「ナウい」言葉の使用について

前々回のブログ『「くだけた」言葉は「かっけー」のか?』の内容に訂正があります。

 

形容詞の語幹の末尾が「オ段」だったら、「エ段」になって長音化するという説明の際に、「かっこいい」を例として挙げましたが、それは適当ではありませんでした。

(後で補足を書き足そうと思っていて、書いているうちに忘れてしまっていました。)

 

「かっこいい」は「格好」という名詞と「良い」という形容詞が合わさってできた複合形容詞です。この言葉の語幹の末尾にあたるのは、二つ並んでいる「い」のうちの最初のものです。

ですから、「長音化の法則」を当てはめると、単に

 

かっこいい→「かっこいー」

 

となります。

 

「オ段」→「エ段」へと変化し、長音化する形容詞のふさわしい例としては、

 

すごい→「すげー」

きもい→「きめー」

 

などが挙げられます。

 

 

ですから、「かっけー」は、「長音化の法則」からは、やや逸脱しています。

 

 

「違くね?」などの表現もそうですが、「かっけー」も言語運用の規範から外れているものであるといえるでしょう。たぶん、そこが、これらの言葉の魅力の源泉になっていると思います。

 

 

 

ついでに、蛇足の話を。

 

このブログで紹介した、形容詞の「長音化の法則」ですが、これに当てはまるのは、おそらく、もともと、語幹の末尾が「ア段」と「ウ段」の形容詞だけだと思います。

 

「オ段」の発音を「エ段」にして長音化させても、多くの場合、「重い」→「おめー」、「尊い」→「とうてー」のように、少し強引な感じがします。

しかし、最近では、「すげー」のような言い回しも、よく聞かれるようになってきました。

 

 

形容詞の言い切りの形は「い」になります。

ですので、形容詞を発音するときには、最後の口の形は、左右の口角を引っ張り、口を横に伸ばすような形になります。

 

「あ」という母音を発音するときには、口を縦に開きます。

そのため、例えば、「やばい」という形容詞を口に出す際には、縦に口を開いた後で、口を横に開くように動かすことになります。

「い」の形になりきる前の、口を少しだけ開けた状態で発音されるのが「え」です。

つまり、「やばい」が「やべー」のような形になるのは、「い」の発音になりきる前の口の形の「え」のときに音がもれてしまっていることになります。

 

正しい発音が維持されない、ということで、緊急性やことの重大さ、甚だしさが醸し出されます。要は、発音を崩し、「やばい」ではなく「やべー」と口にすることで、私たちは、焦りや驚きや程度の大きさなどを表現しようとしているのです。

 

「やばい」と発音するときには、「あ」→(「え」)→「い」という口の形の変化があり、「やべー」となるのは、「い」のひとつ前の「え」の時点で調音されているということになりますね。

 

すると、形容詞の長音化の際の「ウ段」から「イ段」への変化も説明がつきます。

「だるい」が「だりー」となるときには、「い」という母音が一足早くあらわれているのです。

 

 

「オ段」が長音化の際に「エ段」になるのは、「ア段」の「法則」をなぞっているからでしょう。「あ」と「お」の発音が近いためであると考えられます。

「すげー」などは、比較的近年にあらわれた言葉づかいだと思います。

 

 

 

これは、調べたわけではなく、個人的な感覚なのですが、形容詞の「長音化の法則」は、たぶん、もともと東日本の話し言葉からきていると思います。

 

江戸の下町言葉は、語尾を伸ばすことが多く、「してしまっているのだろう」→「しちゃってんだろ」というように、「短縮」された発音がよく出てきます。

 

一方、西日本では、活用語尾が省略されることが多いのです。

 

例えば:

 

安い→やすっ

熱い→あつっ

小さい→ちっさっ

 

こうした使われ方も、度合を強調するために使われます。

 

 

 

ところで、形容詞は、非常に変化が激しく、新語が作られたり、新しい意味が派生したりすることが多い品詞です。

 

「ナウい」「ダサい」「むずい」「けばい」「チャラい」「やばい」「うざい」「きもい」などです。これらの中には、古語や方言に由来するものもあります。

 

「寒い」(面白くない)、「暗い」(陰気な性格)「痛い」(いたたまれない)「やばい」(すばらしい)など、元からある形容詞に、新しい意味が加えられることもよくありますね。

 

近年の傾向は、人の性格や様子を表し、かつ、ネガティヴな意味のものが多いように感じます。世相を反映しているのかもしれません。

(いうまでもないことですが、これらの言葉のほとんどは「品」がありません。使うべきではないと思います。)

 

 

 

 

ついでに、「言葉の乱れ」について、考えたことなどをもう少し書いてみようと思います。

 

 

法則やスタンダードから少しそれているものが「かっけー」という感覚は、若い世代の間で一般的にみられるものです。

ファッションや音楽などの、サブカルチャーやユースカルチャーでは、常に「新しいもの」が模索されます。

 

実は、私は、その感覚というのは、豊かな人生を送るために、とても重要だと思っています。

ですから、規範から外れた言葉づかいも、それだけで悪いものだとは思わないのです。

 

汚い言葉でなければ、友達同士の間でなれあった表現を使ったり、「ジャーゴン」やスラングを使ったりする様子を、ほほえましいとさえ思います。

ただ、その行為が、何か特別な、優れた行為だと勘違いしていると、ちょっと見苦しいと思いますが。

 

大きな問題となるとしたら、場所や状況に合わせて言葉を使い分けない場合です。

 

 

 

さて、上記のように、「若者」は、歴史的に、新しい表現を生み出す母体となってきたといえますが、ここ数年、これまでとは違った文脈が登場してきたように思います。

近年、インターネットを基盤とする新しい文化インフラが完成しつつありますが、その中で、90年代まではリアリティーのあった「若者文化」というようなカテゴリーが消滅しつつあります。

さらにいえば、少子化の影響で、娯楽産業全体が、若い世代ではなく、中年より上の世代をターゲットにするようになっています。

 

現代は、いってみれば、50代、60代の中高年や10代の若い世代が、世代の垣根を越えて同居している時代であるといえます。

 

したがって、「新しい言葉」が、「若い世代」から発信されづらくなくなってきているように思えます。

 

 

ご存じの方も多いと思いますが、インターネットの掲示板への書き込みやつぶやきなどから、多様な言葉が生み出されています。

最近では「リア充」や「中二病」といった言葉がよくつかわれているようです。

 

実は、これらの言葉の使用をリードするのは、造語力と言語運用能力に長けた年長世代です。

若年世代は、上の世代のコミュニケーションのパターンをなぞっているにすぎません。

ですから、中学生や高校生は、本来の意味や、新語の成立過程を知らないまま使っていることも多いのです。

 

要するに、現代の若い世代が使用している「新しい言葉づかい」は、先行する世代の影響によるものがほとんどであるということです。

 

そうなると、もはや「言葉の乱れ」を世代間の相克として捉えることはできなくなっていくのだろうと思います。

 

 

 

インターネットは文字表現の世界なので、書き言葉に比重があるといえます。そして、その隆盛は、ある意味で、活字の復権であると考えることもできます。

この15年ほどの間に、インターネットの中で生み出されてきた言葉には、書き言葉の特性がよく表れていると思います。それは、あまり「若者っぽく」ない印象ですね。

 

 

 

私は国語の教師なので、「正しい言葉」を教えなければならない立場です。

 

しかし、同時に、変化していく日本語を、ただ否定するのではなく、受け入れて、研究する対象として扱うべきだと思っているのです。

 

(もし、「誰か」との間に、言葉に象徴されるような「ギャップ」を感じている人がいたら、言葉を知ることが、「相手」を 理解する手がかりになるかもしれませんよ。)

 

 

今後、日本語がどのように変わっていくのか、不安でもあり、楽しみでもあります。

 

 (ivy 松村)