していたので、常識的に考えて、すべての高校で統一の基準で採点されることになったのだと思いました。

 

個人的には、にわかには信じがたい話だとは思いましたが、なにしろ、そう書いてあるのです。

 

本日、本年度の記述問題の「採点」の方針についてホームページで確認してみると、「表現」が大きく変わっていました。

各学校で「部分点の基準」を決めて採点するということです。

 

まあ、その方が現実的ですよね。

 

 

ある組織の体裁としての「形」や「建前」と、「執行」や「運営」といった実務の間には、ほぼ確実に「ギャップ」が生じるので、本来ならば、組織として「外部」に「説明」をしなければならない場合には、「リスク管理」として「あいまいな」表現を用いるのが「鉄則」です。

それは、「はぐらかし」といったような幼稚な行為ではなく、ある意味で社会的な「責任」として行われるものです。

 

個人的には、「採点ミス」をなくすように、という「圧」が、想像を絶するほどに強かったのだろうと思っています。

 

 

石原さんが都知事をされている間に、都立高校の存在感は非常に大きくなりました。

もしかすると、それで非常に困っていた人たちが、ようやく大きな声を出せるようになってきたということなのかもしれません。

「採点ミス」を根絶することが「本当の目的」ではないと、だんだんと思い至る人も増えていくのかもしれないという気がします。

 

 

 

それにしても、都立高校入試が終わって、まだ1日と経っていません。

 

取り急ぎ確認したところですので、記入ミスや間違いがあるかもしれませんが、ご容赦ください。

 

 

詳しい情報が入ってきてから、今後の都立高校の入試についてじっくりと考えてみたいと思います。

 

 

(ivy 松村)

 

都立高校入試の社会の記述問題について

都立高校入試が近づいてきました。

 

社会の「記述問題」(論述問題)のポイントを書こうと思いますが、その前にまず、ある情報について書きます。

 

もしかすると、知らないままの受験生がいるかもしれません。

それで、この記事を書いておこうと思ったのです。

 

 

 

都立入試の各教科の記述問題の採点基準は、以前は、おそらく各高校にある程度「裁量」がゆだねられていたはずです。

しかし、一昨年度の入試で、都立高校の「採点ミス」の問題が大きく取り上げられ、それをきっかけとして都立高校入試の制度が「改革」されることになりました。

 

耳目を集めた変化のひとつに「マークシート」の導入がありましたが、実は、記述問題の「採点基準の統一」も、その大きな流れの中で明確化されていたのです。

 

 

都立高校入試の理科・社会は、上位校であろうとなかろうと、同じ基準で採点される「方針」となっています。

 

もし、「採点基準」を知らないまま受験勉強をしている受験生がいるとすれば、それはちょっと「怖い」状況です。

今の時点で知らないという人がいたら、東京都教育委員会のホームページで確認しておきましょう。

 

 

当然ですが、記述問題は、「何となく」書けばよいというものではなく、何を、どう書けば点数が得られるのかを認識したうえで「解答」を作らなければなりません。

 

「部分点」の集積によって「解答」が成り立つという、記述問題の基本的な「設計」を理解していなければ、「組み上げる」記述ができずに、点数を取りこぼしてしまうことも起こり得ます。

 

 

 

記述問題の基本的なアプローチは、「資料」から読み取れる複数の「要素」を「言葉」に置き換えて、設問に対して整合するように連結して「解答」を作るというものです。

 

能動的に「言葉」を使うことに対して、苦手意識を持っている中学生は多くいるのだろうと思います。

こうした訓練の経験が少ない人は、かなり高度な能力が求められているように思うかもしれません。

しかし、記述問題は、ある程度定式化された「作業」を行うことで、得点を確保することができるものです。

 

 

 

昨年度の社会の入試問題を使って、記述問題を「攻略」してみましょう。

 

 

◎平成27年度 都立高校入試問題 社会 大問3〔問3〕

 

次のIの表は,ある町の1965年から2010年までの総人口,0~14歳の人口,15~64歳の人口,65歳以上の人口を示したものである。Ⅱの文章は, 2009年4月からこの町で施行された事業の一部を示したものである。IとⅡの資料から読み取れる,この町がⅡの事業を施行した理由と目的について,簡単に述べよ。

 

 

1965年 1980年 1995年 2010年
総人口 15479 11972 9536 7304
0~14歳 6393 3077 1595 643
15~64歳 8164 7543 5729 3837
65歳以上 922 1352 2212 2824

 

 

○奨励金の支給年度において,定住世帯構成員の一人以上が満45歳未満であれば,定住世帯に奨励金を支給する。奨励金の基本額は,定住世帯一世帯につき15万円とし,単身世帯の場合は5万円とする。

 

○中学生以下の子供がいる場合,基本額に,当該中学生以下の子供一人につき5万円を加算した額の奨励金を支給する。

 

○満65歳未満の人が,定住する目的で,町内の土地を取得し,町が定めた期限までに住宅を建築することを確約すれば,一世帯につき奨励金を30万円支給する。

 

 

 

 

①問題の形式を確認する(解答の形式を定める)

 

 

→「理由」と「目的」を答える

※理由・・・どうして「奨励金」を支給するのか(どんな問題があるためなのか)

※目的・・・何のために「奨励金」を支給するのか(何を求めてのことなのか)

 

 

「理由」と「目的」という言葉について、同一の概念をわざわざ2語並べて使っているのだと勘違いしてしまうと、「解答」の形が設問に対応しなくなってしまいます。

 

「と」という、「語を並立させる助詞」を使っているので、「理由」と「目的」の2つを答えるのだと考えなければならないわけです。

 

正答例では、「~ため、~を目的としている。」という記述形式になっています。

他にも「~から、~ため。」「~ので、~しようとしている。」といった記述の形が考えられます。

 

 

 

②「解答」の「構造」を把握する

 

 

この問題の「解答」には、「理由」と「目的」という2つの要素を組み込めばいいということがわかりました。

 

しかし、「理由」と「目的」という2つの「似たような」概念を結びつけるのは、ちょっと大変だと思います。

 

もしかすると、こういった問題を攻略する鍵になるのは、さまざまな事柄の結びつきを「発見」することができるような、抽象的な思考力なのかもしれません。

 

この2つの要素は、大きくとらえると「因果関係」にあると考えることができます。

 

 

「理由」 「目的」
=(問題点) =(対応策)
=原因 =結果

 

 

実は、社会の記述問題の「解答」は、「因果関係」の説明を求めるものが非常に多いのです。

 

「難解」に感じた記述問題は、まず「因果関係」に照応させることができるかどうかを考えてみるとよいかもしれません。

 

 

 

③必要な「情報」の「所在」を確認する

 

 

「因果関係」という「構造」をとらえることができたら、次に、「資料」から「理由」(因)と「目的」(果)の情報を得られるかどうかを確認します。

 

 

「資料」を用いた記述問題で「因果関係」を説明するときには、以下のうち、どのタイプの問題を解いているのかを判断する必要があります。

 

※「資料」から「因」の情報が読み取れる / 「資料」から「果」の情報も読み取れる

※「資料」から「因」の情報が読み取れる / 「資料」から「果」の情報は読み取れない

※「資料」から「因」の情報が読み取れない / 「資料」から「果」の情報は読み取れる

 

 

この問題の場合、多くの受験生は、ほとんど直感的に「Ⅰ」が「因」の情報を示していることを読み取ることができます。

すなわち、「奨励金」という事業が施行された「理由」は「Ⅰ」を使って記述するということになります。

 

 

原理的に、「Ⅱ」から「果」の情報を読み取るのだと把握できれば、「解答」に大きく近づきます。

しかし、「Ⅱ」には、「果」の情報が「直接」述べられていないので、「奨励金」という事業が施行された「目的」については、言葉を補って記述しなければならないということになります。

 

 

 

④「資料」から、記述に必要な「要素」を抽出し、言語化する

 

 

「Ⅰ」は、「少子高齢化」と「過疎化」が進行していることを示す「資料」であると気づかなければなりません。

 

日本の「人口問題」に関して、受験生のほとんどは、すぐに「少子高齢化」に思い当るでしょう。これが、「解答」を構成する「要素」のうちのひとつになります。

 

同時に、(「過疎」が進行し)「総人口」が減少していることを「要素」として「解答」に組み込まなければなりません。

(そこに、「部分点」である「1点」が設定されています。)

 

 

「人口問題」は常に2つの面から考えなければなりません。

ひとつは、人が「生まれる」「死ぬ」という「生物的要因」です。

もうひとつは、「流入する」「流出する」という「社会的要因」です。

 

過密/過疎、都市化、ドーナツ化現象、ベッドタウン、昼間人口/夜間人口、移民などの問題は、要するに「社会的要因」から人口にまつわる現象をとらえたものです。

つまり、「社会科」という教科においては、地理的な人口の分布や移動の状況を、「人口問題」の対象として意識しておかなければならないのです。

 

 

「総人口の減少」に言及して「部分点」を獲得するのは、上記のような、「社会科」の知識や問題意識などを装備している受験生か、問題の構成を精密に読み取って、「総人口の減少」を必要な「要素」として解答に組み込むことができる「センス」を持った受験生ということになります。

 

(一応、念のために述べておきますが、「センス」とは、「頭のよさ」といったような胡散臭いものを表しているわけではありません。試験時間の、まさにその問題を解いているそのときに、誠実に問いに相対し「考え尽くす」ことで研ぎ澄まされる「得点感覚」のことをいっているのです。それは、「誰」であっても身につけられるものです。)

 

 

都立高校入試の社会の記述問題は、基本的に、表、グラフ、図、年表、文章などの「資料」を活用したものになっていて、直接「知識」を問われることはほとんどありません。しかし、「背景」を知っていることで、設問の「意図」や、答えるべき「内容」に気づける場合があります。

 

何を答えていいのか迷ったときには、落ち着いて、問いの「周辺知識」を洗い出してみると、思いあたることがあるかもしれません。

 

 

次に、「Ⅱ」の内容から、必要な「要素」を拾わなければなりません。

 

○その町に45歳未満の人が住んでいると「お金」がもらえる(「家族」だと多くもらえる)

○町に住んでいる「家族」に「子供」(中学生以下)がいれば、さらに「お金」がもらえる

○高齢者ではない人がずっと定住するつもりであれば、さらに「お金が」もらえる(家を建てたり土地を取得したりする)

 

→若い人がその町に住むと「経済的なメリット」が得られる

(その町に引っ越してくる「動機」を作った)

 

※このような事業を行う「目的」:

 

・町の人口を増やすため

・若い人を増やすため

・定住(ずっと暮らしてくれる)してくれる人を呼び寄せるため

 

 

 

④「部分点」を意識しながら「解答」を「組み上げる」

 

 

 

記述に使う「言葉」は、抽象的な語彙を用いたほうが「きれい」にまとまりますが、そういった語彙が思いつかなければ、「資料」の表現を使ってまとめるとよいでしょう。

 

たとえば:

 

「・・・45歳未満の人や中学生以下の子供を持った世帯の定住を増やすという目的で奨励金を支給している。」

 

というような表現でもぎりぎり許容されると思います。

 

 

正答例:

「総人口の減少と少子高齢化の課題があるため、町外から若年層の定住者を増加させることを目的としている。」

 

 

「Ⅰ」で読み取った「少子高齢化」という「理由」と対応した「目的」を書かなければならないので、「若い」定住者が求められていることを記さなければなりません。

ですから、単に「定住者の増加」と記述した場合には、「部分点」の「2点」を得ることはできないということなのでしょう。

 

 

 

部分点の基準:

 

・理由として,「総人口の減少」について述べられている。(1点)

 

・理由として,「少子高齢化」について述べられている(2点)

※少子化又は高齢化のどちらかのみについて述べられている場合は部分点を与えない。

 

・目的として,「町外から若年層の定住者を増加させること」について述べられている。(2点)

※年齢層(若年層,子育て世代など)又は定住者の増加のどちらかのみについて述べられている場合は部分点を与えない。

 

・誤字・脱字が1か所以上ある。(1点減点)

 

 

 

この問題の正答率は69.3パーセントとなっていますが、5点満点を獲得した受験生はあまり多くないと思います。

(この正答率は「部分点」を得た受験生をカウントしたものです。したがって、「0点」だった受験生が3割以上いたわけです。)

 

 

 

記述問題は、「部分点」を組み合わせて作られています。

逆にいえば、「部分点」に分解できるというわけです。

 

ですから、「部分点」を構成する「要素」を組み上げて「解答」を作る、という意識を持つことが大切です。

そうすることで、「部分点」を確実に確保することができ、かつ、失点を防ぐことができます。

 

 

また、「部分点」を意識することで、解答への筋道をより速く、正確につかめるようになるでしょう。

問いの「構造」を分析的に考えることで、「何」をどう「解答」に組み込めばいいのかが見えてきます。

 

 

 

ここに書いたものは、特定の問いに対するアプローチの一例にすぎませんが、それでも、多くの示唆を含んでいると思います。

 

 

最初は、もっと総合的な攻略法を書くつもりだったのですが、「文字」だとなかなか難しいですね。ちょっと冗長な説明になってしまいました。授業であれば、もう少し簡潔に包括的な説明ができるのですが。

 

 

本当は、今年は、都立高校入試の「支援」を書くつもりはなかったのです。

思い立って勢いで書いてしまいましたが。

そのせいで、文章が散漫になってしまいました。

 

それでも、このブログを覗いた受験生にとって、参考になれば、と思います。

 

 

 

受験生のみなさん、悔いのない受験を。

 

 

 

(ivy 松村)