最善策は、「特別選考」の再開

数日間、このブログで「第二次日比谷つぶし」について書いてきました。

 

 

「第二次日比谷つぶし」を担っているのは、どういった人々なのか、まとめてみましょう。

 

 

①「平等主義」を信奉する人々

 

教育を均質化、画一化しようと画策する人たちです。

 

②「私立学校」の関係者

 

都立高校と競争関係にある人たちです。

 

③一部の中学の教員

 

入試選抜よりも、中学校を制御することに関心があります。

 

④一部の怠慢な高校教師

 

入試制度に関する「業務」が「楽」になることを望みます。

 

⑤一部の東京都教育委員会事務局(教育庁)の職員

 

一連の「変更」を「主導」しているのは東京都の「教育庁」です。

 

見過ごされがちですが、「教育庁」は「官僚機構」です。

原理的に「ミス」や「批判」を嫌うという「官僚」の「性質」が、一連の「変更」の原動力になったのかもしれません。

また、その中で、個人や集団による「主導権争い」や出世・ポストなどをめぐる「闘争」が行われることがあるのかもしれません。あるいは、行政の「トップ」の交代や人事異動などにともなって、方針の転換や、実務を差配する「権限」の移動が起こったのかもしれません。

「組織の規範」や「職員個人のインセンティブ意識」、あるいは「政治的な力学」などが政策決定に影響している可能性もあります。

 

 

「第二次日比谷つぶし」は、以上のような「利害」をともにする「勢力」が、極めて自然に同調し、共鳴しながら具現化しました。

 

一方で、「都立復権」の灯を絶やすまいと、奔走されている方々もいらっしゃるのではないかと思います。

 

 

 

都立高校入試は、「隘路」に差し掛かっているように思います。

 

おそらく、今年の選抜のやり方、入試問題、東京都教育委員会の「指導」などに対する反発やフラストレーションは多方面で極度に高まっているはずです。

 

「ソフトランディング」が必要です。

 

 

もっとも合理的、調和的な解決策は「特別選考」を再開することです。

 

 

募集人数の10パーセントを入試得点のみで合格させる「特別選考」は、絶妙のバランスの上に成り立っていました。

 

 

10パーセントの「特別選考」であれば、中学の評定を軽んじる空気は生まれないはずです。

同時に、中学の評定の「不公平感」を緩和することができます。

 

過度に他の高校を圧迫したり、「受験熱」を過熱させたりすることもないでしょう。

 

むしろ、現在の実技4教科を重視する内申点の制度のもとでこそ、「特別選考」は有意義なものとなるはずです。

 

 

その他の制度はすぐに変えたり元に戻したりすることは困難ですが、「特別選考」の再開は即座に可能です。「採点」にもほとんど負荷がかかりません。

 

 

ぜひ、熟慮いただきたいと思います。

 

 

 (ivy 松村)

「日比谷つぶし」と都立高校入試⑤

「特別選考」を廃止するということは、見方を変えていうならば、「内申点」を都立高校入試の「絶対の条件」にするということになります。

 

 

当然ながら、「内申点」の「しばり」を強めるほど、これに見切りをつける受験生が出てきます。受験生は、私立高校へ流れることになるのです。

 

「東京都立高校入学者選抜検討委員会報告書」にも、以下のような「危惧」が述べられています。

 

 

※「都立高等学校への進学を希望する中学生に対して、『都立高等学校は、意欲をもって全教科を偏りなく学習する生徒を求める。』というメッセージになる。一方、特定の教科で選抜を行う私立高等学校を受検しようと考える中学生が増えると考える。」(p27「有識者」の意見)

 

 

 

「東京都立高等学校入学者選抜検討委員会報告書」を読んでみると、どうやら、最初から「特別選考」を廃止する「結論ありき」で、議論が「準備」されていたのではないか、という疑いが生じてきます。

 

 

 

この「報告書」は、平成26年の1月23日に発表されています。

 

実は、その3年前にも「平成24年度東京都立高等学校入学者選抜検討委員会報告書」が作成されています。

その「平成24年度版」は、平成23年7月に発表されました。これは、石原氏が都知事をされていた期間に取りまとめられたものです。

 

 

その内容の違いに驚きます。

「論調」が180度違っているのです。確認してみましょう。

 

 

まず、「平成24年度版」の17ページには、「特別選考」に関する調査結果が示されています。

その結果は、特別選考を実施した高校の83.4%が「特別選考」に対して肯定的な意見だった、というものです。

 

「特別選考」を実施した高校からは、以下のような意見が寄せられています。

 

※「本校の特色を中学生に対して示すことができた。」(p17)

※「中学校において思うように調査書点が伸びなかった受検者に、チャンスを与えることにつながる。」(p17)

 

 

また、委員会の審議でも、委員から以下のような「意見」が述べられています。

 

 

※「調査書点と学力検査等の得点による総合成績という尺度だけではなく、特別選考という異なる尺度で選抜を行うことができ、受検者の様々な能力をみることができた。」(p17「高校」の意見)

 

※「高等学校が求める生徒像を明確にして特別選考を実施することで、受検者の多様な面をみることができ、成果は大きい。」(p17「高校」の意見)

 

※「専門学科においては、中学校で真面目に取り組み、高等学校入学後に伸びる可能性のある生徒を入学させることができるような、受検者の意欲や特性等が重視される選抜を特に検討してほしい。」(p17「中学」の意見)

 

 

そして、「平成24年度以降の基本的な考え方」として、「特別選考は、一定の効果があることから、次年度についても引き続き実施する」(p18)と明言されているのです。

 

 

また、「24年度版」では、中学の評定について、「中学校間や同一中学校の教科間で評定の分布状況に大きな差があるなど生徒や保護者等に対して説明が難しい状況が一部にあるということも事実である」(p23)と述べられています。

 

つまり、「内申点」に不公平性が存在し、それを補う「装置」として、「特別選考」というものが機能していると、言外で認めているわけです。

 

 

たった2年で、「特別選考」に対する「評価」がまったく「正反対」になっていることがわかります。

石原氏が都知事を辞められた直後に、劇的な「転調」があったわけです。

 

 

 

「審議経過」をみてみると、「24年度版」の「委員会」は、全部で4回の会合が開かれていたことがわかります。

 

 

・平成24年度東京都立高校入学者選抜委員会審議経過

 

第1回(平成23年5月16日)

題2回(平成23年5月27日)

第3回(平成23年6月 6日)

第4回(平成23年6月21日)

 

 

一方、26年度は11回です。

 

 

・平成26年度東京都立高校入学者選抜委員会審議経過

 

第1回 5月13日(月)

題2回 5月21日(火)

第3回 6月10日(月)

第4回 6月24日(月)

第5回 7月 5日(金)

第6回 8月26日(月)

第7回 9月11日(水)

第8回 10月 4日(金)

第9回 10月31日(木)

第10回 11月21日(木)

第11回 12月25日(水)

 

 

強引に議論を誘導しようとする人間がいて、審議が停滞し、進捗しなくなっていたことがよくわかります。

 

26年度の「報告書」をよく読んでみると、特に中学と高校の教員が、おかしなことをいっています。

 

 

それでも、中学の教員の立場は理解できます。中学の教員が、中学校の評定を重視するような制度にしてもらいたいという希望を持つのは自然なことです。

 

 

高校の教員が高校入試を台無しにしようとする言動を行う理由を読み解くヒントは、委員の「属性」にあります。

 

24年度の審議には、町田高校や竹早高校といった進学校の教員が参加していました。

 

一方、26年度は以下の高校の教員が出席しています。

 

工芸高校(58)

墨田川高校(56)

本所高校(50)

砂川高校(44)

第四商業高校(44)

 

( )内は、晶文社の「高校受験案内2013」で確認した「当時」の男子の偏差値です。

 

墨田川は、上掲の高校の中で、唯一、特別選考を実施していた「単位制」高校です。

砂川は「定時制・単位制」、工芸は「専門家」、第四商業も「専門科」の高校です。

 

 

参考までに、「特別選考」とともに「自校作成」を実施していた高校の偏差値を掲載します。

 

日比谷高校(71)

西高校(71)

国立高校(71)

戸山高校(70)

立川高校(70)

青山高校(68)

国分寺高校(68)

武蔵高校(67)

新宿高校(66)

両国高校(66)

大泉高校(65)

富士高校(62)

白鷗高校(60)

 

 

 

26年度の東京都立高校入学者選抜検討委員会に召集された高校の教員の「属性」が、著しく偏っているのがよくわかります。

 

上位難関校の意見が反映されないような体制のもとに、審議を進めているわけです。

 

うがった見方をすれば、上位難関校から反発が起こるような「計略」を行っていたわけです。加担してくれない人間はなるべく呼びたくなかったのかもしれません。

 

 

これは一般論ですが、こうした「審議の場」に出席する人は、個人の意見を述べることももちろんありますが、「誰か」の意見を代弁する場合もあるわけです。あるときには、自分が属する「集団」や「団体」の要望を述べることもあるでしょう。ないしは、「仕切り役」の意向に沿って発言したり、「スポンサー」などの利益を確保するために「ごり押し」を行ったり「ポジショントーク」を繰り広げたりすることもあるのでしょう。

 

 

 

ところで、あまり注目されていないことですが、「特別選考」の廃止は、「公立中学」出身ではない受験者に、多大な不利をもたらします。

 

日比谷には、毎年、国立や私立の中学からの受験者が一定数います。やはり学芸大附属中の受験生がもっとも多いはずですが、それ以外にもさまざまな理由で「学校を替える」生徒がいます。

あるネット上のデータによれば、日比谷の合格者の約1割が国立や私立の出身のようです。最近では、都立中からの受験者も出てきているかもしれません。

 

こうした「中受組」にとっては、都立高校入試における「内申点」は、非常に大きな「ハンデ」となります。

 

「一貫校」の先生は、生徒が高校受験をして「途中で抜ける」のを非常に嫌がります。

まことしやかな噂では、高校受験をすると学校に伝えると、中3の2学期の成績が露骨に下降してしまうのだそうです。

その真相は確かめるべくもありませんが、そうでなくても、優秀な生徒が集まる名門の一貫校では、相対的に、成績を維持するのが難しいという現実があります。

 

こうした学校の生徒にとって、「特別選考」はまさしく「生命線」だったわけです。

 

「特別選考」がなければ、都立トップ校合格に見合う学力を有していても、「内申点」の差で合格が厳しくなるのではないかという不安が大きくなります。

 

特に国私立中男子の受験回避が、今年の日比谷の応募人数が減少した理由の一端となっている可能性があります。

 

 

(ivy 松村)

 

 

「日比谷つぶし」と都立高校入試④

平成26年1月23日に「東京都立高等学校入学者選抜検討委員会報告書」が公表されました。

 

この中で、都立高校を「凋落」させるための具体的な施策がはじめて公開されました。

 

 

①内申点は、実技4教科を2倍に換算して算出する

②入試得点と内申点の比重をすべて「7:3」とする

③「特別選考」を廃止する

 

 

①と②の「内申点」にまつわる2つの変更は、ある意味で、「布石」であるといえます。

 

「本丸」は、③の「特別選考」の廃止です。

 

 

「東京都立高等学校入学者選抜検討委員会報告書」には、審議に参加した中学と高校の教員の「意見」が載せられています。

 

 

「特別選考」に関する「中学」と「高校」の意見をみてみましょう。

 

 

※「特別選考の1割部分において、学力検査の得点のみを選考資料として合格者を決定する学校にいたが、特別選考により順位の変動はあまりみられず、合格者はそれほど変わらないという結果であった。」(p32「高校」の意見)

 

 

まず、「特別選考」を実施してもしなくても、合否結果はほとんど変わらないという「意見」が出されます。「特別選考」を廃止しても、影響はないという空気を作りたいわけです。

 

できればデータを出して欲しいところですが、なんとも、幼稚な「意見」です。

 

「特別選考」の眼目は、「低い内申点の受験生から合格者を出すこと」ではないのです。

「特別選考」という制度が重要なのは、この制度がある種の「保険」として機能している点です。つまり、「ひどい中学校」に属している受験生でも、これを頼って「上位校」を目指すことができるという「残されたルート」だったのです。

「特別選考」は、「劣悪な環境」であっても、努力によって夢を実現できるという切実な「希望」だったのです。

 

 

 

さらに、報告書の中で、入試制度をわかりやすくするために、「わかりにくい制度」である「特別選考」を廃止するべきであるという「意見」が強く主張されています。

 

 

※「今回の入学者選抜の改善の目的は、分かりやすくすることであることから、現行の入学者選抜制度を分かりにくくしている特別選考については、廃止するということでよい。」(p32「中学校」の意見)

 

 

驚くべきことに、この教員は、公平な選抜よりも入試制度の「わかりやすさ」のほうが重要だと述べているのです。

 

「報告書」の31ページからはじまる「特別選考報について」という箇所を読んでみると、ダラダラと「特別選考の歴史」を書き連ねて、面接や調査書を用いたごく少数の稀な「特別選考」を紹介し、情報を錯綜させたうえで「わかりにくい」といっています。

 

多くの都立上位進学校が、1割の合格者を入試得点のみで選抜する「特別選考」を行っています。これはよく知られた内容だと思いますが、そうでなくても、この程度の内容を「わかりにくい」というような「理解力」の生徒に合わせて、有意義な制度を失くす必要があるのだろうか、と疑問に思います。

 

 

 

そして、やはり、中学校の成績が重要なので、これを考慮しなければならないという「意見」も述べられています。

 

 

※「特別選考で、選考資料として学力検査の得点のみで行っている学校があるが、学力検査の得点のみではなく、中学校で付けられた評価・評定についてもきちんとみるべきである。」(p32「高校」の意見)

 

 

日比谷高校をはじめとする都立難関校の受験は「激戦」になります。まさしく、1、2点が合否を分ける戦いとなります。

それなのに、受験生に恣意的に与えられる「内申点」には、痛ましすぎるほどの「差」があります。

 

受験生の側から見れば、「内申点」というのは信頼できる指標ではありません。

多くの中学生・保護者は、中学の教員によって評価の基準が違い過ぎることを不公平であると感じています。それでも、あきらめることなく挑戦することができたのは、「特別選考」があったからです。

 

「特別選考」こそが、「活路」となるのです。

 

ですから、「日比谷つぶし」を仕掛ける不実な人間は、「内申点」という「しばり」を強くしたいわけです。

逆にいえば、「内申点」に左右されない入試選抜は、彼らにとって「都合が悪い」ものになります。

 

 

入試得点と内申点の比重を「7:3」に「固定する」という取り決め(②)は、地味ながら本質をついています。見方を変えていうならば、「内申点」の比重を軽くすることを禁じているわけです。

 

本旨は、「10:0」の受験を消滅させることです。すなわち、「特別選考」を廃することなのです。

 

「報告書」の中で、再三、すべての高校が「7:3」に統一されると念入りに強調しています。これが「原則」であり「既定」であるとして、「配分」に手を加えることを「タブー化」しようという目論見が垣間見えます。

 

 

実際、こうした「工作」は、非常に滑らかに「原則」の堅持を訴える「意見」と結びついて、「特別選考」廃止の「圧力」を作り出すことに成功しています。

 

 

※「 学力検査の得点のみで選抜する特別選考を残すとした場合、中学校で評価をした調査書と学力検査の得点の両方を用いて選抜を行うという、学力検査に基づく選抜の基本的な考え方と矛盾する。」(p32「高校」の意見)

 

 

上の「意見」内に示された「基本的な考え方」というのは「内申点」を合算して合否判定を行うというものです。

その考え方に則って、「内申点」を合算しない「特別選考」を行うべきではない、と言っているわけです。

これは一種の「トートロジー」(同義反復)です。つまり、「同じ内容」を繰り返して述べているにすぎません。正確には、「裏返し」の内容を並べて「矛盾だ」と言っているわけですが。

 

あるタイプの人は、中身のない「言葉の羅列」を押しつけようとします。

都合の悪いものを「否定すること」が重要なのであって、「論理」などどうでもいいと思っているからです。

 

 

 

「報告書」には、「特別選考」について以下のような「まとめ」が添えられています。

 

 

※「選抜資料を学力検査の得点や調査書点のみとしたり、学力検査の得点と調査書点の比率を各学校が決定したりするなど選抜尺度を変えることができる特別選考は、中学校で身に付けるべき力を、学力検査を実施する教科を原則5教科、学力検査の得点と調査書点の比率を7:3としてみることとする今回の学力検査に基づく選抜の改善の趣旨とは異なるため、廃止することが望ましい。」(「東京都立高等学校入学者選抜検討委員会報告書」p32)

 

 

 

ちなみに、この箇所は、1月23日に発表された当初のものです。

 

現在、東京都教育委員会のホームページで閲覧できる「報告書」は、2月28日に差換えられています。

 

太字が差し替えられた箇所です。

 

 

※「選抜資料を学力検査の得点や調査書点のみとしたり、学力検査の得点と調査書点の比率を各学校が決定したりするなど選抜尺度を変えることができる特別選考は、中学校で身に付けるべき力を、学力検査の得点と調査書点によりみることとする今回の学力検査に基づく選抜の改善の趣旨とは異なるため、廃止することが望ましい。」(「東京都立高等学校入学者選抜検討委員会報告書〔2月28日差換〕」p32)

 

 

 

やはり、注意深く、過敏になっているのでしょうね。言葉に対して「神経質」になっています。

 

 

 

(ivy 松村)

 

「日比谷つぶし」と都立高校入試③

もっとも効果的に学校を「衰退」させる方法は、入試選抜を「機能不全」にすることです。

 

「内部工作」のような大掛かりなことをする必要はありません。学校の「内部」は「外」からはほとんど見えないのですから、学校の「空気」が悪くなったり生徒指導の「質」が低下したりしても、「出口」の実績や生徒募集に影響が出るまでには「タイムラグ」が生じます。

 

即効性があり、そして、確実な方法は、受験生がその学校の受験を回避するように仕向けることです。

 

入試選抜を麻痺させるのです。そうすれば、どれほどの名声を得た名門校であろうとも、瞬く間に支持を失っていきます。

 

 

十分な学力を有した受験生が妥当に選抜されなければ、優秀な生徒を迎え入れることができなくなるので、その学校の「学力」は低下します。

 

しかし、それ以上に深刻なのは、適切な選抜が行われなくなった学校には、合理的な思考をする――つまり、優秀な頭脳を持った受験生が集まらなくなるということです。

 

「学校群制度」の歴史が、そのことを証明しています。

 

 

 

50年後の現在、どのような方法を用いることが、入試選抜機能を損傷させるのに効果的なのでしょうか。

 

現代は、大掛かりな入試制度の変更が難しくなっているので、段階的な毀損を行うことが現実的です。

 

 

以下のような要素を「入試」から排除することで、入試選抜機能を壊滅させることが可能となります。

 

 

①独自性・自主性

②公平性・信頼性・客観性

 

 

 

これらを駆逐するためには、入試選抜の「内容」と「方法」を腐敗させることが必要になります。

 

まず、入試選抜の「内容」ですが、独自に「良質の入試問題」が作れないように、「作問」の自由を奪います。

完全に「作問」の権利を取り上げることはできなくても、入試問題の「メッセージ性」や「ブランド力」を削ぐことができれば、有効な打撃となります。

 

また、入試問題の「出題形式」を制限し、受験生の学力判定が適正に行えないようにします。

何かしらの手立てで、受験生の本質的な学力を計る「記述問題」を封じ込めることができれば、上々の成果です。

 

 

次に、「方法」ですが、合否判定に、恣意的な尺度を取り入れます。

「運不運」の要素が大きくなればなるほど、学力にもとづいた適正な選抜ができなくなります。

具体的には、合否への「内申点」の依存度を強くします。中学の評定は、学校によって評価基準が著しく異なるため、入試選抜に対する不公平感を増大させることができます。

 

特に、努力で「学力」を補うことが難しく、「センス」や器用さ、身体能力などが大きく成績に影響する実技教科の比重を大きくします。そうすることで、生徒に徒労感や挫折感を植え付け、やる気やチャレンジ精神を削ぐことができます。

 

 

 

さて、石原氏が都知事を辞められた直後の平成25年に、国分寺高校の「入試問題流用」が明るみになりました。

 

当時、都立の難関校は、英・数・国の入試問題を独自に作成する「自校作成」の入試を行っていましたが、国分寺高校が独自に作成した国語の入試問題が、過去の他の入試問題を「剽窃」したものだったことが明るみになったのです。

 

このとき、東京都教育委員会の対応は敏速でした。

すぐさま、入試問題の「自校作成」が改められ、「グループ作成」体制に移行したのです。

 

 

これが、「第二次日比谷つぶし」の嚆矢となりました。

 

「グループ作成」化は、入試選抜機能の「独自性・自主性」を奪います。

 

特に、「自校作成」の「作問」に意欲的だった日比谷高校は、大きな痛手を被ることになります。

 

 

「グループ作成」体制となったことで、「特徴」のある入試問題を作ることができなくなったのです。

もちろん「グループ作成」となった今でも、入試問題の一部を「独自問題」に差替えることはできます。しかし、一律ではないとはいえ、「入試問題の共通化」は、「選抜機能」を高度に維持していかなければならない「進学校」にとって、重い「足枷」となります。

 

 

 

日比谷高校の「復活」の大きな原動力となったのは、平成13年に他校に先駆けて行われた「自校作成」入試でした。

 

入試問題というものは、ある意味で学校から受験生に向けて発せられる「メッセージ」です。

日比谷高校は、「作問」をとおして、感応力、理解力の高い受験生に向けて骨太の「メッセージ」を発信してきました。作問の「質」が、日比谷高校のブランド力を高めてきたといっても過言ではありません。

 

他校との差別化を念頭においた「作問」を重視していた日比谷にとっては、「グループ作成」体制への移行は、大きな「後退」となりました。

 

 

偶然にしろ何にしろ、ある一人の愚鈍で不精な教員が引き起こした「入試問題流用」事件は、退潮的な入試制度変更の「名目」を提供することになりました。

 

 

「グループ作成」への移行は、明らかな「災難」ですが、もしかすると、「作問」の「負担」から解放されて、喜びの声を上げている教員もいるのかもしれません。あえて指摘しますが、結局のところ、彼らは、「日比谷つぶし」に加担する一味です。足を引っ張っているわけです。

 

「作問」の「負担」に同情したり理解を示したりする人もいるかもしれません。そういう人は、職業意識が根本的に欠如している人か、「受験」という世界からかけ離れた人生を生きている人です。

 

名門校であればあるほど、「入試問題」をおろそかにはできません。

 

とかく怠惰な存在は、意欲と熱意を持った人間の障害になるものです。

 

 

 

いずれにしろ、「グループ作成」というのは「突破口」でした。これが、都立高校を「凋落」させるための足掛かりとなるのです。しかし、このときはまだ、さらに大規模な「攻勢」が準備されつつあったことに気づくことができた者はほとんどいなかったのです。

 

 

(ivy 松村)

 

 

「日比谷つぶし」と都立高校入試②

多くの「受験関係者」が、今年の都立高校の入試問題に大きな衝撃を受けました。

入試問題が、大きく「様変わり」していたからです。

 

近年、都立高校の入試制度が矢継ぎ早に変更されました。

 

 

私は、一連の「流れ」を「危険だ」と感じています。

来年の入試も「台無し」にされてしまうと、都立高校は再び「凋落」の道へ歩を進めることになります。

 

かつて、「日比谷つぶし」と呼ばれた「学校群制度」の導入によって、都立の名門進学校は「衰退」を余儀なくされました。

 

50年後の今、「第二次日比谷つぶし」が着々と進行しています。

今度は、目立たないように、少しずつ、じりじりと。

 

 

 

近年の、都立高校入試の制度変更を確認してみましょう。

 

・「自校作成」→「グループ作成」

・入試得点と内申点の比重を「7:3」とする

・特別選考の廃止

・内申点は、実技4教科の評定を2倍に換算する

・マークシート導入→「記述問題の削減」

 

 

いずれも「入試選抜」の質を低下させる施策です。

 

 

 

都立高校をスポイルしようという「動き」が活発になったのは、石原慎太郎氏が都知事を辞任されてからです。

 

石原氏は、都立高校の改革を推し進め、「都立復権」を実現しました。その後を継いだのは猪瀬直樹です。そして、その後、舛添要一氏が都知事に就任されました。

 

猪瀬氏が都知事を辞められることが確定してから、都立高校入試の制度変更が矢継ぎ早に行われました。

あまりにも性急な決定が相次ぎ、十分な周知や議論がなされることがないまま、「いつの間にか変えられていた」という印象です。

 

 

 

都立高校入試制度の変更について、時系列で追ってみましょう。

 

 

 

  年月日    発表された内容等
2012年12月18 猪瀬直樹氏 就任
2013年3月26日 国分寺高校 入試問題流用発覚
2013年3月28日 2014年度から「グループ作成」が行われることが決定
2013年12月24 猪瀬直樹氏 辞任
2014年1月23日 「都立高校入学者選抜検討委員会報告書」
入試得点と評定の比重を「7:3」、実技4科の評定を2倍、特別選考を廃止する方向を示唆
2014年2月11 舛添要一氏 就任
2014年2月27日 都立高校入試で理科の出題ミス
2014年4月10日 荻窪高校で採点ミスが発覚、直ちに調査が開始される
2014年4月18日 「採点ミス問題」の報告
2014年4月24日 「採点ミス問題」の報告
2014年5月29日  入試選抜方法の改善
入試得点と内申点の比重をすべて「7:3」とすることを正式に決定
2014年6月3日 「採点ミス問題」の一次調査の結果と対応策
「都立高校入試調査・委員会」の設置
2014年8月28日 「採点ミス問題」の二次、三次調査の結果
2014年8月28日 「都立高校入試 調査・改善委員会報告書」
マークシート方式の導入を決定
2014年9月11日 「採点ミス問題」職員の処分の発表
2014年9月11日 「採点ミス問題」再発防止・改善策
  :   :

 

 

 

広報戦略上の、非常に巧妙な「テクニック」が駆使されていることが見てとれます。

 

猪瀬氏の辞任のタイミングで「都立高校入試 調査・改善委員会報告書」が発表されています。

非常に重要な内容です。都立高校入試の制度を根本から大きく変えようというものでした。

 

「2014年1月23日」というタイミングは、「狙ったもの」なのでしょう。

都立高校推薦入試の願書の受付が前日の「22日」です。学校関係者や受験関係者が志願状況や倍率の発表に注目している「隙」に「超重大な発表」を行ったわけです。

 

 

また、世間の耳目を集める「採点ミス問題」に関する情報や報告に紛れ込み、その背後に隠れるような形で、少しずつ入試制度が「削られている」ことがわかります。

 

「採点ミス問題」は、「カムフラージュ」としては抜群の効果を発揮しました。

また、一連の「動き」を正当化する絶大な「口実」となりました。

たぶん、石原さんが都知事を続けられていたならば、(対応はされたとは思いますが)わざわざ「大事」にはしなかったでしょう。

 

 

「人間は『歴史』に学ぶことができる」ということを示す格好の事例であるといえるのかもしれません。

50年前の「日比谷つぶし」は、あまりにも大きく広報してしまったために、批判や誹謗が非常に強く湧き起こりました。

 

「第二次日比谷つぶし」は、目立たないようにひっそりと展開されてきたわけです。

 

 

 

石原氏が辞められてから、「堰」から少しずつ水がもれはじめ、猪瀬氏が辞められてからは、完全に「決壊」して「濁流」が押し寄せてきているという印象です。

 

 

都知事の交代によって、東京都教育委員会という組織には、ある種の「コンフリクト」が起こっているように感じます。

 

もしかすると、現在の「トップ」は「外遊」や「湯治」に忙殺されて、「教育」のことに頭が回らないのかもしれません。おそらく、そのほとんどすべてを「誰か」にゆだねているのではないかと思われます。

 

「トップ」の交代によって「政策」が反転し、人事や実務に影響が出ることは「政府」や「組織」の中でしばし起こりうるものです。

 

 

私はあるひとつの「仮説」を立てています。

 

それは、東京都の「教育行政」を執行する組織内の「人事」で、都立高校を「復権」させようと努めていた「勢力」が基盤と実権を失い、都立高校をスポイルしようと考える「勢力」が発言権を強めているのではないかというものです。

 

 

 

多くの人は、東京都教育委員会の職員や関係者の考え方が「とんちんかん」だったり、能力が不足していたりするために、都立高校の入試が「グダグダ」になっているのだと感じてしまうと思います。

 

そうではなくて、計画的に都立高校をダメにしようと考えている人間が権勢を持ったのだろうと考えます。

さらに、都立高校の「弱体化」を望む人たちの「意を汲む」行動をとっているのかもしれません。

 

 

彼らは愚鈍なわけではなく、むしろ、「確信犯的」に動いているのではないかという気がします。

 

 

現実に、都立高校が「躍進」することを好ましく思わない人たちが存在します。

いいかえるなら、都立高校の「低迷」を望む人たちがいるわけです。

 

 

「私立学校」は、その代表例だといえるでしょう。

 

 

 

50年前の「日比谷つぶし」が完遂された後、大学受験における高校の「勢力図」は大きく塗り替えられました。

 

「私立学校」の著しい台頭がみられたわけです。

 

逆の見方をすれば、都立高校が強い勢力を持っていた1960年代には、「私立学校」勢力は都立に「抑え込まれていた」わけです。

 

 

公立学校と「私立学校」は競争関係にあります。

これはトップレベルの層だけに限ったことではありません。いずれの「レベル」であっても、「私立学校」は、生徒募集において公立学校と競合する運命にあります。

 

 

つまり、公立学校の「凋落」は、「私立学校」にとっては望ましい状態であるといえるわけです。

 

 

 

「私立学校」の存亡の「カギ」は、自治体の教育行政が握っています。

 

教育委員会という組織は、地域の教育行政「全体」を司っています。

ですから、教育委員会の政策や方針の転換は、「私立学校」の「利害」を左右することになります。

 

 

たとえば、東京都の場合、東京都教育委員会という教育行政の中枢が、積極的な都立高校の運営を行えば、「私立学校」は必然的に「圧迫」されることになるわけです。

 

「都立の復権」と「私立学校の衰退」はある意味で呼応関係にあります。逆もまたしかり、ということであって、「都立の凋落」と「私立学校の繁栄」は呼応しています。

 

ですから、「私立学校」側は、できれば「教育行政」にはたらきかけて、なんとか、「私立学校」が「圧迫」されないような施政を行ってもらおうと考えるでしょう。

「私立学校」にとっては、教育委員会との「折衝」が「死活問題」となるような「業界の構造」があるわけです。

 

 

 

「決定権」を有した人物や組織(政・官)に、「業界団体」が接触を持つことは社会一般によく見られる「営業」です。また、あるいは、政治的な活動や社会運動などを通して、「意を汲んだ人物」を「決定機関」に送り込み、「パイプ」を作ることも一般的に行われています。

 

 

確認すればすぐにわかることですが、多くの「私立学校」の大学の先生が、市町村の教育委員を務めています。たとえば、東京都西部のある有力な市の教育委員会は、教育長を除く4人の委員のうち3人が「私立学校」の関係者です。そこに、何か意味深いものがあるのかどうかはわかりませんが。

 

「教育委員」は「公選」によって選ばれるわけではないので、ちょっと、「見えにくい部分」があるのではないかという気がしています。

 

 

ちなみに、「教育学」関係の大学の先生の著書を読んでいると、教育機会の「平等」を唱える方が多くいることに気づきます。そういった方々は、「競争」や「社会の発展」というものを嫌うので、入試選抜の「強度」を下げようという「動機」を持っているようにも思えます。

 

 

 

東京都教育委員会の「愚かさ」を嘆くのは、もしかすると、「勘違い」なのかもしれません。

 

数々の都立高校入試の「改悪」は、よかれと思ってやったことが裏目に出ているのではなくて、ある人たちが、積極的に都立高校をダメにしようと思ってやっているのかもしれないわけです。

 

 

(ivy 松村)

 

「日比谷つぶし」と都立高校入試①

今年、日比谷高校は53名の東大の合格者を出しました。

 

日比谷高校の東大合格者数が50名を超えるのは、44年ぶりになるということです。

「東大合格者ランキング」でも、トップ10をうかがう位置にまで来ました。

 

日比谷高校の「躍進」が、ネットサイトや週刊誌等で大きく取り上げられています。

 

その裏で、「第二次日比谷つぶし」が着々と進められています。

 

 

 

日比谷高校は、都立高校の「復権」の象徴であり、都立高校の「牽引役」を担っています。

重厚な「伝統」、そして英雄的な「復活」を果たすという波乱の「歴史」が、この高校に、その宿命を帯びた役割を与えているのでしょう。

そして、その意味で、日比谷の「趨勢」は都立高校全体に非常に大きな影響をおよぼすのです。

 

 

都立高校を「凋落」させるのは、造作もないことです。もし仮に、だれかが都立高校の「活躍」を快く思わず、なんとかして都立高校を押さえこみたいという背徳的な考えを抱いているとするならば、ただ、日比谷高校を「狙い撃ち」すればいいわけです。

 

 

 

現在では、「日比谷つぶし」という言葉を知らない受験関係者も多くいると思います。

「日比谷つぶし」というのは、今から50年前に行われた都立高校の入試制度改革の、「本当の目的」を称して広まった言葉です。

 

1967年に都立高校入試に「学校群制度」が導入されました。

これは、全国トップの進学校であった日比谷高校の「力」をそぎ落とすために行われたのだということが、誰の目にも明らかだったわけです。

 

つまり、「日比谷高校をつぶすため」に、「学校群制度」が設けられたわけです。

 

 

1960年代までは、東大の合格者数の1位は、日比谷高校の「指定席」でした。

日比谷は、都内に限らず、日本の高校のトップに君臨する進学校だったのです。

 

日比谷をはじめとする都立高校が「隆盛を極めた」のは、1964年です。この年、日比谷高校の東京大学合格者数は192人にのぼり、やはり全国トップでした。続く2位は西高(156人)、3位は戸山(110人)でした。また、新宿高校も全国4位(96人)に入り、小石川高校が全国6位(79人)、両国高校が全国8位(63人)でした。東大合格実績のトップ3を都立高校が独占し、ベスト10内に6校が名を連ねていたのです。

 

 

1960年代をとおして、日比谷高校は東大合格者数の1位を他校に譲ったことはありません。

ところが、70年代に入ると、日比谷の大学合格実績は急落の一途をたどり、80年代には2けたの合格者数を維持することも困難になっていきます。

 

「日比谷つぶし」によって、日比谷の「覇権」はあっけなく崩れました。それに引きずられるかのように、都立の「低迷時代」が訪れました。

 

 

 

「学校群制度」の導入を境として、日比谷の「衰退」は加速度的に進行していきますが、それは「予想外の結果」だったわけではありません。

なぜなら、この制度が導入されれば、日比谷が低落していくことは誰の目にも自明のことであって、その「衰退」は、想定された結果にすぎないものだったからです。

 

あえて断言すれば、それが「目的」だったわけです。

 

 

「学校群制度」の主眼は、「教育の平準化」でした。

優秀な生徒が集中する「突出した高校」とその他の高校の「格差」をできるだけ「なだらか」にしようという考えのもとに計画された制度なのです。

 

つまり、これは、明白に、日比谷高校を「引きずり下ろす」ことを「目的」として実施されたわけです。

 

東京都立高校の入試に「学校群制度」が導入されたのは、1967年です。都立高校が「隆盛を極めた」3年後のことです。

 

 

 

この制度の「要所」は、「合格」しても志望する都立高校に進学できない受験生を生み出すことです。

そのために、都立高校は避けられ、高校受験の重心が国私立へと移っていきました。

 

 

「学校群制度」のもとでは、都立高校は2校ないし3校のグループにまとめられて「学校群」を形成し、受験生は「学校群」を受験します。

 

単独の「高校」を受験するわけではないので、「合格」したとしても、その受験生は「学校群」に「合格」したということになります。したがって、合格者は、その「学校群」のいずれかの高校に通うことになるわけです。

 

たとえば、A校、B校、C校がそれぞれ「学校群α」を形成している場合、A校を志望する生徒は、その「学校群α」を受験することになります。しかし、「合格」しても、A校ではなく、B校やC校に進学することになる可能性があるわけです。

 

 

つまり、「学校群制度」のもとでは、受験生は、入学先を自分で決めることができないのです。

都立高校の入試は、どの高校に進学することになるのかわからないまま、受験しなければならなくなったわけです。

 

 

日比谷高校は、九段高校、三田高校とともに「第11群」を形成しました。日比谷高校を志望する生徒は「第11群」を受験するわけですが、「合格」しても日比谷以外の高校に進学しなければならない場合があるわけです。

 

なぜ、志望校に進学ができなくなるのかというと、「学校群」を形成するそれぞれの高校の「学力」が、同じくらいになるように調整されたからです。

 

一部の高校の学力が突出しないように、学力の高い生徒を、第一志望ではない「ほかの高校」に入学させることができるわけです。

 

日比谷高校に、特別、学力が高い生徒が集まっていることが「問題」だったのです。

信じがたい話ですが、抜群の大学合格実績をあげることが「良くない」と考えられたわけです。

 

 

日比谷高校の属した「第11群」は、他校と「学力差」が大きい日比谷高校に「不利」なものでした。

たとえば、西高校は青山とペアを組み、戸山高校は富士とペアを組みました。そして、多摩地区では立川と国立がペアを組みました。これらの「学校群」は、比較的学力が拮抗している高校同士が2校のみで「学校群」を形成しました。

そのため、第一志望に進学できない場合の「ダメージ」が相対的に少なかったのです。

 

 

 

「学校群制度」は、「学校間の格差」を「是正」するために設計されたものであるということになっています。

そのために、学力の高い生徒は「平等」に、「学校群」のそれぞれの高校に「配分される」わけです。

 

受験生からみれば、志望する高校に進学できるかどうかは「運しだい」というわけです。

ある意味で、入試が、「ギャンブル」そのものになってしまったのです。

 

 

たぶん、はじめて「学校群制度」について知った人は、「意味が分からない」と思うに違いありません。私も、「正気の沙汰ではない」と感じました。

 

当時の東京都教育委員会は、現実に、この悪夢のような制度を導入したわけです。

 

 

「学校群制度」導入の問題点は、その制度自体が愚劣であることはもちろんですが、実は、本質的には、「信頼」の問題なのだろうと思います。

 

受験生や保護者の目には、東京都教育委員会は都立高校をスポイルし、ダメにしようとしていると映ったはずです。

 

自分の船の計器を自分で壊す船長のようなイメージが思い浮かびます。自ら船を遭難させようとする人間が指針をとる船に、一体誰が乗りたいと考えるでしょうか。

 

 

優秀な生徒の学力を伸ばそうとするのではなく、学力を押さえつけようという発想がその根幹に横たわっています。受験生・保護者は、都立高校の教育を「信頼できなくなった」と感じたことでしょう。

 

その結果、学力上位層の「都立高校離れ」が急速に進み、漸次、都立高校の大学進学実績は下降していきました。

 

 

 

この馬鹿げた制度を実現させたのは、偏狭な「平等主義」です。

 

競争はよくない、差をつけるのはよくないという考えのもとに、教育を一律、均質なものにし、平準化させようという思想です。

 

 

運動会の徒競走で、「だれかが最下位になるのはかわいそうだから、みんなで手をつないで同時ゴールしましょう」というような驚愕の発想は、同質の思想のもとに想起されます。

 

これは、「弱者」を基準に制度を決めようという考えです。

もちろん、「平等主義」のすべてが間違っているわけではありません。

 

しかし、個人の能力や資質をもとに進路を決定する「入試選抜」という制度と、「平等主義」のような考え方は、ある意味で対極に位置するものです。

 

 

「平等主義」は、一部の教育関係者に、今も根強く浸透しています。

 

「入試選抜」を台無しにしようとする不実な計画は、こうした教条的な考えが、教育の制度設計を総括する教育委員会や文部科学省のような組織の中で「支配的」になったときに、始動するわけです。

 

 

(ivy 松村)