「進学塾」の条件

1987年に、当時の国立教育研究所(現在の国立教育政策研究所)の結城忠氏らが行った調査で、学習塾の4類型が提唱されました。それは、以下のようなものです。

 

①「進学塾」・・・有名校受験を目的とした塾

②「補習塾」・・・学校の授業の補習を目的とした塾

③「総合塾」・・・進学コースと補習コースを併せもつ塾

④「落ちこぼれ救済塾」・・・いわゆる「落ちこぼれ」を対象とした塾

 

この4類型は、それ以後の学習塾研究の基調となりました。

後続の学習塾研究の多くは、この類型に基づく分類か、この類型を改造したものを学習塾の分類として使用しています。

 

 

同じ1987年の、公正取引委員会の調査報告では、以下のような分類がなされています。

 

①「進学塾」

②「補習塾」

③「総合塾」

④「単科塾」

⑤「遅延児塾」

⑥「英才塾」

 

 

このうちの⑤の「遅延児塾」は、上述の「落ちこぼれ救済塾」と同等の機能をもつものであるととらえることができます。

 

④の「単科塾」と⑥の「英才塾」は、それほど一般的なものではありません。前者は「算数」や「英語」、「国語」などに特化した塾であり、⑥は東大受験を専門とするような塾で、入塾審査があるような塾です。

 

 

 

また、学習塾に関する著書を数多く出版している評論家の小宮山博仁氏は、結城氏らが示した4類型のうちの「落ちこぼれ救済塾」を「教育理念塾」としてまとめています。

 

 

以上の三者に共通する分類のカテゴリーは、

 

①「進学塾」

②「補習塾」

③「総合塾」

④「落ちこぼれ救済塾」=「遅延児塾」=「教育理念塾」

 

 

ということになります。

 

 

 

一方、「総合開発研究機構」(NIRA)は、結城氏らの分類をふまえた上で、「お落ちこぼれ救済塾」は「補習塾」に組み込みこむべきであるとして、学習塾を3分類に整理しました。

 

 

①「進学塾」

②「補習塾」(落ちこぼれ救済塾を含む)

③「総合塾」

 

 

この中で、「総合塾」という名称は、多くの人にとってあまりなじみがなく、その内実をイメージしづらいのではないかと思います。一般的には、ほとんど使われることのない用語です。

 

「総合塾」というのは、学習塾研究においては、「進学塾」の機能と「補習塾」の機能を兼ね備えた塾が想定されています。

つまり、難関校受験を指導をする一方で、学校の授業について行くのがやっとであるというような生徒の指導も行うような塾を指しています。

 

そうであるなら、世間のほとんどの塾が、この「総合塾」というカテゴリーに入ってしまいます。

前述の小宮山氏の説明によれば、およそ8割の塾が「総合塾」に分類されるということです。ならば、もっともあやふやな名称を与えられている「総合塾」こそが、学習塾の主体をなしているということになります。

 

実際、多くの学習塾が、幅広い学力層の生徒を受け入れています。

 

 

 

塾の「拡大期」であった70~80年代は、現在よりも「進学塾」と「補習塾」の棲み分けがくっきりとありました。

 

多くの「進学塾」で「入塾テスト」が行われ、入塾生の「選別」が行われていたのです。

一方で、自宅の一室を使って、学校の勉強をフォローするような「補習塾」が多く存在していました。

 

 

こうした時期に活発化した学習塾研究では、「進学塾」/「補習塾」という二分が、非常に重要な意味を持っていたのです。

同時に、郊外や地方都市では、まだ学習塾というものが多くなかったので、ひとつの塾が、幅広い学力の生徒を集め、多様なニーズに応えようとしたのです。つまり、「進学塾」とも「補習塾」とも分類できないようなタイプの塾がみられたわけです。

 

要するに、「総合塾」という分類は、「進学塾」か「補習塾」か、という「構図」のなかで、明確に分類できない塾として想起されたものなのです。ですから、「総合塾」というのは、当初は二次的なカテゴリーだったのです。

 

 

 

現在では、多くの学習塾が、幅広い学力層の生徒をできるだけ受け入れるようになっています。

 

学習塾の増加によって競争が激化し、また、少子化が進行したことで、学習塾業界は「売り手市場」ではなくなりました。

「進学塾」であっても、入塾者を「選別」する余裕がなくなり、多くの塾が入塾希望者は基本的に受け入れるようになりました。

 

こうして、古典的な学習塾研究の定義を用いれば、多くの塾が「総合塾」に分類されてしまうというような、現在の状況になったのです。

 

 

 

近年では、企業コンサルタントの宮田貞夫氏が、以下の3分類を提示しています。

 

①「進学塾」

②「補習塾」

③「受験塾」

 

 

この分類では、「総合塾」に替わって「受験塾」というカテゴリーが採用されています。

 

 

 

ところで、「進学塾」という看板を掲げた学習塾は巷に散見されますが、「補習塾」をアピールする学習塾はほとんど存在しません。

前述の小宮山氏は、それは、「補習塾」という看板を掲げても、「出来ない生徒が集まる塾」という評判が立ってしまい、生徒が集まらなくなるという事情のためであると述べています。

 

「補習塾」という言葉は、否定的な「レッテル」として作用するので、自塾をあえて「補習塾」であると宣伝する塾は少ないというわけです。

 

2000年代に入ってから、学習塾業界には「個別指導塾」ブームが起きますが、その際に多くの「補習塾」が「個別指導塾」にくら替えしました。

 

一方、「進学塾」を始原とする「塾企業チェーン」は、2000年ごろから「コンビニ型」の教室を各地域に出店するようになります。

小規模の教室を数多く経営することで、収益を確保しようという戦略です。

 

そうした塾企業は、慢性的な人手不足に陥ります。そのため、教務技術の未熟な「新入社員」や「中途社員」がひとりで切り盛りするような、「大手塾」の教室が拡散していきました。

こうした「チェーン」の教室は、それぞれ同じ看板を掲げていても、指導の質が教室によって大きく異なっています。

 

「進学塾」という看板だけでは、その塾の中身はわからない、というのが今の時代の「塾模様」です。

 

 

 

さて、「進学塾ivy」という塾は、「進学塾」と明記しているわけですが、そこにはこだわりというか、矜持のようなものを込めています。

 

 

私たちには、一緒に勉強したい、と言ってくれる生徒を受け入れないという選択を、想像することはできません。

 

思うに、「進学塾」の定義は、生徒を「選抜」しているかどうか、という条件でなされるべきではありません。実際、現代の学習塾に、そのような視座はほとんど無意味です。

 

 

 

少し前に、このブログで「良い塾の条件」について考えてみました。

そのときは、より普遍的な「答え」を求めて考えすぎてしまい、「ぼんやり」した結論となってしまいました。

 

塾によって、目指しているものや目的が違っているのですから、すべての塾を包括するような「答え」にはあまり実用的な意味がなかったのです。まあ、「塾選び」などの指標とするには「薄かった」わけです。

 

今は、考えるべき方向性がもっと明確になってきました。

 

現代の「進学塾」とはどのような塾であるべきなのか、という問いについて考えることに、大きな意味がありそうです。

 

 

その回答のひとつは、受験の「主導権」を持つことであるといえそうです。

 

私が尊敬する塾教師が言っていた言葉を思い出します。

 

 

「塾の役割は、受験校の決定に『介入』することです。」

 

 

高校受験に即していえば、受験校の選択を「生徒任せ」にしない塾です。

早く受験校を決めろ、学校見学に行ってこい、などと言うばかりで、高校の情報を示したり、より良い高校への挑戦を促したり、生徒に見合った受験を勧めたりしない塾は、「進学塾」であるとはいえないと思います。

 

特に、第二志望以下の受験校について、しっかりと話をすることが大切です。

多くの中学生は、中学校の三者面談で、学校の先生に勧められる受験パターンを甘受します。

それが「当たり前」だと思っているような塾は「進学塾」ではないのだろうと思います。

 

 

 

中3の、中学校の三者面談(進路面談)が終わりました。

 

期末テストが終わって、仮内申が出れば、いよいよ受験校を決めます。

 

 

中3の生徒とは、かなり密に受験校について話をします。

 

学校の特色や校風、入試問題の傾向、高校から先の進路の可能性などの情報はもちろんのことですが、特に受験パターンや受験校の選定について、詳細な話をするようにしています。

 

中3だけでなく、中2や中1にも、折にふれて高校の話をしています。

 

私は、まず、生徒本人と高校の話をするようにしています。

 

 

生徒自身が、保護者の方に、自分が受験したいと思う高校の話をするという形を大事にしたいのです。

 

生徒本人が、「自分はこの高校を受けたい」という意思を示すことに大きな意味があると思うのです。

 

 

生徒たちにもよく言っているのですが、高校から先は「行かせてもらう」ところです。

 

今は、高校に行くのが「当たり前」という時代になっていますが、原則的には「義務教育」は中学までなのです。

ですから、本来は、高校に行かせてもらいたい、ここを受験させてほしい、とお家の人にお願いするのが「道理」なのです。

 

 

そういう受験指導の「形」を大事にする「進学塾」でありたいと思っています。

 

 (ivy 松村)

 

塾の「IT革命」やぁ~

最近、よくグーグルアースを使って生徒に地理の解説をしています。

石油化学コンビナートや製鉄所を示したり、平野や盆地の位置や河川の流れを確認したり、大変便利です。

 

学校の音楽の定期テストの際、ユーチューブで「魔王」を聞いたり、「モルダウ(ブルダバ)」を聞いたりすることもあります。歌舞伎や人形浄瑠璃を鑑賞することもできます。

 

 

学習には「情報の取得」という側面があります。ですから、情報機器や情報端末をうまく使うことで、より効率的で効果的な学習が期待できます。

 

しかし、それは、学習者がその「道具」を適切に扱えることが前提です。

 

パソコンやスマホを学習ツールとして使おうという試みが増えてきていますが、あまりうまくいっていないようです。たぶん、それは、「自主学習」の教材としてそのソフトやアプリを設計しているからだと思います。

 

学習意欲が低い人は、結局、学習に利する「道具」であっても、それを積極的に活用しようとはしないのです。

 

勉強と情報技術を結合させるには、やはり「教える側」の企画・計画、誘導が必要となります。

 

 

学習塾が、授業などに情報技術をうまく取り入れるようになれば、「塾の光景」は今とは違ったものになっていくのかもしれません。

 

 

現在、「電子黒板」というものが普及しつつあります。

テキストや画像などを表示したり、タッチで操作や入力をしたり、文字を書き込んだりできる「大きなパソコン画面」を「黒板」として使うわけです。

 

もう少し操作性が向上し、さらにコスト面でのメリットが高まれば、導入する塾も増えるだろうと思います。

 

 

 

近年、多くの大学で、資料作成や「プレゼン」のスキルを身につけるような講座が設けられています。

中学・高校でも、コミュニケーションの技能を重視し、そういった知識を学ぶための授業を行うところもありますね。

 

 

「プレゼン」を行う際には、スライドショーを使って要点を示したり、グラフや画像を表示したりしながら行うようなやり方が普及してきました。

その、スライドで映し出すための資料を作成するソフトが「パワーポイント」です。

 

まともな大学のまともな学生であれば、パワーポイントを使った授業計画を立てることはそれほど大変なことではないでしょう。

 

大学生講師や若い塾社員の人たちのなかには、「アナログ」な板書の授業をするよりも、情報機器を駆使して授業をする方が向いている人もいるのだろう、と思います。

 

 

 

一般企業では、プレゼンや会議、発表などの場で、パワーポイントを使った説明を行うことが常識になっています。学会での発表も同様です。大学の授業でも、熱心な若手の教員は、ほとんどの人がパワーポイントで授業を行います。

 

パワーポイントの利点は、わかりやすい視覚効果を使うことで、聴衆に説明を理解してもらいやすくなるという点です。しかし、パワーポイントを使うメリットはそれだけではありません。

 

パワーポイントの隠れた効用は、発表者が説明の手順や筋道を前もって規定することで、綿密な発表計画を練り、それにもとづいて発表に臨むことができるという点です。

 

聴衆に発表内容を理解してもらうためには、発表者が落ち着いて手際よく話を進めていくことが大事です。パワーポイントを使って資料を作成し、「リハーサル」などを行いながら準備をすることで、「本番」でのスピーチ内容や、話すテンポなどをより最適なものへと調整することができます。

 

 

塾や学校は、時代の流れに疎いところがあって、まだまだ情報技術を、教育にうまく取り入れられていないように思います。それは、逆の面からいえば、変化の見込みが大きいということでもあります。

 

パワーポイントには、大きな可能性を感じます。

 

 

「電子黒板」のような「ハード」と、パワーポイントなどを活用した「ソフト」の両面を十分に活かすことができれば、塾の「サービス」はより質の高いものになると思います。

 

 

 

ところで、少し前に、若い塾講師とベテラン講師の、興味深い意見のやり取りを見聞きしました。

 

若い講師は、授業の「ノウハウ」や教材などを「オープン」に公開し、共有できるようにして、全体の教務レベルを一定に保つことが重要だと主張していました。未熟な講師が授業を行うことは、全ての人にとって損害であり、「一人前」の講師が育つ時間はできるだけ短い方がいいし、そのために全体がバックアップするべきなのだ、という意見です。

 

一方、ベテラン講師は、楽をして「教務資源」を手に入れることは講師に必要な経験をスポイルすることになるし、試行錯誤して自分のパーソナリティにあったスタイルを模索する動機を失わせてしまう、と反論しました。そのうえで、「ノウハウ」の共有は「平準化」された授業の複製を作り出すことでしかなく、逆に教務レベルの低下をもたらすことになると説きました。

 

(一応念のために述べておきますが、ベテラン講師が、すなわち「良い講師」というわけではありません。「ベテラン」は、往々にして、独善的で硬直した指導に陥りやすいのです。学校の先生にも同じことがいえますが、情熱を失った「ベテラン」は、ひどいものです。)

 

 

2つの意見の相違は、どちらか一方だけが正しいというわけではないのだろうと思います。

 

ただ、ある程度まともな塾企業は、必然的に前者の「共有型」へと傾斜するはずです。

後者の「職人型」は、人材への負担が大きすぎて、離職率を高めてしまいます。

 

近年では、徹底した「職人型」の塾(教室)は、大手塾を独立した人が集まって開いたような個人塾にしか見られなくなってしまいました。

 

理想的なのは、教務の「共有化」を促進しながら、「研修」等を通して、教務レベルを底上げしていくことですね。

逆に、最悪なのは、「共有化」も行わないうえ、「研究」の時間も取れないほどの仕事量を課すような塾企業です。(悲劇的なことに、これが一番多いですよね。)

 

 

 

さて、話を戻して、私が関心を抱いているのは、授業コンテンツの「パッケージ化」の可能性です。

たとえば、パワーポイントで作成した授業用の素材を「共有」することができれば、非常に「効率的」です。

 

板書は手書き文字で行うもの、というような固定観念を捨ててしまえば、「板書」の内容を完璧な形で「共有」できるのです。また、画像や音声、動画等の補助的な資料も有効に活用できます。さらに、「雑談」等の素材も「共有」することが可能になるかも知れません。

 

 

 

それで、若い人がパワーポイントをはじめとした情報技術をベテランに教え、ベテランが若い人に教務技術を伝授するという双方向の「共有化」ができれば、お互い「Win-Win」ではないか!と思ったわけです。

 

まあ、これは、戯れ言というか、絵空事ですね。世の中のほとんどの塾組織は、こうした「協働」というものを「大変苦手」にしています。まして、他塾と連携して教務力向上のためのプロジェクトを進めるということなど、想像もできません。

 

 

 

最近、 情報技術と教務の「ノウハウ」を融合するアイデアについていろいろと考えています。それらは、世の中の企業では珍しくないアイデアだと思いますが、塾の世界では、イメージできる人は少ないみたいです。

 

 

ここは小さな塾ですので、「共有化」というようなことは是非もないことですが、来るべき「IT革命」に備えて、今も少しずつ準備をしています。

 

 

 

 (ivy 松村)

「塾講師のアルバイト」と「塾の経営」

人気のある大学生のアルバイトのひとつに、「学習塾の講師」があります。

 

インターネット上には数多くの募集サイトがあります。

中には、自塾のホームページで講師を募集している、なかなか豪胆な塾もあります。

 

学習塾の講師は、他のアルバイトに比べて時給が高く、「割のいい」アルバイトであると考えられているようです。

 

しかし、最近、話題になっている「ブラックバイト」の代表的なものとして、塾の講師があげられているという話を聞きました。

「ブラックバイト」というのは、違法性のある不当な労働を強いられるようなアルバイトのことを指すのだそうです。

 

 

「ブラック」という「ワード」を否定的な文脈に用いることには、私は抵抗があります。

グローバルな視点を持たない、閉鎖的な言語感覚だと感じてしまう部分もあります。

しかし、1つの問題提起として、この言葉が注目されることには意味があると思います。

 

 

 

2005年に、全国学習塾協会がおこなった「学習塾の雇用管理に関するアンケート調査」によれば、「非正社員講師比率」は平均で56.9パーセントとなっています。つまり、この調査によれば、学習指導をする塾講師の半数以上が「アルバイト」であるということになります。

 

また、従業員数が多くなるほど、「非正規社員講師比率」が高くなるという調査結果が出ています。したがって、規模の大きな、つまり広域にチェーン展開している塾の講師ほど、アルバイトが多い、ということになります。

従業員数が10人以上の塾は、およそ7割がアルバイトです。

 

この調査は10年前のものですが、現在はさらにアルバイト講師の割合が高くなっているはずです。「非正規社員講師比率」の低い個人塾が減少し、「フランチャイズ」の個別指導塾や、チェーン展開が活発な、最小限の社員講師による運営の、「コンビニ型」の塾が増えているからです。

これらは、大学生アルバイト講師に依存するビジネスモデルとなっています。

 

 

 

「学習塾」は、人件費が支出の大部分を占める労働集約型のサービス産業です。

 

同時に、「労働力」の調整が求められるビジネス形態です。

年度によって生徒数の増減があり、また、季節講習などがあるため、必要な人員が時期によって大きく変動します。ゆえに、そもそも、アルバイトを使って雇用調整を行う経営へと収束しやすいという側面があります。

 

 

しかし、大手学習塾企業は、常時アルバイトを雇っています。

つまり、年中「人手不足」が生じているということになります。

 

 

塾企業がアルバイトを起用するのは、「正社員」が足りないためではありません。

学習塾経営者は、慢性的な「人手不足」の解消を望んではいないのです。

 

学習塾という業態には、廃棄・ロスがほとんどありません。また、ランニングコストとなる家賃光熱費なども大きく増減しません。

固定費の変動が少ないため、損益分岐点を超えた売り上げは、ほぼ利益に近くなります。

したがって、人件費の圧縮が、利潤に直結するという構造を持っています。

 

 

「教育」と「営利」のバランスは、学習塾経営の永遠のテーマであるといえますが、凡庸な学習塾企業の経営者は、人件費抑制の「誘惑」に抗えないのです。

 

そのため、

 

①安い給料でアルバイトに授業をもたせる

②正規従業員の業務量を増やす

③正規従業員の給料を抑制する

 

という3点が、経営者にとって、雇用の基本政策となるのです。

 

いずれもサービスの質を下げる愚策ですが、広告宣伝を強化することで、あたかも高水準の授業を提供しているように装い、「ビジネス」を堅持するのです。

 

学習塾企業は、そもそも「ブラック」に陥りやすい構造を抱えています。

会社が、どれほど多くの利益を得ようとも、それを「労働条件」に反映するのは、経営者にとって「最後の砦」となってしまうのです。

 

 

 

ところで、学習塾は、その事業形態から分類すると、大きく3つに分けられます。

 

ひとつは、企業経営の学習塾です。

一方で、個人経営の学習塾もあります。

そして、「フランチャイズ」の学習塾があります。

 

その中で、「ブラックバイト」の問題が大きく関わっているのは、「フランチャイズ塾」のようです。

 

 

「フランチャイズ塾」は、70年代の初頭から現れはじめました。

小売や外食産業の経営モデルが、教育産業に導入されたのです。

 

2000年代中盤から、フランチャイズ展開をする塾が急増しています。

 

 

「フランチャイズ塾」とは、「オーナー」となる個人が「本部」と契約して、有名学習塾の「看板」を掲げて塾を経営する事業形態です。

 

たとえば、Aさんという人がB塾という「フランチャイズ塾」の「オーナー」になれば、B塾の教室を設置することができるのです。

 

AさんはB塾の社員ではありません。自分の教室を運営する「個人事業主」です。

立場としては、個人で商売をしているお店の人と同じです。

ただし、B塾との契約にもとづいて、教室を運営しなければなりません。

 

「オーナー」となったAさんは、B塾の「名前の使用料」である「ロイヤリティ」をB塾の「本部」に支払います。多くの場合、売上の何割かを供出する契約になっています。その他、宣伝や教材管理等の業務を「本部」を通して行い、その費用等を支払う契約も結ばされます。

 

早い話、さまざまな名目で「本部」にお金を徴収される仕組みになっているのです。

売上のほとんどを「ロイヤリティ」として持っていかれてしまうので、「フランチャイズ塾」の経営は大変です。

 

 

 

実は、有名「個別指導塾」のほとんどが、「フランチャイズ塾」です。

近年では、駅前ではなく、幹線道路沿いの「ロードサイド」で営業する「フランチャイズ塾」が目立ちます。

豊田駅周辺から、旭が丘、多摩平あたりの範囲で、思い当たるだけで10教室ほどの「フランチャイズ塾」が存在します。

 

塾業界は、少子化もあって、競争が激化しています。

しかし、塾の数は減っていません。それは、こうした「フランチャイズ塾」が勢力を伸ばしているからです。

 

 

 

近年、サービス産業の一部に、構造的な変化がみられるようになりました。

消費者に直接「商品」や「サービス」を販売するのではなく、事業者に「ノウハウ」を卸して、利益を上げるビジネスモデルへの転換です。

学習塾企業の場合、直営の教室運営によって利益を上げるのではなく、「フランチャイズ・オーナー」からの「ロイヤリティ」を収益の柱にするような会社が増加しました。

 

少し考えればわかりますが、資本力と「ノウハウ」のある企業が、自ら教室展開をするのではなく、着実に「ロイヤリティ」収入を確保する営業形態へとシフトしているのですから、今、学習塾は「厳しい」のです。

 

にもかかわらず、「オーナー」として、塾経営に参入しようとする人が非常に多いということですね。

 

 

たくさんの「フランチャイズ塾」がありますが、新しく「オーナー」になる人のほとんどが、「未経験者」です。つまり、素人です。

 

塾業界で「修業」を積んだ人間であれば、ひとかどの理想や方法論を持っているはずです。

ですから、「独立」するときに「フランチャイズ」を選ぶはずがないのです。

「フランチャイズ塾」は、「本部」の意向や指示に拘束されてしまうからです。

 

「ノウハウ」を持っていない人が、「フランチャイズ」を選ぶのです。

 

 

「フランチャイズ塾」には、学習塾事業の特徴が色濃くあらわれていると思います。

 

学習塾は、多くの人にとって「ビジネスチャンス」に映ります。

新規参入が非常に容易だからです。

認可や資格・免許を必要としないので、「誰でも」事業を立ち上げることができるのです。

 

そして、多くの人が、自分は「経験者」であるという「錯覚」を持っているために、塾業界で「修業」することなく、「オーナー」になってしまうのです。

 

その「錯覚」とは、「通塾の経験」です。

かつて塾で勉強し、受験をした「経験」があるので、自分には十分な「知識」があると勘違いしてしまうのです。

しかし、実際には、「教わること」と「教えること」には、海と山ほどの違いがあります。

 

 

この「錯覚」は、多くの大学生アルバイトも所有しています。

さらに、勘違いの激しい大学生は、自分は良い「兄貴分」や「お姉さん」になれると思い込んでいて、生徒になれなれしく接したり、「ぶっちゃけた」態度を取ったりします。

ドラマやマンガなどの影響なのかもしれませんが、「型にはまらない」「等身大の自分」を見せれば、人気者になれるという幻想を抱いているのです。

 

このような夢見がちな軽い気持ちで「割のいい」アルバイトを始めたら、実は「ブラックバイト」だった、ということもよくあることなのでしょう。

 

(念のために記しますが、優れた教務技術を持っている大学生講師もたくさん活躍しています。)

 

無責任で薄情な大学生は早々にやめてしまうのでしょうが、真面目で有望な人ほど絡め囚われてしまうのだと思います。

 

 

さて、「フランチャイズ」の「個別指導塾」のアルバイトの時給は、平均してだいたい1300円~1600円ぐらいだと思います。(さすがに集団塾や予備校はもっと高額です。)もちろん、額だけ見れば、コンビニやファストフード店よりもよい時給です。

しかも、自分は「経験者」なのでうまくやれるはずだし、生徒に慕われて気分よくなれる、という魅力的なアルバイトに思えます。

 

まあ、うまくやれるかどうかはその人次第ですが、実際には「割がいい」どころか、悲惨なアルバイトを強いられている人もいるようです。

 

 

 

「フランチャイズ塾」の「オーナー」のほとんどは、もともと教育業界にいたわけではありません。

学習塾は「事業」の選択肢のひとつであるという考えの強い人も多いのだろうと思います。

 

「教育」よりも「営利」へとバランスが傾いている「オーナー」は、利益のために人件費を圧縮しようと考えるでしょう。

 

もちろん、経営者としても、教育者としても優れている「フランチャイズ・オーナー」の方も数多くいらっしゃるに違いありません。そういった方々には、ぜひ事業を拡大して、良い塾を増やしていっていただきたいと思います。

 

 

 

私の問題意識の根底にあるのは、塾業界があまりにも「自由」であるということです。

業界団体の取決めは「紳士協定」の域を出ず、拘束力を持ちません。

私は、業界に「規制」が必要だと思っています。

いまや、行政が学習塾を「認める」時期にきているのではないかと思うのです。

 

 

 

今回は、「ブラックバイト」という話題から、塾業界の体質や「アルバイト講師」について考えてきました。

 

「アルバイト講師」に関しては、私は思うところがあります。

 

私は、塾の教師という職業は「職人的世界」に属するものだと思っています。

「職人」とは、納得のいく仕事に価値を見出し、それを追求する存在です。

 

時間単位の「労働」と同じ地平で語られるべきものではない、という思いがあるのです。

 

「塾講師」を募る際に「時給で釣る」のはやめたほうがいいと思っています。

それが不幸の大元になっているような気がします。

私たちの仕事の魅力は、(あえて抽象的ないい方をしますが)「やりがい」にしかないのですから。

 

 

大学の「教育研究会」のようなサークルが、ほぼボランティアのような塾を運営していたりします。(決してボランティアを要請しているわけではありません。)

私がいいたいのは、その事実は、「割のいいバイト」を装わなくても、塾の仕事に魅力を感じてくれる人は必ずいるのだ、ということです。

 

そういう人たちに、納得のいただける誠実な給料をお支払いして、いっしょに仕事がしたいと思うのです。

 

 

時間当たりの「労働」を要請されれば、その時間をなるべく楽に、効率的にこなそうという考えへと行き着いてしまうでしょう。

それはまったく自然な発想です。

 

ですから、授業の予習もせず、ただ答えを読み上げ、行き当たりばったりの解説に終始するような授業を行うアルバイト講師が増えるのも当然のことです。

 

彼らに対して、苦虫をかみつぶすような感情が沸き上がりますが、その行動は「正解」です。

「予習」には1円も発生しないのですから、そこに時間をかけるのは無駄な徒労でしかありません。

 

彼らのその行動を誘引しているのは、学習塾側です。

 

 

 

過去に、未熟なアルバイト講師だったころに、私立中受験のクラスの社会を担当することになりました。

そのクラスは、偏差値30台の生徒と、トップレベルの進学校を志望する生徒が混在するクラスでした。

小さな教室で、生徒数も多くなかったので、クラス分けもされず、彼らを同時に指導しなければなりませんでした。

 

指導力が貧しかっただけでなく、教科や受験の知識も欠いていた私の授業は、すぐに破綻しました。

 

それから1年半、授業の準備に、毎週平均8時間を費やしました。

どうやって授業を成り立たせるのか、思案し、解説の手順や内容をほぼ原稿に近い形にまとめ、テキストを全て文字データに起こし、それをもとに作った授業プリントを使って授業を行いました。

 

時給に換算すると・・・やめておきましょう。あれは、「労働」ではなかったのです。

 

偏差値30台だった生徒が、社会の偏差値を20ポイント以上も上げてくれました。

社会が好きになった、といわれて、報われた思いがしました。

 

今、やれといわれても、もちろん無理です。あのときでなければできなかったことです。

同じことを誰かに強要するつもりもありません。

 

ただ、あの経験が、今の私の血肉となっているのです。

 

 (ivy 松村)

良い塾の条件とは何か②

塾の個性は、ほぼその教場の責任者によって形作られることになります。

どのような塾にしたいのか、という理念の薄い人間が教室運営の責任者になると、「ただ勉強を教えるだけの塾」の塾になってしまいます。

 

「勉強を教えるだけの塾」の何が悪いのか、と思った人は、根本的に教育という仕事には向いていません。というよりも、創造的な仕事に向いていないといっていいでしょう。

 

 

「教える」という行為の本質は、教える内容にあるわけではなく、それを定着させる工夫にあります。

 

たとえば、「A=B」という内容を生徒に理解させようとするとき、ただ、「AはBである」と声に出せばいいわけではありません。

それで事足りるのであれば、塾など必要ありません。

 

教師は、板書をしたり、ノートに筆記させたり、小テストをしたりすることで生徒にその内容を理解させようとします。こうした方法は極めて一般的なものです。

 

さらに良質な教師は、伝え方に工夫を凝らすでしょう。声を張ったり、何度も口にしたり、別の事柄に関連付けたり、ゴロ合わせにしたり、さまざまな方法を駆使して、その内容を生徒の記憶に刻もうとします。

「ギャグ」を織り込もうとする教師もきっといることでしょう。

 

それだけではなく、生徒が授業に集中するような環境づくりや、習慣づけを行います。

また、生徒とのコミュニケーションを通して、意欲を高めたり、落ち着かせたりといったケアを行います。

そういう総合的な戦略を通して、「A=B」を生徒の血肉にしていくのです。

 

つまり、塾という場所は、講師が「AはBである」と、覚える事柄を発表する場所として完結するだけであってはならないのです。

「A=B」という知識をより効率的に身につけられるように、全体がきめ細かにデザインされてあるべきなのです。

 

 

教場の責任者に、その意識とノウハウがあるかどうかで、その塾の指導力は大きく変わります。

 

 

 

私は、昔から、機会があれば、いろいろな塾や教室を見学させていただき、参考とさせてもらってきました。

 

最近は、ホームページやブログなどに塾内の様子を載せる塾も多くなったので、塾の運営について考える材料も増えてきました。

 

 

ちょっと話はそれますが、マネージメント能力のない、危うい塾の従業員は、ちょっとあり得ない写真を平気で掲載していたりします。

 

最近は解像度の高いデジカメが普及していますが、この時期には、ブログの画像を原寸大にすると、壁に貼っている掲示物から、生徒の名前や受験校が確認できるような写真が多くあってぞっとします。(「小さく」したら見えなくなると思っているのでしょう。)

整理されていない職員の机上や本棚が写り込んでいたりする写真もよく見かけます。

同僚の方は、ちょっと教えてあげた方がいいのではないか、と老婆心ながら思ったりします。

 

 

さて、私が塾を見るときに気にしているのは、机の上にカバンが置かれているかどうか、です。

 

カバンというのは原則、マナーとして、机の上においてはいけないものです。

大学の大教室などでも、大学生が講義の時間も平気でカバンを机の上に置いていることがありますが、もし、それが「普通」だという感覚を持っている人がいたら、ちょっと考えたほうがいいと思います。

 

驚くほど多くの塾が、このことに対して違和感を持っていないのですね。

非常によく見かけます。そして、結論からいえば、そういう塾は、意識が低いと言わざるを得ないと思います。

 

そして明確に、授業中に勉強と関係のないものが目に入ることは、勉強には決してプラスとはなりません。

 

「それくらいのことが勉強に関係あるのか」と思った人は、さらに意識が低いと思います。

 

 

心理学的には、授業中や自習時間に机にカバンを置きっぱなしにするのは、実は、幼い精神の表れであると考えられます。

これは、「自分のもの」に囲まれていると確認することで、安心したいという心理からくるものなのです。

塾の授業をストレスに感じている生徒ほど、カバンを机の上に置いたままにしようとします。

 

このような心理状態を放置することは、その生徒自身の受験にとってもよいことではないでしょう。

そのうえ、マナーにもとる行為です。

 

また、その他の生徒にとっては、そのカバンは目障りなものであることはまちがいありません。

 

一人の生徒が机の上にカバンを置くことによって、それが邪魔で、落ち着かない他の生徒が出てきます。すると、他にもカバンを置くようになる生徒が出てきます。自分のカバンが目に入ることで落ち着けるからです。最後には、カバンだらけの、視覚的に全くだらしない教室の光景となります。

 

その中で、淡々と授業を行っている塾の教師がいると、本当に鈍感なんだな、と思います。

 

 

同様に、ペットボトルなどの飲み物を机の上に置いて勉強している生徒がいても、全くなんとも思わない塾の人がいるのですね。

 

また、自習室で、イヤホンをつけて音楽を聞きながら勉強している生徒がいる塾もありました。

 

生徒が非常識であるというよりも、塾の人間の意識が低いのです。注意すればすぐに直ることです。

 

 

これらは、総じてダメな塾の条件であるといっていいと思います。

 

 

 (ivy 松村)

塾の「併願優遇」?

私立高校に「合格の可能性」を直接きくことができる「入試相談」は、家庭や塾がお願いすることもできます。

 

それが、内申の「基準」にもとづいたものであれば、学校が行うものと変わりがないことになります。そうであれば、家庭や塾が別ルートで「入試相談」をする意味はありません。

 

しかし、そこで、「別の基準」を認めてくれる高校が、かなりあると聞きいています。

「Vもぎ」「Wもぎ」「北辰テスト」などの模試の成績によって、「併願優遇」を出してくれるケースがあるそうなのです。

 

公式には、「併願優遇」は内申点にもとづいて実施されなければならないとされているので、中学校の先生は、このような「相談」ができるというということを教えてはくれません。

 

また、高校受験を全体的に組み立てるという意識のない個人塾や、受験の制度をよく知らない塾は、こうした模試の活用の仕方を知らないので、「外部の模試など受けなくてもいい」といった指導を行うこともあるので要注意です。

 

 

秋になって、私立高校の「学校説明会」や「入試説明会」が数多く開催されますが、そこで、直接、模試の成績をもとに「合格の可能性」を聞くことができると思います。

(「説明会」は、第一志望の学校に行って、学校の雰囲気を味わって、やる気を出すものだと考えている人は、どちらかといえば、勘違いをしていると思います。)

 

そこで、例えば、「Vもぎ」の偏差値60以上を2回取っていれば、「併願優遇」措置をとり、「確約」を認めてくれるというような「別の基準」を教えてもらえるでしょう。

 

 

学校の内申がそれほどよくない生徒でも、テストでの得点力があれば、有利な「併願優遇」のカードを手にすることができるのです。

 

模試の成績によって「併願優遇」を認めるというケースは、どうやら一般的にあるということのようです。

 

中3生は、2学期以降は月に1度くらいのペースで会場模試を受けておいた方がいいと思います。そのことが、あとで意味を持ってくることがあるかもしれません。

 

 

さて、しかし実は、このような、模試の成績で「併願優遇」を認めることは、正式なものではありません。もちろん、ホームページや募集要項などにも一切書かれていません。

 

内申以外の「基準」で高校が「併願優遇」の措置を取ることを、行政は快く思っていないのです。

 

ですから、こうした話は、もしあるとすれば、高校側と、家庭や塾などの受験者側が「直接」確認し合うはずなのですが、最近は、かなり大雑把な扱いになってきているのかもしれません。

 

 

先日、河合塾が、「独自」の基準で受験生に「併願優遇」を約束していたことが明るみになって、ニュースになりました。

 

河合塾模試で「入試優遇」? 組合が指摘 文科省通知に反する恐れも

 

河合塾といえば、大学受験予備校のイメージがありますが、中学生が通う高校受験のコースもあります。

今回の「併願優遇」の件も、高校受験のコースでの話です。

 

 

ニュースによれば、河合塾は、塾の模試の成績によって「併願優遇」がとれると、保護者に説明をしていたそうです。

 

これは、もちろんルール違反なのですが、大手チェーンの塾では、よくある話なのかもしれません。

 

私立7校がこれを認めていたということなのですが、多分、私が想像している高校と一致しているのではないかと思います。

「併願優遇」に積極的な高校は少し調べればわかります。

 

 

それにしても、個人的に興味深く思われたのは、これを指摘したのが河合塾の労働組合だということです。

塾独自の基準で「併願優遇」がとれるのであれば、それは塾としての利点です。

その利点を世間に告発して「会社」に不利益を与えているわけです。

こんなことをすれば、従業員である自分たちが困るだけでなく、受験生にも影響が出てしまいます。

 

おそらく、河合塾の組合は、正義感から不正を告発したのではないのでしょう。

組合は、会社側への何らかの警告か報復・意趣返し、あるいは取引の材料として、こうした行為に及んだのだろうと思われます。もしかしたら、何かゴタゴタがあるのかもしれません。

 

 

外部の人間には、もちろん何があったのかは分かりませんが、少し、河合塾には同情してしまいます。ある意味で、組合側の行為は「おきて破り」に近いものだと思います。

 

 

しかし、河合塾はすごいなあ、と思いました。

「高校側が公開した情報を保護者に説明している」というコメントを出しています。「強者の言い訳」ですね。

 

今年、高校側が、河合塾の生徒に「併願優遇」を出すのか、気になりますね。

 

 

 

塾が「併願優遇」を用意するということはどういうことなのか、ということを考えてみました。

 

こういうことは、本来秘匿されるべきことだと思うのですが、ニュースになってしまったので、明るみに出てしまいました。そこで、新聞記事から読み取れることを推測してみます。

 

他の高校を第一志望とする受験生の受験者数を増やすことを、メリットとしてとらえている高校はたくさんあります。

 

高校側としては、「併願優遇」の受験生が第一志望に受かってしまっても、受験料の収入があります。入学することになれば、塾で鍛えられた学力の高い生徒を獲得することができます。見込みよりたくさん入学することになってしまったら、次年度で「調整」するようです。前年の入学者が多かった次の年に、入学者が絞られることがあります。

 

さらに、高校側としては、大手チェーンの塾はたくさんの受験生を抱えているので、一度に多くの受験生と交渉できるというメリットもありそうです。話がまとまれば、何百人もの受験生を一回の交渉で獲得することができます。

 

 

一方、塾側としても、「渡りに船」「魚心」の話になります。学校や本人の事情で、内申が低くて「併願優遇」が取れない生徒にも、「おさえ」を確保させることができるからです。

 

また、想像どおり、それが塾としての大きな「営業」資源になるということが、今回の報道ではっきりしました。

 

保護者に対して、「うちの塾にいれば、受験にこんなに有利になるんですよ」という話しをしてしまったということですね。そしてそれは、本来なら許されないことであり、また、やるにしても隠れてやらなければいけないことだったわけです。

 

そして、このニュースの一番のキモは、「併願優遇」の「基準」に、自分たちで運営している模試の成績を使っていたという点でしょう。

 

もちろん最後は「信頼関係」なのでしょうが、微妙なのは、その模試を実施し、採点するのが、塾のスタッフであるということです。(まあ、今となっては「信頼関係」は、微妙どころの話ではないのかもしれませんが。)

 

そう考えると、実は、有名塾に入ることの最も大きな利益は、塾による「併願優遇」にあるといえるのかもしれません。

(本当にそれが「一番のメリット」だとしたら、塾としてはショボ過ぎるとは思いますが。)

 

 

 

最後に、塾の情報管理について考えてみました。以下は雑記のようなものです。

 

内申以外の基準を用いて「併願優遇」を認めているというような場合、高校側は合格に特別な便宜を図っているわけですから、それが知られたときに、印象が悪くなるのは高校側です。ましてや、文科省の通知を無視して行っていたわけです。

ですから、高校の方は、内密に、という約束をするのですが、そういった「秘密」は塾側から「だだもれ」になってしまうことがよくあります。

 

塾の方は、秘密情報に関して危機意識が薄いのでしょう。

場合によってはアピール材料になるのですから、なおさら秘密にしておくことは難しかったのかもしれません。

高校側からすれば、生徒や保護者を集めて、「密約」をばらされるとは思ってもみなかったのではないかと思います。

 

今後も同じような、塾がらみの「情報流出」「情報漏えい」のニュースが聞かれるかもしれません。

ベネッセのニュースもありました。「進研ゼミ」などの顧客の個人情報が流出した事件です。ベネッセから流出した顧客名簿を買った学習塾もかなりあったそうです。

 

 

そもそも、大手塾の情報管理には杜撰なところがあるのかもしれません。

 

大手チェーンの組織形態が、人員集約的ではないため、情報は基本的に拡散してしまいます。

何十、何百とある校舎・教室間を情報が行きかうような組織構造になっているのです。

プライベートなやり取りと重要な極秘情報が、全く等価に、同じようにメールで送受信されているのではないかと思います。

そのせいで、情報に対する扱いが不用意になることがあるのかもしれません。

 

 

大手塾の宿命として、学生講師で授業を「回す」という営業形態をとっていることにも問題があります。さらに、大手塾の中には、学生アルバイに営業などの電話をさせるようなところもあるそうですが、一般企業では、普通、「外部」の人間は顧客の個人情報にアクセスできないようなシステムになっています。

 

大手学習塾チェーンは、教務や営業といった基幹業務を「アルバイト」にゆだねています。そうしなければ「店舗」を運営できないような、脆弱なビジネスモデルとなりつつあるのだといえるでしょう。

いってみれば、外部の人間がコアな情報に触れることができる、危ない情報管理体制になっているのです。

 

 

 

 

さて、ivyでも、スタッフが私立高校にうかがって、情報交換をさせていただくことがあります。

 

やはり塾としては、受験生には「おさえ」の高校を用意してあげたいですし、本命の高校になんとかして入れてあげたいと思います。

その気持ちは、どんな塾にいようと、変わらないものなのだろうな、と思います。

 

 

私たちは小さな塾ですから、謙虚に、誠実に受験指導していきたいと思います。

 

 (ivy 松村)

「私立安心校」(「都立併願③)

「都立併願」の最大のデメリットは、都立高受験の結果が厳しいものであった場合、自動的に進学先が固定されてしまうことです。

 

これまでにも何度も述べてきましたが、塾教師の目から見て、学校の先生が勧める「併願校」は、受験生の学力に見合ったものでないことがかなり多いのです。

 

見方を変えてみるならば、「都立併願」は、何人かの受験生にとっては、「確約」の見返りに、自分の学力より「ランクの低い高校」に入学する義務を負うというものなのです。

 

 

理想を述べるならば、都立がダメだったときに、進学先として納得のいく、満足できる、愛着の持てる私立高校に入学する権利を得たうえで、都立高校入試に挑むのが望ましいと思います。そのような高校を仮に「私立安心校」と呼ぶことにしましょう。

 

「私立安心校」は、必然的に、「確約なし」の受験になりますから、難しい入試になります。

しかし、「私立安心校」の合格を勝ち取ることができれば、都立入試に向けて弾みにもなりますし、精神的にも余裕をもって都立入試に挑めます。当然、良い結果が出る可能性は高くなりますし、万が一、都立の結果が厳しいものであったときにも、ダメージは最小限にとどめることができます。もしかしたら、かえってよかったという場合もあるのかもしません。

 

都立高校と私立高校では、費用面で大きな差があります。私立高校に入学することになれば、相応の学費を支払うことになるのですが、「私立安心校」に支払うのと「都立併願校」に支払うのとでは、大きな違いがあるように思います。

 

「絶対に都立に受かってほしい」と思うだけで、「私立に入学する可能性」を意識から追いやってしまっていると、「都立に行くのだから、私立は併願で受験すればいい」という発想になってしまいます。

「私立に入学する可能性」を考えれば、少しでも上の私立高校に合格したほうがいいということがわかると思います。

 

 

要は、どこに「リスクをかける」のか、ということだと思います。

 

「都立併願」を選択し、私立入試のリスクを回避した場合は、都立の入試結果によってリスクが生じます。

 

一方、私立入試にリスクをかけて「私立安心校」入学の権利を得ることができれば、都立の入試結果に対するリスクは軽くなります。

 

 

・「都立併願」・・・「ノーリスク」私立入試(「併願校」確保) × 「ハイリスク」都立入試

・「私立安心校」・・・「ハイリスク」私立入試 × 「ローリスク」都立入試(「私立安心校」確保)

 

 

傾向として、中学校の先生は、前者で受験を組み立て、塾の教師は後者で組み立てることが多いと思います。

 

 

しかし、「都立併願」に頼らない受験パターンを組むためには、新たな「リスク」を引き受けなければなりません。

「私立安心校」を受験するために、別の「おさえ」が必要になります。

「併願優遇」がなければ、その「おさえ」も「実力勝負」で取りに行かなければならなくなります。

 

ですから、一般的に、進学塾では、複数の私立高校の受験を提案します。

 

都内の私立高校は、おもに2月10日~2月12日に入試日を設定してありますから、3回の受験が可能です。

また、国立大附属高校を含め、それ以降に受験日を設定している高校もありますので、場合によっては、さらに受験校を増やすことができます。

 

帰結として、

 

・「おさえ」(すべり止め)

・「相応校」(受かっておきたい高校)

・「チャレンジ校」=「私立安心校」

・+都立高校

 

という受験パターンが典型になります。

 

さらに、他県の高校は2月10日以前に受験日が設定されているので、ここで「おさえ」を確保し、「チャレンジ校」の受験を増やすことも考えられます。

 

 

私立の入試結果によって、志願変更を行い、都立の受験校を変更します。

 

「チャレンジ校」合格 → 都立上位校

「相応校」合格 → 都立進学校

「おさえ」合格のみ → 都立進学校 or 都立中堅校

 

 

 

受験校を増やすことで、当然デメリットも生じます。入試対策の面で時間的、労力的に負担感が大きくなってしまいますし、費用の面でも負担が増えてしまいます。

一方、「都立併願」組は、都立受験に集中できるという見方もできます。

 

こうした複数の私立高校の受験を勧める塾の姿勢に、疑念を持たれる受験生や保護者の方もいらっしゃると思います。塾は、合格実績を稼ぐために、多くの高校を受験させようとしているのだと思われてしまうのです。

もちろん、塾によってはそういう意味合いを含めて受験を勧めるところもあると思います。

 

しかし、さまざまな要素を勘案して、「塾の視点」から総合的に「高校受験」全体をデザインしようと考えたとき、上記のような組み立てが、自然と浮かび上がってくるのもまた、事実なのです。

 

 

 

「都立併願」についてまとめてみましょう。

 

「都立併願」のメリット:

 

・「おさえ」の高校を確保できる

・都立高校入試に専念できる

・受験にかかる費用を抑えることができる

 

 

「都立併願」のデメリット:

 

・都立がダメだったときに、思い入れのない高校に進学することになる

・「入試の経験」を積むことができない

・「志願変更」のきっかけがなくなる

 

 

(ivy 松村)

「入試の経験値」(「都立併願」②)

受験生の多くは都立高校を第一志望にしています。そして、都立高校の入試は、当然リスクのある「実力勝負」です。

 

ですから、学校の先生は、万が一都立がダメだったときのために、私立の進学先を「確保」するように動きます。

 

そこで、「都立併願」という、合格を「確約」するかわりに、「しばり」がつけられる受験パターンが示されることになります。

 

この「都立併願」という受験パターンは、学校の先生が得意とする、最も基本的な高校受験の様式です。

 

「都立併願」の受験は、通常は、「おさえ」の私立併願校と「本命」の都立高校の2校のみの受験になります。

 

学校の先生は、用意する調査書を最小限にとどめておきたいと考える方が多いので、極力受験校を減らそうとする傾向があります。

ですから、その意味でも、学校の先生にとっては、このパターンは理想的です。

 

もし、都立に無事合格できれば、言うことはありません。最も効率的で経済的に受験を終えたということになります。

 

 

 

「塾の視点」から都立高校受験を考えたときには、別の受験パターンが典型として浮かび上がってきます。

 

 

「都立併願」は、「入試の経験値」が上がっていかない怖さがあります。

 

このパターンにはめられてしまうと、本番である都立高入試の前までに、1度しか入試を経験できません。しかも、「都立併願校」の入試は、「確約あり」であることを伝えられているので、「真剣勝負」にはならないのです。

 

 

「ガチンコ」勝負の私立入試で結果を出せれば、大きな経験を積むことができるだけでなく、精神的ゆとりと、確かな自信を手にすることができます。

 

「入試の経験値」を積んだうえで都立高校入試を「最終戦」として戦う受験生に比べて、「入試の経験値」の少ない受験生が苦戦する傾向は否めません。

 

そのような観点からみても、実力よりも上の都立高校にチャレンジしたいと思っている受験生には、塾としては、「併願優遇」を勧めたくないのです。

 

 

 

また、「都立併願」の受験パターンを組んでしまうと、都立の「志願変更」の「きっかけ」が失われてしまうというデメリットが生じます。

 

都立高校の入試では、入学願書を提出した後で、一度だけ、願書を取り下げて、受験校を変更することができます。今年度は、取り下げが2月13日、再提出が2月16日になっています。

 

これは、私立高校の入試結果をふまえて都立の受験校を決めなさい、という配慮です。

 

例えば、「私立の上位校に合格したので、都立はさらに上の高校にチャレンジする」といった変更や、「私立で受かっておきたかった高校がダメだったので、都立は、確実に受かる高校に下げよう」といった変更ができるのです。

 

もう少し付け加えるなら、私立入試を経験して、受験生は都立高入試への手応えをつかむことができます。その感触を頼りに、都立の見通しを持つことができます。

 

つまり、都立受験をふまえたうえで私立受験を組んでおけば、私立高校入試の結果を材料として、都立受験を再度組み直すことが可能なのです。

 

一方、「都立併願」組には、そういった志願変更を考え直す「材料」がありません。

 

「都立併願」での受験が決まるのは、12月の三者面談です。そこから、「志願変更」まで2ヶ月間あります。その間に学力が伸びることもあれば、伸び悩むこともあるでしょう。しかし、2ヶ月前に決められた形を崩すことができないのです。

 

過去問演習などの得点が伸び悩んで不安を感じたとしても、思い切って「志願変更」をするだけの明確な理由となりにくいのです。「本番で何とかがんばる」などといって、不安を抱えたままの入試に突入してしまいます。

 

 

「都立併願」という受験パターンは、私立入試を都立入試のために活かすことができないというデメリットがあるのです。

 

(ivy 松村)

 

「塾の視点」(「都立併願」①)

「都立併願」について考えてみたいと思います。

 

 

・「都立に行きたい」→わかります→「私立のおさえはどこでもいい」→理解不能です

 

受からなかったとき、「どこでもいい」私立に進学することになってしまいます。

「絶対都立に受かるから大丈夫!」というような、知性のない精神論は無意味です。

意気込みはもちろん大事なものですが、やる気と結果は別物です。

 

「都立に行きたい」→わかります→「でも、受からないかもしれない」→その可能性はあります→「だから、行きたいと思える私立に合格しておかなくては」

 

このような発想で受験を考えなければならないと思います。

 

 

 

「都立併願」で受験をした場合、都立高入試の結果によっては、「併願校」へ進学することになってしまいます。

 

その高校が、十分に魅力のある学校だと思えるのであれば、問題はありません。しかし、もしも、そうではないのなら、どうして、その高校へ進学する「しばり」を自らに課してしまったのか、という話になってしまいます。

 

 

あまりにも不用意に「都立併願」を選択する受験生が多すぎる、と感じています。

 

第一志望の都立高へ進学したい気持ちを「100」だとしたら、まあ、併願校は「50」ぐらいでしょうか。人によって違うと思いますが、そこには大きな差があるものだと思います。

 

他の可能性を考えてみる必要があります。「都立併願」で受験しなければ、「80」や「90」の私立校を受験することができるのです。

 

もちろん、そこにはリスクがありますが、そういった受験もあるのです。

「別の道」について考えたことはありますか?

 

「50」を確実に手に入れる安全な道と、「90」を求めるいばらの道。

 

どちらを選ぶのかは、その人の置かれている状況や価値観によるものなので、一概にどちらが賢明であるとはいえません。

 

問題は、今の中学生は、強力に「50」の道へと誘導されていて、「別の道」へのルートは、さも危険で異常なもののように伝えられているということです。

 

「都立併願」が当たり前で、一般受験をするのはとんでもないことのように言われたことはありませんか。

 

 

 

もちろん、「都立併願」が悪いわけではありません。この制度を使うことが、本当に有意義になる生徒もたくさんいます。多くの受験生にとっては本当にありがたい制度です。特に、学力が不安定な受験生は、絶対に「併願優遇」で受験するべきです。

 

しかし、学力の高い受験生であればあるほど、この制度は足かせになり、デメリットになるのです。

 

 

「都立併願」のデメリットがあまりにも認知されていないために、毎年、「50」の高校に進学することになってしまう生徒がいます。しかも「90」の高校に合格するだけの力を持っているのに。これは、不条理だとは思いませんか。

 

 

それは学校の先生のせいでもなく、受験生・保護者の方のせいでもありません。はっきりいってしまえば、通っている塾のせいです。

 

学校の先生に任せれば、「都立併願」に固められてしまうことは、わかりきっています。でも、何もしない塾がほとんどです。

(もしかしたら、私立上位校の入試対策を指導できない塾なのかもしれません。)

 

 

学校の三者面談で決まった形を追認するだけの塾が本当に多いです。そんな塾に通っている受験生・保護者は「自衛」しなければなりません。自分で情報を集めて、自分で判断しなければならないのです。

 

このブログの目的のひとつは、1人でも2人でも、そんな受験生を救うことです。そのために、連日何時間もかけて書いています。

 

 

 

学校の先生は、「おさえ」があれば「大丈夫」だから、都立は好きなころを受けてもよい、と言います。

 

しかし、「おさえ」に進学しなければならないという「リスク」も考えるべきだろうと思います。

 

特に、進学指導重点校やハイレベルな争いになる激戦の都立進学校を受験する場合。

一か八かで可能性の低いチャレンジ校を一縷の望みをかけて受験する場合。

そんなリスクのある受験で、どうして、受かることだけを考えることができるでしょうか。

 

「都立併願」のパターンで一番危ないのは、緊張するタイプの生徒が、ギリギリ合格できるかどうかのレベルの都立高校を受けるときです。

 

逆に、図太いタイプの生徒は、あっさり受かってしまうこともあります。結果オーライというやつです。

 

何事にも功罪はありますから、一概にはいえませんが、「第一志望がダメだった」という結果の意味が、受験のパターンによって大きく変わってくるのです。

 

 

「おさえ」があるから「大丈夫」だといって、「都立併願」で受験をして、都立がダメだったとき、本当に「大丈夫」だったね、と思えますか?

 

 

 

これまでの受験指導の経験から、「塾の視点」で受験を見ていない受験生や保護者の方が、けっこうたくさんいらっしゃることがわかってきました。

 

「塾の視点」とは、要するに、戦略的に受験を考えるということです。

きちんとした「まともな」塾は、置かれている状況や条件の中で、よりよい成果を得るために、受験をどうとらえ、どう行動するべきなのかということを常に考えています。

 

「塾の視点」から受験というものを知っていただくことは、受験生・保護者の方にとっても有意義なのではないかと考え、ブログに書かせてもらっています。

 

「家庭の視点」「学校の視点」そして「塾の視点」で受験を見直したときに、受験に「別の道」がみえてくることがあるかもしれません。

 

 

もちろん、大前提として、受験生は、自分の学力、家庭の事情などを考慮して、現実的に、志望校を考えなければなりません。

 

そして、どのようなパターンで受験に挑むのか、その決断をするのは、受験生とご家庭です。

 

誤解のないよう、念のため再度付け加えますが、私は「都立併願」で受験するべきではないといっているのではありません。

私が懸念しているのは、受験の全体像を知らされないで、判断を迫られている受験生・保護者が数多くいらっしゃるのではないかということです。

 

「塾の視点」もふまえて考えた結果、やはり「都立併願」で受験しよう、と決められたのであれば、その受験を、私たちは最大限サポートしていきます。

 

(ivy 松村)

塾が勧める受験をどう考えるか

中学校の先生は、生徒の「学力」に見合わない高校の受験を勧めることがあるので、注意しなければいけないことがあります。

簡単にいえば、「入りやすい高校」の受験を提案するケースが多いということです。

 

 

その理由をまとめてみましょう。

 

・中学校の先生は、受験生の、入試問題への対応力や得点力を確認したり、指導したりする機会を持っていない

・そのために、合格の可能性をシビアに判断できない

・中学校の先生は立場上、生徒の進路、進学に対して保守的にならざるを得ない

・時間的、労力的な制約のなかで職務を行うため、型にはまった対応になりがちになってしまう

・本気で受験を考えているのかを確認するために、厳しい意見を伝えることがある

 

以上のような理由が考えられます。

 

 

学校とは反対に、塾はなるべく高いレベルの学校に挑戦することを推奨することが多いです。

 

 

図式的にとらえると、

 

・学校は「低いランク」の高校を受けさせようとする

・塾は「高いランク」の高校を受けさせようとする

 

という構図になります。

 

 

端的にいって、中学校は公的な教育機関です。一方、塾は、産業的営利組織です。ですから、一般的な感覚からして、中学校の方が信頼できるはずだという考えを、世間の方々が持たれたとしても無理のないことだと思います。

 

特に、何らかの理由によって、通っている塾に不信感を抱いている生徒・保護者の方は、塾の受験指導は、生徒のためではなく、塾の都合によって行われているのではないかと考えがちになってしまわれます。そして、それは、あながち間違っていない場合も多くあります。

 

 

 

ここで、一般に広く信じられている塾の「合格実績主義」について考えてみましょう。

 

塾が、合格者実績を稼ぎ出すために、過度の受験を勧めてくるというものです。

 

そういった塾も、現実に数多く存在しています。

 

実際に、都立高校の推薦に受かった生徒に、何とか早慶の附属高を受験させようとしている塾教師を見たことがあります。あるいは逆に、私立の第一志望に受かった生徒に、都立の受験を勧める塾もありました。

 

そのような姿勢は、合格実績を広告として使いたいという、営利的な目論見によるものです。

または、他塾に負けたくないという、競争意識のあらわれです。

経営的な立場の方が、そのような指示を出したり、自らそのような行動に出たりすることがあるのでしょう。

 

また、営業的な見地からではなく、ある意味で「純粋に」合格実績を収集したいと考える塾教師もいます。

 

塾教師という仕事には「職人的」な側面があります。

合格実績は、自らの技能の高さを数値化したものであり、己の価値を示すものであると捉えられています。つまり、合格実績を伸ばすことは、塾教師にとって、栄誉、誇りを手にすることでもあるのです。

そのために、生徒に難関校の受験を後押しする塾講師がいることも事実です。

 

 

 

どちらにしても、これらは塾側の都合によって受験が扱われているものであって、生徒・保護者の方からすれば、受け入れがたいものであると思います。

 

しかし、塾からの受験校の提案等が、塾の都合によるものなのか、本心から生徒のことを考えてのものなのかは、判別つきがたいことが多いのではないかと思います。

 

ですから、より良い形で受験に臨むためには、先入観や偏見を排除して、どのような選択がベストなのか、という視点から、受験校を考えていただくほうがいいと思います。

(当然、あまりにも、あからさまな場合には、拒否するべきだと思います。)

 

大事なのは、塾の動機ではなく、受験生の進路選択にとって有効であるかどうかです。

 

塾が「高いランク」の高校を勧めてきたとします。もちろん、良くない結果が出るリスクはあります。そして、それは、塾側の都合によって提案されている可能性もあります。

 

しかし、もし、その高校に大きな魅力を感じ、それがリスクを背負ってでも受験しようと思うほどのものであったとしたら、やはり受験したほうがよいのではないでしょうか。

 

当たり前ですが、全く可能性のない受験を勧めるような塾教師はいるはずはありません。

可能性があるからこそ、話に上るものだと思います。

 

 

何やら、他塾を擁護するような内容になってしまいました。結局は私も塾の人間ということなのかもしれません。

(しかし、ここまで書いた後で、ivyは大丈夫ですよ!といっても、白々しいというか、 欺瞞的な感じがしてしまいますね。う~ん、失敗しました。大人しくまな板の上にのって、判断は、生徒・保護者の方にゆだねることにします。)

 

ただ、せめて、受験生や保護者の方に忘れないでいただきたいと思うのは、基本的に塾は、「受験を成功させるために動く」ものであるということです。

 

 

受験校、受験方法、受験パターンの選定はとても精神的に「しんどい」作業です。

生徒本人の希望や性格、高校から先の進路なども考える必要があります。

当然、高校のスクールカラーや校風、学習指導のありかた、進学実績、費用や通学時間なども考慮しなければなりません。部活や制服などを重視する人もいますが、そのときは、もちろん希望に沿って情報を集めます。

また、入試日程、優遇制度、入試傾向との相性なども押さえなければなりません。

 

そして何より、生徒の学力=合格可能性と、リスクを踏まえて、最良の受験の形を導き出そうと、絶えず頭をひねっているのです。

 

私たちは、ただやみくもに、自分たちの利得のみで動いているわけではないことをご理解いただければ幸いです。

 

 

 

(「合格実績主義」に関しては、合格者の「水増し」の問題があります。さまざまな「手口」がありますが、これは詐欺であって、もはや犯罪です。この件に関しては、後日また、書くつもりです。)

 

(ivy 松村)

受験校を決める(三者面談の話③)

中学校の先生にも、いろいろな方がいます。自分が中学生だったときを思い返してみても、個性豊かな先生方との出会いがありました。また、大人になって、学校の先生をされている人と知り合う機会ごとに、改めてそう感じることも多くあります。

 

ですから、「学校の先生」とひとまとめにして論じることに、無理があるとは思いつつも、「三者面談」を通して見えてくる学校の先生の実像について考えてみたいと思います。

 

 

まず、中学3年生の担任は、とても大変です。実際の仕事を見ていない方でも容易に想像がつくと思います。

経験の浅い先生ではなく、ある程度の経験を持った先生が受け持つことが多くなります。学校によっては、適任の先生がいないときには、定年をされた先生が、嘱託などの形で担任を任される例もあるようです。

 

改めていうまでもないことですが、学校の先生の仕事は多岐にわたり、激務です。進路相談ばかりに時間を取っていられないというのが実情です。

 

ですから、三者面談で受験校を決定するという「業務」もある程度「流れ作業」となってしまいます。当然、長年の経験がある先生ほど、慣れたやり方、「得意の形」で効率的に仕事を「片づけて」いくようになります。

 

特に、「入試相談」では、付き合いが深く、パイプのある高等学校に生徒を斡旋する流れが出来上がっていることが多いのです。

 

受験校に対して強い希望を持った生徒・家庭であれば、志望先の高校の先生に問い合わせをして情報を集めてもらえるとは思いますが、「何となく、こんな学校なんかはどうかな~」という程度の話には、付き合っていられないというのが、実際のところだと思います。

 

世の中には、しっかりとした志望、計画を持った中学生より、真剣に自分の進路と向き合うことができない中学生のほうが多いと思います。

もじもじ、ぐずぐずするばかりで、自分の将来を、「誰か」が案内しれくれないかな~と考えているのです。

 

それで、学校の先生は、「じゃあ、君は○○高を受けときなさい」と機械的に決めていくのです。

 

 

あるいは、志望校に対して、学校の先生が「そんな高いレベルの学校なんか、入れるわけない」「もっと低いランクの学校を選びなさい」と言うこともあるかもしれません。

 

それは、本心というよりも、本気で受験を考えているのかを、見定めようとしているのではないかと思うこともあります。

受験に対して真剣味がなく、偏差値などをよく調べもしないで、聞いたことのある学校を「何となく」挙げる生徒もたくさんいるはずだからです。

 

 

 

受験校は、学校と相談して決めるのではなく、家族や塾で相談をして決めたものを「承認」してもらう形にするのが、最も良いと思います。

 

ただ、推薦や併願の基準にギリギリ足りないときなど、学校の先生の口添えで何とかなる場合がありますので、学校の先生にやってもらえることは何なのか、しっかり確認しておくことは大切です。

 

また、「リーダーとしての活動」とか「特別活動」といった、学校の先生のさじ加減にゆだねられている内申の加点項目がある場合もあります。それは、学校ごとにいくつまで、と決められていることもあります。

 

ですから、あと1つか2つ内申点があれば・・・というときには、学校の先生に、なんとかならないか「お願い」をしてみる必要があります。

 

もちろん、塾の方でも、「裏ワザ」のようなものがあります。少し前に、ニュースになったので、ご存じの方もいらっしゃるかもしれません。後日、またその話を書こうと思います。

 

 

 

塾に通うことの最大のメリットは、受験の相談を親身に受けてもらえることです。

「受験のことはよくわからないけど、どの辺の高校なら受かるのか教えてほしい」というような、ふんわりした質問にもお答えします。

 

私が尊敬する塾の教師の1人が言っていた言葉があります。

それは、「塾の仕事の7割は、受験校を決めることだ」というものです。それを聞いた当時は、あまりピンと来なかったのですが、今は、その意味がよくわかります。

 

受験生のやる気を引き出す、受験生の学力を伸ばすということも、受験校を決めるということの延長にあることに気づいたからです。

 

もちろん、独断的に塾が生徒の受験する高校を決めるということはあってはなりません。生徒・保護者の方と話をしながら、具体的な形にしていくということが、受験校を決めるということです。

 

 

中3生のご家庭とは、期末テストの後、12月の学校の三者面談の前に、もう一度塾での面談を設定させていただきます。そこで、受験校について、再度お話しさせていただきます。

 

 (ivy 松村)