都立の理社について

都立高校を志望する受験生が理社の勉強をどう進めていけばよいのか、というのは、受験生だけでなく、「業界」の人間にとっても気になるトピックのひとつだと思います。

 

「トップ校を目指すなら、理社は90点以上!」というような「目安」も、「界隈」でよく聞かれるものです。

 

 

実際には、日比谷、西、戸山を受験する生徒の平均点は、80点前後に収束します。

したがって、例えば、1問「5点」に統一されている社会の場合であれば、トップ校の、より精緻な「目安」としては「85点」が「ライン」となると思います。(理科は、「80点」を「ライン」としてもいいと思います。)

 

ざっくりと、3問から4問の不正解までは「許容範囲」であるといえます。

もちろんそれは、内申点や他教科の学力によって変わるものであるということは、いうまでもありません。

 

 

また、記述問題の部分点がどのように採点されるのか、その「誤差」を考慮する必要もあるでしょう。

 

記述問題の採点基準は、「採点の誤り」の問題の影響で、一昨年度に一度、統一されました。採点基準の統一は大きな混乱を招き、昨年度は、再度、各校の基準で採点することになりました。

本年度も、各校がそれぞれの基準で採点することになるはずです。

 

そうなると、同じ内容の記述であっても、高校によって得点が変わるかもしれません。

 

たとえば、A校であれば、ある語彙が不足している場合には「-1」とされるが、B校であれば満点の正答であると認められるというようなことも考えられます。

 

ある高校の「基準」では物足りない解答であっても、別の高校の「基準」で測れば、申し分ない解答であるとみなされるというようなことは十分にありえるはずです。

 

 

実は、過去のいくつかの高校の「平均点」を見比べて、学校ごとの採点基準の差を示唆する事例を見つけたのです。

すなわち、2つの高校の学力ランクの序列と、ある年の理社の平均点が逆転していたのです。

 

A校は、B校よりも学力ランクが高く、普通ならば理社の平均点は「A校>B校」となるはずなのですが、ある年の平均点が「A校<B校」となっていたのです。

両校の学力差は、必ずはっきりと現れるべきはずのものだったので、B校の採点基準は「甘かった」のだろうと思われます。

 

 

この2年は、都立高校入試の「採点」に対して、「シビア」な視線が注がれています。

そのため、各校の採点基準の「幅」がどのように現れるのか、気になりますが、ちょっとわかりづらくなっているかもしれません。

 

 

まあ、このように、採点基準にも「ブレ」があることが予想されるわけです。

過去問を解いて「85点」だったとしても、自分の実力が本当に「その点数」に届いているのかどうかは、厳密にはわからないわけです。受験校相応の採点基準で記述問題を採点しなければならないわけですが、塾の指導にはそういった「目利き」も必要なのかもしれません。

 

 

 

こうした「データ」は、受験勉強の「方向性」を定めるうえでの「ヒント」にもなります。

 

受験生のタイプにもよることなので、一概に型どおりにいえないことですが、理社の点数の「目安」を「80点」とするか「90点」とするかによって、受験勉強の「配分」が変わってくるでしょう。

 

社会でいえば、受験勉強がしっかりと習慣化され、指導者のいうことを素直に聞くことができる生徒であれば、安定的に「80点」を取れるようになるのはそれほど難しいことではないと考えます。

 

しかし、「80点」を「90点」に伸ばそうとすれば、そのために必要な労力と時間が激増します。

 

単純に、「80点」を「90点」にしようという努力よりも、「60点」を「70点」にしようという努力のほうが効率的で合理的な場合が多いと思います。

「10点の上乗せ」を試行しようというときには、苦手な教科を強化するほうが「近道」であることが多いでしょう。

 

 

社会で、安定的に「80点」を取れるようになった受験生は、もし、苦手な教科を抱えているのであれば、それらを重点的に鍛えるべきです。

理社で「80~90点」取れるのであれば、トップ校に迫るほどの学力がついています。

その上さらに社会の勉強を重ねても「ロス」が大きすぎるわけです。

 

 

 

よく、理社は点数を取りやすい教科なので理社に労力と時間をかけて勉強するべきだ、という人がいますが、私はあまりそのような考えをしません。

 

私は、都立志望の受験生であっても、社会の指導にあまり時間をかけない方だと思います。

基本的に、週に1回過去問を解かせて、解説をするだけです。

他の教科の勉強時間を奪わないように、なるべくコンパクトな入試対策を行おうと考えているからです。

 

 

受験勉強の「配分」は重要です。

 

社会の勉強をせっせとやり続けるよりも、その分、数学の計算問題を一問でも多く解いたほうがいい場合もあるわけです。

 

 

ということで、都立志望の受験生は、しっかりと苦手な教科に取り組んでいきましょう。

(もちろん、理社が苦手な生徒は、逆に理社を特訓するべきですが。)

 

 

(ivy 松村)

 

 

「出題ミス」騒動を評論する

今年の都立高校入試の理科の問題に「出題ミス」があったのではないか、という「騒ぎ」が、一部の「関係者」の間で盛り上がっていたのですが、だいぶ落ち着いてきたようです。

 

私も末席に「参戦」していたのですが、興味深く感じることが多々ありました。

 

前の投稿のコメント欄で、4月になったら「反論」をくださるといっておられた方がいらっしゃるのですが、いまだに送ってこられないので、まとめの記事を書くことにしました。もう、これ以上この件について書くことはないでしょう。

 

 

今回は、一連の「騒動」について「評論」してみたいと思います。

 

 

その前に、「対象となる人たち」について呼び方を統一しましょう。「出題ミス」を指摘したがる人は、こぞって「補助線」にこだわります。そこで、便宜的に彼らを「補助線派」と呼ぶことにします。

 

 

さて、当該の設問ですが、「補助線派」の人たちは、概ね以下のような「理屈」を主張しています。

 

1.「図1」に「補助線」を引いて検討すると、選択肢は「イ」か「ウ」にしぼられるが、どちらかといえば「ウ」が近い

 

2.「図2」から判断すれば、「ウ」の可能性もあるが、「イ」が近い

 

3. この設問は、「図1」から「ウ」、「図2」から「イ」を選ぶことになり、矛盾している

 

4.当該の設問は「出題ミス」であり、「ウ」を選んだ受験生にも得点を与え、あらためて合否判定を行うべきである

 

 

 

これに対する私の「反論」は以下のようなものです。

 

1.中学の教材の内容にしたがえば、「図2」から完全に「ウ」を排除できる

 

2.「図2」の情報は中学の理科で学習する内容にもとづくものであり、付随している「図1」の情報よりも優先される

 

3.「図2」によって示された情報を考慮せずに「ウ」を選んでしまった受験生は、中学で学習したはずの内容を問われているのに、それに応答できていない

 

4.したがって、「ウ」を選んだ受験生に得点を与える根拠はなく、「イ」を正答とする当該の設問は、入試問題として「成立している」

 

 

 

「出題ミス」の定義を考えなければなりません。

 

入試問題に記載されている「情報」が「精密ではない」というだけでは「出題ミス」とはいえません。

たとえば、「問1」と記載されるべき箇所が「門1」となっていたとしても、それを「出題ミス」であると責めたてるような人はいないでしょう。

「学力判定」に影響を与えるものではないからです。

 

「情報」が「精密ではない」としても、それが入試選抜の機能を損なっていないのであれば、その設問は入試問題として「成立している」といえます。

 

 

「出題ミス」とは、「学力判定」に影響を及ぼす齟齬や欠落が存在し、それによって入試選抜機能が損なわれるようなものをいいます。

 

 

 

当該の設問に記載されている「情報」が「精密ではない」ということは、私も理解しています。

 

ポイントは、それが「学力判定」に影響を与えうるかどうか、です。

 

 

 

まとめてみましょう。

 

①中学生の理科の授業では、「図3」のような模式図に「補助線」を引いて、「図1」のような空に見える星の位置を特定するような学習は行われていない

 

②中学の理科の授業では、「図3」の「イ」の位置に金星があるときには、「図2」に示された金星の形になるということを学習する

 

③「図2」の情報は高校入試では「必須」となる知識であるが、「図3」に「補助線」を引く行為はそうではない

 

④「図1」は「ア」を排除するための「ヒント」である

 

 

 

相当高度な知識と技能を持った中学生でなければ、模式図に「補助線」を引いて「イ」と「ウ」を検討するようなことはできません。

それは、禁じられているわけではないので、やるのは自由ですが、高校入試の設問である以上、②を考慮しなければなりません。

そして、結局②によって「ウ」は完全に消去されるのです。

 

 

 

私が「補助線派」に求めたのは、①が、中学の理科で学習するものであるという「反証」でした。それを証明することができれば、当該の設問は「出題ミス」であると納得できたかも知れません。

 

 

「補助線派」の「理屈」にとっては、①の指摘が「急所」となりました。

 

そのため、次のような「反論」がみられました。

 

・「補助線」を使う入試問題が他にも存在する

 

少し考えればわかりますが、「補助線」を使うことを争点としているわけではありません。ポイントは、当該の設問は「補助線」に一切依存することなく正答を導くことができる問題であるということ、そして、「補助線」を使ったとしても、そこから得られる「情報」よりも、「図2」から得られる「情報」を優先しなければならないということです。

 

 

 

「補助線派」の「理屈」には、やや杜撰な点が見受けられました。それは、作問上の「精密ではない」点を、無理に「出題ミス」にしようした「強引さ」に起因するものなのだろうと思います。

 

入試問題を見て、当該の設問の「日付」や模式図における金星の位置と「図1」の照応が「精密ではない」ということに気づいた人がいたわけです。

 

それが、入試選抜機能を損なうようなものではないとすれば、「ああ、そうですね」と言われて、さらりと訂正されて「終り」です。

 

そのような軽微な「まちがい」にさえ気づくような学識、知見、慧眼を、世間に知らしめるべく、それを「出題ミス」とする必要があったのかもしれません。

 

「出題ミス」であると認められるためには、当該の設問の「精密ではない」点が原因となって、「学力判定」が不能になっており、入試選抜機能が損なわれているという「説明」が不可欠です。

すなわち、正答が定まらないという「理屈」が必要だったのです。

 

そのために、次のような主張がなされたわけです。

 

・「図1」から判断すれば、解答は「ウ」になる

・「図2」から判断すれば、解答は「イ」になる

・したがって、当該の設問は「矛盾」している

 

 

しかしながら、その「理屈」は、存立しません。

くり返しになりますが、優位な情報である「図2」から判断すれば、「ウ」は消えるわけです。

 

 

当該の設問は、最終的に解答が「イ」へと収束するような構成になっています。

 

「ウ」という解答は、「図2」を全く考慮せず、「図1」のみを判断材料にして、さらに高度な天文学的知識を駆使することによって、やっとたどり着くことができるものです。

あるいは、あてずっぽうで選ぶか、です。

 

「補助線派」の人たちの「理屈」は、当該の設問は「中学生が解く入試問題」であるという事実、現実、原則を無視しています。

少し毒のあるいい方になってしまいますが、天文学的な知識をひけらかすための「絶好の機会」となっているようにも感じてしまいます。

 

 

 

最終的に、当該の設問が「出題ミス」であるという主張を押し通すために、「論」が飛躍し、転倒します。以下のような、情緒的な言動がみられました。

 

・「出題ミス」のために不合格になったかわいそうな受験生がいる

 

 

共感を乞い、同情を迫る言説は、もはや、彼らが信奉する「科学」とは、一切の関わりのない行為です。

 

端的に、当該の設問は「出題ミス」ではないので、失点してしまった受験生に対して理不尽なことは何も起こっていません。

 

一応述べておきますが、私は塾の教師です。「合否」という現実には、中学や高校の先生方ではとうてい想像もできないほどに感情をゆさぶられます。論争の道具として軽々しく持ち出す人間に、憎悪さえ感じます。

 

 

 

さて、この度の「出題ミス」の「騒ぎ」には、注目すべき現代的な「動き」がみられました。

 

すなわち、インターネットを「主戦場」として「騒ぎ」を拡大させ、その「圧力」をもって「目的」達成を目論むという戦略です。

「補助線派」の人たちは連携して、ブログ、ツイッター、ニュースサイト、掲示板等に精力的な書き込みを行っています。

 

 

「これだけ議論になって意見が分かれるのだから、やはりミスなのだろう」という「自作自演」的な書き込み、つぶやき、記述も数回確認できました。

 

このブログのコメント欄も含めて、同一人物の書き込みであると思われるものを複数の場所で確認しています。その文体、語彙、言葉づかい、内容が近似していました。

 

 

それらの効果については、評価しがたいものがありますが、いくつかの点で有効でした。

 

 

観察できたのは、まず、影響力のある「発言者」に連絡を取り、「補助線派」に引き込むような「動き」です。

そして、彼らから「出題ミス」を非難する発言を引き出すことで、同業者や関係者に「理解」を促しました。

それによって、当初「出題ミス」であるという認識のなかった人を「転向」させたり、付和雷同に引き込んだりすることに成功しています。

狐につままれたような筆致で、「出題ミス」なのかもしれないと吐露する投稿をいくつか目にしました。

 

日本人は権威や同調圧力に弱い、というのは本当なのかもしれません。

 

ただ、品のない言葉づかいの、入試のことも教育のことも、そして政治のこともたぶんよくわかっていない議員さんを巻き込んだことは、ネガティヴに作用したのではないかと思いますが。

 

 

いずれにしても、「補助線派」の目論見はついえてしまいました。

たぶん、私の「参戦」は、少しばかり趨勢に影響を及ぼしています。

 

 

 

それにしても、「補助線派」の人たちは、いったい何を「目的」としていたのでしょう。その「熱情」がどこから湧いてきたのか、というのは非常に興味深く思いました。

 

彼らの中心は、高校の教師です。見ず知らずの「かわいそうな受験生」のために一肌脱いだ、という「ストーリー」には鼻白む思いしか感じません。

 

やはり、教育委員会を屈服させたい、という思いが強くあったのではないかという気がします。これは一般論を述べるものですが、「無理筋」を成し遂げたときほど達成感は大きくなるものです。

(そういった「反骨の気概」自体を否定する気はありません。私の中にも横たわっているものです。)

 

東京都教育委員会を全面的に擁護するつもりはありませんが、この件に関しては、「補助線派」には「理」がなかったと思います。

 

 

 

さて、いろいろと書いてきましたが、当該の設問に「精密ではない」箇所があったことは、やはり問題です。今後は、「論争」など起きないような入試問題を作っていただきたいと思います。

 

 

もし、これが、学会の発表や学術論文であったとしたら、一種の事件です。すみやかに撤回しなければならないでしょう。

 

しかし、これは「入学試験」の話です。

「入学試験」というものは、「自然科学」の対象ではなく、「社会制度」の一端であると考えなければなりません。

 

私が一貫して述べてきたように、入試問題として「成立しているか、否か」という視座で判断するべきなのです。

 

くり返しますが、当該の設問は、入試選抜の機能を損なっていません

 

 

 

 (ivy 松村)

 

 

平成28年度都立高校入試の理科の大問3〔問1〕の説明

平成28年度都立高校入試の理科の大問3の〔問1〕について考えてみましょう。

 

設問は以下のようなものです。

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「金星の位置と見え方」は「定番」の問題です。

理科の受験勉強をしっかりと進めてきた受験生であれば、「図2」の金星の見え方から「図3」のような軌道上の金星の位置を導く問題を何度か解いたことがあるはずです。

 

 

以下の画像は、日野市内のある公立中学校で使われていた正進社の3年生の『毎日の復習』という「ワーク」の25ページにある問題です。

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この生徒は、提出期限が迫ってきたからといって、答えを「丸写し」するようなことはせず、一つ一つの問題をていねいに解いていますね。

 

 

さて、(4)の設問に注目してください。

「図1」の「オ」の位置に金星があるときの「金星の見え方」を答える問題です。

「オ」は、都立高校の問題の「イ」を「反転させた位置」に相当します。

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「ワーク」の(4)の設問の正解は「c」になりますが、その形はまちがいなく都立高校の問題の「図2」に相当しています。

 

※「ワーク」の選択肢「c」

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※都立高校入試の「図2」

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これは、公立中学校で実際に使用されている教材を抜粋したものです。

 

 

 

今度は、教科書を見てみましょう。

日野市と八王子市が採用している啓林館の『未来へひろがる サイエンス 3』の54ページです。

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都立高校入試の問題の「ウ」の位置は、この教科書の「図56」の「4/15」に対応しています。

「4/15」の写真を拡大して、入試問題の「図2」と並べてみましょう。

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「図2」の、3分の2ほどの「厚み」しかないような気がしますが。

わかりづらいという人もいるかもしれません。

 

では、日野市と八王子市が採用している理科の「資料集」を見てみましょう。

浜島書店の『最新 理科便覧 東京版』の110ページです。

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都立高校入試の問題の「ウ」の位置に描かれている金星の図を拡大してみましょう。

「ウ」の位置に金星があるときには、金星は下の画像のように見えると説明されています。

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都立高校の入試問題の「図2」と並べてみましょう。

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・・・上掲のワーク、教科書、資料集で勉強をしてきた受験生は、「ウ」を選びませんよね。

 

 

 

中学校の理科の授業をしっかりと聞いて学んだ受験生であれば、当該の入試問題を解く際に、「図2」から、まず、「ア」と「イ」を解答の候補にしぼります。

 

「図1」から「検討」をはじめたりはしません。

 

 

最終的に、「図1」から、「ア」を消去して、「イ」という正答を導きます。

 

 

何度も申し上げているとおり、当該の入試問題が良問だとは思いません。

しかし、その設問は「成立しています」。

 

 

 

私が違和感をぬぐえないのは、「批判」の内実が、入試問題としてのテーマ性や合理性からかけ離れて、衒学的な主張になってしまっていることです。

 

そのために、無理やり「ウ」も正解であるという説明になってしまっているように思います。

 

 

おそらく、この問題を解いた受験生たちは、一連の「出題ミス」の「説明」を聞いてもよくわからないと思います。

 

「自分が勉強してきた知識を動員して考えて、問題を解くことができた」という多くの受験生は、「補助線?」といって首をかしげるでしょう。

 

 

 (ivy 松村)

 

コメントをくださった中山さん、katさんへ

 

なぜか、コメントに返信ができなくなってしまったので、ここに返信を書きます。

 

実は、何が正確で何が不正確なのか、私にもよくわかりません。しかし、きいたところによると、当日の金星の位置は「図3」の「イ」と「ウ」の間の位置にあったそうです。

 

日付を「3月24日」とする必然性はないので、変えればよかったのだと、私も思いますが。

 

みなさんは、口をそろえて「図2」は「ウ」の可能性を捨てきれないと主張されますが、私はそうは思いません。

実際の見え方はどうなのかは知りませんが、少なくとも、中学でしっかりと理科の勉強をしてきた受験生は、「ウ」の位置に金星があるときには「図2」のようには見えないと知っているので、「ウ」を解答の候補から消去するでしょう。

 

そもそも「図1」は「本筋」ではないのです。

この設問は、単純に「金星の見え方と位置」に関するもので、それに「図1」というヒントが付随しているのです。

 

 

これほど異論が噴出するのですから、この問題は良問ではないのでしょうが、私は、この問題は「成立しているか、否か」という目線で考えています。

 

最大のポイントは、「ウ」が正答ではないといえる根拠があるかどうかだと考えています。

 

私は、まっとうな勉強をしてきた受験生は、「図1」に頼ることなく、「ウ」が正答ではないと見抜くと思います。

 

 

 

 

 

やはり、「出題ミス」ではない(都立高校入試の理科)

昨日、「中学」の「地学」の先生からメールを頂戴しました。

 

その中で、先日私が書いた「都立高校入試の理科の『出題ミス』について」というブログの記事のなかにある誤りを指摘いただきました。

 

 

まず、私は、「図1」が「正しくない」と書いていましたが、「出題ミス」として問題視されているのは「図3」の選択肢の「イ」の位置でした。

 

私は「図3」の「イ」の「位置」を基準にして考えてしまいました。そのため、「図1」の金星は正しく描かれていないのだと思ってしまいました。

 

また、教科書によれば、金星の見え方が「図2」のようになるのは「イ」以外にない、と書きましたが、「図2」の金星の形は、「ア」の可能性を捨てきれるものではありません。

 

したがって、そこには「図2」によって「ウ」の選択肢を「完全に消去できる」と書くべきでした。

 

 

メールでは、非常にていねいな指摘と解説をしていただきました。

また、この件で、大変な思いをされている方々がいるということをおっしゃっていました。

 

 

当該の記事の細部で、私が思い違いをしていたり、おかしな表現を使っていたりした部分があったようです。申しわけありませんでした。

 

 

指摘を受けた部分を含めて整理してみると、「出題ミス」であるとされている都立高校入試の理科の大問3の〔問1〕は、以下のような「解答の筋道」で構成されていることになります。

 

①「図2」の情報によって、解答を「ア」と「イ」にしぼる

②「図1」の情報によって、「イ」が正答であると特定する

 

 

つまり、選択肢「ウ」にまつわる「補助線」をどのように引こうと、正答を導くうえで「一切関係がない」ということがわかりますね。

 

 

 

記事の中で、私はいくつかの点で誤った内容を書いていますが、それは論旨に影響を与えるものではなかったので、私の主張は変わりません。

 

結局、「ウ」は中学で学習する理科の知識をもとに「消去」されるべき選択肢です。

ですから、「ウ」を正解とするべきではないのです。

 

 

多くの方が「非難の声」をあげていますが、「ウ」を選んでしまった受験生は、学力が足りなかったために誤った解答をしてしまったわけです。

それを「救済」するべきである、という主張は「論理的」ではないと思います。

 

「作問」が不用意であったというのなら、それはそうなのでしょうが、当該の設問は入試問題として「成立している」とみなすほかはありません。

 

 

 

いくつか、理解できたことがあります。

それは、状況から推測できるということであって、実際のことはわからないままなのですが、ちょっと考えたことを書こうと思います。

 

 

 

きっと、東京都教育委員会の「対応」に腹を立てている都立高校の先生方がいらっしゃるのだろうと思います。

 

「入試」に関して異議を申し立てないように、というような「圧力」のようなものがあったのかもしれません。

あるいは、異議を取り合わないというような態度を示しているのかもしれません。

 

 

東京都教育委員会は、今回の件について、外部の識者や塾の人間の抗議はあるが、教員からはない、と述べているそうです。

もしかすると、教員の声を受け付けていないだけなのかもしれません。

 

 

新聞紙上で「出題ミス」が取り上げられてから、この問題は大きくクローズアップされることになりました。これは「リーク」なのだろうと思います。

 

また、塾関係者をはじめ、いろいろな方がネット上でさかんに意見を述べています。

おそらく、自分で声を上げられない人たちが、情報提供をしたり、外部の人間を「けしかけ」たり「たきつけ」たりしているのだろうと思います。

 

 

 

一方、東京都教育委員会の側では、今年の入試は「つつがなく」終えなければならないという事情がありました。

この数年、都立高校入試に関する「不祥事」が続いていました。

 

都教委からすれば、一昨年に発覚した「採点ミス問題」は、現場の高校の教員が引き起こしたものです。都教委の職員の方々は、その対応に忙殺されたことでしょう。

監督する立場として「多少強引なやり方でことを収めるのもしかたがない」という考えにとりつかれていたということも考えられます。

 

 

今回の「出題ミス」の騒ぎは、「感情的なもつれ」が大きく作用していると思います。

 

 

 

私は、多くの方に、この問題を「理性的」に考えてほしいと思っています。

 

 

 

東京都教育委員会を「追いつめる」ことで、一体何を得ようとしているのでしょう。

再三指摘しているとおり、「ウ」を選んだ受験生は学力が不足していたのです。「ウ」を選んだ受験生に得点を与える根拠はありません。

 

これは、「悪」を懲らしめるストーリーなのでしょうか。

情緒的な扇動には、説得力はありません。

 

 

私は、東京都教育委員会の職員の方々もまた、「被害者」であると考えています。

そして、私は、さまざまな抑圧のなかで、「都立復権」の灯を絶やすまいと暗闘されている方々がいらっしゃると信じています。

 

 

 

「想像力」は大事なものだ、とよくいわれます。

「想像力」とは、「直接知覚できない現実の局面を、理知的に把握する能力」のことをいいます。

 

 

「騒ぎ」を拡大させて、今年の理科の入試問題を「出題ミス」であると認めさせることに「成功」したとしましょう。果たして何が起こるのかを「想像」していただきたいと思うのです。

 

 

必ず、次年度以降の入試問題の「質」が低下します。

 

思考力を問うような、作りこまれた問題が少なくなり、誰からも「クレーム」を付けられることのない「のっぺりとした」設問が並べられることになるはずです。「幸い」マークシートが稼働しています。

 

 

もう一度都立高校を「凋落させよう」という「流れ」を、押しとどめることができなくなっていくでしょう。

たった2年で、「あそこまで」都立高校の入試選抜はスポイルされてしまいました。

 

 

「この件」は、一歩まちがうと「ダメ押し」になる可能性が高かったのです。

 

 

無責任な「足の引っ張り」が続けば、再び「日比谷潰し」が成し遂げられ、都立高校の「凋落」が「決定的」になります。

 

 

(ivy 松村)

 

都立高校入試の理科の「出題ミス」について

本年度の都立高校入試の理科の問題に「出題ミス」があったのではないか、と話題になっているようです。

 

大問3の〔問1〕の「金星の位置」を答える問題です。

 

 

個人的な「意見」を述べるならば、私は、中学生が解く理科の問題として「成立している」と考えます。

 

 

 

この件は、塾の先生方の間でも、かなり話題になっているようです。

福岡や大阪の塾の先生もコメントをされていました。

やはり、東京の塾の先生方にとっては重大な関心事ですので、大きく取り上げる方も多かったようです。

 

 

ところで、本題とは関係ない話ですが、塾の先生で、「読める文章」を書ける人は「理系」の人が多い気がします。というよりも、ほとんど「そう」です。

 

「理系」の方か、「理系」の背景をもった「オールラウンダー」タイプの方か、「文系」の出身で「理系」を教えている方ばかりです。

 

文章を書くという行為には、「論理的な資質」が必要なのかもしれません。

 

同時に、あらためて思うのは、ほとんどの「文系」の「先生」は、「書くこと」を苦手としているということです。「文章を書けない人間」が「作文」や「小論文」を教えていたりすることも、往々にしてありそうです。

 

 

 

塾の先生方の意見を拝読すると、当該の理科の問題は「おかしい」という見解が多数を占めています。

 

(大手塾の先生は意見を書きづらいと思いますが、その中で、「ポイント」の概説にとどめた記事は印象に残りました。)

 

私が知る限り、「問題ない」という意見をおっしゃっていたのは1人だけでした。

 

 

 

「理系」を「専門」とする先生方が口をそろえて「おかしい」といっているのに、「理系」を「専門」としない私は、身が縮む思いで、その「逆」の意見を述べようとしています。

 

 

それは、もしかすると、私が「専門外」の人間であるからこそ、持ち得る判断なのかもしれません。

 

さらにいえば、私が「この問題」を「学者」の目線でみておらず、ある意味で、「政治的」な立場でとらえていることも理由のひとつであるといえます。

 

ここでいう「政治的」という言葉のニュアンスを正確に伝えるのは難しいのですが、あえて換言するならば、「理性的」に「この問題」をみようとしているつもりです。

 

 

 

当該の設問は、「図1」と「図2」のヒントから、「図3」における金星の位置を4つの選択肢から選ぶものでした。

 

 

「図1」には「西の空」から見える「金星の位置」が示されています。

「図2」には観察した「金星の形」が描かれています。

 

このうち「ミス」として指摘されたのは、「図1」に示された「西の空」に描かれている金星の位置が「正しくない」という点でした。

 

それはもちろん「正しくない」わけですが、この設問の「テーマ」から考えれば、それは「主眼」ではないわけです。

 

 

この設問の「重心」は、「図2」の「金星の形」にあります。

 

「金星の見え方」と「金星と地球の位置関係」に関する知識こそが、「中学生の理科」の主要な学習内容であり、それを確認することがこの設問の「テーマ」なのです。

 

 

 

日野市や八王子市の公立中学校では、理科の教科書は啓林館のものが使われています。

 

啓林館の理科の3年生の教科書の54ページおよび55ページで、この地域の中学生は「地球から見た金星の位置と見え方」を学習します。

 

 

つまり、公立中学で理科を学んだ中学生が、その知識をもとに本問を解こうとするときには、「図2」の情報をもとに答えを導くわけです。

 

教科書を一瞥しただけで明らかになることですが、金星の見え方が「図2」のようになるのは選択肢の「イ」以外にはあり得ません。

 

 

 

一方、「おかしい」と指摘されている「図1」ですが、これが「正確ではない」ということは間違いありません。

しかし、見過ごすべきでないのは、知っておくべき知識を装備していなかった受験生は、「図2」から正答に直結する情報を読み取れなかったために、しかたなく「図1」のみに頼って答えを得ようとしていたのだということだと思います。

 

都立高校の入試問題は、社会もそうですが、なるべく複合的な「ヒント」を組み合わせた問題を作ります。

複数の「脈絡」から正答に迫ることができるような作りになっているのです。

 

都立の入試に精通している教育関係者、あるいは受験に携わる人間であれば容易に思いあたると思いますが、そのような作問が行われているのは、いってみれば「救済措置」であるわけです。語弊を恐れずにいえば、学力が乏しい生徒であっても、必死でがんばれば解答できるような設問を忍ばせているわけです。

 

どちらかといえば、「図1」の情報は、平面的な情報を、空間的、立体的に再構成してとらえられるかどうかをみようとするものであって、理科の知識からややかけ離れたものです。そして、これは結局「主観的」な「感覚」にすぎないことではありますが、やはり、一般的には、「イ」の位置に金星がありそうだというとらえ方のほうが有力になると思います。

 

このようないいかたが正しいのかどうかはわかりませんが、「図1」のような「ヒント」は、理科を苦手とする生徒に対する「思いやり」として、付け加えられたものです。

 

 

要するに、「図2」を考慮せずに、「図1」だけの情報をもとに「ウ」を解答してしまった生徒は、根本的に、正当な、正答への筋道を見失っていたわけです。

 

 

 

理科の入試問題で、「科学」をないがしろにしてしまったのは、確かに良くないことでした。

 

しかし、なぜ「不正確な図」が出来上がってしまったのかは、少しわかる気がします。

 

今回の場合は、難度を下げようという「配慮」が「裏目」に出てしまったということなのだと思います。

 

 

 

端的にいって、「ウ」を選んでしまった受験生は、必要とされるべき理科の知識を欠いています。

 

この設問の解答を求めるのに、「図1」の情報のみに依存してしまった受験生が「ウ」を選んでしまったとしたら、それは、どちらかといえば「あてずっぽう」に近い行動だといえるでしょう。

 

また、高度な理科の知識を持った生徒であるほど間違える可能性があるという見方もあるかもしれませんが、その考えには違和感を覚えます。

概して、思考力の優れた、言い換えるならば、取るべくして点を取るような受験生であるならば、設問の「意図」というものを考えるはずだからです。理科の学力が高い受験生であるほど「イ」という解答に行き着くでしょう。

 

 

中学で学ぶべき理科の知識をしっかりと学び、吸収してきた受験生ほど正答率が高くなるように作られているわけですから、この設問は、入試問題として「成立している」と判断せざるを得ません。

 

 

あえて指摘するならば、この件について、入試直後に速やかに「おかしい」と言う声が上がらなかったのは、「そのまちがい」が本質的なものではないからです。

 

 

 

「この問題」が「炎上」してしまったのは、東京都教育委員会がホームページでおこなった「釈明」が「おそまつ」だと思われたからなのだと思います。

 

「専門家」の目から見れば、あきれるくらいに「おかしい」のだと思います。

しかし、「補助線」がどうのこうの、という話は、もはや「入試問題」という焦点からはかけ離れすぎていると感じます。

 

 

東京都教育委員会に対して、「物申し」をしたくなる気持ちはよく理解できます。

 

しかし、ちょっと冷静に「大局的」に考えることも必要だと思います。

 

塾の人間は、小学生や中学生に勉強を教える仕事をしているわけですが、萎縮してしまった生徒ほど「ミス」をおかすということをよくご存じなのではないかと思います。

 

もちろん、「大人」を子供のように扱えというのでは、アホっぽい話にはちがいありませんが、それでも、人間や人間の集まりである組織は、そもそもそういうものなのでしょう。

 

事態が悪くなるのは、「本人の資質」が問題なのではない、と思うことは多々あるわけです。

 

 

別に、大目に見ろ、といいたいわけではありません。

 

今回の件に関しては、ちょっと「ずれている」と思います。

 

指摘されている「ポイント」は、入試選抜の機能を損なっていません。

 

 

(私が、自分はずいぶん「政治的」な人間だな、と感じるのはこういう思考をするからなのかもしれませんが。)

 

 

(ivy 松村)

 

 

(注:後日、この記事の間違いの訂正や補足の記事を書きました。こちらもあわせてお読みください。)